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    きみよ 谷底の花であれ〈とある出張研ぎ師の日常〉〈とある出張研ぎ師の回想〉〈とある本丸の現実〉〈とある審神者候補生の真実〉〈前田藤四郎の本懐と鶴丸国永の矜持、もしくはへし切長谷部の真相〉〈その後の話〉◆◇ Attention!! ◇◆


    ■ この作品は『出張研ぎ師』という特殊なオリジナル設定を含みます。というかオリジナル設定ありきで話が進みます。モブも出張ります。

    ■ 刀剣破壊・ゲーム台詞ネタバレ等の要素があります。破壊された刀剣が実は生きていた、記憶持ちの分霊が再び降りてくる等の救いはありません。本当に折れますし、回想の中でしか会えません。

    ■ ブラック本丸等の暗い設定、展開のオンパレード。なんでも大丈夫な方向けです。

    ■ バカスカ回想が入ります。

    ■ 申し訳ありませんが、苦情等はお受け致しません。全て自己責任でお願い致します。



     以上、長々と注意書きをつけました。
     最後までお読みになって、少しでも不安を感じた方は、ブラウザを閉じて無かったことにされるのが懸命かと思います。
     全てご了解、「胸くそ悪くても大丈夫! ポジティブさには自信がある!」という方は、本作に最後までお付き合い頂ければ嬉しいです。








     世界平和の名の元に、あと幾度祈りを捧げねばならないんだろう。
     あと幾度、全てを捨てねばならないんだろう。

     この世界が明日爆発したって、そこには嘆く人も残らないのに。






    ===================

    『出張研ぎ師』出動開始! 絶賛予約受付中◎

    手入れを妖精任せにしてはいませんか……? 日課のノルマをクリアするため、手伝い札を使って、おざなりにパパッと済ませていませんか……?
    手入れは刀剣たちとの大事なコミュニケーションのひとつです。手をかけ、時間をかけ、彼らの日々の疲れを癒して初めて、刀剣たちは本来の輝きを取り戻すというもの!
    「だけどゆっくり手入れしてあげる時間が取れなくて……」そんな貴方に朗報です!!
    『出張研ぎ師制度』が今春スタート致しました。忙しい貴方の代わりに政府派遣の手入れ部隊が参ります!
    手入れ不足は昨今話題になっている刀剣の摩耗による怪我のしやすさ、ひいては刀剣破壊にも繋がる恐ろしい問題です。これを機に、貴方も政府の特典制度を活用してみませんか?
    『出張研ぎ師制度』またはその他の特典制度の詳細・ご予約はコチラのお電話:00−0000−0000・またはHPからどうぞ。
    貴方のお悩み、政府がばっちりサポート致します◎

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    〈とある出張研ぎ師の日常〉


     本丸は異空間なのでインターホンなんぞは無い。だから予約の仕事が無い日なんかは片っ端から端末で御用聞きに回らなければならぬ。すげなく断られ、収穫の無い日もしばしば。私は常々この効率の悪さに疑問を持っている。

    「審神者No.8901、不発、っと……」

     赤ペンで電話リストに×印を入れ、次の審神者に連絡を入れようと端末に手を伸ばす。
     が、急にガックリ虚しさが襲って来た。
     あぁ~やばいよ、あまりの不毛さに眠くなってきた。それにしても審神者って人当たり良い人多いよなー、断る時も人当たりよく断ってくれる。さすがは神様にお仕えする神職者だよ。
     それでも私が被る精神的ダメージは軽減されど、蓄積されることに変わりはない。
     そもそも本当に必要な職種なのかねぇ、『出張研ぎ師』なんつーもんはさぁ……

     さて、ここは政府管轄・審神者サポート部隊・整備部2課…通称『出張研ぎ師部隊』の一デスク。すなわち、私のデスクだ。
     『研ぎ師』は審神者ではないので、本丸みたいな刀剣男士たちと暮らす居住地的なものは与えられていない。政府管理の独身寮はあるけど、空き室には限度があるから使えない人も多い。
     つまり、このデスクが私の職場なのだ。審神者から、ぜひうちの刀剣を研ぎに来て♥ というラブコールがかからなければ動けない。ここで一日つけっぱなしのラジオを聴きながら待機、電話・電話・電話…なんてこともざらにある。まぁ別に良いですけどね、基本給はもらえるわけですし。歩合があってもなくても生活レベルが劇的に変わるわけでナシ、貯金がその分増えるだけだ。
     おためごかしで自分を心中慰めながら、私はこっそり溜め息をついた。ラジオからは『景趣・桜の蕾バージョンが新たに登場』だの、『今期卒業した17人の審神者候補生が審神者としての勤務を開始した』だの、とにかく戦時中とは思えない平和な春のニュースが流れてくる。
     不毛だ。
     戦に後方支援部隊は必須とは言えども、他にこんな暇な部署あるんだろうか。そりゃぁ、新設部署な上、有事の際の医療班みたいなもんですから、暇なことは良いことっちゃぁ良いことなんですけどねー……

    「大きい溜め息ですねぇ」

     目の前に座る電話番のバイトちゃんに、溜め息を聞き咎められる。

    「だぁって暇なんですよ~張り合いが無いんですよ~日がな一日座ってるだけなんて時間の浪費なんですよ~」
    「座ってるだけでお給料がもらえるなんて、割のいい仕事じゃないですか」

     私も学校卒業したら勤務したいなぁ、なんてほけほけと笑う週1バイトはなぁんにも分かっちゃいない。レギュラー勤務なのに探しても仕事が無い業務なんて、1ヶ月も経てば生きる屍になった気分になるってことを。

    「やめといた方が良いよ~こんな暇な仕事」
    「えー、でも楽じゃないですか」
    「いやぁ、いくら暇だっつっても、有事の際は駆り出されるわけだし。それに戦争に加担していることに代わりはないからね。勝っても負けても誰かに恨まれるのが決定事項なオシゴトなんて、私はオススメしませんよ、うん」
    「あ、内線だ!」
    「聞けよ」

     今日イチ良いこと言ってるのに!! 私が憤慨する前でバイトちゃんは作り込んだ声で内線に応答する。こちとら一応上司だぞコラ。

    「はぁい、お待ち下さいませ」

     言って彼女は電話を保留にすると、グッと親指を立てて来た。

    「終日暇回避ですよ! お仕事依頼です!」
    「え? だって今の内線じゃぁ…」
    「管理部からです! 胸アツですね!!」

     ──絶句。眠気はどこかに吹き飛んだけど、代わりに目眩がしてきました。あぁ、早退したい………。



    ===================

    審神者No.0527・ブラック本丸との通報あり。直ちに出向し、本丸捜査に移行すべし。捜査終了後、一両日中に報告書を管理部に上げ、業務終了となる。
    以上、問い合わせや質問事項は管理部の担当者まで。
    ※報告書はテンプレートにて作成のこと
    ※提出が遅れる場合は担当者に報告し、次回提出期限を設けること
    ※疑惑確定の場合はその場で管理部に通報・後、速やかに撤退されたり

    ===================



    「ちくしょう、管理部め。自分で行けってんだよ」
     文句は言えども拒否は出来ず。これがキャリア組と一般組の差か、我々は結局使われる側だ。
     そう。これも『出張研ぎ師』の仕事の一つ。ブラック本丸として他所本丸から通報された本丸に『出張研ぎ師』としてこっそり探りを入れにいくというわけだ。通報を受けた本丸は『出張研ぎ師』がクロと判断して、初めて本格的な捜査のメスが入ることになる……というのは最近出来た管理部と整備部の取り決めだ。もっともガセも多く、空振りなこともしばしばあるのだけど。
     ようは体のいい様子見だな。私は『出張研ぎ師』なんて言うのは単なる容れ物で、本当は管理部が使い勝手の良い下っ端調査員確保にそれらしい部署を作っただけと見ている。
     ま、お仕事ですからやりますけどね。通報装置兼通信機持った、手入れ道具(一応)持った、着物もオッケー、簪ずれてない、いける!
     『転送装置室』へ入室すると、中には今から本丸に向かうもの、本部に帰ってくるもの様々でごった返している。
     と、丁度同僚の男が出張から帰って来た所だった。

    「あれ、今日予約無かったんじゃねーの?」
    「ブラックメール届いちゃってね。アンタがもうちょい早く帰って来たら押し付けてたのに」
    「あっぶねータッチ差、俺セーフ!」
    「サムデイ殺す。無事帰って来れるように祈ってて」
    「どーせいつもの空振り案件だろ? バイトちゃんと八つ時食べながら待ってるね♥」
    「マジで いつか 必ず殺す」

     捨て台詞を吐いて、同僚が使用していた転送装置に入れ替わりで入った。

    『Welcome.管理コードヲ教エテクダサイ』
    「管理コード、170236」
    『……認証シマシタ。……転移先本丸コード・並ビニ業務コードヲ教エテクダサイ』
    「本丸コード0527、業務コード10000099。」
    『管理部要請・出張手入レ デスネ。転送準備中デス ソノ場カラ動カズニオ待チクダサイ。……準備完了シマシタ 転送開始シマス。……Good Luck.』
    「あんがと。私の武運を祈ってくれるのはアンタだけよ、ワダツミ」

     中枢コンピューターにそう告げて目を閉じる。
     転送中の、この頭のてっぺんがゾワッとする感じ、あんまり好きじゃない。



    『……転送成功シマシタ。業務ヲ開始シテクダサイ』
    「りょーかいっと、ここかぁ」

     取り急ぎ、転送先の本丸の大門付近から外観チェック。……うーん、空気澱みまくりですねぇ。来てすぐに分かるってヤバいですよねぇ、だから通報されてんだろうけど。誰だよ、どうせいつもの空振り案件とか言ってたやつ。
     ちなみにこの本丸には必ずついている大門、人間が通る場合は政府本部への直通のみ。本丸から本丸への渡り歩きは出来ない仕組みになっている。
     しかし門付近とはいえ、直に本丸の内部に転送するのマジでやめて欲しい。どーすんですか、刀剣男士殿が近くにいたら。一瞬で我々研ぎ師なんかお陀仏ですよ。ただでさえあちらは刀の付喪神、部外者の気配には人なんかよりずっと敏感なんですからさぁ……。誰もいなくて良かったけど。

    「刃傷沙汰案件とかじゃ無いと良いんだけど……」

     とりあえず、相対してみないことには始まらない。いざいざ、出陣!

    「コホンっ、んんっ……ごめんくださぁい、出張研ぎ師でございまぁす! 貴方の刀剣の錆・刃こぼれ・曇り、なんでも手入れさせて頂きまぁす! モチロン資材はコチラ持ち、使わにゃ損ソン☆出張研ぎ師でございまぁす!!」

     ………反応ナシ。まぁ政府派遣の出張研ぎ師を快く出迎えてくれる、ブラック本丸なんぞ存在しないわけでして。
     さてさてどうしたもんか。誰も来ない時点でクロ判定☆即通報ボタン押すのも手のひとつなんだけど……。業務放棄認定されないかしら……。
     うーん、考えていると……ヒタリ。
     首に冷たい何かが当たって呼吸が止まった。

    「何用ですか」
    「ま えだ、とうしろう、どの……」
    「主君に用があるなら、こちらで承ります」

     首から下げていた通報装置が、突きつけられた短刀の鋭さにスルスル落ちた。コロコロと転がって行ってしまって、……絶体絶命の大ピンチだ。
     もっとも、吊り下げていた装置のボタンを私が押すのが速いか、前田藤四郎が私の首を落とすのが速いか……問答の余地もないほど答えは明白だけど。

    「……いえ、単なる出張研ぎですよ、最近アポ無し突撃が流行ってまして。いやぁさびれた部署っていうのはいかんですな、仕事を探しにドサ回れば、こうしていらぬ御不興を買ってしまうんですから。いやぁ驚いた驚いた」
    「つまり、用はないと」
    「……乱暴に言うと、そんなところです」

     後ろから前田藤四郎の嘆息が聞こえ、首から刀が外される。どうやら排除に値しない侵入者としてくれたようだ。それどころか転がっていった通報装置を拾い上げ、こちらに差し出してくれる親切さである。

    「では速やかにお引き取りを。我が主君は上に立つ者らしい豪毅な人となりですから」

     前田藤四郎は言葉を濁し、本丸唯一の転送装置である大門を指さした。
     つまり。これ以上ここにいたら豪毅な主君とやらに、侵入者としてスパッと首を刎ねられるからサッサと帰れってことだ。忠誠心に厚い前田藤四郎には珍しく言葉まで濁したということは………こりゃぁ、とんでもないやんちゃな審神者がいるようだ。うーん、ブラック。

    「左様ですか、それはそれは残念至極。しかし刀剣様にお断りされてはゴリ押すのも野暮というもの。私はこれにてお暇いたしましょう」

     しかし厚意は素直に受けておこう。ていうか怖いし! ふっつーにめちゃめちゃ怖いですし!!!! 人生で首に刀突きつけられる場面なんてそうそうねーわ!! ここの前田きゅん主君似でとってもやんちゃだよぅ、怖い!!!!
     それじゃ、と前田藤四郎の訝しげな視線を尻目にそそくさと通報装置を受け取ろうとした、その時。


    「いやぁぁぁぁああぁぁぁっ!!!!」


     本丸奥から布を裂くような女の悲鳴が聞こえた。

    「主君……!」
    「え、ちょ……前田殿!! まっ……それ高いから返してぇぇぇ!!! 失くしたら自腹って開発部に散々言われて来てんだから! 持ってかないでぇぇぇえぇ!!!」

     並の人間が短刀に追い付けることは無い。そんなことは分かりきっていたのだから、私はこの時追うべきではなかった。失くした通報装置の弁償代がいくらかかろうとも、絶対に、追うべきではなかったのだ。



    「いやっ! いや、いやいやいやいやっ!!!」

     追いついた先には半狂乱の女とへし切長谷部がいた。女は髪を振り乱し、しきりに地面を踏みつけている。地団太を踏む子供のようにも、羅刹のようにも見えた。

    「折れて!! 折れて折れて折れて!! 折れてよぉぉぉぉぉっ!!!」

     地面を踏み抜かんばかりの気迫で、ひと際大きく踏みつけると、何かキラキラとした破片が辺りに舞った。
     最初、それが何か分からなかった。遠いのもあったし、考えもつかない所業だったからだ。
     しかし近くに落ちている柄と鞘を見て、──息を呑んだ。

    「何をなさっているんですか!!」

     目の前の光景は異常としか言いようがなかった。庭先にはかつて加州清光であっただろう刀が無残に折れた姿が横たわって、細かく砕けた欠片たちはもはや物言うこともなく沈黙している。足袋のまま踏みつけたのだろう、緋袴を着た女の足はうっすらと血に濡れている。それは加州清光の無念さを物語るようにも、せめてもの抵抗にも見えた。
     私の声に女はピタリと動きを止め、顔にかかる髪が表情を隠す。女の横にはへし切長谷部が静かに佇んでいて、能面じみた顔で折れた破片を見下ろしている。
     誰も、微動だにしなかった。恐ろしいまでの静寂に、背中を冷汗が滑る。
     私は少し先にあった、衝撃に立ち止まり、通報装置を固く握りしめた前田藤四郎の背中を退かすように踏み出して、彼を隠すように前に立った。恐怖で本能的に竦む足は我ながら無様だったが、締まる喉をこじ開けるように再度叫ぶ。

    「っ折れた刀剣を足蹴にするなど、許されることではありませんよ!! 恥を知りなさい!!」

    「──誰」

     私の激昂に対し、返された言葉は静かだった。氷のような冷たさも、侮蔑も、罪悪感も、まるで無くて、それが逆に怖いくらいだった。自分の体が硬く冷たくなるのを如実に感じる。
     もしかして自分は思うよりもとんでもない所に来てしまったのかもしれない。そんなことを意識の外で思った。

    「──見学の人?」

     見学? 言葉の意味は分からなかったけど、催促の声に気圧されている自分には否応なしに気づく。奮い立たせるように拳を握った。

    「わ、たしは出張研ぎ師で……っ」

     ぐるん!! 音を立ててこちらに向けられる顔に、恐怖で喉が震えた。顔面は蒼白、こけた頬に降りかかる黒髪は艶が無く、なのに目だけは爛々と血走って、こちらをしっかりと見つめていた。睨みつけるというよりも心を透かすような瞳に総毛立つ。

    「なんで、ここにいるの、誰が入って良いって言ったの、私の、私の本丸、アンタもなの、また私から取るの、そんなの許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない」

     ほんの少しだけ開かれた唇から、見合わない量の呪詛めいた言葉たち。本能的に足が引けて、

    「主君!」

     私の後ろから空気を切り裂くように前田藤四郎が飛び出した。

    「この方は政府より来られた出張研ぎ師です! 悪い方では、」

     説明よりも早く、今度はへし切長谷部が審神者の前に庇うように立ちふさがる。

    「何人たりとも入れるなと言ったはずだぞ」

     地を這うような低音に、前田藤四郎の肩がビクリと跳ねる。

    「も、うしわけ、ありません……」
    「もう良い。そこを退け。──俺が処分する」

     圧倒的な殺気を感じて、プレッシャーに土を踏みしめている感覚が無くなった。

     殺される。

     へし切長谷部が刀を抜く。澱んで薄暗い空気の中、その刃だけが場違いのように煌めいた。鋭利なその光はそれだけで、柔い人間の心を挫くには十分で。
     足が動かない。──逃げられない。

     死ぬ。

     死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ
     私、死ぬんだ。
     ただそれだけに占拠される思考の中、無理くりゴクリと生唾を飲み込んだ。すると、少し気分が落ち着く。こういう時には無理にでも身体の機能を動かすこと。そうすると少しばかり冷静さが戻ってくるから、その冷静さの尻尾を逃さず捕まえて気分を落ち着けること。懸命に冷静になることだけを考える。
     まだ斬られてもいない内から負けた気分でどうすんの!! そんな言葉で再度自らを鼓舞すると、私は固く閉じる唇を開けた。乾いた皮が切れて少し痛んだけど、痛みは生きてる証だと無視して口を大きく開ける。

    「物の道理の分からない、鈍らはすっこんでてください!」
    「──なんだと?」

     ピキリと浮き立つ青筋に、今度こそ気圧されてなるものかと丹田にグッと力を込めて耐える。

    「私は政府直属、整備部2課所属の出張研ぎ師です! 本丸襲撃を企てる歴史修正主義者ではないし、貴方の審神者殿の敵ではない、もっと言えば味方側です! 許可なく入り込んだのは確かに不躾でしたし謝ります、ですがいきなり斬るだなんだと喚き散らされては話も出来ない!」

     ハラハラとこちらを見守る前田藤四郎の姿を横目に、私は続ける。

    「私はこの本丸の主人と話をしに来たんです。ここの主人は貴方ですか、へし切長谷部殿。違うでしょう? 主人を差し置いて仮にも客人である私の相手をすることを、審神者殿が望んだのですか!?」
    「はっ、正式な手続きも無しに上がり込んでおいて、客人とは笑わせる。貴様が政府の狗かどうかの確証もないのに、主と口がきけると思うのか?」
    「お望みなら身分証でも見せて差し上げましょうか?」
    「必要ない」

     へし切長谷部は藤色の目を凶悪に細めて言った。

    「本当に政府の狗だと分かった所で、貴様を斬るのに変わりはない」

     ピリピリとした殺気が辺りを取り巻くが、こちらも斬られると分かって退くわけにいかない。少しでも隙を見せたら喰われる。政府側の人間を疎ましく思う者は多くいるが、ここまで露骨に嫌われてるとは思わなかった。
     自分の主が悪いことしてるって、承知の上での黙認てことかしら。見上げた忠誠心に賛辞でも送りたいところだが、容認は出来ない。冷えた藤色を虚勢を張ってねめつける。

    「──退きなさい、へし切長谷部」
    「退かせてみせろ。人間風情が」

     ふと、空気が揺れた。睨み合う私たちの間に割って入る緋色の袴。次の瞬間──
     パシン!!
     へし切長谷部は思い切り頬を張られた。それも庇ったはずの彼の審神者に。
     絶句する私をよそに、へし切長谷部は流れるような動作で彼女の前に跪く。審神者は言った。

    「………私以外の人間と、喋らないで」
    「申し訳ありません、主。お許しください」

     ──異常だ。
     空気が澱んでるのは分かる。刀をあんなに躊躇なく折れるのだ、きっとこれまでに何振りも犠牲になってきたのだろう。この澱みは刀剣男士の無念の表れだ。
     だが、この審神者は一体何だ? 私相手にはあれほど冷静さを欠いたヒステリックさを見せておいて、何故、こんな冷徹に刀剣男士を打つの? これじゃまるで二重人格か……心神喪失じゃない。
     女はゆるりとこちらに近づいてきた。血走った眼は皿のように見開かれ、こちらをジッと観察している。
     へし切長谷部のような明確な殺意は感じない。ただ、何を考えているのか読めなくて、そのほうがよっぽど恐ろしかった。殺意ゴリゴリの刀剣男士より怖いとか、どんなホラーよ。
     それでも先ほどのへし切長谷部との会話では、少なくとも会話は出来ていた。私もさっきは冷静さを欠いていたし、もしかしたら話は通じる相手なのかも。覚悟を決めて諭す言葉を口にする。

    「刀剣男士を打つのはおやめください。彼らは神の一柱、人の自由になるものでは到底……、」

     パシン!!
     一瞬なにが起きたか分からなかった。ヒリリと痛む頬に、どうやらへし切長谷部同様、小さな掌に強か頬を打たれたらしいことに気付いた。

    「……泥棒。」
    「な、」

    「泥棒泥棒泥棒泥棒泥棒泥棒泥棒泥棒泥棒泥棒!!! 私の刀に近づくなぁぁぁぁぁっ!!!!」

     そのヒステリックな叫びの後は、そりゃぁもう酷かった。咄嗟のことに対応が遅れ、腹に打ち込まれた蹴りをまともに食らってしまったのだ。うずくまる私に不明瞭な罵声を浴びせながら殴り蹴り、髪を持って引きずり……ついにこちらの意識が朦朧としてきた頃、彼女の息も切れてきた。肩で息をした女に、逃げられないよう私の腕を掴んでいたへし切長谷部が冷たく言い放つ。

    「首を落としておきましょうか。二度と主に口答えなど出来ないよう」

     痛まない所のない身体はピクリとも動いてくれない。
     ここまでか……呆気ない終わりだなぁ。
     芋虫にでもなったみたいな気分で土の匂いを感じれば、自棄のような考えが浮かんでくる。だってどうせもう逃げられないし、へし切長谷部の、何物をも無いもののように切り捨てるあの刃で切り伏せられるなら、自分の死に際としては上等なほうなのかもしれない。
     ──せっかく皆に生きながらえさせてもらったのに。結局本丸で死ぬなんて、笑える。
     目の前を真っ白な足袋が遮った。あぁ、でもどうせなら、

     殺されるなら、貴方が良かった。


    〈とある出張研ぎ師の回想〉


     ──私は元々、審神者だった。
     初期刀は山姥切国広、初鍛刀は小夜左文字という、少し鬱屈とした空気でスタートした審神者職。今思えば最初の頃、私には“審神者は神職である”という意識が人より強かったように思う。
     神様にお仕えするのだから、と気を張って、なかなか刀剣たちに打ち解けられなかった。隣にいても何を話して良いか分からなくて、粗相があってはいけないと執務室に引っ込んでばかり。山姥切国広や小夜左文字を筆頭に、初期に来てくれた短刀たちにも大いに気を遣わせていたと思う。
     そんな私を変えてくれたのは、私の初めての太刀……鶴丸国永だった。
     いつも怪我をして帰ってくる刀剣たち。どうにか楽をさせてやりたくて、戦況を変えるための先行投資と自分に言い聞かせ、少ない手持ちの資源をギャンブラーよろしく突っ込んだ。鍛刀部屋で神に祈ったのは、後にも先にもあの時だけだ。
     どうか、どうか皆様をお助けください。
     だから目の前が光に包まれて、桜吹雪の中から真っ白な神様がゆうるりと微笑んで現れた時は、本当に文字通り言葉を失った。

    「よっ。鶴丸国永だ。俺みたいのが突然来て驚いたか?」
    「……えぇ、すごく」

     あまりの衝撃にそれしか言えなかった私に、鶴丸国永は満足そうに笑った。


     そこからはもう怒濤の本丸改革を余儀なくされた。主に私の内情や刀剣に対しての接し方においての話だが。
     鶴丸国永は平安刀らしい、鷹揚にして奔放な刀だった。近侍を頼んでもないのに執務部屋には入ってくるわ、出会い頭に驚かせてくるわ、パーソナルスペースが狭いというかなんというか……とにかく私の“刀剣男士=仕えるべき厳粛な神様”というイメージは彼との出会いでガラリと変えられてしまった。
     そのくせ縁側に片膝を抱えて座って庭を見ている姿なんかは、言葉も無いほど美男子で。その横に山姥切国広なんかを置いた日にゃぁ、あまりにも耽美的雰囲気を放っているもんだから、迂闊に近寄れもしなかった。
     それでも眺めている私に気付けば、振り返って「きみも来るか?」とくだけた調子で笑いかける。

    「いいです、まだ仕事が残っていますし…」
    「きみにも息抜きは必要だろう。放置するのは良くないとしても、毎日退屈な任務ばかりやっていたら心が先に死んでしまう」

     団子でも食うか、と3色団子を差し出してくる鶴丸国永には何のてらいもなく、肩をいからせて本丸内を歩いている自分が急に恥ずかしくなった。
     余裕を持てよと言われたようで、自分の至らなさを思い知らされたようで。
     それ以上見ていられなくて、フイと顔を背け、そのまま通り過ぎようと思った。

    「本日中に終わらせる書類業務がありますので。鶴丸殿はゆっくりお休みになって……ぅわっ!!」

     体が宙に投げ出されて、咄嗟に次の衝撃に備えて目を瞑った。けど、想像していたような痛みはない。そっと目を開けると、目をまん丸にして固まっている山姥切国広を見上げていた。
     これは、俗にいう、膝枕…

    「しばらくそこで休んでいくと良い」
    「いやいやいやいや!!!!」

     なんなのこの刀剣アホなの!? 神様の膝の上で寝るバカがどこにいるんだっつー話ですよ、とりあえずガッチリ腹を押さえるのはやめろ転がり落ちることも出来ないだろ!!

    「す、すみません山姥切殿! す、すぐに退きます……ちょ、鶴丸殿、離してくださいっ!! 山姥切殿のご迷惑ですからっ!!」
    「そうか? 季節外れの桜も咲いてることだ。このまま眠ってしまっても良いくらいだと思うぜ」
    「はぁ!? 何の話ですか、とにかく離して……っ! コラ! 鶴丸っ!!」

     あ、と思った時にはもう遅かった。飛び出た言葉は引っ込められない。
     か、神様を呼び捨てにしてしまった……っ!!
     ヤバいどうしようめっちゃ怒られる祟られる呪われる詰んだ
     頭の中は不吉な言葉のオンパレード。二の句が次げずに固まるばかりの私に、鶴丸国永はパチリと一つ瞬きをしたかと思えば美しい金色を細めて笑った。花が咲いたように。先程とは別の意味で驚いていると、ヒラリ、頬に何かが降ってきた。ふと見上げると桜の花びらがヒラヒラひらひら、空を覆うかのごとく舞い散っている。隙間からは花びらと同じく桜色の頬をした山姥切国広が見えて、青い瞳とのコントラストが見事だった。
     これは…、およそ迷惑そうには、見えない……な……?

    「な、少し休め」

     ふんわりと頭を撫でられて、見上げる桜色に、覗き込んでくる真っ白な神様の微笑みが加わったら、もうダメだった。気を張っていたものが緩んだのか、自分でも理由の分からない涙が零れて、ギョッとする二人の初めて見る顔にも止まらなくて。泣き続けていると通りかかった小夜左文字が

    「どちらに泣かされたのか教えて。僕が仇をとってあげる」

     と手を握ってきたり、

    「主君どうしたんですか!? お腹が痛いんですか!?」
    「と、虎くん駄目、主様の上に登っちゃ……!」
    「つるまるくになが! あるじさまをなかせるなど、もんどうのよちはありませんよ!!」

     と言う短刀たちに囲まれて、ますます涙が出た。
     それから後はてんやわんやだ。今剣と小夜左文字に庭に正座をさせられた二人は居心地悪そうに説教を聞いていて、五虎退は私の膝に乗りかかる虎を涙目で退かそうと引っぱり、秋田藤四郎と前田藤四郎はしきりに私の腹の具合を気にしていた。縁側から見上げる空は平和に青くて、私はこの本丸が優しい神様たちの集う異空間なことにその時ようやく気が付いた。

    「……き」
    「え? 申し訳ありません主君、聞こえませんでした、もう一度……」

     耳を寄せてくる前田を腹に乗った虎ごと抱き締める。

    「みんな大好きって言ったの!」

     ブワ、目の前がまた誉桜色に染まって、思わず笑った。

    「ず、ずるいです! 僕も!!」
    「僕のことも撫でてください……っ」

     藤四郎兄弟が乗ってきてもみくちゃにされる。それを目の端で見つけた今剣が「あーっ!!」と声を上げ、

    「ぼくも あるじさまとあそびます!」

     ぴょんと縁側に上がって輪に飛び込んでくる。それを見た鶴丸国永が腰を上げようとするのを、小夜左文字がジロリとねめつける。

    「あなたはまだそこで正座だよ」
    「………」

     無言で腰を戻す鶴丸国永。その憮然とした顔はやっぱり初めて見る顔で、もっとみんなのこと、大事にしてあげられたら良いのに、と素直に思った。私の審神者職はここからが本当の始まりだったと言っても過言ではないだろう。
     その後も神様なのにやたらとこちらの世話を焼いてくれる刀剣や、神様らしからぬ血気盛んな刀剣、様々な出会いがあった。彼らと私は良き戦友になった。あんな些細なことで喜んでくれる神様がいるなら、本当になんでも出来る気がした。
     戦争も、仕事も、全部。
     全部、出来ると思っていたのだ。





    「──イヤだ、鶴丸! 離して、降ろしてよ!!」

     手入れ部屋で鶴丸に抱え上げられながら、私は叫んでいた。無い資源を掻き集め、やっと平野を重傷から中傷程度まで手入れした所だった。平野はスックと立ち上がって、鶴丸を見上げる。

    「主君を頼みます」
    「あぁ。任せておけ」

     ニコリ、場にそぐわぬ微笑みを残して平野が駆けていく。短刀特有の機動を活かし、追い付けもしない速さで背を向けて、火の海の中へ。抜き身の刀が赤く光り──見つめていられたのはそこまでだ。鶴丸が私を肩に担ぎ上げ、大門に向けて走り出したから。
     それは言うなれば何の驚きもない、審神者にとってはありふれた事象の一つだった。遡行軍による本丸襲撃。何をどうやって異空間にある本丸の座標を割り出し、襲撃をしているのかは分からない。セキュリティが甘いのか、内通者がいるのか。政府は様々の原因を探っているとしながらも、襲撃は数を減らすことはあっても無くなることはなかった。
     私の場合は、日も落ちかけの頃。遠征部隊も出陣部隊も日課任務を終えて、所持している全刀剣が本丸に揃っている状態で起きた惨劇だった。彼奴らはまず火矢を放った。それから大量の部隊を送り込み、刀を振るった。
     私はその日の近侍だった堀川を護衛に手入れ部屋へ向かい、そこに立て篭った。堀川には傷付いた刀剣を手入れ部屋に来させるよう言い含め、残っていた刀装で一番良いものを付けて前線に送り出した。堀川はそのまま戦場に参加したようで戻っては来なかったが、手入れ部屋には少しの間も置かず、重傷を負った刀剣が互いの身体を支え合うようにしてやって来た。中には突然の襲撃だったため、内番着のままの刀剣もいた。

    「……申し訳ありません、主……、お手を煩わせて………」

     そう言う重傷の長谷部を、また手入れして戦場に送り出さねばならないのかと思うと心底悲しかった。
     やがて札が尽き、ついには資源も底打った。手入れ部屋には平野を最後にもう誰も来ない。刀剣たちはもう私に打つ手がないことを皆把握していて、最後の策として自らを足止めに使い、私を逃がすことに決めたようだった。本丸一の錬度を誇る鶴丸に私を託したのがその証拠だ。
     彼らは今もまだ癒えぬ傷を抱えて戦地を駆けている。
     本丸が、焼けていく。山姥切が、小夜が、前田が、秋田が、五虎退が、今剣が、長谷部が、石切丸が、燭台切が、歌仙が、浦島が、次郎が、蜻蛉切が、小狐が、三日月が、私の神様が、消えてく。遠くで。私の知らない所で。魂の消える感覚が、自分の霊力を分け与えた刀剣たちがこの世を去って行くゾッとする感覚が、消えてくれない。
     今この瞬間も、私の戦友が一人、また一人と壊されていく。

    「お願い鶴丸止まって! 手入れ部屋に戻して! お願いだから…っ!!」

     手入れを、それが無理でもせめて、せめて看取ってやりたい。一人で誰にも見つからずに天に昇っていくなんて、昇らせてしまうなんて絶対に嫌だ。
     私の神様が、優しい神様がいたあの空間が、地獄と化す。梁が落ち、障子が燃えさかり、池は水鏡となり赤に染まる。ダメ、こんな所に置いていけない。せめて、せめて……!

    「最後まで、一緒に闘うっ! みんなと一緒に死なせてよぉっ!!」

     私を俵抱きにして廊下を走っていた鶴丸の舌打ちが聞こえた。それでも彼の激走は止まらなくて、そんな場合じゃないのに涙が出てくる。遠ざかっていく鍔迫りの音。闘いの音。私だけが、逃げる。
     大門前に辿り着いて、ようやっと鶴丸は私を肩から降ろしてくれた。すぐさま焼け落ちる本丸に駆け込もうとするが、その手を掴まれ後ろ向きにこかされる。以前山姥切の膝の上に転がした時とはうってかわった乱雑さから、彼が激昂しているのはよく分かった。
     門の前に尻餅をついた私の前に跪いて、鶴丸は言った。

    「きみは逃げろ」
    「……いやだ」
    「馬鹿を言うな」
    「やだってば! みんなと一緒に闘う! 私だって、手入れくらいしか出来ないけど、それでもいないよりマシでしょ……!」

     ふいに鶴丸に肩をギュゥと掴まれる。項垂れた彼の顔は見えない。ただ腕に食い込む指の力だけが、彼の意思だった。

    「もう資源も札も尽きた、ここが退き時。このままここに留まっても、きみは犬死にするだけだ」
    「でも……」

    「主をみすみす死なせる刀がどこにいる!!」

     ──息が止まって、喉が詰まった。いつも飄々とした鶴丸国永という刀剣男士が声を荒げて怒鳴ったのを見たのは、後にも先にもこの時だけだ。

    「……聞き分けろ」

     力無い言葉が重く響く。涙ばかりが流れていって、結局無力だった自分に今更ながら絶望した。鶴丸は今までになく気落ちした様子で立ち上がる。重傷状態でここまで私を担いで走ってきたのだろう、目の前の膝頭はもうボロボロだった。うちで一番の錬度の鶴丸がこの状態では、確かにもう露程の勝ち目もなかろう。
     頭では分かっている。ここで私が討たれたら、彼ら刀剣男士の矜持を砕くも同然。私は意地でも生きてこの本丸を脱出しなければならない。例え脱出した先で力尽きても、主が生きて逃げたことが彼ら唯一の勝利の証明であり、餞にもなる。
     分かってはいる。分かってはいるのだ。けど。目を瞑るだけで、走馬灯のように浮かんでくる思い出だけはどうにも出来ない。
     山姥切の潔癖な少女のような横顔。加州のうかがいの視線。同田貫の憮然とした文句。次を見据える大和守の瞳。こちらを慮る薬研の手の平。鷹揚な平安刀、恥じ入りの強い短刀たち。それから、それから。全部、全部。救えなかった。守られるばかりで、なんでも出来ると思ってたのに、私は。

    「……ごめん鶴丸、手間を取らせた。行こう」

     グッと乱暴に袖で涙を拭って歯を食いしばる。私は主だ。私の愛する戦友たちが、『唯一』だと言ってくれた主。例え心がついていかなくても、すべき振る舞い位は分かる。その通りに振る舞う責務がある。
     大門に手をかける。押せばゆるりと開いて、時空の歪みがポッカリと口を開けていた。本来許可なく刀剣の持ち出しは出来ないが、緊急事態だ。審神者が触れた状態であれば、政府本部へは行ける。この状態で鶴丸だけでも連れて行ける私は、きっと運が良いのだろう。鶴丸の手を引いて、あとは歪みに落ちていくだけ。
     その刹那。

     ド、

     ──嫌な音がした。肉を貫く、弓の音。
     振り返る。鶴丸はその場に立っていた。繋いだ手のせいで、上手く刀が振れなかったのだろう。肩越しには背中に突き刺さった矢羽が見えた。口の端から赤が垂れる。それが彼自慢の白の衣装を汚して、


    「参ったな……これじゃぁ衣装が赤一色で、 鶴には見えねぇじゃねぇか……」


    「──つるまるっ!!!!」


     引き寄せようと思った。こちらに。繋いだ手に力を込めて、政府本部で手入れをすればまだなんとかなるかもとか、そんなことも考えつかなかった。
     ただ、彼の後ろから立ち昇る明確な死の匂いから、彼を救い出したかった。
     だけど出来なかった。鶴丸が手を離したから。崩れ落ちる自重を地面に突き刺した刀でなんとか支えるという満身創痍の状態で尚、私の手を突き離すことに全力を注いだから。
     空を切る指先。
     押し出される身体。
     時空移動の際の、頭のてっぺんがゾワリとする感覚に襲われる。

     最後に見た鶴丸国永は………来た時と同じく、満足そうに笑っていた。


    〈とある本丸の現実〉

     目を開ける。本丸の梁天井が目に入って、ふと昔に引きずり戻された気がした。どおりで懐かしい夢を見るはずだ。
     今も昔の夢にうなされることはあっても、ここまでハッキリと思い出すのは久しぶりだ。本丸なんぞで気を失うからこんなことになる。起き上がろうとしたが、身体が痛む上に縛られていて無理だった。政府側の人間というだけで随分と嫌われたものだと思う。
     さて、どうするか。
     簪もある、服も着ている。となるとどうやら身ぐるみ剥がされたわけでは無さそうだが、通報装置は首にかかっていない。おそらくまだ前田藤四郎の手の中ということであろう。長く帰って来ない上、定期連絡もなしとあれば、同僚が不審に思って管理部に連絡くらいは入れてくれるだろうが…自分がどれ程の時間気を失っていたかが分からない以上、あとどれ位の時間を稼げば良いかの把握は不可能に思えた。
     それに、どういう経緯で自分がこんな状況になっているのかも分からない。へし切長谷部なら、気をやったら水をぶっかけてでも起こして尋問続けそうなものだけど……審神者が止めてくれたのだろうか。あぁ見えてあの審神者にはまだ、人を思いやる心が残っているということなのか? どうにも腑に落ちないけど。
     後ろ手に縛られた手首は引っ張ってももがいても取れそうにない。さすが戦乱の世を生き抜いた刀剣男士、こういうところも抜かりはないか。リンチされてここで寝転がってるしか為す術がないなんて、こんなところでも自分の無力さを痛感するとは思わなかった。
     ……こんなことなら、あの時やっぱり引退すればよかった。
     審神者になる素質のある人間は少ない。新しい本丸でまた審神者をしないかという打診もあったけど、もう二度と戦友は作りたくなかった。だけど私を救ってくれた優しい神様たちの恩に報いたくて、別の部署での貢献を申し出た。
     そこで提案されたのが、当時新しく整備部門に立ち上げ予定だった≪出張研ぎ師≫の職務への移動である。本丸を運営できるほどではないが、潜在的に霊力がある人間というのはこの世にわんさかいる。そういう人間を集めて、本格的な後方支援部隊を作る計画があったのだ。そこの部署のリーダーに、という話だった。ハズだ。
     それがまさか、本格的に部署を作る前にリーダー候補である元審神者を集めて試験的に部署立ち上げ、更に管理部にこんな危険な仕事まで押し付けられることになるとは思わなかったが。

    「……ぁー、死にたくない」
    「なんだ、ずいぶんと後ろ向きじゃないか。先ほどの威勢はどうした?」

     !!!!
     声のするほうを勢いよく振り返る。そこには……

    「よっ! 俺みたいのが来て、驚いたか?」
    「……つ、るまる、どの」

     真っ白な神様がいた。
     これは一体どういうことだろう。私はぐるぐる巻きにされて部屋に転がされていて、それをしゃがみこんで覗き込んでいる神様がいる。恐らくこの神様は私にしか見えない幻ではなく、ここの本丸の審神者が顕現した神様だろう。なのに何故にこんな所にわざわざ……?
     私が呆然としながら考えていると、鶴丸国永は

    「なんだ、狐につままれたような顔をして。まぁ、ここにはどっちの狐もいないがな」
    「そ、うなんですか……
    えーっと、鶴丸殿は何故ここにおられるのですか?」
    「何処にいようが俺の勝手だろう」
    「や、でも、」
    「さて、誰に咎められることもないからな。自由にしているぜ」

     自由に。
     敵とこうやって尋問するでもなく世間話をしていることは自由の範疇に入るだろうか。少なくとも私の中では入らない。しかも床に転がる私の横で、片膝を立てて鷹揚に座り込む始末だ。完全に長話の体制ではないか。

    「──君は『政府の回し者』と聞いたが、それは本当か?」

     ギョッとした。
     鶴丸国永にはこういう所がある。世間話と思わせてこちらを油断させておいて急に核心を突いてくるのだ。それが計算なのか、長く生きているからなのかどうかはわからないが、審神者として共にいた時はいつもこの態度に見透かされているような気分になったものだ。
     そして私たち人間は、神様に、嘘はつけない。

    「………回し者という言葉が正しいかどうかはわかりませんが、政府側から派遣されているのは確かです」
    「そうか」

     何故なら私は人間で、しかも元審神者で、現在進行形で神様にお仕えしている立場で、親しみを持ちながらも畏怖の心を持たねばならぬと口酸っぱく言われ続けていて………そういった諸々の体裁を省いても、私は神様に嘘はつきたくない。特にこの、白い神様に対しては。
     もう私を救ってくれた鶴丸は、この世のどこにもいないのに。
     操立て、という単語が浮かんで、我ながら奥ゆかしいことだと自嘲する。

    「それはつまり、俺たちを降ろしてる総本山の人間により近い、ということで間違いないか」
    「……審神者殿と比べて、ということであれば、ご指摘の通りです」

     何が聞きたいのだろう。不審に思いながら答えれば、ふむ、得心したように頷いている。

    「俺はここに降ろされてからまだ日が浅くてな。勝手が分からんので聞くが、政府というのは何故きみのような人間を派遣するんだ?」
    「我々は後方支援部隊です。審神者殿の手助けをするために派遣されます」

     もちろんそれは、通常は、の話だが。……私は神様に嘘はつかないが、本当のことを言わない場合はある。だってこれ、多分ピンチだ。
     鶴丸国永は決して忠誠心のない刀ではない。となると、これは審神者、もしくはへし切長谷部の差し金の可能性が高い。何が目的で尋問に鶴丸国永を寄越したのかは分かんないけど、本当のことを言ったら刀剣を盾にして逃げられたりして、管理部の調査が難航するかもしれないじゃん! 殺されるのは百歩、いや一万歩譲っていいとしても、こんなブラック本丸摘発出来ないとか元審神者として絶対許せん!!
     神様との問答で不利にならない為には、正解ではあるが核心でない答えで通すのが唯一の有効手段だ。神様との問答は下手を打てば『約束』になってしまいかねない。
     神様との『約束』は、破るとマズいことが起きる。例えば土地神に子供を贄に捧げなくてはならない村が、土地神に『毎日拝むから子供を連れて行かないでください』とお願いをする。それを神様が『諾』と言えば、連れて行かないでもらえる。ただ、一日でも怠れば、その時点で神様は『約束』を守ってくれなくなる。次の日には子供は神隠しにあってしまう。その辺、神様って奴は大変シビアだと私は思っている。借金取りだって一日くらいは待ってくれるぞ。そりゃ利息は膨れますが。

    「ほぉ……では何故、きみはここに捕らえられているんだ? 支援部隊なら、このような扱いは受けんだろ」

     ヤバい。
     ヤバいマズいとにかく不利にならないこと、言いつけられても大丈夫なこと、

    「きみはここに、主を探りに来たんじゃないのか? なんらかの咎で、処罰する為に」

     ──なんとか誤摩化さないと、詰む。
     ここの刀剣を、救えなくなる。
     背中からドッと冷や汗が吹き出した。

    「なぁ答えてくれ」

     そっと頬に触れられて、喉が開いた。いつの間に息を止めていたんだろう。分からないけど、そのことで先程よりグッと近くに顔を寄せている鶴丸国永と目が合った。私の本丸にいた鶴丸となんら変わりのない、美しい金色。

    「……何故、そのようなことを、聞くのですか…?」

     私たち人間は、神様に、嘘はつけない。

    「知りたいんだ。
    ここの主には、一体どんな咎がある」

     それは神様が、私たちに嘘をつかないから。



    「……私を救ってくださったのは、貴方ですか」

     ほぼ確信に近い気持ちで問えば、鶴丸国永は少し鼻白んだ。

    「全く、人間てのは今も昔も勝手な生き物だ。質問をしているのは俺だぜ?」
    「すみません、つい」
    「まぁいい。特に救ったという意識はないが、長谷部が首を落とそうとしたのを止めたのは俺だ。きみにはまだ聞きたいことがあったからな」

     そうか、やはりあの場で殺される所だったのか。救った意識はないと言うが、彼のおかげで首の皮一枚繋がったというわけだ。

    「ありがとうございます」
    「救った気はないと言うのに」
    「でも、私が助かったのは事実なので」

     鶴丸国永は肩を竦めたが、これ以上この話題に関して問答をするつもりはなさそうだった。

    「それで? きみは俺の質問に答える気はあるのかい?」
    「……私を信用してくださいますか?」
    「質問を返すのをやめろと言うのに」

     深いため息が降ってくるけど、目は逸らさない。彼は私のその様を値踏みするように一瞥してから

    「そちらの手の内を見ないことには判断など出来んさ」

     とだけ言った。
     ここで私の捜索が始まることに賭けて待つか、事態打開のためにイチかバチか鶴丸国永にすべてを話すか。悩むところだ。だけどここでこうしていても手詰まり感が増すばかりで焦れったいことこの上ない。
     どうせ一度は鶴丸に助けられた命だ。もう一度、委ねてみるのも悪くない。

    「……私は、政府の審神者管理部より派遣されて参りました、本丸の素行調査員でございます」



    「なるほど、じゃぁきみはまだ、ここの主にどんな咎があるかは正確に知らないってわけか」
    「そうですね。通報の内容は我々調査員には詳しく聞かされないことが多いので。通報者が相手を陥れようとしてする場合もありますし、色眼鏡で見ないようにと」

     まぁでも空気の澱みを見れば大抵のことは分かるが、それはあえて言わなかった。神様のいるところが汚いなんて可哀想だし、それを人間に知られているのもなんだか悲しい。
     話題を変える。

    「ここの初期刀はどなたですか? まさか折れていた加州殿ではないですよね?」

     牙城を崩すなら初期刀から情報を得るのが一番良い。主人の暴挙を一番嘆き悲しんでいるのは大抵彼らだからだ。主を売る協力をしてくれるよう説得するのも最も難しい相手でもあるが……。
     そんな算段をつけていたら鶴丸国永は、はてと首を傾げた。

    「さぁな、俺は知らん。そもそも初期刀とはなんだ?」
    「えーっと、一番初めに来た刀というか……じゃぁ、ここにいる打刀を教えてもらっていいですか?」

     説明が面倒になって言えば、それなら簡単と彼は言った。

    「へし切長谷部だ」
    「え……」

     思いもよらない返答に言葉を失った。
     あの恐ろしいまでの冷酷さで、私の首を落とそうとしていたへし切長谷部が? 完全に詰んでるじゃないですか何それ泣きたい。ていうか。

    「へし切長谷部殿、ですか? それ以前の刀は……?」
    「ここにはそもそも刀がいないのさ。顕現してしばらくは良いんだが、何か気に入らんことがあればすぐさま折られてしまう。その憂き目にあっていないのは新参の俺以外じゃ長谷部か前田くらいのものだ。前田の練度は50を超えていたはずだし、特に長谷部の練度は上限に達している。古株なことはまず間違いがないだろう」

     俺が知らんだけかもしれんがなぁ、と締めくくり、鶴丸国永は私を拘束していた紐を緩めた。止まっていた血が流れる感覚に手足が痺れる。
     合点がいかず、念を押すように補足をする。

    「……初期刀は通常、加州清光、歌仙兼定、山姥切国広、蜂須賀虎徹、陸奥守吉行の5振りの中から政府より支給されるものなんです。本来その5振り以外を選ぶことは出来ないはずなんですが……」
    「ほぉ、そうなのか。だが、きみも加州が折れたところは見ただろう。意に添わぬところがあればあの通り、どんな刀でも折られてしまう。それにその5振りなら全て折られたところを俺が見ているぜ」
    「そう、ですか……」

     どうにも分からない。
     ここにいる鶴丸国永は自らを『新参』というくらいだ、『まだ折られていない』だけだと推察できるが……何故、へし切長谷部と前田藤四郎の2振りなのだろうか。確かに忠誠心の強い良い刀であることは間違いがないけど、刀種も違うし、部隊整備のためにもせめて古参刀剣があと4振りはいてもよさそうなのに。
     初期刀がいないのも気にかかる。初期刀を折るのはブラック本丸でもなかなか見ない例だ。愛着もあるだろうし、なにより最初にもらう、ということはつまり最初に育ちあがるのと同義。それ故、レア刀剣捜索なりなんなりで、部隊の要として重用している場合がほとんどなのだ。初期刀も他の刀剣もいない、そんな状態でへし切長谷部を練度上限まで育て上げることなど可能なのだろうか。
     それに、へし切長谷部が練度を上げる間にもきっと何本も折られているはずなのに、今になって初めて通報されたなんて遅すぎる。
     考えれば考える程ますます可笑しい。それとも………

    「最近折れて、気でも触れたか……」

     そう考えるとあの狂気じみた様も納得はいく。苦楽を共にした初期刀が折れたら、確かに気は触れるだろう。それが他の刀剣を折っても良いという免罪符にはならないけれど、理解はできる。
     けど。

    「なら何故、長谷部と前田だけが残ったんだ?」

     鶴丸国永が当然の疑問を差し込んできて、私も頷いた。

    「ですよね……。それに古参刀剣を片っ端から折る暴挙の中、一振りも主を止めないなんて変です」

     あえて暴挙、という強い言葉を使ったけど、鶴丸国永はさして反応を見せなかった。

    「ほぉ、そういうものか?」
    「初期刀に選ばれる5振りがいたなら、どなたかは止めて下さるはずですよ。
    加州殿は新撰組の刀らしく仲間意識が強いですし、蜂須賀殿は虎徹のプライドがありながらも面倒見の良い神様ですから、眼鏡にかなわぬ主はきちんと正してくださいます。
    陸奥守殿は義に厚くあられ、我々が人道から逸れることがあれば5時間のお説教コース一直線です。
    山姥切殿はそんなことになったら多分一番怒って手が付けられなくなるだろうし、歌仙殿は言わずもがな、お決まりの文句で再三口やかましく叱ってくださるはずですからね」

     鶴丸国永興味深そうに、へぇと感嘆する。

    「良く知っているんだな」
    「……出張研ぎ師ですから。本丸内で粗相があってはいけませんので、刀剣男士樣方の特色くらいは頭に入れております」
    「俺はどうだ」
    「は、」
    「君から見て、俺はどういう刀に見える」

     ジッとこちらを見つめる金色に、言葉が詰まった。過去の色んなことが瞬時に思い出されて、激情に喉が塞ぎそうになる。

    「………貴方は、どこでも大抵、我々を歓迎してくださいますよ。『こいつは驚きだ』と言ってね」

     ようやく捻り出した言葉は『出張研ぎ師』としての言葉だった。その答えに、彼はカラカラと笑った。

    「どこの俺も、やはり同じようなものだなぁ」

     笑う姿はどの鶴丸も変わらないな、なんて。
     そんな場合じゃないのにボンヤリ思っていると、急に襖が開いた。え、と思ってそちらを向くと、襖を開けた張本人である前田藤四郎は私たち以上に驚いていた。彼は手に湯呑をのせたお盆を持っていて、それは一人分……ということは、私のために茶を持ってきてくれたのかもしれない。
     というのも、彼は部屋に居座る鶴丸国永を認めて目を丸くし、次の瞬間大慌てで襖を閉めて入室してきたからだ。

    「つ、鶴丸殿!! 何をなさっておいでですか!」
    「何って、世間話さ。些末なことだろ」

     いや、些末ではないよ。何せ私の身分は咎人だし、この鶴丸国永には二心あるんだからな。しかしこれで鶴丸国永が審神者側ではないことは証明された。
     前田藤四郎も同じことを思ったのか、肩を怒らせて叱責する。

    「些末なものですか! 縄を解くなど、言語道断です! こんなことが主君に知られれば、貴方も……っ!!」
    そこまで言って、前田藤四郎は言葉を失う。悲痛な顔で鶴丸国永を見上げる彼の目には、確かな不安が見て取れた。
    「……俺も、折られてしまうか?」

     前田藤四郎は、ぐ、と喉を詰まらせる。審神者に逆らった者がどうなってきたか、彼は此処にいる誰より多く見てきているはずだ。そして彼はそれを──憂いている。
     これは勝機だ。初期刀が見当たらない以上、牙城を崩すには他の刀剣から情報を得るより仕方あるまい。忠義に厚い彼にとって主を売るのはきっと辛いだろうが……兄弟も多く折られて来ただろうから、こちらに傾いてくれるかもしれない。
     私が心中でそんなゲスい策を練っていると、鶴丸国永が言った。

    「折られるならそれも一興だ。ここは退屈でならんからなぁ」
    「……慎みなさいませ。言霊というものもございます」
    「しかし前田、俺はここに戦いに呼ばれたはずなんだぜ? それを日がな一日放っておかれては、俺じゃなくても気が滅入る。いっそ最後にあの審神者の鼻を明かして、驚きの内に折れてみたいと思うのも無理ないだろう」
    「鶴丸殿……っ!「待ってください」

     私が違和感に話を割ると、二人は会話をやめた。

    「戦って、ないんですか? 戦場はともかく……演練も?」

     問えば二人は顔を見合わせ、そしてコクリと頷いた。

    「いつから?」
    「最初からだ。そうでなければ、わざわざ驚きを求めてきみの所に参じたりはしないさ」
    「でも、前田殿は練度がありますよね。つまり、最初の内は戦場や演練に出ていたんでしょう?」

     問えばしばしの逡巡の後、前田藤四郎は静かに答えた。

    「はい。最初の頃は長谷部殿と一緒に戦場に……59になった所で、もう出なくていいと言われて、以降はずっと……」
    「演練に出なくなってから、どれ程の時間が経っているか分かりますか?」
    「は、えぇっと……元より演練は出ておりません。主君は演練がお嫌いで……出陣は一月前程から」

     その答えに知らず眉根が寄る。鶴丸国永が言う。

    「どうかしたか」
    「いえ……妙だと思いまして」
    「俺が戦場に出ていないことがか?」
    「いや、まぁ……それに関しては審神者様ごとに色々方針もあるかと思うので、一概に妙とも言い切れないんですが……」

     私がチラリと前田藤四郎を見ると、鶴丸国永は心得たように彼をひょいと膝に乗せ、がっしりと懐に囲う。

    「つ、鶴丸殿!? 急に何を……」
    「まぁしばらく黙っておけ」

     言ってパスリと彼の口に掌で蓋をしてしまうと、モゴモゴ身じろぎをする少年を置き去りに私に向かって顎をしゃくって続きを促した。機転が利いてありがたいっちゃありがたいが……乱暴だなぁ。

    「少し、時期がおかしいかと」
    「時期? なんのだ」
    「我々は管理部からの派遣だという話は先ほど申し上げた通りなんですが、元は他の審神者からの通報なんです。管理部によその審神者が『あそこの本丸はきな臭いから調査してほしい』っていう通報をして初めて動く部隊なんですね」

     鶴丸国永の膝の上の前田藤四郎はそのセリフにますます激しく暴れ出す。しかし体格差もあり、なかなか上手くいかないようだ。
     出張手入れに来たと思ってた奴が、実は自分の主を調べるために送り込まれた調査員だったら……この反応だよな。叫ぼうにも叫べないその体制、ちょっと同情してしまう。
     罪悪感を感じて見れば、鶴丸国永は気にするなと言わんばかりに再度顎をしゃくった。めちゃくちゃ気になるわ!

    「……審神者って本来外に出ないから、他の審神者にもあまり会わないんです。会っても万屋ですれ違うくらいだし。でも万屋ですれ違ったぐらいじゃ、そうそう相手の本丸をきな臭いなんて思わないはずなんです。例え思ったとしても、相手の名前もレベルも分からない状態じゃ通報はしづらい」
    「なるほど。後をつけるわけにもいかんしな」
    「そうです。つまり……演練に一度も出ていないのに、通報されるなんておかしいんですよ」

     前田藤四郎の動きが止まった。私は続ける。

    「大抵の通報は演練相手からです。相手の名前も部隊構成もレベルも分かりますから、説明も簡単に済む。もっとも負けた腹いせの場合もあるし、自分より少し厳しめだというだけでの通報もありますから鵜呑みにはできないんですが……」
    「ははぁ、それできみに詳しい通報内容は知らされないわけだな?」

     ガセで捕まっては堪らんからなぁ、と鶴丸国永は言う。まさにその通りだ。人は自分と違う人間を簡単に拒絶するし、責任転嫁に躊躇がない。
     なるたけ公正な目で、使われる刀剣男士の立場に立って見ること。そしてあらぬ嫌疑をかけられたことで政府に不信感が募らないよう、調査とは言わずに入り込む。それが『出張研ぎ師』の仕事だ。

    「政府窓口担当からの通報なら、信憑性が高い危険な仕事なので、私のような下っ端までは回ってこないですし……
    こちらでも、少し経緯を調べる必要がありそうです」

     前田藤四郎は俯いて、完全に沈黙してしまった。鶴丸国永がそっと口元の手を放すと、

    「主君は、どうなるんですか」

     と呟いた。

    「気になるところがあるのは事実ですが、今回は刀剣破壊の事象があるので、あなた方の審神者殿を罪に問わないという訳にはいきません。こちらの手違いで通報内容の把握が遅れたという場合もありますので。ただ……」
    「ただ?」

     前田藤四郎の絶望の瞳。これから、こういう仕事をしていくにあたって、私が何度も相対していかなくてはならない種類の瞳。
     ──胸が詰まる思いがした。

    「もし、調べて、故意ではない刀剣の破壊があったことが証明でき、かつそれが今回の件に至る原因である場合。情状酌量の余地は出てくるかと思います。特に、あなた方の審神者殿は素人の私から見ても心神耗弱の気があるように感じますから。それに対しても色々調査項目はありますが……」

     言葉を濁すが、前田藤四郎の視線は変わらない。せめて誠実に、自分が今できうる限りの説明をすべきだろうと判断して続ける。私は人差し指を一つ立てて出し、項目の説明を始める。

    「例えば、その事件の後にきちんとカウンセリングを受けているかどうか。自分が死地に向かったわけではないのでカウンセリングはあくまで推奨であり、強制ではありません。ですが、それを受けていれば、少なくとも回復したいという思いがあったということの証明になります」

     今度は中指をプラスして立てる。

    「また、政府側のフォローがきちんとなされていたかどうか。そういった事件の後は頻繁に様子を見る、連絡をするといったフォローが回復への近道です。ちゃんと妥当というべき程度のフォローがあったかどうか。少なくともこの二つは審神者殿の罪を軽くするための争点になってくるかと思います。
    あとは……ごめんなさい、私も不勉強で、あまり詳しいことは分からないんですが」

     逆に無力さを露呈する形になって項垂れる。少しでも現状理解の一助になれば良いのだけど。
     前田藤四郎はしばらく沈黙していたが、ふと意を決したように顔を上げた。そこには強い光があって、刀剣男士の強靭さにハッとさせられる。

    「お話は分かりました。ですが、政府のほうに知らせるのはしばらく待っていただけないでしょうか」

     前田藤四郎は立ち上がって、美しい姿勢で畳に座り直す。

    「僕が主君を説得いたします」
    「おいおい、話の分かる相手ならそもそもこんなことにはなっていないだろう。下手を打てば前田、きみが折られてしまうぜ?」

     鶴丸国永のもっともな指摘にも、前田藤四郎の決意は揺らがなかった。

    「覚悟の上です。僕は元より、日に日にやつれていかれる主君を、ずっと救って差し上げたかった。けれど手ずから折るほど憎い刀を毎日、何かに追い立てられるようにひたすら鍛刀する主君を、僕は見ているだけしかできなかったのです。主君のお心を慰めて差し上げることが出来ない刀の身が苦しかった。
    ……主君をこの忌まわしい刀の巣窟から解放して差し上げられるなら、この身が折れるくらい、大したことではありません」

     自らを忌まわしいとさえする前田藤四郎の忠義に、眩しさに、視界が眩む。かつて私の隣にあった短刀の残像が重なって目頭が熱くなった。

    「どうか研ぎ師殿、お願い申し上げます」

     主以外に頭を下げる刀剣は一体どういう心持ちがするのだろう。きっとえもいわれぬ屈辱に腸が煮えくり返る思いなのだろうな。
     私は一つ息をついてその頭を見つめ、

    「分かりました」

     と答えた。

    「正気か、きみ」

     鶴丸国永は深いため息とともに顔を覆う。私は構わず続ける。

    「ですが条件が」
    「なんでしょう」
    「その前に二、三質問させてください。私が門の前で落とした絡繰りはお持ちですか?」
    「はい、ここに」

     差し出された通報装置を何食わぬ顔で受け取り、首に提げなおす。よし、これでいざという時、ボタン一つで通報は出来るようになった。
     装置を操作して時刻を表示する。大体4時間ほどここで伸びていたことになる。不審に思われるギリギリ、かな。危なかった。

    「ではこれより、私はこの通信装置で信用できる仲間に連絡を取らせていただきます」
    「や、約束が違います!」
    「ご案じ召されませんよう。本来出張研ぎ師には定期連絡の必要がございますので、その連絡をするだけです。なんなら通信を聞いていただいても結構です」

     私が通報装置を掲げて見せると、前田藤四郎は渋々といった体で頷いた。

    「その際、今回の件で我々側に落ち度がなかったかどうかも秘密裏に調査してもらうよう依頼をします。これに関しては信頼して頂くより他にないのですが……決して真実を捻じ曲げる意図があってのことではございません。お許しいただけますか?」

     疑いのまなざしが突き刺さる。疑心暗鬼な前田藤四郎の横で、鶴丸国永は我関せずとばかりに腕を組んでいる。
     ホント、さっすが年の功。良い性格してるよ、どこの本丸のアンタも。

    「……良いでしょう。嘘であった場合、その首は落とさせていただきますが」
    「では、契約成立、ということで」

     私は早速通信画面を立ち上げる。かける先は……整備部2課の共通外線だ。ワンコールで優秀なバイトちゃんがいつもの間延びした声で出てくれて、やっと肩の力が抜けた感覚がした。

    「私だけど」
    『お疲れ様ですー。遅いご連絡ですねぇ』
    「お疲れ。えーっと、ちょっと調べて欲しいことがあるんだけど……」
    『はぁい、お待ち下さい』

     濁した言葉に彼女は心得たようにすぐさま社員に代わってくれた。転送装置室ですれ違ったあの男だ。

    『はいよー、代わりました。あとちょっと遅かったら管理部にヘルプ出すとこだったぜ。なんかトラブル?』

     案の定言われて、なんとか間に合ったと胸を撫で下ろした。

    「うん、まぁ」
    『マジかよ。通報した?』
    「まだ。ちょっと確かめたいことあってさ。とりあえず生きてるし、今んとこ大丈夫」
    『えぇー? 首落とされてからじゃ遅いんだから、早めにやっとけよ』

     呑気だなぁ、という小言が飛ぶが、約束を破ったほうが早く首は落ちるので黙っておく。

    「肝に銘じておきます……けど、ちょっと管理部に直通報はこの本丸のためにならないかも、と」

     私の言に、向こうの雰囲気が変わったのが分かった。ピりつく空気が伝わってくる。

    『……訳アリってことね。理解理解』
    「確証はないんだけど、」
    『あー良い良い詳細は。で、ご用件は?』
    「この本丸と審神者について調べてほしい。特に政府窓口担当との関係性を重点的に。どうも初期刀が折れてる臭いんだけど、その後のフォロー体制が適切だったかどうかとか。本丸番号は私の端末に来てる管理部の通達から見て」
    『あーそりゃ管理部には言えねぇな』

     軽口に通話口で頷く。政府窓口担当は管理部の管轄だから、管理部に直でそんなことを調べてほしい旨をお願いしたら、証拠を処分されるか最悪通報ごと揉み消される可能性もあるのだ。
     私たちは元審神者だから、政府側の底意地の悪さは大体分かってる。

    『おかしい所あったら知らせるんでオッケー?』
    「うん。あと、……そうだな、調査指導3課のリーダーにも伝えてほしい」
    『え、でも』
    「指摘はもっとも、皆まで言うな。大丈夫、信用出来る人だから。きっと良いようにしてくれる」

     ここで言う調査指導3課は……管理部の政府担当窓口部隊である。何を隠そう、調査指導3課の現リーダーは私の審神者時代の元担当である。私が管理部で唯一全幅の信頼を置いている男で、私をこの職にスカウトした男でもある。
     要は管理部にいるこの男に管理部の粗が見つかった瞬間に内部告発させよう、ということだ。回りくどく隠語のように使ったのは、前田藤四郎への説明を省くために他ならない。長くなりそうだしね。

    『ん、了解。俺のほうからも迂回ルート使って根回しするわ。一時間後には一回報告するから、それまでに通信できそうなとこに移動しとけよ』
    「ありがと、頼んだ」
    『まかせろりー。ほんじゃ、死ぬなよ』

     不吉な一言を最後に通信が切れる。私の周りの男はなんというかこう……デリカシーがない。
     切れた通信機を一睨みしてから居住まいを正す。

    「では私はこれより半刻はここを動きません。それまでは説得でも何でもご自由にどうぞ。ただし、私の本来の職は調査員ではなく出張研ぎ師です。刀剣男士様方を折らないようにすることを最優先事項とさせて頂いております。ので……それを過ぎれば前田殿が折られる可能性を考慮し、審神者殿の捕縛に動かせていただきます」

     了承ください、と頭を下げると、前田藤四郎は時間を惜しむように立ち上がった。その小さな戦士の背に声をかける。

    「一応こちらの護衛として鶴丸殿をお借りしたいのですが、よろしいですか」
    「……鶴丸殿が良ければ」
    「構わん。といっても最低練度の俺に出来ることはそうないと思うがな」

     鶴丸国永はカラカラ笑って引き受ける。それに一つ頷くと、前田藤四郎は襖を開けた。

    「あ、前田殿。最後に一つ質問させてください。
    ──遠征には行かれていますか?」

     振り向いた彼はキョトリとして、いいえ、と答えた。

    「僕の練度を止めて以降、誰もこの本丸を出ていないので」
    「そうですか。ありがとうございます」

     ニッコリ笑って礼を言う。前田藤四郎は少し怪訝な顔をしたが、程なく部屋を出ていった。気配が去っていくのを見送っていると、鶴丸国永が不意に言った。

    「隠し事とはあくどいなぁ、きみ」
    「その言葉、そっくりそのままお返しいたしますよ。自分一人約束に縛られず済ませたくせに」

     一人勝ちじゃないですか、と胡乱なものを見つめる目で言えば、鶴丸国永は隠そうともせずにケラケラ笑う。

    「ハハハ、気づかれたか。
    ま、俺は主のためにもきみのためにも折れる気はないんでな」

     許せ、とサラッとこちらに鷹揚さを求める神様に、言っても無駄と悟る。こっちはこっちで一振りでも多く折らずに救いたいので、こういう風に言ってくれるのは正直気が楽でもある。
     折れる気はない。そうはっきり宣言してくれる刀は意外と少ない。

    「で、俺には教えてくれるかい」

     何か気付いたんだろう? と悪い顔で問われる。少し考えたけど、どうせなら完璧に審神者の側につくことが無いように仕向けておきたい。面白そうな風に乗る風見鶏だ、場をひっかきまわす可能性が無いとは言い切れない。
     審神者側に不利な情報なら流すが吉、と判断する。

    「良いでしょう。先ほどの前田殿の証言で、この本丸は出陣、演練、遠征の日課業務をこなしていないことがはっきりしました。私が気になっているのは……では、鍛刀の資源はどこから出てきているのかということです」
    「というと?」
    「前田殿のあの口ぶりから察するに、審神者殿は一日に幾振りも鍛刀をされるようです。鍛刀はただじゃありませんからね。資源に依頼札、そういったものを稼ぐには、遠征に出るか、日課業務をこなして報酬を得るかしかないんですよ」
    「なるほど……どこかから資源を融通させているのか」

     私は頷く。その資源の出所はどこか。そして──その見返りは?
     無尽蔵に鍛刀をするために、彼女は一体、何を犠牲にしたのだろう。
     心神耗弱の審神者。居ない初期刀。無限の資源に、繰り返される鍛刀。そしてその都度折られる刀たちと、折られなかった二振りの差。

    「審神者殿は何を求めて鍛刀し続け、何を思ってあの二振りを残したんでしょうか」

     私の独り言じみた問いに、鶴丸国永はふむ、と考える。

    「何か気づかれたこととか、そういうのは無いんですか? 他の刀剣との接し方の差だとか、そういう明確なもの」
    「さてなぁ……。
    あぁ、一つあったか」
    「ちょ、早めに言ってくださいよ、そういう大事なこと!!」

     叱責するが、大して気にする風でもなく鶴丸国永は言う。

    「と言っても、折られた刀剣と二振りの差ではなく、俺のことなんだがな。
    端的に言うと、無視されている」
    「無視?」

     この存在感の塊のような神様を? まさかと思って聞き返すが、神妙に首定されてしまう。

    「というか……見えていないと言ったほうが正しいか」

     首を傾げると、補足説明をしてくれる。

    「話しかけても返ってきたことは無いし、目の前に立っていようが、目に映っていないように通り過ぎる。認識はされているらしく、避けたりはするんだが……」

     だからきみを生かしておく交渉も長谷部としたんだぜ、と言われても、さっぱり理解が出来ない。
     認識はしてるけど見えてない? なんじゃそりゃ。居るのは知ってるけど見ないフリって……幽霊でもあるまいし。

    「ところで、その茶は飲むのかい」
    「いえ……前田殿を疑うわけではありませんが、本丸で出されたものは頂けない規則なので」
    「真面目だなぁきみは。
    息抜きくらいは必要だぜ?」

     そう言って彼はくいと湯呑を持ち上げ飲み干した。縁側から私を誘う鶴丸を思い出させる仕草だった。
     目を瞑る。
     見ていたくなかった。
     目の前の鶴丸国永と私の前で折れた鶴丸を混同しそうになる。怖かった。明確な境目のない分霊という存在が、私の鶴丸と目の前の他人の違いをぼやかして、鶴丸はまだ生きてるんじゃないかって──。

    「ま、警戒心があるのはいいことだ。きみの仕事は人の身には少しばかり危険に見える」
    「そうですね。でも、楽でもあります。この仕事は」

     鶴丸国永は首を傾げた。誰のことも信用できない仕事は、たまに疲れることもある。けど。

    「失うものが多くない」

     その言葉に、鶴丸国永は何も言わなかった。



     しばらく今後の相談をしながら連絡を待っていると、思いがけず通報装置が震えた。確認するとそれは整備部2課からの通信で、予定よりずっと早い連絡に眉が寄る。

    「早いな」

     彼もそう感じたらしい、手を振って出るように指示される。

    「はい」
    『お、出た! 良かった、今平気か? 周りに刀剣は?』

     聞かれて一瞬鶴丸国永に目を向けるが……まぁこれは数の内に入らないでしょ。判断して頷く。

    「大丈夫。随分早いけど、もう分かったの?」
    『分かった。っていうか、詳しいことはまだイマイチ確証ないんだけど、』
    「何よ煮え切らないなぁ」

     はっきり言え、と言外に匂わせれば、彼は一呼吸おいて、

    『今すぐそこ出ろ』

     と告げた。

    「は……?」
    『可及的速やかに、見つからないように出ろ』
    「ちょ、待ってよ、どういうこと?」
    『お前の元担当からの指示だ、即刻撤退しろ。大事にならない内に、今すぐ出ろ』

     頭ごなしとも言えるその指示に混乱が深まる。目の前の鶴丸国永にも音声が聞こえたらしく、顔が険しい。

    「まず説明してよ、理由もなく撤退なんて出来ない! 残された刀剣はどうなるの? 今だって前田藤四郎が折られるかもしれない瀬戸際なんだよ!?」

     憤りをぶつける私に彼は唸り、少しの間の後、こう言った。

    『そこは、『審神者候補生』の本丸だ』

     言ってる意味が分からなくて眉根が寄る。

    「……は? それだけ? 『審神者候補生』だからって何!? 優秀な相手だから、私一人じゃ太刀打ちできないってそう言いたいの!?」
    「ちっげーよ、落ち着け!! そんなんじゃなく……っと、あ」
    「ちょっと!! 何!?」

     私が怒り狂って言い返せば、通話口が俄かに騒がしくなった。すると突然、違う男の声が割り込む。

    『その件に関しては僕が説明します』
    「担当さん!」
    『ご無沙汰していますね。悠長に挨拶している場合でもないので、簡単に説明します』

     そう言って彼は静かに息を吐いた。通話口の雰囲気は重苦しく、少し違和感を感じた。私の説得が面倒だとか、そういう雰囲気じゃないことが分かったからだ。

    『きみは……『審神者候補生』についてどう聞いていますか』
    「え……? そりゃぁ、……政府が直接運営している教育機関で審神者になるために教育を受けた、とんでもないエリート集団で……今じゃこの戦争の大事な戦力でしょう? 審神者第一世代っていう超バケモノ集団の後を継ぐ、次代の先導者だって、この間新聞にも出てましたよ。今朝のラジオでも聞きました、彼らがいる限り恐れることは無いみたいな……」

     私が言えば、さらに重いため息が返ってくる。何か変なこと言ったっけ?

    『大抵の人はそう思ってますよね。かく言う僕も、つい最近までそう思ってました。というか……自分の手に負える問題では無いと薄々気づいて見ないフリをしてきたんです。まずは戦争に勝利することが第一だと思って……しかしまさかこんな倫理にもとる行為が、世界平和の名の元に許されてきたとは思ってなかった』

     絞り出すような声に戦慄した。その背中を鶴丸国永がそっと支えてくれて、私は恐る恐る続きを促す。

    「どういうことです……?」
    『説明します。
    言っときますけど結構な胸糞案件なんで、覚悟してください』


     『審神者候補生』──文字の通り、若い内から審神者になるべく教育を受けた、政府管理の子供たちのことを指す。英才教育のおかげか彼らは優秀で、この戦争の要とも言われる戦力の一つだ。しかしその実態は、──ほとほと残酷だと言わざるを得ない。
     何故なら『審神者候補生』になるのは、歴史修正主義者と政府との戦闘が原因で、身寄りのなくなった子供たちのみだからだ。
     もちろん子供たちの多くは政府によって管理され、孤児院に送られたりなどしている。だがその際、彼らはある検査を受ける。霊力測定検査、通称『審神者発見器』である。
     審神者になる素質のある人間は少ない。その数は度重なる戦闘で徐々に減っていき、今では全盛期の半分にも満たないと言われる。そのくせ激化の一途を辿る戦争はいまだ収束の兆しすら見えない。
     素質のあるものにとって、もはや『審神者』は数ある選択肢の一つではない。そういう時代に突入していた。
     しかし戦争に反発する者の多くいるこの世界でそんなことを大っぴらに言っては、国が転覆しかねない。そんな中、政府を糾弾する危険性の少ない身寄りのない子供は──平和の礎という名のスケープゴートにするには、格好の的だという。
     戦力拡充のため、ひいては勝利、世界の平和のために。戦争に幸福を奪われたのに、彼らは戦争から逃れることも、別の幸福を探しに行くことも出来ない。戦いを始めた全ての世界の罪を背負い、ただひたすら世界の平和を祈る。
    彼らが戦わなければとうの昔に壊れていたはずの世界の上に立ち、ほとんどの人々はどうしていまだに世界が壊れていないのかを知らず、生きている。それが、この世界の真実なのだ。
     ──しかし、ここまでの話はメディアで取り沙汰されることは無いにしても、興味をもって知ろうという意欲さえあれば分かることだ。何も非公開の事実ではないし、知っている者は知っている。だが彼らが戦争の要となってしまった今、彼らを救えば世界が滅びるというジレンマが、無視できない事実として横たわってしまった。
     皆勝利のために口を閉ざしているだけなのだ。世界を救えば彼らを救ってやれる。そう自分を欺いて、戦いを止めることに注力してきた。


     審神者候補生養成機関』というブラックボックスの真実を、本当の意味で知ることなどないままに。


    〈とある審神者候補生の真実〉

     審神者候補生になって、衣食住の心配はしなくて済むようになった。
     けど、私はあの頃、世界が今すぐ滅びればいいのにって、ずっとずっと思ってた。本当に歴史修正主義者がいて、政府と戦っているんなら。今すぐこの施設に爆弾でも何でも落として、こんなバカみたいなこと終わらせてくれたらって。
     私はいわゆる落ちこぼれだった。霊力が審神者になれるギリギリしかなくて、必死に勉強しても、霊力がある子にはどうしたって実技が追い付かない。親がいないという共通項がある同士でも、それは結託の理由にはならなかった。むしろ条件が同じ分、みんな他者を蹴落とすことに躊躇が無かったような気がする。
     ある人が言った。「私たちは歩兵なのだ」と。
     最前線に立ち、王の盾となり、時に囮となる、ありふれた駒の一つ。成り上がるには前に進むしかないのだと。
     より良い審神者になるために。より良い条件で審神者になり、この戦争が終わった後に退職するために。より強い力を得て、自分を虐げてきた人間を見返すために。それだけを自分の正義にして、自分の心を守り、自分の足手まといになるような者は容赦なく弾いて。
     選択の余地などない統率された箱庭で、私たちは教育を受けた。世界平和の名の元に、我こそは官軍なりと、政府の旗をしゃれこうべの山頂に突き立てる。ただそのためだけに。
     申し訳程度の一般教養と、膨大な実技の毎日。耐えている間に、幾度も季節が過ぎた。やがて中学の卒業証書をもらって、なるほど今までのは義務教育だったのかと、私はぼんやり考えた。ついに、戦場に出る日が来たのだと。嬉しくはなかった。けど、姿の見えない集団という脅威と戦うより、目の前の怪物を斬って捨てる方がよっぽど簡単だろうとは思って、それだけが救いだった。
     普通の審神者は初期刀をつけられるらしい。現に私の同期は初期刀を持っていた。恐らく私が落ちこぼれだったから、きっとすぐに死ぬと思われていたんだろうと思う。だだっ広い本丸に一人ポツンと放り出された。本当に、すごく惨めだったけど、誰も助けてくれないのは知ってたし、やるしかなかった。
     支給されたわずかばかりの資源を使い、そこで初めて鍛刀をした。施設の実技では初期刀5振りを限定で鍛刀出来る機械でやっていた上、顔も見れずに回収されて行ってしまうので、初めて自分の刀剣男士の顔が見れる、というのはワクワクした。
     初めて私の刀になってくれたのは、前田藤四郎だった。

    「末永くお仕えします」

     そう言ってほほ笑んでくれた前田の顔を、私は生涯忘れないだろう。涙が出るほど嬉しかった。
     やっと。やっと私の仲間になってくれる人に出会えた。その事実が今まで辛いだけの人生だった私を慰めた。
     前田に勧められ、もう一振り鍛刀することになった。次に来てくれたのはへし切長谷部だった。

    「主命とあらば、何でもこなしますよ」

     あまり初期に来てくれる刀剣ではなかったらしく、前田は興奮気味に

    「主君には才能がおありなんですね!」

     と言って、それが気恥ずかしくて、擽ったかった。
     それからは毎日出陣、遠征、演練、その他もろもろの日課業務をこなし、本丸には沢山の刀剣が集まってくれた。霊力の少ない私には維持するのが辛い時もあったけど、もう一度できた家族なのだと思えば、刀解なんか考えられなかった。
     そうして審神者業を始めて一年が経った頃。政府からの呼び出しを食った。業務内容の確認面接と見学者案内のご連絡、とあるそれを訝しく見つめる前田は言う。

    「なんだか不安です。大丈夫でしょうか……」
    「大丈夫大丈夫、最近はちゃんと倒れずに本丸運営も出来てるし! ちょっと聞かれるだけだよ、きっと。見学の人が来るまでには帰れると思うから」
    「主君がそうおっしゃるなら……」
    「うん。念のために護衛には長谷部を連れてくね。前田は本丸を守ってて。もし見学の人が先に来ちゃったら、中に上がってもらって良いからね」
    「はい。全力を尽くします」

     政府本部に出かけていく私と長谷部を、心なし不安そうに見送る前田。それに大きく手を振って、私たちは大門をくぐった。
     それがその本丸の前田藤四郎を見た最後になった。



    「嫌です!! お願いここから出して!!」

     泣き喚く自分の声が房に反響して、ずいぶん遠くまで響いたように感じた。けど、誰も助けに来てはくれなかった。まるで刑務所のようなそこには、小さな差込口があって、それだけが外界との繋がりだった。霊力制御の房に通された瞬間、長谷部の顕現は解かれてしまったから、本当に叫ぶしかなす術がない。飲み物も食べ物も出されない、小さな小窓からさす光で昼夜を見分けるそこで、出されるのは毎日同じ時間に、一枚の紙だけ。

    『本丸譲渡契約書』

     何度も破った。何度も差込口から捨てた。それでも、毎日狭い房の中に差し込まれるそれ。気が狂いそうだった。
     そうして閉じ込められて4日目の朝、私は泣いてパンをむさぼりながら、長谷部だけ連れていくという条件でその書類に署名をしたのだった。
     あの時、大人しく死んでいれば。そう思うことはこの後何度もあった。だけど後悔は先に立たないし、私の地獄も終わらなかった。
     私は再び、本丸に放り込まれた。二度目の、誰もいない空っぽの本丸。私の手の中には顕現されていない長谷部がいて、彼にどう言い訳しようかと、そんなことばかりを考えた。
     下げ渡されるのを何よりも嫌う長谷部に、今の私はどう映るだろう。怖くて堪らなかった。その場に立ち尽くしてさめざめ泣いていると、霊力が知らず流れ込んでしまったらしい長谷部が顕現してしまった。
     ごめんなさい、ごめんなさいと、ひたすら繰り返して泣く私を、長谷部はぎごちなく抱きしめてくれた。

    「主のせいではありません。貴方の、貴方のせいなどでは、決して……」

     きっとこの刀には、今後もっと辛い思いをさせるだろう。そんな確信めいた想いが、その時の私には既にあって、悲しくて堪らなかった。
     世界平和なんかどうでもいい。この刀を、全員を、私は本当に幸せにしたかったのだ。ただ、それだけだったのだ。



     二度目の本丸では私以外の人間の言うことを信じないようにと言い聞かせた。政府の人間が本丸に入ってきたら最悪斬り捨てても良いと教えたし、演練にはあまり行かなくなった。人は残酷で、嘘つきで、時に鬼より恐ろしかったから。
     今度こそ、この本丸を私の墓場にする。誰にも奪わせたりしない。そう決意して刀剣を鍛え上げた。少数精鋭の本丸だったが、この時にも前田藤四郎は一番に来てくれた。どこの本丸でも冷静沈着、忠義に厚いのは変わらないんだな。そんなことを度々思っては目頭が熱くなった。
     そして運命の日。以前のように文が来て、それに行かない旨の返事を出すと、迎撃態勢を取らせて役人を待った。長谷部などは特に並々ならぬ気迫で、

    「主に仇なす敵は、この俺が斬って差し上げましょう」

     と言っていた。
     しかし、現実は私が想像するよりもっと非情で、絶望的だった。役人が入ってきた瞬間、刀剣男士は一振り残らず顕現を解かれ、地面にカラカラと落ちていった。役人は手に持った装置をくるりと回し、酷薄な唇で笑った。

    「刀剣男士は元より政府の契約により貴方に貸し出されているもの。──勝てるとでも思ったんですか?」

     目の前は真っ暗で、ひどく肌寒かった。

    「貴方のような霊力の低い者に、本丸を与えているだけでこっちは血税を溝に捨てているようなものなんですよ? 強くなった刀剣を霊力の高い審神者に明け渡すのは当然の判断です」

     私は無知で、力が無くて、そういう人間は結局、地の底で地べたを這いずり回るしかないのだと悟った。

    「まったく、あれほど刀剣を多くそろえておけと言ったでしょう。次の方の迷惑になってしまう」

     役人の声が、遠くに聞こえた。
     私は、誰も幸せに出来ないし、幸せにもなれない。そのことをはっきりと自覚した、人生で4度目の絶望。最初は両親が死んだ時。次は自分が落ちこぼれなことを自覚した時。一度目の本丸を奪われた時。そして、今。
     けど、私には長谷部がいた。誰を奪われても、私にはまだ一人だけ家族がいた。
     私はすぐさま足元に落ちた長谷部の本体を拾い上げ、この刀だけは許してほしいと懇願した。きっと従順になる、これからは逆らわないからと地べたに頭を擦りつけて、何度も何度も願った。
     かくして願いは聞き入れられ、私は再び長谷部を持って、次の本丸に足を踏み入れたのである。



     私は以降どの本丸でも、極力、長谷部以外とは話をせず、縁を築かず、これはそういう業務なのだと言い聞かせて務めていた。家族になってしまえば別れの時は身を切られるようだったし、私の心は脆かったから。
     本丸によって来てくれる刀剣、来てくれない刀剣がいたけど、どの本丸でも必ず一番最初に来てくれるのは前田藤四郎だった。はじめましての顔をして私の前に降り立つ短刀を、都度歓迎しながら私は、あぁこの初鍛刀とも別れてしまうのかと寂しく思ったものだ。
     逆に、どの本丸でも来てくれない刀剣が鶴丸国永だった。4度目くらいにもなるとさすがに縁が無いのが分かって諦めたけど、出会わなければ別れなくて良いんだなぁなんて、感傷的になった。
     長谷部は何度も

    「主には俺がいますから、他の刀など必要ないでしょう」

     そう言っては自分のわがままのせいにして、私に鍛刀をやめるよう進言した。それが私を傷つけない、最良の判断だと長谷部は知っているみたいだった。
     だけど私はやめなかった。鍛刀をやめたら、私は優秀な審神者のために場を整える仮初の審神者ですらいられない。そうしたら、私は長谷部も取り上げられてしまう。
     たった一人の、ようやっとできた家族だ。失うわけにはいかない。業務さえこなしていれば、私は長谷部とずっと一緒にいられる。
     ──後になって気づいたことだけど、長谷部は分かっていたんだと思う。私がちっとも審神者に向いていないこと。私の心は脆すぎて、戦いの場には、どんなに長く身を置いても慣れないこと。
     だから本当は、長谷部自身をも捨てて、平和な現世に帰ってほしかったんだと思う。私が鍛刀をやめたら審神者をやめなくてはならないことも、長谷部は賢いから、全部知っていたはずだから。

    「これが世界の終わりではないのだから、もう、諦めても良いんですよ」

     5度目の本丸。
     狸寝入りの私の頭を撫でて、長谷部が優しく言ったこと、本当は全部聞いてた。
     けどダメだよ長谷部。長谷部がいなくなっちゃったら、世界は終わらなくても私の心は死んでしまう。それなら世界が滅びるその時まで、どうか私の家族でいてほしい。そして世界が爆発するその瞬間、一緒に

    「何のために戦ってたんだろね」

    って、笑いあってほしいの。



     やがて時は流れ、6度目の本丸でのこと。私はこれまでと同じように極力、長谷部以外とは話をしなかった。刀剣たちにはさみしい思いをさせただろう。次の審神者には可愛がってもらえるといいな。そんなことを思っていた。
     そんなある日、この本丸でもやっぱり一番最初に降りてきてくれた前田藤四郎が『極修行』に出たいと言ってきた。激化する戦闘の打開案のために、その当時実装された制度だった。
     先日の訓練の報酬でもらった修行道具も、これも私には無用の長物だろうなと思っていた。だけど前田がそう言うなら。そんな軽い気持ちで、私は彼を修行に出してしまった。
     修行先から毎日届く手紙。人間は勝手で、心のある彼をいつも置いていってしまう。

    『折れるまで使ってください』

     そう書かれた手紙に、涙が出た。この刀の決意に、毎度懲りずに私の所に一番にやってきてくれる彼の心に、私は応えられないのだ。悲しくなった。
     泣いて泣いて、長谷部が背中を撫でてくれて、また泣いた。
     その内、いつもの文が届いた。悲しいほど桜が舞っていた、いつも通りの春の日。私は本丸を少し外すことと、見学者の話を皆に伝えた。そして長谷部と、……前田を護衛につけて大門を出た。
     もしかしたら。そう思った。もう6度、優秀な審神者の地盤となる本丸を作り上げてきた。もしかしたら、前田藤四郎の一振りくらい、許されるかもしれない。
     もしかしたら。何度もそう希って、その度裏切られてきた。分かってるのに、どうして人間って希望を持つんだろう。どうしても、次こそは叶うかもしれないって、そんな儚い希望に縋りついて生きてるんだろう。どうしてこんなに欲張りなんだろう。どうして、今のままじゃダメなんだろう。
     顕現を解いた二振りを胸に抱えて、私は二度目の懇願をした。相手はどんどん強くなる、それに対抗するには仮初の本丸と言えども極の一振りくらいは必要なのだと、そう必死に理論立てて説明した。どうか許してほしい。そう言った私を、役人は小さく見下ろした。

     これまでになく、残虐な瞳だった。

     役人は私の手から前田藤四郎を奪い取り、下卑た笑いを浮かべて言った。


    「貴方のような者には、過ぎた代物だ」




    ──頭の中で、何か、薄いガラスが割れるような音を聞いた。



    〈前田藤四郎の本懐と鶴丸国永の矜持、もしくはへし切長谷部の真相〉

    『彼女はその7度目の本丸で刀剣破壊を繰り返しました。恐らくもう誰にも自分の刀剣を奪わせない、という彼女の強い意志があると思われますが……とにかく、そのあまりの多さに苦言を呈そうと顔を出した窓口担当に、ついに刀剣の破片で斬りつけるという事件が発生したんです。
    その時になって初めて事態を把握した上の人間は大慌てで、秘密裏にこれを処理しようとしました。処分の体裁を整えるためには、窓口担当からの通報ではアホの所業がばれるから、他の本丸からの通報ということにして調査官を向かわせた。
    そこで運悪く外れくじを引いたのが君、と、そういうことです』
    「なんて惨い……」

     思わず口を覆った。そうしていなければ吐いてしまいそうだった。だけど全てのことに合点がいった。今までの本丸に投影しているのなら、鶴丸国永を見ないのも、前田藤四郎を折らずにレベル59で止めたのも納得がいく。

    『言ったでしょう、胸糞悪いって。正直この話を聞いた時、次の通信が繋がるまでのわずかな間で、君が死んでしまうんじゃないかと思って肝が冷えました』

     ──ゾッとした。それほどの恨みが政府役人にあれば、彼女の手で嬲り殺されるというパターンは十分に考えられる。現に私は暴行をされたわけだし──あの時、彼女は本当に私を殺す気でやっていたのかもしれない。
     彼女が加州清光を折った後で疲れていたことや、折れた破片で斬り付けるという発想をしなかったこと、鶴丸国永が助け船を出してくれたこと、沢山の偶然が重なっていなければ、確実に死んでいた。

    『精神を壊された少女を本丸に放り込んで一体何が出来ると思ったんでしょうね、窓口担当のクソ野郎は。……そこの本丸の審神者には同情を禁じえませんが、とにかく今は君の安全が第一だ』
    「安全、」
    『良いですか、よく聞いて。いくら窓口担当がクソ野郎でも、そいつはただの使い走りです。彼一人では資源を融通したり、ましてや少女を霊力制御房に監禁など出来るはずもない。もっと上の首謀者がいるはずなんです。
    そういう観点から、この件はすでに管理部の手を離れ、監査部に全捜査権が委任されました』

     思わず息を呑んだ。監査部──つまり内部調査のメスが入り、結果次第では管理部全体、そのさらに上までもが罪に問われる。それだけ大きな事件に発展してしまっているのだ。

    『これから10分後には監査部隊が突入します。そうなれば突入時点でそこにいた君までもが調査対象になってしまう。突入前にその場から離脱して、こちらに戻ってきてください。そうしたら僕が、君が調査に入った証拠を消して、君に捜査が及ばないよう手配します。匿名の通報で発覚した事件としてうやむやに出来る、急いで』
    「ですが前田藤四郎が、」
    『今なら!
    ……今なら君を、あのクソみたいな査問から救ってやれる』

     唸るような声だった。一度、本丸襲撃を受けた後に呼ばれたことがあるから分かる。被害者という立場では扱ってくれない。何故防げなかったのか、スパイ行為があったのではないか、本丸の座標を誰かに漏らした可能性など、こちらの尊厳を踏みにじるクズみたいな質問の嵐だった。
     それでも耐えられたのは、担当がこの人だったからだ。
     恐怖の克服、激昂のコントロール、常に冷静さを保つこと……全部この人に叩き込まれた。
     私は言う。

    「大丈夫です、査問会、慣れてますし。悪いことしてないですから」
    『前回の比ではないですよ。君は期せずして政府中枢のタブーに触れてしまった。特に君は元が元ですからね、審神者側に加担があったのではと過剰な下衆の勘繰りにさらされる可能性が多分にある。
    前田藤四郎はこちらで回収します。もうこれ以上、僕の胃に穴をあけるような真似は……』

     ガシャーン!!!

     突如、何か大きなものが割れる音が本丸中に響いた。通信相手にもその音が聞こえたらしい。何事ですか!? と案じる叫びが鼓膜を叩く。

    「……5分、5分ください。前田藤四郎を回収してから出ます!」
    『ちょ、待ちなさいってば!!』
    「前田藤四郎を折ったことに気づいたら、今度こそ彼女は本当に死んでしまいます! 行きますよ、鶴丸殿!」
    「おう!」
    『鶴丸!? なんでそこに……っ』

     通信を切って時間を確認する。10分ないし15分か……厳しいな。やるしかないけど。
     廊下に出て、なるべく早く、かつ音が鳴らないように音のしたほうへ進んでいく。庭先に出る角まで来て、鶴丸国永に進行方向に堰き止めるように腕を出されて、軽くぶつかる。

    「待て」

     小声で言ってチラリと庭を見つめる。

    「見えますか?」

     こちらも同じく小声で返すが小さく首を振られた。

    「だが気配はある。審神者の声も微かだがする。前田の偵察があれば分かりそうなもんだが……これ以上近づけば長谷部に気づかれる」

     俺はそう索敵が上手いほうではないんでな、との言に、少し考える。こちらからは分からないけど、前田藤四郎はこちらに気づいてるかも……?
     ならば。

    「前田殿、前田藤四郎殿。聞こえますか」

     その場で小声で唱える。鶴丸国永は怪訝な顔で私を見つめ、ハタと気付く。
     こちらから分からなければ、あちらに読んでもらえばいいのだ。

    「返事はいりません、もし聞こえていたら私の合図とともに、ご自分の本体をこちらに投げてください。本体が折られさえしなければ、そうそう女の細腕で刀剣男士様方を破壊することは出来ません。
    ──これ以上貴方の主に罪を重ねてほしくないのは私も同じです。……どうかこの提案、のんでくださいね」

     鶴丸国永を後ろに退かせ、手汗を袴で拭う。
     取れるかな。ていうかその前に、本当に聞こえてるのかな。不安になってきた。いや……取る。取るけど、絶対。見えない飛行物を片手キャッチとか難易度高すぎだけど、きっと前田藤四郎は良いように計らって投げてくれるはず。なんせ、彼の主の生死がかかっている。
     深呼吸をして、気合を入れ直した。

    「行きますよ……いち、にの、


    さん!」


     曲がり角から手を伸ばす。
     刹那、宙を滑ってくる刀が見えた。私の指の先の先。
     時が止まる。
     届かない。掴めなかった。どうしよう。
     絶望の瞬間。

     ──目の前が真っ白に染まった。

     金の鎖が閃いて、黒い手袋をはめた節くれだった美しい指先が鞘を掴む。ふわり、舞い降りる鶴のように体が傾いで、


    「──―つるまるっ!!!!」


     私の呼ぶ声に、鶴丸国永は笑った。


    「取ったぞ前田! よくやった!!」

     勢い余ってそのまま土煙とともに地面を滑り、高々と刀を掲げて叫ぶ。痛めつけられたのか、遠くに転がる前田藤四郎も、かすかに笑った気配がした。
     へし切長谷部の怒鳴り声が飛んだ。

    「貴様ァ!! 寝返ったか鶴丸!!」
    「悪いな、長谷部。神といえども所詮は道具、矜持も何もないだろうと思っていたんだが……
    俺にも譲れんものくらいはあるようだ」

     言って、前田藤四郎の本体を私にほいと放り投げる。今度こそしっかりとキャッチして、グッと帯に差し込んでその上を手で覆った。

    「お前さんの主を思う気持ちも分からんでもないがな。……せっかく体を与えられたんだ、身命賭して正さなければならんこともあるだろう」
    「痴れ者が……っ! 主がこの7年、どれ程この国のため、心を砕いてきたと……っ!!」

     ジリ、へし切長谷部のつま先がこちらを向く。
     あ、思った瞬間にはもう目の前にへし切長谷部がいた。避ける暇どころか、棒立ちだった。微動だに出来なかった。なんちゅー機動、そんなことが頭の片隅によぎって……
     へし切長谷部が刀を横一閃に振り抜いて、──ゴトン、何かが落ちた。

    「ボサッとするな! 逃げるぞ!!」
    「きゃぁ!!」

     スッパリと真っ二つに割れて転がる湯呑を後に残して、鶴丸国永は私をとんでもないスピードで抱え上げて遁走を始めた。どうやら鶴丸国永が監禁場所から持ってきた湯呑を投げて、へし切長谷部の気を逸らしてくれたらしい。

    「お、いてってください、鶴丸殿! 背負ったままでは追いつかれます!!」

     何とか声を絞り出して言っても、鶴丸国永は答えずそのまま走り続ける。やけになって耳元で叫んだ。

    「折れる気、ないって言ったじゃない……っ!!」
    「気が変わった!!」
    「はぁっ!? っ、んぁぁあ~~~~~!! もう!! 勝手ばっかり!」

     いつもいつもいつもいつも、鶴丸国永ってどうしてこうなの!? 人の言うこと聞かないし、好奇心に流されるし、しかもいっつも俵担ぎよ!! 廊下を激走される振動で、頭が馬鹿になりそうだ!!
     それでも追ってくるへし切長谷部の姿を認めてしまったら、そんなことには構ってられない。まっすぐな廊下をひたすら走る鶴丸国永に咄嗟に指示を出した。

    「鶴丸殿、そこを左に!」
    「、だが」
    「お願い信じて!」
    「っくそ!」

     苛立たしげに悪態をつくと、彼はそのまま指示通りに左に入った。廊下でがら空きの背中を討たれるより、こちらの方がまだ良かろう。だが、本丸内で古株のへし切長谷部の機動に、降ろされてまだ日の浅い鶴丸国永が勝てるわけがない。
     しかも室内戦の上、鶴丸国永は私を抱えながらとなれば、追い付かれるのは時間の問題だ。

    「おい、中に入ったはいいが、これでは存分に刀が振るえん! 迎撃もできん上、追いつかれるぞ!!」
    「迎撃の必要はありません! ひたすら前に!」
    「なに!?」
    「次の障子を右、その次はさらに左に! 最速で抜けてください!」

     今度は問答の間もなく一閃、障子を切り倒して先に進む。しかしそれは通った道筋が相手にも分かるということであり……

     ザンッ!!

     後方、見えるところにへし切長谷部が迫っていた。いや、迫っているどころの騒ぎではない。目算5秒もてば良い方。即座に玉簪を引き抜いた。

    「おい、」
    「走って!!」

     バサリと翻る髪が目の端に映る。まるでスローモーションのように。へし切長谷部の磨き上げられた白銀。激情に藤色を濃くした瞳。風に踊るストラ。勝負は一瞬。
     振りかぶって簪を投げつけた。へし切長谷部は先刻、湯呑を真っ二つにしたのと同じ剣筋で簪を叩斬った。


     ──かかった!!


     刹那。玉の部分がカッと閃光弾の如く光り、目の前が白くけぶる。

    「!?」


     ドンッ!!!!


     大きな音と共に、衝撃が襲った。

    「ひゃっ!」
    「くっ…!」

     鶴丸国永が踏ん張ってくれたおかげで、なんとか転倒は避けられたものの、ゆうに3メートル程吹っ飛ばされた。顔を上げれば、へし切長谷部は先程と同じ位置に立ち、衝撃に顔を覆う程度であった。

    「ハハ、今の衝撃で吹っ飛ばされないとか……古参勢刀剣やっぱシャレ怖だわ……」

     鶴丸国永の肩の上でひとりごちる。

    「悠長に言ってる場合か! 勝算があるんじゃないのか!?」
    「えぇ。これが私の勝算です」
    「びくともしてないぞ!?」
    「落ち着いてください、鶴丸殿。もう彼は追って来れませんよ」
    「……なに?」

     へし切長谷部は怒り狂った表情で進んでこようとするが、『見えない壁』がへし切長谷部と私達を分断する。

    「世界をあちらとこちらに分ける……『隔』という、最も単純な結界です。あの簪は開発部の特注品で、玉の部分に術式と霊力を溜め込んでおける……人間版の刀装のようなもの、ですかね。1ヶ月程通常業務の合間を縫ってコツコツ溜め込みましたから、おそらく突破は難しいでしょう」

     現にへし切長谷部は刀で壁を斬りつけ続けているが、こちらにはその音が小さく聞こえるだけだ。

    「……こいつは驚きだ」
    「私もまさかこれ程の爆発があるとは思いもしませんでした」

     ふうと溜息をついて顔にかかった髪をかき上げる。簪抜いたうえ、爆発近かったからぼさぼさだ。やんなるね全く。
     その間も『壁』をしげしげと眺め、触れて、と忙しない鶴丸国永に、聞いてはいないだろうと思いつつ補足をする。

    「それにただ二分するだけじゃ、こっち側に一人も刀剣がいないタイミングを狙わないといけないし、なかなか面倒です。かと言って自分の周りを囲う『円』結界じゃ、貴方のようなこちらに好意的な刀剣を助けられないし……改良の余地ありですね」

     言ってから、いまだ収まらぬ怒りを壁にぶつけ続けるへし切長谷部に向き直る。
     激情をたたえたその瞳に、一抹の寂寥を見つけた気がした。



    「──へし切長谷部殿。あなたは本当は、止めてほしかったんじゃないですか」

     問うと、へし切長谷部の苛烈に燃え上がっていた藤色の瞳に、一瞬迷いが生じた。その反応に確信を得て、私は続ける。

    「あなたが主に害なす敵への尋問を止めるなんて、可笑しいと思ったんです。鶴丸殿の制止を聞くあなたではありませんから」

     私はその場に静かに座り、刀を持って立ち尽くす、所在なさげに揺れる瞳に頭を下げた。

    「参じるのが遅くなり、大変申し訳ございませんでした。……人間を、守ってくださり、ありがとうございます。貴殿の審神者殿は、我々が責任をもって現世にお送りいたします。もう二度と、誰も審神者殿を傷つけることが無いよう、誠心誠意尽力させていただきます」
    「……俺は、」

     ホッとしたような、捨て犬のような瞳を伏せ、へし切長谷部は立ち尽くしていた。腕はだらりと力が抜け、辛うじて握られた刀は今にも手のひらから滑り落ちそうで、その姿に胸が潰れる。

     その時。


    「長谷部!!」


     本丸を斬り伏せ、まっすぐ続く穴にも似た向こう側。
     緋袴を揺らして、肩で息をした少女が立っていた。いつまで待っても戻ってこないへし切長谷部を探しに来たのだろう。
     私と対峙したあの幽霊のような印象は鳴りを潜め、親しい人を、恋しい人を、探し、やっと会えたとばかりに目を潤ませるその姿は無垢そのもので。

     彼女はただの、小さな女の子だった。

     カシャン、へし切長谷部は刀を落とした。
     少女が髪を躍らせ駆けてくる。
     手を広げ、光を背負い、へし切長谷部が抱き留めてくれるのを一片も疑わず、まるで仔馬のように走ってくる。
     へし切長谷部は慣れたように少し身をかがめ、彼女をしっかりと抱き締めた。その一瞬の動作だけで、彼がどれほど彼女を愛しているかが分かった。
     彼女はそのままへし切長谷部に縋りついて、重力にものを言わせてぺったりと座り込んだ。それに引きずられた彼もまた、彼女を覆い隠すように座り込む。へし切長谷部の胸にすっぽりと隠れた彼女は小さく呟いた。

    「離れちゃダメだって言ったでしょう、長谷部。……私から、離れては、ダメ」

     それは言い聞かせるようにも、祈りのようにも聞こえた。

    「……はい。申し訳ありません、主」
    「ダメよ。貴方は私の……家族なんだから」
    「………はい」
    「辛い時も、苦しい時も、ずっと側にいて。ずっと私の刀でいて。

    そしたら──私、それだけでいい」


     涙こそ無かったが、それは正しく慟哭だった。心の奥底からの深い憂いや恐怖に塗れ、その中からたった一つ、どうしても譲れないものを高く上げて、目の前の神に捧げる願い。
     へし切長谷部はしばらく逡巡し、そして何か抗えない力に動かされたように、一つ、コクリと頷いて言った。


    「──お約束致します。きっと貴方を、一人には致しません。きっと、……きっと……」


     彼女を抱き締め直し、へし切長谷部は沈黙した。震える肩を見ないフリしてそっと立ち上がると、その向こう側に前田藤四郎の姿が見えた。
     天使のように彼は微笑み、私に深く頭を下げた。私も倣って頭を下げ、それから帯より彼の本体を取り出し、小さく掲げてから踵を返して大門まで向かう。

    「きみは一体なにものだ?」

     てっきりその場に残ると思っていた鶴丸国永が、私の後ろについて問う。
     まさか神様にそんなこと聞かれるなんて、と髪を梳く手を止めて彼を見返した。しかしその好奇心に満ち満ちた瞳に射抜かれると、なにか驚きの答えを捻り出さなければいけない気分になるから参る。初めて出会った時から、すっかり毒されてしまった。
     ごめんね鶴丸。きっとこの答えでは、貴方が驚くには見合わない。
     先に心の中で謝ってから、私は笑って言った。

    「ただの、出張研ぎ師ですよ」

     ──遠くから転送装置の作動する音がする。がやがやと一気に騒がしくなった中から自分を探す声が聞こえて、私はこの長い任務の終わりを感じた。


    〈その後の話〉

     管理部・調査指導3課のリーダーに辞令が下った。

    「これ以上デスクワークが増えるのは面倒なんですが、そうも言ってられないらしいです」

     段ボールに詰めた私物を新しく与えられた机の上にぞんざいに放り出すと、彼は私の方を振り返って曖昧に笑った。いつも自信満々な彼には、珍しい種類の笑みだった。

    「昇進、おめでとうございます。流石と言うべきかなんというか……担当としてついて下さってた頃から優秀な方なんだろうとは思ってましたけど、まさかここまでとは。素直に驚きます」
    「ありがとう。僕のような若輩者に任せてくれた人事部の期待に答えられるよう、誠心誠意尽くそうと思っていますよ」

     ここは政府管轄・審神者サポート部隊・整備部2課……通称『出張研ぎ師部隊』の一室。すなわち、彼はこのたび私の上司に就任する。全く、変わり映えのしないことだ。
     最初は元審神者を集めて試験的に部署立ち上げ、その中からリーダーを選ぶという話だったが、今回私が死にかけたことで情勢が変わった。
     どうやら管理部がこんな危険な仕事をマニュアルもほぼない状態で整備部に押し付けていたというのは、人事部や倫理委員会にとっては寝耳に水どころか水銀流し込まれたレベルの話だったらしい。
     しかし管理部も調査官のような危険な仕事はなり手がいないのは正直な所で、一度承諾したのだから永続的に整備部にはこういった業務を続けてほしいの一点張り。
     倫理委員会と管理部の間に挟まれて弱り果てた人事部は、それではせめて体制の見直しやマニュアルの作成、通報基準の明確化等を検討しろと管理部に通達を出した。その上で今後は良いように使われないよう、管理部の狸どもとと同等に渡り合える人材を整備部に立てることにしたのだ。
     その狐と狸の化かし合いならぬ、腹の探り合いの狐役に抜擢されたのが彼……という訳だ。
     若輩者~なんて謙遜かましているが、私はコイツの本性を知っているので鼻白むばかりだ。窓口担当時代から年功序列を鼻で笑い、実力至上主義を掲げて数々の本丸を救い上げて久しい超エリート官僚様のくせに。32の若さで新規立ち上げの課長に据えられるなんてよっぽどだろう。
     無表情な私の目に映る微かな非難に、彼はすぐに気付いて苦笑を零した。

    「僕だって建前くらいは弁えてますよ。……しかし君も悪運が強い」

     はっ倒すぞ、バカ野郎。
     思いが顔に出ていたのか、相手は叱られた子供のように肩を竦めた。

    「そう怒らないで。査問会を回避出来ただけ、上出来ってことにしてくれませんかねぇ」
    「別に怒ってません。これから先、私達のような下っ端が死にかけた分だけ、課長のデスクワークが増えるだなんて全く嘆かわしいことだと御身を案じてるだけです」
     やっぱり怒ってるじゃないですか、と彼は溜め息をついて宙を仰ぐ。当たり前だ、こっちは死にかけてんだ。

    「今後は悪いようにはしませんよ」
    「どうですかね。既にこれ以上無いって位悪いところまで落ち込んでるような気もしますが…」
    「僕もせっかくスカウトしてきた人材をあんな捨て駒扱いをされていたとは思わなくて、大分頭に来てるんです。これからは管理部が無理難題を押し付けてきたら真っ先に僕に言ってください。早めに楔を打ちます」

     彼はそう言って段ボールに手を突っ込んだ。私物の整理に取りかかるらしい。これ以上の問答は無用ということか。
     不安が綺麗さっぱり拭えた、という訳ではない。だけど一介の審神者に過ぎなかった上、トラウマ持ちで現場復帰出来なかった私を政府の役職にねじ込んだ彼の辣腕は伊達ではない。状況が少しでも改善されるなら、死にかけた甲斐もあるってもんだろう。

    「……あの方、どうなったんですか」

     最後に一つそれだけ尋ねたくて問う。課長は一瞬手を止めたけど、すぐになんでもないように答えた。

    「彼女の刀剣たちと一緒に病院にいますよ。本丸の澱みは整備部3課の浄化部隊が代わりに浄めてくれたし、前田藤四郎殿がこっそり花を手向けて供養をしていたのが功を奏して、彼女が呪われることもなさそうだということで。
    今は人間不信のへし切長谷部殿がずっと側に控えていて少し治療がしづらいけど、そこは前田藤四郎殿がサポートしてくれてるらしいです。
    ……上のほうは、刀剣は全員政府保管にしたかったみたいですけど、『側にいる』というのは約束済みのことですし。長谷部殿を止められるのは前田殿くらいですから、仕方ないですね」
    「そうですね」

     私が嘯けば、彼は苦笑を零す。

    「約束は本来なら止められたはずだとか散々言われましたけど……ま、僕らの知ったこっちゃありませんね。
    とりあえず今回の件で唯一の救いは、凍結された第二本丸を除いて、彼女の元本丸を運営してる審神者は全員、通報とは無縁のホワイト運営だってことくらいです」

     私が黙っていると、課長は静かに告げる。

    「色々と思う所もあるでしょうが、刀剣破壊は罪です。人間に同情してはいけない。特に、──君の仕事はそういう仕事だ」
    「……はい」

     私の仕事は人間ではなく、刀剣男士を万全の態勢で戦場に送り出すこと。刀剣を故意に傷付ける行為を、仕方なかったと擁護することは許されない。常に刀剣の味方であることは、私に課された仕事の内だ。
     私の返事に、課長は一つ二つ頷いて

    「それでこそ、僕の推薦した『出張研ぎ師』です」

     と言った。
     感傷に浸るのはよして仕事に戻ろう。この世が理不尽に満ちているのなんて今に始まったことじゃないし、私が嘆くべきは、今この瞬間も世界のどこかで神様が虐げられているっていう事実なのだから。
     私は整頓の邪魔をしないよう頭を下げてデスクに戻ろうとする。

    「あぁ、待った」

     呼び止められて振り返ると、課長が段ボールの中から簡素な書類を差し出した。

    「なんですか? これ」
    「君の意見を訊きたいんです。どう思います?」

     はて、なんであろう。不審に思いながらも、私はその書類を手に取った。

    「……護衛刀剣、ですか?」

     そこに記されていた内容は出張研ぎ師一人につき一振り、護衛の刀剣をつけるというものだった。他にも刀剣の能力値の引き上げや、刀装スロットの制限引き上げの予定等、細かに記載された要項が綴られている。

    「今回の事件で、人事部から上がってきた提案です。管理部でも調査官は護衛刀剣を所持して良いことになってるんだから、整備部だけが丸腰で危険地帯に行くことは無いだろう、と」

     そも、本丸に顕現される刀剣は過去に飛んで歴史修正主義者と戦うにあたって、その時代に影響が出ないよう制限が掛けられていると聞く。あまりに強い存在を送り込めばそれだけで歴史が歪んでしまうのだ。彼らは歴史に影響が出ず、かつ歴史修正主義者と戦えるギリギリのラインに力を制限されて戦地を駆けている。
     それを実在する過去ではなく、政府が管理する本丸……すなわち時の狭間の異空間に限定して刀を振るうという制限にすれば、今度は異空間が壊れない程度のラインに能力値などを引き上げることが出来る。そうやって一振りでも本丸内の全刀剣に対抗できるようにする、ということらしい。
     課長が付け加える。

    「2ページ目は候補刀剣です。あぁ、もちろん今使っている開発部の簡易結界も継続して使っていきます。安全性を高めるという意味合いでの提案ですからね。特に我々は本業が手入れだし、相手を制圧する訓練も受けていないから」
    「はぁ……」

     言われて気付いた2枚綴り。促された通りページを捲り、候補刀剣に目を通す。推奨候補は短刀、脇差、打刀まで。確かに本丸内で囲まれたら、いくら能力値が引き上げられて有利だとしても、室内戦に向いていない太刀以上はおしまいだ。

    「これがどうかしたんですか?」

     単純な疑問を口にすれば、課長はニッコリと精巧な笑みを浮かべる。

    「言ったでしょう、意見が聞きたいんですよ。この部署で一番付き合いが長いのは君だし、君が刀剣を所持するということにトラウマがあるのも知っています。だから、君が良いならこの提案は受けようと思って」
    「………」
    「僕はこれ、結構悪くない提案だと思いますよ」

     なるほど、意見を聞くふりでの命令ってことですね。先の言葉をようやく正しく理解した私は書類を課長に突き返す。

    「もうここの責任者は貴方なんですから、好きにすれば良いでしょう。政府産の上司の決定に異論を唱える人間なんて、ここにはいませんよ」

     この部署にいる人間は全員、審神者上がりだ。人事部や管理部との腹の探り合いに、意見など挟めるものか。

    「政府産、ね。あれらと一緒にされるのは悲しいですけど、事実だからしょうがないか」
    「……とにかく、私に異論はありませんよ。どうぞお好きに」
    「分かりました。貴重な意見をありがとう。言葉通り、好きにさせてもらうとしましょう」

     書類を受け取った課長を見届けると、今度こそ踵を返す。この狐と埒の無い問答をするよりは、課の皆と机を付き合わせて、果ての無い電話営業をしている方が遥かにマシというものだ。しかし、途中でハタと思い至った。

    「課長、それってどういう刀剣なんです?」

     振り返った私の問いに、課長は目を瞬かせた。
     まさか説得が難しいとされる政府保管のブラック産刀剣を使い回すつもりですか、そう続けようと口を開いた私のセリフを奪うように課長は言った。

    「心配なさらず、君の護衛はもう決まっています」
    「………は?」

     思わず耳を疑った。たっぷり3秒、良く考えて出た言葉が疑問符を付けた音だったのも致し方ないことだろう。課長は再び作り物じみた笑みで続けた。

    「僕が何のために意見を聞いたと思っているんですか。拒否する権利が君にもあると思ったからで……」
    「ちょちょ、ちょっと待って下さい!!」

     言葉を遮られた課長はキュッと唇を尖らせたが、そんなことに構っていられない。恐る恐る尋ねた。

    「……決まってるって、」

     護衛ってさすがに刀種くらいは選べるもんなんじゃ……。
     課長はサラリとまた私のセリフを奪う。

    「白状すると、これは人事部独自の提案じゃありません。とある刀剣がどうしても君と組みたいと言っていてね」
    「へ……、」
    「一応僕も説得には赴いましたよ。けど、のらりくらり躱されてしまって」
    「……」
    「君はもう刀剣は持たないと思うとも説明したんですが、それならこっちから口説き落としに行こうと逆に乗り気で。あまりのしつこさに辟易した人事部が承諾してしまったんですよ」

     ついに何も言えなくなって私は沈黙した。代わりに怨みのこもった視線で課長を詰るが、彼は困ったように笑うばかりだ。

    「これが最善ですよ。君も了承したでしょう」

     それはまさか、だって自分の護衛が決め打ちされているとは思わなかったからで……。
     混乱に俯くとその目線の下、鋭くファイルが飛んできた。思わず掴むと、先程見た要項がファイリングされている。

    「顔合わせは10分後、11時に人事部で行われます。仲良くしてやんなさいよ」
    「……大きなお世話です」

     私はそう返して、デスクには寄らずに乱暴に扉を開けて廊下に出た。苛立ちに任せて扉を閉めると、バタン! 大きな音が後ろを追いかけてくる。それが課長の笑い声に聞こえて、なんてことだ、と憤慨する。
     くそ、何が10分後だ。最初から言いくるめる気満々だったんじゃない! 肩をいからせてみても、上司の言葉には逆らえない。課長が言うのだ、悪いことにはならないだろうが……。
     歩調を緩め、手の中にあったファイルを見つめる。はぁ、また仲間を持つなんて気が重い。深い溜め息を口から逃がし、トボトボと廊下を歩いた。
     そのまま多くの廊下を行き過ぎて、人事部の扉を叩く。さて、相手はどんな神様だろう。どんな神様でも、もう私に拒否権は無いのだけど。

    「整備部2課より、刀剣顔合わせの件で参りました」

     お待ちしておりました、そう言って開かれた扉の向こう側。嵌め殺しの防弾ガラスの前。
     マリア像にも似た白い衣装を身に纏い、こちらに背を向けて佇んでいたその神様は、振り返って笑った。
     驚きに目を見開く私に、初めて会った時と同じく、それはそれは満足そうに。




    「やぁ、きみ。護衛役は続行だ」




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    2022/06/04 12:01:52

    きみよ 谷底の花であれ

    pixivからの保管用です。
    ラブもなけりゃぁ慈悲もない、みたいなテンションで最初っから最後まで突っ走るオリジナル設定バシバシの話なので、なんでも大丈夫な方向けです。

    初出/2017年3月18日 00:06
    #鶴さに  #へしさに  #女審神者  #刀剣乱夢

    more...
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