再出発(腐*ノクプロ) その日は、新しい家で新しい生活を始めるにはうってつけの晴天だった。
周りの手助けのおかげで元気に育った娘を連れて、昔ノクトが住んでいたマンションに足を踏み入れる。
戦火の中でなんとか10年間立派に立ち続けていたそれを補修しようと言い出したのは俺ではなく、イグニスたちだった。
壊して立て直すよりは安価だというイグニスの言葉を信じ、その提案を受け入れて一年と少し。確かに思ったほどの損害はなかったようで、補修という名目以上の工事は行われずに済んだ。
懐かしい部屋にまた住めるというのは思いの外嬉しいものだ。また、というのは、高校を卒業してからここに住まわせてもらっていたから。俺には実家もあったけど、毎日のようにこの部屋に通ううち、私物はどんどんと増えていって「住んでいる」と言わざるを得ない日々になっていた。
旅に出る直前までそうしていたから、放置されていたこのマンションには俺の私物がたくさん残っていた。それらを一度整理して、家具も傷んだものは大方片付けた。
内装は俺の希望通り、昔とほとんど同じように補修してもらっている。
娘は喜ぶだろうか。引っ越してからのお楽しみだと言ってまだ中を見せてはいないから、今日という日をとても楽しみにしているのだけど。
それを体現するように、エレベーターが最上階に到着するやいなや、俺の手を引っぱって目的のドアまで真っ直ぐ足早に向かっていく。
それを宥めながら、俺の足もいつもよりずっと早く動いていた。
お願いして内装と同じく昔と変わらないデザインにしてもらったドアの前に辿り着く。娘は嬉しさに頬を緩ませながら俺の手を離し、両手で丁寧にドアノブに手をかけた。その緊張した面持ちに、こんな表情で玄関ドアを開ける子は見たことがないと思わず笑いそうになる。
静かに音を立てて開いたドアの向こうを、エステルが恐る恐るという様子で覗き込む。
一瞬だけ息を潜めて、それから玄関の中へ一歩足を踏み入れた。
「おう、早かったな。えーと……おかえり」
俺も続いて中に入るのと同時に、少しだけ迷うような声が聞こえた。
廊下に出ていたノクトが、エステルを見つけて投げた声だ。どういう挨拶が適切か、きっと迷ったんだろう。
エステルも父親と同じみたいで、ちょっと躊躇ってから「ただいま」と小さく返す。
もっとも、彼女のほうは未だに距離感が掴めないらしい父親に戸惑っているだけかもしれないけれど。
「プロンプト、俺らのベッドは寝室に置いといたから、もし場所変えたかったらあとでグラディオ来たときに移動させてくれ」
「うん、ありがと。エステルのは?」
「このあと来る予定。ほんとにあの部屋で良いか、まだ聞いてなかったからエステルが来てからにしようと思って」
俺たちの会話をそわそわとした様子で聞いている娘にウインクを投げて、玄関からすぐのところにある部屋に連れて行く。
昔、父親が使っていた部屋だと聞いたら嫌がるだろうか。そんな心配をしたのはノクトだった。
「この部屋、エステルが使って良いって」
「えっ、いいの!? こんな広いお部屋、ひとりで使って!」
俺たちの会話を、今度はノクトがそわそわしながら聞いている。
それに笑いそうになりながら、心配性な父親を安心させるために娘に一つ訊ねた。
「ここ、昔はパパが使ってた部屋だけど良い?」
その問いに返ってきたのは、少しの躊躇もない満面の笑みだった。
「全然良い! ありがとパパ!」
いつもはなかなかパパって呼ばないくせに、なんて言うのは意地悪かな。
なにもない部屋の真ん中で嬉しそうに飛び跳ねるお嬢さんの機嫌を損ねるのも良くないので、余計なことは言わずにおいた。隣のパパも同意見のようで、なにも言わずにその様子を笑顔で見つめている。
「ベッドと、あと机が来るから何処に置くか考えといてね」
「もう決めた! ここにベッド置いて、ここに机!」
そう言って娘が指した場所は、ノクトが使ってた頃にベッドと机が置かれていたのとそっくりそのまま同じ場所だ。
こらえきれずに笑ってしまう俺に、エステルが不思議そうな顔をする。
「ごめんごめん、パパが置いてたのと同じ場所だから」
つい正直に答えると、エステルは少し頬を赤らめて拗ねたように唇を尖らせる。
「こ、この部屋の形なら誰だってそうなるもん」
照れ隠しなのか備え付けのクローゼットをパカパカと開け締めしながら告げる娘を前に、パパはといえば持ち上がりそうな口角をごまかすのに必死みたいだ。でももう限界が近そう、無意味に咳払いなんかを始めてる。
そんなノクトに助け舟を出すように、インターホンが鳴った。
すぐに動いたノクトがディスプレイを見て、ベッドが来たみたいだと告げる。
その一言に機嫌を直したエステルは、早速部屋を飛び出して玄関の前で待機し始めた。置く場所を自分で指示したいんだろう。
一緒に待っていると五分も経たずに業者の人たちが来た。色んな人に助けられて育ったせいか人見知りをしない娘は、元気よく挨拶をしてすぐにベッドを置いてほしい場所をテキパキと告げる。
あまり固まっていても邪魔なのでノクトと二人、リビングの入口から様子を見守ることにする。
エステルが選んだ可愛らしいデザインのベッドが運ばれていくのを見ていると、ふいに肩に手が置かれた。隣を見れば、相変わらず嬉しそうな顔をしたノクトがこっちを見ていた。
どうしたのと小さく訊ねれば、ノクトはゆっくりと俺の腕を撫でて抱き寄せてくる。
「いや、またここでお前と暮らせるって思ってなかったから、嬉しくてな……感無量ってやつ?」
あは、と思わず笑い声が漏れてしまう。昔に比べてノクトはなんでも正直に言葉にするようになった気がする。
俺の笑い声に気付いたのか、廊下に出ていた娘と目が合った。
父親によく似た青い目が細くなって、父親とよく似た笑顔になるのが見えた。