第一印象 最初に主を見た時……と誰かが言い出してから「審神者の第一印象」はすぐその席の題目になった。
つまみの小皿ばかりになった卓には、たまたま、本丸発足初期から中期に顕現された刀ばかりが集まっていた。膝丸たちは中期の末ごろの顕現だからこの中では若い方だ。語られる話には、覚えのある笑い話や初耳の失敗談まであって聞き飽きない。
「太郎はどうだい。はじめて見た主はどうだった」
中でも最古参の太郎太刀はつと首を傾げ、手にしていた盃を置いた。今のところ「ぱっとしない」というのが、ほとんど満場一致でこの本丸の審神者の最初の印象であり、現在でもそう変わらないという結論まで出ている。
「主は……小さかったですね」
「そりゃ兄貴からしたら誰でも小さいよ」
次郎太刀の突っ込みに太郎太刀は頷く。
「今ではもっと小さくなりました。この本丸を抱えていられるのが不思議なほどに。しかしかれの力は、反対に大きくなるばかり。私は毎日驚いています」
歳を重ねた主人を思い、刀剣たちは少しの間しんみりとした気持ちで盃を煽った。
審神者の健康長寿を願って再び乾杯した後で、膝丸たちは酒宴を抜けた。母屋を出た辺りでどちらからともなく手を絡め、狭い廊下を並んで歩く。こんなに自然と手を繋げるようになってどれくらいだろうかと思いながら、膝丸は床板の軋む音と晩夏の風を感じていた。
「おまえも最初の日のことを覚えてる?」
ふいに尋ねられ、膝丸は過去を振り返ってみる。「ああ、覚えている」
「僕が喚ばれた日のことも?」
「もちろんだとも」
「どう思ったのかな」
膝丸は日頃から、初めて兄と対面した時のことをよく思い出していた。時間遡行とは違って心だけの旅であり、膝丸自身の楽しみのためだ。それを他人——当人に対しどう言ったものかと少し考える。
「背筋が伸びる思いだった。これから兄者と共に戦場に立てると思うと胸が踊ったな。よろこびと期待に満ちていた」
髭切は笑みを浮かべて弟に目を向ける。見つめ返すと絡めた指をするすると撫でられ、膝丸は降参した。
「あまりのうつくしさに混乱した」
「ええ?」
「人のかたちなどさして関心はなかったが、兄者があまりにうつくしいのでどうしようかと思った」
「あっはっは」
膝丸は感動したのだ。兄の眼差し、指のしなやかさ、立ち姿から香る気高さに。それが唯一無二の我が片割れだと思うと誇らしくて、胸どころでなく全身で踊り出したいような気になった。今だって兄はうつくしいが、目を覚ましたばかりの穢れない無垢な様は、記憶の中で守り続けたいものだった。
「兄者はどうだ。俺と初めて会った時のことを覚えているか」
「うーん」
髭切はにやにや笑ったまま視線を落とす。照れ隠しかと思ったが、そのまま口を開く気配すらない。
「まさか」
「だって……。印象って重なっていくだろう。みなよく覚えていてえらいよね」
「そうだな……確かにその通りだが、本当に全然覚えていないのか」
「悪い風に思ったことはないよ」
ごめんねと言うように、寄り添っていた肩をとんとぶつけられる。ちょうど部屋にも帰り着いて、その話は終わりだった。
悪く思われていないのはよろこばしいことである。髭切のかつての主は、弟である膝丸のかつての主の才を疎み、それがきっかけとなって討ち果たしたという説まである。兄の役に立ち、好かれたいという思いだけで生きている膝丸からすれば、十分と言っていい答えだ。
けれど髭切も、膝丸を好いている。膝丸だけの一方的な思いならあの返答だけでも満足したが、好き合っているのだから、もう少し詳しく知りたい。髭切が思いを打ち明けること自体がそもそも稀なのだが、だからこそ聞いてみたかった。
翌日、膝丸は太郎太刀を訪ねた。
逸話のよしみがあり、顕現当初から髭切は太郎太刀に懐いている。兄が忘れていることも太郎太刀なら覚えているのではと、手土産まで持ってやってきた膝丸を太郎太刀はいつもの真顔で迎えた。
「ええ、覚えていますよ。髭切殿があなたについて話していたこと」
「本当か!」
膝丸が持参した最中を食べながら、太郎太刀は記憶の限りをつらつらと話してくれた。
その夜膝丸は先に床に入って髭切を待った。修行を終えてしばらく同じ布団で寝ていたのが習慣づいて、最近では布団は一組しか用意しない。
髭切はなかなか眠ろうとしない。今日に限ってと思わないではなかったが、気分の良い膝丸は目を閉じて根気よく待っていた。潜り込んできた兄の背を抱いた時には驚かれてしまった。
「なんだ、起きてたの」
「話がしたくて」
「わざわざ布団の中で話したいことって何かな」
額に唇を落として、髭切はいたずらっぽく笑う。ちょうどよく枕に収まった兄と向き合い、膝丸は太郎太刀に聞いた昔話を始めた。
——わくわくするんだ。
太郎太刀にも弟が居ると知った髭切は、すぐに膝丸のことを話した。その頃の髭切には珍しく浮き足立った様子で饒舌だったと太郎太刀は語った。
「一目見て片割れだって分かった。だけどあれが僕の弟だなんて、不思議だなあ。太郎くんは次郎くんを見て変に思わなかった?」
「厳密には兄弟ではないので、おかしな感じはしましたが。あなた達でもそうなんですか」
「どうにもこそばゆいと言うか、ね。だって、太郎くん、僕の弟を見た?」
その時の兄の顔を、一度でいいから自分の目で見てみたいと膝丸は思う。
「きれいだろう、弟は。なんだか驚いてしまって。この先ずっと一緒だと思ったら、わくわくするんだ。これから毎日、すごく楽しいだろうなあ」
話を聞いた髭切は、逃れたそうにもぞもぞしていた。そうなると読んでいたから、膝丸は床に入るまで兄を待っていたのだ。取り逃がさないよう足まで絡めながらも胸の中に兄を隠してやる。
「覚えていなくても、そんな風に思ってくれたことが知れて俺はとてもうれしい」
「僕が忘れたのそんなに根に持ってた?」
「そうではない。ただ知りたかった。兄者がどんなふうに俺を見たのか」
追い打ちになると知りながら、膝丸は黙っていられない。髭切と過ごす毎日はとても楽しかった。かつて楽しみにしてくれた昔の髭切に教えてやりたいほどに。
髭切は俯けていた顔を上げた。色づいた頬にはにかみが浮かんでいるのを見て、これもまたうつくしいと膝丸は密かに嘆息する。
「おまえはずっとかわいい僕の弟だよ」
観念したように言って、髭切は膝丸を抱きしめようとする。それを制止し、膝丸は兄の顔を覗き込む。
「この先も?」
「今までも、この先もずっと」
「ああ!」
膝丸は兄の身体をきつく抱きしめた。二振りの互いへの思いは、初めの日から何も変わっていない。