その身を預ける「はい、ほらソハヤ! 今! ほら!」
「さ! どうぞ!」
ソハヤの前には両手を広げてソハヤを待つ物吉が、まるで犬を呼ぶように時々手を叩いているのを見て、だんだん冷静になってきた頭を抱えた。
「いや、無理だろ……。無理がある」
「こらー! やる前から諦めるな!」
「そういう問題か?」
ソハヤを怒鳴りつけたのはちゃぶ台で煎餅を齧りながらソハヤと正反対にヒートアップしているここの初期刀・加州清光である。
一方で現状に疑問を呈したのはその煎餅を提供したこの三池部屋の主の一人である大典太光世だ。
「んも〜、そんなんだからいつまで経っても主様との進展が鈍足なんですよ。その機動はお飾りですか?」
「ほんっと、お前は俺にだけ辛辣だよなぁ! 物吉ぃ!」
主と恋仲になったばかりのソハヤノツルキだが、主は主で照れて顔を合わせられないだの、恥ずかしくて逃げたりだの、色々やらかしてくれたが、なんとか顔を合わせられるようになったのがここ最近。
本丸の中では接触することがほとんどないため、度々万屋に二人で理屈をつけて出かけては腕を組んだり手を繋ぐ。幼い恋愛の芽生えを最初は微笑ましく見守っていた本丸の仲間たちだが、だんだん違和感を覚えてきた者が出てきた。やれ、いつやや子が出来るのだとか、早く人妻に甘えたいだの言いたい放題である。現代人の審神者にとって平安や戦国時代の価値観とは違うのである。
そんな周囲の重圧を審神者が気が付かないわけもなく、初期刀に相談がいき、審神者を急かさせるよりはソハヤをけしかけるほうが早いと判断され、身長や体格がほぼ同じ物吉を相手にハグの練習をすることになったのだった。まずは身体接触に慣れさせようという魂胆である。
同室で完全に巻き込まれ事故の兄弟には申し訳ないが、同時に恋だの愛だの話す姿を見られたくない。それこそこちらが恥ずかしくて死にそうである。
「まあ、何事も、そんな焦らなくとも主の気持ちもあるのだし……」
ソハヤを見かねてか、そしてまたやはり伝わるものがあるのか大典太が小声で助け舟を出すが「はあ?」という加州の低い声に「うっ」と黙ってしまった。小さい声で「どうせ俺の意見なんて……」と言っているが、おそらくソハヤにしか聞こえていないだろう。
「主だって、もっと先には進みたい気持ちはあると思うよ。大体そんなの、あんな奥手の主に言わせるつもり?」
「うぐっ」
「そうですよ! せっかく生身の身体なんですから! 有効活用しましょうよ!」
「だから物吉の言い方はなんか違えんだよな?!」
しかし、言われていることは事実である。どちらも恋人が出来たのは初めてだ。主は確かに恋にかなり奥手だが、初手で噛みつかれたことのあるソハヤとしてはどちらかというと猫を相手にしている気分になる。機嫌がいいと近寄ってくれるが、良くないと触らせてもくれない。奥手というより、野性味が強いのだ。きっと誰も気付いてない、ソハヤだけが知っている彼女の一面だと思うと、それを誰かに話す気には到底ならなかった。
ここまで言われて実行しないでは男が廃る。いざ! と、そっと物吉の前に立ち、両手を広げて待ち構える物吉の細い身体に自分の両腕を回した。そっと腰を引き寄せると軽い力ですぐに密着する。顎が少し持ち上がるくらいの位置につむじが見えて、細かい毛先がくすぐったい。なんかいい香りがするんだが。
というよりも
「おま! 軽っ! 細い! え? 本当に修行済みか?!」
「はあ〜? 失礼ですね! いつも貴方を守ったり一緒に風呂に入ったりしてるのは一体どこの僕だって言うんですか?! 誰ですか! その物吉貞宗は!」
触れ合ったのは一瞬で、即座にその細さと軽さに驚愕して両肩を掴んで本当に物吉なのか確認してしまった。売り言葉に買い言葉で、物吉もそれなりに体型については気にしているのか即座に言い返す。健啖家で、ソハヤと一緒に牛丼大盛り汁だくに卵をかけて食べたりしつつ、夕飯もケロリと完食するしおかわりだって大体する。甘いものでもなんでもござれでそこだけが肥前と違う。時折、審神者が遠い目をしながら脇差たちの腰つきを眺めているが、なんとなく誰も触れてはいけない気がして触れたものはいない。
「あっはっはっは! ソハヤ台無しじゃん!」
「まあ、気持ちはわかる。前田や平野も細っこくて踏み潰しやしないか不安になる」
「お前はゴジラかよ」
爆笑する加州を尻目に、ソハヤに同意を示したのはやはり兄弟だけだった。
「いや、だが手順というか、あんな感じでいいんだろ?」
「まあ、脈絡ないですけどね。僕構えてましたし」
「脈絡ねーのはお前と加州だろ!」
「よし、雰囲気考えよ、雰囲気」
「でも、引き寄せる時もう少しこう、優しさというか、繊細さが欲しいですね。主様は女性ですから」
「優しさ〜〜?」
次から次へと与えられる難題にもうソハヤが根を上げようとしていた。
しかし、急激に閃いた。コレだ! 足りなかったのはこの視点だ!
「なあ、やっぱりこういうのは相手の立場に立って考えるべきだと思わないか?」
「え?」
「どういうこと?」
「兄弟! 抱いてくれ!」
「もしも〜し、ソハヤ、大典太いる? 加州こっちに来てるって聞いたん、だけ……ど……?」
ガラリと開いた襖から見えたのは我らが本丸の審神者である。開けたと同時に、土下座をしながらソハヤが叫んだ内容がこの部屋にいる者全ての耳に入り、そして状況が凍りついた。
大典太は含んでいたお茶を口元から零し、加州と物吉は「やっちまった」という表情で目配せしつつ審神者を見た。
ソハヤノツルキは、「折れたい」と、初めて切に願った。
*
知らなかった。
清光がなにかとソハヤをかまってくれていたのは近侍の引き継ぎのためでもあったし、物吉はソハヤとの古馴染みということでかなり仲が良い。気のおけない関係の二人が羨ましくすら思っていた。
そしてなにより大典太である。当然兄弟なので仲がいい。部屋も一緒でおはようからおやすみまでを同じくする。まだまだそんな朝を共にする関係になんてなれない自分たちだが、そもそも、「抱きたい」でもなく「抱かれたい」だったのか……。
「あの、主……? おーい」
目の前をパタパタと清光が手を振っている。
「あ、ごめん。なんの用か忘れちゃった」
「そりゃそうだ。いや、違う、あの、これはね……」
「うん、ごめん。ちょっと出直します」
失礼しました、といったかどうか。スッと襖を閉めて、足早に執務室に向かった。足早どころか、気付いたら走り出していた。今すぐこの場から遠ざかりたい一心で。
が、即座にスパァン! と襖が開いてソハヤが出てくる。
「待ってくれ、主!」
「あ、大丈夫です!」
「敬語やめろ! 誤解だ!」
本丸内を大声を出しながら走ってるのでなにか異変かと次々と他の男士たちが顔を出す。が、すぐに審神者とソハヤの揉め事だとわかると途端にみんなしてすぐに引っ込んでしまう。
この薄情者どもめ! 次回の手入れはみんな札無しにしてやるからな! などと脳内で怒り狂うが、そんなことより今のこの状況だ。
当然審神者よりも脚が長い上、太刀としては機動の高いソハヤである。あっという間に追いつかれ、執務室の前で見事に捕まり、中に入った時には後ろから抱きしめられて、ソハヤによって後ろ手で障子が閉められた。
は?
我、好きな男に抱きしめられているのだが?!
ますますパニックを起こした審神者にすぐに気が付いたソハヤが余計に抱きしめる力を増す。触れているところがすごく熱い。
「頼む。話を聞いてくれ。逃げないでくれ」
「に、逃げられませんけど……こんなんじゃ……」
「離したら逃げるだろ」
後ろから抱きしめられており、右肩にソハヤの顔が埋められている。どんな表情なのか当然わからない。声があまりに近くで聴こえて、あれ? よく考えなくてもこれは、もしかしなくてもハグなのでは? 抱き、しめ、あれ? いやさっきも思ったわ。夢にまで見たバックハグじゃん!
あんなに恋焦がれていたのに、しかし今は混乱中で喜びなんて沸いてこない。ああ、このソハヤが抱きたいと思う相手として自分は選ばれなかったのか、と。それだけが審神者の心にひどく冷たい事実として広がっていく。
「あのな、抱かれたいっていうのは……」
「あの、大丈夫です。別に否定もしないし、弊本丸では個々人の意思を尊重しますので……」
「違うんだって! まず話を聞いてくれ!」
本当に慌てたように抱きしめた腕を解いて今度はぐるっと身体を回され、向かい合う。両肩にソハヤの手でしっかりと掴まれやはり逃げられないようにしている。
「その、加州と物吉と、アンタを抱きしめる練習をしようって話になって、その、物吉の身長が大体主と同じくらいだから……」
「はあ?」
「いや、わかる。そうなるよな?!
その、いや、顔をそんなにマジマジと見ないでくれ……」
どんどん話しながらソハヤの声が小さくなっていく。顔中に羞恥のためか赤みがひろがって、耳たぶまでしっかりと。
「アンタを抱きしめたくて、でも物吉が優しくないとか、ケチつけるから、それならどうやって抱かれたらいいんだと思って兄弟に頼んだところだったんだ!」
笑ってしまうような理由を言われて、一瞬で胸の暗闇が消えた。両肩に置かれた掌が熱い。その熱に浮かされたように。こぼれそうだった涙をバレないように拭った。
「ねえ、顔見せてよ」
「ちぇっ、泣いたと思ったらすぐ笑うんだ」
バレてた……。
「なによ、私だって本当に傷付いたのよ?」
「……それは、悪かったよ。誤解させて」
そういって、自然とソハヤの腕が両肩からするりと降りて、肘のあたりを掴んだと思ったら引き寄せられた。
「ずっと、こうしたかった」
背中にしっかりと回された腕は逞しくて、やっぱり熱い。今度は審神者がソハヤの肩口に顔を付ける形になる。背中におずおずと手を回すが、その広さ驚く。つむじに、柔らかいものが触れた。
「今なにかした?」
「内緒」
にんまりとした笑顔のソハヤは審神者にいたずらをした時のものだ。
「嘘つき」
今度はソハヤの両肩に審神者が手をついた。
つい、と爪先立ちをして、その赤い瞳が一瞬瞳を閉じたことで見えなくなった。
がぶり、と鼻先に噛み付いてしたり顔をする。ソハヤは不意を突かれて、いや、かつてのことを思い出して口元を歪ませた。
「それは……ずるくないか……」
「ふんだ」
もう少し言い返してやろうと思っていたのに、言葉は出てこなかった。いや、出せなかった。
ソハヤが審神者に口付けをするほうが早かったから。
ギュっと抱きしめ合いながら唇を合わせるのは、こんなにも幸福なことだったのか。
触れてるところも、そうでなくても、身体中が熱くて、その熱を分け合うように付いては離れてを繰り返す。気付けばその柔らかさに、熱さに夢中になっていた。
もう言い返す言葉などない。ただ、さきほどの心の冷たくなったところに熱が回って、全身が燃えるようで。
握りしめたソハヤの内番着がしわになってると気付いたのは、軽いリップ音を立てて二人の距離が離れた時だった。
「あ、あははは……」
なにも言わずに、審神者を真顔で見下ろすソハヤの視線に堪えられなくておかしな笑い声をあげた。その審神者の頬に、ソハヤの手が添えられる。大切なものに触れるこわごわとした動きで。
「ひょえ……」
「なあ」
「はい……」
「もう一回していい?」
もう一回、って何の、どこまでのことだろうか。
ただ、頷くことしか出来なかった。二人で溶けてしまいそうなくらいの熱に浮かされて。