手から落ちたもの 俺たちはなにか大切なものを忘れているのではないか。
それは戦いの中で力を得てきた自分たちの根本を問う問題として、いつの間にか円堂の中にくすぶっていた思いだった。なにかを手に入れた代償に、なにかを失ってしまっているのかもしれない。その確信もないし、なにを失っているのかもわからない。だが、確実に円堂の心を蝕んでいる。
過去に戻りたい思いと、これから先もっと強くなりたいという思いのせめぎあいに阻まれているのだ。
豪炎寺が帰ってきて、うれしくてうれしくて、たまらない。
本当によかった。やっぱり豪炎寺は俺たちのエースだ。今までの苦労なんて気にならない。このためだったとしたら、苦労すら後悔しない。それほどに、豪炎寺の存在に、チームそのものが救われた。
なのに、円堂の心にはくすぶる疑問が依然残っていて、うっかりそれを口に出した。
言いたいことはそれではない。
豪炎寺におかえりといえたことがうれしかったこと、お前がいなかった間にあったこと、新しい必殺技のこと、じいちゃんのノートのこと、新しい仲間のこと、あのときお前がいたらもっと楽しかったんじゃないかとずっとずっと思っていたこと。そんなことが言いたかった。豪炎寺に会ったら言おうと思っていたことがたくさんあったのに、円堂の口は全然違うことを口走る。
今まで、一緒にいたからこそこの仲間たちにはいえなかった。
帰ってきたから、今までのことを知らないから、豪炎寺にしかいえないと思ってしまったんだろうか。
なあ、豪炎寺、俺はなにをなくしてしまったんだ?
***
「円堂?」
久しぶりのキャラバンでの睡眠が懐かしい。だが、円堂の姿が見あたらずに疑問に思ったところで鬼道に肩を叩かれた。鬼道の右手の親指が天井を指す。同時に敷いてあった豪炎寺の寝袋を豪炎寺の手に押しつけた。
その気遣いが気恥ずかしくて、本当に小さく「すまん」といって駆けるようにキャラバンをでた。後ろからボソリと鬼道の「バカ」という声はしっかり聞こえたけれど。
言われたように上をみると、円堂が体育座りをして星空をみている。沖縄の気温なら外で寝ても問題はないだろう。一人でいる背中が本当に懐かしかった。
声をかけ、隣に座り、そして話し始める。だが、円堂の様子がおかしかった。
「俺は、俺たちは、なにか大切なものをなくしている気がするんだ」
ああ、円堂は、変わってしまった。
そう豪炎寺は実感した。
円堂は、強い。
周囲の認識はそれである。
豪炎寺も、そして鬼道もまた、そういわれる側の人間だった。だが、円堂はそんな二人をも支えている。その円堂を支えているものは、一体なんだろうか。一人になった豪炎寺は、キャラバンを離れてから、ずっと考えていた。
アイツは、どうやって、弱音を吐くんだろうか。
こうして、自分のように逃げ出すことが出来ないアイツは。
帰ってきて、試合後にみなと話して、新しいチームメイトが増えていることと元々の雷門イレブンがほとんどいなくなっていることに驚いた。なにより、風丸と染岡の不在である。あの二人は、絶対に、円堂のそばから離れるはずがないと豪炎寺は思いこんでいた。サッカーしか円堂とのつながりのない豪炎寺にとって、古い友人である風丸と円堂の関係や、1年時からのチームメイトである染岡・半田・円堂の時間が作り出す確固たる絆は、うらやましいとすら思えるものだった。
染岡はケガが元だと聞いたが、風丸については鬼道しか教えてくれなかった。それも、相当、円堂がショックを受けたという経緯を含めて。
ああ、お前は、辛かったんだな。
当たり前のことなのに、ごめんな。
そのときに、そんなときに、そばにいてやれなくて、ごめんな。
豪炎寺は、そのときの円堂のことを考えると、自分の想像力の無さに軽くへこんだ。表情も語彙も豊かでない自分だ。だいたい、円堂が落ち込んだ姿が想像出来ない。マジン・ザ・ハンドのときのようなただがむしゃらに動く姿ではなく、なにも動けなくなるような形での落ち込みをする円堂が、想像出来なかった。
今目の前で円堂は、自分で口にした内容に驚いているようだが、それを撤回する気は微塵もない様子だ。
本当はずっと言いたかったことなんだろう。ずっと考えていたことなんだろう。
豪炎寺は、円堂が、そういうことを口に出したことを、ただ、純粋にうれしいと思った。
自分にいってくれたことを、自分を選んでくれたことを、自分をはけ口にしてくれたことを。
あまり、うまいことを言ってやれない自信だけはあるけど、円堂を受け止めるのは、親友として、エースとして、自分の役目なのだと、わかっている。
***
豪炎寺はただ、聞いてくれるらしい。いつもの深い瞳はまっすぐに円堂をみている。それとわからないくらいに豪炎寺がうなづいたのがわかる。
ごめん。本当にごめん。
もう、止まらない。
「染岡が、ケガで離脱したんだ」
「聞いたよ」
「風丸が、いなくなった」
「聞いた」
「栗松が、風丸を追っていなくなった」
「そうか」
「吹雪には無理してサッカーさせてた」
「そのあたりも一応聞いた」
「鬼道はまた影山に狙われた」
「そうだったのか」
「みんな、一生懸命やってるのに、なかなか勝てなくて、でも、確実に強くなってるはずなのに、問題は次から次に出てくる。
もっと、もっとうまく出来たはずなんだ。
もっと早くに、気がつけばよかったことがたくさんあった。
俺が、しっかりしてれば、どうにかなったことがあったはずなんだ。気づいてたら染岡に無理なんてさせなかった。俺が落ち込んだら1年たちが不安になるってわかってたのに、栗松を不安にさせて離脱させた。吹雪はSOSを出していたのに、気づいてやれなかった。
風丸の気持ちを考えずに、簡単に強くなれるとか特訓だとか、そんなことばかりいって、アイツを追い詰めた!」
「俺は、強くなんてないんだ。
俺は、仲間たちがいたから、アイツらがいたから、俺は戦ってこれたんだ。アイツらがいなかったら、俺は戦えない。
俺は、アイツらと一緒にいたかった。一緒にサッカーしたかった。それだけだったんだ!!
なのに、それだけじゃ、なくなってる!!」
「円堂」
「強く、ならなくちゃ、いけないって、わかってるんだ。
でも、アイツらを置いてきたんだ。アイツらとサッカーしたいからがんばってるのに、アイツらを置いてきぼりにして、俺はなにがしたいんだ。俺がやりたかったのは、俺のサッカーは、俺たちのサッカーは、なんだったんだ?」
豪炎寺が、円堂の強く握りしめた手をつかんで開かせた。いかにもGKらしい堅くなった手のひらで、身長は円堂のほうが低いのに、手は彼のほうが大きい。両手の平を合わせるようにして、向かい合い、豪炎寺は彼の肩に頭を乗せた。
円堂も、それに倣う。
互いの熱が伝わり合う。混じり合っているのに、円堂は一人だった。豪炎寺ですら、こうして別人だと突きつけられる。手のひらで止められるものなどたかが知れてる。わかっている。わかっていたのに、受け止めきれないものを、円堂はやっぱり捨てきれなくて、未練があって、もらえる熱だって全部全部手に入れたかった。豪炎寺は、円堂に甘えているのではなくて、円堂をこうして甘やかしてくれる。
なのに、自分は、彼のために、なにが出来たのだろうか。
「豪炎寺」
「ああ」
「ごめんな。お前の気持ちだって気づいてやれなかった。簡単に帰ってこいよなんて、気軽にいって、お前のつらさをわかってやれなかった」
「口にして言わないのに、わかってくれてないなんて俺は他人を責めない。逆だ円堂、俺が悪い。お前になにも言わなかった。またなにも言わなかった俺が」
「染岡がずっと気にしてたんだ。お前のこと」
「そうか」
「雷門のエースはお前だっていって聞かなかった。それは俺もよくわかる。キャプテンとして、FWはいなくちゃ困るからみんなポジションチェンジもしたし、吹雪にも入ってもらって本当に助けられた。でも俺たちはやっぱりお前を待ってた。吹雪とおまえを、比べたわけじゃなくて、ただ、おまえの居場所を守りたかった。
染岡と約束してたんだ。
お前が帰ってきたときに、おかえりがいえるように、最強のチームになってることが、俺たちのやるべきことだって。
なのに、ちょっと、かっこわるかったな」
「何十点もとられてた俺が居た頃と比べたら別チームだ。それにジェミニストームには勝った。試合はずっと見てたよ。
俺は、いつも、ずっと、なんであそこに俺は、いないんだろうって思った」
繋がっている円堂の手が、豪炎寺の手に力を入れた。少し痛いくらいに。それでも、それを言ってはいけないんだと、豪炎寺はわかっていた。
「本当は、怖かったんだ」
「豪炎寺は、やっぱり帰ってこないんじゃないか、とか。エイリアの奴らが強い奴を味方にするとか言ってるのを聞いて、お前がそっちに行ってしまうんじゃないかとか、もう一緒にサッカー出来ないんじゃないかとか」
「えんど……」
「だから」
「帰ってきてくれて、本当に、うれしい」
「円堂」
「俺は、仲間たちを守れなくて、俺は、アイツらを追い詰めて、チームが壊れていったのは、俺の力が足りなくて、みんなを守ってやれなくて、お前も、やっぱり俺が傷つけていたのかなとか考えて、もう、ほかのみんなとも、一緒にサッカー出来なくなるんじゃないかとか、いろいろ考え始めた」
「円堂!」
「だけど、お前は帰ってきた。
出ていくばかりで、誰もみんな帰ってきてないけど、お前は、帰ってきた。うれしいんだ。お前が、帰ってきて、本当にうれしいんだ。ほかのみんなとも、きっとサッカーがもう一度出来るような気がした。信じていれば、きっと帰ってくるんだって、思えた。おまえのおかげだ。
豪炎寺、おかえり。ありがとう、ごめんな。ほんとうに、ありがとう」
そういって、泣きながら円堂は豪炎寺の肩に瞳をこすりつけた。つないでいた手を豪炎寺は離して、円堂の頭を抱え込む。
「ごめんな、円堂。遅くなった」
「そうだ、お前はいつも、遅いんだ」
そういって憎まれ口を叩くのに、聞こえてくるのはくぐもった声。
「円堂」
「うん」
「お前がいるチームだから、俺は帰ってきた」
「豪炎寺」
「お前がいるから、鬼道は残っている。新しい仲間たちはお前と一緒に行こうと思ったからここにいる。
お前の責任だったことなんて、どこにもない。
俺たちは、チームだ。
チームは、キャプテンを、支えるものだ。
俺たちが、お前には、ついてる。俺たちがいる。俺たちがお前と一緒にサッカーをする。アイツらは、お前がサッカーをしているから離れていったんじゃない。お前がサッカーを諦めたら絶対にダメだ。
絶対に、また一緒にサッカー出来る」
「豪炎寺」
「俺が、帰ってきたように」
そういうと、円堂は、真夜中なのに太陽のような笑みを浮かべた。
「そうだな」
だが、再び止まらないかのように、こぼれ落ちるものがある。
それは、涙の形をした思い出とか、未練とか、悔しさとか、悲しみとか、きっと、円堂が今まで出してこなかったものたちなんだと、豪炎寺はジャージに染み込む涙を見てそう思った。
***
「豪炎寺」
少しだけ肌寒さを感じたのでなにかかけるものを取ってこようと屋根から降りると、ハシゴ下に何人かの影。呼び止められて振り向けば、雷門イレブンの残りだった。
「……聞いてたのか」
「全部は聞いてない。円堂は?」
「泣きつかれて寝た」
「そうか」
鬼道の背後にいる一ノ瀬と土門もいつもより険しい顔をしている。悔しそうな口調で一ノ瀬がつぶやく。
「悔しいよ。円堂があんななのに、俺たちにはなにも出来ないのが」
「円堂はさ、キャプテンだからって背負い込むけど、俺たちだって雷門イレブンだ。仲間なんだ。
アイツは気づけなかったって悔やんでるけど、気づいていても、こうやってなにも出来ない、聞くことすら出来ない俺たちの無力も知ってほしいな」
「一ノ瀬、そういってやるな」
「鬼道、お前がいうなよ」
土門に言い咎められ、自覚はあるのだろう鬼道が苦笑して肩をすくめた。
「豪炎寺。お前が帰ってきてくれて、本当によかった」
今日何度目かというその言葉に、そしてその真意に、豪炎寺は身を引き締めた。
「俺たちは、雷門イレブンだ」
豪炎寺のその言葉に、全員がうなづいた。
「円堂が、俺たちを守るために、傷つくのなら、俺たちは、円堂を守ろう」
「アイツに足りないものは、俺たちが担おう」
「また、みんなで、サッカーするために!!」
重ねられた手は、そして握りしめられた。