背中を巡る攻防 それは魔王城からの帰り道、二人並んで歩き、そろそろ嘆きの館に着こうかという頃合いのこと。
後ろから駆け足が近付いてきたと思ったら
「失礼」
と何やら切羽詰まった様子でバルバトスさんが覆い被さってきた。
その後は僅かな衝撃と何かが切り裂かれる音に再びの足音。
「ご無事ですか」
無事に決まっている。それより――。
「大丈夫ですか!?」
思わず口から出たけどあんな音がしておきながら普通に考えて大丈夫なわけがない。バルバトスさんとしては見せたくないようだったけど、やや強引に背中を見れば、そこはひどい有様だった。
右肩から背中の中ほどまで斜めに切り裂かれた跡が数本。傷は服だけでなく背中まで到達して、血が流れ出していた。そこまで深くはないようだけど、これを放置していいわけがない。
「手当しないと……。とりあえず嘆きの館に」
つらそうな表情を見せなかったのは日頃の鍛錬の賜物なのかそれとも本当に何とも思っていなかったのか、どちらだろう。
嘆きの館のリビングではルシファーが雑誌を片手にコーヒーを飲んでいた。夕食当番前にくつろいでいるところ申し訳ないけど今はそれどころではない。
「ルシファー! バルバトスさんが! 手当したいんだけ……」
焦る私を押し止めて、ルシファーに背中を見せながらバルバトスさんが言葉を引き取る。
「お気遣いありがとうございます。ですが、手当てはルシファー、あなたにお願いしたいのです」
この申し出は少し意外だったけれど、もしかしたら悪魔同士でしかわからないこともあるのかもしれない。
「私からもお願い。夕食当番代わるから」
「……いいだろう」
「あなたはお部屋の方へ。見ていても楽しいものではありませんから」
本当は傍に付いていたい。でも見られたくない気持ちもわかる。
「……はい。ルシファー、よろしくね」
バルバトスさんの手をきゅっと握って、リビングを後にした。
『本日はこれで失礼いたします。また明日』
簡素なチャットが届いた。元々送ってもらうだけの予定だったから、こんなことになって時間が押しているのかもしれない。
「ルシファー」
「何だ」
「手当てしてくれてありがとう。バルバトスさん、大丈夫そうだった?」
「大丈夫も何もあんなもの治癒魔法で一瞬だ。自分で出来ないわけでもないだろうに」
不可解、というよりはうんざりといった様子でルシファーが答える。
「そうなんだ。たまには人に治してもらいたいときもあるんじゃない? 疲れてたとか」
「いや、あれは怪我をいいことに背中を見せつけたかっただけだな」
なんで? さっぱりわからない。
その夜ベッドに入り、昨日の今頃は一緒にいたのにな、と思い返したところで気付いた。
背中、傷、昨日の夜、私がつけた、傷。あああ……。すべてをシャットアウトするように頭から布団を被って寝た。
その後しばらくの間、傷をつけたくない私と物足りなさそうにするバルバトスさんとの間で攻防が繰り広げられるのだった。