かくも美しき(※未完)「美しいもの?」
火鉢の炭を鉄箸でつついていた石切丸は、顔をあげた。
目のまえに座る前田藤四郎が、神妙な面持ちでうなずく。
「はい。石切丸さまにとって、美しいものとは、どのようなものかお聞きしたいと思いまして」
石切丸は、ふむ、と首をかしげた。それはまた。
「むずかしい問いだねえ……」
ひっくり返した炭が、こうと小さな音をたてて、赤くなった。
今は冬。
この本丸が、2度目にむかえる季節である。
朝夕のつめたさに、季節がひとめぐりしたことを知った刀たちは、寒い寒いと文句を言いながらも、キンと冴えた空気のなかで刀をふるうことを、それはそれで楽しんでいるようであった。
遠く庭のほうからひびく、威勢のいい鍛錬の声を聞きながら、石切丸は、火鉢を童の方へと押しやった。
「ほら、もう少し火に寄りなさい」
「ありがとうございます」
前田は火鉢に寄ると、遠慮がちに両手をかざした。
障子からさしこむ、白々とした光のなかで、幼い指はすこしだけ赤い。
「それでまた、一体どうして、そのようなことを聞きたいのだい」
石切丸が首をかしげて尋ねると、前田はかざしていた指をひっこめ、むずかしい顔をつくった。
「はい。十日後、主さまが審神者に就任されてから、ちょうど1年になりますでしょう」
「そうだね」
うなずき、ここ半月ほどの、本丸の賑わいを思い出す。
「我らが主の、主となられた日を盛大に祝す」と張り切るへし切長谷部の大号令のもと、本丸の飾りつけや宴の準備などが、そこかしこで進められていた。
「先日、長谷部さんから、刀派で余興をやるようお達しが来ていたね。刀種ごとに祝いの品も贈ることになったし。ああ、そういえば、短刀の皆は審神者殿に何を贈るのかな」
短刀は、ぐ、と唇を結ぶ。
「まさにそこのところを、迷っておりまして」
「ああ、成程。そういうことか」
石切丸は、得心して笑う。
前田藤四郎は、かたわらに置いていた紙をごそごそと広げ、「御覧ください」、と石切丸のまえにさしだした。
「はじめは、こういったものを贈ろうと考えていたのです」
どれどれ、と紙を受けとる。石切丸は、歓声をあげた。
「ああ……これは、審神者殿と、私たち皆の絵かい」
あざやかで輝かしい絵だった。
本丸の屋敷と庭の木々を背景にして、たくさんの似顔絵が描かれている。
真ん中に立つのは若い主。まわりに集うのは、本丸の刀たちだ。
短刀たち全員で描いたのだろう、絵柄はいくつかに分かれているが、一様に丁寧に、各刀の特徴をとらえた風に描かれている。
「もしかして、これは私かな?」
冠をかぶり、御幣をもつ緑色の服の人物を指さすと、前田がうなずいた。
「はい。ちなみに三条の皆さんの絵は、今剣さんが」
「これはこれは」
石切丸は目じりを下げた。色えんぴつを持つ子天狗の姿を思い浮かべ、顔があまくなる。
「この白いのは鶴丸さんか。全身白いから、きっと描くのに苦労したね。三名槍も揃い踏みだ。おや、屋根の上にいるのは来派の3人か」
庭の隅、粟田口の短刀たちが集まる輪の、その中央には、彼らが愛してやまない長兄の姿がある。
皆、にこにこと、幸せそうな笑顔だ。
「いいじゃないか、とても」
石切丸は、ほうと溜息をつき、短刀に向きなおった。
「これほど素晴らしい贈り物がもう完成しているのに、何を悩むことがあるんだい」
「はい……」
手放しの称賛に顔を赤らめていた前田は、ふいに、もじもじとする。
「昨日、脇差の皆さんが、万屋に贈り物を買いに行ったと聞きまして」
「へえ、そうなのかい」
「漏れ伝わってくるお話だと、お給金を出し合って、高価で目に快いものを買ったようでした。聞けば、太刀や打刀の皆さんも」
「もしかして君たちは、それを聞いて不安に?」
短刀が、こくりとうなずいた。
「僕たちの贈り物は、お金を全くかけていないし、子供じみているので」
視線をおとし、かなしそうな顔をしてから、前田はつづけた。
「あらためて、皆で話し合って、美しいものを買って贈り物にしよう、と決めたのです。ですが、何がいいか分からず、考えるだけの時間も足りません。だから、こうしてお知恵を拝借しようと……あの、石切丸さま?」
石切丸は、くすくすと笑っていた。
「いや、申し訳ない。君たちのまっすぐさや優しさが、とても好ましくってね」
石切丸は、怪訝そうな顔をする前田に、微笑みかける。
「心配無用だと思うよ。美しいものは、すでにあるじゃないか」
ここに。
石切丸は、前田藤四郎の胸を指さした。
「みんなが心を込めて描いた、仲間たちの絵。優しくて暖かくて、思いやりに満ちている。これほどまでに美しき心で描かれた美しき絵を、喜ばぬ者がいるはずないさ。ましてや、あの心根の善い審神者殿ならば必ず」
自分の胸を見下ろしていた前田が、おずおずと、顔をあげる。
「喜んで、いただけますでしょうか」
「もちろん」
太鼓判をおすと、前田は安堵したように頬をそめた。
「……ありがとうございます」
「どういたしまして」
にこりと微笑むと、短刀はつられたように、子どもらしい笑みを満面に浮かべた。
「そういえば」
「うん?」
短刀が、身を乗り出して聞いてきた。
「大太刀の皆さんは、主への贈り物に、何を用意されたのですか」
「知りたいかい」
こくりとうなずく前田に、大太刀は、いたずらっぽく答える。
「お酒だよ」
「えっ。お酒……ですか」
「ふふ。そうさ。次郎太刀と日本号の秘蔵の酒だ。大太刀・槍・薙刀と合同の贈り物だよ」
前田が、アッ、と可愛らしい声をあげる。
「もしかして、先日の大太刀と槍の皆さんの会議って……」
「するどいねえ」 石切丸はうなずいた。「どの酒を贈るかという打ち合わせ……という名目の飲み会だったんだよ。最後には皆味も分からないから、適当に決まったけどね」
石切丸が冗談めかして言うと、前田は口元に手をあて、くすくすと笑った。
「いやあ、君たちの贈り物を聞いたあとだと、恥じ入らなければならないのは私たちの方だね」
+++
「ふむ、そのようなことが」
目の前に座る美丈夫が、愉快そうに杯をかたむけた。
夜。
務めを終えた石切丸のもとに、客がおとずれた。
三日月宗近である。
今宵の十六夜月より輝かしいその男は、障子をあけるなり、手にもった盃とつまみをかかげ、「神酒を分けてくれ」と微笑んだのだった。
「君の絵もよく描かれていたよ」
石切丸は、自分の差し向かいに座る三日月の杯に、酒をつぐ。
「今剣さんの力作だ」
「それは楽しみだなあ」
三日月は、杯に口をつけながら、好々爺といったふうに目を細める。
石切丸は、徳利を盆におきながら、目の前の男の優雅な仕草に、思わず見惚れた。
美しいといえば彼の代名詞であるが、単に外見の美にとどまらない深さと品こそが、彼の魅力であった。
「しかしまあ」 三日月が、杯を片手にもったまま、ふ、と息を吐いた。「美しきものは胸にある、か」
「おかしいかい?」
「いいや。まさにその通りであるし、諭し方もお前らしいが、ちと……気障だな」
にやりと笑う三日月に、「君に言われるとはなあ」と、石切丸は弱々しく抗弁した。三日月が肩をゆらす。
「ごほん」と咳ばらいをし、石切丸は言った。
「ところで、三日月さん。太刀衆は何を買ったのだい?」
「うん?」
「審神者殿への贈り物だよ。今日、太刀の皆で、連れ立って万屋に出かけただろう」
「ああ、そうだな。これだ」 いって三日月は、みずからの飲みかけの盃を、優雅にかかげた。「酒器を買った」
「酒器?」
「もちろん、この盃と同じものではないぞ。燭台切と一期一振が目利きした、もっと良いものだ」
「おやおや。私たちが酒、君たちが盃、ね……」
もの言いたげな石切丸のまえで、三日月は胸をはる。
「実用的だろう。祝い物には、酒に関するものが一番よい」
「君の私見だね」
「俺の私見だ」
石切丸が苦笑する。
「まあ、宴の場だから丁度いいといえばそうだけど、私たちは揃いも揃っていささか発想が―――」
「安易か。これだから長物は、と言われるかもしれんなあ」
闊達に笑う三日月をみながら、内心では石切丸も、悪くない、と思っていた。
短刀たちの絵や、脇差、打刀らの美麗な贈り物を見ながら、自分たちが選んだ酒を、太刀らの盃でうまそうに飲み干す。そんな主の姿をみるのが、今から楽しみだった。
「しかし、不思議なものだなあ。無機物から出でた我らが、形なきものを美しい、と感ずる心をもつことになろうとは」
機嫌よく杯を飲みほした三日月が、しみじみとつぶやいた。その頬は、酒のせいか、ほんのりと赤い。
「そうだねえ」
三日月の杯に酒をつぎたす。すかさず、「ほれ、お前も」とつぎ返された。
満たされた杯の、かぐわしい香りをかぐ。すでに何杯飲んだか分からないが、杯を重ねるごとにますます美味い。
「なあ石切丸よ」
「うん?」
三日月が、ふと身を乗りだし、問うてきた。
「お前には、いつから心があった」
「なんだい、藪から棒に」
「よいから」
言われて考えると、たしかにいつから物思っていたか、判然としない。
審神者に呼ばれて顕現したとき、たしかに自分には、心があった。
しかしその前となると、よく分からない。記憶はある。が、その記憶が魂に刻みこまれた当時、自分がはたして感情をもっていたのかと問われると、覚束なかった。
正直につたえると、目の前の美しい男は、少しだけ悲しそうに眉をさげた。
「そうか。そうだな。……俺も、そうだ」
三日月は、漆塗りの盃に視線をおとす。
「自分がいつから、心をもっていたか記憶をさぐってみるのだが、思い出せん。正確には、心を持っていなかった時分を想像できんのだ。探る思い出の片端から色づいて、さも当時から自分がそのように物思うていたように錯覚する。佳きこと、悪しきこと。目の前で起こるたび、心を揺らし、あるいは心揺らさぬように努めていた、と……」
「……三日月さん」
三日月は、杯に口をつけた。
「本当は、何を思うことなく、ただその辺に転がっていたのだろうな。今は、そう思う」
言って千年を生きる古刀は、まぶたを閉じた。
「石切丸よ、俺は最近夢を見るぞ」
「夢?」
「ああ。見るのは決まって昔の夢だ。刀の身で経験した、なつかしい日々を、ただなぞるだけの夢。違うのは、『刀』が心を持っていることさ。夢のなかの俺は、刀のくせに、目の前でおきる出来事に怒ったり悲しんだり、喜んだりするのだ」
三日月は、まぶたをあけ、金の弧をうつす瞳を、宙にさまよわせる。
「心持たぬうちに過ごしたはずの千年を、心をもった俺が、生き直している。その夢が得も言われず」
うつくしい、と溜息交じりにつぶやいた。
「心のうちにとどまる、形なき景色の、げに美しきこと……」
+++
その夜。
石切丸は、夢を見た。
明るい夢であった。
夏の陽が、天から白々とふりそそいでいる。
木々が濃い緑の葉を大きくのばし、大地には若草が生い茂っていた。
そんな鮮やかな景色を臨む、屋敷の大広間。
庭から差し込む光のなか、ひとりの少年が、緊張した面持ちで座していた。
ぴんと伸ばした背は、未だ細く頼りない。
少年の頭は、角髪であった……が、側に控える男によって、今まさに、髪を削がれている最中だった。
―――元服の儀である。
張り詰めた光景。
それを『刀』は、少年の父親とともに、一段高い座から見守っていた。
理髪役から髻を結われ、加冠役から冠を授けられると、少年―――いや、若者は、上座の父に向き直り、礼をした。
そして、堂々と口上をのべる。まだ幼さの残る、甲高い声だ。
父親は、満足そうにうなずくと、若者を側に呼び寄せた。
普段、遠く隔たれ会えない父を前にして、若者の顔は、緊張にこわばっている。
父は苦笑しながら、刀を手にとり、若者に授けた。
この大太刀を、おぬしに授けよう。元は、貴き方から我が一族が賜った、ありがたい刀である。大事にせい。
父は若者に、そういった。
刀をうやうやしく受けとる若者の両手は、震えていた。
(暗転)
元服の宴をおえた若者は、与えられた部屋に、駆け足で入った。
衾障子をしめ、ひとりきりになるや否や、腰に佩いた刀を抜く。
刀は、鋭い音をたてて、薄暗い部屋にその身をさらした。
天にむかってかかげられる、銀色の光。
「ああ、何と美しい。何と勇ましい。何と、何と―――」
若者の息がはずむ。
日頃から修練をしているのだろう、豆だらけの手のひらは、大太刀の柄にしっかりと馴染んだ。
「今日から俺は、お前を抱いて眠るぞ」
刀をおさめると、鞘ごと抱きしめ、若者は言った。
「いしきり。石切! 父上にもらった宝。俺の相棒……」
……。
石切丸は、まぶたを開けた。
視界には、見慣れた天井がうつっている。頭のうしろには、枕の感触。
しばらく、そうしていた。
夢の余韻をまとわせて、石切丸は、起き上がった。
外はまだ暗い。
刀の何振りかは、そろそろ起き始めていることだろう。
板廊下を歩く、白足袋の歩みが止まった。
しばしそのまま立ち止まり、縁側の向こうにひろがる明るい景色を見つめる。
(寒い訳だ)
石切丸の、薄くひらいた口から、白い息が立ちのぼった。
庭一面に、雪がつもっている。
眠る間に、夜通し降ったのだろう。新雪が地面をすっかり覆いかくし、茂みや灯篭などは、丸い綿帽子をかむっている。
奥にそびえる高松は、雪の重みで枝たわみ、風にふかれるたびに辺りにちらちらと光点をふりまいていた。
どこまでも真白の世界。
そのなかで唯一、紅い山茶花が、香り立つほどの色彩を周囲にはなっていた。
目の前の景色に見とれていた石切丸は、どん、と背中に衝撃を感じ、前のめりになった。
「わっ」
「ごめん石切さん!」
厚藤四郎である。
厚は振りかえりざま顔の前に手を立てて謝り、そのまま廊下を駆け抜けていった。
「走ってはあぶないよ! 厚さん」
遅まきながらかけた声は、素早い短刀には届かなかったろう。
彼が曲がった廊下の先、にぎやかな気配があった。
(何かあったのだろうか?)
「やあ石切丸さん」
背後から声をかけられた。
振り向くと、そこには長い髪で右目を隠した脇差が立っていた。
「青江さん。おはよう」
「おはよう。子どもは朝から元気だね」
こんなに寒いってのに。
実は寒がりの大脇差は、ジャージの腕をさすりながら、石切丸の隣に歩み寄った。
頭ひとつ低い友人に、石切丸が問いかける。
「ねえ青江さん。向こうが随分にぎやかだけど、何かあったのかな」
「早朝に出陣した部隊が、帰ってきたみたいだよ。お土産をもって、ね」
「お土産?」
ふふ、と青江が金の目を細める。
「あたらしい子さ。新顔の参陣は久々だねえ」
「おや、それは僥倖だね」
石切丸は、声を弾ませた。
あたらしい仲間の加入。これは純粋にうれしいことである。
ましてや、最近はしばらく新しい刀を迎える機会がなかった。歓迎の宴が絶え、すこし寂しい思いをしていただけに、喜びもひとしおである。
「一周年を前にして主に新刀を献上できる、と長谷部さんも喜んでいたよ。さ、僕たちも会いに行こうか」
連れ立って歩く。
廊下の角をまがり、開け放たれた部屋をのぞきこむと、青江が眉をあげた。
「おっと、『子』だなんて言ったら失礼だったかな。石切丸さん、君と同じ時代の刀のようだ」
寄り集まる仲間たち。
にぎやかなその輪の中心に、何か、あかるい気配がする。
「あっ、やっと来た!」
誰かの声と同時に人の輪がほどけ、中心があらわになった。
そこには、やわらかそうな白金の髪と、まばゆく白い軍服の背中があった。
軍服が長い足をひき、ゆっくりと振りかえる。
こちらに向けられる顔と視線。
その両目は、紅色だった。
山茶花が咲いている、と思った。
「ほれ、今剣よ」
石切丸のうしろから声がする。
ふりむくと、そこには僧姿の薙刀と、童姿の短刀が立っていた。
短刀は薙刀から背をおされ、白い刀のまえにと押し出される。
「わわ」
つんのめってたたらを踏んだ童は、白い刀をみると、赤面してうつむいた。
白い刀がほほえむ。
「はじめまして。僕は源氏の重宝、髭切さ。君は?」
「い、今剣です」 短刀が、息せききって答える。「みなもとの、よしつねこうの、まもりがたなの……」
「おお、義経公の」
その刀が紅の両目をかがやかせていうと、短刀の耳は負けじとあかくなった。
「会えて嬉しいよ。これから、よろしくね」
「は、はい!」
今剣は、こくこくと頷いた。
髭切の視線が、僧姿の薙刀にむけられる。
「と、なると君は……」
「がはははは、俺は武蔵坊弁慶の薙刀、岩融よ。惣領殿、よくぞ参られた。以後、今剣ともども、よろしく頼む」
「よろしく岩融。源氏の刀がいて心強いよ」
「源氏の刀ならここにもいるぜ!」
岩融のうしろから、金髪の太刀が顔を出す。
髭切が、おお、と言った。
「君はたしか、源三位の……ええと」
「獅子王だ。まー、昔は色々あったが、お互いざっくり忘れて、うまくやっていこうぜ!」
「ああ、大丈夫。言われるまでもなく、既に色々ざっくり忘れているからね。よろしく、獅子王」
「お、おお」 獅子王は、若干面喰いつつ、「よろしくな!」
場を見守っていた陸奥守吉行が、手をたたいて言った。
「よーし、源氏ゆかりの刀はこれくらいがか。あと、まだ自己紹介しとらん刀はすませとうせ」
石切丸は、前に歩みでた。
「ようこそ、髭切さん。私たちの本丸へ」
髭切の視線がむけられる。
「石切丸という。長く神社で暮らしていた神刀だよ。分からないことがあったら何でも聞いてほしい」
「ありがとう」
髭切は微笑むと、首をかしげて思案顔になった。
「はて、僕は君ともどこかで会ったことがあったかな」
「どうだっただろう。私も平安生まれの古い刀だから、どこかで会っているかもしれないね」
髭切は、ふうん、と特に興味のなさそうに言った。
「いずれにしても、ずいぶんと前のことなんだろうね」
「ちがいないね」
「これから仲よくしよう。ええと」
「石切丸」
「石切丸、よろしく頼むよ」
会釈をしてこたえ、歩をひいた。
にっかり青江が自己紹介をしているのを横目に、場を離れる。
「おやおや、元気だね」
廊下をあるきながら、庭の雪で遊ぶ刀たちに声をかける。
「あ、石切丸さん」
「何をつくっているのだい」
秋田藤四郎が駆け寄ってきて、手のひらにのせたそれを見せた。
「雪うさぎです!」
「これは可愛らしい」
石切丸は破顔する。
「この赤い目は何でできているのかな」
「庭に植わっているナナカマドの実で……す……ッくしゅん」
秋田がくしゃみをした。
「おやおや。君たちの鼻も真っ赤だね。体を冷やしすぎてはいけないよ」
「はーい」
元気よくこたえる刀たちのうしろで、木から雪がおち、風花が舞った。
+++
「見つけたか」
若者は、甲冑をならして振りむいた。
薄暗い林のなか。
あたりは、むっとする暑気と、濃厚な鉄錆の匂いがたちこめていた。
彼は、この匂いを、ことのほか好んでいた。
『刀』は、そのことを知っていた。
「は。ここに」
駆けつけた兵が、若者の前でひざまずき、ひとふりの刀をかかげた。
「おお……」
若者は、顔を明るくした。
「まさしく。これこそが重代の宝剣」
若者は昂揚した様子で宝剣を受けとり、柄と鞘に手をかけ、ぐ、と力を込めた。
しかし、若者が宝剣を抜き放つことはなく。
「……」
しばしして若者は、宝剣の鞘をつかむ手をおろした。
「殿?」
「……父上も、さぞお喜びになるであろう」
いうと、宝剣を部下に手渡す。
「丁重に扱え。見てくれよりも、この刀は重いぞ」
『刀』は、若者の腰のかげから顔をだし、部下にわたされる宝剣をあおぎみた。
逆光のなかの宝剣は、「まるで心などないように」、黙して語らない。
宝剣のゆくえを目で追っていると、頭上から、ふん、と鼻を鳴らす音がした。
視線をうつすと、若者が皮肉気に、顎をしゃくっている。
「ああ、そういえば。そちらの首も丁重に扱えよ。惣領たる御祖父上に目をかけられた、それはそれは有難い首だ」
そう言われれば、たしかに良い顔をしておりますな、と部下が軽口を叩き、場がどっと沸いた。
若者も嗤った。
「いまは命運も己の胴体も失った、惨めな首だがな。分を弁えず宝剣を拝領などするからだ」
長子たる父上を差し置いて、と若者は吐き捨てた。
『刀』は無言で、若者の顔を見上げつづける。
―――若者は、武家惣領を継ぐべき男の、長男であった。
しかし、彼は父の嫡子とはなれない身の上であった。母の身分が低かったからだ。
いくら武功を上げても、取り立てられることはない。幼い弟たちが次々ともらえる官位も、彼には無縁のものでしかなかった。
「官位など要らんさ」
若者は、ひとりきりの塗籠で、そうつぶやく。
「面倒なしがらみが増えて、身が重くなるだけだ。俺には腕をふるえるいくさ場と、信頼できる兵、そしてこの石切の太刀があればいい」
いうと若者は、膝にのせた大太刀の鞘をやさしくさすった。
『刀』は嬉しかった。
しかし、若者の本心は決してその言葉どおりではないだろうことを、『刀』は知っていた。
武家嫡男の証である宝剣は、後日、若者の目のまえを素通りして彼の弟へと渡った。
若者はそのことを、大分経ってから、家臣から伝え聞いた。
刀を手入れしていた若者は、ぎろりとにらむ眼を家臣からはずし、まっすぐ前を見つめた。彼は何も言わなかった。
もちろん『刀』も、そんな若者の姿を、黙って見つめることしかできなかった。
+++
頬にひやりとした空気をかんじ、目覚めた。
寒さの方向をふりむくと、まばゆい光が目の奥にさしこみ、息をのむ。
石切丸は、腕で顔をおおった。
「あ、あのう……」
腕のむこうから、控えめな声がする。
んん、と石切丸は、のどからくぐもった音をだした。
「おはようございます、石切丸さん。起こしちゃって、すいません……あの、もう、朝です」
五虎退の声だ。
この本丸では、持ち回りで朝起きぬものを起こす係があるのだが、今日は彼がその役目であるのだろう。
とそこまで思い至ると、石切丸は、わっ、と言って飛び起きた。
「すまない、寝坊したね」
石切丸の慌てようがおかしかったのか、五虎退はくすくすと笑う。
「い、いえ、まだ大丈夫です。石切丸さんがお寝坊なんて、めずらしい、ですね。これから順に回って、そのあとお食事ですから、ゆっくり、起きる準備をしてください」