婚活女と流行りの男「審神者はちょっとな~」
「……でーすーよーねー? 私自身もちょっとそう思っててぇ、」
「あ、やっぱ? 俺分かっちゃうんだよねそういうの」
ニヤニヤにやにや、こんな戯れの言葉はノリの一環であろうと言わんばかりに笑う男を見つめ、私は考えていた。
コイツの首、どうやって落としてやろうかな。と。
まぁ言うて? 私は賢くて可愛い成人女性なので? たとえ頭の中では目の前の男を八つ裂きにする想像を瞬時に三回はしていたとしても? ここが笑って流すべきタイミングなのは分かりますけれども?
しかし理解と許容は別物なので、私は今へらへら笑いながら死ぬほどむかっ腹が立っている。
しかもコイツ一人だけならまだしも、男4人がそろいもそろってこの男の暴虐を止めようともしないとは……今日の面子はハズレだな。頭の中で全員の顔に墨でペケをつける。件の男の顔にはモチロン大×だ。
男はひとしきり私の職業を貶めて気が済んだのか、今度は訳知り顔でこんなことを言ってきた。
「いやでも、審神者にしては常識あるほうだと思うよ、実際。なんてったって、合コン来るくらいだしさぁ」
「あはは。普段はイケメンに囲まれてても、ちゃんと弁えてる感じが?」
「そそそ! いるじゃん、そういう……私イケメンに愛されてますから、みたいなオーラ出してくる奴! 俺ああいうの無理~」
自らの腕を抱いて、大袈裟に寒いポーズを取った相手は続ける。
「だって刀でしょ? 物でしょ? 物は主人を愛すのが仕事みたいなとこあるじゃん? だってそうしなきゃ捨てられるし。それを何勘違いしてんのかなって思う」
私は軽く頷きながら、先ほどまでモード:ハンターに入れていたギアを、モード:キングに入れ直した。通りかかった店員を、軽く手を上げて呼ぶ。
乾杯用に頼んだカシスオレンジをそっと脇に退け、飲み物のメニューを開いて相手に指し示す。
「すみませーん。これ貰っても良いですか? 大吟醸♡」
モード:キング……それ即ち、今日は美味しいお酒をたらふく飲んで騒ぐ日、誰も王のことを止めてくれるなモードである。
「たらいまぁ」
へべれけの足取りで帰宅。鞄から鍵を出すのも億劫で、バンバンと何度か手の平で玄関の引き戸を叩く。
「ちょっとぉ~、寝てんの~??」
しばらくするとガラスの向こうに影が映り、大きな影が鍵を開けてくれる音が聞こえた。
うっ、イカン。飲み過ぎたかも。鍵を開ける金属音がやたらと頭に響く……うぅっ。キーンと痛む右目の奥を労わるように手で押さえるが、あまり効果はない。
うんうん唸っていると、ようやく引き戸が開いた。門灯の明かりとは比べ物にならない光量が飛び込んできて、思わず目を細める。
「……ひっでぇツラだな、オイ」
そこにいたのは我が本丸の固定近侍、和泉守兼定であった。
たとえ私の顔がお酒のせいでむくみにむくみ切っていたとしても、人の顔を見て真っ先に言うことじゃなかろう、と少しムッとする。
「大きなお世話よ。ていうか、開口一番がソレ!? 誰よ、和泉守に近侍なんか任せたの」
「いや、あんただろ」
酔ってんのか? と顔を寄せてすぐに顔をしかめる。酒臭いってか。ますます大きなお世話である。
大きな体を肩で退かすようにして三和土に上がる。窮屈なヒールを脱ぎ捨てていると
「そんで、首尾は?」
と水を向けられる。私が最近もっぱら婚活に燃えていて、週末合コンに精を出しているのは、本丸では周知の事実なのだ。
私は、よくぞ聞いてくれましたとばかりに堪った鬱憤を爆発させた。
「ハズレもハズレ、大ハズレよ! しょーがないから会費分の元取るために大酒かっ食らってやったわ!!」
「ったく、ぬぁーにが「審神者はちょっとな~」よ、あのハゲ! 一般企業がそんなに偉いんか!? こっちだってアンタみたいの頼まれても願い下げだわ!!」
「そもそも! そもそもよ!? なんでオメーが選ぶ側みたいな顔でそこ座ってんだっつー話よ!! ワシらここ座ってる時点で! 恋を探しに来てる時点で! 対等やろ!! 対等の相手にそんな口きいていいと思ってんのかっつー話よ、私なんか間違ったこと言ってる!?」
「百歩譲ってオメーが選ぶ側、人生の常勝利者だっつーんならさぁ、そもそもこんなとこ来んなよ、っていうね? 気持ち。道歩いてるだけで入れ食い状態になってからそういう口きいてもらって良い? 私に!!」
私の止まらない暴言の横で、和泉守は終始無言だった。
こういう時、変な口挟んでこないから賢いなって思う。どこでこういう処世術を身に付けてくるんだろう、刀剣男士って。元の主の影響? さすが歴史に名を残す御方々だな~私もそういう男と結婚してぇ~土方歳三と結婚してぇ~~。
私が土方歳三に想いを馳せて黙ると、ようやっと和泉守は
「あー、なんだ。そいつはなんつぅか、災難だったな……」
と、私に労いの言葉をかけた。
「しかしあんたも懲りねぇな。毎度怒り狂って帰ってくんのに……」
「婚活にコリとかないから」
間髪入れずに睨み上げると、和泉守は肩を竦めて
「へーへー。ま、なんでも好きにしろよ。あんたの人生だからな」
と言う。そのまま仕事は終わったとばかりに踵を返そうとするものだから、名前を呼んで引き留めた。
「あ?」
と振り返った和泉守に、ぐっと両手を差し出して「ん!」と催促した。和泉守は呆れかえったような顔で言う。
「あんたなぁ……酔って深夜に帰ってきて、鍵開けてもらっただけありがたいとか、そういう殊勝な気持ちはねぇのかよ」
「ない」
キッパリ返すと、ますます嫌そうな顔をする。それを無視して、再度手を伸ばす。
「はーやーくー」
いよいよ地団太踏みながら言えば、和泉守はこれ見よがしに大きなため息をつく。そして私の手から合コン用の小さい鞄を取ると、小さい子にするように私をその手に抱え上げた。よっ、と抱え直されて肩に手を置くと、いつもの形になる。
酔って怒って帰った時は、いつもこうやって抱えられながら部屋まで送ってもらっている。いわば傷ついた心を癒す儀式みたいなものだ。それだというのにこの刀、毎度懲りずに一度は断ってくるんだから。いい加減諦めて、催促しないでも送迎するようにしてくれたらいいのに。
満足して鼻を鳴らす私を見上げて、和泉守は言う。
「んっとに、良いご身分だよな、あんた」
「実際、良いご身分だもーん。なんてったって、審神者はみんなの主だもんね。さ、文句言わずに部屋まで送ってくださーい」
肩を叩いて促すと、和泉守は廊下を進みながら不満げに言う。
「んなだから失敗続きなんじゃねーのか……ってオイ! やめろ! 爪を立てるんじゃねぇ!!」
「怒られるようなこと言うほうが悪いでしょ!? 今度言ったらその口縫い付けるわよ!」
背中に爪を立てたら怒られて、怒りたいのはこっちだと言い返す。和泉守は不服そうに鼻を鳴らしてブツブツ文句を言うけど、知らないフリで彼の肩に顎をもたせかけた。
ふと鼻先をかすめる馥郁とした香り。和泉守の匂いだ。目を瞑る。香りが深く身体に入ってくる。腕の中で揺られながら、豊かな黒髪に分厚く覆われた耳朶に、噛みついてやりたいような衝動を呼吸して逃がす。
縁側のガラス越しに見える庭は夏の夜。蛍がふわふわ飛んでいて、幻想的なものだなと思う。さっきまで自分がネオンの海を泳いでヒールを鳴らしていたなんて嘘みたいだ。
和泉守が足で部屋の襖を開けて、畳の上にそっと降ろしてくれる。鞄を手渡し、そして腕組みをして一言。
「ちゃんと風呂入れよ」
「……お母さんみたい」
「あぁ!?」
「分かってる、ちゃんとシャワー浴びるってば」
部屋の奥に備え付けられた審神者専用のシャワーブースを指さして、ガンと頭に響く威嚇の声の主を手で追いやって部屋の外に出す。
「送ってくれてありがとね。和泉守も良く寝て」
と言えば
「あんたが起こしたんだろうが」
と頬を抓られる。本当は寝ずに待っててくれたくせに、と指摘しようかと思ったけど、野暮かと思ってそのままにする。寝ずに待っていることも、私が玄関扉を叩くのも、全部いつもの戯れだ。そうでなくては他の刀が起きてきたって不思議はない。
刀を握る少し荒れた厚い皮の指先が頬から離れて、今度こそ踵を返して和泉守は行ってしまう。私はその後ろ姿を少し見つめ、彼が振り返って「早く風呂入れ!」と怒りだす前に部屋に引っ込んだ。
ピッタリ襖を閉めて、鞄を床に落とす。合コン用に買った、必要なものが何も入らなくてイライラするイイ女風の小さめバッグ。
しばらく立ったまま床に転がった鞄を見つめていたけど、思い直して鞄を拾い上げる。埃を払って、鏡台の上にそっと置いた。目を上げると、酔った赤ら顔のむくんだ女と目が合う。ひっでぇツラ、の言葉が思い起こされ再び憤然とした気持ちが沸き起こる。
鏡台に額をつけて静かに一息ついた。選ばれないことへの疲れと、すり減っていく自信。陰鬱な気分を振り払うように何度も瞬きをした。
私は結婚がしたい。ただ、それだけだ。
次の土曜日。私はこんのすけにお願いして捻じ込んでもらった婚活パーティに行く準備をしていた。その名も『審神者限定婚活パーティ』。
ウキウキしながら前日から着る服の準備などをしていたのだが、メイクをして、髪を編みこんでしまってから気付いた。どうしよう、これじゃぁ予定していた服が着られない。
上からボカッと被る用に作られたシフォンカットソー。その首周りのなんと細いことか。
鏡に映ったカットソーと髪の毛を見比べる。我ながら完璧に可愛く出来た編み込みヘアー。これを崩してしまうのはちょっと惜しい。
仕方なく別のワンピースを出して吟味する。うん、この色だったら予定していた靴にも合いそうだ。決意してファスナーを降ろして、袖を通す。が、今度は背中のファスナーが上がらない。
「あー……そうだった、だからこっちの服にしたんだった……」
頭を抱えてひとしきり唸ってみても解決しない。仕方ない、一番最初に廊下を通りかかった人に上げてもらおう。
襖を少し開けて頭だけ廊下に出してキョロキョロしていると、向こうに翻る浅葱色を見つけた。あれは我が本丸の近侍殿ではないか。
う~~ん、和泉守かぁ…………もう少し、誰か通りかかるの待とうかな……。
誰でも良いと言いながら選り好みする私。そんな邪心を見通したのか、和泉守は襖から不格好に顔だけ出す私をいち早く見つけ、怪訝な顔をしてこちらに近づいてきてしまった。
私は慌てて首を引っ込める。けどもう遅い。少し空いた襖の隙間から和泉守の顔がヌッと現れる。
「何ジタバタしてんだ」
「やっ、そのー、えー……」
私はなるべく背中が見えないように背を逸らして和泉守に相対する。身長差があるので、少し覗き込まれたら下着が見えてしまうのだ。
私がまごついていると、
「用があるなら早く言え」
と、勝手にやってきたくせに用事の催促をし始める。なんてことだ。しかしここで、他の人に頼むから良い、とはなかなか言えない。
渋々、
「ファスナーが、上がらなくて。背中の、届かないのよ」
と小さく呟いてそっぽを向いた。和泉守は眉間に深く皺を寄せて黙ったままだった。だから言いたくなかったのに!
だけどしばらくすると彼が両手を背に回してくるものだから、びっくりして腕を押さえた。
「ちょ、なに」
「見られたくないんだろ。なら前からやるしかねぇだろうが」
言って、するりと背中に回される腕。大きな身体と豊かな黒髪にすっぽり覆い隠される。檻めいたそこで相手の胸辺りに頬をくっつけて、背後で動く気配に息を詰めた。
じっとしていると和泉守の心臓の音が聞こえてきて、静かに息を吐いた。平常通りの、静かな鼓動だ。
尻の上辺りに揺れていた小さなスライダーを、和泉守の大きな指が苦心して摘まむ。その際に、ぐ、と腰を押されて、身体が少しだけ前に傾いだ。
「……壊さないでよ」
細く言った。
「わぁってるよ」
と和泉守は応えて、下着に噛まないように少しずつファスナーを上げた。中ほどまで上げると、手で腰を支えられて一気に上まで引き上げられる。きゅ、とワンピースが持ち上がり、そしてストンと落ちた。
礼を言おうと顔を上げると、抱き締められるような形で向かい合っていたことに気付く。海を写し取ったような瞳に、咄嗟に何も言えずに固まった。
一瞬、時が止まったような感覚がした。けど、和泉守はすぐに
「ほらよ」
と、パッと手を離して私を解放した。ザッと、波が引いていくように心が凪ぐ。
「……ん、ありがと」
一番上のホックを自分で留めて、鏡の前で正面や横から確認する。満足して何度も頷いて、まだ去っていなかった和泉守に、今度は見せびらかすようにクルリと回ってみせた。
「ふふん、どーよ」
「何が」
「何がじゃない! この服! 今日の私! サイッコーに可愛いでしょうが!!」
「あぁ? まぁ、良いんじゃねーの?」
「心がこもってない!」
「どうしろっつーんだよ」
全く、女心の分からん奴だな! プリプリしながら鏡台に置いておいたネックレスを手に取る。すると和泉守が、
「泣いて帰ってくんなよ」
とからかうので、自慢するように言い返す。
「ふっ……世の中にはね、審神者限定婚活パーティ、なるものがあんのよ。これで職業どーのの話は割愛できる! つまり私に非常に有利なパーティってことよ!!」
「いや、あんたに有利ってことは他にも有利ってことだろ」
「だまらっしゃい!」
一喝してからネックレスをつけて、もう一度鏡の前でスタイルチェック。うん、ばっちりだ。鞄を手に取って振り返る。いまだそこに控えたままだった和泉守に
「じゃ、留守は頼むね」
と言うと
「へーへー」
と気のない返事が返ってくる。いつものことなので、そのまま肩を叩いて玄関に向かった。
よっし──今日こそイイ人見つけるぞ!!
会場に着くと、まだ始まる15分も前だというのに結構な人数がひしめいていてびっくりした。さすが結婚率の低いと言われる審神者、気合いが違う。こんのすけに捻じ込んでもらわなかったら参加も危なかったなこりゃ……。
初めての会場におのぼりさん丸出しでキョロキョロしていると、だれかにぶつかった。踏ん張ろうとしたが、高いヒールが仇になって身体がよろめく。
「きゃ」
「っと!」
相手が咄嗟に掴んでくれた腕のおかげで、倒れることは免れた。ホッとして、お礼を言おうと振り返る。しかし相手を見上げて、言葉を失った。
和泉守兼定だったからだ。
は? と思っていると、彼の後ろからひょいと男の人が顔を出す。彼は私の腕を掴む和泉守兼定を見て目を剥き、瞬時に彼の脇腹を肘で小突いた。
「ばっか、兼さん……すいません、うちの近侍が」
「へ? あ、あぁ」
そっか、審神者婚活だから近侍同伴の人もいるのよね。一瞬ビックリした。うちの和泉守かと思った。
小突かれて離された腕を少しさすり、私は居住まいを正して頭を下げる。
「いえ、こちらこそすみません。余所見をしていて」
「怪我とかは、」
「大丈夫です。うちの近侍も和泉守なものですから、一瞬ついてきたのかと思っちゃって、びっくりして言葉が出なかっただけで」
「近侍、兼さんなんですか」
「えぇ。最初のほうに来てくれたものだから、いつの間にかすっかり固定近侍になっちゃって」
世間話的な会話のつもりだったが、私の言葉に図らずも男審神者はパァッと顔を明るくする。
「俺も固定近侍なんです! 良いですよね、兼さん!!」
「え? あ、そうですね」
「強いし、夜戦も行けるし、細かいことあんま気にしないし、すごく頼りになって……」
「オイ、自分のこと話せよ」
あんたの婚活だろ、と今度はこちらが小突いてみせる。男審神者は照れたように、「え、あ……だよね、はは」と頭をかいた。仲が良いんだな、とボンヤリ思う。刀剣男士と仲が良い審神者……これはなかなかポイント高いですよ、うん。
しかし、演練とかでたまに他所の和泉守兼定とかち合うこともあるけれど、こんなに近くで別個体を見たのは初めてだ。男審神者と話をしている間も思わずチラチラ見やってしまう。
髪も、肌も、瞳も全部一緒。あ、でも……ちょっと彼の刀のほうが大人っぽいかも。どことは言えないけど、なんとなく。なんでだろう。うちの和泉守、私と喧嘩ばっかりしてるから精神年齢が私レベルなのかな……いや、それもどうなんだって感じだけど。
一人でグルグル考え込みながら値踏みしていると、とうとう相手の和泉守兼定と目が合った。慌ててパッと逸らすけど、もう遅い。
「んだよ、さっきから。なんかついてるか?」
と言われてしまって、観念して首を振る。
「ご、めんなさい。あんまり似てるから、つい……うちの和泉守と似てない所を探してしまって」
「へぇ」
「あ、でもよく見ると全然似てないですね! なんていうか、雰囲気? とか、そういうの……うちの和泉守はこんなに落ち着いてないし、もうちょっとオラオラしてるっていうか、……あ、でも悪い刀だって言ってるわけじゃなくて、良い刀、なんですけど……」
言葉を重ねれば重ねるほど墓穴を深く掘り進めているような気がして顔が熱くなる。うぅ、どう言えば弁解できるんだ。
私の答えに、彼の和泉守は私をジッと見つめた。なかなか無遠慮に見つめられて、戸惑いながら問いかけるように首を傾げる。何か変なことを言っただろうか。
「気に、障ったなら、申し訳ありません……」
と恐々続ければ彼は、はは~ん、と意地悪い顔をした後
「あんた、「和泉守兼定」が好きだろう」
と宣った。
「は」
「ちょ、兼さん!?」
「いやいや、良いと思うぜ。道ならぬ恋ってやつだな」
「何言ってんだ本当にお前、すいません重ね重ね、うちの近侍ちょっと自信過剰で!!」
慌てる審神者と、得意げに頷く和泉守兼定。二人を前にして、私は頭が真っ白だった。
浮世離れした深いトルマリンの瞳。艶やかな黒髪。我が家の近侍と寸分違わぬ姿の別人。その人に、そんなことを言われるなんて。
「……」
「あ~っ! ホラ見ろ、ドン引いてるだろ!」
「言い当てられて驚いてるだけだろ」
「あのなぁ! 謝れ兼さん!」
「なんでだよ!」
「悪いことしたときは謝るもんなの!」
「悪いって何が、」
「……ますか」
「え? ごめんなさい、今なんて……」
「分かりますか?」
私の静かな問いかけに、二人は問答をやめた。皿のように見開かれた男審神者の瞳に見つめられて、私は所在なく床を見た。
自嘲するように口にする。
「じゃぁ、やっぱり、うちの和泉守も……気付いてるのかなぁ……」
私は結婚がしたい。ただ、──ただ、その相手が和泉守兼定であることは、未来永劫無いのだ。
いつかの夏、それも干上がるような容赦のない陽の上がった暑い日。その日は遠征やら何やらでみんなが出払っていて、暇を持て余した私と和泉守は厨の奥のほうにしまってあったかき氷機を引っ張り出してきて、縁側で二人でかき氷を食べていた。
その時、聞いたことがある。もし、結婚するならどういう相手が良いか。
和泉守はその質問にブルーハワイのかき氷を掬う手を止めて盛大に怪訝な顔をした。私は慌てて、イチゴのかき氷を脇に置いて弁明した。
「いや、別に他意はないよ!? ただ、ちょっと話の接ぎ穂っていうか、何の気なしっていうか……ごめん、この話題NG?」
本当はその時、私は彼の口から自分の名前が出てくることを期待して聞いたのだ。丁度その当時付き合っていた男に振られたばかりで、目減りした自信を彼の言葉で補おうとしていたのだ。
私以外にいないだろう、と浅慮なしたたかさで思っていた。刀である彼が女性にうつつを抜かしている所は見たことがなかったし、一番近しい異性が自分であることを鑑みても、まず彼の口に一番にのぼる女は私であろうと。
期待に満ち満ちた心を押し隠し、なんでもないように問う。なんて傲慢な欲だろうと今なら思う。でもその時は気にもしなかった。
だから、──バチが当たったんだと思う。
和泉守は少し考えた後、
「……あんたじゃない女」
とだけ告げた。
ガン、と頭を殴られた気持ちだった。好きじゃない男に、お前は対象外だと言われた。ただそれだけのことが、こんなにショックだとは。自分でも予想外だった。
だけど当然かもしれない。和泉守とは結構気が合うほうだと思っていたし、仲が良いと思っていたからこそ聞いた質問だったのだから。
他の面子ならともかく、和泉守なら私が傷付くことは言わないだろうと、私は端から決め打っていたのだ。
私は衝撃を受けた心そのものをジョークにしたくて、大きく傾いだ心を何とか立て直して和泉守の脇腹を殴った。
「いて」
「ほんっと、デリカシー無い!! そういう時は、「あんたはイイ女だ」くらい言わないフツー!?」
「言わねぇよ! すぐ手が出る女がイイ女だとでも思ってんのか!」
「は~~~!?!? マジで刀解されたい!?」
もう一度拳を振り上げるポーズをしてみせると、和泉守は大袈裟に防御のポーズを取る。いつもの戯れ。喧嘩の多い、いつもの私たちそのもの。
いつもの空気を取り戻せた気がして、内心胸を撫で下ろしながら嘯いた。
「ふん、いいわよ。別に私だって、和泉守と結婚したいとは思わないし」
「そりゃ僥倖だ」
その言い草にまたもムッとする。そんなに私と結婚するのが嫌か! 嫌味の一つでも言ってやろうと振り返る。
しかしそこには存外真剣な顔をした男が座っていて、私はその美しい横顔に何を言おうとしていたのか瞬間的に忘れてしまった。
和泉守は何かの気配を感じ取った野生の狼のように空中を見つめた。
そしてこの世の真理を全て分かっているような口ぶりで言った。
「あんたは「人」だ。……刀の嫁になっていい女じゃねぇ」
暑い夏の昼下がり、時折鳴る風鈴、ジリジリと焼ける太陽の下。うるさいセミの鳴き声とは対照的に、汗の一滴もかいていない和泉守兼定の神様のような顔。
そのスッと通った鼻梁。天を仰ぐまつ毛の長さ。──私は今でも覚えている。
咄嗟に和泉守が見ているほうに視線を走らせたけど、私はそこに何かを見つけることは出来なかった。
「しかし、今日はあっちぃな」
ふと気を緩めて、青くなった舌をべっと出した私の近侍。瞬間、荘厳な空気は霧散して、私たちはいつもの私たちに戻った。
貴方に恋をしない私と、私と結婚しない貴方に。
私はノロノロと脇に置いたかき氷を手に取った。口に含むと少し水っぽく感じて、さっきまであんなに美味しかったのにな、と心の片隅で思う。
この二、三分間で決定的に変わってしまったなにがしか。それが元に戻ることは決して無い。
恋の輪郭はあの日から、湖の底に沈んだように滲んだままだ。
自覚した瞬間に失恋が決定してしまったあの日。すっぱりと手を放そうと思った。和泉守を欲しがるのはやめようと思った。だけど心はどうしようもなく震えていて、仕方ないから好きなままでいた。
それを、多分相手も気付いている。和泉守兼定は勘の鈍い刀じゃないから、薄々そうだろうとは思っていたけれど。まさかそれを別の個体に見抜かれようとは思ってもみなかった。
私がすっかり沈み込んでいると、彼の近侍は「あ~……」とバツの悪そうな声を出す。
「なんだ、その……悪かったな。妙なこと言っちまって」
その顔は私の近侍が謝る時と一緒で、少し気分がほぐれた。
「いえ、本当のことなので」
情けなくヘラリと笑って見せると、和泉守兼定は、きゅ、と眉間に皺を寄せた。怒っているのを我慢しているみたいな顔だと思う。
「えぇっと、……上手く、いくと良いです、ね?」
男審神者が気を遣って掛けてくれる言葉に礼を言う。
「ありがとうございます。でも、多分望み無くて……って、すいません何話してるんだろ私。こんな所で……」
多分、同じ顔に好意を指摘されたからだ。感情が混乱して、ついつい口が軽くなる。今までずっと押し殺してきた感情が、姿形の同じ人の前で堰を切って溢れ出る。我慢がきかない。今まであんなに頑張ってきたのに、こんな他愛ないことで。
他人に幸福でないことがばれてしまった時のような消えてなくなりたい気分で、なんとなくそこに突っ立ったままでいると、和泉守兼定が言った。
「オレは男の主しか持ったことがねぇから、こりゃ想像だけどよぉ……まぁ、そいつなりに大事にしてるってことなんじゃねぇか」
「……そうでしょうか」
「さぁな。そいつのことはそいつにしか分かんねぇよ。ただ、自分の主人が例えば女で、戦の渦中にいて、そしたらまぁ……人並みの幸せってやつを願う気持ちも、理解はできる」
刀と人じゃ不具合も多いだろ、と言う彼に、私は言った。
「それって、私が主だからダメってことですか」
「主だからっつぅか……いや、まぁ、そういうことだな」
「じゃぁ、主じゃなかったら、刀と人は結婚しても良いってことですか」
私の問いに、和泉守兼定は
「そんなもんは個々人の自由だろ。てめぇの責任でやる分には、周りが口出すことじゃねぇやな」
と答えた。
そうなのか。私はてっきり、和泉守兼定という刀が持つ信条なのかと思っていた。刀は人に恋をしない、そういう決まり事だと。
ならば。
「じゃぁ貴方は、私と結婚できるってことですか?」
パーティ前の浮足立った喧騒が遠くなる。別にこの人と結婚したいわけじゃない。私が好きなのはあくまでも私の和泉守兼定であって、姿形が同じな別人でも良いなんて思ったことはない。
だけど可能性の話として、聞いておきたかった。もしかしたら我が家の和泉守兼定は、私じゃない他の女性とは結婚をするかもしれないし。……それに、彼は気を遣ってそう言ってくれるけど、もしかしたら私は「和泉守兼定」という刀にとって、はなもひっかけたくないくらいのNG女なのかもしれないし。
真剣な顔で聞く私の空気を冗談にしたいのか、男審神者は困ったように笑って口を挟んだ。
「いや、それはちょっと……あまりにも荒療治が過ぎるのでは、」
しかし和泉守兼定は
「オレは別に構いやしねぇけどよぉ」
と簡単に請け合った。私たち審神者は目を見開く。
「兼さん!!」
「なんだよ、別にあんたの嫁さんになるわけじゃねぇんだから良いだろ」
「そういう問題じゃ、」
「そういう問題だろ。何より、オレに惚れてるってところが気に入った。あんた見る目あるぜ」
そう言って和泉守兼定はカラカラとひとしきり豪快に笑った後、けど、と付け加える。
深いトルマリンの瞳が呑み込みそうにこちらを見る。
そして低く、良く響く分厚いテノールで、全部お見通しだというように告げた。
「そうなったらきっと、オレかそいつ、どっちか折れるぜ」
──絶句した。ひゅ、と喉の奥が鳴って、信じられない気持ちで和泉守兼定を見上げる。
「なぁに驚いてんだよ」
「だ、って、折れるって」
「そりゃ当然だろ。あんたの言いようじゃ、そいつはあんたが刀と結婚することにゃ反対なんだろ? そこに自分と全く同じ刀が来て、大事なモンを嫁にもらってくとくらぁ……オレならぶっ殺してでも止めるがね」
彼の言葉に、急に自分の、和泉守が好きだという気持ちがオモチャのように思えた。
この刀に捧げて良いような感情は、私の中には最初から存在しなかったんじゃないの?
目の前が真っ暗になった気分で、氷の上に立っているみたいに足元からすぅと身体が冷えていった。
結局その後は気もそぞろで、誰ともカップルにはなれなかった。気合が足りなかったな、と自省しながら退出すると、エレベーターホールでばったり先ほどの男審神者と和泉守兼定に会った。
「あ、先ほどはどうも」
「どうも……どうでした、戦果は」
「討ち死にって感じですね」
「あはは、私もです」
軽口を叩いてみせても、彼の目にはどことなく私に対する憐憫を感じる。自意識過剰だろうか。別に憐れんでほしくて話したわけじゃないので、なんとなく居心地が悪かった。
エレベーターを降りて、それじゃぁこれで、と頭を下げる。と、和泉守兼定が声をかけてきた。
「なぁ、一人で帰んのか」
「? はぁ、カップルになれなかったので、まぁそうなりますね」
「主、送ってってやろうぜ」
「「は?」」
奇しくも男審神者と私の声が被るが、和泉守兼定はどこ吹く風でぐいぐいと彼の背中を押して私の隣に並ばせる。
「えぇっと」
「いやいやいや、兼さん意味が分からない、今解散の流れだったじゃん」
「いいじゃねぇか。こんな日にお互いなんにもなく帰るってのも侘しいだろ」
それに、と続ける。
「あんたの刀の顔も見てみてぇしな」
その顔は完全に面白がっている顔で、私は呆れた。
「……別に良いですけど、居るかどうか分かんないですよ」
何にって、この期に及んでも、この顔にあまり逆らおうという気がしない自分に、だ。
連れ立って家に帰ると、出迎えてくれたのは初期刀の歌仙兼定だった。おかえり主、と彼は柔らかく微笑んでから
「おや、お客人かい?」
と尋ねた。
「うん、そう。ここまで送ってくださったの」
「へぇ……」
歌仙は二人の顔をチラと物珍しそうに見やる。その何か問いたげな視線を無視して切り出した。
「和泉守は? まだ遠征よね?」
「あぁ、すぐに帰ってくると思うけど」
私はその言を聞き届けると二人を振り返って
「ごめんなさい、やっぱりいないみたい」
と告げた。男審神者はホッとしたような顔をしたが、和泉守兼定はあからさまに残念そうだった。そんなに面白い話でもないと思うのだが、女主人を持つ自分、というのはそこまで興味深く感じるものなのだろうか。
怪訝に思っていると、歌仙が
「主、せっかくだから上がってもらったらどうだい?」
と言う。男審神者は「え!?」と動揺を隠さなかったが、彼の近侍は渡りに船とばかりに、私が促す前に三和土に一歩踏み込んできた。私は三和土に上がった足をこれ見よがしに見やって
「……どーぞ、お上がりください」
と告げる。彼はしてやったりという顔で笑った。ホント、どこの和泉守兼定も遠慮がないんだから。
辞意を示す審神者を宥めすかして客間に通すと、歌仙がお茶を持ってきてくれた。こんな茶菓子どこに隠してたんだろう、と思わずにはいられないお高めの羊羹と共に振る舞われる。歌仙に問いかける視線を投げたけど、彼は答える代わりに笑って世間話めいたことを話し始めた。
「客人なんて久しぶりだね」
「そーね」
「主は最近婚活とやらに夢中でね、だけど一向に色めいた話も出てこないから、皆で心配していたんだよ」
「余計なこと言わない」
「ははは、良いじゃないか。現にこうして送ってくれる殿方が見つかったんだろう?」
思わず閉口する。心配してくれていたのか、という感動と、実はこの人たちは私が懸想している刀の顔を見に来ただけなんですよ、という罪悪感が同時に去来して大変複雑だ。男審神者も少しギクリとしたようで、曖昧に笑うばかりだった。
「きみ、国はどこなんだい」
「ちょっと、仲人おばさんみたいな質問しないの」
私の制止も、歌仙は良いから良いから、と言って聞かない。少し疲れているのもあって、段々面倒になってきた。
そもそも来たのはそっちなのだし、うちの初期刀からの質問責めくらいは甘んじて受けてもらっても良いだろう。刀の意志を止められないのはお互い様だ。
私が止める気を無くしたのを見て取ってか、向こうの和泉守兼定が答えた。
「うちは相模だ」
「相模? というと、随分長いこと審神者をやっているんだね」
「あぁ、もう10年ほどになりますかね……」
「へぇ! それはすごい」
歌仙が感嘆の声を上げる横で、私も内心驚いた。道理で彼の和泉守兼定は大人っぽいはずだ。顕現から10年も経つと、和泉守兼定はこういう雰囲気になるのか、と妙に納得する。
「あ、でも、全然優秀とかいうことではなくて、本当に、細々やってる感じです」
「しかし、一つを長く続けるというのは大変なことだろう。それだけでも素晴らしいことじゃないか」
「ははは……まぁ、これくらいしか長く続いたものも無いんですけど」
謙遜しきりの男審神者と、主を褒められて満更でもなさそうな和泉守兼定、それにニコニコ笑っているうちの歌仙。これじゃぁまるっきり近侍同伴のお見合いではないか。面白くない。
「それだけ長くやっていたら、弟子を取る話もあるだろう」
「あ、はい。そうですね、今までに二人ほど……」
「二人も!」
「はい。と言っても、二人とも俺なんかよりも全然優秀で、大して何が出来るってわけでもなかったていうか」
「おいおい、褒められてんだから、ちったぁ胸を張れよ」
褒められれば褒められるほど縮こまっていく男審神者の背中を、和泉守兼定がバシリと一度張る。
「いって!」
「言葉なんざ額面通りに受け取れっていつも言ってんだろ。深い意味なんかねぇよ」
「兼さん……」
「もっと、どんと構えとけ。なんてったって、あんたはこの和泉守兼定の主なんだからよ」
男審神者はハッとした後で、目元を緩めて笑った。
「……うん。そうだね。ありがとう、兼さん」
「おう」
二人は穏やかに笑い合った。片や得意げに、片や相手に全幅の信頼を置いて。
──私が、もしも男だったら。
考えても仕方のないことばかり、今日は考えてしまう。顔を伏せて、手元の羊羹をいじくりまわす。当の私を置いてけぼりに、歌仙は相手方と随分楽しそうに話し込んでいた。
そうして30分も経った頃だろうか、玄関のほうが俄かに騒がしくなった。遠征部隊が帰ってきたのだろう。私が腰を上げかけると、歌仙が制した。
「僕が出迎えてくるよ。主はここにおいで」
本当に、仲人のような気遣いだ。積もる話も無いのだが、反論するのも面倒だったので頷いておく。歌仙が退出すると、男審神者はホッと息をついた。
「すいません。うちの初期刀、押しが強くて」
「あぁいや、それは全然……それより、何か誤解させてしまったかもしれないですね」
「あぁ、良いんです良いんです。のらりくらり躱せばその内飽きますから」
「審神者殿の不名誉にならなければ良いんですが……」
そう言って男審神者は、歌仙のマシンガントークですっかり温くなってしまったお茶に初めて口をつけた。
率直に、良い人だな、と思った。確かに彼の和泉守兼定の言う通り気の小さいきらいはあるけど、この慎重さは好ましくも思えた。
いつか。──いつか好きになれるかもしれない。この人なら。
一瞬後ろ暗い願望が頭をかすめて、振り払うように何度も瞬きをした。こんな良い人を、私の感情に巻き込んではいけない。
そこまで考えて気が付いた。
なら、──巻き込んで良い人って、どんな人? どんな人なら、私の問題に巻き込んでも良いと思えるんだろう。
合コン相手の誰に×をつけたって、それは巻き込んでいい証じゃない。結局、私は私で和泉守よりも好きになれる相手を見つけなければいけない。この数多く打ってきた合コンやパーティで、私はその分母を増やしている真っ最中なのだ。
少しでも良いと思う人がいたら、好きになる努力くらいはしなくちゃならない。相手が私を例え好きでは無かろうと、恋の相手が和泉守じゃなくなれば、それで万事解決ではないか。
自分の立ち位置を改めて自覚して、気分が更に落ち込んだ。あれは嫌だ、これは嫌だと、文句をつけられる立場じゃない。早く、早く相手を見つけなければ。それはもしかしたら、この人でも……
暗い考えに陥っていると、男審神者の横に控えていた和泉守兼定がおもむろに立ち上がって言った。
「っし……じゃ、オレはちょっくら玄関まで行ってくるぜ」
「え? 何しに?」
「決まってんだろ」
「和泉守なら、ここで待ってればその内来ますよ」
「そうかい。でもま、オレはあんたの刀の顔を拝みに来ただけで、別にあんたとお喋りしようと思って来たわけじゃぁねぇからよ」
「兼さん!!」
言ってくれるじゃない。言い草にムッとするが、男審神者のお叱りも意に介さず、和泉守兼定はさっさと客間を出て行ってしまった。
残されたのは、私と彼だけ。
しばらく互いに所在なくウロウロ視線を彷徨わせていたけど、ついに観念したように相手が言った。
「えぇっと……とりあえず、連絡先でも、交換しときます、か……?」
「……そうしましょうか」
お互い別の方向ではあるが一旦疲れ始めると、なんとなく合コンのお定まりをこなしてしまう。そのあたり、多分この人も結構な数を打ってきたんだろうな……良い人そうなのに……と他人事みたいに考えた。
そうやって交換している真っ最中、遠くで大きな音がした。物が倒れるような、そういう音。
私たちはハタと顔を見合わせた。
「……ちょっと、見てきますね」
「俺も行きます」
立ち上がって客間を出た。すると何か言い合う声が玄関のほうから聞こえてきた。聞き間違いでなければ、あれは我々の近侍の声ではないか?
二人、早足で廊下を行き過ぎる。その間にも声に近づいてきて、会話が聞き取れるようになってきた。
「……っ人の主を、軽く見てんじゃねぇぞ!」
「侮ってんのはてめぇだろ」
「あいつは! てめぇみたいな刀の嫁になって良い女じゃねぇんだよ!!」
「主人の望みが手前の了見でどうにかなるもんかよ」
一方は声を荒げ、一方は落ち着いている。私は声を荒げているほうが自分の和泉守だと確信した。
落ち着いたほうの声が言う。
「てめぇは刀だ、人じゃねぇ。一丁前に「人」を諫めよう、間違いを正そうって……考え自体がそもそも慢心だっつーんだよ」
言い返す言葉は続かない。探るような沈黙の後、焼けつくような声音で和泉守が言った。
「ぶっ殺す……!!」
「やってみろ、くそ餓鬼」
私たちが着いた頃には、二振りの和泉守兼定が抜刀して相対していた。私は息を呑んだ。だが、男審神者はノータイムで咆哮した。
「ストォォォォォォップ!!」
彼は今さっき私と連絡先を交換していた端末を持った右手を振りかぶり、こちらに背を向けていた彼の和泉守兼定の後頭部にぶん投げた。
あ、と思った瞬間、ぶつかるよりも先に、彼の刀は振り返ってそれを掴んだ。流れるような身のこなし。動きの熱量でブワリと風が巻き起こり、羽織が丸く広がった。
「遅かったじゃねぇか」
「兼さん!! お前というやつは……人様んちで抜刀とか、何考えてんだ!!」
「別に。将来の嫁のために一肌脱いだだけだ」
和泉守兼定は刀を収めて、男審神者の後ろにいる私を顎で示すと、あだっぽい笑みを口元に刷いて笑った。私の和泉守の殺気が一瞬にしてぐっと膨らんで、だけどそれも束の間だった。
男審神者が思いっきり、スパーンと和泉守兼定の頭を上から下に叩いたからだ。そしてすぐに私のほうに向き直って、ガバリと頭を下げてくる。
「すみません、本当にすみません! のこのこ上がり込んだ挙句、こんなことになるなんて……俺の不行届きです! 本当に申し訳ありませんでした!!」
「あ、いえ、あの」
「本当に、ほんっとーにすいませんでした!! 帰って良く言い聞かせますんで!! 本当にごめんなさい!!」
急展開に放心状態の私に彼は矢継ぎ早に謝罪の言葉を述べると、和泉守兼定の袖を掴んでクルリと方向転換、大門に向かって突進する勢いでその場から遁走していった。
残された私たち本丸の面々はポカンとするばかり。遠征から帰ってきたもの、出迎えたもの、騒ぎを聞きつけて野次馬しに来たもの、歌仙も私も、先ほどまで怒り心頭だった和泉守ですらが口を開けて彼らを見送っていた。
一体あれはなんだったのだろう? 全員の頭に疑問符が浮かんで数秒、一番先に正気に戻ったのは和泉守だった。
「お、おう! 二度とそのツラみせるんじゃねぇ!! 之定ぁ! 塩撒け、塩ぉっ!!」
「──和泉守!!」
私の絶叫に、場は先ほどまでの間抜けな感じとは別の空気でピタリと静まった。和泉守は抜き身の刀を握りしめ、こちらを向こうともしない。
「……執務室に行って。今すぐ」
「主、」
「良いから行って」
歌仙が止めたけど、私は心を固くしてもう一度告げた。和泉守は何も言わず、肩をいからせたままドスドスと私の横を通って廊下の奥に消えていった。
当事者がいなくなった土間で、私はそこにいた一部始終を見ていた全員に尋ねるつもりで声をかけた。
「どっちが先に抜いたの」
私の問いに、皆ぐっと押し黙った。私は再度尋ねる。
「どっちが、先に抜いたの」
「……あちらじゃありません」
長い沈黙の後、和泉守と共に遠征に行っていた堀川国広だけがそう答えた。それが分かれば十分だ。相手方には後日謝罪の文を書くことにするが、とりあえず今は主犯の処遇を考えなければいけない。連絡先の交換がこんなことで役立つとは驚きだ。
くるりと踵を返して執務室に向かおうと踏み出す。その行く手を、歌仙が阻んだ。
私はなるべく低い声を出して言った。
「退きなさい、歌仙」
「主、先に抜刀したのはこちらだ。しかしあちらに完全に非が無いとも言い切れない。むしろ吹っ掛けたのは向こうで、」
「歌仙兼定。退きなさい」
私の言葉に歌仙はひどくゆっくりと横にずれた。すれ違いざま、袖を引くように投げかけられる。
「彼の和泉守は、きみは自分と結婚をすることになったと言っていた。……それは、本当かい? あちらの、審神者の彼じゃなく? きみは、」
「私は」
それ以上聞きたくなくて遮った。私は、私は──? 考えるよりも先に口から言葉が零れ落ちた。
「私は、……誰とも結婚しない。──今はね」
それだけ言って玄関を後にした。
執務室に入ると、和泉守が刀を自分の前に置いて正座していた。処罰を受けるポーズだな、と頭の片隅で思う。
襖を後ろ手で閉めて、先に口を開いたのは和泉守だった。
「オレは謝らねぇからな」
頑なな声だ。和泉守の声は意志が強いと前々から思っていたけど、それ以上に全ての言葉をはねつけるような声色だった。
和泉守は続ける。
「あの野郎を斬ろうとしたことに、後悔は誓って無い。それが駄目だってんなら、刀解でもなんでも、あんたの好きにすりゃぁいい。けど、……あんたに恥かかせたようになったのは、本意じゃなかった」
すまん、と頭を下げる目の前の男。そのつむじを見つめて、私の心は自分でも驚くほど冷たかった。嵐の前の静けさとでも言おうか、怒りを溜め込む貯蔵庫が心の内にあるような気さえした。
確かに和泉守の言う通り、相手も煽ったのだろう。歌仙の言う通り、こちらばかりに非があるとも思わないし、向こうが吹っ掛けたというのも本当だろう。それに、元を正せば問題の種を本丸に招き入れたのは私だ。その全ての責を和泉守に問うのは筋違いだとも思う。
だけど私が怒っているのはそこじゃない。
私は言った。
「そんなことより──アンタあの時、刺し違えるつもりで抜いたわね」
私の冷たくて暗い声に、和泉守は黙った。ゆっくりと顔を上げる彼に、私は重ねて問う。
「自分より場数踏んでる相手だって、雰囲気で分かってたわよね。分かってて、それでも、ここで折れても良いって、そう思って抜いたでしょう」
「……だったらなんだよ」
カッ、と瞬間湯沸かし器みたいに頭に血が上った。
気付いた時には思いっきり目の前の肩を足蹴にしていた。いわゆるヤクザキックである。狙った以上にいい感じに入って、油断もあったらしい和泉守はそのまま後ろに倒れ込んだ。
私はすぐさま目を白黒させる彼の上に馬乗りになって、胸倉を掴んで頬を張った。思いっきり。フルスイングで。
和泉守の頬は多少桃色にはなったけれどもあまり痛みはなさそうで、どちらかというと打ったこちらの手のほうがジンジン震えて大ダメージだ。だけど私に頬を張られた事実自体が信じられないように目を見張っていたので、目的は果たせたと言えよう。
胸倉を両手でつかみ直し、グッと顔を引き寄せる。
深いトルマリンに映る自分が見えるほど。
他の何も目に入らなくなるほど。
「許さないからね」
口に出すと途端に涙がせり上がってきて、ボロリと和泉守の頬に雫が落ちる。
「私より先に死んだら、許さないから! 地の果てまで追っかけて、……っ地獄に! 突き落としてやるから!!」
私が貴方を好きなことなんて、とっくの昔に気付いてるでしょう。だけど貴方はそれを受け入れなかった。
刀の矜持、主人と家臣の不文律、その他全ての決め事は、全部貴方が決めたことだ。
だけど私は貴方が好きなので、貴方の望みは全部叶えてあげたかった。決め事も、全部守ってあげたかった。
私と恋愛したくないっていうならそうしましょう。手っ取り早くだれかと結婚して、貴方とのことなんて一瞬の気の迷いだったと笑ってあげましょう。貴方はそれを、仕方ないなと遠くで笑って、心の内でホッと安堵の息をつけばいい。
だけどこれはダメだ。
これだけは、絶対にダメだ。
ボタボタぼたぼた、ひっきりなしに涙が落ちて、和泉守の頬を濡らす。
「──他は全部諦めてやるんだから、それぐらい全力で叶えろバカ!!」
精一杯睨みつけていたけど、とうとう堪え切れなくなって目を瞑った。絞るような涙の粒が、きっとまた和泉守の頬に落ちた。胸倉を掴んでいた手を離して顔を伏せ、もうこれ以上涙が落ちないように顔を腕で覆って、ただただ嗚咽する。
さみしい、かなしい、くやしい、くるしい
どうしてあなたなの、どこにも行かないで、ここにいて、ずっと
せめて──せめて私の神様でいて。
未来永劫、私の神様でいて。
「……悪かったよ」
しばらくして、和泉守がそう言った。ぐ、と上体を起こして、私を膝に座らせるような形をとる。私は顔を見たくも、見られたくも無かったので、硬くて厚い彼の肩口に顔を押し付けたままだった。
後頭部におずおず触れる指を感じる。どれだけ力を込めて良いか、探っているみたいだった。
私に上の空では決して触れない指先。それはこの上なく尊いことだけれど、決定的に相手が人では在り得ないことを思い知らされるような気もして、我が身を呪いたくなる日もある。
審神者でなければ。
主でなければ。
女でなければ。
人でなければ。
こんな恋はしなかった。
滑り降りた指先が肩と腰に絡んで、いつしかしっかりと抱きこまれる。抱え込んで、覆い隠すような熱。だんだんと心が落ち着いて涙が乾いてくる。
「もう泣くな」
耳元で掠れた声が言う。
「泣いてない」
「嘘つけ」
「泣いてないもん」
「……そーかよ」
和泉守はそれ以上追及をせず、私を抱いたまま、背を撫でて宥めることもせず、時間が止まったようにそうしていた。
時は昼前。私は執務室で完璧に引けたアイラインを一眺めして、鏡の前で一度だけ頷いた。完璧。午前中に日課任務を終わらせたからか今日の私、ハイパー最高に化粧ノリが良い。
今日も私は婚活に明け暮れている。
だけど今までは平日に婚活の予定を入れることは滅多になかった。しかし今の私になりふり構っている余裕はない。何故か。──歌仙の小言が増えたからだ。
この間のことがあって、歌仙はどうも私の婚活を渋りだしたようなのだ。最近じゃ出がけに顔を合わせれば、やれスカートが短いだの化粧が濃いだの、さんざっぱら文句をつけられる始末。正直この感じだと婚活参加自体をいつまで大目に見てもらえるか分からないので、今のうちに数を打たねばならない……というわけで、今や私のスケジュールはほぼほぼ婚活で埋まっている。
因みに本日の予定は昼から立食婚活パーティ、夕方には友人を拝み倒して一緒に行ってもらうことになった街コンが控えている。つくづく、婚活というのは体力勝負だと思う。
先日着損ねたシフォンのカットソーを纏い、鏡の前で一回り。最高ミラクル可愛い成人女性が映ったので、満足して鞄を手に取り襖を開ける。
出がけにチラと見たのは、近侍室に繋がる襖。今は真っ暗で、少し寂しい感じだ。
執務室に隣接した近侍室の前には歌仙に書いてもらった札が貼り付けてある。文面はこうだ。
『固定近侍 謹慎中につき 立ち入り禁止』
今まで特に用事も無かったので入ることのなかった近侍室。固定近侍を謹慎にしたついでに少し整理でもしようかなと開けたら、そこはほぼ和泉守の私室といっても過言ではない有様になっていた。何がどこに置いてあるかも分からなかったし、どうせ謹慎を解いたらまた近侍にするつもりでもあったので、そのまま見なかったことにしてそっと閉めた。
こうなったのも多分たまに私と二人、徹夜で書類と向き合ってもらっている弊害だろうし。ヤブヘビに噛まれる気はサラサラない。
歌仙が厨にいるのを見計らい、小言を言われる前にそっと玄関まで足早に向かう。
と、玄関に人影が見えた。一瞬警戒したけど、和泉守だと分かって軽く声をかける。
「あら、見送り? 珍しい」
「謹慎中で暇なもんでな」
「ひ~ま~? 反省をしなさいよ、反省を」
私のツッコミに和泉守は、ケッ、と憎たらしい顔で言う。コイツ……謹慎期間延ばしてやろうかな。思わず眉間に皺を寄せかけたけど、化粧がよれる可能性に思い至って慌てて笑顔を作った。
いかんいかん、今日の私は最高ミラクル可愛い成人女性なのだった。こんな所でせっかく塗ったファンデを台無しにしている場合ではない。
気を取り直して和泉守の前で、見せびらかすようにクルリと一回り。
「どーよ」
と感想を求めれば
「……まぁ、良いんじゃねーの」
と、いつもの分からんちんな答えが返ってくる。聞くんじゃなかった。出鼻をくじかれた気分で、結局唇を尖らせてハイヒールを履くことになった。
「そいじゃま、とりあえず行ってくるから。留守番よろしく~」
「ん。……なぁ、」
呼びかけられて振り向いた。和泉守は言葉を探すように視線をうろうろ彷徨わせている。
「なに」
「いや……ほんっとーに、どーしようもなくなったら……まぁ、なんだ、あれだ」
「なによ、煮え切らないなぁ」
珍しく口ごもるから、早く言えと急かすように手を振った。こちとら予定が詰まっているのだ。パーティに遅れて登場で、妙な注目を浴びるのは御免である。
和泉守はそんな私と決して目を合わせようとせずに、
「いざとなったら、看取るのは、オレがしてやるから……あんまり心配すんな」
と言う。訳が分からなかったので思わず
「はぁ?」
と心の叫びが口から飛び出た。
和泉守は私の反応に気の抜けた炭酸のような顔をして緩く首を振る。
「……いや、いいわ。なんでもなかった」
「ちょ、なんでもないって何よ」
「なんでもねぇよ! そんじゃぁな!」
と言い残し、和泉守は廊下をドスドス去って行ってしまった。
置いていかれた私の脳内、はぁ?? である。何怒ってんだ、アイツ。変なの。
しかも看取るって、あんた……そんな不穏なワードを、これから合コン行く女にかけて置き去りにする奴があるかね。
訳が分からん、と思って足を一歩踏み出す。しかしその瞬間、ふとある可能性に思い至った。
看取るって、心配するなって、なに。もしかして。
もしかして──そういうこと?
ヒールを脱ぎ捨て身を翻す。廊下で堀川と話し込んでいた和泉守の袖を引いて、
「ねぇ、ねぇねぇねぇねぇ!! 和泉守、今の何、今の、安パイ宣言!?」
と言うと
「誰が安パイだ!!」
と振り払われた。それでも懲りずに袖を掴んで、ありったけの力で引っ張った。
「えっ、ねぇ本当に!? マジで相手が見つからなかったら貰ってくれんの!? ねぇ!! ねぇったら!!」
「っだぁー、うるっせぇな! さっさと婚活でも合コンでもなんでも行って来い!!」
「やーだ、やだやだやだやだ、答えてくれるまで行かない!! あ、ちょっと、逃げないでよ!! ちょっと、和泉守! 和泉守ー? ………」
幸か不幸か、分からないけど愛しています。