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    A Moment to Melt やっとニールが電話に出た。逸る気持ちを抑えて言う。
    「いまから帰る。家にいるか?」
    「いや、外だ。急ぎの用でもあるのか」
     帰ってもニールがいない。急速に気持ちが沈み、まだ明るい日差しも翳って見えた。待たせてある車に駆け寄ろうとしていた足が止まる。ニールの声はいつもと変わらず冷静で、浮かれているのは自分だけだと思い知らされた。
    「問題ない。夕飯までには戻るか? よかったら一緒に食事をしよう」
     一瞬の間を置いて、ニールが答える。
    「ごめん、急ぎの用でも、なんて言って。きみに早く会いたくてちょっと無理した」
    「いまどこにいる?」
     無理をしたとはどういう意味だ。自分がこの土地から離れていたのは約三ヶ月ほど、その間になにかあったとでもいうのだろうか。
    「場所を言ってくれれば迎えに行く。車に乗るところだから、運転手を降ろせばおれが……」
    「いやだな、落ち着いて。いいから後ろに座って目的地に向かってくれ」
     ニールは終始、落ち着いた声でおれをなだめた。
    「心配する必要はないよ、ありがとう」
     甘い声が耳に触れてじんと痺れる。
     彼の言葉に従い、後部座席に座って当初の目的地である自宅へ向かわせる。声を聞いただけで気持ちはいっそう逸った。早く彼に会わなくては。
     車は動かない。
     不審を感じて運転席に目を向けた。黒い手袋をつけて、黒いスーツを着た中年の男性、運転手の名前はリチャードだ。
     身につけたものは彼の普段の装いと変わりなかったが、運転席にいたのは、グレイヘアのリチャードよりもっと若い男だった。彼の金髪は、家にいるときのようなボサッとした起き抜けのままではなく、しっかりと撫でつけて外出を意識したスタイルにセットしてあった。ルームミラーに、こちらを見て微笑む相手が映っていた。
    「ニール」
    「やあ」
     耳に当てたままだった携帯端末から、「やあ」という声が二重に聞こえた。
    「なんでここにいるんだ」
     驚かせるのに成功して気を良くしたニールは笑顔のまま運転を始めた。
    「リチャードに代わってもらったから」
    「だからどうやってそんなこと……」
     ニールはニヤリと片頬を上げて企業秘密だとうそぶき、愉快そうに訊いた。
    「なにかしたいことはある? ちょっとしたプランもないことはないんだけど」
     ニールと一緒にいられるならどんなことをするのでも構わないと思っているが、持って回った言い方が小憎らしい。
    「訊いても、なにをするつもりかは言わないんだろう?」
     ご明察、と満足気に言い、彼はハンドルを切った。
     ニールが着ている服は、普段リチャードが身につけているものとそっくりだ。まさかその服ごと立場を借りたわけではないと思いたいが、黒い手袋も彼がつけているものと似ていた。リチャードがつけていてもなにも感じないのに、ニールが身に着けていると途端に気になった。大きな手を隠す黒い手袋とスーツの袖口の間から、ハンドルを切る度に白い肌がちらりと覗く。
     赤信号で停車したのを見計らって動いた。
    「ニール」
     振り向いた彼に覆いかぶさるようにしてキスをする。運転席に半身を乗り出すと狭くて腹が支えたけれど、ニールは不自然な体勢に構わず、首に手を回してキスに応えた。素手と違うつるりとした皮に首を撫でられて鳥肌が立つ。
     そんなに彼に触れたかったのかと、自分の反応に戸惑った。彼にキスをして触れられただけで気分が楽になり、どんなことでもうまくいくと信じられる気がした。
     信号が青になったらしく、軽いクラクションが鳴らされて意識が引き戻される。
     顔を離すと、ニールは物欲しそうな顔で口を尖らせた。
    「なんでこういうことするかな」
     すまないと短く謝り、目的地に行くまでの残りの車中では身動きしないように努めた。もちろん、口も開かない。ニールも黙って運転した。
     車が止まった場所は屋外駐車場だった。繁華街の中心で、行き先に見当がつかない。運転手としての役目はここでおしまい、というようにニールが手袋をはずすのを目で追ってしまい、自分でも思いもしなかった浅ましさを自覚する。三ヶ月間顔を合わせなかっただけで、こうも意識してしまうものなのか。
     車から降りて辺りを見渡したニールは、沈もうとする夕日に目を細めて言った。
    「ここから少し歩くよ」
     高層ビルと古くからあるレンガ造りの建物の間を抜けて大通りを行く。工事の喧騒と車の往来と人いきれがあふれる、いつもの騒がしい街だ。飲食店や衣料品店が軒を連ねる中、ショーウインドウ越しにファンタジックなディスプレイが見えた。いくつもの陶器の紅茶ポットとティーカップが羽を生やし、浮遊している。
    「到着だ」
     ニールが立ち止まったのはその店の前だった。
    「ここに来たかったのか?」
    「チョコレートショップなんだけど、中にカフェもあるんだ。さ、どうぞ」
     ニールは扉を開き、中にいざなった。ふわりとチョコレートの香りがする。
     店内には、入って右側に箱入りの商品が陳列されており、その奥にケーキなどが並んだショーケースとレジがある。左側はカフェスペースになっていて、先客が何組か座っていた。思いの外シックな内装で、チープな感じはしない。しかし、天使がティーカップを口に運ぶ置物や、金色の額縁に縁取られた少女や花の絵に迎え入れられると、自分は場違いなのではないかと心做しか怯んでしまう。
     案内された席もまたガーリーだった。ロココ調というのか、ソフトベージュのアームチェアの背もたれには花の意匠があしらわれている。店内には自分たち以外男性はおらず、若い女性客が多い印象だった。雰囲気に少々気圧されながら言う。
    「可愛らしい店だな」
     ニールは歯を見せて笑った。
    「気になってたんだけど、ひとりでは入りにくくってさ。それに、どうせならきみと一緒に食べたかったんだ。ほら見て、チョコレートシェイクがある」
     おいしそうだよね、と微笑む姿につられてメニューを覗き込むと、きれいなケーキやホットチョコレートの写真が並んでいて食欲をそそられた。
    「たしかに、よさそうだ」
     ね、と満足そうにニールが頷く。
     結局、チョコレートシェイクとエスプレッソの入ったホットチョコレートを頼んでしまい、内心そわそわした。甘いものは好きだが、癖になるので頻繁には食べないようにしていて、この三ヶ月間はまったく口にしていない。
     今日くらいはさ、とニールがつぶやくように言った。
    「気晴らしに、楽しんで食べよう。摂生は明日以降に再開させたらいいんじゃないかな」
    「一日くらいなら、構わないか」
    「そうそう、気になるものは頼むといい」
     悪魔のささやきにも思える甘美な誘惑を受けながらメニューをめくっていると、チョコレートシェイクがふたつ運ばれてきた。店頭にあったケーキなどと比べると飾り気のないものだったが、溶け切っていないアイスをスプーンで口に運ぶと、やわらかな舌触りとほどよい甘さが広がって笑みが浮かんだ。アイスが溶ける前にと素早く何度もスプーンを往復させる。夢中になっているのに気づいたのは、半分ほど食べてしまってからだった。
     向かいに座る相手をちらりと見ると、ニールは両頬を手のひらで支えながら、にこにことこちらを見ていた。彼のチョコレートシェイクはまだ少ししか口をつけられていない。
     気まずさを追いやるようにして顎をしゃくった。
    「溶けるぞ」
     ニールは一度頷いてひとくち食べると、再び頬杖をついておれを見つめた。愛玩動物を眺めるような緩んだ顔つきが、ひどく気恥ずかしくさせる。
    「おまえもちゃんと食べろ」
    「食べてるよ。すごくおいしいね」
    「おれなんか見てないで集中しろ」
    「集中はしてる。いつもよりずっと」
     真面目な顔で返されて、注意をそらすのは諦めた。たまにニールは変なところで頑固になる。仕事中でもなし、おれを見たいだけなら好きにさせておくことにして、残ったシェイクに手を伸ばした。
     おいしいと思っていると視線は気にならなくなるもので、シェイクを食べ終わり、ホットチョコレートを飲んでいるうちに、正面から見つめられるのにも慣れてきた。
     「もっと頼む?」というニールの質問に首を振ると、彼は分かりやすく肩を落とした。
     疑念というほどでもないかすかな違和感が浮かぶ。ともに食事することなんてこれまで何度もあったというのに、今日はやけに熱っぽい視線が注がれる。久しぶりに会ったとはいえ、離れていたのは三ヶ月間だけで、その間没交渉だったわけでもない。もしかしたらおれは、彼が期待するなにかを忘れてしまっているのではないか。ニールの誕生日は近くないし、なんらかの記念日でもないはずだが。
    「今回の任務にあたる前に、なにかを約束した覚えはないんだが……」
     直接疑問を投げかけると、ニールは、え? と小首を傾げて、なんのこと? と訊く。
     傾いた頭を支えるようにして、ニールの頬に手を添えて尋ねた。
    「期待させたか。だったらすまない、なにも用意がないんだ」
     ニールは猫のように目を細めると、頬を手に擦り付けるように頭を動かしてくすくすと笑った。
    「約束はしてない。きみの食べてる姿が可愛くって目が離せなかっただけ」
     なんだ、とほっと息をつき、身体を起こそうとしてニールから離れがたくなっているのに気づく。差し出した手をなんの躊躇もなく受け入れてなついてくる姿と頬骨の硬さ、頬のやわらかさに絡め取られるようだ。
     動きを止めたおれを見て、ニールはにっと口角を上げた。
    「このあと、どうしたい?」
     少しかすれた低い声色が、誘うように耳朶を撫でる。正直なところ、車の中にいたときから、ニールと触れ合いたいと思っていた。けれど、戻ってすぐにがっつくのは、いい大人として――
    「手袋、持ってきてるんだ」
     いたずらっぽく目を細めて、ニールは黒い手袋をポケットの中からちらりと見せた。「つけようか」
     ニールの頬から手を離して身体を起こす。
     少し冷めたホットチョコレートを音を立てて飲み干した。咳払いをして居住まいを正す。
     ニールは何事もなかったように溶けたチョコレートシェイクをすすった。
     機微に聡いのは仕事の上では重宝するものの、自分に対して向けられると気まずいものだ。いじましく目で追っていたのに気づかれていたと知り、口を引き結んだ。
     ズズズ、とチョコレートシェイクが吸い込まれる音がする。ニールの視線が変わらず自分を見ているのを感じながら、おれは腹をくくった。
     席を立つと、ニールを制して会計を終わらせる。
     扉を開けようとするのを遮って彼を見上げた。
    「期待してる」
     ニールは一瞬目を見開くと、すぐに嬉しそうに笑った。
    「いいね、一緒に楽しもう」
     あっけらかんとした言い方につられて笑みが浮かぶ。ニールのそばにいると、気まずさとともに笑顔も増えるのだと思い出した。
     外に出ると日は沈んで暗くなっており、街灯やヘッドライトの明かりが強まっていた。前を向いたままニールの手を探り当てると、向こうから強く握られた。
    「実は予約してるんだ」
     照れたように顔を掻きながらニールが言う。
     うまく乗せられたというのに、まったく嫌な気持ちにならないのが可笑しい。
    「小道具のおかげだな」
    「ぼくの色気に参ったって言いなよ」
     肩で小突き合いながら道を歩く。
     チョコレートの香りがおれたちを見送った。
    narui148 Link Message Mute
    2024/10/27 19:48:15

    A Moment to Melt

    主さんとニールが息抜きをする話(4656文字)

    さわマル4無配。

    #主ニル

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