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    物質的胎児Ⅰ、Book of Job 1:7Ⅱ、Book of Job 3:25Ⅲ、Book of Job 1:9Ⅰ、Book of Job 1:7 とっくの昔に持ち手を無くした風船のようだ。そう、ヴィクターは感じた。確かにまだ生きて地の上にあるが、この命を空高くへ飛ばさないための取っ手や重石はすでにこの世に存在しない。ふとした瞬間に、止める暇もなくVという存在は空を目指して飛び上がって、もう手の届かないところへ去るのだろう。その考えは予感ではなく、いずれ現実になる実感としていやに不吉な寒々しさを伴いながら、ヴィクターの中に居座り続けていた。

     サイバーデッキの様子がおかしいから診察を頼めないか、と今日最後の予約の患者が去ったのを見計らったようなタイミングで訪れたVの顔には、色濃い消耗とかつてはなかった暗く深い幽愁の影があり、ヴィクターはVの表情を見て何かかけようとした言葉を全て飲み込んだ。青年に、一体どう言葉をかければいいというのだろう。必ずこの街の伝説になって、いずれ山のように積まれた大金を得るんだと心に宿し燃やしていた野心からでなく、その自我を削られながらただ生き延びるために足掻いてもがいて這いずって、文字通り命をかけて前へ進む度にナイトシティに巨大な嵐を巻き起こす青年に。失うことが定められた青年にヴィクターは何を告げようとしたのだ。気休めの軽々しい言葉などここで使っている一番軽い麻酔の代わりにすらならない。そう思いながら、ヴィクターはふと下を、Vの靴を見た。コーポでの生活が長かったせいか、この街の住人らと比べれば格段に綺麗好きと分類できるVは着る服にもこだわりがあるが、とりわけ靴はかなりのこだわりを持って綺麗にしていた。見慣れない、いっそらしくないスニーカーは血がこびりついて黒く染まり、落さなかったせいで酷く脆い外壁のようになった泥にまみれて汚れている。ヴィクターの記憶にまだ残っている、靴っていうのは未来に連れてってくれるんだってさ、何を言われようがこの靴の手入れだけは譲れないと公言していたVが、時間があればよく磨き、時に買い換えろという助言を蹴り飛ばして彼の知識とネットの知識を総動員して修復し。そうまでして愛用し、大事にしていた革靴をVは一体どうしたのだろうか。

    「V、お前さん靴を変えたのか。あの革靴はどうしたんだ」
    「ああ、あれか。気に入ってたんけど、修復できないくらい見事に靴底が外れてさ。それに普通の手入れもなかなか出来なくて、今まで使ってから愛着はあるけど結局ダメになって変えたんだ。いろいろごたごたしてる時に壊れたから、どこにあるかももうわからない……捨ててきたんだろうな、どっかに」

     彩度の低く生気の薄い泥濘のような諦念だけが満ちる声色は、末期の病巣を抱える患者らが発するものとよく似ていた。サイバーデッキの様子を見ると、いついれたものかヴィクターは把握していないかなり質のいいそのサイバーデッキはほとんど焼き切れかけていた。運のいいことに、同じパーツがたまたまヴィクターの手元にある。交換したほうがいいとヴィクターが言えば、じゃあこれで頼むと決して少なくない金額をVは無感情にヴィクターに送金した。ここ最近、NCPDの依頼も発生してはVが誰より早く現場に赴き解決していると聞く。この前方々を駆け回ってなんとか集めたという金で借金を返しに来た時より、よほど懐は暖まっているらしい。

    「なあヴィク、」
    「どうした? 何か異常でもあったか」
    「いや……違うんだ。スワンプマン、って知ってるか?」
    「沼の男? ……いいや、知らないな。それが一体どうしたんだ」
    「…………知らないなら、いいんだ。おかしなことを言ったな、忘れてくれ」

     意味深なことを言うだけ言って黙り込んでしまったVの言葉を最後に、診療所から声は絶えた。二人の間に落ちた沈黙は些細な物音や駆動音の存在だけを許していて、部屋を飲み込んだ寂寞はいささかも優しくなく不用意な言葉を発することを許さない圧力を持っていた。Vの目は遠くを見ている。自己の末路を見つめその核心ではなく輪郭をなぞっているような瞳をするような性分ではなかったはずだ。少なくとも、ヴィクターが知るVという存在はそうだ。そう考えたが「ヴィクターの知るV」という概念は今どれほどその形を保っているのだろうか。彼の自我は刻一刻と削られていく、削られた自我は別の人格に侵食されていく。

    「……長く、今までよりずっと長く歩く必要があるんだ。……あの靴じゃあ、それが出来なかった」
    「そう、かい」

     ヴィクターに対しての言葉ではない。けれど誰かにこの言葉を聞いて欲しいという響きが、その独り言のような呟きにはあった。だから、短く同意とも返答とも使い声を返したヴィクターは、それ以上何か言葉を発することが出来ない。
     沈黙に急かされながらの診断が終わり、サイバーデッキを入れ替えるために体勢を変えたその時。ふと、かぎなれない煙草のにおいがヴィクターの鼻をくすぐった。発売された当時それがどういうイメージを持たされ発売されたのかは知らないが、今となってはずいぶんと古臭い――それこそナイトシティでレジェンドと呼ばれるものたちと同じくらい齢を重ね今なお生きている。そして今では数が少なくなってきた、伝説らが駆け抜けた瞬きの裏で何があったかを知り、伝説が一際瞬いて消えた瞬間を自分自身の感覚で体験した老人達が過去を懐古するときに必ずそばにある、それくらい昔からあり手を尽くして探さなくても幾分か手に入りやすいというだけが長所の紙巻煙草のにおいが、Vからした。
     ヴィクターの知る彼は煙草というものを嫌っていたはずだ、味も煙たいのも気に入らず、これはアラサカの防諜部にいた時の感覚だと前置いていたが、自分からなにかにおいがするのが嫌だといっていた。同じ理由で香水の使用も控えていた男に、煙草を吸い始めたのかと聞くのは簡単だが、ヴィクターはその言葉の中に何か重大で決定的な断絶が含まれているように思えてならない。言葉を紡ぐのは奏でるのは簡単なことだ、言葉は投げつけることも出来る。返さなくていい、そういえば恐ろしい予感を現実のものとするかもしれない返答を防ぐ事だってできるのだ。そして紡ぎ発そうとした言葉をすべて呑み込んで腹の中で腐らせることも、また簡単だ。

     不用意に何かを暴くことを恐れたのはヴィクターだが、ヴィクターは一体どちらのためにそれを恐れたのだろう。Vのためか、ヴィクターのためか。それとも、両方の間にいつのまにか蟠った蛇のようにのたくって形を変える溝を直視しないために言葉を発することを恐れたのか。ヴィクターは、自分の手で救えなかった患者を直視するのを恐れたのではないのかとサイバーデッキを交換してやりながら自問自答する。アイウェアで隠された己の目に映っているものがなにか、彼に触れて心中に泡のように浮かんでは消える感情が叫んでいるのは一体何なのだろうか。
     叫ぶ泡と現実の感触がある実感、いくらでもその身体を太らせてはのたくってありようを形を変える溝と、嗅ぎなれない煙草のにおいに青年が捨て去って過去のものと成り果てた愛着。それらがもたらす答えを一番知りたくないのはVでなく、ヴィクター自身に他ならなかった。
    Ⅱ、Book of Job 3:25 午前には入っていた予約を全て捌ききり、運ばれてきた数件の急患の処置も終わり、疲労はそこまで溜まっていないが、事実として働きづめだったおかげで簡単に無視できない程度の空腹を覚えたヴィクターは、次の予約の時間がまだ遠いため珍しく自分で意志で外に出た。普段気を利かせて自分自身の仕事の合間にヴィクターに食事を持ってきてくれるミスティは、ママウェルズのところへ行っているはずだ。ママウェルズから食事に誘われたんだ、と穏やかな喜びと驚きと、隠しきれない微かな恐れとまだ生々しい愛を失った痛みが入り混じる声をしたミスティの背を押さない理由はヴィクターにはなかった。

     そしてあの紺碧の一件から、あらゆるものの速度が変わった。あるものは嵐になぎ倒され、あるものは嵐が残した結果から何かを得る。Vという嵐が手を前に前に伸ばすたび、木々を揺らす風よりも何かを掴むために伸ばしたその指は盛大に街を揺らす。カン・タオのAV墜落と、その原因となり結果的に一億二千万エディの損害をこうむった発電所の件もVが絡んでいるという噂がある。
     噂というものはすぐにナイトシティを駆け巡る、そして色恋に浮つく若い娘の口と同じ軽やかさで、紺碧の一件があっという間に広まったのと同じ要領でもがく嵐がもたらした爪痕が生んだ噂はいつの間にか尾ひれをつけながら街中に伝播する。この街で伝説と呼ばれ語り継がれるものたちは、みな一様に自分すら破壊しきる速度で二度と戻れない刹那を振り向きもせずに駆け抜けた者達だ。Vも、そうなるのだろうか。アフターライフのカクテルに名を残し、後はその足跡だけを記憶されるものに。
     ヴィクターはVの噂が足跡が、己のところまで巡り来るたびに彼がまだ生きているという安堵と、もういい加減立ち止まってもいいじゃないかという、ひどく卑怯な祈りが心の中に混ざり合えない黒と白の渦を作って少なくない痛みをもたらすのを、まるで己に科されるべき罰のように感じ始めていた。
     ふと、水滴を感じてヴィクターは空を見た。すがすがしいと表せる青空に、雨雲はない。たまたま本社の人間から聞いたんだけど、東京だと天気なのに降る雨のことを狐の嫁入りって言うらしいと、過去の声がヴィクターの脳裏をよぎる。突然降ってきた雨足は少し強いが、屋台で食事を済ませる間に止んだ。ヴィクターに食事を提供したっきり、雨が降っている間も顔見知りの店主は客であるヴィクターに頓着せず、切れ切れの音声を流すラジオを弄繰り回している。雨が降り終わってもしばらく店主とラジオの攻防は続いたが、結局店主はあきらめて途切れ途切れの音声が不快をもたらすラジオを消すとヴィクターに意識を向ける。

    「なあ、聞いたか? Vがヴードゥーボーイズを壊滅させたらしいぜ」
    「……いや、初耳だな」
    「あいつ、最近かなり派手にやってるよな。回ってくる噂はほとんどVの話だしよ、紺碧の話聞いてもうだめかと思ったんだが……とにかく、生きててくれてよかった。あいつ、元はコーポ野郎だけどよ、優しいんだ、なんだかかんだいって。このラジオも、前にVが直してくれたんだ。ちょうどその時はジャッキーの奴もいてよ、器用なもんだなって言ってんだ、ジャッキーと。Vには集中できないから少し黙ってろって言われたけどさ、ジャッキーは笑ってた」
    「…………」
    「俺はさ、ジャッキーの奴がもういねえってことだって信じられねえ。だってよ、あいつ何日か前にここに飯を食いに来てたんだぜ? ……なあヴィクター、Vは死ぬ気じゃねえよな? ジャッキーが死んで、でかい仕事も下手を打つ結果になっちまって。自棄起こして伝説になるためだけに、方々に喧嘩売りまくってるんじゃあねえよな?」

     店主の目はそうであってほしくないと叫んでいる。Relicのこと、Vに起きていることを屋台の店主が知るはずもない。ヴィクターはただ「自棄は、起こしてないだろうさ」というのが精一杯だった。生きるためにがむしゃらに振る腕の一薙ぎがVの全てを、街のなにかを変えていく。街に彼の新しい噂が駆け巡るたびに、Vが目覚めた時、混乱していた彼が放った言葉をヴィクターは思い返す。呆然とした表情と、震えた声。あの時抱いていた恐怖は、今でもVに存在するのだろうか。今ではシルヴァーハンドの記憶痕跡に影響され、記憶痕跡もまたVに影響されているらしい。切れ切れの噂の欠片を集め掬いあげて繋ぎ合わせると、Relicのことを、Vに起きていることを知るものならば推察できる事柄が現れる。

     V、とつぶやいたヴィクターの声は酷く頼りない。雨が止んで、ふらりとやってきた客が、なんでもサブロウアラサカの追悼パレードが襲撃されてサブロウの娘が誘拐されたんだと、とやけに楽しげな顔と様を見ろと思っているのを隠さない、卑屈で粘着質な口調で告げた。その客はこの街ではさほど珍しくないコーポ憎しの感情を強く抱いているらしく、その言葉にはいい気味だという響きだけがある。ヴィクターはすでに盛大な尾ひれのついた噂話を聞く気になれず、代金を置くとその場を離れて穴倉へ戻るために水溜りの残る地面を歩み始めた。
    Ⅲ、Book of Job 1:9 ヴィクターはこの穴倉を世界の全てとは思わないが、この場所から出ることがないのならそれはここが世界の全てであると同じことであるという自覚はある。取り巻く世界を極小さな、ヴィクターの手でいかようにも制御できるものにすることはできる。この穴倉は最小単位に近いが、れっきとした世界だ。小さな世界に溺れきった道化のように王や神のごとき素振りをするつもりなど、ヴィクターにはないが。

     ふと、ヴィクターは覚えのないチップが診察台の近くに落ちていることに気がついた。根拠は何もないが、Vのものだとヴィクターは思った。何かウィルスが仕込まれていても、この穴倉の中からどうとでもなる。そう踏んで、ヴィクターはチップを自分に差し込んだ。
     それは古い実験のあらましを簡素にまとめたレポートだった。データが作られた時代もかなり古い、どうやってVがこれを手に入れたかも気になるが、スワンプマンという思考実験の詳細、そしてそれに関する反証などが関連文章のデータつきで至極綺麗に、いささかの隙もなくまとめられている。ハイキングに出かけた男が落雷に打たれ死に、その落雷が沼の汚泥と化学反応を引き起こして死んだ男とまったく同一、同質形状の沼の男を生み出す。沼を後にしたスワンプマンは家族に電話をかけ、読みかけの本を読み、眠りにつく。けれど男はすでに死んでいる、けれど男と同じ記憶同じ感情を持つ泥の塊は男と呼び表してもいいものなのか。

     V、お前さんはと呟きが唇から零れる。暴風の運命の中培った何かのおかげでRelicを取り外せたとして、Relicがなくては生命を維持できないほど脳が損傷したVは元のVと同一の存在とみなせるのか。そもそも、己を侵食する記憶痕跡と互いに影響しあって確実に他の何かへと変貌しつつあるVは、ヴィクターの知るVといっていいのだろうか。それは、Vと呼んでいいものであるか。
     ――それでも、それでも。生きてさえいてくれれば、いい。Vが今、この街にあってくれればいい。無責任に生きていてほしいと願ってしまうのは、ヴィクターの身勝手でしかない。視界に映るレポートの、いっそ冷たささえ感じる事務的な論調をヴィクターはなぞっていく。家族は男が汚泥で出来た存在になったと知ったとき、どう思うのだろうか。拒絶するか、それでもいい、生きていてほしいと願いを結ぶのか。冷たい穴倉に下りて来る足音を聞きながら、聞きなれた足音であるのに付きまとう違和感にほんの一瞬だけ目をつむり、ヴィクターは入り口で立ち止まった足音の主に、正しい呼び名をかけた。
    夜船ヒトヨ Link Message Mute
    2022/06/22 12:40:44

    物質的胎児

    薄暗いコーポVとヴィクターの話withスワンプマンと、フレーバー程度ですがヨブ記。存在が同一である根拠は何処にあるか?という話。act2以降のネタバレが少しあります、ネタバレ苦手な方はお気をつけて。
    #cyberpunk2077
    #サイバーパンク2077
    #ヴィクター
    #男性V

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