春宵一刻<友尚編>
露台に出ると一面の星空だった。冷たい風が頬をなぶる。阿選は一つ息をついた。背後では宴会の喧騒が続いている。
特に誰にも言うことなく抜けてきたが、あの様子では碌に気付く者もいないだろう。
阿選は苦笑する。禁軍右軍は品行の良いことで知られた軍隊だったが、誰に迷惑をかけることもないのであればこういうことがあっても良いだろう。
夜気が酒精で火照った体を冷やしていく。襟に手をやって寛げると、胸元に風が入って心地よい。
露台の欄干の角には松明が灯されて、時折火の粉を散らしている。明かりの届きにくいところを選んで、欄干に近寄った。
宴会は嫌いではない。麾下は気が良い者ばかりで信頼がおけるし、度を過ぎるということはないから心配もしていない。
ただ時折、無性に息が詰まるような気がする。理由は分からない。
──働きすぎ、か。
麾下に言われることがある。阿選は何事においても根回しや周旋を欠かすことがない。ゆえに一つの物事を解決するのに手数が多くなる。これを政治的な才覚だとか、阿っているだとか揶揄されることもある。
人でも物でも何かを動かせば摩擦が起こる。その摩擦を最小限にする。せずにはいられない、だからこれは阿選の気質なのだと思う。
露台から見下ろせば吊るされた灯りの元、活気づいた往来があった。夜は更けても鴻基の繁華街は眠らない。氷に閉ざされた冬は終わり、短い春が巡っている。雪解けを待ち望んでいた木々の芽が一斉に顔を出し、草花の蕾は綻び、凍てつく寒気に扉を閉ざしていた人々は往来に飛び出す。そういう季節だった。
それは軍隊も同じだ。ずっと耐え続けるには、戴の冬は長すぎる。だから阿選は、この時期の部下の多少の無礼講は許すことにしている。
夜風が吹いて、阿選の首元の熱を奪っていく。そろそろ戻ろうか。
思って、後ろを振り返ると人影があった。阿選は目を見開く。松明の灯りで友尚と知れた。
「阿選様、御無礼を」
友尚が焦ったように言う。振り向くまで誰だか分からなかったのだろう。
阿選は苦笑する。
「驚かせたようで済まないな」
「いえ……」
友尚は困ったように視線を逸した。友尚の戸惑いを察し、阿選は襟元を正す。
「涼んでいた。お前もか?」
「はい」
「そうか。私は戻るが、お前はゆっくりしていくといい」
「いえ。戻ります」
律儀についてくる麾下の気配を背後に感じながら、阿選は再び宴席に戻っていった。
<驍宗編>
露台には風が吹いていた。欄干の四隅に立てられた松明が、風に煽られて時折火の粉を散らす。
酒精が回って体が熱かった。多少頭を冷やしたくて、驍宗は宴席を抜けて露台に出てきた。
月の明るい夜だった。露台には先客がいた。松明の灯りの作る輪から外れるようにして、阿選が欄干に手をついている。下の往来でも見ているのか、驍宗には気がつかない。
どこかしら危ういものを感じて、驍宗は阿選に忍び寄った。
驍宗と阿選は禁軍の左右将軍、共に有能で武勇も同格、双璧とも竜虎とも呼ばれる。二人の対立を煽る者も多かったが、驍宗は阿選が嫌いではなかった。むしろその逆で、親しみさえ感じていた。
阿選は頭が切れ、親切だった。一を言えば十伝わる。驍宗は誤解されやすい。傲慢であるとか強引であるとか、驍宗を貶す言葉は枚挙に暇がない。だから言ったことをそのまま受け止めてくれる阿選と話すのは気が楽だった。
近づくと、阿選が襟元を寛げているのが分かった。珍しい、と思う。白い首が目に入った。
不意に阿選が振り返る。驍宗は驚いたが、阿選もまた驚いていた。
「驍宗」
阿選が呼ぶので驍宗は笑う。
「済まない。驚かせた」
いや、と阿選は苦笑して襟を直す。驍宗は視線を往来に遣った。
「涼みに来たんだが、先客がいたな」
「ああ。中はまだ?」
「盛り上がってるな」
兵卒の数は膨大だが、軍人の世界は狭い。配属先が別れても元は同じ部隊の中にいたりしたこともあるから、士卒は皆、多かれ少なかれ旧知の仲だ。
「お前が抜けて大丈夫なのか」
「まあ、……なんとかするだろう」
驍宗が応じると阿選はくつくつと笑う。
「お前のところは癖が強いのが多いな」
「否定はできないな。主公に似るとか本人たちは言っているが」
「成程、ありそうな話だ」
驍宗は阿選と顔を見合わせて笑った。
ふと夜風が吹き過ぎて松明が揺れる。どこからか運ばれてきたのか、二人の間を薄紅色の花弁が通って、往来に向かって落ちていった。