Spukhaus「よし、午前中の特訓はここまでだ。昼メシまでは好きにしてていいぞ」
「ヤー、レーラァ!」
レーラァが軽々と鐘とロープを抱えて倉庫に向かう。ぼくは汗を拭いて腕を伸ばしたり屈伸したりして息を整えた。今日のごはん何かなあ。午後は勉強と別の特訓。準備はしてあるけどお昼のあとだとちょっと眠い。
ストレッチが終わるとぼくは花壇を覗いてみた。クロッカス咲くときれいなんだよ。座り込んでちょこちょこ出てきてる雑草をむしってると誰か来たのが分かった。
「レーラァ?」
台所手伝いに行った方がよかったかな。軍服の裾を見て顔をあげてびっくりした。レーラァじゃない、ちがう大人の人だ。
いつのまにか庭にいたのは背が高くてピシっとした姿勢のいい男の人だった。ちょっと怖い感じだけどすごく頭が良さそうで、慌てて立ち上がってヒザとか手についた土をはらった。
男の人がにこっと笑った。
「Guten Tag, 坊や」
「G, guten Tag!」
冷たそうな感じだけど違うかも。映画か難しい本に載ってそうなきりっとした感じでえらい人みたいな軍服を着てて、お金持ちそうだけど上品そうでレーラァによく似てた。
「レーラァの親戚のひとですか?」
めいっぱい首を伸ばして見上げて聞いてみた。でもブロッケン一族の人たちも背が高くておちついてて大人っぽいけどたいていぴかぴか光るバッジやボタンがついたスーツを着てる。ひょっとしたら急な用事かもしれないから、レーラァに早く知らせてあげないと。
男の人はちょっと笑った。困ってるかんじにも見えた。
「うん、そうだよ」
「ええと、ようこそいらっしゃいました。どうぞごゆっくり」
教わったようにしゃべって玄関に案内しようとすると男の人が首を横に振った。
「いや、案内は必要ないよ。会うつもりで来た訳じゃない」
「え・・・?」
親戚、なのに・・・・・・?
風がざわっと動いた。男の人がちょっと屋敷の方を見るとレーラァがかぶってるような帽子の中からなんだかさみしそうな目が見えた。
「・・・レーラァとケンカ、したんですか?」
「いや、違うよ。あいつは何一つ悪くない」
じゃあ、なんで・・・?
口に出さなくてもぼくの気持ちが分かったみたいに男の人はこっちを見て笑った。しんぞうがぎゅっと痛くなった。
「一番辛い時に側にいてやれなかったからね・・・今更顔を合わせる資格なんてないんだよ-おいこら、男がそんな顔をするんじゃない」
男の人があわててこっちをのぞき込んでくる。でもぼくは顔があつくなって目からぐにゃっと涙が出るのをガマンするためにぎゅっと口を持ち上げるので精一杯だった。
だって、ひとりってさみしいし怖いんだよ。可愛がってくれるおじさんおばさんもいなくて、あったかい毛布もない。みんなでパンやヴルストを食べるのはおいしかったのにさむい森の中でケガしてもだれも助けてくれなくてびくびくしてたんだよ。
ぼくの頭の上から大きい手がまっすぐのびてきて、ちょっと迷ってからヘルムごとしっかり包みこむようにぐいっとなでた。それでびっくりして涙が引っこんだ。おじさんの手はもっとカサカサしててマメとかも多かった。おばさんの手はもうすこし小さくて、でもふっくらしてた。こんな風にヘルムかぶってても分かるような熱さとゴツゴツしてるけど長い指で頭なでてくれる人、他にひとりしか知らない。
「どうした坊主、子供扱いはイヤか?」
男の人がちょっとかがんでニヤっと笑う。あわてて首を横にぶんぶんふった。
「ち、ちがうよ!・・・あの、こういう風になでる人、あんまりいなくて・・・」
男の人が急にまじめな顔になった。きちっとした軍服のヒザをついてぼくと目を合わせ、ヘルムに置かれてた手がぼくの両肩におちてがっしりとつかむ。さっきよりずっと熱かった。
「いいか坊や。君はこれから世界中の人に愛されて笑顔を貰う。頭撫でられたり握手したり頑張ったら沢山褒められたりだ。それが必ず君の日常になる。そうとも、あいつは世界の平和の為に何年も何年も闘ってきた。俺はずっと見てきたから知ってる、そんな男が選んだお前が立派な戦士にならない訳がない」
低くて緊張する、でもすごく安心する声だった。真正面からぐっと見てくる青い目は雷みたいだ。でも・・・
「・・・よ、よく分かんない」
「そっか、まだ分からないだろうな!」
難しすぎて考えても頭がぐるぐるする!男の人はわらってて、でも何かちゃんと答えたくてレーラァによく似てる顔を見上げた。だってすっごく熱いんだ。なでてくれた頭も、ぎゅってつかまれた肩も全部!
「あのね、ぼく頑張るよ!修行頑張って強くなって、野菜も全部食べて、苦手な算数もちゃんとやる!立派な正義超人になるから、また来てよ!」
その人はぼくをじっと見て、そしてわらった。こういう顔すると本当にレーラァそっくりだ。
「-ああ。約束する、ジェイド」
「絶対だよ!」
グーをつき上げて約束すると家の中から声が聞こえた。男の人が立ち上がる。
「師匠が呼んでるぞ。行きなさい」
「ヤー!レーラァ!」
そっか、もうすぐお昼だ。レーラァのいる方に叫び返してからお昼ごはんいっしょに食べてけばいいのにと男の人をふりかえった。
-ところが。
「あれ。もう帰っちゃったのかなあ・・・?」
もう影も形もない。レーラァの友達にニンジャがいるのは聞いたことあるけど、まさかブロッケン一族の必須スキルだったりするのだろうか。ぼくも習得できるといいけど。
「レーラァ、ただいまもどりましたっ!」
「おうお帰り。悪いが配膳を頼む」
弾丸の如く邸内を駆けてきた弟子が元気良くJa!と答える。外の泥ちゃんと落としてきたか全く。
まあ食事前に行儀悪く作業に従事して手が離せない自分も弟子のことは言えない。午後は実技訓練だ、夕食もたらふく食べさせてやろう。
などと思っていると部屋の入り口で弟子が固まっていた。・・・何、真昼に幽霊にでも出会ったみたいなツラしてるんだ?
「・・・おい?どうした、気分でも悪いのか」
「・・・レーラァ。おばけって、本当にいたんですね」
「はぁ?」
頓珍漢な受け答えをした弟子が我に返ったように後退りしてドアまで下がり、一目散に厨房へ駆け出した。
やれやれ、折角紹介してやろうと思ったのに。歴代当主屈指の美男将校と謳われた男が、随分恐がられたもんだ。
「アンタも子供の前じゃ形無しだな・・・なぁオヤジ?」
倉庫から掘り出してきた、正装を粋に着こなした先代の肖像画がすまして片目を瞑ったように見えた。