偽り子ウサギ なぜみんな危険な禁書をその辺にホイホイ放置するのか。もしかしたら魔界の住人にとってはそんなに危険じゃないから軽い気持ちで置いておくのかもしれない。
この頃魔界では一夜だけ小さい頃の姿になれる禁書が流行っている。悪魔に幼少期はないとのことなのであくまでも現在の姿を元にしたイメージでしかないものの、なかなかいい感じになるらしく、お遊び用として何者かが複製したものが出回っていた。
事の始まりは夕飯も終わり部屋に戻った頃に、アスモからチャットが届いたこと。
『緊急事態! 今すぐThe Fallに来て!』
急いで向かうと、店の外ではアスモが待っていた。文面と違ってニコニコ、というよりはワクワクした表情で
「帰るの遅くなるって伝えておくから、楽しんできて」
というセリフとともに一人店内に送り出された。
わけが分からないまま入り口で左右を見回す。新年のお祭り騒ぎで店内は大混雑していた。そこかしこから歓声が聞こえる。干支に準えたのかバニーの服装をした店員が忙しなく動き回っている。何度かの店の手伝いで顔見知りになった店員が手を振ってくるので振り返す。特に変わったところもないし、どうしようかな。
「いらっしゃいませ」
やけに可愛い幼い声がした。おおよそ、ここにいるには似つかわしくない年齢の声。魔界に、少なくともこの場所にこんな年齢の子がいるはずないのに……? と声の方を見るとそこには私の腰くらいの背丈の男の子がにこにこと笑顔で立っていた。なぜかバニー衣装を纏っている。そして、衣装も顔もよく知っている人のものに凄く似ている。凄く。
思わずまじまじと見つめると、その子は笑顔のまま胸元の白いウサギ形の名札を指さした。名前が長いのか、字が詰まっていて立ったままでは見づらい。しゃがみこんでよくよく見ると、そこに書かれていたのは、これもまたよく知っている名前だった。
『ばるばとす』
驚きの叫びは、咄嗟に私の口を塞いだ小さな手のおかげで近くにいた数名の店員から睨まれる程度で済んだ。
「おせきにごあんないします。くわしい話はそこで」
この感じだと、中身は元のままで見た目だけ小さくなってるのかな、なんて思いながら揺れる丸い尻尾を眺めつつ後をついて行った。
通されたのは店の隅にある備品置き場になっている薄暗い人目につかない席だった。この混雑を考えれば仕方ない。置いてあった備品や箱を適当に床や端に移動して、ソファに座る場所を作る。
「店のおてつだいに来ていたのですが、きゅうけい室におかれていたきんしょにふれてしまいまして」
それが例の禁書だったと。
「見た目はこの通りですが、中身はかわっていないのでご安心下さい」
「それにしても、同じデザインで子供サイズのバニー衣装なんてあるんですね」
「まさかこの服も小さくなるとは思いませんでした」
なるほど。他は全部同じなのに、なぜか膝丈になっているのだけは禁書の作者の趣味なのかな……。
「このようなおせきしか用意できなくてもうしわけないのですが、よろしければゆっくりしていって下さい」
「忙しそうですし、私も手伝いましょうか?」
「おきづかいはありがたいのですが、何かあっても助けられる者がいないので、こちらにいらして下さい」
「それもそうですね。それならお言葉に甘えて。アスモが遅くなるって連絡してくれたみたいだし、お仕事が終わるまで待ってます」
「ありがとうございます。わたくしもたまに顔を見せにまいりますね」
話しているときの仕草はいつものバルバトスさんにそっくりで、やっぱり本人なんだなと思った。
たまに、と言ったもののバルバトスさんは他の客席に呼ばれては、しばらくすると私の席に戻って来る、を繰り返した。どうやらここを拠点にするつもりらしい。戻ってくるたびに、ポケットがキャンディーやチョコ、たまにグリムでいっぱいになっていて、皆、可愛らしさに抗えないのが見て取れた。貰った物は都度目の前のテーブルに置かれ、あっという間に山になった。
私はその山を横目に、知り合いの店員がくれたオーダーミスして放置されていたらしい野菜スティックを食べて過ごしていた。手を付ける気もないけれど、そもそも見知らぬ悪魔からの飲食物は人間には危険すぎる。
「お腹すいてませんか? このお菓子食べます?」
「おきゃくさまからちょくせつわたされた物は食べないよう言われておりますので」
といつもの調子で言った後、少しはにかんで
「……そのかわり、あなたがめしあがっているそれをいただけませんか?」
と私の食事をねだる。
「でもこれしなびてるし、ちゃんとしたの頼んだ方が」
「それがいいです」
「それなら……はい、どうぞ」
なるべく新鮮そうな野菜を一本選んで差し出すと、受け取るのではなくそのまま私の手から食べ
「おいしいです」
顔を綻ばせ、ウサギの耳を満足そうに揺らした。
オーナーに呼ばれたので少し話をして席に戻ろうとしたとき、いつの間に戻ってきたのか退屈そうに足をぷらぷらさせながらぼんやり座っているバルバトスさんが見えた。中身は変わってないと言っていたけれど、外見に引きずられるのか、やっぱりちょっと言動が幼くなっている気がする。
「おつかれさ……」
声をかけながら席に着こうとしたところで、さっき床に置いたであろう何かに躓いた。倒れこむ先にはバルバトスさん。潰すわけにはいかないと咄嗟にソファに両手をつく。
「いたた……すみません。何かに躓い」
突然横倒しにされ両側に手をつかれて逃げ場のない状態になったバルバトスさんは目にわずかに涙を浮かべながらぷるぷる震えていて、揺れるウサギの耳と尻尾が恐怖を物語っていた。故意でないとはいえ急にこんな目にあったら怖いに決まっている。
「ご、ごめんなさい。大丈夫ですか?」
謝りながら慌てて起き上がる。
「少しおどろいただけで、だいじょうぶです」
「……あの、つかぬ事をお聞きしますが、他の席ではこんな目にあってないですよね?」
「このなふだを見た上でそのようなことをなさるおきゃくさまはいらっしゃいません」
それはそう。身の安全は確保されているようで少し安心した。
その後もバルバトスさんはくるくると忙しく働き、夜もだいぶ更け客席から声がかかることもなくなった頃、私たちはオーナーから迷惑料として貰ったジュースとお菓子でささやかな乾杯をした。
「お疲れ様でした」
「おつかれさまでした」
「この後はどうするんですか?」
「元のすがたにもどるのをここで待ってから帰ります。店のかぎはかりてありますので」
「それまで一緒にいてもいいですか?」
「どうぞ」
そのままお菓子を食べつつ二人で他愛ない話をしていたけれど、だんだんと反応が鈍くなってきた。それに、たまに舟を漕いでいる。
「バルバトスさん……?」
「…………なんでしょう」
「少し寝ます?」
「………………はい」
普段ならこの程度で眠くなったりしないはずなので、やっぱり体力は体に依存しているらしい。今までもだいぶ無理をしていたはず。
「ここにどうぞ」
「しつれいします………………」
膝枕を促すと、何時にない素直さで頭をのせ、眠り始めた。こういう場合は天使の寝顔、でいいのかな、それともやっぱり悪魔の寝顔? なんてことを考えつつ、起こさないよう慎重に手を伸ばして備品のブランケットを取ると、そっとバルバトスさんにかけ、膝の上の温かさを感じながら、眠る子ウサギを見守り続けた。
ぼふん、という音に眠りから目を覚ますと視界は紫の煙に覆われていた。禁書の効果が切れたらしい。もう少し膝枕を堪能していたかったのに、と残念に思いながらバルバトスは体を起こした。店内は静まり返っていて、既に他には誰もいないようだった。
わざと禁書に触れて姿を変え、アスモデウスが呼び出しのチャットを送るように誘導し、人目につかない席に案内し、隙を見せ、いたいけな姿を見せても留学生が誘惑されることはなかった。
内心どう思っていようと、幼子に対してそのような様子を見せないのはこの時代に生きる人間としては真っ当である証左なのかもしれないが、悪魔としても、この人間を想う者としても、これは面白くない。今更それを必要とする仲ではないのだが、そこは悪魔の矜持というものである。
「バルバトスさん! 戻ったんですね、よかった」
煙が晴れるなり留学生が飛びついてきたので抱き留めるも、バランスを崩して二人で後ろに倒れこむ。まだ体の感覚が戻っていないらしい。押し倒されたような状態となり、ほんの数時間前にも見た光景に苦笑する。
「ご、ごめんなさい。大丈夫ですか?」
一瞬時が戻りでもしたのかと思ったが、同じ展開を繰り返すつもりはない。
「駄目かもしれません……」
「えっ、あの、どこかぶつけたり……?」
留学生がバルバトスを覗き込んだタイミングで抱き寄せ、抱きしめ、拘束する。
「掴まえました」
「……心配したのにひどい。謝ってください」
非難の中に微かに期待の色を見た。期待とリクエストにはお応えしなくては。
当初の予定より滞在時間を遥かに超過している。早急に魔王城に戻らなくてはこの後の仕事に支障を来すだろう。刻一刻と時間は削られていくが、今のバルバトスにはそれも気にならなかった。