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    【既刊サンプル】清光先輩とは寝るだけの関係だ。 
     
     
     誰かに逆恨みされたらしくて、俺・加州清光に関しての妙な噂が出回っているのには気付いてた。けど否定に回るのも面倒で、ずっと放置。そしたらいつの間にか『剣道部』『イケメン』の他に、『ヤリチン』っていうのが俺の肩書きにくっ付いてたわけで。
     安定と和泉守には大爆笑されるし、堀川には気遣われるしで、やりにくいったらない。しかももっと最低最悪なことに、以来そっち目当ての女子が群れを成してやって来た。どこかから漏れたメッセージIDには、それ系のお誘いがパンパン。夏休みになったら収まるだろうと思ってたのに、なったらなったでバイト先にもやって来るようになって、もう大変。どれだけ躱してもしつこくて、そろそろノイローゼになりそう。人の噂も七十五日ってあれ、嘘だね。嘘。まだそんな経ってないけど。
     そんなブルーな八月下旬。

    「良い加減否定して回ったら?」

     車の助手席に座ってた安定が言った。男四人で海行った帰り──大学三年の男子って最高に暇だよね──にする話じゃなくて、俺は心底げんなりした。げんなりし過ぎて高速なのにアクセルとブレーキ踏み間違えそう。

    「その話、今する? 俺、今日はその話題忘れたくて来たんだけど」
    「でも、僕も気になってたよ、あれ。ちょっと広く出回り過ぎてる」
    「やめろよ堀川まで。噂立ててるヤツがよっぽど暇人で、他にすることないだけでしょ。別にそこまで困ってないし……」
    「こないだノイローゼになるって愚痴ってたじゃねぇか」
    「そっ……れは和泉守じゃなくて! お前の彼女に愚痴ったの!! 人の電話盗み聞きするような男はフラれろ!!」
    「聞こえたんだよ、人聞き悪ぃな」

     バックミラー越しに中指を立ててやったら言い返された。和泉守の彼女の「加州くんはそんな人じゃないのに!」という憤慨の言葉を思い出す。まさかあの電話の時、近くに和泉守がいたなんて。
     なんで彼氏といる時に他の男に電話をかけるんだ、あの子。いや、普通に隠すことがないからだろうけど、それにしたって。

    「噂聞いて心底たまげてたぜ、あいつ。加州くん大丈夫かな~ってうるせぇから、本人に聞けっつったんだ」
    「だからって……まぁいいや」
    「ていうか、和泉守の彼女の耳にまで入ったってことが驚きだね。これ相当出回ってない?」

     あの子、噂疎そうなのに、と安定が言う。最初は剣道部周りでしか知られてなかった噂。それがどんどん広まって、今じゃ別学部の噂に疎い女の子の耳にまで入ってる。確かに、ものすごい広まり方だ。

    「その内、食べられました! とか自己申告し出す奴が出てくんじゃねぇの? 刺されるぞ、お前」
    「兼さん、縁起でもないこと言わない」
    「実際被害者いないのに? さすがに飛躍し過ぎじゃない?」

     俺が空笑いで言えば、隣の安定は「清光が良いなら良いけど」と嘆息交じりに言う。

    「おい。お前が諦めたら、こいつ一生この噂放置するぞ」
    「清光が放置したいならしとけば良いじゃん。僕はもう口出ししない」
    「さすが、分かってる」

     安定とグータッチしたら、とうとう短気な和泉守が「好きにしろよ」と舌打ちして匙を投げた。ご心配どーも。

    「もう、二人とも……清光、何かあったらちゃんと言うんだよ」
    「俺、男だよ? 何があるってのさ。堀川は心配性過ぎ」
    「良いから。絶対だよ」
    「はいはいりょーかい。あ、次のサービスエリアで交代、良い?」
    「あ、僕トイレ行きたい」
    「どうせなら飯でも食うか」
    「あそこそんなに大きいサービスエリアだったかなぁ」

     行きは全部和泉守が運転してたから、帰りは俺と堀川の分担──安定はハンドルを握ると人が変わるから、運転はさせないことになってる。俺たちの決まり──だ。ついでに夕飯でも食べて行こうという提案に、胸糞悪い話題が流れたのを感じて俺はハンドルを握り直した。
     生まれた時から前世の記憶があった。前世の俺は刀の付喪神で、ま、要は刀の精霊って感じ。それがどうして今世で人間として生まれてきたのかは分からない。
     最初は、前世の持ち主だった審神者の職に就いていた主を追って来ちゃったんだろうな、とロマンチックにも考えていたわけだけど、そこから二十年以上が経った今では、全てが夢物語に思える。
     俺が刀だったのも、主を追って来たのも、全部ぜーんぶ夢。そう思ってたほうが、俺の心の健康に良い。
     ……なんて。この時の俺は考えていた。つまりは最高に楽天的で、最高にぬるま湯に浸かってて、とにかく刀の頃では考えられないような腑抜けたヤローだったってことだ。
     でも俺がこうなったのは現世がぬるま湯だからだとか、そういう話じゃない。刀なんか握ってなくてもこの世界は概ね戦場だし、地獄の種類が違うだけ。
     だからこれはそういう話じゃなくて、……俺が腑抜けになったのは、俺はこの世界に、主はいないんじゃないかって、どっかで思い始めてたってこと。
     だって可笑しくない? 今世で出会った他のメンツは着々と元の主を見つけて幸せになってるっていうのに、俺だけが未だ主の片鱗さえ掴めてない。これはもしかしたら……って思うのも、致し方ないことなのかな、って。
     主がいるって思ったら不名誉な噂なんか絶対放置しないし、主の耳に入るのは絶対阻止してた。刀だった時だったら、噂流したやつのことは半殺しくらいにはしてたかも。
     だからこの後に起こった全ては自業自得の因果応報、俺の人生最大のミスが起こした悲劇って、……まぁ、そういうことなんだと思う。
     
     ◆
     
     バイト先を居酒屋にしたのは、家の近所でそこが一番時給が良かったからだ。
     接客も嫌いじゃないし、どこに行ってもソツなくできるタイプだからと気軽に決めた。店の雰囲気は上々。居酒屋と言っても学生が飲み騒ぐってよりは仕事終わりの社会人が飲みに来る感じの店で、それなりに落ち着いてるし。
     バンダナとエプロン着けての仕事も慣れてきたから、大学卒業まではこのまま続ける予定だ。けど、唯一の難点は、店長が良い人過ぎるってこと。
     店長は仕事ができて、バイトのシフトの調整もバッチリしてくれる上、俺のことも可愛がってくれる。だからこそ、今、女の子が押し寄せて店に迷惑かけまくってるこの状況、胃が痛くなるくらい申し訳ない。
     こんなことなら堀川の言う通り広く噂が出回る前に潰さなきゃいけなかったんだけど、それも後の祭りだ。バイト先に押し寄せて来たのは夏休みに突入してからのことだから。こうなる前まではちょっと油断してたんだよね、まさかそこまではしないだろうって。人の善性とか良識を信じ過ぎたツケだ。
     店長は「若いお客さんが増えてラッキーだよ」って言うから、今のところは甘えてるけど、実際先輩バイトや店長が席について「えー、加州くんじゃないのぉ?」とか言われてるのを聞くと居た堪れなくなる。たとえ俺が本当にヤリチンでも、どんなに通って来たって、あんたのことだけは絶対抱かないって思う。
     新学期が始まるまではろくに鎮火もできないけど、ここは居心地良いから辞めたくない。だからとりあえず来た人には「あの噂嘘だし、そういう気無いから」って言って対処してるけど、それもどれくらい効果があるのやら。「またまたぁ」とか、さも分かってますよ風に言われると、いくら女の子相手でもそろそろキレそう。
     そんな日々が続き、あながちノイローゼも嘘じゃなくなりそうだなぁ、なんて思っていたある日。バイトを終えて賄いのカツ丼を食べていると、店長が俺を呼びに来た。

    「おーい、加州くん。加州くんいませんかって女の子が来てるぞ~」
    「えっ」

     いつもは女性陣をサラっといなしてくれる店長の思わぬ発言に、俺の体がピタリと止まる。店長はその反応に虚をつかれたように

    「あれ、知り合いとの約束とかじゃなかったか?」

     と首を傾げた。

    「あー、っと……」
    「あ、違うの? すまんすまん、いや、相手一人だったし、いつも来てる子たちとは感じが違ったからさぁ。すまん、俺の早とちりだ。今からでも断って……」
    「あー良いです、大丈夫。会います」
    「そう? 悪いな」

     これ以上迷惑をかけたくなくて言うと、店長は少しバツ悪そうな顔をした。
     店長を騙す技術持ち女子か。さて、一体どんな飛び道具を持っていることやら。

    「じゃぁ、賄い食べてから行っても大丈夫ですか」
    「あぁ、待合席で待ってもらってるから」
    「なるべく早く行きます。すみません、店長……」
    「あーいい良い。今日空いてるし、それ食べたら上がって良いから。早く行ってあげて」

     空いてる席どこでも座って良いから、と店長に言われ、俺は慌ててカツ丼をかっこんで喉の奥に流し込み、ロッカーで着替えて待合席に向かった。
     もしかして和泉守の彼女が、あいつと喧嘩でもして駆け込んで来たのかな、というパターンも想像してたけど、待合席にいたのは彼女じゃなかった。
     ダメージデニムのショートパンツに、見るからに攻撃力が高そうな装飾のついたゴツめのハイヒール。半袖のショルダーカットから覗くむき出しの二の腕は冷房の効いた居酒屋では酷く寒そう。両の膝小僧はピッタリと合わさり、その上には小さなバッグを握りしめ過ぎて真っ白になった拳が所在無げに置かれている。俯いた顔は巻きが取れかけのしんなりした髪に隠されてよく見えない。
     格好と佇まいがいやにちぐはぐで、全身から手慣れない野暮ったさが滲み出るみたいだった。借りてきたネコ、っていうか、服に着られてる、って言葉がピッタリっていうか。
     確かに、いつも来る子たちとはちょっと感じが違うかも。彼女たちのような洗練された雰囲気や漲る自信は、目の前の相手からは少しも見えない。どころか、懸命に大人っぽく見えるような準備をして来ました、という印象を受けた。
     これなら店長も誤解するなぁ、と納得しつつ

    「あー、ねぇ」

     と声をかける。彼女は肩を大仰に震わせると、はたと俺を振り仰いだ。
     緊張で血が通っていないような青白い顔色。今にも泣き出して、この場から走って逃げ出してしまうんじゃないか。そんな懸念を抱かせる表情の彼女。
     俺は息が止まった。なぜって。

     そこに座っていたのは、俺のかつての主だったからだ。

     間違えようもなく、俺の主。

     お互いしばらく無言だった。どちらも目を見開いて固まっていた。主も俺も、微動だにしなかった。

     なんで。なんでこんな不意打ち、俺、やめてよ、俺今仕事上がりで、一応ケアはしてるけど汗かいてるし、体力勝負だし、重労働だし、まさか主だと思わなかったからちょっと油断してて、あれ、顔拭いたっけ? バンダナの跡とかおでこに付いてない? ていうか今日の服! 主はこういう服好きじゃないかも、いや分かんない、分かんないけど、ってそうじゃなくて! なんか言えって俺!!

     主を前にして頭の中は半狂乱。その中から必死に言葉を探していると、

    「あの……」

     と彼女が言った。

    「あ、うん。えっと、なに?」
    「その、」

     彼女がふいに目線を彷徨わせる。それに自分の額を思い切り叩いた。彼女の肩が小動物のように震える。

    「ごめん、こんなとこじゃダメだね。席行こ。カウンター……じゃ嫌だよね、半個室の席で良い?」
    「あ、お、お構いなく、」
    「大丈夫、今日空いてるんだ。店長にはどこでも使って良いって許可貰ってるし」

     手を差し出すと、彼女は戸惑ったような顔で俺を見上げた。なぜ手を取らないのだろう、と不思議に思い、すぐにとある可能性に思い至って手を引っ込めた。
     そうだ。主は俺のことを覚えていないことだってあるのだ。
     考えてみれば、安定も、長曽祢さんも、堀川も、和泉守も、誰の彼女も前世のことを覚えていなかった。主も覚えていない前提で動いたほうが良い。変な人に思われないためにも。
     席に案内して、彼女を奥に座らせる。何か飲むか、食べるかするかとメニューを勧めると、ただで席を占領するのを悪いと思ったのかウンウン悩んだ末にオレンジジュースを頼んでいた。年下かなぁ、と当たりをつけて、俺も倣って同じものを頼んだ。
     今にもからかい出しそうな好奇の目を向ける同僚から飲み物だけを受け取って追い払い、彼女を促す。彼女はしばらく言い淀んでいたが、やがて名乗りと共に、自分が俺とは違う大学に通う一年生であることを告げてきた。

    「他大なの?」
    「はい。加州先輩……えっと、加州さん? の噂を聞いて、来まして」

     瞬間、悪寒が背筋を駆け抜けた。
     んん? 俺の噂? って、どれ?? 他大の一年女子にまで広まってる噂って、まさかヤリチン騒ぎじゃないよね?? まさかね、さすがにそこまで広まってないよね。お願い、イケメンとか超強い剣道部員とかであってくれ!!
     俺が心の中で動揺と共に祈っていると、視線を机の上で泳がせていた彼女が決意したように顔を上げて、言った。

    「加州先輩に、お願いがあって、来たんです。私、私の……処女をもらってくれませんか!?」

    「……は?」

     震える声で言い渡された言葉。
     理解が及ばず、思わず間抜けな返事をしてしまった。彼女はその返答にサッと顔を青くして、勢い良く立ち上がった。

    「す、すみません、気持ち悪いですよねこんなこと、ごめんなさい、忘れてください、私、ごめんなさい本当に、どうかしてて……っ」
    「ちょちょ、ちょい待った! まだなんにも言ってないじゃん!」

     顔面蒼白で涙ぐみ出すものだから、慌ててこちらも立ち上がって制止した。こんな状態の主を、話も聞かずに帰すわけにはいかない。落ち着かせて、もう一度着席させる。
     俺は少々浮き足立ちながら、

    「えーっと……今のってつまり、俺のことが好きだってこと?」
    「違います!!」

     全力で否定されて目を瞬かせる。ていうか。

     は?

     え、好きなんじゃないの? 俺、すごいそのつもりで引き留めちゃったんだけど。え? ぬか喜び?

     混乱していると、顔を真っ赤にした彼女が

    「本当に、そんなんじゃないんです! 違うんです! 本当です、信じてください!!」

     と畳み掛けてくる。その度俺の心は目一杯傷つけられる。もう、もう良いから、いっそのこと殺してくれ。

    「私、加州先輩のことをそういう目で見たことは決して、決して……!」
    「分かった、分かったから! もう良いから! こっちこそごめんね、早とちり!」

     なおも言い募る相手を手で制してストップさせる。俺のライフ、すごい削られてるんだけど。なにこれ。
     ていうか、ちょっと待って。
     この子、俺の聞き間違いじゃなかったら、処女もらってくれないかって俺に頼んだよね?
     つまり何、好きでもない男に、処女もらってほしいの?
     矛盾してない??
     そのことを正直に伝えると、彼女は言葉に詰まった。目線を机の上で右往左往、たっぷり五往復ほどさせた後、観念したように説明を始めた。

    「あの、……私、好きな人がいるんです」
    「は? 誰そいつ」

     低い声が出て、思わぬ威嚇に彼女が震えた。
     ダメだ、どうも主に相対した時みたいな感覚になっちゃう。この子は主だけど、主じゃないんだって! 多分この感じだと、あっちはやっぱり記憶も無いし!! すでに恋仲気分の嫉妬心で喋るな俺!!

    「ごめん、続けて」
    「は、はい。えっと、……その人、多分、初めての女は、好きじゃなくて」

     ──絶句である。
     マジで言葉も出ない。もう自分的カッコいい顔作っとく余裕も無いよ。鳩が豆鉄砲を食ったみたいな顔しかできない。
     マジで何言ってんだこの子。

    「それで、その……」
    「ちょ、タイム、ストップ、待って、話についていけない。一旦整理したい」
    「は、はい!」
    「えーっと? 好きな相手がいて? その男は多分遊び慣れてない女の子は好きじゃなくて? だからどっかで初めてを捨てたくて? その相手に選ばれたのが俺……って、そういうことでオッケー?」

     彼女は無言でバツ悪そうに俯く。沈黙は肯定の証、ってか。
     とりあえず主の耳に入った俺の噂ってやつが、俺にとってはとんでもなく不本意なヤリチン騒ぎの与太話だってことだけは分かった。じゃなきゃ噂聞いただけで、処女もらってください、なんて話になるわけないもんね。
     俺はいよいよ目眩がしてきて、額に手を当てて溜め息をついた。
     主、今世で俺が目を離してる間に、一体何があったの。

    「聞いていい?」

     顔を上げて問うと、おずおず頷かれる。不安そうな顔。
     分かるよ。何言われんのか、ビクビクするよね。けど、そういう顔しても、こればっかりは容赦してやんない。
     俺の噂を否定するのはとりあえず後回しだ。そのバカみたいな思いつき、ここで完膚なきまでに叩き潰してやる。

    「あんたはそいつに遊ばれたいの?」

     心を鬼にして酷い言葉を投げかける。彼女は目を見開いて俺を見た。

    「普通好きな女の子に、他の男の影があったら嫉妬するでしょ。初めての子は好きじゃないって公言してるようなヤローは、誰でも良いから遊びたいって言ってるのと同じだよ。誠実さなんかカケラもない。遊びから本命になれるのなんて、めちゃめちゃ望み薄だし、本命になれたところでそういう男が相手ならすげぇ苦労するよ。女の子のことなんかアクセサリー程度にしか思ってない……」
    「そうです」

     キッパリ言われ、口をつぐんだ。
     彼女は俺を見ずに俯いたまま、重ねて言った。

    「遊ばれたいんです。一回だけでも良いから。そういう相手になってみたい。……本命には、なれそうもないので」

     ──再びの絶句。

     なんで。
     なんで、そんなにそのクズが好きなの?

     徹底的に打ちのめしてやろうと思っていたのに、実際に打ちのめされたのは俺のほうだった。
     なんで。なんで俺よりそんな男。
     俺のほうが、そりゃぁ出会うのは遅かったかもしれないけど。
     今からでも俺にしなよ。大事に大事にしてあげる。誰にも傷つけさせない、他の男になんか触らせない、俺なら。
     手持ち無沙汰にグラスを持ち上げる指を取って説得したかった。見知らぬ男への愛を囁く唇を塞ぎたかった。頼んだオレンジジュースを嚥下して上下する喉に口付けたかった。

     ──かつて、全て俺のものだった彼女。

    「そいつのどこが好きなの」

     やっとの思いで絞り出した言葉に、彼女は緩く首を傾げた。
     居酒屋の簡素なグラスを胸の前に抱えるようにして握り、夢見るように斜め下に目線を落とす。

    「……分からないです」
    「はぁ!?」

     あんまりな返答に思わず大きな声が出た。
     何それ何それナニソレ!! 俺、どこが好きかも分からん男への恋の踏み台にされようとしてるわけ!? それとも何、恋に落ちるのに理由はいらないってか? ロマンチックも大概にしてよ! っていうか! 好みが分かったら寄せてくこともできるけど、そんな曖昧な感じじゃこっちも打つ手ないっつーの!!

    「あまり、よく喋ったことないんです。遠目から見てるだけで……」

     口元に手を当てて思案するように言う彼女。勘弁してよ、と宙を仰ぎたくなる気持ちをグッと堪えて、

    「よく喋ったことないのに、そいつのことが好きなんだ?」
    「……変、ですよね。やっぱり」
    「いや……そうじゃないけど……」

     不意に恥じるような顔をするので、なんと言えば良いのか分からなくなって言葉を濁した。
     主、昔はこんなに惚れっぽいタイプじゃなかったのに、と考えて、その考えをすぐに頭から追い出す。主と今目の前にいる彼女を比べるなんてナンセンスだ。
     そういうのも含めて、全部分かった上で、もう一度会いたかったんじゃないか。

    「でも、……好きなんですよね。不思議なことに」

     ポツリと落ちた声。それが本当に愛しそうで、切なそうで、……俺は腹を決めた。

    「いいよ」

     言うと、彼女は呆けたように顔を上げた。

    「え?」
    「ハジメテ、貰ってあげてもいいよ」

     頬杖をついて、意識してニッコリ微笑んで嘯いた。彼女は信じられないように目をパチパチと瞬かせている。

    「い、いいんですか……?」
    「だーから、そう言ってるじゃん」
    「ほ、本当に……?」

     彼女は目に涙まで浮かべて手を合わせた。まるで神の慈悲に震えるように。
     かわいそうに。
     神が勝手なことも、諦めが悪いことも、全部ぜーんぶ忘れちゃったんだね、主。ほんの少しでも覚えていたら、最悪の事態は避けられたかもしれないのに。
     本当に、かわいそうだよ。今も昔も、あんたって人はさ。

    「でも、今すぐってわけにはいかないよ」
    「え、あ、はい! もちろん、今日の今日なんて、そんな贅沢は言いません! 加州先輩のご都合の良い日に、」
    「うん。まぁ、それもそうなんだけどさ」

     彼女はキョトンと首を傾げる。俺も同じ方向に首を傾けて、心の底から意地悪な気持ちで言った。

    「俺もさすがに外道じゃないからさ。いくらお願いされたからって、全く知らない女の子に手ェ出したくないんだ」
    「はぁ」
    「あと、その話持ちかけられて二つ返事で頷く男、相当迂闊だと思うんだよね、俺」
    「うかつ……」
    「だってそうじゃん? あんたはそれで晴れて好きな男を落としに行けるから万々歳だけど、俺にとってはメリット無いじゃん。下手したら悪評に繋がって、やり辛くなっちゃうし」

     彼女に触れられることはメリット以外の何物でもなかったけど、あえてそう言った。彼女は、メリット、と口の中で呟いた後、縋るようにふるふると弱く首を振る。

    「わ、たし、誰にも言いません」
    「うん。でも、どこから漏れるか分かんないでしょ?」

     重ねての否定に、彼女は先程まで胸にあふれていた歓喜をすっかり萎ませてしまったようで、呆然と机上に目を落とした。

    「じゃぁ、どうしたら……」

     失望を隠せない彼女。まぁそうだよね。サクッと処女捨てて、好きな男追っかけるのに時間使えると思ってたんだもんね。でも、そんなこと、俺は許さない。

    「俺のこと、その気にさせてくれたら良いよ」

     彼女がのろのろ顔を上げる。すっかり涙の滲んだ瞳は今にも零れ落ちそうなくらい見開かれてる。

    「それって……」
    「まずはデートから始めよっか。それで楽しくなって、そういう気分になったら、ちゃんと手ェ出してあげる。どう?」
    「でも、加州せんぱ、」
    「それが嫌なら、他の男を当たってくれる?」

     彼女の口が開きかけたまま止まった。

    「言っとくけど、これ、結構破格の条件だと思うよ。道端の知らないおっさんで捨てるよりかは、全然マシな話だ。あんたもそう思って、俺に声かけてきたんでしょ?」

     目を眇める。見据えられた彼女は時でも止まったように動かない。実際、浅く呼吸を繰り返し、何度も何度も瞬きをして、これでもかと動揺している。
     唾を飲むような素振りをした後、彼女は言った。

    「加州先輩は、それで構わないんですか」
    「何が?」
    「私とデートをしたって、加州先輩にメリットがあるとは思えません。それなら、早く終わらせたほうが、ずっと良いのでは」

     ふーん、そんなに頭は悪くないね。さすが俺の主。でも、そんなことで逃したりしないよ。
     俺は笑う。

    「そう? 俺は結構楽しいと思うよ」
    「はぁ」
    「大学三年って結構暇でさ。俺、真面目だったから必修なんかほぼ取れてるし、まだゼミも就活もそこまで本腰入ってないし」

     彼女はまた数度瞬きをして

    「つまり、暇つぶしにちょうど良いってことですか」
    「なんかすごい語弊があるけど、……まぁ、そういうことにしとこうかな」

     彼女の眉間には考え込むような皺が入っている。あらゆることを天秤に掛けて、思案して思案して、最善を取ろうという顔。
     やがて彼女が口を開いた。

    「私が、加州先輩を楽しませられたら、本当に、……シてくれますか?」

     挑むような、縋るような瞳。
     俺にもそこまで必死になってくれたら良いのにな。眩しいものを見るように目を細め、少しだけ泣きそうになった。
     主。
     ……ううん。もう主じゃない、彼女。

    「うん。約束」

     小指を差し出す。彼女は差し出された指を眺めていたが、ややあって観念したように指を絡めた。

     指切りげんまん 嘘付いたら針千本飲ます 死んだら御免 指切った

     男のために、他の男に抱かれる約束なんて、本当に遊女みたいだね。心の中で思って、指を離す。彼女は好きでもない男との接触に息を詰めていたのか、指を切ると少しホッとしたような顔をした。

     ──別にいいよ。あんたが誰を好きだろうが。精々ゆるふわな思考で独り善がりのロマンチックに浸ってなよ。けど、俺にこんな話持ちかけた時点で、そのカタオモイの命運なんかとっくに尽きてる。
     俺はそのふわっふわな地に足の着いてないあんたを、下世話な噂でもなんでも使えるものは全部使って、横から奪ってやるだけだ。

     ──だって、元から全部、俺のものなんだから。

    「とりあえず、連絡先でも交換しとこっか」

     俺はニッコリ笑って、ポケットから出したスマホを彼女の前で揺らす。
     今世初めて触れた彼女の指は、グラスに冷やされていて、結露で少しだけ湿っていた。




    清光先輩とは寝るだけの関係だ(予定)。
    1000_cm Link Message Mute
    2022/06/04 21:58:48

    【既刊サンプル】清光先輩とは寝るだけの関係だ。

    清光が今世でようやく出会えた主には、既に好きな人がいて!?という感じの本になります。
    A5二段構成の小説本になります。

    ↓通販こちら↓
    https://ecs.toranoana.jp/joshi/ec/item/040030812837
    #刀剣乱夢 #女審神者 #現パロ #清さに

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