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    思うままの気持ちをあなたに
       ジョン


     目の前に差し出された真っ赤なバラの花束に気圧されて、ジョンは椅子に座ったまま心持ち後ろに身を引いた。こんなに本数の多い花束を直に見るのは初めてだ。何本くらいあるのだろうか、二十、三十できく本数ではない。ジョンはこのように大げさなことをする人間を一人しか知らない。
    「ニール、なんだこれは」
     バラの後ろから顔を覗かせた友人に怪訝な声をかける。対して、当の友人は得意げに笑って花束を差し出したままだ。
    「バラの花束だよ。ぼくの気持ち」
    「何本あるんだよ」
     ふわりと香る花の香りに誘われて顔を近づけると鼻の先に肉厚の花弁があたる。紙袋に詰めてきたサンドイッチの乾いたにおいやペットボトルのオレンジジュースとはまったく違う、みずみずしい花の香りを吸い込んだ。
    「全部で五十本。本当は百八本にしたかったんだけど、さすがに重そうでやめたよ」
     五十本でも片腕で持つのは大変そうに見えるけれど、と思いながらジョンは花から身体を起こしてニールと正対し、黙って相手の出方を待った。反応のないジョンの態度を気にする素振りもなく、にこにこと笑ってニールは口を開く。
    「今日はバレンタインだから。君に似合うと思って赤いバラを選んだんだ。始業前に花屋は開いてなかったから昼を狙って配達してもらった」
     すごいでしょう、と胸を張り、またも得意げにする。
     食堂で昼食を摂っていた生徒たちの注目を一身に浴びているのにも関わらず、ニールは普段どおりに振る舞っていた。ジョンは、この少年の何事にも物怖じしない態度が嫌いではなかった。ただ、いまのように自分までもが特異な状況に置かれるのは少々居心地が悪い。
    「派手すぎる」
     片手で豪奢な花束を押しやって香りごとニールの手元に引き取らせた。パチパチとまばたきをして、なぜ受け取ってもらえないのかと驚いたようにしているニールを見て、言い過ぎただろうか、と一言添える。
    「一本だけならもらってやってもいい」
     返答を聞くと、ようすを伺っている周囲の生徒たちが揃ってうっとりと見とれてしまう、とびきり甘い笑顔をみせてニールはバラを一本抜き、ジョンに手渡した。
    「棘は取ってあるから触っても大丈夫だよ」
     はい、どうぞ、と差し出される。もらってもいいと言ってしまった手前、断ることもできず、ジョンは声も出さずに受け取った。衆人環視のなかでなければもっと反応を示せたかもしれないが、どうしたってここではだめだ。周囲からの反応に疎いと友人に指摘されることのあるジョンですら、バラの花の棘にも似たチクチクとした視線を四方から感じる。気まずさと居たたまれなさを押し殺し、平静を装ってニールに訊く。
    「昼はもう食べたのか?」
    「まだだよ」
     花束に顔を添えるようにして首を傾ける姿は、母親がたまに見ているロマンスドラマの主人公が十代に若返って抜け出して来たように見えた。ジョンは目をそらし、今しがたもらったばかりのバラに向かって声を出す。
    「ここで食えば」
     ニールのいる場所の温度が何度か上がったような気がした。きっと実際に上がったのだと思う、見ていなくてもニールが満面の笑みを浮かべているのはわかった。ジョンが誘うといつもそうやって新鮮に喜ぶのだ。ニールの喜ぶ姿を見た周りの生徒たちもつられて高揚したようで、指笛が鳴ったりなぜだか拍手が沸き起こったりした。
     普通に応対しただけなのになぜこうも騒がしくなるのだ、とジョンが口をへの字に結んでいると、ニールが花束を持ったまま配膳の列に並ぼうとする。
    「それは置いておいていい。さっさと行ってこい」
    「ありがとう、すぐに戻るよ」
     たった十五メートルを離れるのも不本意だと言うような切なげな視線を向けたあと、ニールはトレーを取りに行った。
     ジョンの向かいに座って顛末をずっと見ていたアイヴスは、手元にあるピザがすでに冷え始めているのに気づいて眉を寄せた。派手な出し物のせいで温かい昼食を摂りそこねたのだ。ため息をついてジョンとその隣に鎮座しているバラの花束に目を向ける。
    「どんどんエスカレートしてないか?」
     ジョンは持参したサンドイッチを機嫌よく口に運んでいた。飲み込んでから、なにが? と訊く。アイヴスは顎でバラを指して心持ち声を抑えて言った。
    「あいつのやり方だろうがよ。いくらなんでもこれはないだろう、おれたち十六だぞ。いや、三十歳でもやらねえな」
     アイヴスの隣に座るマヒアもうなずいてあとを継ぐ。
    「最初はもっとかわいかったよね。友だちになってほしいんだっておれらの前で言ったりしてさ、でも、いまになって思えばあれも作戦だったのかもな」
     目を合わせてうなずき合う友人を前にして、ジョンはそうだろうか、と内心首を傾けた。ニールはマヒアが言うような腹芸のできる人間ではないと思う。ジョンの目には、彼はただ素直なだけに写るのだった。
     昼食を用意してきたニールの動きに合わせてふわりと花の香りが漂った。バラの花束越しに隣に座るニールからは甘い香りがした。


       ニール


     ニールは授業が終わってすぐに教室から飛び出した。今日は月曜日、ジョンはアルバイトに向かう予定だ。学校から出てしまう前に彼を見つけて、あわよくばバイト先まで車で送り届けたいと思っていた。ジョンは自転車で登校しているが、トランクを開けたままにすれば自転車を乗せて運転できるはずだった。実際にやったことはないが、あふれるほどの荷物を乗せる場面を映画で見たことがある。
     送ろうかと訊いたことはいままでにもあった。提案するたびに断られていたが、今日はバラを受け取ってくれたのだ、もしかしたら乗車してくれるかもしれない。
     ニールが国語の授業を受けていたのは二階で、校舎の裏側に近い教室だった。ジョンは一階の教室で科学を受けていたはずだ、早く向かわないといけない。だるそうに歩く生徒たちの間を縫って急ぎ足でロッカーまでたどり着く。別れの挨拶をおざなりに返しながらジョンの使う場所を確認したが、その周囲に彼はいなかった。もう出てしまったのだろうか。
     周囲を見渡しながら駐車場までたどり着くと、ジョンの自転車がいつも止めている場所になかった。きっとアルバイトに行ってしまったのだろう。彼の働くスーパーマーケットはニールやジョン自身の家と逆方向にあった。客として向かうにしても、さすがに毎週顔を出すのは彼の顰蹙を買うだろう。せっかく花を受け取ってくれたのに、昼食を摂って以降会えなかったのは残念だった。
     車に乗り込むと後部座席に置いた四十九本のバラの香りに包まれた。一本でも受け取ってもらえたのだから大丈夫だ、と自分を鼓舞する。
     ジョンは嘘をつかないひとだ。ニールのアプローチを迷惑だと思えば口にするはずである。つまり、いまのところは前向きに受け止めてくれているのだ。そうでなかったら、昼食を共にしようなどと誘ってくれるだろうか。
     車を走らせながら食堂でのことを思い出しているとカーブを曲がった先に、のんびりと自転車を漕いでいるジョンの後ろ姿が目に入った。別の生徒かとも思ったが、背負っているデイバッグからバラの花が一輪顔を出している。驚いてスピードを上げて隣に並んだ。
    「ジョン! どうしてここに?」
     助手席側のパワーウインドウを下げて身体を伸ばして訊く。ジョンはニールの登場に目を開いて漕ぐのをやめた。ニールもブレーキを踏む。
    「今日ってバイトじゃなかったっけ?」
    「改装するからしばらく休みなんだ」
    「じゃあ、もしかして、今日は用事がない? よかったらうちに来ない?」
     ニールは勢いにまかせて誘いかけた。断られても構わないと心の準備をする間もなかった。いまを逃すとこのような機会に恵まれることはないのではないかという焦燥があった。
     軽いクラクションの音が間近にした。後ろを振り返ると車がつかえている。ニールは心のなかで舌打ちをしてジョンに顔を向けた。
     ジョンはつかえた車のほうに目をやり、ちょっと待って、と言うように抑えるような手振りをした。自転車から降りて手早くハンドルとフレームを折りたたむ。そうか、たためる自転車だったのか、とニールはうなずいた。トランクに乗せるまでもなかったのだ。
    「後ろに乗せていいか?」
     ジョンが訊くので、うんうん、と大きくうなずき手を伸ばそうとして向こうから開けられる。ジョンは後部座席に乗せられているバラを見てふわりと相好を崩した。
     助手席に乗り込みながら言う。
    「花の匂いがするな」
     隣に座るジョンに見とれていたニールにまたもやクラクションが鳴らされた。のろのろとアクセルに足をかけ、努力して目を前に向ける。ごくりとつばを飲み込んだ。
    「ぼくの家にって言ったけど、行きたい場所があるならそこに行ってもいいよ。どこか、そういうところある?」
     ジョンは、ううん、と考える素振りをしてちらりと後ろを振り返った。そこには自転車とバラがある。
    「特にないな。ニールの家に行こう」
     思いもよらない好機に恵まれてニールは足をバタつかせないように注意した。足元にはアクセルがあるのだ、気をつけねばならない。ハンドルを握る手のひらがじっとりと汗に濡れていた。
     ニールの家はジョンの家より学校から離れた場所にある。お互いの家はそう遠くもないので行き来できるのだが、いままでふたりとも、どちらの家にも行ったことはなかった。それもそのはず、ニールがジョンに友だちになろうと言ったのは去年の初夏で、高校に通いだして二年目、夏休みに入る直前のことだった。
    「なにか飲み物飲む? コーラがいい? ジュースとかもあるし……お腹すいた? なにか頼む?」
     家に着くなりニールはジョンをもてなそうと張り切って矢継ぎ早に質問を繰り出した。手にはバラの花束を抱えている。
     ジョンは二階まで吹き抜けになったフロアで高いところにある天窓を珍しそうに見上げて、うん、とか、ああ、と相づちをうっていた。庭やアプローチに入ったあたりから、彼はきょろきょろと周りを見渡している。
     部屋に行く? とコップや飲み物、スナックなどを用意して訊くと、ジョンは運ぶのを手伝ってくれた。階段を上って部屋に入る。ニールは鍵をかけるかどうかを一瞬迷い、迷ったことを笑ってドアに隙間を開けておいた。
     ニールが振り返ると、ソファに座ろうとしたジョンは思い立ったようにしてニールに向き直った。
    「家にひとはいないのか?」
     ジョンは真面目なので親に挨拶をしなければならないと思っているのだろう、わかっていても、そうではない意味を込めて聞いてしまって気恥ずかしく感じながらニールはジョンの隣に座る。
    「父親は仕事、もうひとりは遊びかな? 仕事なのか遊びなのかわかんないや」
    「もうひとり? お母さんのことか?」
    「三人目の親なんだよね、お母さんというか、名前で呼んでる。おばさん? みたいな感じ。面白いひとだよ」
     へえ、とジョンは言い、コップに注いだコーラを飲んだ。少し考えるふうに首を傾け「再婚ってどんな感じ?」と訊いた。
     どんな感じと聞かれてもなにを答えればいいのだろう、ニールが答えに詰まっていると、悪い、とジョンは手持ち無沙汰そうにして周りを見渡した。ベッドの上に放ったバラの花束に目を向ける。
    「あれって、まだおれのもの?」
     もちろん、と声を上げながらジョンに手渡すと、鼻をバラに埋もれさせるようにして匂いを嗅いだ。そのまま話し始める。
    「昼間のあれ、恥ずかしくないのか?」
     正直に言うと恥ずかしかった。注文した花束は思いの外大きくて重かったし、食堂ではなく、外で食べてくれていたらまだマシだったのではないかとも感じていた。だが、今日は昼以外にジョンを捕まえる機会がないのも確かだった。それに、いまから思えばやってよかったと思っている。
    「嫌だった? 気持ちを表せるかなと思ったんだけど」
     もごもごと口ごもってしまう。花の後ろから顔を出したジョンはニヤリと笑った。
    「結構、様になってたぞ。プロムに誘われるのかと思った」
     ジョンの笑顔につられてニールも破顔した。ジョンは花束のなかの一本を取り出し、指示棒のようにしてニールを差した。
    「でも、今後ああいうことはやめてほしい。こういうのって、やっぱりちがう気がする」
     きょとんとするニールを前に、ジョンは花をふわふわと動かしながら慎重に言葉を選ぶようだった。ニールは黙って先を待つ。
    「ニールのこと、おもしろいなと思ったのは確かなんだ。おれに興味を持ってくれてるみたいだけど、それを維持する必要もないし、好きにしたらいいと思ってる。ただ、あんまり派手に振る舞われるとみんながおれにまで期待を向けるからさ、そこまでは負えないというか」
     ジョンは言葉を切ってニールの目を覗き込んだ。ジョンの目が心配そうに揺れて見えるのは、ニール自身がなにを言われるのかと不安がっているのを、きれいな茶色の目に写しているだけだろうか。ジョンが息を吸い込む。
    「おまえほど、周りの期待に応えるために器用には振る舞えないんだ。だから、今後はアイヴスやマヒアに接するみたいにしてほしい」
     ジョンは言い終わると、持っていたバラの花びらを一枚ずつちぎっては膝の上に落としていった。
     なんのことを言っているのだろうかとニールはうろたえた。自分が、いつ、だれの期待に応えるために行動したというのだろう。ジョンの口ぶりだと、昼間のことも「だれか」に向けた見世物として捉えているように聞こえる。二本目のバラの花びらの解体に取り掛かっているジョンに向かって、恐る恐る問いかける。
    「周りの期待に応えるためってどういうこと? ぼくがそうしてるってジョンは思うのか?」
    「そうじゃないのか? ニールは周りのことをよく見てるし、おまえはこの学校の人気者だろう。無意識かもしれないけど、楽しませようとするのは悪いことじゃないし、実際にみんな楽しんでるみたいだし……」
     ニールの手がきつく握りしめられているのに気づいてジョンは口ごもった。視線を上げると、ニールはぎゅっと歯を噛み締めて両目をつむっていた。息も止めているように見える。ようすがおかしい。
    「ニール、どうしたんだ」
     どうしたもこうしたもなかった。ジョンはニールが抱いている恋心にはまったく気づいていなかった。それどころか、学校内での娯楽の一種として、ニールがジョンになついているという演出をしていると思っていたようだ。どういうことなのだ、ニールは頭を抱えた。
     彼と仲良くなろうとしてからこちら、ニールは必死にアプローチをかけてきた。知り合ってすぐに夏休みに入ってしまったのもあり、本人からではなく、SNSとクラスメイトからの情報を得て休みの間に偶然を装ってアルバイト先に顔を出すことから始め、取った授業が同じであれば必ず近くに席を取り、各種イベントの際には遊びに誘ったりプレゼントをしたりして、自分はジョンのことを想っているとアピールしてきたつもりだった。そして今日、バレンタインの日にこれ以上ないほどわかりやすく気持ちを伝えようとしたのだ。
     ニールの振る舞いを見たジョン以外の人間は、生徒だけではなく教師に至るまでが、この半年間でニールがジョンに想いを寄せている事実に否が応でも気づかざるを得なかった。だというのに、当の本人だけはいまだそれとわかっていないのである。
     ニールは、ジョンを初めて意識したときのことを思い返していた。そうだった、彼にははっきりと言葉にして伝えないといけないのだ。


       ジョン


     突然黙り込んだニールの隣で、ジョンは自分の発言を思い返していた。指は勝手に花びらをちぎってゆく。なにか悪いことを言ったのだろうか、謝ろうにも、なにがトリガーになったのかがわからない。ニールの家に来たところから思い出し、自分がした失礼な発言に思い当たった。
    「ニール、すまない、親の再婚について訊くなんて失礼だったよな。……実は、おれの母親も再婚するらしくて、いま家に居づらいんだ。夕方になったら一緒に食事しようって誘われるしやたらと構われるし。勝手にしてくれって思ったり、やっぱりなんか嫌だったり。いや、おれのことなんか関係ないよな、考えなしだったと思う。ごめん」
     隣に座るニールに向き直る。彼は眉に力を入れてまばたきもなくジョンをじっと見つめ、口を少し開けていた。ジョンにはその表情がうまく読めなかった。もしかしてこれは、呆れている表情なのだろうか。
     ニールは小さく、そうなんだ、と口にして何度がうなずき、そういうこともあるよね、とつづけた。
     なぜだかより一層、ニールは落ち込んで見えた。さっきまでは緊張したように身体に入っていた力が抜けて脱力して見える。自分が原因であるのに間違いはないのだろうけれど、この状況をどう収めたらいいのかわからず、手持ち無沙汰で次々にバラの花びらをちぎってしまう。赤くて肉厚で生きている香りがしてちぎり甲斐があった。
     しばらくすると、ニールは無言でソファから立ち上がり、ジョンの前に膝をついた。顔を上げてしっかりとジョンの目を覗き込む。
    「ジョン、よく聞いてほしい」
     改まったようすに、花をちぎる指が止まった。ニールは額に力を込めて真剣な表情をしていた。思わず眉間に皺が寄る。なにを言われるのだろうか。
    「今日、ぼくが君に花を渡したのは、ぼくが君に花を渡したかったからなんだ。バレンタインの当日に授業がなければ君の家まで花束を届けに行ったし、君が昼食を外で摂っていたなら外に向かった。食堂で渡したのは、君がそこにいたからで、周りはどうでもよかったんだ」
     ジョンは言われた内容を反芻してパチパチと目を瞬かせた。ニールはまっすぐにジョンを見てつづける。
    「君は勘違いをしていると思う。でも、それはぼくがちゃんと口に出して言わなかったからで、君のせいじゃない」
     ジョンを見上げるニールの瞳がゆらゆらと揺れていた。青くて透明なビー玉が水の上に浮かんでいるように見えた。ニールはひとりで寄る辺なく、思い詰めて口を開く。
    「ぼくは君が好きだ。友だちとしても好きだけど、恋人同士になりたいと思ってる。君がこういうことに興味がないのはわかってる。ただ、ぼくが君を好きだっていうことを知ってもらいたい。それから、できたら、好きでいていいと、言ってもらえたら」
    「いいよ。好きでいていい」
     反射的にそう口にしていた。
     ニールは本気だった。頬と耳を赤く染めて、これはとても大切なことなのだと真剣に告白していた。軽くいなしてはいけないとはっきりジョンは感じとった。
     ニールは学校の人気者で、見た通りの金持ちで──それを鼻にかけるようすもないのでジョンは実際に家にあがるまで知らなかったのだが──部活動がかぶるわけでもなく、ジョンとの接点はあまりなかった。そんな人間が半年前に突然距離を詰めてきたのである。
     初めはなにかのゲームかと思った。あまり付き合いのない同級生とどれだけ仲良くなれるか、などといったような遊びをしているのかと。それにしては自分以外の生徒と関わろうとしないので、徐々になにかもっと大きなもの、例えば、学校内の生徒全体だとか、社会だとか、に対して振る舞っているのだろうとぼんやりとだが当たりをつけた。
     ニールを観察していると、あまりに卒なくいろいろなことをこなしていることに気づく。人当たりもよく人望がある。昔の恋人たちともなかよく友人関係を築いているし、相手には事欠かないはずだった。それもあって、自分が相手として見られているとは思わなかった。
     ニールの告白を聞いたいまとなっては、なるほどあれは好意を持つ相手にする態度だったのか、と腑に落ちた。ジョンは自分に向けられたニールの気持ちを嫌だと思わなかった。だから、好きでいていいと言った。
     ジョンの返答を聞いたニールはソファに向かってへなへなと上半身を倒した。首の後ろまで赤くなっているのが見えてジョンもつられて気恥ずかしくなる。居心地が悪くて炭酸が抜けてきたコーラを飲み干しコップをニールの首の後ろに乗せた。
    「なんで、おれなんだよ。きっかけがないだろう?」
     ニールは乗せられたコップを首から下ろしてジョンを振り仰いだ。
    「聞きたいのか」
    「そりゃあ、まあ、気になるし」
     ニールは口をもぞもぞさせてソファから身体を起こした。持ったコップにジュースを注いで一気に飲み干す。少し気恥ずかしそうにしながらも、口の端が間違えようもなく上がっていた。もう瞳は不安げに揺れていない。
    「去年の六月に……」


       ニール


     その日は学年末テストの最終日だった。数日後には卒業式があり、それが終わると夏休みが待っている。卒業パーティーの計画を完璧にしようと最後の打ち合わせに余念のない生徒や、愛憎相半ばする感情を胸に秘めたまま去ろうとする生徒を飲み込む学舎は、隣の高校に比べたら洒落ているが、全米で比較すると平均以上でしかない見た目の、シンプルなレンガ造りの大きな箱だった。
     校舎から離れた場所にある校庭の隅に、スポーツ関係の部活動に必要となる物品を置く用具室がある。テスト期間中は部活動が休止することもあり、ニールはひとけのない用具室の裏に寝転がってぼんやりと空を見つめていた。
     この場所にひとがあまり来ないことは入学してすぐに気がついた。校舎から遠いのと、部活をする生徒の行き来がなくもないのとで、大勢で集まるには不向きの場所だった。用具室の後ろ側はテニスコートに面していて、部活が始まれば、プレイする生徒からは丸見えになる位置でもあった。
     教室でも廊下でもトイレであろうと、同級生や他学年の生徒に声をかけられ、挨拶を求められるのがニールの日常である。こちらに敵意を持っていないという意思表示、自分を仲間として扱い、囲ういくつものサイン。そういったものに逐一反応するのも高校生活というものだろう、とニールは諦めていた。嫌ではないが、少々面倒だと感じるのも確かだ。相手に返す微笑みに苦いものが混じると気づいたとき、ニールはひとりで用具室の裏側で寝そべる。横になってしまえばテニスをプレイしている生徒や道具を戻しに来た生徒にじろじろと顔を眺められることもなく、放っておいてもらえた。
     テストの結果は悪くないだろう、とニールは雲を目で追いながら考える。それよりも、誘われている個人開催のパーティーに顔を出すかどうかが悩ましい。こういう疑念が頭に浮かぶということは、すでに八割くらいは行く気がなくなっている。なにかしら理由をつけて参加を辞退しようか、当日にキャンセルするのは角が立つだろうか、主催者でもある元恋人の顔に泥を塗ることになるだろうか、彼女はそういったことを気にしないタイプだとは思うが……
     何人かの話し声と足音が近づいてきた。テストから開放された喜びを身体で表現するようにリズムに乗った足運びだった。扉に一度手をかけて開いていないことを確認し、用具室のそばの木の陰からボールを拾い、ドリブルを始めた。聞くともなしに彼らの会話を聞く。ここには、空と雲とボールをつく男子生徒三人の会話しかニールの気を引くものはなかった。
     テストの可否への心配や教師への不満、だれがだれと付き合っているだとかいう他愛のない会話に混じり、だしぬけに自分の名前が登場した。
    「ニールってスカしてるよな」
     ひとりがそう言って用具室の上部にボールをぶつける。跳ね返ったボールを受け取ったひとりが、だれだ? と訊いた。
    「知らないか? 金髪で顔のいい白人、女子がわらわら寄って行って何人も取って食われてんだって」
     ニールは苦笑した、それは事実ではない。たしかに、好きになった相手に想いを告げればうなずいてもらえたし、相手がすでにいると知りながらも告白されることはままあった。だが、取って食いなどするわけがない。
    「何人も中絶させて金で黙らせてるとか」
    「ああ、あいつん家、金持ちだもんな」
     笑うような声がして、元恋人の名前が彼らの口にのぼった。彼女の名前を侮辱の意図で呼ぶのは許せない。起き上がろうとしたときにボールが強い力で用具室に叩きつけられた。自分に投げつけられたようでビクリと震えが走る。残響と跳ねていくボールの音以外なにも聞こえなかった。ニールは起き上がろうとした中途半端な姿勢で動きを止めた。ボールを投げたひとりが話し始めるのに耳を澄ませる。
    「おれはニールってやつもその女子のことも知らないけど、おまえらが根も葉もない噂で他人を侮辱しているのはわかる。適当なこと言ってひとの人生潰す気かよ。信じらんねえ、むかつく。二度とそういう話すんなよ」
    「なにマジになってんだよ、冗談だろ。みんなしてんじゃん」
    「そういう問題じゃないだろうが、仮にそれが事実でも他人に言ってまわるかよ、くそ、腹が立つ」
     今度は用具室の壁が蹴られた。
    「おまえのことでもないのに怒りすぎだろ」
     流せよ、と、もうひとりがなだめるように声をかけた。怒っているひとりは何度か地面を蹴りつけて言い捨てた。
    「おまえら、それ本人にも言えるのかよ、言えもしないのに好き勝手に騒ぎ立てるなんて恥ずかしいと思わないのか。ニールと女子に謝れよ」
     はあ? と呆れるような声が上がり、ふたりは怒ったひとりを置いてその場をあとにしようとした。面倒くさそうに舌打ちをして用具室の後ろ、ニールの座る場所の前を通り抜けようとする。
     ふたりと目が合った。知らない生徒だった。
     横並びにぎょっとしたふたりは、校舎と反対方向に走っていった。ロッカーや門から遠ざかっていく。ニールは遠ざかるふたりのことなど見ていなかった。怒っていたもうひとりがだれなのかが知りたかった。
     足音が近づいてくる。ニールにちらりと視線を送った少年はまだ怒っていた。どすどすと地面を踏みしめながら歩いている。ニールはすぐに自分から離れた視線を追いかけて彼の背中が小さくなるまで目で追った。立ち上がって追いかけることはできなかった。

    「君、すごくかっこよかった。だれかが自分のために怒ってくれるって、あんなに嬉しいものなんだな」
     ニールの話を聞いて、ジョンはむっと眉をひそめた。
    「ニールはあのときそこにいたのか」
    「本当にぼくのこと知らなかったんだな」
     にこりとニールが笑うのをジョンは苦笑して見つめた。
    「あいつらにあれからもう一度釘を刺しに行ったんだよ、そしたらなんか態度がおかしいし静かになっててさ、おまえがいたからだったんだな。報復されると思ったんだろう」
     すまない、とジョンが謝る。
    「やっぱり、あの場でやつらは謝るべきだったよな。おれも頭に血が上ってうまく言葉が出てこなかった気がする」
     ジョンに出会う機会がもっと早ければよかったのに、と考えても仕方がないことをニールは思った。あの時点で、高校生活は残すところあと二年しかなかった。それを思うと、あのふたりがいたからこそ、いま、目の前にジョンがいるのだとも取れる。彼に出会ってシンプルなレンガ造りの箱と思えた学び舎が、ほかにない大切な場所に変わったのだ。ニールは首を振ってジョンに微笑みかけた。
    「もういいんだ、結局、変な噂も聞かなかったし。ジョンに会えたから」
     そうか、とうなずいたジョンは、はたと自分の膝の上に積もったバラの花びらに目を向けて、あ、と小さく叫んだ。
    「悪い、そうか、このバラは本当におれのために用意してくれたのか。だいぶちぎってしまった」
     ジョンは、どうにか元に戻らないかというふうに花びらの上で両手を振っている。その動作がおかしくてニールは声を上げて笑った。
     ジョンもつられて笑いだした。思いついたようにして、ちぎった花びらをニールに振りかける。ふたりして落ちた花びらを拾っては投げ、残りの花からもちぎり取って、バラのシャワーをふんだんに浴びた。
     顔の前を落ちる肉厚の花びらからは、かすかに花の匂いが漂った。ジョンの髪に赤い一枚が乗っている。ニールの頭にもきっと同じように乗っているのだろう。ひらひらと落ちる花びらを目で追ったニールは、時間はたくさんあるじゃないか、と唐突に気づいた。これからいくらでも、ふたりで一緒に過ごしていける、好きでいていいと言ってくれたのだから。
    「もし、家に居づらかったらここに来たらどう? ぼくは部活に入ってないし、避難していいよ。夕食は家で三人で摂らないとだめだろうけど」
     ニールの提案に、ジョンはしばし考えるようにしてから、そうだな、と答えた。
    「バイトと部活がない日だと……」
    「水曜だよね、土日も、あてにしてもらっていいから」
     餌に食いつく魚のような勢いで言葉のあとを継いだニールに驚きつつも、ジョンは目をすがめてうなずいた。
    「そうか、ありがたく、あてにさせてもらおうかな」
     ジョンの返事を受けて口が勝手に笑いの形を取り、顔に血がのぼって熱くなった。自分でも大げさに感じるほど嬉しくなる。去年の六月を思い出したのもあって、なんだか泣きたくなっていた。
     用足しのためという振りをして立ち上がる。その際にジョンの髪についた一枚の花弁を取ってやった。ありがとう、と言う彼の言葉を背にして扉を閉める。
     花びらを自分の唇の上に重ねると、ジョンの匂いがする気がした。花を散らせていたのだから、その匂いが自分たちの匂いになったと言えるのではないだろうか。
     赤い花をそっと口に含んだ。なめらかで柔らかい感触がした。歯で傷つけないように舌に乗せ、ごくりと飲み込む。今日の記憶がずっと薄れませんように、と一枚の花びらに祈りを込めた。飲み込んだ花びらには涙の味が混ざっていた。
    narui148 Link Message Mute
    2024/06/22 9:57:18

    思うままの気持ちをあなたに

    初出:pixiv 2022/2/13(11960文字)

    朴念仁な主さんとプレイボーイなニールの学生AU。
    #PNoseVD こちらのタグに合わせて書きました。

    ※暴言を吐かれる場面があります

    #主ニル

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