カササギの橋越えて、あなたに7月6日の夕刻、仕事を終えて帰宅した菅波が自宅のポストを確認すると、上質な紙であることが指先でも分かる、少し嵩高な封筒が雑多なDMやチラシに混ざっていた。取り出してみると、見覚えのある手書きの宛先が書いてあり、裏を見れば差出人には『永浦百音』の文字。何を送ってくれたのだろう、と口許を緩めながら家に入る。
帰宅後の手洗いうがい着替えのルーティンを済ませ、デスクに座ってそっと封を開けると、中から透明な袋に入ったハンカチとカードが出てきた。ハンカチ?と思いながら、まずカードを読む。
『この夏のお供になればいいなと思って送ります 百音』
確かにこれからはハンカチ類の消費も増えるけど、わざわざ?と思いながら袋からハンカチを取り出して広げると、2枚のハンカチにそれぞれサメが刺繍してある。菅波が見れば、めいめいがレモンザメとヨシキリザメと分かるデザインで、明らかに既製品ではない。腕時計を一瞥して、まだ百音の就寝時間でないことを確認した菅波は通話履歴の一番上の番号をタップした。
数コールで百音が出る。
「先生、こんばんは!」
「永浦さん、こんばんは。今、大丈夫ですか?」
「今ちょうど部屋にあがってきたところです」
窓際に座っているのか、チリンと心地よい風鈴の音が聞こえる。
「あ、届きました?ハンカチ」
「ええ。それで、お礼と理由を聞こうと思って」
「説明が長くなりそうになっちゃって、カードだけで送っちゃったからわけわかんなかったですよね」
ペロっと下を出していそうな口調で百音が言うので、菅波も笑ってしまう。
「そんなとこだろうと思いました。どれもとても素敵ですが、どうしたんです?」
そこで百音が説明したところによると、菜津が七夕にちなんで針仕事ワークショップを汐見湯のスペースで開催したものに参加したのだという。ダーニングか刺繍を選べたので刺繍にした、という百音の発言に、菅波が頭をひねる。
「ダーニングって何ですか?」
「うーん、なんていうか、繕い物の一種、だそうです。繕うものなかったし、何か作るのが楽しそうと思って」
「それでサメを?」
「技芸向上のお願いが込められるなら、私が作って、先生に贈れるのもいいなぁ、って」
百音の思いに、菅波の頬が緩む。
「織姫に針仕事上達を願う、っていうのがもともとらしいですけど、予報士のスキルあがりますように、お医者さんの腕があがりますように、って願うのも、きっとアリだと思うんです」
「そうですね」
「明日の中継ネタに七夕のこと色々調べてみたら、結構いろんな風習とかが混じってるものだってことが分かったので、マイ七夕ってことにします」
いつも通りのびやかな百音の言葉に、菅波は笑って返事をする。
「いいんじゃないでしょうか。おかげで僕の手許には、素敵なサメのハンカチが2枚も届きました。これ、ちゃんとレモンザメとヨシキリザメって分かるのすごいですね」
「あ、分かりますか?やった!先生からもらったサメの図鑑見ながら、菜津さんにも手伝ってもらって図案にしたんですけど、どうかなぁって思いながら刺繍したんです。やりだすと没頭できるのが気持ちよくて」
勢いあまって2枚刺しちゃいました、と百音が笑う。
「明日の七夕のお天気はどうですか、気象予報士さん」
菅波が問うと、百音が余裕の声音で明日の天気を告げ、二人でひそやかに笑いあう。
「織姫と彦星は年に一度しか会えないんですよねぇ。雨の時に会える説と会えない説が両方あるのは今回知りましたけど」
伝説の二人に自分たちを重ねたか、百音がぽつりと言う。
その心境に想いを寄せ、菅波が口を開く。
「織姫と彦星も、それぞれの場所で仕事をしてこその逢瀬ですし。まぁ、僕たちも頻繁に会えればいいけど、やっぱり、永浦さんにはやりたいことをやってもらいたいです」
「ありがとうございます。私も、先生には先生の目標を追ってもらいたいです」
「うん。素敵な仕事のお供も届けてもらったし。大切にします」
はい、という百音の返事に、そうそう、と菅波が言葉を続ける。
「来月、東京に行きます。中村先生からの呼び出しで、1週間ほど滞在予定です」
「夏は東京離れにくいので、先生が来てくれるのうれしいです。あ、ちょうど旧暦の七夕あたりですね」
「あぁ、確かに。仙台に観光客があふれる頃だ」
「先生、言い方」
いつも通りさらりとたしなめる百音も笑いながらである。
「ごめん、ごめん。じゃあ、来月の新幹線は、僕たちにとってのカササギですね」
「あ、先生も七夕のこと調べましたね?」
「もしかしたら何かの役に立つかなと思って」
百音の中継ネタに役立つかと、ふとした時に季節のことを調べることが最近の菅波の習い性になっている。普段の自分の仕事や趣味に関する調べ物では触れない領域の知識が増えることもまた楽しい。
「いつもカササギがいてくれたらいいのに」
ぽつりという百音に、菅波も少し寂しい表情になるが、そっとレモンザメの刺繍を撫でて、声を整える。
「いつものことだったら、カササギもお手伝いしてくれないんじゃないでしょうか」
あえて軽く言うと、百音もそうですね、と笑う。
「じゃあ、あまり遅くなるといけないから、また明日、仕事頑張って」
「はい、頑張ります。あ、でも、先生、見なくていいです。見なくて、うん」
「はいはい。じゃあ、おやすみなさい」
「おやすみなさい」
最後はいつも通りのやり取りで通話を終えて机の上にスマホを置いた菅波は、改めてハンカチを手に取る。針目が完全に揃っているとは言い難いが、丁寧に刺繍されたことが分かるサメが唯一無二で愛おしい。これは森林組合に見られたらダメな案件だな、と取扱いを厳重にすることを心に誓う。
翌日、七夕の日の中継では、コサメちゃんと傘イルカくんが織姫と彦星に扮し、百音は鳥の羽と星の浴衣といういでたちで七夕の故事を紹介し、カササギの橋にも言及する。それを出勤前に見た菅波は、やっぱりだから見ないでいいって言ったんだな、と笑う。カササギのことは僕たちのことを言ってるというのはうぬぼれすぎかな、いやいや、と思いなつつ、身支度にさっそくヨシキリザメのハンカチを胸ポケットに入れるのだった。
<おしまい>