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    Clean up!「明日の予定は?」
     帰り支度をしていたところ、上司が出し抜けに声をかけてきた。決まった予定を立てていなかったので適当に話を合わせる。
    「部屋の掃除でもしようかと思ってた。仕事か? 振ってくれても構わないよ」
     上司は、いや、と首を振ると立ち上がる。
    「手伝おうか、部屋の掃除」
     思わぬ提案に笑いが漏れた。頭に浮かんだのは透明なビニールコートに身を包んだ上司が浴槽にこびりついた血液をスポンジでこすっている場面だ。彼は瞳を凛々りりしくきらめかせて告げる。
    「血液は水で早めに洗い流さないと落ちにくくなる。この洗剤を使うのがおすすめだ」
     頭を振って邪念を払う。
    「どうしてまた。掃除が趣味になったのか」
     面白い冗談だと思って返したが、上司は真面目な表情を変えなかった。小首をかしげて「力になれると思っただけだが」と言う。
     返す言葉に詰まり、上司の澄んだ瞳をじっと見つめた。ぼくが休日に部屋に招待するのはよっぽど仲のいい相手か交際を期待する相手だけだとはきっと思いもしないのだろう。上司との仲は決して悪くないが、彼の居室に呼ばれたこともなければ場所も知らない。だから上司の家はあまり具体的に想像できず、ぼくの部屋に彼が訪れるシチュエーションを何度か想像していた。
     ぼくは彼に片想いをしている。部下から上司への密かな恋心はとてもじゃないが伝えられないから、現実世界では手に入れられないものを想像の世界で補っているのだ。
     今回の場合なら、例えばこうだ。休みの日にわざわざ部屋まで来た彼──もちろん想い合っているという前提だ──をドアに押し付けて舌を入れるようなキスをしてみたり、掃除中に濡れてしまった服を脱がせてあげて一緒にシャワーを浴びてみたり、恥ずかしがるのをなだめてあげて誰にも見せたことのない場所を見せてもらったり、舐めたり、つついたり、引っ掻いたり、やさしく触って気持ちよくしてあげたり──
    「どうした、ニール」
     動きを止めたぼくに不審を抱いたようで、上司は近づいて肩をたたいた。触れた箇所が、じんと痺れたようになり鳥肌がたった。肌を粟立たせたまま微笑んで言う。
    「いいのか? なにが起きても知らないぞ」
    「とんだ自信だな、おれを甘く見てもらっては困る」
     ぼくがなにを考えたかなど少しも思い至らない上司は、機嫌よくにっと笑んで部屋を後にした。残されたぼくは彼が触れた肩をさすり、鳥肌がおさまるのを待った。このあとの予定が決まる。明日のために掃除道具を買いに行かねばならない。
     両手に商品の詰まった袋を抱えて車に乗り込む。スーパーマーケットから帰る道すがら、彼を迎える準備について考えた。
     いま、ぼくが暮らすアパートメントは彼が用意したものだ。ほかの隊員たちの部屋も同じ取り扱いではあるが、場所はそれぞれ分散している。一箇所に何人もの人間が大挙すれば噂になってしまうからだ。静かに目立たず周囲に溶け込めるようにと彼は意識しているようだった。
     とはいえ、見目麗しく闊達で、真面目一辺倒と思いきやおちゃめなところもある彼みたいに魅力あふれるひとは、他人を惹きつけてどこにいたって目立ってしまうだろうとぼくは思う。
     彼のそばにいると眠っていた力が引き出されて、自分が特別な存在だと感じられた。任務の際に役に立とうが立たなかろうが大切されていると自覚させられ、緊張の多い仕事であるにも関わらず、同じ任務についているだけで心が安らいだ。一緒にいればいるほど、このひとの力になりたい、自分の能力を発揮したいと強く感じさせられるのだ。
     だというのに、ぼくは彼を支えるにはまだまだ力足らずで、そのうえ部屋の掃除を手伝うと申し出られる始末だ。コーヒー染みがこびりついたマグカップを共用スペースに放置したり寝られるならどこでも寝てしまう姿を見て、彼はぼくの生活能力に不安を抱いたのだろう。だが、これはチャンスでもある。整った生活を彼に見せればきっと見直してもらるはずで、そうすればいまよりもっと信用してもらえるはずだ。
     家に帰りつき、ドアを開けると部屋の惨状が目についた。
     指に食い込むビニール袋を玄関先にひとまず置き、腕を組んで集中する。
     ぼくは上司を快く迎えるために、軽い片付けでは済まないとわかりきっている自室に立ち向かった。
     そして、当然うまくやってのけた。
     カーテンを外した部屋には太陽の光が差し込み自然のアラームとなっている。ソファの上で目覚めたぼくは軽く伸びをしてすっきりとした空気を吸った。昨日までテーブルの上に載っていた本や資料など、不必要だと判断したものはすでに部屋の隅にまとめて置いてある。カーテンは洗うのが面倒だったので新しいものを購入した。いまはまだ取り付けていないが、彼が来る前には準備できるだろう。同じくベッドシーツや上掛けなんかも一式購入し、アイロンをあてた。深い意味はない。買い替えのいい機会だと思っただけだ。自炊はほとんどしないからコンロは入居以来きれいな状態。床の上に放置された食器は洗って棚に直し、その際に気になったキッチンのシンクはピカピカに磨いた。
     これで快く彼を迎えられる。
     昨夜、──あるいは今朝方──作業を終えるとばったりとソファに倒れ込むようにして眠りに落ちた。なにせ、ベッドメイクはしたばかりだ。シーツにシワをつけるわけにはいかない。
     どこでも寝られるとはいえ、起きたときにどこも痛くならないかというとそうでもない。身体を起こすと背中のあたりがちょっと痛んだ。大きく伸びをして気持ちを切り替える。まずはカーテンをレールに通して、そのあとシャワーを浴びて……。
     ノックの音がした。
     え、と声が出る。なにかしらの通知が来ていないかと携帯端末を確認しようとすると、またノックの音がする。
    「ニール、いないのか」
     彼の声だ。端末を確認するのもままならず、急いでドアを開ける。帰してしまっては元も子もない。
     朝の空気をまとった私服姿の上司が自室の玄関先にいるのは、想像した以上に得難い光景だった。
    「おはよう、朝食はまだか?」
     彼は茶色の紙袋を掲げてみせた。パンの香りが漂ってきて、焼き立てだとわかる。ぼくのために選んでくれたのだと思うと胸が詰まり、なにも言えなくて身体をずらして迎え入れることしかできない。無言ってなんだよ、挨拶を返せと思ったのは彼が部屋に入ってドアを閉めてからだった。
    「あの、おはよう」
     上司は部屋の状態に目を見張って、ぼくの挨拶は聞こえないようだった。リビングとキッチンに目を向けて「きみは引っ越しをするつもりなのか?」と訊く。
    「ここが不満ならほかに部屋を用意するが……もしかして、辞めたいと思っていたのか? きみの気持ちを優先したいとは思うが、一度話をする機会を設けてもらって構わないだろうか」
     あまりに部屋のありさまがひどいから冗談を言ってるのだと思ったぼくは、彼の表情を見て驚いた。顔をこわばらせて不安げな様子を隠さず、中身の形がわかるくらいぎゅっと力を込めてパンの入った紙袋を支えている。
    「待って、誤解だ。この部屋には満足してるし辞めたりもしない。ちょっと片付けをしてただけで……いま何時かな?」
     彼は腕時計を確認し、硬い声で「八時半だ」と答える。
    「そっか、もうちょっとあとで来てくれるのかと思ってて。ごめん、立ったままだね、コーヒーでも淹れるよ。座って」
     彼を迎え入れる際のシミュレーションはこうだった。新しいカーテンを風になびかせる室内には必要なものしかない。捨てる予定のものはバスタブの中にでも放り込んでおく。もちろん、放り込む前にシャワーを浴びて昨日から着続けている服を脱いで新しいブルーのシャツに袖を通す。無精髭は当たって、でも髪は自然な感じで。ドアをノックする音が聞こえる前にインスタントだけど、好きだと言ってたコーヒーを用意して彼が来るのを待ち構える。部屋に招き入れるときはにっこり笑って「いらっしゃい」と言う。この整った生活を目の当たりにし、彼は見直してくれる。──そのはずだった。
     実際は、昨日動き続けた汗臭い身体と起きぬけの寝癖の付いた髪で彼と対峙したし、窓にカーテンは引かれておらず、部屋の隅には積んだ本と降ろしたカーテンや食器なんかが山となり、言われた通り、引っ越し予定の部屋と見える。
    「ごめん、さっき起きたところで」
     言い訳をしながら湯を沸かす。食器棚も昨夜触ったために目的のものが見当たらない。部屋にある一番いいマグカップを用意しようと思っていたのに。
     棚をあさっていると背後に気配を感じた。彼はキッチンの端で、居心地が悪そうにこちらを伺っている。
    「どうかした? すぐ用意するから待っててくれ」
     彼は目を伏せて言う。
    「連絡は入れたんだが、返事がなかったから気になって早めに来たんだ。きみの予定を無視する形になって申し訳ない。出直そうか?」
    「そんな必要ないよ。わざわざ来てくれたひとを追い返したりしない。ぼくのことは気にしないで」
     肩を押してソファに座ってもらう。慌てて用意しているのが見苦しかったのだろう、余裕を持て、ホストなんだからと自分を励ます。
     結局目当てのマグカップはどこかにしまい込んでしまったらしく見つからず、二軍のカップを用意した。持ち手が小さくて飲みにくいのであまり使っていなかったが、普段自分が使用しているものは染みが浮いているので渡せない。彼は落ち着かなげにしていたが、コーヒーを渡すと小さな持ち手をつまんで口をつけた。嬉しくてじっと見つめていると、パンを勧めてくれる。
     彼と一緒にこの部屋でコーヒーを飲んでクロワッサンを食べる日が来るなんて。
     完璧な出迎えは不首尾に終わったけれど、ぼくはすでに満足していた。このあと一緒にデートできたらいいのに、とまで考えが及んでしまう。想像の世界に足を踏み入れる前に目の前の人物の様子が気になった。彼は物思いに沈んだように眉をひそめて指を組んでいる。
    「食べないのか」
     そう聞いても、悪い、と答えはするが動かない。なにやら不穏な空気を感じて陶然とした気持ちが縮んでいく。首を傾げると、彼が口を開いた。
    「ここに来るまで、きみが辞めるかもしれないなんて一瞬でも思ったことがなかったから、楽観的な自分に驚いたんだ。そういう可能性だってあるはずなのに」
     一度に真逆の感情が押し寄せた。辞めると思ったことがない、についてはぼくがいて当然という驕りに近いものを感じて被虐的な喜びが湧く。そして、彼の元を離れる可能性があると考えたことについては、全力で否定せねばならないといきり立った。
    「その可能性はないよ、絶対にない。きみのそばから離れない。クビにされても続けるから安心してくれ」
     身を乗り出して真正面から伝えると、彼は気圧されたように姿勢を正した。その手にクロワッサンを載せる。
    「食べて」
     ぼくの言う通りにパンを口に運ぶ姿が愛おしい。彼を不安にさせてしまうなんて言語道断だ。今後はもっと自信を持ってもらえるように振る舞おうと心に誓った。
     食べ終わるといよいよ掃除に取り掛かる。こうなっては、自分の身支度が整っていないのには目をつぶることにした。せめてもと顔を洗うのみだ。カーテンの取り付けは後回しにしてゴミをまとめる。あとはもう床をざっと掃いたら終わりにしてもいいんじゃないかと思えた。我ながらスマートな進行だ。というか、はじめから彼になにかしてもらう気はさらさらなかった。
    「模様替えの最中だったのか? きれいなもんだ」
     彼からの賛辞が心に染みる。昨日の夜から行動を起こしてよかった。ぼくは捨てる予定のカーテンを両手に抱えて頬を緩ませた。次の言葉を聞くまでは。
    「バスルームを担当しようか? ものは捨てないでおくから……」
     カーテンを床に落として彼の前に身を踊らせる。
    「きみにそんなことさせられるわけないだろう、ぼくがやるから気にしないで。きみは、そうだな、ゴミ出しをお願いできるかな。そのあと床を適当に掃いてもらえたらそれでいいから、ね、ぼくがやるから」
     落としたカーテンのそばまで誘導し、急いでバスルームに向かう。彼の真面目さを侮っていた。ぼくは即座に掃除道具と向き合って集中した。彼が手出しできないくらいきれいにしなくては。
     掃除にかかりきりになっていると、彼は頻繁に顔を出しては自分の作業が終わったのでぼくを手伝うか別の作業をすると提案した。その度に、自分の作業効率の悪さと彼の時間の使い方のうまさを思い知らされた。
    「首尾はどうだ」
     作戦の経過を尋ねるようにして、バスタブの中にいるぼくに訊く。
    「上々、もう終わるから座ってて」
     もちろん、この「座ってて」というのはリビングのソファに腰掛けてくつろいでほしいという意図で口にした言葉で、トイレの蓋の上に腰掛けて作業を見守れという意味ではなかった。だが、彼はやおら掃除したての蓋の上に座ると、脚を組んでぼくを見つめた。
     彼が現れる直前まで、コーキングし直さないといけないのではないかとバスタブのヘリを見つめながらスポンジで汚れを擦っていたぼくは、待たせるくらいなら、自分の裁量ですぐに掃除を終わらせればいいのだようやく気づいた。
     立ち上がってシャワーで洗剤を洗い流す。
    「急がなくていいぞ、時間はたっぷりある」
     ぼくを鑑賞するように顎に手を添えて彼は目を細めた。その表情は、教え子に、上手に縄跳びが飛べたとか、手伝いができたとか、発表会でセリフを間違わずに言えたとかいう報告を受けて満足そうにうなずく教師のそれと似ているように感じた。任務の際に手際を褒められるのとは違う、甘えのあるやわらかさがあった。命がけの仕事と自宅の掃除とを比べるべくもないが、だからこそ、この「よくできました」という顔を今後見る機会がないのかもしれないと思うと脳裏に焼き付けなければならず、手元がおろそかになった。
     落としたシャワーヘッドは水を吹き出しながらくねくねと動き回りぼくの全身を濡らした。
     水を被ったのと、彼の前で失態を演じた驚きとで半ば呆然とし、固まってしまう。彼は目の前で起きた出し物に苦笑しながらも冷静にレバーを降ろした。水が止まり、静かになる。
     散々だった。
     今朝からずっと思うようにことが運ばない。うつむいて髪から落ちる水滴を見ていると、目の前に影が差した。顔をあげると、バツの悪そうな顔をした上司がタオルを差し出す。
    「笑ってすまない、見事な濡れっぷりだったから……いや、悪い」
     動かないぼくに呆れたのか、彼はタオルを自分の手の中で遊ばせるようにした。そして、なにを思ったか、ぼくの頭の上に被せて水を吸わせるように髪をふいた。
     タオル越しに彼の細くてきれいな指の形を感じる。されるがままに頭を預けていると、これまでの失態がすべて帳消しになるくらい気持ちが良くてこのまま全身をふいてほしくなる。さっきまでの落ち込んだ気分が一気になくなるのが現金で仕方なかった。
     よし、と言うと彼はぼくの頭にタオルを載せたまま指を離した。
    「あとは自分でな。いっそシャワーを浴びたらどうだ? 都合がよければそのあと食事にでも行こう」
     自分の耳が捉えた言葉が信じられず、勢いよく頭からタオルをはずして向き直る。
    「もう一回言ってくれ」
     ぼくの顔がよほど必死に見えたのだろう。上司はまた笑いかけて、思い直したように口元を引き結ぼうとした。何度も笑われてはしょげるばかりのぼくを哀れに思ったのだと思う。でも結局堪えられず、ニヤリとした。
    「昼飯を食いに行こう、おれが奢る」
     ぼくは黙ってうなずいた。
     彼はバスルームから出る際に、待ってるぞ、とでも言いたげな視線を残していった。顔が熱くなって、服を着たまま水をかぶる。ひとりなら飛び跳ねてたかもしれないと頬を緩ませながら思った。
     休日に行うふたりきりでのランチデートだ。これは、任務地を調査する最中、あるいは控え時間に事務所で摂る食事とはまったく意味合いが異なる。だってわざわざ休日にふたりでランチに行くなんて。こんなの本物のデートだ。頭の隅には、ぼくが突然辞めたりしないようにというねぎらいの意味もあるのではないかと推測できた。けれど、彼は、ぼくと食事に行きたいから行くのだと思いたかった。すぐ先の未来に思いを馳せる。
     ケース1、近くの公園に出店しているキッチンカーに行く場合。あそこのブリトーもトルティーヤも何度か食べているので味はわかる。辛いものが好きかどうかによって勧め方は変わるだろう。ケース2、車に乗って適当なダイナーに行く場合。彼はジャンクフードが結構好きだ。食べすぎるとすぐに脂肪になると言って控えているが、今日くらい一緒に食べてくれるのではないだろうか。ケース3、おしゃれなレストランに行く場合。これは大穴だ。実は彼もぼくのことが好きで、今日ここに来たのはぼくを誘い出すためだったという大胆な仮説だ。可能性だけで言えばないことはないと思う。可能性はある、もちろんだ。
     ああでもないこうでもないと頭の中に様々なシミュレーションが浮かぶ。この想像は、服を脱いでシャワーを浴びている最中からバスタブを出てバスルームに替えの服を用意していないと気づくまで、ずっと続いた。
    narui148 Link Message Mute
    2023/02/11 16:37:19

    Clean up!

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    #主ニル  #いい風呂主ニル

    レカペ3で配布した無配です。
    主さんとニールが掃除をする話。(6976文字)

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