もう「ハロウィン止めた方がいいのかな」なんて言いませんから!【卑弥呼と名無しの弟と壱与】
「卑弥呼さん卑弥呼さん! トリックオアトリート、ですよ!」
玄関の扉が開いた瞬間、壱与はハロウィンお馴染みの言葉を放った。
澄んだ秋晴れの下、真正面の壱与の清々しい笑顔に、扉を開けた卑弥呼も気持ちの良い笑顔になる。
「いらっしゃい壱与! 約束の時間より少し早かったわね?」
「あはは、楽しみで待ちきれなくって」
卑弥呼に「入って入って!」と招かれ、壱与は「お邪魔しま~す」とすっかり慣れた卑弥呼の住宅に足を踏み入れた。
卑弥呼と卑弥呼の弟、そして壱与は、幼少期からのご近所付き合いの仲だ。昔から仲良しの三人は今や卑弥呼と弟が高校生、壱与が中学生となっても仲良しのまま変わりなく、壱与がよく遊びに行く卑弥呼の家に慣れたのも自然であった。
「ところで早速のトリックオアトリートということで、いきなりお菓子をご所望ね、壱与? それともあたし、悪戯されちゃおうかしら?」
「いやいや、さっきのはテンション上がってハロウィンお決まりの挨拶を使っただけでして、今すぐお菓子を催促してる我儘壱与ではなくてですね……。とはいえお菓子もらえるならもらっちゃおうかな~?」
「はいはい、それじゃあ飴玉どうぞ!」
「わーい! ありがとうございます!」
正確には、本日は十月三十一日ではなく、その前日の十月三十日である。卑弥呼と卑弥呼の弟と壱与は、十月三十一日に最も近い日曜日にちょっとしたハロウィンパーティを開催する恒例となっていた。
ハロウィンパーティの内容は、各々で好きなお化けの仮装をして、お菓子やジュースを用意して、わいわい喋って午後を過ごす程度だ。だけど幼き頃から三人にとってはその過ごし方が毎年のハロウィンであった。
かくして今年も壱与はハロウィン仕様のリビングに迎えられた。視界には、かぼちゃに色画用紙の目や口を貼り付けた手作り感満載なジャック・オ・ランタン、可愛らしく手頃な小ささの置物の白いおばけ、テーブルにはハロウィンモチーフの色鮮やかなテーブルクロス。その上に配置されたグラスはもちろん三人分、壱与がいつも座る席には壱与専用グラスだ。既にテーブルの中心には市販の様々なお菓子の小山ができあがっていた。
「あれ? 弟さんはどちらに?」
「それがねえ、ちょっと前に買い物してくるって出かけちゃったのよね」
「あらら、私と入れ違いになっちゃったんですね。私が早く来ちゃったから……、考えが足らず申し訳ないです……」
「お菓子の準備も飾り付けも済んでたし、少し早くてもぜんぜん平気だったわよ」
「……そうですか? お言葉に甘えちゃいますよ?」
「弟もすぐ戻るって言ってたもの、三人揃ったらハロウィンパーティ開催しましょ。今年も壱与の好きな黄色のしゅわしゅわジュース、用意してるわよ!」
「……わかりました。お言葉に甘えますね!」
壱与は沈みかけた気分をしゅわしゅわジュースの存在で持ち直し、ソファに勝手知ったる顔でぽすんと腰掛けた。そして、頭に黒い犬耳の飾りを装着する。
「壱与、今年の仮装は……動物の耳? なのね?」
「はいっ。今日の壱与は狼男……もとい、狼女なんですよ〜」
壱与は作り物の黒い犬耳に合わせて、黒色のセーターとスカートとタイツで揃えていた。腰のベルトには黒いふわふわの作り物しっぽをぶら下げている。
「うんうん、かわいい! 似合ってるわよ!」
「えへへ、お褒めに預かり光栄です。卑弥呼さんは何の仮装にしたんですか?」
「よくぞ聞いてくれました。見て、この魔女帽子!」
卑弥呼はすぽりと黒色の三角帽子を被った。まさに、物語に登場する典型的な魔女のイメージに沿った帽子である。
「おおっ、なるほど魔女卑弥呼さんでしたか。卑弥呼さんが全身黒色を纏うって、何だか新鮮な気がしますね?」
「そう言われてみればそうかも?」
卑弥呼の格好は黒色の三角帽子に、黒色のコスプレっぽいマント、黒色のセーター、黒色の……珍しくロングなスカートと、黒色のタイツだ。
壱与は黒色被りを若干ネガティブに気にしかけるも、卑弥呼のあっけからんとした様子に「まあ、気にするようなことでもないかな」と思い直す。明るい卑弥呼の隣に居るときは、一緒に明るく楽しく過ごしたい壱与であった。
「……ええ、卑弥呼さんも似合ってますよ、魔女の仮装! 黒色もお似合いです」
「ふふふ、ありがと!」
二人の装いは本格的ではなく、あけすけに言えば安っぽい仮装である。そこらの雑貨屋で手軽に買える装飾品に、仮装テーマに沿ったそこそこ普通の衣服を選んでいるだけなのだから。
けれど、それでも、卑弥呼達はハロウィンパーティを構成する一要素として、お化けの仮装を楽しんでいた。
褒められた卑弥呼は上機嫌に魔女帽子をひょいと脱いで見せる。
「実は今日は髪もちょっぴり編み込み入れてるのです。ほら、ここ!」
「こんな帽子で隠れて見えにくいところに? これはまた珍しい……」
こだわりポイントをアピールされた壱与は感心し、すぐに思い当たる。
「ははーん、さては弟さんにやってもらいましたね? こんなに細かいおしゃれ、卑弥呼さんだけでは無理でしょう」
「失礼ね! それはそれとして弟がやってくれたのは、まあ、事実ですけど」
「でしょうねー。卑弥呼さんよりも卑弥呼さんの身だしなみに気を使われてる方ですからね。苦労されてるというか楽しまれてるというか何というか……」
と、和やかに話していた壱与であったが、ふっと、表情が沈痛なものに変わり、卑弥呼の家に置いてある壱与専用クッションに顔をうずめる。
「……卑弥呼さん。ハロウィンって、子供のイベントでしかないんですかね?」
「どしたの急に。何かあった?」
突然にシリアスな雰囲気を作ってきた壱与の隣に、卑弥呼も雑にぽすんと座り、とりあえず二つ目の飴玉を壱与に手渡す。受け取ってしまった壱与はとりあえず口の中に二つ目の飴玉を放り込んだ。
「それがですね。この間、中学校でそういう話題になりまして。中学生も高校生も、もう子供じゃないでしょう? あ、世間一般的には子供扱いですけどね?」
要するに『お菓子をくれなきゃ悪戯するぞをやる子供の年齢ではないのでは?』の意味である。壱与はもごもごと口内で飴を転がしながら、
「そもそも、私達は毎年お菓子食べてジュース飲んでお喋りしてるだけで……。じゃあそれハロウィンの名目じゃなくてもいいんじゃないかな? って……」
うじうじと苦悩を溢す壱与に対し、卑弥呼はいまいち深刻になれず首を傾げる。
「お菓子おいしいし、わいわい騒ぐの楽しいし、あたしは今年も来年も三人でやりたいけどなあ、ハロウィン」
「……あと、弟さんはお菓子あげるばっかりでしょう? もしかしなくても私は負担になってませんか?」
「そんなに不安にならなくてもいいじゃない。弟は使えるお金の範囲内でお菓子用意してきてると思うわよ? それに弟だってハロウィン、毎年楽しみにしてるのよ。この前もね、壱与にあげるお菓子を楽しそうに選んでたんだから」
「そう、なのかな……。私、今年はしっかり楽しみますけど、来年からはハロウィン止めた方がいいのかなって、悩んでしまっ……て…………」
そこでぐだぐだ喋っていた壱与の口も視線も体の動きもピタリと止まり固まった。卑弥呼はどうしたんだろうと壱与の視線の先を見やる。
リビングの扉。少し開いたすぐ先に、卑弥呼と壱与の待ち人である卑弥呼の弟が呆然と立っていた。彼は片手に小さな買い物袋を下げていて、その袋からややはみ出て見える中身はオレンジや紫色の包装で、つまりいわゆるハロウィン限定お菓子がぎゅうぎゅうに詰められており―――
数秒の沈黙。
やがて彼はすっと踵を返し―――
「―――違います弟さん! 壱与はお菓子大好き! ハロウィン大好きですから! トリート! トリート!」
「そう、お菓子最高! じゃなくてハロウィンでもらえるお菓子最高! お菓子くれないとやばい悪戯しちゃうわよほら、お菓子ちょうだい! ね⁉」
◇◇◇
「えっ、こちらは足りないかもと思い立って急に補充してきた予備分のお菓子なんですか? 本命のハロウィンお菓子は戸棚の裏に隠して準備万端だった??」
「しかも昨夜にこっそりかぼちゃクッキー焼いてたですって⁉ き、気づいてなかった……。弟がそこまでハロウィン楽しみにしてたことにも気づいてなかった……」
「ねえ~~そんなにしおしおしないでくださいよお~~! もうハロウィン止めた方がいいのかななんて言いませんから~~!!」