旅立ち 灰色の空は頭上に重く垂れこめて、湿った風が当たりの草を揺らしていった。
新たな旅立ちの日には相応しくない天気だった。否、彼女が新たに旅立つ先には相応しいのかもしれなかった。
「なにしてるの?」
教会の裏庭にたたずむ人影に背後から幼い少女の声が飛んだ。年は五歳くらいだろうか。白いブラウスに黒いワンピース。少し長めの髪を両サイドで結んでいる。
「私が見えるのですか?」
バルバトスに興味を覚えたのか、なぜそんなことを聞くのかわからない、といった顔で寄ってくる物怖じしない様子は誰かを彷彿とさせた。
「どうしてそんなきれいなふくきてるの? ずるい」
少女は頬を膨らませて自らの黒い靴を見た。ほんの数時間前に数日前買ってもらった赤い靴を履きたいと駄々をこねて母親から叱られ、父親から宥められたばかりだった。
「私にとってはこの服はあなたがお召し……着ているものと同じなのです」
バルバトスはしゃがみ込み、少女と目線を合わせて答えた。
人間界とは倫理を異にする魔界の喪服は純白である。
「まっしろなんてへんなの……」
納得いかない、といった表情をしていた少女の目が何かに気付き、急に輝きだした。
「あ! もしかして、てんしさま!?」
まさかそのようなことを言われるとは思っていなかったのか、バルバトスは一瞬目を丸くした後、唇に人差し指をあて、「秘密」の仕草を返した。
「やっぱりそうなんだ! もしかしておばあちゃんがすごいまほうつかいだから、おむかえにきたの?」
「おばあ様は魔法使いなのですか?」
「うん! あのね、わたしがおこられてないてると、いつもぽけっとからおかしくれたの。なにもはいってないぽけっとなのにおかしがでてくるの」
少女は急に何かを思い出し、声を潜めた。
「あ、でも、ひみつだよっていってたから、ひみつにしてね」
「わかりました」
どうやら家族に甘いところは最後まで変わらなかったらしいとバルバトスは苦笑いをした。
「そのおばあ様はどこにいますか?」
「まだなかにいるよ」
「まだ?」
「うん。もうすこししたら、かそ……ば? にいくんだって。まってるのあきちゃった」
この辺りは土葬のはずだったのだがいつの間にか風習が変わったらしい。半ば無理やり時間を作ってでも今日のうちに来ておいてよかったと胸を撫で下ろした。
「そろそろ中に戻りましょうか。ご家族が心配しますよ」
「しんぱいなんてしてないよ。おかーさんわたしのこときらいだもん。いつもすぐおこる」
「そのようなことはありませんよ。きっとあなたのことを大切に思っています」
「えー……そうかな……」
「朝ごはんは何か食べましたか?」
「ほっとけーき! おかーさんがつくってくれたの」
「その可愛らしい髪を結んだのは誰ですか?」
「おかーさん!」
「昨日の夜は一人で寝ましたか?」
「まだひとりでねれない……いつもおかーさんがいっしょにねてくれる……」
「お母様はあなたのことが大好きなのですね」
「そうなの?」
「愛していなければ見返りもなしに手間も時間もかけたりなどしません」
それでも少女はいまいち納得がいかないといった顔でバルバトスを見た。
「きっといつか、あなたもわかります」
バルバトスはどこか遠い昔、誰かと過ごした日々を思い出しているようだった。
遠くから少女を呼ぶ声が聞こえた。きっと母親が探しているのだろう。
「あ……おかーさんだ。いかなきゃ」
「それと、今日ことはあなたと私だけの秘密です。約束できますか?」
「ひみつ! わかった! じゃーね! ばいばい」
バルバトスは小さく手を振り、少女を見送った。
数時間後、遺体がなくなったと辺り一帯は大騒ぎになったが、その後発見されることはなかった。唯一の情報は少女の「てんしさまにあったの!」という発言だけだった。