S and Jimmy 彼が恐ろしく気分屋だ、ということを知ったのは、たぶん入隊してすぐのこと。普段はしれっとした顔をしているから、偶然に知ったみたいなものなんだけど。
あの頃、まだ隊の雰囲気に馴染めずにいた俺は、ミントンの練習をしようと夜中まで続いていた宴会をひっそりと抜け出した。新入隊士歓迎の宴のはずだが、まあいいだろう。どうせ気づかれないし。
夜更けの江戸はしんと静まり返っていた。遠い夜空にターミナルの明かりが見えた、それを取り囲む町並みが夜の底に沈み込むように暗く、浮かび上がった天人の技術の粋がいかに異様であるかが分かる。かつて、江戸の街を見下ろすのは江戸城ばかりだった、それをいまや、その城よりも遥かに高い異形の塔が夜空から炯炯とした眼を光らせてこの町を監視する。――少しだけ、テロリストの気持ちがわかる気がした。
母屋を抜けて、西の対から庭へと向かう。ほの明るい夜空の下、西の対が右の手前に、奥に松木が見えた時にふと足を止めた。誰か、が、そこにいる、規則的な息遣いがはっきりと聞こえた。
――いったい、誰が?
自分のほかに、宴会を抜け出す人間がいるとは思わなかった。隊をあげての宴会なのだから、体調不良や隊務などのっぴきならない事情のない者は出席するのがお義理というものだろう。まぁ、自分の言えたことではないのだが。
足音を忍ばせて壁に身を寄せた――正直いって、存在感がないのには自身がある、子供の頃のあだ名は地味をもじったジミーだ。よく聞けば、息遣いとともに聞こえるのは――空を切る音?
角からこっそりと顔を覗かせると、そこには夜半にもけざやかな金髪があった。その色には見覚えがあった――屈強で、いかにも無頼者といった風情の隊士たちの中で、少年の面影を強く残したその背はかほどに目に立った。それが隊内で一、二を争うほどの腕の持ち主の男なのだと聞かされたときは驚いた。
その男が今、そこにいる、あと数歩隔てたところで後ろを見せて、片手の掌じゃ回りきれないだろう太さの木刀を平然と持って、幾度も幾度も空を切っている。ぶん、という音は重く早く、しかしその背の凛と延びた様子は年並み以上の鬼気迫る何かがあった。そういえば彼は自分とそう変わらないのじゃなかったか、と思うことが不思議なほど、その時の彼は真選組一番隊組長に相応しかった。
「誰ですかい」
突然にその背が言葉を発し、ぎょっとした――その時ようやく、自分が見とれていたことに気がついた。
彼はふと手を下ろして、木刀を無造作に右手にぶら下げ、首だけをこちらに向けた。
「…知らねえ顔だな」
そう言った彼の視線があまりに殺気に満ちて、背中が粟だった。
「…山崎っです、…あの、新しく、入った…」
しどろもどろに説明するものの、語尾が自然と小さくなる。彼は何にも言わない。重苦しい沈黙が下りる。ああ、やっちゃったな…。
「…山崎…」
「ハイッ」
どんな叱責が来るのかと、冷や汗が浮かんだ。ああ、このまま辞めさせられたらどうしよう。職安行ったら「またミントンで辞めさせられたんですか」って迷惑な顔されるんだろうなぁ…。
「入ったそうそうサボりとは、良い神経してやすねィ」
「…………は?」
沖田さんは片頬を上げて、にやり、としか形容のしようがない顔で笑った。
「面白いから、黙っていてやりやしょう。…その代わり俺の言うことは何でも聞きなせえ」
「…はぁ…」
鳩が豆鉄砲くらったような顔で、俺は聞いていたと思う。この頃、俺はまだこの人の性格がつかめてなかった。若かったなあ…、俺。
まだ良く事情を飲み込めていない俺を、沖田さんはちょいちょいと手招きして、西の対の縁側に座った。俺もその隣に腰を下ろす。
「山崎、ところで何でミントン持ってんでさァ」
「あー…趣味です」
「趣味、ねィ」
沖田さんは笑う。
「ミントンのために抜け出してきたんなら笑えまさぁ」
「………その通りです」
「ところで子供の頃のあだ名ジミーだろ」
話が飛んだ。
「いいじゃないですかほっといて下さいよ」
「口応えすんな」
「ハイ」
反射的に返事をしてしまった。何だ、このパシられ体質。
「…あのー」
「何でィ」
「…沖田さんこそ、何でここに」
いるんですか、と聞こうとしたところで言葉が途切れた。再びあの殺気が、彼の肩の辺りから揺らいだ。
「…ああ、そのことですかい」
殺気は一瞬で消えて、沖田さんは夜空を見上げた。
「…別に、なんでもねえ。――ただ、むかついただけでさ」
淡々と発された言葉に、俺はリアクションを返すことが出来なかった。――あの頃は、彼の苛つきの原因が誰ゆえであるかも知らず。
「……そうですか」
我ながら、間抜けな答えだとは思ったが。
再び、沈黙がおりる。彼は返事をせず、相変わらず涼しい顔で上を仰いでいる。仕方なく俺も夜空を見上げた。明滅する光の点がターミナルに向かっている。どこぞの商船だろうか。
なんか嫌だなあ、この静かさ。やっぱり宴会を抜け出さないほうが良かったかも…と思っていると、また唐突に話しかけられる。
「おいジミー」
「…はい?」
出会って5分でいきなりジミー呼びですか。
「眠くなってきたんで俺は寝やす。なんか喋りなせえ」
「は?!」
俺の返事も聞かず、沖田さんはそのままごろんと仰向けにねっころがった。
「面白い話しなかったらばらしやす。そしてそのまま切腹しろ」
「ちょ、横暴ォ!」
「今ここで死にやすか」
「…すいません」
その後、俺はこれをネタに徹底的にパシられ、かつ副長に対する嫌がらせの片棒の数々を担がされることになったのは言うまでもない。――それにしても、何で俺だけばれるんだろう。