あなたとお茶が飲みたくて チャットがいつもとは違った着信音を鳴らす。バルバトスは掃除の手を止めてD.D.D.を手に取った。今この瞬間何よりも優先するものは彼女からのチャットだ。
『バルバトスのお茶が飲みたいな』
瞬時にこの後の予定を頭の中で確認し、画面をタップする。
『いつでもどうぞ』
ディアボロの傍に控えている時だったらどちらを優先するのだろうと考えたこともあるが、それは意味のない思考だった。彼女がそのようなときにチャットを送ってきたことはないのだから。
そこに思いを巡らせるときいつも、まだ一日のスケジュールを覚えていてくれたのかとバルバトスの口の端は僅かに上がる。
一時間後、バルバトスの部屋では留学生と二人きりのお茶会が開かれていた。
尤も、和気藹々としたものではなく、留学生の顔は暗く、涙の跡まであった。
「ぐすっ……それでね……」
「それは大変でしたね」
バルバトスは留学生の手を取りたいのを堪えて、カップに口をつけた。
留学生が人間界へ帰り、その後幾分かの時を経て結婚したと聞いたとき、バルバトスは表情こそ平然としていたが頭を「なぜ」という疑問が取り巻いていた。
恋人、とまでいかずとも友人以上という自負はあったし、留学生も満更ではない様子だった。
しかし、同じ寿命の人間と一緒になった方が留学生にとっても幸せであろうと思い、煌めく一片の思い出として心の奥底にしまっておこうと思った――思っていたのに。
『今からそっちに遊びに行っていいかな』
留学生の名前が履歴の中でも底に埋もれた頃、そろそろ眠りに就こうかという時刻にそのチャットは唐突に送られてきた。
『久しぶりにバルバトスのお茶が飲みたいな』
挨拶もなくお茶が飲みたい、それも今からなどと本当にお茶を欲して送っているわけでないことは明白だった。
『かしこまりました。とっておきの茶葉を用意してお待ちしております』
寝ようとしていた体を起こし、いそいそとお茶会の準備を始めた。
その後姿を現した留学生は酷く落胆していてお茶会の席についても何も話さず、顔を見られたくないのか下を向き、時折お茶を飲むだけだった。
そのまま会話もなく、お互いのカップが空になったところでお茶会は終了した。
「またいつでもいらしてください」
「……」
留学生は下を向いたまま動こうとしない。
「このような時刻に外出など、ご家族が心配するのでは?」
バルバトスは内心で、配偶者を表す言葉など口にしてやるものかと妙な意地を張る。
「……今日は泊まっていってもいい?」
あれほど望んだ留学生は思いがけない形で手に入った。
それ以来、『バルバトスのお茶が飲みたいな』というチャットが逢瀬の合図となった。
留学生は楽しそうなときもあれば、気落ちしていることもあったが、いずれにしても最後はバルバトスを求めて泊まって帰っていくのに変わりはなかった。
バルバトスは一つ心に決めていることがあった。
決して自分から留学生には触れない。留学生から触れられることがなければおとなしく家に返そうと。
触れられずに終わったことなど今まで一度もないのだが。
最近では留学生は魔界での滞在時間が随分と長くなっている気がする。
今日もまたバルバトスの腕を枕にして眠る留学生の髪を撫でながら、起きた後に供するお茶は何にしようかと考える。そうだ、ミルクティーがいいだろう。濃い目に淹れた紅茶にたっぷりのミルク。茶葉は……検討を重ねながら、バルバトスもまた、眠りに落ちていった。
逢瀬は留学生が魔界に来ることもあればバルバトスが人間界へ行くこともあった。
その中でも夫婦の寝室というプライベートな場所での逢瀬はこの上なく刺激的で、背徳的で、留学生もそれをわかっているのか、いつも以上にバルバトスを求め続けた。
そのせいで玄関のドアが開く音で初めて帰宅に気付き、シャツのボタンもベルトも最低限留めただけ、上着は小脇に抱えて、という格好で帰る羽目になったバルバトスは、まるで間男ですねと心の中で呟くのだった。