夏の主&ニルSS氷
ガリガリと氷を噛み砕く音が部屋に響く。見ると、ニールがグラスから口に氷を入れたところだった。再びバリバリと音を立てて機嫌よく食べる。こちらの視線に気付いたのか、彼と目が合った。
「ごめん、うるさかった?」
照れたように瞳を落としたが、その視線の先にはグラスの底に残る氷がある。
「気にするな。好きなのか、それ」
んん、と唸るような音を立ててニールは首を傾げる。
「好きというか、食べないではいられないというか」
「貧血か? おれよりきみのほうが詳しいだろうが」
ニールはグラスを置いて眉の端を掻いた。
「昔からの癖なんだ。硬い氷が小さくなっていくのも、口の中が冷たくなるのも楽しくて。これからは気をつける」
「どうした、好きにしたらいいだろう」
グラスを自分から遠ざけるように押しやって、ニールが言う。
「子どもっぽいだろ? 人前ではやらないようにしてたんだけど……、気が抜けてた」
ニールは取り繕うように少し笑った。
やめてくれるな、と思った。
次いで、気を遣う必要はないと諭したくなった。ふたりでいるときは、肩の力を抜いて好きに振る舞えばいいのだと。
机の上にある自分のグラスを見る。結露した水が机に滴り、半分ほど入ったダイエットコーラには溶けた氷が層を作っている。それでも、中には氷がまだ残っている。
グラスを回し、氷が口に入るように薄まったコーラを飲んだ。それから、できるだけ大きな音が鳴るようにして氷を食べる。
その様子を見て、ニールはくすぐったそうに笑った。
「なんだよ、当てつけか?」
「きみを見ていたら食べたくなっただけだ」
久しぶりに食べた氷はうまかった。
ニールに見つめられながら、グラスに残った最後の氷を口に含む。噛むには少し大きくて、溶けるのを待つ間に口内が冷たくなった。
ニールの喉仏が上下した。
彼のグラスの氷はすでに溶けている。
物欲しそうな視線に、妙ないたずら心が出た。口を開いて氷を見せる。
「欲しいか」
「うん、ちょうだい」
ニールは躊躇なく言い切った。任務の詳細について話し合ってているかのような真剣な目が、正面からこちらを覗き込む。いまにも口を開いて、準備はできていると催促してきそうだった。
返す言葉もなく口を閉じて氷を溶かす。その姿をしばらく観察してから、ニールは場を和ませるようにくしゃりと微笑んだ。
「ケチだな、くれると思ったのに」
そう言って、自分のグラスに残った溶けた氷を飲み干した。
ニールの喉に水が落ちるように、冷たい水が喉元に落ちる。
まだ大きな塊を舌で移動させると歯にあたって硬い音がした。それを勢いよく噛み砕く。妙なやりとりなどはじめからなかったというように、大きな音でうやむやにする。
「あいにくだが、自分で用意するんだな」
ニールはうつむき、前髪をいじりながらつぶやいた。
「残念、あれはおいしそうだった」
「好きなだけ食べればいい。腹がふくれるまでいくらでも」
息を吐くようにしてニールは軽く笑った。
「そうだな、我慢することないか」
顔を上げてこちらを見つめる。
「またきみと飲むときは、たくさん食べようかな」
そうしろ、と促す声は意図した以上に湿っぽくなり、咳払いでごまかした。
そうする、とこたえる声が潤んで聞こえたのは、おれの気のせいに違いなかった。
聞こえてる
たとえば、通りを歩いているときに、名前を呼ばれた気がして振り返る。まだ日が高く、ひとけもある道なのに、振り返った先には誰もいない。気のせいかと思い直して前を向く。しばらく歩くとまた、名前を呼ぶ声がする。
ニール、と呼ぶその声は、男なのか女なのかわからない、粘度のあるまとわりつくような声音で遠まきに声をかける。辺りを見回しても変わらず誰の姿も見えない。
気のせいだというように頭を振る。悪い予感がするのだ。もう一度名前を呼ばれて、それに反応したらどうなるのか気づいている。
猫が通りかかった。
真っ黒でつややかな毛並みで、瞳は金色だ。黒猫はニールを認めると座り込んだ。
ニールもつられるようにしゃがみ込み、自分を見つめる猫と向き合う。
「もしかして、おまえが呼んだのか?」
「ちがうよ」
耳元にねっとりとした音が響いた。
「――驚いて目を覚まして、なんだ、夢だったのかと自分を笑うんだ。でも、その日、ひとりで歩いてたら夢の中とまったく同じ通りに出た。しかも、目の前に黒猫が現れたんだ。耳元にはまだ、今朝見た夢の厭な音がこびりついている。そしたら……」
「ニール」
扉を開けながら呼びかける男へと、部屋に集まった一同の視線がぶつかった。喉元にわだかまった声がしぼんでいく。
入ってきた男は、四人分の強いまなざしを受けて眉をひそめた。
「なんだ、雁首揃えて。悪巧みか」
ホイーラーが眉を上げて「なにこれ仕込み?」とニールに食ってかかり、マヒアは歯を見せて笑い、アイヴスは神妙に腕を組んだ。
ニールは楽しげに「まさにいま、きみが登場するところだったんだよ」と男に近づいた。
ほう、と顎に手をやる男に、ニールはうきうきした様子で言う。
「きみが黒猫に化けて出たんじゃないかって言ったことあったろう。覚えてる?」
首を傾げて思い出そうとする男を励ますべく、ニールが続ける。
「通りで黒猫と会う夢を見たって言ったときのことだよ。デジャヴだっていう話をした」
ピンときたらしく、男はニールに頷きかけた。
「あったな。おまえはやけに興奮してたが、あれがどうかしたのか」
「実はあのとき、夢の中で名前を二度呼ばれてて、三度目が来たらヤバいと思ってたところに君が現れたんだ。そしたらその途端、すっかり悪いものはいなくなったってわけ」
マヒアがニヤリと口を歪める。
「後半がぞんざいだぞ」
ニールは肩をすくめて応えた。
「どこにもいない誰かから名前を呼ばれても、振り返って返事しないようにな、マヒア」
ニヤリと口の端を上げるニールの姿に、マヒアは自分を抱きしめるおびえた振りで応えた。
闖入者である男が当初の目的を思い出し、ニールに向き合い話を始める。ほかの三人は、どこか気の抜けた表情で互いの顔を見合わせた。
ホイーラーが言う。
「やっぱり、ネタを持ってるやつは違うわ」
アイヴスは組んだ腕をほどいて両膝に肘を乗せた。
「あいつが言うとなんとも……」
「ほんとっぽいよね」
マヒアがあとを受ける。「でも、その声に応えたらなにが起きるのか気になるな」
ホイーラーが口をゆがめて目の前の不快なものを払うように手を振った。
「やめときな、割り込んでくれる相手がいないんだから」
「ホイーラーが来てよ。アイヴスはそういうの、からきしだもんな」
「おれに振るな。ふたりもだが、そういう『体験』はよくあるもんなのか?」
マヒアが笑う。
「どうかな、大なり小なりあるかもしれないけど、おれが感じたのはさっき言ったのくらいだからな。ホイーラーはもしかしてたくさんあったりする?」
ホイーラーは大きく頭を振って否定した。
「ないない。わたしもさっき言ったのくらい。あとは逆行中に見たなぞの発光体とか、浮遊物くらいかな」
「あるじゃねーか」
アイヴスが苦い顔で指摘した。
あれ本当に変だったんだよ、とホイーラーが話し出すと、あとのふたりは興味深そうに耳を傾けた。
ニールは男との会話を続けている。
男の言葉に真面目な顔で頷いたかと思えば、にこりと微笑んで返答する。どうやら、近い未来に拠点を引き払い、次の目的地に向かう算段をしているらしく、場所や会社の名称が漏れ聞こえた。
浮かんでいただの光っていただのと盛り上がっている三人を見て男が言う。
「なんの話をしてるんだか」
「自分に起きた珍しい現象について話してたんだ」
「虫の知らせとか『悪いもの』ってやつか」
「そう、デジャヴとかもっと言うと心霊現象みたいなものについてね」
ほう、と男がニールを横目で見る。ニールはバツが悪そうに鼻の頭を掻いた。
「たまにそういうものを感じるってだけ。だからってなにがあるわけでもないんだ。ああいうのは、気にしなければ消えていくから」
「そういうものなのか? ヤバいことが起きそうだったんだろう」
「きみがいるから平気だよ」
男は閉口したように黙り、しばらくしてから言った。
「なんだそれは」
ニールは満足そうに笑った。
「悪いものは、光りに照らされると消えてしまうものだから」
目の前が暗くなる。
ニール、と思わず名前を呼んだ。
悪いものだなんて大げさだ。少し脅かしただけではないか。たいしたことでもないのに、彼はわたしを遠ざける。
暗く薄れる背中が言う。
「それに、何度呼んでも相手にされないって、やっとわかったみたいだ」
「どういうことだ?」
もはや、はっきりと見えない背中は振り返らない。
「ぼくを落とすなら、きみくらいすてきじゃないと難しいってことだ」
なに言ってる、と呆れたような声がした。
それに負けないくらい大きな声で名前を呼ぶ。
彼はこちらを振り向かない。
もう誰にも、呼びかける声は聞こえなかった。
熱闘モラトリアム
布を両手に捧げ持ったニールが訊いた。
「目隠しをしてもいいかな」
出し抜けになんだ、と目をすがめると、ニールは布を両手でピンと張って、ニヤリと口角を上げた。
「目隠し、させてくれる?」
妙に芝居がかっているのが鬱陶しい。
「させない。なんだいったい」
ニールは、ええ、と不服そうに口をとがらせてぶつぶつと言いつのる。
「きみが来るのを待ってるひとがいるんだ。なにも聞かずに布を巻いてみないか」
「断る。つまらんことをしていないで早く帰れ」
きっぱりと言い渡した。
取引相手の急病を知らされたのが朝の十時。手が空いたので別部隊の手伝いを申し出たものの、午後の取引のための作業しかなく、結局全員の手が空いた。
最高気温三十五度、朝まで降った雨で湿度は高くムシムシしていた。差し当たって急ぎの用事もない。
「今日の作業は終わりだ。それぞれ自由に過ごしてくれ」
その指示は、遅くとも正午前には全員に伝わったはずだ。いまは午後二時、一日のうちで最も暑い時間帯。こんな時間まで、ニールとほかのやつらはなにをしていたのか。自由にしろとは言ったが、おれを自由にしろと言ったつもりはなかった。
布をいじりなからニールは食い下がる。
「ちょっとした余興に付き合ってやろうという、おおらかな気持ちはない?」
「ないな、もう仕事を終わらせて帰るところだ」
「そうか、ならちょうどいい。ぼくらに時間をくれ」
「なにをするか言えば検討する可能性はある」
ニールは、ええ、と再び不服そうな声を上げた。
「目隠しの意味がなくなるじゃないか。ほかのやつらはみんな知ってるから、なにも知らないゲストが必要なんだ。余興と思って、どう? もちろん、きみの安全は保証する。きっと楽しいよ」
これほど説得を試みるのはなぜかと、徐々に彼らの余興とやらに興味が湧いてきた。我ながら乗せられやすい。
「目隠しで楽しいってどういうことだ。おれしかやらんのか」
パッと顔を輝かせてニールはそばにしゃがんだ。
「実は、きみが最初で、そのあとみんなもする。ぼくもする予定だけど、なにをするか知らないきみのほうがうまいんじゃないかと思ってるところなんだ」
ねえ、やろう。ほら、やろう。さあ、やろう。
上目遣いにこちらを見上げてワクワクしながら誘いかける。
「それは、時間がかかるのか」
膝になつかんばかりに身体を寄せたニールは首をひねった。
「そうだな、せいぜい二十分もあれば食べ終われるんじゃないかな」
「食べる?」
予想外の単語だ。てっきりなにかのスポーツをするのだと思っていたのに、食べる競技だとは。昼食後に大食い大会でもするのだろうか。
ニールは、しまったと顔をゆがませ、「聞かなかったことにしてくれ」と目をつむった。
大食いやテイスティングに自信はないが、好き嫌いはないし、珍しい料理や食材は抵抗なく食べられる。それになにより、まだ昼食を摂っておらず腹が空いていた。目隠しさえなければ、参加をためらわなかったろうに。
こちらの出方を窺っていたニールは、黙り込むおれを見てもうひと押しと思ったのか、説得を重ねた。
「もしかして、ランチはまだ? それなら、おいしく食べられると思うよ。どうかな、参加してみる?」
聞かなかったことにしろと言っておきながら、すぐに自ら話を蒸し返している。
「どこでやるんだ?」
「裏の空き地の整備をしただろ、せっかくだから、きれいなうちになにかしたいって話になったんだ。準備はできてるから、あとはきみが来るだけだ」
スポーツでないならば屋内かと思いきや、この暑いさなかに外に出ると言う。そう大がかりではないと予想するが、なにを企んでいるのか。
すでにおれがイエスと返したかのように顔をほころばせるニールに軽く頷いた。ニールは小さく拳を握る。なにが彼を突き動かしているのか気になった。
「やった。じゃ、裏のドアまで行こう。そこで目隠しをさせてもらう」
建物の裏手には使われていない土地があった。その向こうは森で人目につかないのもあり、次の拠点としてこの場所が候補に挙がった際に、訓練やなにかで利用できると考えていた。いざ、活動してみると、夏場は雑草が繁茂するわ気温は高すぎるわで空き地を活用する機会はなかった。
その裏手へのドアの前でニールがおれの背後に回る。
目に布が当たって視界が遮られるのは、思った通り不快だった。
「大丈夫、ぼくがあなたの目になるよ」
ニールがそれを察知したかのように言い添える。
目隠しを頭の後ろで結んでしまうと、真っ暗でなにも見えなくなった。さっきまで見えていたドアノブの位置くらいしか把握できない。
「じゃあ、開けるね。暑いから気をつけて」
ドアが開くと白い光と熱気に襲われた。まぶしくて頭を少し下げる。覚悟したより暑くなかった。
外には人の気配があり、多数の視線を感じるが、それぞれの声はひそやかで風の音にかき消された。
「足元に気をつけて。では、第一回を行います」
周りに聞こえるように声を張ってニールが言う。数人の拍手と頑張れという声援が聞こえた。全部で五、六人だろうか。暑いさなかに奇矯なものだ。誰かがニールのそばまで来る足音と立ち去る音がした。
「では、まずボスにはこのバットを持ってもらいます」
ニールは説明しながらおれに木のバットらしきものを握らせる。重さやグリップの形状、ヘッドまでの長さからバットだろうと納得した。まさか目隠しをしたまま球を打たせるつもりか。打てるとは到底思えないが。
ニールの手がバットを握る手にかぶさった。それと同時にヘッドを下げるような力がかかる。
「ボールを打つためには使わないんだ。今日は、下にあるものを叩いてほしい」
「下って、地面をか?」
「そう、地面に置いてあるものを割ってほしいんだ」
なんとなくこのゲームが見えてきた。陶器か紙でできた器か箱のようなものを割って中身を取り出すのか。食べ物というなら、そのなかにあるものを後から取り出して皆で食べるという流れなのだろう。ピニャータと似た遊びだ。だが、地面に置いてあるというのが気になる。それに、わざわざ人を呼び集めてやるようなこととも思えない。
「じゃあ、始めよう。きみから離れるけどそばにいる。ぼくの指示に従って進んでくれ」
おれから遠ざかる足音がして、ニールは「そのまま前に進んで」と言った。
やるとなったら全力でやらねばならない。じわりと額から汗が流れる。
両手でバットを握り、前方に突き刺すように構えて足を進める。おお、とどよめきが起こる。歩いただけで大袈裟だった。
六歩目で、ニールの声が聞こえた。
「ストップ、左に十度。そう、さすがだね。そのまま行って」
九歩目直前にまた声がした。
「もうすぐだ。少し歩幅を狭めて……そう、そこ!」
わかりやすく操り人形と化している。
視界がなく明るさしか感じない状況でも、ニールの声に従うのは簡単だった。振りかぶった先に、モノではなく、ヒトやなにか壊したくないものがあるかもしれないという疑念がなくもなかったが、彼らはそういう遊びはしない。このなかで誰かを試すような真似をするのはおれだけだ。
「思い切り叩き割れ!」
ニールの声に合わせてバットを振り下ろす。大きさも形もわからなかったので、手加減なしの全力を振るった。
ボゴッという鈍い音がして手に硬い手応えが届いた。思った以上の硬さだ。紙や陶器ではない。カボチャだろうか、ハロウィンはまだ先だが……。
おお、やった、などと外野が騒がしい。
すごいぞ、とニールが駆け寄ってきて目隠しを外した。
「一発で決めるなんてさすがだ。それにフォームも完璧だった。さあ、日陰に入ってくれ」
ニコニコと笑うニールは日光でより白っぽく見えた。
まぶしさに手をかざしてあたりを確認すると、今朝までなかったはずの大きな日除けのテントが建っており、そこに十人ほどが集まっていた。長机やパイプ椅子も用意されている。拍手したり、なにも持たずにバットを振り下ろす練習をする者がいるなか、彼らの足元にある、四つの青いクーラーボックスが目を引いた。
振り返ってバットで割ったものにも目を向ける。
それは、中心で真っ二つに割れた、元は丸いスイカだった。直径三十センチほどで、かなりの大きさである。凹凸のある真っ赤に熟れた果肉がキラキラと光っていた。
ニールに背を押されてテントの影に入ると、来てもらえてよかった、いいフォームでした、見事です、などと声をかけられた。悪い気はしない。
割れたスイカが半分ずつ運ばれてくる。さっそく机の上で大ざっぱに切り分けられた。ザクザクと小気味いい音がして、周囲に水っぽい香りが広がっていく。
ニールは一番大きな半円をおれに渡した。
「はい、たくさんあるからたくさん食べよう」
集まった者たちはそれぞれ一切れずつ手に取り、そろってシャクシャクと音を立てて食べる。意外にも冷えていて結構うまい。早くも二切れ目を手に取った。やはりうまい。
「それにしても、これはなんだ」
ニールは果汁で赤くなった手で口元をぬぐって答えた。
「スイカ割りっていう夏のゲームだ。海辺でやるのが主流らしいけど、今日は緊急開催だからね」
「緊急でこんなに手際良く用意したのか」
「まあね」
得意げに胸を張って続ける。
「みんなが集まったタイミングで休みになるのって珍しいだろ? これはスイカ割りをするしかないと思ったんだ。それからは早かった。買い出しやテントを組み立てる役割分担もすぐだったし、冷たいスイカの用意もできた。最後の難関は、そう、あなただ」
ニールは手に持ったスイカを掲げておれを指す。またしても芝居がかったセリフである、鼻で笑うしかない。
とはいえ、目隠しをしてスイカを割るのが夏の行事だというのは納得できた。簡単だったが、目隠しをして指示に従う姿を見るのが面白いという遊びなのだろう。それに、スイカは食べているうちに身体を潤わせ、涼しくさせる。
「そろそろ第二回、行こうか」
ニールの声かけにアイヴスが応える。
「次はおれです」とバットを持ったアイヴスは言い、マヒアが「指示役はおれ、安心して行ってこい」とアイヴスの背を叩いた。おまえも行っておれに目隠しすんだよ、とマヒアはアイヴスに連れて行かれる。
スタート位置に着いたアイヴスがマヒアに、「きつく布を巻くように」と告げる声が遠く聞こえる。
「第二回を初めます」
ニールが声を張り、アイヴスが一歩目から大胆に左に逸れていく。離れた位置にいるマヒアが、ちがーう! と呼びかける。
訊いていいか、とニールが言った。彼はしばらく口を閉ざしてから訊いた。
「なんで誘いに乗ったんだ」
あれだけしつこくせっついておきながら、それを訊くのかと思ったものの、自分にも、しかとした理由はわからない。
「興味が湧いたからだな。なにをするか聞いたら、余計に気になった」
「それだけ?」
「なんと言ってほしいんだ」
目標のスイカから九十度ほど外れた場所に向けてバットを打ち下ろそうとするアイヴスと、右、右、と抽象的な指示に徹するマヒアに視線を向けて、ニールは小さく笑った。
「全然ためらわなかったね」
アイヴスのバットは案の定、スイカの隣の地面をえぐった。テントに笑いが起こる。
視界がなくてもなんの不安もなかった。ニールの指示は的確だったし、彼らがおれに害を与えるはずはないと知っていたからだ。それでも、たしかにそれだけが理由で参加を決めたのでも、ためらわずにバットを振り下ろしたのでもなかった気がする。
ニールを見ると、彼もこちらに顔を向けた。スイカの汁が口の端についている。
「おまえが目になるって言ったんだ、じゅうぶんだろ」
手元にあったスイカを食べきり、三切れ目を取りに行く。バットが地面を殴る乾いた音と、マヒアの「もう、なんでだ!」という声が響いた。
「あと一回で割れなかったら失格だぞ!」
ニールの大きな声がする。やる気に満ちた張りのある声だ。目を向けると、彼もこちらを振り向いた。どことなく誇らしげな顔が、日を照り返して白く光った。
伊ドラマパロディ
「おまえ、ボスのこと好きだろ」
出会い頭にアイヴスから断言され、ニールはビクリと身体を震わせた。
「は? なに言ってんだ。そんなわけないだろ」
素知らぬ顔をするニールを睥睨し、アイヴスは言う。
「あれで隠してるつもりだとはね」
「なんだよ、馬鹿なこと言ってると殴るぞ」
いまにも手を出す素振りをするニールに対して、アイヴスは呆れたように首を振り、指を一本ずつ上げる。
「おれが言っても聞かねえのに、ボスの発言ならすべて従う。ボスが近くにいると知るだけでお上品に振る舞い出す。極めつけはこれだ、あのひとに見られただけで顔が真っ赤になる」
三本立った指を前にしてニールの顔が驚愕に歪んだ。他人に見透かされるとは少しも思わなかったらしい。その自信が彼の容姿の良さや、ボス以外に対してはそつのない態度から来ているのだろうというアイヴスの予想は、的を射ていた。
ニールはこれまで、のぼせるように誰かに焦がれた経験はなかった。むしろ、周りの誰かが自分に気に入られようとする姿を高みの見物してはため息をついた。相手に丸分かりのアプローチを取られ、勝手な期待を持ちかけられるのに困惑したのは最初だけで、次第に軽くかわす技を身に着けた。
だが、アイヴスに気持ちを言い当てられた。自分の態度を客観視できないほど相手に夢中になっていたのを認めざるを得ず、ニールは振り上げていた拳を下ろした。
「そんなに分かりやすかったか」
「他のやつらも気づいてるんじゃねえの」
うっ、と息を詰める。ニールは胸を押さえてよろめいた。
「阿呆だな」
胸の内で思った言葉が思わず口に出たアイヴスは、何度か頷いてからニールを置いて歩き去った。後には壁にもたれるようにしてうなだれるひとりの青年だけが残された。
ニールは血圧計のカフ(腕帯)を巻いたボスの腕から目が離せなかった。目の前でジャケットを脱いだ姿を目に焼き付け、ネクタイを緩めるときの指の動きも凝視した。
カフを巻くのを頼まれて――緩くなってしまい三度巻き直した――以降は、白いシャツの上に巻かれた黒いカフが、ぎゅうぎゅうと彼の腕を締め上げるのを見守っている。
ボスが言うには、ここ数日、毎日血圧を測っているとのことだった。昨日までは別の人間が担当していたけれど、なんの因果か今日に限ってニールにお鉢が回ってきた。
アイヴスと別れてすぐに、自覚していない自分の反応を確かめるためにボスの部屋近くまで赴いていたニールは、部屋から出てきたボス自身に呼び止められて手伝いを命じられた。
頼み事をされて、ニールは自分の頬が熱くなるのを感じた。うまく隠しおおせている自信のあった前の自分には、戻れそうもないと自覚した。
カフを巻いたボスは、なにかに気を取られてでもいるのか、ニールに測定する機械を持たせたまま自分のデスクの前を行ったり来たりする。ニールは椅子に腰掛けて、ボスの動きに合わせて左右に顔を振った。
「あんまり動かないほうがいいんじゃないか」
ニールの控えめな指摘を横目で流し見た男は、そうだなと首肯した上で動くのをやめない。
「連絡を待っているんだ。もう三時間は経つ。今日は余計な情報で気を揉みたくない」
余計な情報、という言葉が強く響き、ニールは血圧計に目を落とした。この場所に近づいた不純な動機を思い出さずにはいられない。
ピピピ、と血圧の測定を告げる音が鳴る。
ニールは知らぬ間に止めていた呼吸を再開させて数字を読み上げた。
「歩き回ったにしてはいい数字だよ。上が136の78」
カフを外す音がした。自分が外すのだと思い込んでいたのに気づき、ニールは口元を引き締めてため息を飲み込んだ。
落ち着かなげに動いていた男の足が止まる。
ボスは、手元の血圧計に目を落としてうつむくニールの頭を見て言った。
「なんでこっちを見ない?」
唐突な指摘にニールはビクリと跳ねた。
「いやだな、見てるよ」
ニールは手元の血圧計へと引き寄せるようにしてカフとコネクターをまとめる。機器を収納する袋があるはずだった。
ボスがニールに近づく。
「なにか隠してるのか」
「まさか」
自分が腰掛けている椅子の周りを見渡していたニールは、足元に袋が落ちているのに気づいた。ボスの靴がすぐそばに見える。何気ない所作で袋を拾い、血圧計をしまう。顔がどうしても上げられない。ボスの言う通り、部屋に入ってからは一度も顔を見ていなかった。
ニールの顎に男の指がかかった。
添えるほどの力しか込められていないにも関わらず、超自然的とも思える力でニールの顔は上向いた。
「言いなさい」
涼やかで冷徹な瞳がニールを貫いた。
顎に指をかけられただけなのに、ニールは丸裸にされたような気分になった。隠し事なんてひとつしかない。それ以外のことならなんでも答えるけれど、目の前の相手が好きだなどと、こんな場所で言えるわけがない。
ニールは目を大きく開いて男を見返した。
男は、自分が尋ねれば必ず答えが返ってくると確信している面持ちで、固まった相手の名前を呼んだ。
「ニール」
呼ばれて口が開く。
彼の望むままに真実を話すべきだ、いや、言ってしまえばすべてが終わる、失恋、失職、もう会えなくなる、それはイヤだ! なにか言わなくては、ごまかしなんて彼には効かない、なんでもいいから話せ、どうしよう、なにも思い浮かばない――
電子音が高く響いた。ふたりの意識がデスクの上の携帯端末に向かう。
ボスはすぐには端末に飛びつかず、ニールの顔から目を離さなかった。
「後で話そう」
そう言うと指を離し、デスクに向かう。
戒めから解放されて、ニールは飛び上がるようにして椅子から立った。
部屋から出ていくのを待つボスに向かって、ニールは捨て台詞を残した。
「ぼくからは言えない。アイヴスに聞いてくれ」
ボスの顔にかすかな不審がよぎるのを視界の隅に入れながら、ニールは扉を閉めた。
――すまないアイヴス、後は頼んだ。
自分だけを見つめるまっすぐな視線が、いまも扉越しに背中に注がれているような気がして、ニールは走ってその場から離れた。
すべてを見透かすような目だった。あと少しでも長く見つめられていたら、あることないこと吐き出していたに違いない。
対峙した間は恐ろしさすら感じたのに、離れてみると、腹の奥がジリジリするような甘い感覚も生まれていた。できるだけ長く記憶しておけるように、何度も何度も思い出した。