ワードパレット - 31.空腹 消毒・誘い・一人 バルバトスは空腹を感じていた。
朝から一人で仕事にかかりきりだった。いつもはすぐ済むのだが、今日は思いの外手間取ってしまった。空気の全く動かない、鉄臭さの充満した部屋の床をデッキブラシで擦っていく。この部屋は常に同じ用途で同じ人物しか使用しないのでそのままでも構わないのだが、可能ならば綺麗にしておくに越したことはない。消毒まで終えたところで、ふう、と一息つく。
掃除をしても先程までの仕事による高揚は収まらず、空腹との相乗効果で欲求を突き付けてくる。
どうしたものか、と思案したところで脳裏を過る人物が一人。彼女とならば、この空腹も、その空腹も、あの空腹も満たすことが出来るだろう。昂りを抑えて、恋人に誘いのチャットを送った。
D.D.D.がチャットの着信を告げる。ゲームの合間にちらりと見た画面に表示されていた差出人はバルバトスさんで、慌ててチャットを開いた。
『少々遅い時間ですが、もし昼食がまだでしたら、ご一緒にいかがでしょうか』
文面で既に昼の時間をだいぶ回っていることに気づく。
ディアボロ……は朝からルシファーと視察に行ってるんだっけ。昨日、ルシファーがそんなことを言っていた気がする。
「ごめん、出かけてくる」
とゲームを中断して嘆きの館を急ぎ足で出た。
まだ何も乗せられていないテーブルが置かれている部屋に入るなり抱きしめられる。
「……他の方の香りがします」
「ゲーム大会してたからですかね?」
熱中するあまりだいぶ距離が近くなっていたことは否めない。
「……キスしても?」
拒む理由はない。
はい、と息を吐き切るより先に抱きしめる腕に力が入り、唇が触れた。そのまま口内を探られ、舌を絡められ、唇を甘噛みされる。いつもより熱くて、深くて、長い長いキスが始まった。
この部屋には時間を示す物がない。どれくらいこうしていたかはわからないけど、苦しくなってきたのに離してくれる気配が一向にない。仕方なく、バルバトスさんの胸元を押して無理やり引きはがす。意外そうな表情に申し訳なさが湧くけれど、こうでもしないと息が続かない。
「どうし……たんっ……ですか……」
息を切らしながらの質問の返事を聞く前にまた抱き寄せられ、中断したキスの続きが始まる。
「空腹に、堪えかね、まして」
話している間もキスをやめようとしない。溺れそう。
このひとはいつも凪いだ水面のように平らかなのに、極稀に嵐の様に私を求める。そんなときは決まって僅かに、微かに、腥い臭いがする。
もう一度胸元を押して、今度はすぐ抱き寄せられないように距離をとる。
「お昼ご飯食べるんじゃなかったんですか?」
「昼食だけとは申し上げておりません」
「うっ……そ、そうですね」
いきなり、しかも少し荒く離れたからか、バルバトスさんはしょんぼりとした表情をした。こういう、他では絶対しない表情をされると弱い。きっとわかってわざと大げさにやっている。さっきまでのキスで火を点けられた私への最後の一押し。
一緒に食べるのはお昼ご飯でなく、夕ご飯になってしまうかもしれないけれど、仕方ない。
「バルバトスさん。私の空腹も満たしてくださいね?」
テーブルに座り、誘うように手を伸ばす。行儀が悪い? そんなことはない。メインディッシュは私なのだから。