冷冷たる弾丸「お前とはここまでだ」
冷たい視線と表情、声色と共に乾いた発砲音が聞こえた。
がばり、と阿僧祇は反射的に身を起こした。自身の荒い呼吸音といつもより酷く早い心拍の音に意識が徐々に覚醒する。そして壁に掛けられた電子時計が五時と表示しているのを見て、深いため息を吐いた。
あの厄介な事件に巻き込まれてから早二週間。阿僧祇はすっかりいつも通りの日常を取り戻していた。表裏関係なく、仕事はいつも通り淡々と終わらせ、同居人たちと他愛もない会話に花を咲かせて眠りにつく。
そうして悪夢を見て、飛び起きる。
満足に寝れた日はほどんどなく、気怠い倦怠感と泥のような睡魔だけが日に日に酷くなっていった。このままでは日中倒れてしまうまで秒読みだろう。だから、悪夢を見るとしても、それを飲み込んで寝るしかない。
最低限の睡眠時間では疲れは取れないが、辛うじて活動できるだけのエネルギーは整えられる。阿僧祇はそれで充分だと考えた。そもそも悪夢を見始めたのも今に始まった話ではないのだから。
汗が張り付いて背中に不快感が這ってまわる。それから逃れるように、阿僧祇はシャワーを浴びようと風呂場へと移動した。
冷えた体にはあまりにも熱いお湯が髪を、肌をつたっていく。気怠さは残るが眠気はすっかり消えており、シャワーを浴び終わったからといって眠れる気はしなかった。
阿僧祇は虚淵桐志の事を信用しているし信頼している。彼のする事であれば、何かしらの意図があるのだろうと考えられるし考えるようにしている。
それでも、あの時の表情と言葉は冷たいナイフを心臓に差し込んだかのように、一瞬にして阿僧祇の心を絶望で染め上げた。
一週間の眠りから覚め、冷静に考えればはなから阿僧祇を殺すつもりはなかったのだとわかった。桐志ならば阿僧祇を殺すときはもっと確実な場所を、例えば頭だったり心臓だったりを狙うだろう。そっちの方が確実に殺せるからだ。そうでない時点で、桐志に殺意はなかった。
そうわかっているはずなのに、どうしてその場面だけ夢に出てくるのか。
(こればっかりは時間が解決するのを待つしかないか……)
いずれ記憶は風化して消えてゆく。今回の悪夢だってそのうち忘れてしまうだろうと阿僧祇は考えていた。
シャワーを止めてバスタオルで大雑把に水を拭く。すぐ寝るわけでもないため乾かしきる必要はないと判断して、適当なところで切り上げて部屋へと戻った。
テレビの電源をつけて適当なドラマを流す。耳から入った情報は、滑って脳を通り抜けてしまい全く内容が頭に入ってこない。ぼぅっとテレビを見る時間をどれほど繰り返しただろうか。最近は良くなったと思っていたのに、と誰を責めるでもない恨み言が出てくるのに時間はかからなかった。
阿僧祇とて、ゆっくり眠れるのなら眠りたい。悪夢など見ずに、どうせ見るなら幸せな夢を見たい。具体的に幸せな夢とはどんなものか、阿僧祇は答えられないが。
「はぁ……」
深いため息が漏れる。
阿僧祇が頭を悩ませるのはあの事件を発端にしていることは言うべくもない。悪夢だってその延長線上だ。精神的に不安定になっているから悪夢を見るのだし、悪夢を見るせいで精神的に不安定になる。悪いループと言えるだろう。
しかしそれを言葉に出して解決しようという気には全くなれなかった。
阿僧祇はあの事件の全貌を把握しているとは決して言えない。眠っていた一週間の間に、桐志が一体何をしていたのか。あの地下室で何があったのか。何も知らない。
あの取引の時、どんな気持ちで己が商品だと言ったのかも。
もし取引相手が本当にあの宗教団体だったのなら、桐志の行く先は想像に難くない。
逃げることだってできただろうに、それもせず大人しく死ぬつもりだったのだろうか。
だとしたら、自分は何を言うべきだったのだろう、と阿僧祇は静かに悩んでいた。怒ればよかっただろうか、それとも大げさに泣いてみればよかっただろうか。
今ですら答えが出ないその問いに、阿僧祇は咄嗟に茶化した態度で言葉を出した。動揺は悟られなかっただろうか。龍に聞いたその言葉は、本心からの言葉だったかもしれない。
一緒にあの場から逃げた時だって、阿僧祇は何を言えばいいのか分からなかった。
桐志は聞けば答えてくれたかもしれない。だが聞いたその後は?
再び返答の疑問に突き当たり、思考はそこから先へと進まない。こんなことならば友人の一人や二人作って練習しておくんだったと、後悔してもかなり遅い。もし今同じ場面に立ったとしても、選択は沈黙から変わることはないだろう。
阿僧祇は煙草を取り出して火をつけた。この煙のように悩みも全て消えてしまえばいいのに、とらしくもない現実逃避をしながら。
結局どれほど悩んだとしても、結論は出ないし悪夢は変わらず見てしまう。であるのなら、考えることをやめてしまうのが一番楽だ。問題の先送りにしかならないとしても、そのツケを未来の自分が払うことになるとしても。
明日は眠れるといいな、と思いながら阿僧祇は代り映えのない画面を見つめた。