安眠 カチリというラッチの音にD.D.D.を見ていたMCは体を起こすとさっきまで寝転がっていたベッドに姿勢よく座りなおした。続いて聞こえた寝室の扉が開く音はいつもより少しだけ重い。続いて少し冷たい廊下の空気と共に「ただいま戻りました」と顔を見せたバルバトスはすっかり寝支度を済ませていて、MCの「おかえりなさい」という言葉とともに広げた両腕に素直にすっぽりと収まった。湯上り特有の暖かい空気がMCの鼻先をくすぐる。
いつもなら「今日はいかがでしたか」やら「安眠効果のあるお茶を淹れましょうか」だの話かけてくるはずのバルバトスはそのまま何も言わず、MCに抱き着いていて
「えっと……冷えちゃうからベッド入ろ」
「……はい」
返事はやけに素直で、こんな日、バルバトスは決まって甘えてくることをMCは知っている。
「今日も忙しかった?」
「そうですね。流石に少々疲れてしまいました」
バルバトスはベッドに入ってもMCの腕に収まったまま目を閉じ、上半身だけ体重を預けて体温を楽しんでいるようだった。
「もしかして最近魔王城で何かあった?」
「気になることでも?」
「気のせいだったらごめんね。ここのところ疲れてることが多いみたいだから」
「今日は少し立て込んでおりましたが、執務の方はこれまでと何ら変わりありません。ですが、あなたのおっしゃる通り、少々疲れているのかもしれません」
「でも今までこんなに疲れてることなかったよね? どうして急に……」
バルバトスはもたれ掛かっていた体を少しだけ起こして、MCの存在を確かめるようにそっと頬を撫でる。
「あなたとこうするようになったから、でしょうか」
MCの顔に不安が過る。何か言いかけたのを遮って
「あなたが原因というわけではありません。きっと『疲れを自覚するようになった』ということなのでしょう」
「……?」
今一つ呑み込めていないようで不安と疑問の入り混じった表情を浮かべているMCに向けてバルバトスが続ける。
「疲れというのは麻痺するものです。例えば、朝早くから昼過ぎまでずっと部屋の大掃除をしていたとします。空腹を覚えたので少し何かを食べて、まだ体力は残っているしこの後も掃除をしよう、そう思っていたのに食事をして休憩したら急に疲れが出て動けなくなってしまった。もしかしたらご経験がおありかもしれませんね」
奇しくも去年の大掃除でそれを体験したばかりだった。
「休んだことで体が疲れを自覚した、ということです」
「……実はバルバトスも疲れてたってこと?」
「私は悪魔ですので人間よりも遥かに疲れにくいはずですが、これまで何度か無理をしたこともありましたからその分が蓄積していたのかもしれませんね」
「でも、それのどこに私が関係して……?」
バルバトスは再びMCに体を預けて目を閉じる。
「あなたとこうしていると心地よくて、いつの間にか気持ち良く眠ってしまうものですから」
その言葉にMCはようやく安心した顔を見せた。
「……あのね、実は今までバルバトスの邪魔になってるんじゃないかって不安だったからそう言ってもらえてよかった」
「邪魔などとんでもない。あなたの存在にどれほど助けられていることか」
バルバトスはMCを抱きしめると、ずっと傍にいてくださいね、と呟く。
「う、うん。……ありがと。えっと、他にしてほしいことある? もっと何か出来たらいいなって」
「……でしたら、以前からしてみたいと思っていたことがあるのです」
「なになに?」
バルバトスにしたいことがあるなんて、とMCが身を乗り出し、続く言葉に目を丸くし動きを止めた。
「一日、思う存分あなたのお世話をさせていただけないでしょうか」
「私、の? 私がバルバトスをお世話するんじゃなくて?」
「はい。あなたが朝起きてから夜眠りに就くまでお世話をさせてください。途中、万が一不快に思うことがあればいつでも中止いたします」
「バルバトスがいいならいいけど……どんなことするの?」
「そうですね……」
MCの世話をする計画を楽しそうに話すバルバトスは段々と語尾が曖昧になり、話の内容が掴みどころのないものになり、仕舞いには言葉が途切れ途切れになって、いつの間にか眠ってしまった。きちんと寝られるようにとMCが体を動かして寝やすい姿勢にしても起きる気配は全くない。安心して眠りこけている。
「今日も一日お疲れさまでした。おやすみなさい」
そう言って頬にキスが落とされたあと、部屋の明かりが消え、少しの後に微かな寝息がもう一つ加わった。