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    あのころ、笑顔もひとつの武器だった 阿選は驍宗と顔を突き合わせて悩んでいた。
    「どうあっても足りないな……」
     阿選が呟くと、驍宗も頷く。
    「これはもう融通が利く範囲ではないだろう」
    「ああ」
     阿選は書面を見下ろし、嘆息した。
     戴は冬は厳しく雪深く、それだけでもある種の災害ですらあるのに、雪に降り込められている間は雪崩、鉱山の崩落、春が近付けば地滑りや山崩れの危険性が増す。巻き込まれる里廬があるのも必定で、州師で手が足りなければ王師が派遣される。元より波乱が多い国でもあり、禁軍は常に多忙だった。
     軍隊は維持するだけで金がかかる。黒備で一軍一万二五百の兵、彼らに家族があればその家族をも養わねばならない。有事に軍費が嵩むのは当然だが、兵の質を保っておくためには平時の給金が大切だった。
     平時に士卒を蔑ろにすると士気が下がるだけでは済まない。軍隊では、平時にあっても有事への備えを欠かすことができない。いつ出撃の命令が下るかが分からないから、常に戦場に出ることができるように鍛錬を積まねばならない。その上、兵士は戦場に出れば命は知れない。だからというわけでもないだろうが、刹那的な感情に囚われやすい傾向があった。
     兵士はそれなりの給金を与えて養わねば、中には博奕などで身を持ち崩したり、禁軍の名を笠に着て悪事に手を染める者が出る。訓練を受けた士卒はそのへんの匪賊よりもよほど腕が立つだけに、十分な給金で報いてやりながら規律と責任で縛ることが必要だった。
     しかし、今の戴の王は文治の王だ。軍隊の機微が分からず、有事において俸給を出せばいいと思っている。
     これでは軍隊が立ち行かない。阿選もたびたび奏上したが、なかなか理解してはもらえない。理をもって説明できることではないだけに、得てして文官の意見が通って却下されてしまうことが多かった。
     さらに、この数年は軍費の削減が進んでいる。王は、いささか奢侈に傾くきらいはあったが、堅実な治世を敷いており、登用する人物も概ね秀でていることが多かったが、稀に周囲の足を掬い、引きずり下ろすしか能のないような愚物が、時流に乗って浮かび上がることがある。それが現在の冢宰であり、その取り巻きでもあった。
     彼らは、自分たち以外の連中、とりわけ軍人が朝で権力を持つのを嫌う。この軍費の削減もその一環であろうと、阿選は予想していた。
     だから王師の将軍、師帥などは自分の俸禄や、所領で得られるものの中から、麾下の兵士に与える足しにしている。阿選や驍宗でもそうだ。なかば慣習となったそれらをもってしても、現在の禁軍は逼迫していた。
    「さて、どうする」
     阿選は書面から視線を上げて驍宗を見る。
    「奏上はもう難しいな」
    「だと思う」
     驍宗は怜悧な面に厳しい表情を浮かべる。そうしていると驍宗はこちらの肌がひりつくような覇気を発するのだが、阿選は苦笑してそれを受けた。
     今日、禁軍の左軍、右軍、中軍の三将軍が揃って御前に参上し、禁軍の窮乏を訴えたのだが、王に退けられたばかりだった。そこで驍宗は冢宰とやり合い、夏官長大司馬が謝罪する一幕まであった。
     こうなれば、冢宰は意地でも禁軍の要求を通すまい。だが、士官が所領から上がってくるものを融通する限界は越えている。
     今は秋だが、いずれ降雪があり、冬が来る。冬の行軍はとかく入用だから、秋の内に相応の装備を整えておくべきなのだが、それすらも手元の資金では心許ない。
     阿選は少し考えてから言った。
    「……驍宗」
    「うん」
     驍宗は視線を上げる。阿選は微笑んだ。
    「考えがあるのだが、聞いてくれるか」

     翌日、驍宗に出撃の命が下った。しかし、普段であれば勇んで出撃するはずの左軍がなかなか鴻基を出ない。驍宗の性急な性質からすれば珍しく、宣旨が下ってから三日経っても先陣が鴻基を動く気配がないため、再び驍宗は御前に召された。
     驍宗は王の前で平伏した上で、こう言った。
    「出撃のための準備が整っておりません」
    「では準備が整い次第、出発せよ」
    「もちろんです」
     驍宗は王の言葉に頷いた。
     そのまま二日経った。左軍はまた鴻基を出発していない。驍宗が再び召された。
    「なぜ、出発しない」
     御前には冢宰も同席していた。以前のことがあるから、詰問のように驍宗に訊く。
    「準備が整っておりません」
     驍宗は平然と答える。冢宰は苛立った声を上げた。
    「答えになっておらぬであろう」
    「事実でございます」
    「そのような言い訳が通ると思うのか」
     驍宗は顔を上げ、冢宰を見据える。冢宰はその覇気に怯んだように後ずさった。
    「言い訳とお言いか。私もずいぶんと軽く見られたものだ」
     驍宗は低く呟き、言葉を続ける。
    「出撃するため戈剣や甲器など、一万二五百の兵に十分に行き渡るだけのものがございませぬ」
    「何も皆に冬器が必要なわけではあるまい。訓練用の武具でもなんでもいいだろう」
    「訓練用のものは刃を潰してございます。甲器も代々の使い古しで、実践に耐えられるものではございませぬ」
    「では、新しいものを調達すればいい」
    「ですから、調達している最中でございます」
     驍宗は淡々と冢宰の言葉に応えた。王は玉座の上から二人の会話を見下ろし、困惑したように言った。
    「驍宗。準備が整えば出発するのだな」
     驍宗は平伏した。
    「はい。ただちに」
     それから二日経った。左軍はいまだに鴻基にある。驍宗の処罰を要求する冢宰を、王は宥め、阿選を呼ぶように命じた。
     御前への召喚を告げる下官を見ながら、阿選はほくそ笑む。阿選の計略通りだった。
     阿選は身支度を整えて府第を出た。ここからが肝要だった。

     阿選は平伏して王の言葉を待った。
    「顔を上げよ」
    「は」
     阿選は玉座を見上げる。
    「なぜ驍宗は出撃しないのか、阿選は聞いておらぬか」
     阿選は微苦笑を浮かべ、首を振った。
    「さあ。私にはなんとも。驍宗はどのように申し上げているのでしょう」
    「準備が整っておらぬからと」
     王は弱り切ったように溜息をついた。
    「準備と言われても、私には戦向きのことは分からぬ。お前であれば分かるかと思うのだが」
    「驍宗の反抗でございましょう」
     冢宰が吐き捨てるように言った。王の前で驍宗に面罵されたことを根に持っているらしい、と思い、阿選は内心で苦笑した。
    「準備が整わぬ、というのは事実でございましょう」
     阿選はそう言って、王を仰いだ。
    「戈剣や甲器のみならず、派兵は入用でございます。兵站は確保してあっても、行軍の途中で何かの事情で途絶えるかもしれません。飢えた兵では使い物になりませんから、最低限の補給は携行することになっております。それらも含めての、準備が整っておらぬ、ということでしょう」
    「宣旨が下ってから準備するようでは遅いのだ」
     冢宰は忌々しそうに言う。阿選は微笑んで冢宰を見た。
    「以前より、禁軍の軍費が足りぬと奏上申し上げておりましたが、覚えておいででしょうか」
     覚えているも何も、先日、御前で冢宰と驍宗が揉めたばかりだ。冢宰はそのときのことを思い出したのか、顔を顰める。
    「出撃にあたり、左軍には軍費が下されている。まさかそれで足りぬというわけではあるまい」
    「足りませんでしょう」
     阿選はあっさりと言った。
    「なに」
    「戈剣や甲器の整備、調達は平時の仕事、補給の準備も平時に為すべきことです。にも関わらず、それをいま行っているのは平時にするだけの軍費が足りないからです。宣旨を受けてから軍費が下り、ようやくそれらに取り掛かれるようでは、どう考えても足りません。その上、準備が遅いと詰られたのでは驍宗もたまりませんでしょう」
     阿選は苦笑し、冢宰を始めとした官吏を見渡す。
    「我ら王師が金食い虫と呼ばれていることは存じ上げておりますが、一軍一万二五百の兵士をいつでも使える状態に保っておくには、それなりの資金が必要だということです」
    「そもそも王師は多すぎるのだ」
     居並ぶ官吏の中から呆れたような声が上がり、阿選はさらに苦笑した。
    「王師六軍、黒備でなべて七万五千。これを多いとされますか。では、どの程度が適正だと?」
    「……何もすべてを黒備で揃えずとも、瑞州師は減らせるのでは」
    「なるほど」
     阿選は笑みを浮かべる。
    「例えば、瑞州師三軍を黄備とするとしましょう。現在の黒備三万七千五百から、一万二千を減じて瑞州師は二万二千五百の兵力となります。……ではここで、余州で乱があったらどうなりましょうね。その賊が、城を手にしたとしたら?」
     冢宰を含め、文官がざわつくのを尻目に、阿選は淡々と続ける。
    「一般に、城を確実に落とすに相手方の三倍以上の兵力が必要になります。もちろんこれは練度の高い兵を双方が有していたらという仮定の話になりますが、堅固な隔壁と城壁を備えた城を持っているというのはそれだけ強いのです。余州は白備、ないし黄備であることが多いのですが、黄備で揃えていた場合、そのうち一万の兵士を使える将が隙をついて城を掠め取ってしまえば、この時点で州師は一万二千五百にまで兵力を削がれます。こうなると到底州師の手に負えませんから、王師の助けが必要になるでしょう」
     戦にはどこまでも冷徹な数の論理が付きまとう。阿選は定石を崩して功を上げたこともあるが、そもそも奇跡的な勝利というものは存在しない。阿選は不敗だったが、単に相手より多く思考し、戦況を深くまで読んでいるだけのことだ。
    「定石通りの城攻めを行うとして、瑞州師三軍を乱の平定のために出すとしましょう。鴻基にはこの時点で、禁軍の黒備三軍のみが残っている計算になります。それではここで、別の州で同様の乱が起きたら?」
    「それは……」
     冢宰が口ごもるのを見て、阿選は笑う。
    「二軍を出せば鴻基に残るのは一軍一万二千五百。つまり、三万の兵が手元にあれば鴻基を落とせる、と考える者もいるでしょうね。……あくまでも仮定の話でございますが」
     言葉の途中から、さっと冢宰の顔色が変わる。自分の足元に火がつく段階を丁寧に説明されないことには、想像力が働かず、危機感も沸かないものらしい。
     一万二五百に対して三万の兵力があれば、鴻基を落とすことは可能だ。少なくとも、阿選か、あるいは驍宗であれば落とせるだろう、という確信が阿選にはあった。
     落ち着かない冢宰や官吏を眺め渡し、阿選は駄目押しのように微笑んだ。
    「鴻基と王宮を守るためだけでも最低で黒備二軍が必要です。少なくともそれだけあれば、敵を撃退できます。元より戴には災害や波乱が多い以上、王師六軍は黒備で揃えておくべきでしょう。さらに兵の質や士気を高く保っておくなら、平時の扱いも肝心です。平時に蔑ろにされた兵に忠誠心など期待できず、土壇場になって脱走が増えかねませんから」

     暗くなった漏窓を背に、阿選は叔容らの作った草案から視線を上げると静かに頷いた。
     叔容は部下の恵棟とともに胸を撫で下ろす。本来仕事を終えるはずの時刻はすでに過ぎていて、右軍府でも残っている軍吏は多くない。
     少し前、軍司である叔容は主公から「王師六軍が平時から十分に訓練し、王命が下り次第すぐに出発できるだけの軍費の試算をせよ」と命じられていた。叔容は面食らったものの、これを元に王に奏上するのかと思い、部下とともに適正な軍費の計算に励んでいたのだが、つい二日前に臨時の軍費が下りることになり、右軍府がその勅命の草案を作ることになった。阿選はそうなることを分かっていて、叔容らに試算をさせていたのだと思う。
     同じ頃、出撃を命じられたものの鴻基に留まっていた左軍にも追加の軍費が下り、驍宗はそれを持って直ちに行軍の準備を整えて出発した。
     つまり阿選は、驍宗と計り、禁軍の軍費の不足を補うために芝居を打ってみせたのだ。
    「それにしても、あの驍宗殿がよく七日間も鴻基に留まっていられたものですね」
     恵棟が苦笑して言う。
     この計略は、いっかな出撃しない驍宗に王や冢宰が焦れて阿選に泣きつかねば成立しない。性急な質の驍宗にしてみれば、この七日間は長かったことだろう。
     阿選は恵棟の言葉に笑い、抽斗から小さな紙を出してみせた。
    「一ヶ月はかかる行軍を半分の期間で済ませるくらいの覚悟でいてくれ、とは最初から言ってあったが、……今朝、驍宗から青鳥が届いた。あの男は、半分どころか三分の一の期間で行軍するつもりのようだ」
    「そんなことが可能なのですか」
     叔容が目を瞠ると、阿選は愉快そうに言った。
    「可能な連中であらかじめ先陣を組んでおいたということだろう。追加の軍費も下されたことだし、単純な士気も高い。難なく勝って帰ってくるだろうな」
     面白そうに笑う主公に、叔容は思う。
     元より、驍宗は奔馬のような男だ。容易に人に馴れないし、人が乗りこなすことも不可能な驍宗に、唯一、手綱をかけることができるとしたら阿選のみと言って良かったが、阿選自身にその自覚が薄いらしい。
    「主上が禁軍のなんたるかを分かっておられるとは思えないが、軍費の予算の立案に、王師は常に黒備で揃えるという勅許も得た。お前たちも多少は楽になるだろう」
     王にはそもそも軍隊の機微が分からない。奏上し、説得を試みても六官長である冢宰の段階で止められてしまえば十分な軍費は望めず、最近は満足な軍備を整えることもままならなかった。幕僚は本来、将のために作戦の立案などを行うのが主な仕事だが、この数年は満足に下りてこない軍費のために軍全体が汲々とし、軍費を配分する幕僚が恨まれ役になってしまうことが多かった。
    「ありがとうございます。少々安心いたしました」
     小さく息を吐く叔容を、阿選は気遣うように見る。
    「苦労をかける」
    「とんでもない」
     叔容が手を振って否定すると、阿選は微苦笑をこぼした。
    「二人とも、遅くまでご苦労だったな。草案は明日の朝に提出する。今日はもう帰ろう」
     阿選はそう言って、草案の束を軽く掌で整え書卓に閉まった。
    「はい」
     阿選が書卓の上の手燭を吹き消して、叔容と恵棟もそれぞれ四隅に灯された燭台を消す。残る灯りが框窓の近くの燭台だけになったとき、漏窓の外の光に叔容は気が付いた。
     阿選が漏窓を振り返る。漏窓を透かして明るい半月が見えた。上弦の月だった。
    「いい月だな」
     主公の言葉に叔容は微笑む。そういえば、と恵棟が言った。
    「今日は重陽でしたね。……でも」
     恵棟が言い淀むのに、阿選は苦笑する。
    「節句の行事はあっただろうが、今年は呼ばれていないな」
     重陽の節句では、須臾の枝を提げて、菊酒を飲むという典雅な宮中行事がある。普通、朝に仕える高官は呼ばれるものだが、阿選は今日一日、右軍府に詰めていたはずだ。
     なぜだろうと叔容が訝しんでいると、遠慮がちに恵棟が言う。
    「……冢宰の差し金でしょうか」
    「おそらくな」
     阿選は漏窓に近づく。金色の光が、阿選の冷ややかな笑顔を彩った。
    「くだらない嫌がらせだ。本格的に朝から軍人を弾き出すつもりでいるのだろう。……私たち抜きでどれほど政ができるか、見ものだな。いずれまた泣きついてくる」
     冢宰やその取り巻きは所詮、信念も矜持も持たない、小賢しいだけの小悪党だ。己の権力を拡大すること、権勢でもって国の財を掠め取り、私利私欲を満たすことにしか興味がない。はなから政の手腕など期待できない。
     実際、阿選と驍宗、その麾下たちの働きがなければ、政は立ち行かないはずだった。
    「……そこまで計算づくですか」
     叔容は主公に向かって苦笑する。阿選は叔容を振り返って笑った。
    「考えていなかったか、といえば嘘になる。正直、ここまでうまく運ぶとは思っていなかったが」
     禁軍の左右の竜虎として、驍宗と阿選は並び称される。血の気が多くすぐに剣を抜きかねない驍宗に対し、叔容の主である阿選は穏和であると言われることが多かったが、驍宗とは表れ方が違うだけで、阿選も好戦的ではあるのだろうと思う。
    「そうなると、我々は禁軍内の職務のみに当たればいいわけですね」
     恵棟が笑いを噛み殺して言った。阿選はあっさりと答える。
    「そうなるな。今までを思えば、しばらく暇を持て余すかもしれない」
     叔容は思わず笑った。禁軍内の本来の職務だけでも、幕僚の仕事は膨大になるのだが、これまでは明らかに禁軍の職掌の範囲でない仕事もしていたから、余裕ができるのは確かだろう。
    「我々抜きでいつまで持つか、ですね」
    「さすがに七日間くらいは持つのじゃないか」
     阿選は笑いながら漏窓を離れる。阿選と叔容が正庁を出ていき、恵棟が框窓の燭台を吹き消したあとは、漏窓を透かした半月だけが残っていた。
    ユバ Link Message Mute
    2020/08/02 10:00:55

    あのころ、笑顔もひとつの武器だった

    驕王治世下、冷遇されて財政難に陥った王師のために、阿選と驍宗が共謀して予算をぶんどる話。

    2020/8/10(鳩の日)に開催予定のWEBイベント「エア阿選オンリー」前のカウントダウン企画で書いたもの。

    エア阿選オンリーの詳細はこちらへ
    https://note.com/ea_asen_only/n/n1cbee72e6da1 #十二国記 #白銀の墟_玄の月 #阿選 #驍宗

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