02 長い休暇 エルストは、右手に持ったペンの後ろで頭をかいていた。
視線は机のうえ、一枚の紙に落とされている。
迷った末、紙に何事か書きこむ。
頭の後ろから、響友ガウディが、ぬっと顔を出した。紙をのぞき込み、硬い声(それもその筈、彼は機械だ)をだした。
「えるすと」
「何だ、相棒」
「間違エタノデスネ」
「おう。休暇の目的欄と滞在先欄を逆に書いちゃった」
肩越しに振り向き、へらりと笑った青年に、ガウディが呆れた声を出す。
「初歩的ナみすヲ……」
「ちゃんと矢印で直したぞ」
エルストは「休暇届」と題された紙を持ちあげ、自ら書き入れた欄と欄を結ぶ両矢印を指さした。ご丁寧に、矢印の脇には「逆でした」という文が書きこまれている。
「書キ直シナサイ。ミットモナイ」
「わかるだろ」
ガウディはかぶりを振った。
「分カル分カラナイノ問題デハアリマセン。ケジメノ問題デス。異世界調停機構の休暇届ハ、総帥ノ決済ヲ経ル公式文書ナノデスヨ」
「総帥はサインをするだけだろう。召喚師1人ひとりの休暇届になんて目を通す訳ないさ」
そう言ってエルストは、矢印付休暇届を鞄のなかにしまいこんだ。
「はいおしまい。それよりガウディ、買い物に付き合ってくれよ。弟と近所の子に土産を買いたいんだ」
***
「やばいな……」
エルストは、異世界調停機構本部応接室のソファで、頭を抱えていた。
「何で総帥に呼び出し食らったんだ。まさか本当に矢印の件か」
ガウディは無言で、エルストの隣に浮いていた。
「書き直せば良かったなあ。休暇が取り消されたらどうする俺」
「私モ時々、タメ息トイウモノヲツキタクナリマスネ。流石ニ、ソンナ訳ハナイデショウ」
額にあてていた手から、顔を上げてエルストは言った。
「……だよな?」
「マサカ本気デ悩ンデイタノデスカ?」
「え、いやまさか」
しれっとしてそんなことを言う。ガウディはエルストのことを睨んだ。
「マッタク貴方ノ言ウコトハ、何ガ冗談デ何ガ本気カ、未ダニ分カリマセンネ」
「俺の相棒のくせに」
エルストは、悪びれず笑っている。彼がこんな風に甘えてみせる相手は、ガウディをおいて他にいない。ガウディは体の向きを正面に戻し、エルストの軽口を無視した。
「まあ、ここで色々想像しても仕方ない。面談で直接聞かないと、どうして呼び出されたのかなんて分からんな」
エルストはそう言うとソファのうえで伸びをし、頭のうしろで手を組み合わせた。
「ソウデスネ。マア普通ニ考エレバ、人手ガ足リナイノデ休暇取消シ、トイウトコロデショウガ」
「マジかよ」
エルストは、寄りかかっていたソファの背もたれから跳ね起きた。
「冗談デス」
「……」 召喚師は口をへの字に結び、ジト目で響友をにらむ。
「ソレヨリえるすと。引ッ越シヲスルノデスカ」
「え?」
「先刻ノ買イ物ノ途中、不動産屋ノ店頭看板ヲ気ニシテイタヨウデシタノデ」
ああ、と言いながら、エルストは困ったような笑顔を浮かべた。
「気づいたのか。お前にはかなわないな」
―――気ヅカナイ訳ガナイデショウ。
看板に張りだされたチラシの前に立ち止まり、かけられた声も聞こえぬほどに集中していた青年の後ろ姿を思い出し、ガウディは独りごちた。
「異世界調停機構本部ニ近イ所ニ移ルノデスカ」
ガウディは、エルストと自分が暮らす現住居から異世界調停機構本部への道筋を即座に思い浮かべる。さして遠いとはいえない。
だが、住まいを職場の近くに移して、さらに通勤時間が短くなるというのであれば、朝に弱いエルストにとって良いことであるのに間違いない。
しかし、当のエルストからの返事は意外なものだった。
「いや、逆」
エルストは、応接室の観葉植物に視線を向けながら口をひらいた。
「郊外でもいいから、もう少し広い部屋を……と思ってな」
「ソレハドウシテ」
ガウディは訝しんだ。今でも特に狭いという訳でもないのに。
エルストは、口元に手を当てて唸った。
「うーん。まあ、今の部屋は、俺とお前で暮らす分にはちょうど良いんだけど、な」
そう言ってエルストはしばし逡巡していたが、結局その口から出てきたのは、歯切れの悪い言葉だった。
「なんというか……いや、今すぐじゃないんだ。色々迷っていてさ」
「フム。ヨク分カリマセンガ、モシヤ、誰カ他ニ同居シタイ方ガイルノデスカ」
「いや……いる、というか……まあ、何というか」
頬をかきながらぶつぶつと呟く青年の隣で、ガウディは、視線を落として声を発した。
「…………私、出テ行キマショウカ」
エルストが、勢いよく振り向いた。
「バカ、お前、勘違いしてるだろう。変な気を回すなよ」
ふたりの間に若干気まずい雰囲気が漂ったのち、エルストは、何故か顔を赤くして、言った。
「弟だよ。9歳下の」
「アア」 ぴこり、とガウディの機体から電子音が鳴った。「ぎふと君、ト言イマシタカネ」
ガウディは先程、その「ぎふと君」たちのための土産を買うのに付き合わされたばかりだ。セイヴァール商店街のマスコット人形や、シルターン特区の煎餅をいそいそと買いこむエルストの後ろ姿を思い出す。機械のガウディから見てもかなり微妙なチョイスだった。
「その弟と、こちらで暮らすのはどうかな、って、今頭のなかで考えてるんだ」
「呼ビ寄セルノデスカ。イツ?」
「まだ決まってない。というか、本人の意志も確認してない」
「学園ニ通ワセタイノデスカ」
「だからその辺も全然決まってないんだって。俺が勝手に考えてるだけさ」
「ハア」
何とも漠然とした話だ。大体、親権者はどう考えているのだろう、とガウディは内心で思った。
エルストが続ける。
「俺は、弟を故郷から連れ出して、色々なものを見せてやりたいんだ。ただ……」
「タダ?」
「それが本当に良いことなのか、自信がないんだよ。俺は、自分の意志でセイヴァールに来て、お前と一緒に響命術を勉強して、調停召喚師にまでなって。言ってみれば、『こっち側』の考えに染まっちまってる。そんな俺が、今の俺の価値観で色々と考えを巡らせているんだけどさ」
青年は、目を伏せた。
「本当にそれがあいつにとっても正しいことなのか。俺の独りよがりじゃないのか。その辺、本気で悩んでんだよ。あんなのでも親は親だし、狂ってるけど犯罪やってる訳じゃないしな、今のところは……。何よりあいつはまだ子供だ。俺の勝手な反発心で、親から引きはなして良いのか……って」
どうやら複雑な事情があるようだ。正直エルストの話している内容の半分も分からなかった。自分の不得意分野に属する問題であろう、とガウディは悟った。
ガウディが幾つかの質問を発しようとしたとき、担当管理官から声をかけられた。
「お待たせいたしました。総帥がお呼びです。総帥室に入室してください」
***
「召喚師エルスト、入室します」
「響友がうでぃ、入室シマス」
壮年の男が、後ろで手を組み、窓際に立っていた。逆光のなか、振り返る。
「ああ、待たせたな」
黒髪の男は、見た目にたがわぬ重厚な声を響かせた。皮の厚そうな右の手のひらを、ソファに向ける。
「まずは、かけたまえ。今、茶を煎れよう」
言って男は、紅茶セットのある棚に歩み寄った。ガウディは、隣に立つ友が、つめていた息を細く逃がすのを感じた。
男の名はジンゼルア。異世界調停機構の総帥だ。
現役時代には武に優れた男だったそうだが、決済官となってからは人望と政治力を発揮し、一気に出世階段を上り詰めたと聞く。先日、4年の任期を終え、再任されたばかりだ。彼をおいて目ぼしい後釜もいないことから、あと数代は彼の時代が続くことだろう。
総帥手ずから煎れた紅茶がエルストの前に置かれた。エルストが頭を下げる。
「君は茶は飲めないな」
ちらりとガウディに視線を向けたジンゼルアは、ソファに深く腰をおろすと、さて、と切り出した。
「召喚師エルスト。君からの休暇届を受領した」
言ってジンゼルアは、テーブルに置かれていた休暇届を手にした。黒の隻眼が、書面のうえをなぞる。不格好な矢印は、きれいに無視されたようだ。
紅茶の香気のなか、低い声がひびく。
「目的は、帰省か」
「はい」
「10日間の予定だな」
「はい」
「移動時間を含めると、故郷ではさほど滞在できないな」
エルストの故郷は、都市間召喚鉄道を使ってもなお片道4日かかるような、セイヴァールから離れた地にあった。
「はい」
エルストの返事を聞いたのち、召喚師の長は、目を閉じて黙した。
ガウディは困惑し、エルストの様子をうかがった。
エルストは、ガウディの視線に気づかない。真っ直ぐに、総帥を見つめている。いつになく、緊張しているようだった。
ジンゼルアが、目を閉じたまま、重々しく口をひらいた。
「君の故郷は、どのようなところかね」
「何もない田舎です」
「家族とは仲が良いのか」
「……ええ、まあ」
微妙な声の変化があった。ジンゼルアが目を開く。
いぶかしげな視覚センサーの表情に気がついたのか、総帥は、ガウディに視線をうつした。
「響友ガウディ、君は彼の故郷にはついていくのかね」
ガウディは、いいえ、と答えた。エルストが言葉をつづける。
「俺ひとりで帰る予定です」
エルストは、故郷に帰ると決めたとき、ガウディに一緒に行くかどうか聞いてすらこなかった。
響友になってからというもの、10日もの長い間離ればなれになることはなかったガウディとしては、正直寂しい気持ちがあった。
しかし、彼が久方ぶりに帰る故郷で家族水入らずで過ごしたいのだろうと思えば、ついていきたいとは言い出せなかった。
「そうか」
ジンゼルアは無感情に頷き、目の前の紅茶カップを手にし、口元で傾けた。舌のうえの後味を味わうように、目をつむる。
エルストも、同じタイミングで紅茶に口をつけた。こちらはというと、白湯を飲んででもいるかのような、愛想のない飲み方だった。
「響友は」
カップを置いたジンゼルアの、ため息のような声がひびく。
「苦楽を分かち合う、魂のパートナーだ」
ガラス玉のような隻眼が、ソファに座るエルストを見据える。エルストもまた、まっすぐに総帥を見つめかえしていた。
「全人格を共有することで、召喚師と響友の結びつきは強くなる。その結びつきこそが、召喚師の力だ。何かあったときは、まずは響友に頼りなさい」
何カ、トハ。
疑問が、ガウディの電子回路に浮かんだ。
その疑問を発声するより前に、隣から、友の声が聞こえた。
「ありがとうございます。そう、します」
うむ、と総帥は頷いた。その表情からは、やはり何の感情もうかがえなかった。
「休暇を許可する。―――帰還を待っているぞ。召喚師エルスト」
退出後、ふたりはしばらく喋らなかった。
結局どうして呼び出されたのかガウディには分からずじまいだったが、エルストは特に何も言わなかった。
長い廊下をわたり、エレベーターの前に辿りつき、降下ボタンを押す。ボタンがオレンジ色に点灯した。エレベーターの階数表示が、1階から最上階へと、ゆっくりと上がってくる。ふたりの他に、エレベーター待ちをしている人間は誰もいなかった。
「……総帥って」
エルストが、階数表示を見つめながら、ふと口をひらいた。
「召喚師の休暇届に一枚一枚目を通しているんだな。今度からお前の言うとおり、しくじったら、ちゃんと書き直すよ」
ガウディは黙っていた。その声音には幾ばくかの暗さがあり、何となく、返事をしづらかった。
9、10、11。エレベーターが上がってくる。
ガウディは話題を変えた。
「先程の、弟君ノ話デスガ」
「ああ」
エルストが、疲れたように眉をひそめた。
「そのことなら、いいよ。焦らず、進めるさ」
また沈黙。
エルストは目をつむって、うつむいた。その背に拒絶を感じた。
エレベーターに乗りこんだ。1階のボタンを押す。箱は来たときと同じ速度で、ふたりを乗せてゆっくりと降下していく。
ガウディの冷却ファンが、箱のなかにやけに大きく響いていた。
「なあ、ガウディ」
呼びかけられたとき、ガウディは、うつむく友のうなじを見つめていた。
「ナンデスカ」
「俺が故郷に着いたら、お前のこと、喚んでいいか」
「何ヲ改マッテ。当然デショウ」
やや勢いこんで応えた。エルストが振り返る。笑顔を浮かべていた。ガウディは自分の回路のなかに、羞恥の信号が走るのを感じた。
「ありがとな。あと、弟と……できれば俺の親父とおふくろに、会ってもらっても、いいかな」
「エエ、モチロンデス」
機体を傾けて頷いた。そして、ガウディはさりげなく申し入れた。「ナンデシタラ、故郷ヘノ道中、同行シマスヨ」
「それは、いいよ」
あっさりと却下された。ピピ、と頭の回路が鳴る。
エルストは目を細めた。
「ひとりで、考え事をしながら帰りたいんだ。お前と一緒だったら、きっと……また甘えちまう。俺は、もっと心を強くしなければいけないんだ。だから」
「えるすと……」
ガウディは、3秒、思考した。
そののち、発声した。
「甘エテクダサイ」
エルストの、今はやけに幼く見える瞳が、ガウディに向けられる。
「甘エテクダサイ。私ハ貴方ノ響友デアリ―――親友ナノデスカラ」
エルストはその言葉を聞き、口を一文字に結んだが、ふいに情けない顔をして、ガウディにぶつかってきた。額が、機体に押しつけられる。
「ありがとうなガウディ。しんどくなったら、遠慮なく頼るから」
エレベーターが止まった。電子音声が到着を告げる。
エルストはガウディから身を離し、ふたたび、言った。
「ありがとう……」