雨宿り ガガガッ
酷く耳障りな音が鳴った。先程からずっと第七師団団長に呼びかける声が聞こえる。
“第七師団団長‼応答しろ!”
(もう何度目だ?いい加減出ろよ、すっとこどっこい)
耳障りな雑音と止まない雨音が、軒を叩いた。狭い軒下を雨が伝い落ちてくる。それを阿伏兎は傘で弄ぶ。傘が水をはじくのを、唯見つめる。
ふと遠くを眺めると、鬱蒼とした木々が目に入る。この星は雨が多いらしく、数日前からずっと降り続けている。おかげで日の光にさらされる事がなく、体力を削られないから夜兎にとっては戦いやすい。
激しい雨音。何度目か判らない、春雨本体からの呼びかけの音。騒々しいが、静寂。神威がここにいないという静寂。
「阿伏兎、独り言の声大きいよ?」
突然、目の前に聞き慣れた声を持つ顔が現れた。阿伏兎が見慣れた顔と少し違うと感じたのは、顔が逆さまだったからだ。直ぐ側にある木の枝に足をひっかけ、ぶら下がっている。器用な事をする。
「お久し振りですねぇ、第七師団団長、神威殿。今まで一体何処にいらしてたんですか」
嫌みたっぷりに丁寧に言ってやった。どうせ反省しないだろうから。
神威がいつもの張り付いた笑顔とは少し違う顔で笑う。器用に一回転して地面に着地した神威が、阿伏兎の目の前に立った。ジロジロと阿伏兎の顔を見る。
「…また悪い癖が出たんだね、阿伏兎」
雨が洗い流したと思っていたが、矢張り手負ってるのは隠せなかったか、と自嘲する。唇の端の傷を、舐めた。
「向こうが殺す気満々できたら、こっちも同じ気持ちで臨まないと。例え相手が同族でも、さ」
アンタ、相手の都合なんて考えた事あんのか? 非難の気持ちが湧いてきたが、口にはしなかった。曲がりなりにも団長だ。
「有難いお言葉をどうも。団長殿」
言い終わるか終わらないかの瞬間、阿伏兎が前のめりになる。神威に、引き寄せられてそうなっていると判った瞬間。
神威の熱い舌が、阿伏兎の唇の傷を舐めた。
「うん、血の味」
神威はいつものように、笑っていた。阿伏兎も、少しだけギクリとしたが、直ぐに普段の様子を取り戻す。
「気がすんだら、そろそろ無線に応答したらどうだ…」
無線はもう、うんともすんとも言っていない。
雨音だけという孤独な世界。
しかし、静寂ではない。
「行こうか、阿伏兎」
やけに響く音で、神威が告げた。
[了]