今日の夕飯はいりません 誰もいない議場は静かで課題が捗る。教室でもよかったのだけど今日、バレンタインという日に放課後の教室をこんなことで占拠するのは野暮というものだろう。RADに通う悪魔たちもそんな古典的なことをするのかは知らないけど。
今日は会議の予定もないし一人でゆっくり使えるはず、と訪れた議場は予想通り静かで無事に課題を終えて帰ろうと片付けを始めたところで扉が開いた。
入ってきたのはバルバトスさん。後ろ手にアウトドア用の大きなキャリーカートを引いている。それに大量の赤やピンクの箱やら袋が積載されていた。色と今日という日を考えれば答えは一つ。魔界でもバレンタインが広まってきたらしく、校内でチョコの受け渡しを見るようになってはいたけど、こんなに貰うことがあるなんて。漫画やアニメでしか見たことない光景に「ほんとにあるんだ……」という声が漏れた。
本気の好意もあるだろうけど、礼儀や媚びも混じっているのだろう。次期魔王宛に積まれたプレゼントはどれも気合いが入っているように見えた。バルバトスさんは適当な席に座り、添えられたカードや箱の中身を見て、贈られたものと相手をノートに控えていく。その様子を見ている私に気付いたようで
「真意がどうであろうと返礼は必要ですので」
「手伝いま……なんでもないです」
「それがよろしいかと」
好きなひとに贈ったものを無関係の他人に見られるなんて嫌に決まっている。
「それに、善意の物ばかりではありませんから」
よく見ると端から黒い何かが滲んでいる箱がある。恐らくそれには悪意が込められていて、見てわかるならまだ良い方で実際はもっと巧妙に隠されている物もあるはず。お礼をするのは「気付いていますよ」という意味もあるのだろう。
「……おつかれさまです」
バルバトスさんがノートを閉じたとき、まだカートの底に箱がいくつか残っているのが見えた。
「まだありますよ?」
「そちらは私宛です」
――! よく考えなくても貰っていない方がおかしい。まあ確かに、顔はいいし、性格だって悪くないし、悪魔としての力も文句ないだろうし、他にもまだまだいいところいっぱいですけど。
私が目を逸らしたことで嫉妬したのが伝わってしまったのか、苦笑しながら言う。
「残念なことに、欲しい方からはまだ頂けていないのですが」
「そうなんですね」
ちょっと意地悪をしたくなった。
「頂けないのですか?」
珍しく上目遣いでねだられる。実はちゃんと用意してある。帰りに魔王城に寄って渡すつもりだったけどここで会えたのは幸運だった。鞄からラッピングした箱を出してバルバトスさんに向き直り、箱を差し出した。
「好きです。受け取ってください」
顔が少し赤くなるのが自分でもわかった。改めて言うと照れてしまう。
「ありがとうございます。今ここで中を見ても?」
「いいですよ」
中身はメゾン煉獄でルークとシメオンに教えてもらいながら作った――途中でソロモンに「俺も手伝うよ」と言われたのは丁重にお断りした――トリュフチョコ。手違いでやけに量が多いのは許してほしい。
手作りということに気付いたようで、いつも通りの表情に少し嬉しさが滲んだ、気がした。
「改めて御礼申し上げます……本当に、ありがとうございます」
お礼と共に抱き寄せられた、と言っても私は立っているしバルバトスさんは座っているしで実際はお腹のあたりにしがみつかれた。
「早速一つ頂きたいのですが、あいにく手が塞がっていまして。食べさせて頂けますか?」
再度の上目遣いの甘えた表情でお願いされる。こんな姿を見せてくれるのは私にだけだと思うと、他のひとから貰っていたチョコを気にしたことが馬鹿馬鹿しくなった。
「はい、どうぞ」
チョコを一つ摘んで口に入れるとバルバトスさんは目を閉じてもぐもぐし始めた。ちゃんと味見はしたから大丈夫のはず……。
「味、大丈夫ですか……?」
「とても美味しいです。もう一つ頂けますか」
「はい」
気に入ってもらえたようでよかった。
またチョコを摘んで口に入れると、直後、おもむろに立ち上がったバルバトスさんにさっきよりも強く抱きしめられ、上を向かされた。よく知った唇の感触からは散々味見した、よく知った味がした。
「……もう一つどうですか?」
「頂きます」
今度はチョコを半分咥えて上を向く。すぐさま唇が触れてもう半分がバルバトスさんの口に消えた。
そうして幾分かの時間が過ぎた頃、下校を促す鐘の音が鳴った。気付けばチョコは残り僅か。半分ずつとはいえそれなりの量を食べてしまった。
「帰りましょうか」
「そうですね」
このまま帰るのはちょっと惜しいけど、もともと渡してすぐ帰るつもりだったから、これだけ一緒に過ごせたし十分と思っておく。
帰り道、嘆きの館のチャットルームにメッセージを送る。
『今日の夕飯はいりません』
そこそこお腹が満たされていることよりも、カロリーよりも、この口に残る味をできるだけ残しておきたかった。