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    四月一日のうどん屋さん「いらっしゃいませ。お好きな席にどうぞ」
     そう言って出迎えたのは、金髪碧眼で長身痩躯の好人物だった。彼はこの仕事が好きでたまらないというように客の入店を喜び、全身で歓迎した。
     あ、と口を開けて気を抜きそうになるのを精神力で抑えつける。まるで引力でも発生しているかのように両目は彼の頭の上に引き寄せられ、その毛並みや色合いを見つめてしまった。
     彼は三角巾をかぶった頭から耳を天井に向かってピンと立てて、豊かな尻尾を左右に振った。
     ひと目見て耳も尾も偽物ではないと確信した。
     彼は狐だった。

     勤務地の変更に伴い、馴染みのない土地に居を構える必要が出た。家具や家電は備え付けなので、全部で十個のダンボール箱を──これでも厳選を重ねたのだ──新居に運び終えて梱包を解かないまま部屋の中で大の字に寝そべった。
     時刻は午後四時。夕飯には早い時間かもしれないが、近くの商店を確認するのもいいだろうと思い家を出た。
     引っ越しの際には車で荷物を運んだが、駅までは徒歩圏内なのでとりあえず駅に向かって歩いてみる。桜の花が散り始めており、どこからか飛んできた花びらがわたしを導くように行く手に舞った。
     小さな駅の周りにあるスーパーマーケットや薬局の場所を確認し、近場の医療施設の外観を把握する。駅の近くに商店街はなかったが、ロータリーを越えた大きな道路のそばには飲食店が立ち並んでいそうだった。
     そのうどん屋ののれんをくぐろうと思ったのは、ひとえに営業中だったからだ。ほかの店は準備中の札を掲げていたが、その店からはふわりと食欲を誘う香りがした。店頭を確認すると営業中の札が出ている。初めての場所に少し緊張しながら引き戸を開けると、そこにくだんの耳と尻尾の生えた店員がいたというわけだ。
     店内にほかの客がいなかったのもあり、わたしはひとりで驚きを噛み締めねばならなかった。
    「お決まりになりましたらお呼びください」
     口を開けて棒立ちになり、何度もまばたきを繰り返す客を不審に思う素振りも見せず、彼はわたしを席に案内し、お品書きを手渡した。思わず手元に目を落とし、うどんの種類を確認しかけてちょっと待ったと顔をあげる。
    「あの、すみません」
     カウンターの近くに控えようとした店員は、パッと顔をほころばせてこちらを振り向いた。時節柄、彼の後ろで桜の花が満開になったかのような笑みだと感じる。花を背負うような華やかな相手──しかも注文を取るのを確実に喜んでいる──に対して注文以外のなにを言おうというのか。わたしはすばやくお品書きに目を通し、そもそも食べたいと思っていたきつねうどんがあるかを探した。目的のものは一番はじめに記されていたのでそれを頼むことにする。
    「きつねうどんと……ほかはなにがありますか」
     我ながら頓狂な質問だった。すべて目の前に並んでいるというのに。店員はお品書きの下にある四角く囲まれた箇所を丁寧に指し示した。
    「小皿料理はこちらです。だし巻き卵といなり寿司がおすすめです」
     だし巻き卵にいなり寿司、どちらも大好物である。
    「では、そのふたつもお願いします」
     かしこまりましたと微笑む彼を見ていると、耳や尾を気にする自分の狭量さを思い知らされる。だが、狐の耳と尾が完全におもてに出ているのを外で見るのはほとんど初めてなのだから目で追ってしまうのも仕方がない。わたしが動揺している間も、後ろを向いた彼の尻尾はゆらゆらと機嫌よく揺れた。
     店員が注文を厨房に通すと奥から男性の声がした。もしかして、もうひとりも狐だろうか。けっして行儀が良いとはいえないけれど興味が勝ち、首を伸ばして中を覗き込んだ。
     厨房には、自らの筋肉でシャツがはち切れんばかりの男性が釜と調理台に向き合っていた。だしを入れた卵を混ぜながらうどんの様子を見たかと思えば次の瞬間には熱したフライパンと向き合う。菜箸を握る指とタオルを巻いた頭の形がきれいで、わたしは不自然な体勢のまま彼が料理するのを見つめた。店員に話しかけられるまで、厨房にいる相手が狐なのかと疑ったことも忘れていた。
    「気になりますか」
     店員はお冷を机に置いて小首を傾げる。一緒に尻尾の先も持ち上がった。
    「いえ、あの、楽しみだと思って……」
     興味本位でじろじろと覗くだなんて子どもじみていると思うと途端に頬が熱くなった。話題を変えるために当たり障りのない質問をする。
    「このお店は長いんですか?」
    「今年で二年目です。去年の元旦に開店しました」
     彼は、誇りでいっぱいだというように胸を張った。青い瞳がキラキラとした光を放ち、再び背後に桜が咲く。きっと、ふたりで店を出すのが念願だったのだろう。志を同じくする者同士が協力してひとつの目標に向かって邁進し、その結果、夢をつかみ取る。思い描くほど簡単ではなかったに違いない。けれど、彼はそんな様子をちらりとも見せず、満足げに微笑んだ。
     彼らのこれまでの歩みなど少しも知らないというのに思わずぐっと来てしまう。
    「……すてきですね」
     わたしはただの相槌としてひとことだけしか言葉を発せなかった。
    「ニール、頼む」
    「はい!」
     厨房からの声に店員が振り返った。わたしもつられてカウンターに目をやる。
     指のきれいな男性がお盆の上に料理を載せ終えてこちらを見た。その両目の白目の面積がみるみるうちに大きくなり正円を作り出す。彼が見ているのはわたしではなくニールと呼びかけた店員だった。見られている当の本人は、なぜ相手が驚いてみせるのかと不思議そうに首を傾げしながらもわたしの注文した品を運んでくれた。
    「きつねうどんとだし巻き卵と……いなり寿司です」
     つるりと光るうどんと茶色のつゆに浮かぶ熱々の油揚げ。さっきまでフライパンの上にあっただし巻き卵がやさしく香って食欲をそそる。そして、茶色のふくふくとした油揚げが酢飯を包んでころんとみっつ並んでいる。わたしの視線は自然といなり寿司に向かった。だが、見つめているのはわたしだけではない。動かない影に顔をあげると、ニール氏も同じくいなり寿司から目を離せないでいる。とっさに、自分を盾にして机の上の料理を守ろうとするわたし自身の姿が頭に浮かんだ。これを取られてなるものか……。
     彼は喉をごくりと鳴らすと、ごゆっくりどうぞと残してその場を去った。
     箸を取るが早いか、わたしは夢中で食べた。いなり寿司に目を落としつつ、うどんと油揚げを攻めるかと思いきや、ここはだし巻き卵からだ。せっかくの作りたてを逃す手はない。やわらかな歯ざわりとともに甘やかな味わいが広がる。ふわふわでいてしっかりとおいしい。飲み込むとすぐに、湯気をあげてわたしを待つうどんにも手を出す。急いで唇に触れたうどんはとても熱い。口に運ぶ前によく冷ましてからすするとこちらも好みの味である。かつおだしが効いたつゆにコシのあるうどんがピッタリ合っている。噛み締めながらうどん鉢の真ん中で待ち受ける油揚げを箸で挟むとつゆがじゅっとあふれた。たまらず口で迎えに行き、熱さに舌の先を痺れさせながらも大きく頬張る。油揚げそのものの味とつゆの味が融合している。おいしい。新生活も安泰だ。嬉しくて顔がにやけていくのがわかる。
     さて、まだ口に入れていないのはいなり寿司のみである。煮込んで味が染み渡った油揚げがキラキラと光って見える。まだ食べてもいないのに、これを食べてしまうとみっつがふたつに減ってしまうのが残念だ。とはいえ、箸を伸ばして持ち上げる。ずっしりとした重み、醤油の香り、プリッとしたお揚げを噛み切るとやさしく響く酢のまろみ、そしてこれはきっとゴマの香ばしさ──
     気づいたときには皿の上にはほとんどなにも残っていなかった。いったい誰が食べたのか。もちろんわたしに他ならない。
     いなり寿司の最後のひとくちを頬張り、ほっと息を吐いた。満足だ。引っ越しの苦労も霧散した。明日からは見知らぬ場所での仕事だが、いつもより頑張れそうである。
     まだ食べられそうだぞと周りを見渡すものの、ニール氏の姿は見えなくなっていた。おいしかったと伝えたかったのだけれど……。
     きょろきょろするわたしを見かねてか、厨房にいた男性が姿を表した。
    「いかがでしたか」
     椅子にもたれかかっていた姿勢を正して座り直す。
    「おいしかったです、とても。きっとどの料理もおいしいでしょうね、全種類食べたくなります」
     男性は、そうですか、と顔をくしゃりとさせて笑った。遠目に見たときは、料理の最中だったのもあり真剣な表情をしていたが、本来はニール氏と同じく他人に壁を作らないひとなのだろう。
     そう、ニールだ、彼はどこに行ってしまったのか。
    「あの、さっきのひとは……」
     わたしの問いかけに彼は顔を強張らせた。口元を引き結び、間違った質問をしようものなら相手が誰であろうと容赦しないというような厳しい眼差しを見せる。
     豹変といっていい姿に驚いた。料理を食べている間にふたりになにがあったというのか。ニール氏はきっと、喜んで味の感想を聞いてくれるだろうに。なにかもやもやするではないか。
    「……ニールさんですよね。いらっしゃいますか?」
     男性は眉間にしわを寄せ、思いきり苦いものを飲み下した後のような顔で沈黙した。なぜかつられてわたしも眉間にしわを寄せる。
     店内には誰かが立てる音は聞こえない。もちろん、料理をする音もしないし、湯を沸かす音や水を流す音もしない。扉からは夕方の光が差し込み、ひとが行き交う影が見えるものの、外部からの音は店内には入ってこない。
     男性が重い口を開いた。
    「ニールは……」
     カウンターの影からニール氏が飛び出した。いままでしゃがんでいたようで、視界の中にまさしく飛び込んできた。わたしは頭をのけぞらせてドキリとした気持ちを落ち着かせる。しっかりしろ、気を抜いてはいけない。
     ニール氏ははずした三角巾を両手で揉みしだきながら思い詰めた様子で言った。
    「お願いがあります! 黙っててもらえませんか」
     なんと、口を封じられてしまった。ちょっと落ち込んでしまう。ついうっかり喋りすぎてしまったろうか。
     最初の衝撃から覚めると気づいたことがあった。ニール氏の頭の上に立っていた耳がなくなっているのだ。先ほどまで背中側で揺れていた尾も、もちろんないのだろう。彼は目をギュッとつむり、顔を赤くして身を縮こませている。
     はて、気づかないうちになにか失礼をしてしまったのか。瞬きを繰り返していると、男性が助け舟を出した。
    「耳と尾を見たでしょう。難しいかもしれませんが、今日見たことを口外しないでいただきたい」
     わたしは目を見張った。なんと、では、あれはわざと出していたのではなかったのだ。なるほど、それならば彼らの態度の変化に納得がいく。普段、他人には見せないものを見せてしまったという不安があったのだろう。
     しかし、彼らはいささか誤解をしている。かといって、どう言えば誤解を解いて安心してもらえるのか、うまい道が見つからない。
     ニール氏は怯えた様子でわたしの答えを待っている。笑顔で入店を喜んでいた彼を不安にさせるなど不本意だ。ええい、ままよ、あとのことはあとで考えるしかない。
     音を立てて椅子から立ち上がったわたしをふたりは固唾をのんで見守った。
     維持するほうが難しいのだ。解くのは簡単、リラックスして気を抜けばいいだけ。肩から力を抜き、ここは安心できる場所だと言い聞かせる。ニール氏に目をやると、彼はじわりと目に涙を浮かべていた。彼に向かって笑いかけるものの、気分を落ち着かせるような笑みを浮かべられたかわからない。なにせ、ひとの前で見せるのはかなり久しぶりなのだから。
     ふっと身体が軽くなった。まだすべての緊張を解いたわけではないが、それまでの半分ほどの力が抜けたような感覚になる。ああ、それにしても、人前でこの姿になるのは本当に久しぶりだ。そう、あれは忘れもしない十歳の夏……。
    「え」
     ややもすると記憶の海に飛び込むところをニール氏の気の抜けた声で現実に引き戻された。
     ふたりは同じように目をぱちくりさせてわたしを見つめる。正確に言うと、頭の上と腰のあたりを、だ。わたしもこの店に入ったときに似たような顔をしていただろうなと思いだし、照れ笑いを浮かべる。それに呼応して耳が動き、自分を守るように尾が手前に回ってくるのを触って自分をなだめた。
     ふたりとも一部始終を見ていたのだからあえて言う必要はないと思いつつ声に出す。けれどその声は消え入りそうなくらい小さかった。
    「……そう、わたしも……きつねなんです……」
     男性の行動は早かった。店頭まで走るようにして目に見えないくらいの速さで扉を開けると営業中の札をひっくり返してすぐさま鍵をかけた。
     尾を身体に巻きつけるようにして立ちすくんでいると、彼は頭に巻いていたタオルを取って額の汗を拭き、まっすぐこちらに向き合った。
    「申し訳ない。気を遣わせてしまったのではないですか。楽になさってください」
     いえいえ、そんな、と恐縮して隣に立つニール氏をうかがうと、彼は「え」と声を上げたときと同じ表情のまま固まっていた。
    「ニールさん、大丈夫ですか」
     目が合う。次の瞬間、彼はわたしの両手を包むようにして握ったかと思うと上下に揺さぶった。
    「今日来てくれてありがとうございます!」
    「ニール、お客様だぞ」
     そうは言うものの、眉を下げた彼の顔もまた緩んでいる。いつの間にかニール氏の頭には耳がピンと立ち、尻尾もブンブンと揺れている。わたしもつられて尾を揺らした。
     ニール氏はそっと手を離すと、男性に目配せをして照れたように頬をかいた。
    「ちょっと気を抜いてたみたいで、耳と尾が出っぱなしになってるのに気がつかなかった。でもそのおかげで、知らないだけでぼくみたいなひとが身近にいるってわかりました」
    「わたしもこの姿を見せるのは久しぶりです。ここには引っ越して来たばかりで不安だったんですが、来てよかった。いなり寿司を食べに絶対また来ます」
     ニール氏と男性は互いに目を見合わせてからわたしに向き直った。ふたりともにっこりと目を細めて笑っている。新居を借りたときでも、部屋に荷物を運び入れたときでも──きっと明日職場に赴いたときでも──なく、わたしはまさに今このとき、この街に迎え入れられたのだ。
     お腹が満たされたのとは別の温かいもので胸が満たされていく。部屋に戻って梱包を解くのもきっと簡単だ、明日からも頑張れると根拠のない自信が湧いた。
     見送りに出てくれたふたりに別れを告げて店を出ると、花の風が吹いて熱くなった頬を冷ました。明日の朝食の買い出しをするべくスーパーマーケットに足を向けると、目の前を桜の花びらが数枚ひらひらと舞っていく。さてはうどん屋さんから飛んで来たのではなかろうか。それもあながち間違いではないと思うと笑みが浮かぶ。
     ふたりが商うあの店ではきっと、いつだって彼らの笑顔で桜は満開なのだから。
    narui148 Link Message Mute
    2023/05/03 5:00:00

    四月一日のうどん屋さん

    #主ニル  #テネ飯店

    主さんときつねニールくんのうどん屋さんに入店する話。(6068文字)

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