勝敗の行方 そんな中を、黒い鎧を纏った長身の男が悠然とした足取りで進んでいく。幾多の敬礼を通り抜け、陣営の奥に構えられた一際大きな天幕の入り口をくぐった。
垂れ幕を閉じると、喧騒が僅かに遠のく。
布で囲われているだけだとはいえ外界とは隔絶されて独立しているその空間を、中央に吊られたランプがオレンジ色の光で満たしていた。
ルヴァイドは、天幕の正面奥に据えられた書類や報告書が積み上げられている広い机の前に歩み寄り、立ち止まった。
「勝ったぞ」
書類から顔を上げた人物に、ルヴァイドは簡潔かつ明快に事実を告げた。
「そうですか」
シャムロックは、他の報告を全く予定していなかった、というように当然の顔をして頷いた。戦勝の報告に対する反応としては何とも素っ気無いものであるが、ルヴァイドはこのような形で信頼を示されるのは悪い気はしなかった。
「全く、人をこき使いおって……」
言葉の内容とは裏腹に、大した嫌そうな風でもなく呟く。
書類を机に戻して椅子の背もたれに寄りかかったシャムロックは、その言葉に穏やかな笑みをこぼした。
「いや、感謝しています。貴方という戦術の天才がいてくれるから、私も安心して軍を任せられますよ」
何の照れもなくそのようなことを云ってのける男に、ルヴァイドは、はにかむでも鳥肌を立てるでもなく云った。
「ふん。お前がおだてても何の効果もありはしないぞ」
「おや、どうしてです」
「お前は褒めたがりだからな。乱発するから褒め言葉に実がない」
ぴしゃりと云い放たれた言葉に心外そうな顔をしたシャムロックだったが、即座に切り返した。
「……そういう貴方は怒ってばかりですよね」
だからあんまり効かないのかも、としゃあしゃあと云う相手を、ルヴァイドは鋭くねめつける。
「お前が怒られるようなことばかりするからだ」
「そうだろうか。何だかこの頃段々と私の扱いがぞんざいになっている気がするのですが」
団長なのに、と呟くその様がまるで拗ねた子供のようで、ルヴァイドは思わず顰めていた顔をふっ、と緩ませた。
普段は謹厳実直を絵に描いたような生真面目な男だが、時折妙に幼さや情けなさをのぞかせる。元からその様な性質を併せ持っているのか、それとも自分が心を許されているということなのか、ルヴァイド自身は判別がつかなかったが。
「……お前は褒め応えよりも叱り応えの方があるからな」
「何ですか、それ。あんまりだ」
「ん?何だ、お前は褒められたいのか」
「それは勿論……」
シャムロックの言葉が云い終わらないうちに、ルヴァイドは机越しに手を伸ばす。
突然の相手の挙動に、何をされるのだと思ったのだろう、シャムロックは咄嗟に体を強張らせた。その様子にルヴァイドは少し可笑しくなる。そのまま手を移動させて、固まっている男の頭に置いた。
「え?」
そのままぽんぽんと2度軽く叩くと、色の薄い髪に指を差し入れて、子供にするように繰り返し頭を撫でてやる。
流石にこれは予想外な行動だったのだろうか、シャムロックは頬を赤らめ、きょとんとしてルヴァイドを見上げている。その様子にルヴァイドは、してやったり、というように口の片端を持ち上げた。
「良い子だな、シャムロック?」
笑いを含んだ言葉を聞いて、シャムロックはようやく自分がからかわれたことに気づいたらしい。ふくれたように顔を背ける。
「そ、そうやっていつも馬鹿にするのだから。年上だからと思って」
顔を赤くして大人気ないことを言う同僚の姿に、ルヴァイドは思わず吹き出す。――つくづく、面白い奴だ。
「馬鹿になどしていない。……顔を上げろ、シャムロック」
「なんです……あ」
への字に結ばれた唇に、ルヴァイドは素早く自らのそれを押し当てる。頭に置いていた右手をずらしてうなじに添え、乾いていた唇を潤すように舐めてやると、シャムロックは口を僅かに開いた。その隙間を逃さぬよう、舌を差し入れる。
――絡まる、吐息。
ランプが重なる影を天幕の壁に映し出す。
目元をうっすら紅く染めたシャムロックがルヴァイドの頬に手を添えようとしたその時、
「シャムロック団長。定期報告に上がりました」
天幕に唐突に声が響いた。
即座に2人は体を離す。申し合わせたように、同じタイミングで。
「入れ」
背を正し、シャムロックは短くいらえをした。……その声は、よく聞けば僅かに上ずっていたのだが。
夜の帳が下りてきた自由騎士団「巡りの大樹」の野営地。
その本営の天幕にて、厳しい顔をした男が机の上で指を組み、部下の報告に時折相槌を打ちながら椅子に座っている。
……殊更に「騎士団長」らしく振舞うシャムロックは、ゴホンとわざとらしい咳払いを1つすると、笑いをかみ殺して立っている隣の男を睨みつけるのだった。