桜見る二人 お疲れ様です、と守衛室の警備員さんに挨拶をして裏口から外に出る。
歩道の両脇には桜並木が続いていて、満開の花が夜空を埋め尽くしていた。
駅までの帰り道は何の面白みもない暗い一本道だけど、この時期だけはお気に入りの場所になる。夜も遅いせいか、辺りには誰もいない。この光景を独り占めできるなら遅くなるのも悪くない。
と思っていた。いつもならこの時間は誰もいないのに今日は前を歩く男女が一組。
女性は私と似通った背格好、男性は細身で長身。手を繋いで身を寄せ合うように歩く様から恋人同士なのだろうと察せられた。
それにしても二人とも不思議な格好をしている。薄暗い街灯しかないせいではっきりとは見えないけど、制服……? にしては装飾が派手すぎる。もしかしたら何かの衣装なのかもしれない。
桜を独り占めできないことを残念に思いつつ、前を歩く二人に気付かれるなんて野暮なことをしないように注意深く距離をとって後ろを歩いた。
仲睦まじく歩く二人の目的はお花見らしい。
女性は熱心に桜を見ては、時折男性に何かを話しかける。それとは正反対に男性がほぼずっと見ているのは女性の方。促されたときだけ桜に視線をやるも、すぐに女性の方に向き直る。隣にいる人のことが大好きなのがわかって、微笑ましくなった。
暗さと距離ではっきりとは見えないけど、二人が楽しんでいるのはシルエットが物語っていた。
前を行く二人が立ち止まった。そこは桜並木の終わりで、どうやら桜を惜しんでいるらしい。もう一度眺めようとしたのか、振り返ろうとした女性を男性が引き寄せて抱きしめた。
あー……早く帰りたいんだけどな……。さすがに横を通っていく勇気はないので、早めに歩き出してくれることを願って歩く速度を落とした。
女性を抱きしめたまま、唐突に男性がこちらを向いた。なんとなく目を向けた風ではなく、はっきりと私を見ている。
え? 気付いてたの?
深緑の髪に一房だけ明るい非対称の髪型、微笑んで秘密と言わんばかりに唇にあてた指を覆う白い手袋がやけに浮き上がって見えた。
この距離でこんなに見えるはずがないのに。
目を逸らすことができなくてそのまま立ち尽くしていると、風の音と共に目の前が桜色に覆われた。地面に落ちている花弁が巻き上げられたらしい。さっきまで風なんてなかったのに何で急に? しかもこんな強風?
視界が晴れたときにはもう二人はいなかった。脇道なんてないのに。走り去るにしては早すぎるし、もしかして幽霊だったりして……。
さっきの風といい、変なことばかり起きる。寒気がして、一瞬身を震わせて駅までの道を走った。
その年の秋、地域一帯の再開発とやらでこの桜並木はなくなった。もっとたくさん見ておけばよかったと少し後悔し、あれだけ惜しんでいたのだからあの二人も残念がるだろうな、と春先に遭遇した不思議な出来事を思い出していた。
あの制服に袖を通すのも、この男性が誰なのかを知るのも、そのひとに連れられて懐かしい桜並木に再会するのも、この日の出来事をすっかり忘れた頃に私が魔界に留学生として招かれてからのことになる。