魚目燕石※注意※
これはX(旧Twitter)に#芝家怪談 のタグをつけて投稿した話をSSに直したものになります。
詳細な描写により恐怖感が薄れたり、事態の解決により不気味さが半減するなどの可能性がありますことをご了承ください。
例えば、見た目が全く同じ双子がいたとしよう。彼らの違いを見分けるのは酷く至難の業であることは想像に難くない。それでも個人として別個体であるのであれば、わずかながらでも言動にずれがあるはずだ。
それも双子が意図的に隠さなければという前提ありきの話だが。
シュヴァルツはその日、外から帰ったばかりだった。
時刻は昼下がり。あたたかな日差しが窓から室内へと降り注ぎ、過ごしやすい気温と食後であることが相まってついつい微睡みたくなる頃合い。
午前中の用事を終わらせ、荷物を片手に帰宅したシュヴァルツはまず家が静かであることに気づいた。それ自体はなんら珍しいことではない。客も来ていなければアルスが走り回るわけでもない。調合室で調合の授業をしているか、はたまた裏手の菜園で薬草の世話をしているかだろう。
そんな風にあたりをつけ、持ち帰った食材をキッチンへと持って行ったところで、シュヴァルツはダイニングのソファに仲良く座って眠る二人を見つけた。道理で静かなわけだ。住人二人が眠っていれば、この家は無人に等しい。
キッチンのシンクを覗いてみれば汚れた食器が水につけられたまま片付けられておらず、洗い物当番であるアルスから寝てしまったのであろうことが見て取れた。グレゴリーが普段肩にかけている上着はアルスへとかけられていることからもその見立てに間違いはない。
ひとまず荷物にあった食品を片付けた後、シュヴァルツは一階にあるグレゴリーの私室からブランケットを取り出して二人にかけてやった。物音で起きるかもしれない、と慎重に動いたが、ちょうど眠りが深いところにあるのか二人は身じろぎ一つしなかった。
食器の片づけと遅めの昼食を終えた後、溜まっていた実験でもしようかと調合室のある二階へとシュヴァルツは向かおうとした。
「あ、カラスさん! おかえりなさい!」
2階から降りてくるアルスの姿と声さえなければ。
いきなり視界に飛び込んだ青色にシュヴァルツは驚きのあまり立ち止まった。
たっぷり数秒。アルスが階段で立ち止まり、何も反応を返さないシュヴァルツの態度に首をかしげることができるほどの間、シュヴァルツは目の前の現状を理解することができなかった。
ここにアルスがいるわけがない。だってアルスはグレゴリーとダイニングで寝ているというのに。だったら目の前のアルスは何だ。
答えの出ない疑問が頭の中を渦巻くが、その結論を出すより先に、シュヴァルツの視線がゆっくりとダイニングへと向かった。そしてそこに二人の姿を確認した後、再び目の前のアルスを見る。
「カラスさん?」
声も、しぐさも、姿かたちも間違いなくアルスだ。数年毎日顔を合わせているのだからそれを間違えようはない。ただ、なんとなく、違和感をシュヴァルツは感じた。おそらく目の前にいるアルスは本物ではないだろうという漠然とした違和感だ。
その違和感の正体はすぐにわかった。よくよく見れば、シュヴァルツの目の前にいるアルスの存在自体が希薄で揺らいでいる。髪の先が、服の裾がゆらゆらと蜃気楼のように透けて揺れている。おそらくこのアルスの振りをしているものは人間ですらない。
「お前は、なんだ」
シュヴァルツもある程度魔物に関する知識はある。しかし、魔物を相手にする本職と比べればもちろん見劣りする程度のものであり、人に化けて油断させようとする魔物のことなど知らなかった。
だからシュヴァルツは警戒を隠すことなく臨戦態勢を取った。薬品が入ったバッグに手をかけようとしたが、室内で扱える薬品をシュヴァルツは持ち歩いていない。そのことに気づき、心の中だけで舌打ちを打ちながら魔法をいつでも発動できるよう構えておく。
「なに、って、どうしたんですかカラスさん」
いまだに自分の正体が見破られていないと思っているのか、ソレは困ったような笑顔でシュヴァルツを見る。ひとたび違和感が目に付けば、その表情もどこか虚ろで嘘くさい。それに本物のアルスであれば、笑顔で自己紹介の一つでもしただろう。
「どこから入った。目的は」
次はない方が良いが、万が一を考える必要はいつだってある。侵入経路と目的が分かれば対策を立てることだってできるはずだ、と考えて問うが、それに答えが返ってくるとも思っていなかった。
「カラスさ──」
「不愉快だ」
再び声をかけようとするアルスをシュヴァルツは容赦なく魔法で生み出した水の中に閉じ込めた。もし、万が一に本物であったとしても、アルスが用いる水属性の魔法を使って呼吸できるスペースを確保できる程度の出力にしてある。その対処法もアルスには教えてあるため、それをしないということは、すなわち偽物の証明だ。
水の中に閉じ込められたアルスはシュヴァルツの見立て通り、魔法を使うことはなかった。それどころかどろどろとその存在自体が水に溶かされるように溶けていく。もともと実態を持っていないのであれば死体が残るとは思っていなかったが、見知った顔が崩れていく様は見ていて気持ちのいいものではない。
「ボ、くらダっテ、うツわが、かだチが、ホじィ」
もはやアルスの声ではなく、かろうじて言語だと聞き取れる潰れた環境音のような音が響く。
おそらく魔物は魔物でも精霊に近い類のものだ。決まった実態を持たず己の形を持たぬモノ。だから人の形を借り、なり替わろうとしたのか。あるいは──。
アルスはホムンクルスだ。今でこそ人と違わぬ心を持っているが、起動する前まではがらんどうの器と言っても差し支えない状態だった。それ故に、そういったモノに狙われやすいのかもしれない。
簡単にそう考察した後、シュヴァルツはアルスを騙ったモノが溶けた水球を圧縮し、扱いやすいように水流にして家の外へと出した。そして水流を何分割かにして遠くへ、できるだけ家から遠い所へとその水を移動させて捨てた。
シュヴァルツは専門家ではない。実態を持たない相手への対処法を知らない。だからそれぞれをバラバラにして捨てるくらいの対処法しか考えられなかった。
昼下がりの静かな攻防はシュヴァルツに軍配が上がったが、次があるかもしれないなどぞっとしない話だ。今回はわずかな綻び、そしてアルスがグレゴリーと一緒にいたということからかろうじて判別がついた。しかしもし、その綻びがなければ? グレゴリーと一緒にいなければ? もっと完璧にアルスに成り代わられていたら? 判別を付けられるだろうか。
「嫌な話だな」
家の周りに敷いた魔物よけの魔法を強化することも考えなければならない。はたしてそれがどこまで効果があるのかわからないが。あるいはアルスにしか知らせない符丁でも作るか。いやしかし今回はアルスだっただけで、次は別の人の見た目をしているかも。
いろいろなことをぐるぐると考えていたシュヴァルツだったが、なんにせよグレゴリーに相談をしなければ、と溜息を吐いた。
先ほどまで麗らかななんてことはない一日だったのに、一気に疲れと不安が襲ってきたのだから無理もない。実験をする気力すらどこかへと行ってしまったようだった。
いつもより少し足音に気を使いながらダイニングへと戻り、椅子へと腰かけた。ひとまず二人が無事ならばいかようにもできる。
今、このほんの数時間だけは何も考えたくなかったシュヴァルツは静かに瞼を閉じた。