不完全な物語 子犬を飼ってみたけれど、育て方が分からない。
望遠鏡を買ってみたけれど、使い方が分からない。
だから子犬も望遠鏡も捨てた。
誰かと一緒なら、育て方も使い方も知ることが出来たかもしれない。
混沌は消え去り、無機質な調和を取り戻した世界で、今日も人々は生活を送っている。
それでもあの日の異様な光景を英雄伝として密やかに語る人間は何人かいて、地位向上を目指す者にとっては恰好の密告の的となり、すぐにロボットが派遣された。「どうしてみんな平気な顔して黙ってるんだ! みんなだって気色悪いタワーの周りで起きた騒動を知ってるだろ!?」と喚き散らしながら引きずられていく造反者を、他の住人は見て見ぬふりでやり過ごす。その些細なごたごたもしばらく経つと落ち着いた。密告した者は信用度が高まり、やがて人間の手を一つ借りたいスクラップ工場で働き始めた。さて、次はいつまで保つだろうか。
町のあちこちに取りつけた監視カメラから映し出される全てのモニターは、この世界の創造主の居室に揃っている。統治者と呼ぶ身分にしては案外殺風景で、無数のモニターを眺めるに丁度良い位置に玉座がある。きらきらと輝いて見栄えは良いけれど、何だか安っぽい、ドールハウスの家具のようなプラスチック製の椅子。それが広い広い部屋に一つだけ。
統治者である馬場は椅子に浅く座りながらぼんやりとモニターに目を向けていた。図書館で無難な本を読む人。公衆食堂で静かに食事を頂く人。セミナーで神通力を受ける人。代わり映えの無い営み。人々があまりにも真顔だから、時折全ての住人がロボットに見える。人間とロボットの境目はどこにあるのだろう。
けれど、これだけは分かる。どのモニターに視線を移しても、町を探索する彼らはもういないということ。その事実を一番知っているのは自分のくせに、未だに探してしまう。おかしな話だ。
ふと鼓膜を舐めるような不協和音が脳裏に流れた瞬間、馬場は立ち上がった。語の意味を成さない粘着く声で神が囁いている。居室から出た彼の足取りはどこかふらふと不安定だ。高揚と不安が綯い交ぜという、不思議な感覚。
何だか子供の頃を思い出す。普段構ってくれない親が誕生日プレゼントだと言って与えてくれた、玩具のロボットに電池を取りつけた時だ。所々傷があり、包装も説明書も無く、中古品だということはすぐに分かった。こんなちっぽけなものが本当に動くのだろうかと思いながら電源をオンにした、あの時のこと。
――起動したロボットが途端にこちらを認識し、「やあ!」とにっこり笑って片手を挙げてくれた。そして、小さな手と小さな指でハイタッチをした。
懐古しながら命令通りに働くロボット達とすれ違い、辿り着いたのはタワーの一角に設けた特別な部屋の一つ。ドアプレートには「ガラクタの街」と札がかかっている。躊躇わずに開けた。無味の廊下から一歩足を踏み入れれば、がらりと色付いた。壁の中で淀んだ川が流れている。橙色に染まる天井は美しく、寂しかった。昼は終わり、夜が始まろうとする時間帯。けれど、ここには永遠の夕暮れがある。
ドアプレートに記されているように、室内にはガラクタが散乱していた。それも不自然なまでに完璧なガラクタが山積みにされている。散らばっているのは、例えば何気無くうろついて町の片隅で視界の端に過る、大人達から忘れ去られてしまった物ばかり。
夕色に染まった草むらが茂る床を馬場は進む。丁寧に仕立てられた裾の長い黒衣が汚れるのも構わない。ざりざりと釘を踏んだり、がたんと一斗缶にぶつかったり、破けた雑誌で足を滑らせかけたりした。けれど気にせず赤い三角コーンのいくつかを目印にして辿り、車輪が緩む猫車と積み重ねられたタイヤの隙間を抜け、横たわる埃っぽい土管の向こうへと越えた。そこにはへこみはあるものの、しっかりと立つドラム缶があった。元から赤茶色だった上に、大方錆びてしまって鉄臭いドラム缶。そして、それを背もたれにして一体のロボットが締まり無く座り込んでいる。
見るからに非対称のパーツとちぐはぐな色合いが不気味で、落とし切れなかったオイルは至る所にこびりつく。修復不可能だからスクラップにされたのだろうに、それを無理矢理繋ぎ合わせたと言わんばかりの不細工なロボット。それは、かつて二人の異なる形をしていた。狗凱と羊田という名前の、人間の男と女だった。
「出来た……!」
馬場は駆け寄り、声を弾ませる。神の知識は無限大だ。初めての試みだったので手間取ったし、見栄えも酷いが、二つのロボットを一つに結合出来たらしい。とは言えベースは緑色の機体を持つ狗凱で、損傷が激しい部分をもぎ取って羊田のパーツに入れ替えた。しかし羊田はロボット化の第一号、そしてスクラップの第一号でもある。ばらしたパーツは掻き集めても僅かか、むしろ狗凱のものより使えなかった。それを繋ぎ合わせたのだから、この有り様も当然の結果だ。
だが、確定的なパーツだけは残っていた。狗凱の機体の胸部には、あの戦いで傷付けられなかったはずの抉れた穴がある。そこに剥き出しの状態で取りつけられている、薄汚い動力源のパーツ。そのエンジンは、彼女の命だった。
馬場はロボットの真正面に寄り添い、一呼吸置いてから口を開く。
「カントク君、僕の声は聞こえているかい?」
そう呼びかけた途端、緑色の頭部のひび割れたモニターが仄かに光り始めた。は、と息を呑む。応えてくれた。片手を挙げて、ハイタッチ――だが、やがて溜め息を吐くことになる。読み込めない不良品のCDを入れっ放しにされている再生機器に似た唸りが続く。不規則な点滅と灰色のノイズが繰り返される。それを映し出すモニターを備える頭部は垂れ下がったまま。指先一つも動かない。
もう、憎んでもくれないということを馬場は悟った。
「……そうか。駄目か。やっぱり僕は仲間外れ。羊田さんとお喋りでもしているのかな」
がっくりと肩を落とす。しかし想定していたことでもある。手を差し伸べてくれた神は底無しの意地悪だ。哀れな人の子を弄び、楽しみたいという好奇心だけで加担してみせたが、全ての望みを叶えてやるとは言われなかった。意地悪で、けれど偽らなかった。だから邪な神に縋ってまで悪者になった愚かな自分は今も存在している。
馬場は側に転がるビールケースを取り、上下を逆にして椅子の要領で腰を下ろす。一人と一つは向かい合う形となった。視線は決して交わらない。
ぽつりと、話し始める。
「カントク君は、最期まで羊田さんのことしか見ていなかったね」
最期の彼らの、それぞれが想う相手への遺言を馬場は確かに聞いていた。猫山を二度も救えなかった豊基。鼠谷との再会を夢見る阿黒。そしてきっと彼は感じていたのだろう、自分の言葉に頷いてくれる彼女の――羊田の姿が。自分の隣には彼女が寄り添っていると、当たり前のように思い込んでいた。
――とても醜くて、美しかった。悲しくて、嬉しかった。切なくて、羨ましかった。滑稽で、素敵だった。
子供時代、河川敷の草むらの中でヒーローごっこに耽る二人を密かに見ていた。二人はいつでもあーでもないこーでもないと言い合いながらガラクタで街を築き、ヒーローと怪獣になって街を壊していた。狗凱の前でしか見せない笑顔、服が汚れても気にしない振る舞い、ヒーローの物語を謳う声。馬場はずっと疑問だった。スターヒーローの彼と、朗読会で依り代として使われる物静かな彼女。どうして女の子の羊田がヒーローになれるのか。羊田の役目は、ヒロインなのに。
「カントク君はヒーローで、羊田さんはヒロインだから。ヒーローはヒロインしか助けない。ヒロインはヒーローに助けてもらえる。ヒーローを持ち上げる為の小道具がヒロインで、ヒロインがいなきゃヒーローの物語は成り立たない。だから配役を整えてあげたんだよ。そうすれば完璧なお話になる。悪を倒し、ヒロインを救い、平和を取り戻す、完璧で格好良い、ヒーローの物語……」
とてもシンプルなシナリオを作った。せめて最期くらいは一緒に遊びたかった。幼い頃に憧れた、スターヒーローとのヒーローごっこで。スルーされても物語に支障を来さないモブAになるくらいなら、ラスボスとして戦う方がずっと良い。
「……なのに、どうしてカントク君は僕に負けてしまったの?」
投げかけても答えは返ってこない。分かっている。それでも訴えずにはいられない。無性に腹が立ってきた。頬が熱くなり、胸の鼓動が高まり、手が震える。
「本当の……本物の救世主は君達だったのに! ヒーローは、スターヒーローはカントク君だけだったのに!」
叫び、勢い良く立ち上がった為にビールケースは転がってしまった。慣れない叫び声を上げた為にそれだけで呼吸の仕方が難しくなる。だらけて座るロボットを見下ろしたまま訳も分からず唾を飲み、馬場は何とか言葉を続ける。
「僕の配役は間違っていたのかな。でも、羊田さんは君のことが好きで、か弱くて、可哀想で、ヒロインに相応しい女の子だっただろう? 猫山君だって、きっとそのつもりだった。だから彼女を盾にして――」
続けようとしたが、ふと気付いた。猫山は……同じようなことをして「敗北」したではないか。
「僕が……僕が……間違えたの?」
手どころか足も震え始め、床が緩やかに柔らかくなっていく錯覚を覚えた。
間違えた――でも、でも、だって、そんな。一人で観ていたヒーローの物語には、それ以外の正解なんて無かったから。
「そんなの……知らなかった。だって大人は誰も教えてくれなかった! これが正しい配役じゃないか! ヒーローとヒロインはいつだって一緒じゃないか! ヒロインは無力で、攫われて、ヒーローに縋るじゃないか! ヒーローは絶対に死なないし、女の子なんかがヒーローになれるわけないじゃないか!」
ばさばさと長い髪を振り乱し、下手に喚き散らす。無様だと、滑稽だと、自分を嘲笑ってくれる者さえこの世界にはいない。
「どうしてカントク君は、正しくない配役を知っていたの? どうしてカントク君は、羊田さんがヒーローになれると知っていたの? どうしてカントク君は、みんなが期待するヒーローじゃなかったの? どうして……」
最早自問自答に近かった。大人になった彼はスターヒーローではなく、敵に立ち向かうのならヒーローの資格は誰の手にもある。たった一つのパーツになってまでも戦った彼女も、勇ましいヒーローだった。
そして、二人は、最初からただの人間だったのだ。
「子供の頃……君達に助けを求めていたら、僕を救ってくれたのかな」
喚くのは止めたものの乱れた髪を整えもせず、その場にそっとしゃがみ込んで再び二人と向き合う。相変わらずモニターはノイズばかりちらつく。人間とロボット。ロボットのモニターに人間の表情は映らない。これが明確で絶対の境目なのだろうか。そうだ、もう二人の顔や声を思い出せなくなってしまった。自分の、人としての形さえも。
「ねえ、今から聞かせてくれないか、ガラクタの街で過ごした君達のヒーローの物語を。子供の頃から君達が知っていた、大人になった僕でも知らないヒーローの物語を」
黙り込んだままのロボットへと馬場は腕を伸ばす。その途中、黒衣を飲み込みながら肌が溶け出し、中からどろりと人外の肉が溢れた。全身の皮膚が破れ切って露呈した神としての体は酷く醜く、幼い頃から愛していた玩具のロボットの面影は見当たらない。
「お願い。僕を仲間に入れてよ」
懇願と同時に目頭から一粒の涙がこぼれた。
「……悪者の僕を、救ってよ……」
神に飼われる異形のそれは、継ぎ接ぎだらけのおんぼろロボットに縋りつこうとする。しかし邪魔な剥き出しの鉤爪がドラム缶に深く食い込んだ。ぱきりとどこかの接合部から嫌な音がした。その僅かな隙間に涙が染み込む。せっかく用意した二人の為のガラクタの街が、感情に合わせて暴れる太い触手によって壊されていく。
ロボットは何も言わなかった。
不意に意識を取り戻した狗凱は、すぐさま隣の気配に気付いてそちらを向いた。当たり前のように羊田がいる。羊田の視線とかち合った。
「いたのかよ」
「ずっと側にいたでしょ」
羊田は思わず笑みをこぼした。最期の最期に語りかけてきたくせに何を今更、と。
それだけの言葉を交わした途端に怒り、悲しみ、後悔、虚しさ、罪悪感――狗凱の中で様々な感情が浮き上がり、結局明確に残ったものは安堵だった。ようやく見つけた。たった三日ぶりの顔合わせのような気もするし、五十年をかけての久しい再会のような気もする。そんなわけがないと思いながらもそんな気がするから、二人は静かに息を吐いた。
「お前、本物のメリーなのか」
「私が訊きたい。これは幻?」
「……さあ」
二人は朽ちた木製のベンチに座っていた。そこは見晴らしの良い丘の上らしく、転落防止の為か飾り気の無い鉄柵に囲まれている。少しの雑草だけが生える地面は寂しい。開けた視界にはぽつぽつと、高いビルと民家の屋根が入る。そして、遠い空の向こうでは、沈みかけの太陽が淡く美しく歪んでいる。
狗凱は懐かしいと思った。とても懐かしくて、それに意味のある場所だった気がする。
「綺麗な夕日だよな」
「うん。……ここ、どこ? 来たことある?」
「一緒に来たんじゃね。遠足とかで」
「そうだっけ。あんまり覚えてない」
「別にいいだろ、もう。俺もよく分かんねえわ」
投げやりな言い方をしてから少し口篭った後、脈絡も無く「メリーがいねえと、楽しくねえんだよ」と呟いた。
「うん。知ってる」
羊田は、それだけを告げた。自分も同じ気持ちだとは言わなかったけれど、口にせずとも二人の中では伝わる。
責めたい。謝りたい。ひたすら会いたかったと叫びたい。再び約束を交わしたい。お互いに胸の内側で膨らむものが多すぎて、一つこぼした途端に破裂してしまいそうで、場繋ぎのやり取りすら辿々しい。だから思い切って吐露したのは羊田の方だった。
「私、ただのヒロインだったのかな。何も出来なくて、攫われただけの」
項垂れ、ぽつりとこぼした羊田の言葉からは悔しさが滲む。
狗凱は眉間に皺を寄せる。馬鹿を言うなとしょぼくれる頭を小突こうとしたが、知らぬ間に自分達の手が深く絡み合い、重なり合っていることに気付いた。小さな手が、かつて共にガラクタの街で擦り傷を作っていた手が、繋がっている。
ああ、と不思議なまでにすんなり理解した。自分達は混ざっているのだ。
「俺が愛造町から逃げてる間もずっと守ってくれた。俺達と一緒に馬場と戦ってくれた。メリーは俺だけのヒーローだ」
狗凱の言葉を受けて羊田は顔を上げる。夕日を湛える黒い目は、きらきらと輝いていた。
「それなら……私以外にも、たくさんヒーローはいたよ」
「だよな」
軽く笑って応え、ふと羊田の首元に向けられた狗凱の視線は、そこに彼女を縛り続けてきた鎖が無いことを――自らの手では果たせなかった救いがそこにあることを知る。
「どうしたの?」
「別に。なあ、暇だしよ、ディストピアに負けたヒーロー達を題材に映画のシナリオでも考えようぜ」
「悪趣味」
「嫌いじゃねえだろ?」
「まあね」
夕日の座す位置はいつまでも変わらない。けれど不気味ではなかった。寂れた豆電球のように揺らめくあの形を二人でずっと見られるなら、それでもいいかと思えた。
二人は一つになるその時まで、茜色の空を丘から眺めている。
完