欲しい距離感 本当はやらなくてもいいのだが、愛染国俊や蛍丸に誘われるとさすがに断りづらくて本当に何にも予定が入っていなかった非番だったのだが、愛染が朝食時にぼやいていた「今日の収穫、数が多そうなんだよな~」という声に「ほんなら猫の手でも貸したろか」と思わず言ってしまったので完全に自業自得だが今大したやる気もなく畑の後片付けをしている。
「まさかお前さんが自ら名乗り出てくるとはな」
「ちびっこだけやから国俊がぼやいてんのかと思うとったら、おんなしようなひょろい太刀がおったんなら別に自分来こんでもよかったなと思いましたわ」
「相変わらず一言多いやつだなぁ」
そう言うものの、鶴丸は大して気にした素振りもなく、タラタラやっている明石と同じリズムで農具を集めては置いて集めては置いてとしていた。洗濯当番に嫌われるだけあって、今回も白い内番着は見事に泥まみれである。
実際、鶴丸の言うとおり、明石が手伝う必要はなかった。当番は愛染と鶴丸だが、あまり内番を熱心にやったことのない明石は知らなかったが、手が空いている勤勉な刀たちが自主的に手伝ってくれるのが通例らしく、愛染のボヤきに返事をしたときに手伝いは十分にあると言ってくれればよかったのにと思うが、今更それを言うわけにもいかずえっちらおっちら慣れない農作業に適度に勤しんだ。あれが戦力になっていたかと言えば、正直疑問ではあったが。
一方、驚いた表情をしたものの比較的素直に「助かった」と収穫物を厨に運びがてら明石にだけ聞こえる声で言った愛染を見たことで今日の労働の対価はチャラにはなっている。
あとはこの農具の洗浄と自分たちの風呂で汗を流せば、本日のやるべきことは終わりである。そこは体格が大きな二振りに残された仕事だった。
「おや、主じゃないか」
そういう声にガシガシと金だわしで土埃を取っていた手を思わず止めて顔を上げた。
畑に面した縁側の先は審神者の私室兼執務室である。本日の近侍である陸奥守と一緒にとろとろと歩いてきた。正確には陸奥守は当然シャッキリした歩き方だが、審神者のほうが足音がぽとぽとと聞こえそうなくらいのだらしない歩き方だったのだ。
なにかあったのかと思う間もなく、こちらに気付いていない様子の二人は、突然向かい合って、その顔を近づけた。それは、恋仲である明石が時折彼女の顔を覗き込む時と同じくらい、いや、それ以上の距離感なのではないだろうか。短刀と初期刀以外男性に触れられない審神者のため、まだ明石ですら触れたことのないその顔が近づいた。
それはまるで、互いの口を合わせるくらいの。
ここまできて、唐突に意識が浮上する。思わず鶴丸と顔を見合わせると同じような表情をしていたのだろう鶴丸とほぼ同時に大声をあげた。
「「おおいっ!」」
そして、二人が一斉に振り返った。
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「まつげ?」
「そうなの。なんか、昨日今日とず〜っとまつげが目に入ってたり、入ってなかったりするんですよ。なんかいるって」
そう言いながらも、パチパチと瞬きを繰り返し、手鏡を覗き込む。
「やから、こないな暗いところじゃわからんきに。諦めて薬研のところに行こう。指細いやき、平気じゃろ」
「だから、結局は指でまつげ取るんでしょ? 怖いよ!」
ぎゃーぎゃーと軽い言い争いの喧騒が戻ってくる。
縁側に腰掛けて話を聞いてみたものの、ただ疲れただけだった。鶴丸すら「こんな驚きは別にいらなかったな」とボヤくらいには。
「鶴丸さんは逆さまつげとかないんですか?
まつげも白いから目に入ってもそれこそわからなくない?」
「お、なら、試してみるかい?」
そういって、審神者にすっと近づこうとすると、すぐに間に陸奥守の腕が入ってきた。
「はっはっは、二振りとも、内番の最中じゃろ。休憩は終わりじゃ」
「はいはい。あと少しだ、やるか、明石」
「へいへい」
「がんばってくださいね」
「主はんも、がんばって目ん玉触られてきなはれ」
「は〜い」
チラリとこちらを振り返った陸奥守だけが少し困ったように眉を寄せていた。すぐに審神者と一緒に行ってしまったが。
お互いなんとなく黙ったまま作業を再開する。
「あの主には時折大層驚かされるものだな」
「せやな」
「男性に触れられないと聞いた時も驚いた」
「はあ」
「ははは。さすがの明石も動揺を隠しきれなかったか」
「アホか」
はあ、と嘆息をつくものの、その通りだった。いまだに心臓の位置がハッキリとわかるくらいに、鼓動が早い。戦闘の時だってこんなにならないのに。
あの二人はいやに距離間がバグっているが、別にそういう関係ではない。そんなことはわかっている。自分だけが許された距離感があるのもわかっている。
それでも、あれだけ無防備に顔を寄せ合うようなこと、明石にだっていまだ許されていないのだ。土いじりで汚れた身体だけでなく、気持ちの悪い嫌な感じの汗やまとわりついた汚れをさっさと洗い流したい気分になった。
もういいだろう、とボンヤリしていた間に今度はさっさと片付けてしまった鶴丸が殊更明るい声を出した。
「ま、いい加減あれくらいのことに動揺してたらアッという間に恋仲の立ち位置なんて取られちまうぜ?」
「余計なお世話や」
「はははは」
どさりと、まとめた農具を渡される。こんなに細い腕でよくも、と思うが、自分も似たような細さであることに気付く。
「早く、目ん玉触れる距離まで近づけるといいな」
それは、きっと、本当に他意のない、少しの同情と、それよりも多い友情の詰まった言葉の響きだった。
「誤解招く言い方だけはせんといてほしいわ」