イラストを魅せる。護る。究極のイラストSNS。

GALLERIA[ギャレリア]は創作活動を支援する豊富な機能を揃えた創作SNSです。

  • 1 / 1
    しおり
    1 / 1
    しおり
    腐り堕ちる睡蓮 驍宗が六寝に踏み込んだ時、それは既に行われた後だった。
     燕寝は閑散としていた。傀儡ばかりなのは聞いていた通りだが、その傀儡も碌な指示を受けていないのか、驍宗達を見ても何の反応もしなかった。相手をするのも無意味なのでそのままにしておいた。
     ──これだけの、数を。
     素通りしていく傀儡の中には驍宗の見知った顔も多かった。一様に虚ろな目をして木偶のようになった彼らの処遇も、決めねばならない。
     後正寝に阿選の姿はなかった。使われた形跡すらない。以前、泰麒が忍び込んだ時に阿選と会ったという小寝を目指す。
     小寝に人気はなかった。あれほどすれ違った傀儡も見当たらない。不審に思いながら警戒を怠らずに進む。
     泰麒が阿選に会ったという小寝の一郭、玄威殿の扉を開く前に麾下を見た。視線で霜元らが頷く。罠の可能性がある。
     扉に手をかけた。蝶番が軋む音がする。戸の隙間から風が吹いてきていた。
     房室の中は静かだった。忍んだはずの驍宗達の跫音さえ聞こえた。漏窓の玻璃は開いていた。窓辺に寄せた榻に阿選が横たわっている。
     駆け寄ろうとする麾下を手で押し留めた。驍宗はそのまま阿選に歩み寄る。阿選の胸が上下していて、生きていることに気が付いた。
     ──阿選はそのまま目を覚ますことなく、これまで眠り続けている。

     鴻基に雪が降っている。雲海は薄墨を流したように暗い色をして厚く、地上を見るに能わない。燕朝の寒さは鴻基の街に比べるべくもないが、それでも日が落ちると刺すような寒さが肺に満ちる。
     夜更けに路寝に帰ると、そこはもう炉に火が入れられて暖かい。驍宗は寝る支度を整え、奚を下がらせて手燭だけを持って燕寝に向かう。
     燕寝は現在、基本的には閉ざされているが一部驍宗の命によって開けられているところがあった。玄威殿に足を踏み入れると、やはり暖かかった。
     阿選はそこで横たわったまま、眠り続けている。年が明けても阿選は目を覚まさなかった。
     眠り続ける阿選の処分について、臣下でも意見が割れた。起きたところで殺刑になるのだからそのまま首を刎ねてしまえという声と、眠ったまま殺してしまうのは道義的に問題があるのではないか、という声。議論は常に前者が優勢だった。道義に則り裁かれるには、阿選はあまりに多くの罪を重ねすぎた。また、阿選は仙だ。飲まず食わずでも死ぬことはなく、病気にもならない。眠り続けていても理論上は永久に生きることができるという事実も、殺刑を主張する声の後押しをした。
     眠り続けている理由については判然としなかった。驍宗が彼を見つけたとき榻の足元に破られた呪符が落ちていたから、何かの妖魔の力によって眠らされている可能性があった。
     琅燦はあれきり行方が知れない。泰麒が白圭宮に戻ってから大僕となった耶利もそのような妖魔に覚えがないという。
    「勿論、私が知っている妖魔が全てではない」
     耶利はそう言って肩を竦めた。
    「どんな妖魔か分からない以上、なぜ眠っているのか、どうしたら目を覚ますのかも私には分からない。琅燦殿なら分かるのかもしれないが」
     驍宗は阿選の処分を保留とした。公的には討ったということで問題なかろうと思った。驍宗は、このまま何も話すことなく阿選を殺してしまうことに躊躇いがあった。
     阿選の身柄をどう扱うかの議論も難航を極めた。阿選の刑罰は定まっていない。刑罰の定まらない罪人は、拘制に処された罪人と共に軍営内にある囹圄に捕らえられる決まりだ。
     しかし阿選の身柄を囹圄に留め置けば、早晩騒ぎが起きることは目に見えた。阿選を討とうとする者、阿選を逃がそうとする者、どちらも士卒から現れる可能性があった。
     阿選の乱の平定のために禁軍は相当に数を減らしている。戴は元より騒擾が多く常時黒備が必要とされるが、再編成されたばかりの禁軍では白備にも届かない。阿選の警護に人員を裂けるはずもない。
     最も安全なのは驍宗か泰麒、どちらかの保護下に置くことだった。驍宗は阿選の身柄を六寝に留めることにした。
     驍宗は阿選の枕元にある床几に手燭を置いた。榻のままでは忍びなかったので臥牀を運ばせ、そこに阿選を寝かせた。
     阿選はこそりとも音を立てずに眠り続けている。灯りは驍宗の持ってきた手燭と、申し訳ばかりに隅に灯された燭台のみだった。
     いつ頃からか、驍宗はここに来て眠る阿選に話しかけるようになった。当然ながら返答はない。返事を期待してのことではなかった。
     その日にあったこと、今頭を悩ませていること、報告のような、相談のような、あるいはそのどちらでもあるような気がした。
     驕王の治世下で、相談があると驍宗と阿選は互いの府邸を行き来することがあった。禁軍の左右で双璧と呼ばれ、武勇も同格、気安さもあったし、話が通じる安心感もあった。──阿選も同じなのだと、思い込んでいた。
     話し終えると、驍宗は息をついた。そもそも長くかかる話でもない。手燭の灯りに照らされた阿選の顔は静かに眠り続けている。
     阿選がどのような原因で眠っているのかが分からない。だから、これからも眠り続けているのかも分からない。ある夜、驍宗が訪ねてきたときには息を引き取っていたとしても不思議ではない。
     驍宗は阿選の枕元の床几に手をついた。阿選の顔を見下ろす。通った鼻梁、切れ長の目に薄い唇。
     ──こんな顔をした男だったのか。
     驍宗はそのまま屈んで、阿選の額に顔を寄せた。微かな呼吸音と、うっすらと頬に伝わる体温に安堵する。
     驍宗は床几の上の手燭を取り上げた。房室の隅に灯された燭台を吹き消して玄威殿を出る。明日も、その翌日も、同じようにここに来ることを期待している自分がいることに、自嘲したいような気がした。
     玄威殿の中は冷たい空気が漂っていた。
     幾度かの冬が過ぎ、春が過ぎた。驍宗の王朝が安定するにつれ阿選の乱を知る者は一人欠け、二人欠け、やがて殆どの者が下野していった。辞めていく者の顔はどれも晴れやかで、仙籍を離れた彼らが生きているはずもない時間が経っても懐かしく思い出す。
     かつて驍宗と双璧と謳われた将としての阿選を覚えている者は既に朝にいない。阿選に残されたのは、王朝の走り始めに大逆を企てた大罪人としての名だけだ。
     燭台は房室の隅に一つだけ、火を灯す奄奚もここに眠る男が誰なのかは知らないだろう。
     驍宗は普段と同様に、横たわる阿選の頭上にある床几に手燭を置いた。換気のためか、漏窓は少し開いている。そこから夜風が入ってきていた。
     驍宗は椅子に座り、ぽつぽつと今日あったことを語り始める。阿選に聞かせるつもりというよりも、習慣に近かった。
     短い話を終えると、驍宗は立ち上がった。不意に突風が吹き、漏窓が押し開かれる。床几の上の手燭が揺れて阿選の側に傾いた。驍宗は枕元に駆け寄ると手燭を抑え、阿選の頭を庇って胸に抱き寄せた。瞬間、驍宗は甘い香りを嗅いだ。
     何かが腐っている匂いだ。花が花弁の端から茶色く崩れて萎れていくときの香りに似ている。
     驍宗は目を見開いた。抱えた阿選の頭に顔を近付ける。ここではない。
     驍宗は阿選の唇に鼻を寄せる。近くはなったが、違う。阿選の頤を持ち上げ、顎の下を嗅ぐ。鼻先で首筋、喉仏と辿った。驍宗は片手で阿選の小衫の袷を開いた。白い鎖骨が現れるが、ここでもない。衿を更に広げ、阿選の肩峰に鼻を近づける。違う。
     露わになった阿選の胸元には幾つか傷が治癒した瘢痕があり、一瞬、阿選もまた兵卒であった事実を思い出した。驍宗は臥牀に手をつき、阿選の胸を嗅ぐ。そのまま鳩尾に鼻を寄せ、滑らかな腹部に近付く。匂いが近くなってきている。上腹部を嗅ぎ、臍部を過ぎたときだった。甘ったるい匂いが鼻をついた。──屍臭だ。
     阿選は、内臓から腐り落ちていこうとしているのだ。
     驍宗は阿選の顔を見上げる。阿選は静かに寝息を立てていた。
     阿選の呼吸と共に上下する腹部に、驍宗は掌を当てる。触れると強く屍臭が香った。
     ──永久に眠り続けているものと思っていた。
     驍宗は苦く笑う。阿選が眠り続ける原因は分からない。分からない以上、いつ死ぬのかも判然としない。それは明日かもしれないし、遥か先かもしれない。理解はしていたはずだった。
     阿選に触れている掌から体温が伝わる。その肌の間で温められた屍臭が滲み出して、噎せ返るような甘い香りが驍宗を包んでいた。
    ユバ Link Message Mute
    2020/05/24 9:25:16

    腐り堕ちる睡蓮

    永久に眠り続ける阿選に話しかける驍宗の話 #十二国記 #白銀の墟_玄の月 #阿選 #驍宗

    more...
    作者が共有を許可していません Love ステキと思ったらハートを送ろう!ログイン不要です。ログインするとハートをカスタマイズできます。
    200 reply
    転載
    NG
    クレジット非表示
    NG
    商用利用
    NG
    改変
    NG
    ライセンス改変
    NG
    保存閲覧
    NG
    URLの共有
    NG
    模写・トレース
    NG
  • CONNECT この作品とコネクトしている作品