イラストを魅せる。護る。究極のイラストSNS。

GALLERIA[ギャレリア]は創作活動を支援する豊富な機能を揃えた創作SNSです。

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    しおり
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    花、美し/かなし。きみ満ちて非運命のさえずり(サロモン)太陽は鳥籠の中(ヘパイストス)幸福論(チェルノボーグ)春雷(タングリスニル)連戦連敗、戦況は最悪である(モリタカ)しらゆきのおひめさま(トウジ)掃き溜めとヴィーナス(ケンタ)双眸は、いのちが燃える星の色(シンヤ)それを世界は愛と呼ぶんだ(タケマル)さくら、みるく、午睡のまにまに(シノ)せいじゃたち(アイゼン)魂と肉、そして消える21gの考察(アルスラーン)遠雷と(サンダーバード)遠鳴り(ツクヨミ)あいの燃え滓(物部先生)非運命のさえずり(サロモン) サロモンは今日をずっと待っていたのに、外が見事としか言いようない土砂降りであることに気落ちして、己を優しくもふもふする主様の手つきですら、気分が上昇しないようなありさまだった。
    「そんなに気落ちするなよ、餌係のバイトはまだ続くんだから、店主に頼めば機会はいつでも作ってもらえるよ」
     執事の心主様知らず。いくら子供っぽく聞こえようと、サロモンにとって今日は特別な日になるはずだった。観用少女の店はとある路地裏にあるが、その近くの公園では、桜がひどくうつくしく咲く。とある観用少女を一体、日光浴も兼ねて外に連れ出していいという店主の許可も、主様が店主からもらっていた。それなのに天候は土砂降りである。傘は何日か前に壊れてしまっていたから、駅から出て少し走り、主様が店のドアを潜ると、店主が熱いお茶と、タオルを用意していた。これ幸いと主様が髪を私服を拭いていく。
     主様が店主が沸かしていたミルクを、観用少女を一時的に目覚めさせる香料をかがせ、一体一体、丁寧にミルクを飲ませていく。このところ店にある観用少女の数が多く、餌係が店主一人では回らなくなり、アンドヴァリを経由して、餌係の仕事が主様のもとに舞い込んできたのが主様が観用少女の餌係になった経緯であった。まるで宝石のように目麗しい観用少女たちは、ミルクを飲み終えるとまた眠りにつく。運命を見定めるまで眠り続ける彼女たちに、不思議と主様と店主は気に入られることはないようだ。そうでなくては餌係になれないのだろうが、ミルクを飲むだけ飲んでさっさと眠りについてしまうことで胸が痛むことはないのだろうかと、サロモンは無益なことを思った。
     奥の、光が差さないほど奥まった場所にいる紅炎という銘のついた観用少女に、主様が香料をかがせる。目を開いた紅炎は、主様の手からティーカップを静かに受け取った。たとえ一方的なものであっても、彼女と今日、桜を見にいく予定だったのだ。サロモンは胸が棘で刺されたような痛みを感じた。
     ミルクを飲ませている間、彼女のぬばたま色の髪が、どこかから指した光をかすかに反射させ、玉虫色の光を照り返す。その瞳の色はまるで黄金の火花を散らす炉のようだ。サロモンは彼女の目をじっと見つめる。彼女に自分が見えるはずもない。見えるはずもないから、彼女の運命になれるはずもないことを、サロモンは痛いほど理解している。
     ミルクを飲み干した彼女の、瞳がゆっくりと閉ざされていく。次はかならず天気になりますから、一緒に花を見にいきましょう。見えるはずもない姿と同じように、聞こえるはずのない声でサロモンは彼女に約束をする。主様がいささか乱暴に頭をもふもふするのを感じながら、約束ですからね、とサロモンは声を絞り出した。
    太陽は鳥籠の中(ヘパイストス) あの観用少女に微笑まれてから、ヘパイストスの日常は研究から彼女を中心としたものに変わった。至極不器用な手つきで、心配そうに見守るタロスにも気付かないほど真剣に、ヘパイストスはミルクを温める。人肌まで温めたミルクをカップに入れるのすら危なっかしい手つきでいまに火傷をしてしまってもおかしくはない。しかし、ヘパイストスは観用少女の世話でも、特にミルクの世話をする権利を、頑として誰にも譲らなかった。
     ヘパイストスを運命とした観用少女は、かつて流された記憶に映る母様の形によく似ていた。少女の前にひざまづいたヘパイストスはそっと、ソーサーに乗せたカップを、震える手で観用少女の前に差し出す。観用少女は柔く細い手でカップを取り、人肌のミルクをゆっくりと干していく。ヘパイストスは、この笑みを浮かべるまでの数瞬が幸福であるが、苦手でもある。観用少女の気にいる温度でなかったらどうしようとか、様々な不安が胸中に去来するのだ。
     しかし紅鏡という銘のついた観用少女は、ミルクを干して、そのかんばせに極上の微笑みを浮かべた。それだけで、ヘパイストスの胸中に幾重にも折り重なった卑屈な心配は消え失せた。ヘパイストスは上機嫌なまま、やけに瀟洒なキャンディポッドに入った香り玉を観用少女に与える。紅鏡からは香る匂いは、どこか懐かしさを感じさせる。何に似ているのかは、かすれた記憶の中にあるような気がしたが、そもそも忘れたことも忘れているものを思い出せないのは、人間でも転光生でも同じだろう。あわいあわい懐かしい香り、記憶に残る、殺めてしまった人の残影が、幸福な形で目の前にある。それだけで、今のヘパイストスは確かにしあわせであった。
     ヘパイストスは椅子に座る観用少女の足にすがりつき、幸福をかみしめる。目の前の残影がただの思い出が求めたものであるにしろ、観用少女はヘパイストスを選んだ。運命が来るまでこんこんと眠り続けるものが己を選んだと言う優越感も確かにあるが、それ以上に、褪せない思い出が形になったような目の前の奇跡にヘパイストスはすがりつく。
     紅鏡のやわい手が、そっとヘパイストスの頬に当てられる。暖かな木漏れ日のような幸福を、ヘパイストスは噛み締めていた。壊れ物にそっと触れるような手つきで、観用少女の手にヘパイストスは手を添える。
     目の前の太陽は、どこにも行かないし、いけないのだ。漏れ出た母様、という言葉は思い出の中の彼女を呼んだのか、目の前の観用少女に思わず言ってしまったのか、ヘパイストスにもわからなかった。
    幸福論(チェルノボーグ) ゆっくりと人肌の温度まで温まるミルクは、幸福を形にしたような、あわくやわい匂いがする。チェルノボーグはゆっくりと、こぼさないように、観用少女のために温めたミルクを、カップに注ぐ。後ろから近づく軽い足音に、チェルノボーグの口は自然と笑みを作る。ミルクを注ぎ終わったと同時に、チェルノボーグに抱きついた観用少女をチェルノボーグは抱き上げた。
     そしてそのままカップに入ったミルクを渡してやり、ゆっくりとミルクを干していく観用少女に、チェルノボーグは今日あったことを順に話していく。今日、学園で起こったこと、自分がここに来る理由を作ってくれた勇者のこと、観用少女を買い求める資金を融資してくれた友のこと。山の悪魔と呼ばれる先輩との、部活動の話など。記憶と思考、過去と現在を行き来するように、ゆっくりと言葉を紡ぐチェルノボーグにうんうんとうなづく観用少女は、ミルクを飲み干すと、極上の笑顔を浮かべた。
     ミルクを温めていた鍋とカップを洗い場に置き、チェルノボーグは自分を運命とした観用少女に、週に一度、その毛艶を保つために与える砂糖菓子を手渡す。深い笑みを浮かべる観用少女は、新しい話をしてと急くように、チェルノボーグのマントを握る。
     幸福を形にしたような、己が運命と定めたものに愛されるために作られた生きた人形は、チェルノボーグの話に相槌を打つように、行儀良く、こくこくと頭を振る。彼女のぬばたま色の髪が、陽を反射して時折プリズムのような光を放つ。
     チェルノボーグは、その光に目を細めながら、ゆっくりと今日もあったこと、今日に行き着くまでに起こったこと。はじまりのこと、かなしみのとき、それから断ち離されてここに来るまでのこと。
     チェルノボーグは、一つ一つ、宝石のような思い出も、重たい雪につつまれた悲しみも、同等に観用少女に話す。かなしみも宝石も、おのれを形成しているのだと、観用少女に告げるように。
     明日は観用少女に、どんな話ができるだろう。チェルノボーグは砂糖菓子をかじる観用少女に微笑みながら、思考を巡らせる。ふと観用少女と視線が合う。深い深い愛を宿した笑みを浮かべた観用少女は、次の話を待ち望むような仕草を見せる。
     そんな観用少女に、チェルノボーグは口にして指を当てて、今日の続きはまた明日、と内緒話をする、ささやきのような声で観用少女告げて、二人は秘密を分かち合うように笑い合った。
    春雷(タングリスニル) その日はなんとなく気分が向いて、普段歩かない道を歩いてみようと思った。タングリスニルは自分の中の気まぐれに従って、負担通ることない裏通りを歩いていた。店はシャッターがまばらに閉じており、この通りの活気のなさが窺える。そんななか、ふと、ショーケースに入ったマネキンと目があった。
     長く美しい黒髪に、反射的に金色に輝く目。他のマネキンは目を閉じている。古風なドレスを着たそのマネキンたちに、はて、ここはドレスでも商う店なのだろうか。そう思っていると、タングリスニルと目があったマネキンは彼に微笑んで、軽く手を振った。
     
     マネキンと思っていたものに微笑みかけられて目を白黒させているタングリスニルを店に通した、この店の店主だという男が淹れた茶を飲みながら、店主がショーケースから連れてきたものにタングリスニルは目をやった。彼女はなんなのですか、とタングリスニルが率直に聞くと、観用少女です、お客様と店主は慇懃な調子でタングリスニルの疑問に答えた。
     己の定める運命が来るまで眠り続け、目覚めれば運命から愛されることによって生きる人形でございます。言い慣れているらしいひどくロマンチックな謳い文句に、タングリスニルにはどう相槌を打ったものかと考えていたが、店主がさらりと告げた金額に、思わず茶を吹き出しかけた。もちろん薄給ではないが、貴族のような際限のない贅沢をできるような額をもらっているわけではない。無理です、と言おうとしたタングリスニルに、追い討ちをかけるように、店主はならメンテナンスに出すしかない。一度目覚めてしまったこの観用少女は、もうあなたしか見ないのだからと酷なことを告げる。ちらりと観用少女をみてから、タングリスニルはとうとう根を上げて。ローンというひどく現実的な話に移った。
     名人の手で丹精されたこの観用少女の銘は、春雷と言います。どうぞ大事にしてあげてください。おまけと称して渡された観用少女のドレスやミルクを持ちながら、彼女手を引き、タングリスニルは帰路に着く。
     観用少女がやわく彼の手を握り返すのに、ああ、本当に生きているのだ、とタングリスニルは思考する。タングリスニルは春雷、と名を呼び、微笑む彼女の手を導きながら、家路に着く。その時感じた幸福を、一体何に喩えよう。
     家に帰ったら、まずミルクを温めて、自分はシチューを食べながら、彼女と一緒に食事をしよう。タングリスニルは彼女の手を、ぎゅっと握って、ゆっくりと、月光のさす帰路を、一人でなく、二人で辿った。
    連戦連敗、戦況は最悪である(モリタカ) 連戦連敗記録が伸び続けるなか、もはや意固地になっているだけなのかもしれないがモリタカは気合たっぷりに、もはや道場破りめいた掛け声を投げつけながら、その店の扉を開けた。
     店主はまた来たのかという表情ひとつ浮かべず、モリタカにいつも通り茶を振る舞う。今日の贈り物である白いガーベラの花束を握りしめないように気をつけながら、モリタカは、少し冷めた茶を干すと、店長に導かれ彼女のもとへやや早足で彼女のもとへと進む。気づかないうちに尾が揺れているのもしょうがないだろう。
     モリタカはその観用少女の前に跪き、何重もの意味でらしくない白いガーベラの花束を、少女の前に差し出す。名人の手で丹精されたその観用少女の名は、しらぎくという。抜けるように白い肌から来ているのだ、と最初に店主が言った言葉を、モリタカはよく覚えている。不安で丸まる尾はモリタカの心境をよく表している。
     観用少女の。しらぎくの目が、開く。モリタカを、もっと正確に言えば、モリタカの持つ花束をしらぎくは見つめた。ほんの少し、淡く微笑むしらぎくに釘付けになるモリタカに、店長はどうやら気に入ったようですね、花束をと言った。その言葉通り、花束を見たきりしらぎくの目は再び閉ざされ、今日もモリタカの連戦連敗は更新されることとなった。ついでにモリタカは足元から崩れ去りそうなのを、灰になりつつ今日も根性でとぼとぼ帰路につく。
     今日も連戦連敗の記録は更新され、サモナーズのセーフハウスでしょんもりしているモリタカを周囲は励まそうとゲームに誘ったり、お菓子を持ってきてくれたり、修練に誘ってくれたりと、世話を焼こうとしてくれたが、自分自身まったくらしくないと思った花束を見ただけで、今日も自分に笑いかけることがなかったしらぎくに、モリタカのこころは千々にされていた。
     でも、前は目さえ開けてくれなかったんだろう? 逆に言えば、反応はしてくれるようになってる。慰めるような参謀の声に賛同の言葉を出すもの、それを台無しにするような言葉を発するもの。様々であったが、サモナーズの誇る頭脳の言葉に、モリタカは己を再び奮い立たせる。たかが人形だろ、と呟いた声の主に余計なことを言うな馬鹿と、言う参謀に、次の贈り物の案を出すのを、モリタカは手伝ってもらうことにした。
     彼女の運命になるための、贈り物作戦は連戦連敗。戦況は最悪中の最悪である。秘策などは一切ない、無い無い尽くしの状況下であるが、モリタカは、明日も彼女に贈り物を持っていく。連戦連敗、戦況は最悪である。けれど、少しづつ運命に変われればいい、そんな心地で、モリタカは今日も道場破りのような掛け声を発し店の扉を開け放つ。
    しらゆきのおひめさま(トウジ) 転光生という常識の埒外に存在するものが跋扈しているならば、自ら選んだものからの愛情を糧に生きる人形の一つや二つあったところで驚きはしない。ただ問題があるとすれば、トウジはどうしてもその人形を一体入手しなければならないという点だった。
    「いやトウジ、ほんとごめんな?」
    「…………本当に申し訳ないと思うなら、その顔をやめろ藤花」
     面白がりよって、トウジは自分の歩調が苛立ちで普段より大股に歩いている自覚をしながら、面白がってニタニタ笑う藤花を直接視界に映さないようにしていた。完全に面白がっている藤花は自分に降りかかった以来でないのだからそれでいいのだろう。
     バーサーカーズの銭ゲバドワーフから告げられた、天国の涙を入手してこい、観用少女の値段はこっちでもつという裏を見れば見るほど黒い依頼。あからさまに怪しい依頼であるが、資金援助の件もある。自分が育てる役をしなくてはいけないトウジにとって、ひどく頭が痛む依頼であった。
     とある裏道に、その店はあった。瞳を閉じた人形が、ショーケースに並んでいる。そうと知らなければ、これらはただの人形か、マネキンに過ぎないのだろう。
    「ども、こんにちはー」
     おそらくこちらの心情を知った上で、藤花はさっさと店の扉を開けて中へ入った。品の良い格好をした、可憐であったりかすかに妖艶であったりする少女の人形たち。美の洪水、といえば聞こえはいいがトウジには虚飾に見えてしょうがない。
     藤花が店主と話し込んでいるのをいいことに、トウジは店内を見渡した。そこで、ふと、きになる人形を見つけた。
    「ああ、お客様お目が高い。その子は白雪と言います」
     長く、姫のように丁寧に切りそろえられた烏の濡れ羽色の髪、白い肌、赤い唇。そして赤い道行コートに、黒無地の着物を着た人形。トウジは魅入られたように、白雪と呼ばれたその人形の前に立った。
    「こちら最上級品となりまして、名人の称号を持つ職人が、丹精込めて作り上げた一品、なのですが」
    「……含みがあるな」
    「いえ、一度返品されているのです。品質に問題はないのですが、お値引きして。まあ、これほどのお値段となります」
     値引きされた金額で、目玉が飛び出そうになる感覚をトウジは初めて知った。藤花もやや引き気味に、相槌のようなものをうっている。
    「……まあいい、支払いはアンドヴァリというドワーフに請求してくれ。他に必要なものはあるのか?」
    「ええ、お客様。諸々の必要な品々はございますが……申し訳ないことに、ここで扱っておますものはお客様が、ではなく、お客様を選ぶものらを扱っておりまして……」
     店主が指し示す方を見ると、白雪の瞳がトウジを映していた、大きな、黒い瞳に映った自分がまるで射抜かれたように動けないのを、トウジの冷静な部分が、そんな自分を俯瞰してみていた。
     トウジが名を呼ぼうとしたその時、白雪の瞳がパチリと閉じた。そして何事もなかったように、白雪は微動だにしない。
    「天国の涙を取るにはこれ以上グレードは下げられません。他を——」
    「ま、ちょっと待って、待った。一回気に入られなかったらそこでもうおしまいなのかい?」
    「いえ、プランツに気に入られれば良いだけの話です。こちらとしては白雪は気性も激しくないので、お客様の頑張りしだいであるとしか……」
     トウジは藤花と店主の話をどこか上の空で聞いていた。吸い込まれるような、黒い瞳。そこにある悲しみのようなものは、返品された、という言葉が勝手に作り出した幻影なのだろうか。何かが呼んでいる。そして、目の前で大きな音が鳴った。
    「トウジ、いったん帰ろ。作戦会議は必要だろ?」
     サモナーズのセーフハウスでの作戦会議自体は、さほど実りはなかった。アンドヴァリから指定された金額に合致し、なおかつ天国の涙が取れるグレードのプランツは、白雪しかいない。藤花は多少考えてから、トウジにこういった。
    「トウジ、こうなったらプレゼントで気を引くしかないんじゃないかと俺は思う。てなわけで、何か良いプレゼントを考えて白雪のところに持ってく! そしてあわよくば彼女に気に入られてくれ!」
    「は⁈ まて藤花! 全て俺に任せて本当にいいのか⁉︎」
    「そいういう初さが受けるかもしれないじゃん! やったれごーごー!」
     
    ◇◇◇
     
     トウジは考えに考え抜いた。そして考えを実行に移すたび、玉砕を繰り返した。装飾品を持っていくのも、これで何度目になるだろうか。しかし、これまでは知りもしない流行りの品や、単純に範囲の広そうなものしか送ってこなかった。今、トウジが手にしているのは、美しい刺繍の手毬がぶら下がった簪であった。店内を通され、白雪の前に通される。
    「……その、なんだ。これが、お前に似合うと思って持ってきた」
     トウジはそっと、顔をかすかに赤くしながら、その簪を白雪の手に持たせた。かすかに彼女のまぶたが震え、その黒い瞳に、またトウジの姿が映る。
     あ、と声が出る前に、白雪が、この世の何よりも、ひどく儚い綺麗な笑みを浮かべた。
     
    ◇◇◇
     
    「トーウジ! それじゃあ白雪ちゃんから天国の涙取れないじゃんか!」
    「それ、はそうだが! 白雪を泣かせることはまかりならんぞ!」
    「議論が堂々めぐーり! トウジー! この幸せ者ーー‼︎」
     罵倒なのかすらもわからない言葉を藤花はトウジに投げつけた。トウジの背に守られながら、トウジが温めたミルクを、白雪は幸せそうに飲んでいた。その顔に、黒い瞳に悲しみの陰りはない。トウジはその事実にかすかに笑み、後ろに注意を向けていたため、藤花の突撃から身を守れなかった。
    掃き溜めとヴィーナス(ケンタ) ゴミ捨て場に、見たこともないほどとても豪華で綺麗な服を着た、可愛い女の子が置き去りにされていた。目を閉じている女の子に、ケンタはそっと近づく。天使か、それこそ女神のようにきれいだと思った。ケンタがその烏の濡れ羽色の髪に触れると、少女が目を覚まして、こんにちはとでもいうように、ケンタを見て笑った。それがケンタと彼女の出会いであった。
     しばらくしてケンタに追いついたバーゲストが、これは観用少女であるとケンタにいった。それこそ貴族の道楽と呼ばれるほど、彼女ら自身を身請けするだけでとんでもない値段がする生きた人形であると彼は言った。
    「……おねえちゃん、お人形なの?」
     その観用少女は、曖昧な笑みを浮かべた。この子はきっと、盗品だ。盗んだけれど目を覚さなかったから、当て付けにここに捨てられた。この子は観用少女の店に返そう。そう言ったバーゲストに、ケンタは素直にうなづくことはできなかった。
    「……ちゃんと、ちゃんとお世話する。だから、」
    「…………はあ、観用少女の食品は用意できない。だから、それで彼女が枯れてしまうかもしれない、それは承知してくれ」
     渋い顔でそう言ったバーゲストは、帰り道、少しだけ上等な牛乳と、ケーキを買ってくれた。ゆっくり、人肌くらいまで沸かして飲ませてあげるといい。ケンタは彼女の手をぎゅっと握ってから、バーゲストの言葉にこくりと頷く。
     最初に来ていた洋服はバーゲストがお金に変えて、いくつか違う洋服を用意してくれた。今日はこれにしよっか、とケンタが組み合わせて選んだ服を着た彼女の、髪の艶は少し落ちたかもしれないが、浮かべる笑みの色は変わらない。
     ケンタは彼女が着替えている間、人肌になるよう、普通の牛乳を温める。本当なら、それこそおひめさまのように高価なミルクと見たこともないような砂糖菓子で生きるのが観用少女だと、イヌガミといっしょではあったが一人でこっそり行った観用少女のお店で教えてもらったケンタは知っている。
     ケンタは温めた牛乳と、二つ入りのケーキをそれぞれの皿とカップに入れる。天満月、という名前があるらしい彼女の横で、同じように温めた牛乳と、苺のショートケーキを食べる。彼女の髪が薄い月光を照り返して、狭い部屋を照らすかすかに照らす。
     彼女はケンタが温めた牛乳を飲み干すと、心底から幸せそうな笑顔を浮かべる。それを見たケンタも嬉しくなって、苺のケーキが出るときいつもしているように、自分が感じた幸せのおすそ分けをするように、ケンタは彼女のお皿に、自分のケーキに乗った苺をこっそりのせた。
    双眸は、いのちが燃える星の色(シンヤ) シンヤはとある人気の少ない裏通りを、キューピットとともに歩いていた。カルキに知られれば、きっと護衛が必要だとついてこようとするから、タローマティに少し出掛ける、すぐに戻るから心配しないでほしいと告げて、シンヤは少しこそこそしながらこの裏通りにたどり着いた。
     その店のショーケースには、今日は何も入っておらず、CLOSEと書かれた小さな看板がひどく無愛想にかかっている。ここは観用少女を商う店だ。シンヤがたまたまここに逃げ込んだ時、店中の少女が目を覚まし、店をしばし休業まで追い込んでしまったのは記憶に新しい。
     きっと店の中には、一体しかいないはずだ。シンヤが入っても、目を覚さなかった観用少女が、たった一体いた。気性は激しくはないが、今まで誰に所望されても目すら開けなかったのです。通ううちに、今はお茶を振る舞うようになってくれた店主はそういっていた。
     その少女のかたちをした生きた人形が、品が良い椅子に座らされていた。青い鱗のような宝石が散りばめられた人魚のような形のドレスを着た彼女の、烏の濡れ羽色の髪は今日も艶やかに艶を放っている。
     シンヤは正面に置かれた椅子に座る、お店で作っている新作のスイーツのこと、最近できた昼行灯な記憶喪失らしくない友人のこと。自分のこと、カルキやタローマティのこと。自分の今日の1日を、まるで母親に話すように、シンヤは語っていく。
     目の前の少女の双眸は、命が燃える星の色と店主がいっていた。まだ来ない運命を待つ彼女の目の色を見たいという、ささやかな、けれど少しのおそれを含んだ願望は、彼女の瞳が開いた時、自分はそれを嬉しいと思うのか、ああ、またやってしまったと思うのか、自分がどのような心地であるのかがわからない。言ってしまえば、本当に、目を覚ましてほしいのかすらわからないのだ。
     異国の味がするお茶を口に運びながら、シンヤはとりとめのない話を少女に語る。楽しい話ばかりを語るとき、シンヤは自分がひどく卑怯者なような気分に陥る。楽しいこともある、それは本当だ。けれど、自分の権能と、いっそ自分を崇拝さえする人々の話は、彼女に聞かせたくなかった。
     そろそろリンゴの美味しくなる時期だから今度の新作はタルトタタンとか、もうちょっと冒険してオリジナルのケーキを作るんです、と語る自分の、確かに重ね続ける罪を彼女に知られたくないのだろうか。
     シンヤは時折彼女の夢を見る。今着ている、青い鱗のような宝石が散りばめられた人魚のような形のドレスではなく、もっと簡素な服を着た彼女が、シンヤ自身が沸かしたミルクを、やわい笑みを浮かべてから飲み干す、ささやかな日常の夢を見る。
     けれど彼女の目はいつも、果てのない宇宙のような黒い空洞になっていて、そしていつもそれを認識すると、目が覚めるのだ。
     その双眸は、命が燃え立つ惑星の色だという。彼女の目の色を知るときがくるならば、あの夢は、どのような終わりを迎えるのか。シンヤは冷めていくお茶を手に抱えながら、触れることさえできない彼女の顔を、ただ見つめていた。
    それを世界は愛と呼ぶんだ(タケマル) タケマルは少し不器用な手つきで、ミルクパンに注いだミルクを人肌まで温める。タケマルは最近、観用少女と共に暮らしていて、人肌に温めたミルクを飲んだ時のあの極上の微笑みと、自分を運命と定めてほしくて通い詰めたタケマルに初めて微笑んでくれたあの時の笑顔はタケマルの中にひどく幸福な余韻をもたらし、人によってはだらしないと評されそうなほどその顔を緩めさせる。
     これだけでも目玉が飛び出そうなほど高いミルクを沸かさないように気をつけながら温めて、彼女の一番気に入っているティーカップにゆっくりとミルクを注ぐ。そして自分はその笑顔を肴に酒を飲む魂胆で、ティーカップとは別にワンカップを片手に持つ。
     タケマルともに暮らしている少女の銘は寒桜という。少し冴え冴えとした光を放つ目がなりを潜め、タケマルに幸せそうにやわくわらうの見るときが、今のタケマルには一番幸せならひとときだ。
     タケマルは彼女にティーカップを持たせて、自分は酒を飲むつもりでワンカップの蓋を開けた。上機嫌でワンカップの酒を少し飲むのを、寒桜はじっと見つめている。ミルクを飲まない寒桜に、タケマルは少し不思議そうな顔をした。寒桜はティーカップを持ったまま、タケマルのもつワンカップに目を当てている。
     その仕草で飲みたいのだ、と気づいたタケマルであったが、決してミルクと砂糖菓子以外はあげてはいけませんよ、と何度と何度も店主に念を押された身だ。断腸の思いでだめだ、と告げたが、寒桜の悲しそうな顔を見れば、なんとかしてやりたいと思う。思うが流石にワンカップの酒を与えるのはタケマルは躊躇った。悲しみに染まりゆく寒桜に、タケマルは根負けして、ワンカップ以外の酒を探すことにした。とはいえ、上等な酒などタケマルのもとには無い。うんうん悩んでいると、ふと先日依頼主から頂戴したが、タケマルには甘すぎて冷蔵庫で死蔵しているチョコレート味のリキュールがあったことを思い出す。一度くらいなら、その時の彼は確かにそう決心したが、一回くらいなら、が本当に一回で終わることなど稀なのを、この時のタケマルはすっかり忘れていた。
    「で、可愛いから与えに与えてすっかり成長して大人にしちまったって?」
     これを最後の一回だからな、を繰り返すうちに、リキュールはなくなり、少女は成長してすっかり大人へ変わり、今はモトスミのところの子供たちに読み聞かせができるほど言葉も覚えた。一回、一回くらいなら、を繰り返した結果。モトスミとアマツマラにこってりしぼられたタケマルは、成長した寒桜に、申し訳なさそうな表情をたたえながら、視線を当てる。
     視線に気づいた寒桜は、たけまる、と彼が一等好きな顔で、彼の名を呼んだ。それだけで締まりのない笑みを浮かべるタケマルを見て、モトスミはだめだこりゃ、と呟いて、大きな大きなため息を吐いた。
    さくら、みるく、午睡のまにまに(シノ) 今日もシノは、細心の注意を払い、彼女のためにミルクを温める。決して煮え立たないよう、けれど冷たくはないよう、人肌になるように。
     後ろから聞こえる足音と、鼻先をかすめる桜の香りに、思わず尾が反応するのも致し方ないだろう。人肌に温まったミルクを、豪奢な細工のなされた、未だ見慣れない形のティーカップに入れ、彼女の毛艶を保つための砂糖菓子もひとつつける。
     咲耶姫という銘のついた、名人が丹精込めて作り上げた観用少女がシノをなぜ主人とすると決めたかは、シノにはわからない。しかし、桜色の着物と濃い燕脂の袴を着た観用少女は、あいするひとと面差しがよく似ている気がした。
     彼女に視線を合わせるために屈み、シノはそっとティーカップを差し出した。咲耶姫はティーカップを両手でとり、ゆっくりと飲んでいる。今日、彼女の烏の濡れ羽色の髪は、高い位置で結ばれている。時折スズカの舎弟たちが結っていくことがあるから、彼女らがやったのだろう。着物の着付けはスズカがしている。そのせいか、咲耶姫はスズカに懐いているような仕草を時折見せる。
     ミルクを飲み干して、桜色のまなこを和らげ、やわい笑みを見せる咲耶姫に、シノはあいするひとがまだ幼かった頃の、過去をみる。懐から懐紙を出してミルクのあとを拭いてやり、砂糖菓子を手に握らせ、シノは彼女を持ち上げてソファへ向かった。
     砂糖菓子を食べ終わった彼女は、眠たげにめをこすっている。そっと彼女をソファに横たわらせ、シノもそばに座った。咲耶姫はシノの足に頭を乗せて、桜の香りを薫せながら、また笑った。それをみると、シノは何かが満たされるような心地になる。
     近くのテーブルに置いてあった香り玉をシノは咲耶姫の口元に運んだ。スズカと舎弟たちが食べていくのもあるとは言え、だいぶ量が少なくなったそれは、咲耶姫がシノのそばにある時間がそれなりに長いことを示している。シノは積極的に彼女に触れはしない。それでも彼女が微笑い、毛艶も損なわれないのは、シノが確かに彼女に愛情を注いでいるからだ。淡い桜の香りが鼻をくすぐる。シノはやはり遠慮がちな仕草で、簡単に結われた彼女の髪を崩さない程度にくしけずる。
     明日もシノは、細心の注意を払い、彼女のためにミルクを温めるのだろう。決して煮え立たないよう、けれど冷たくはないよう、人肌になるように。それを日々の繰り返しとすることに、シノは穏やかなよろこびを覚える。淡い桜の香りが鼻をくすぐる、午睡にはちょうどいい気温と、胸に満ちつつある幸福に、シノはかすかにわらった。
    せいじゃたち(アイゼン) アイゼンは今日もその店の戸を潜る。おや、またいらっしゃったのですか。いっそ後ろに無礼の文字がつきそうなほど慇懃に、店主はひどい仏頂面をしたアイゼンに声をかけた。お茶を用意している店主は、今日こそは気を引けそうですかと、言った。今度は慇懃ですらなくただの無礼である。
     アイゼンが足繁く通う理由である観用少女がいる部屋にアイゼンは通された。店主側の対応も慣れたもので、茶碗と急須だけを残し、部屋に入ってくることはない。アイゼンは茶に手はつけず、目の前の観用少女に目を当てた。彼女から、自分に伸びるものは何もない。以前店主が言っていたことを思い出す。この子は誰が相手でも、どんなものを捧げられても一度も目を覚ましたことはないんですよ。別にひどく気難しい観用少女というわけではない、寧ろ性質は温和なのです。いえ、温和だからこそ、捧げに捧げて生命さえ捧げるものがいたから目覚めたくないのかもしれない。そのようなことがあったから怯えて目覚めないのかもしれませんが。
     観用少女は生きた人形だ。生きているからには、多少の喜怒哀楽を示す。持ち主からの愛情が足らなければ最期は枯れて消える。彼女の瞳が客の前で開いたことは一度もない。日に一度、己を餌係と称する店主がミルクを飲ませる時以外、目を開くことはない。
     そもそもアイゼンが彼女のもとに足繁く通うようになったきっかけは、捧げに捧げて命すら彼女に捧げたものが、同級生であったからだ。美術部でもあったその生徒は周囲の直接であったり遠回しであったりした忠告に一切の耳をかさず、目を開けることもない人形に恋をし、絶望かもつそれ以上に捧げられるものがないと判断したのか、彼女を書いた油絵一枚を遺し、彼は彼女の前で命を絶った。
     店主がアイゼンと彼が同級生であったことなど知るはずもないが、六本城学園の制服を着て現れたアイゼンにわざわざその生徒のことを話すのは、酷く婉曲にもう来るな、と言っているということだ。
     彼の遺した未完の絵には、笑う彼女が描かれている。しかし、ついぞ見ることの叶わなかった瞳は、白く塗りつぶされていた。瞳の色のない絵を、周囲が、アイゼンが絵が未完であると判断するのは当然のことであった。
     アイゼンはなぜ自分が足繁く彼女のもとに通う理由は、きっとあの絵なのだ。完成させたいわけではない、そもそもアイゼンが手を加えて良いものだとも思わない。
     それならなぜか。そう考えた時、彼の空想上でしかない笑う彼女を見たいと思ったのだ。白く塗りつぶされたその瞳の色を、見たいと思ってしまったのだ。
     今日も彼女は目を覚ますことはない。きっと、明日も目を覚ますことはないのだろう。アイゼンが彼女を目覚めさせるために決定的な行動を起こさない限り、彼女はきっと、微睡の中に取り残される。
     アイゼンは、おっかなびっくりに近い仕草で、彼女の烏の濡れ羽色をした髪に触れる。その微睡を壊すのが、きっと自分ではない誰がであるという事実から目をそらすように、アイゼンはその髪を何度も優しくくしけずった。
    魂と肉、そして消える21gの考察(アルスラーン) 曰くパンは肉、ワインは血を表す。そして、乳と蜜は良きものである。アルスラーンは温めたミルクを、翠玉という名の観用少女に渡してやりながら、ふとそのようなことを思った。ミルクと愛情を糧とし、それが絶えれば枯れ果てる生きた人形。それが観用少女と呼ばれるものだ。己が運命と定めたものが手ずから温めた乳を飲み、蜜を固めた菓子で毛艶を保ち、愛情をたっぷりと与えられて己を保つ生ける人形をアルスラーンは、店ではなく、公園で拾ってきた。後々天使長が観用少女を商う店で事情を聞いたところによると、ローンがしばらく滞っていた観用少女であった。彼女の運命が何を思って彼女を捨て、何を思って公園に置き去りにしたかは後からおおよそ知れた。持ち主は天井と床がくっつくのではないかと思うほど小さな部屋で、一人きりで死んでいだからだ。
     その後観用少女、翠玉はメンテナンスに出され、アルスラーンは幾度も彼女のもとを訪れ、そしていつのまにか彼女の運命となった。翠玉が目を開き、アルスラーンに笑いかけたとき、言いようのないかなしみが、アルスラーンを支配した。しかしまだメンテナンスに出させるのも忍びなく、定価より安くしますというどこか信用ならない店主の言葉にアルスラーンはうなづいた。同行していた天使長は提示された定価より安い金額にやや引き気味な声を上げていたが。
     今日の翠玉は、ジブリールに髪を結ってもらって、マリアに一輪の花をその髪に挿してもらっていた。なんだかんだいって青山のギルドは男世帯だ。彼女らは、まるで妹ができたようだと笑い言っていた。
     そしてミルクを干した翠玉は、その翠色の瞳をふわりとやわらげ、やわく美しい笑みをアルスラーンに向けた。アルスラーンは美味かったか、と快活な声を上げ、薄く緑の釉薬をかけたような黒髪を結った部分を崩さないように撫でてやる。
     人がパンとワインでできているなら、観用少女は乳と蜜でできているのだろうか。悲しみのない、21g分の魂が消えて肉を残してこの世から去る人と、乳と蜜でできている儚い存在である、21gすら残さず消える観用少女。
     翠玉の、髪と瞳が光を受けてアルスラーンの神器の緑玉と似ているようで違う色をたたえて煌く。アルスラーンはやわらかく心に満ちるような光に目を細める。きっとあの小さな部屋で、同じように彼女は笑っていたのだろう。持ち主は彼女が大切だったのだ。よく晴れた昼下がりの公園に、もし雨が降っても濡れないように、物陰にひっそりと、彼女はいたのだから。アルスラーンは今度は翠玉の髪が乱れるほど、大雑把に髪を撫でた。そして、今日は翠玉を見つけた公園に行こうと思った。彼女に注がれていた愛情を、アルスラーンは、少しだけでもいいから、彼女と共有したい。そう持ったのだ。
    遠雷と(サンダーバード) ずいぶん可愛らしいマスコットを置くようになったな、と揶揄するような響きを持ったガンダルヴァの言葉に、まあ、事情があるのさ、とサンダーバードはミルクを人肌に温めながら、やや曖昧な苦笑を返した。観用少女、己が選んだ持ち主の愛情を受けて生きる、生きた人形。とおる裏通りにある店で唯一商われているそれの手を、サンダーバードがとったのは、黒い目に微かに走る雷の跡がかつての悲しみを鮮烈に思い出させたからなのは、サンダーバード自身わかっていた。
     興味本位を隠さないガンダルヴァの視線に、観用少女は興味はないらしく、ただミルクを温めるサンダーバードの器用な手を見つめている。淡くしている照明の光を受けて、目に幾重にも走る金色だけが、その存在を知らしめるように煌めくのに、ガンダルヴァは、良い買い物をしなさったようだと笑いが微かに乗った声で告げた。そして、蜜月を邪魔しちゃ悪いからもう帰るとも。
     似たような役割を持つ彼は、そのまま本当に踵を返してドアから出て行った。やれやれとサンダーバードは首を振ると観用少女にミルクを手渡した。ゆっくりと、ミルクを干してゆく観用少女を見てサンダーバードが感じるのは、喜びとは遠い感情であった。ミルクを味わっているのか、閉じられた目。閉じられた目に刻まれた雷鳴を形にした金色は、過去を、サンダーバードの指針となっているあいつを思い出させる。嬉しい時に泣き、悲しい時に笑っていたあいつ。あっけなく去ってしまったあいつが、つけていった傷跡を抱えるものは今は幾人いるだろう。観用少女はミルクを干し終わると、淡く笑んだ。この観用少女は少々控え目な性質なのだと、観用少女を商う店の店主は言っていた。しかし、その瞳に封じられた雷霆は、その存在を主張するかのようにその光を強めた。
     ああ、とサンダーバードは声をつまらせる。過去とはすこしも重ならないのに、思い出を蘇らせるその目は曲者だった。数度、遠く響いた雷鳴を思い返させる。サンダーバードは、そっと目を伏せた。今ここにいるのはヒーローとしての彼でもバーテンダーとしての彼でもない、ただかつて友を失った男が、どこか所在なくいるだけだった。
     サンダーバードは観用少女の銘でなく、かつての悲しみの名を呼んだ。応えはない。当たり前だ、彼女はあいつではなく、また、過去でもない。サンダーバードはすこし目を瞬かせてから、観用少女の持っていたカップを下げた。すこし、すこしだけ少女の目を見つめ、彼女に戯に、ウィンクをした。そうしてそこにあるのは、いつもの己であればいい。過去の痛みを思い返させる目をした少女は、ただ、淡く笑っていた。
    遠鳴り(ツクヨミ) とあるホストクラブに、時たま現れる観用少女がいる。夜の帝王の持ち物である観用少女は、誰にでもその極上の笑みを見せる。そのためホストクラブに来た客は、運命の相手以外には笑顔を見せないと言われる観用少女から、幸運の分前を得ているような気分になるか、それとも違う理由か、海の匂いを微かに発する観用少女が店に出ると、その日の売り上げは覿面に伸びる。
     そして閉店で客が去り、夢の時間が終わった後、乙姫、といつもの甘くやや気怠げな声を出すツクヨミの手には、人肌まで温まったミルクがあった。乙姫がゆっくりミルクを干すあいだ、ツクヨミは彼女を膝に乗せ、どこか記憶を刺激される、微かな海の香りを楽しみながら、彼女のよく手入れされた艶のあるぬばたまの髪を撫で、時たま指先で遊んだ。
     ミルクを干した乙姫の姿は、愛しいきゃうだいを宿していたいつかのあの子によく似ていた。連れ帰ってしまったのは、だからかもしれない。
     ミルクを干した乙姫は、極上の笑顔をツクヨミに向けた。ツクヨミは乙姫の口の端についたミルクを拭いてやりながら、香り玉の入ったキャンディポッドを引き寄せる。
     彼女は誰にでも、ツクヨミに見せるような笑顔を向ける。時たまそういう観用少女もいるとは店主も言っていた。香り玉を一粒、口まで運んでやりながら、ツクヨミは、だからこそ自分はこの子を連れ帰ったのだ、とおもう。流されない記憶のなかの、流されてしまったあの子をおもう。笑顔を絶やさない子だった。誰にでも、笑いかける子だった。
     香り玉を食べた直後の乙姫は、海の香りがすこし強まる。髪を優しく撫ぜてやりながら、ツクヨミが見ているのは現実の彼女ではなく、もう記憶の中にしかないあの子のことだった。ツクヨミさん、といつも囁くように己の名を呼んでいたあの子と、笑みをたたえる乙姫がたぶる。
     どこかから、懐かしい遠鳴りの音が聞こえるようだ。その幻の遠鳴りは、現実を侵食するように、だんだんとその音を明確にしていく。ツクヨミさん、ツクヨミさん。あの子の声が聞こえる。ツクヨミさん、すき、です。その声に、自分は応じなかった。応じれば何か変わったろうか、少なくとも、泣かせることは、なかっただろう。遠鳴りはあの子の泣く音だ、潮の香りは、あの子の涙が香っているのだ。乙姫はただ笑っている。記憶のあの子は、いつだって泣いているところを思い出す。
     乙姫、と囁く声の大きさは、いつかのあの子と同じ音量だった。ツクヨミは彼女の髪を撫ぜる手を止めず、ただ、記憶の底からこだまする、遠鳴りの音を聞いていた。
    あいの燃え滓(物部先生) 休み時間になると生徒たちが和気藹々と、その人形を構っている光景が自分でもすんなりと受け入れられるようになったということは、あの桜の香りを漂わせる観用少女を買うことになってから、それなりに時間が過ぎ、定期的に支払っているローンの額も減ったということだった。名人の手で作られた、特上の品でございます、と抱きついて離れない観用少女の説明をする慇懃がすぎていっそ無礼な口調の店主に、あなたに買われないければメンテナンスに出さなければいけないと言われ、それからはあれよあれよと言う間にローンがくまれ、おまけと称されて押しつけられな多数の観用少女用のミルクやドレスの数々を抱え、少女の手を引きながら家路についたはそんなに前ではないと思っていたのだが、案外時間は過ぎるのは早いものらしいと、キョウマは思った。
     それなら生徒が下校した後、観用少女にミルクを温めてやる習慣にも、それなりの歴史が今はある。沸騰しないように、慎重に人肌に。温めたミルクは観用少女に渡してやり、自分はいささか適当に入れた緑茶を湯呑みに入れる。観用少女は、ゆっくりと緩慢な仕草でミルクを干す。その間、黒く長い髪は青く儚い光を照り返しながら艶めいていて、キョウマが密かにミルクの時間を楽しみにしているのは、ミルクを干した彼女が極上の笑みを浮かべるのもあるが、どこか安っぽさを感じせる照明に照らされても、そのうつくしさをすこしも損なわない青い光に魅入られたのかもしれない。
     キョウマは緑茶を飲みながら、観用少女に今日の出来事を、語りかける。率先して観用少女の世話をしてくれ、ミルクと砂糖菓子以外のものを取り締まってくれる本居シロウという生徒のこと、彼によく彼女に食べさせてはいけないものを見せて叱られている薬師寺リョウタと高伏ケンゴのこと。キョウマが請け負っているクラスの少年少女らのことを、一人づつ、一人づつ、大人しく耳を傾けているらしい観用少女にゆっくりと語っていく。そして、今日、転校してきた、学園の新顔のことも。
     キョウマは、必要以上に観用少女に触れない。そのことを特に不審がられたことはない。もとより忙しく立ち回っている身だから、皆そう言うものだと思っているのかもしれない。触れない、と言うよりは、触れられないのだ。積み重なった罪悪感が、手を引く手の柔さが、キョウマの抱える秘密を鋭く突き刺す。彼女が纏う青い光が、薄いヴェールのように彼女を覆う。淡く笑う観用少女は、不幸からはとおい場所にいる。愛され生きる人形は、たしかにここにあるのに現世から隔絶されているようだ。
     キョウマは観用少女のものでない名をいくつか呼んだ。観用少女はただ笑むだけで、名はかつての日々の燃え滓として、あるだけだった。
    夜船ヒトヨ Link Message Mute
    2022/06/23 20:45:35

    花、美し/かなし。きみ満ちて

    ほさも、主2が観用少女のパロ。古めの話なので少しうちの主4の名前出てきたりします。一つ一つは短いですがそこそこ数はあるので相手のキャラは目次を参考してください。
    #東京放課後サモナーズ
    #放サモ
    #主2受け

    感想等おありでしたら褒めて箱(https://www.mottohomete.net/MsBakerandAbel)にいれてくれるととてもうれしい

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