「これからもずっと」の約束のかたち百音と菅波が、”約束”をして出かけることに少し慣れた頃。百音の仕事明けと菅波の当直明けの時間を合わせて会ったある日、菅波があることに気づいた。
「今日はアクセサリーが多いんですね。耳と首元と」
まだ律儀に"いいですか?"と聞いて手を繋ぎ、歩き始めてしばしに口を開く。
その言葉に、百音はその顔を見上げながら「おかしいですか?」と不安げに聞き、いえっ!と菅波は全力の否定を返す。
「あの、とても似合っていて、その、あなたがアクセサリーを着けているのをあまり見ないなと思って、あ、でも、ただ単に今まで僕が気づいていなかっただけだったらごめんなさい」
立ち止まって猫背でいろいろ言う菅波に、百音の口許が緩む。
「今日のは、すーちゃんが貸してくれたんです。今日の服に合うし、せっかく先生に会うんだから、って。だから、気づいてくれてうれしいです」
目許をほんのり染めて言う百音に、菅波の目じりも下がる。
「似合ってます」
また歩き出しながら、百音が言葉を続ける。
「先生の言う通り、あんまり自分では持ってないんです。流行りの、とかもよくわからないし。それに、最近は中継のコーディネートで流行のスタイルは着けさせてもらえて、それで十分楽しかったりして。自分で買うなら、長く使えるベーシックなのがいいな、って思うけど、買う機会もないですし。で、すーちゃんが時々、じだんだ踏みながら貸してくれます」
そうですか、と百音の言葉を菅波が穏やかに受け止め、百音が、はい、と笑う。
「そういえば、その中継で着けるアクセサリーとかで、金属アレルギーを起こしたこととかはないですか?外で汗をかいていたりすることも多いでしょう?」
「今のところ、かぶれたことはないですねぇ」
「それはよかった」
ちなみに、今日のすーちゃんによるポイントはですね…と百音が説明するのを、菅波がふむふむと新しい知識を吸収しながら、二人は川べりをほてほてと歩くのだった。
半年ほど後。登米専従となった菅波が久しぶりに東京に出て来ての逢瀬。
飼育下での展示が珍しいヨシキリザメが入ったという水族館に行き、菅波は、そのサメの輝きに負けないほど目を輝かせて水槽に見入り、そんな菅波を見て百音が楽しむ。サメにわくわくしてる先生はかわいいですね、と百音が言い、その”かわいい”の言葉に菅波がチベスナ顔になるのももう二人の定番である。
水族館近くで食事を済ませ、目に付いたパティスリーでケーキを買う。百音がショートケーキか、スフレチーズケーキかで迷いながら、先生は何がいいですか?と聞くと、菅波はそれらを一つずつ、と注文する。いいんですか?と百音が見上げるが、あなたがどちらか悩むほどのものならハズレはないでしょう?と菅波が重々しく言う。ついでに、コンビニでコーヒーのドリップパックを調達して、菅波の宿泊先にチェックインする。
菅波が湯を沸かしてコーヒーの支度をする間に、百音が備え付けの皿とカトラリーを取り出す。それぞれの皿にショートケーキとスフレチーズケーキをおいて、窓際のソファベンチとカフェテーブルへ。菅波がコーヒーの入ったカップ二つをカフェテーブルに置けば、ささやかながら楽しいコーヒータイムである。
「先生、どっちがいいです?」
「永浦さんが先に選んでいいですよ」
「決められないので!」
「胸張って言いますかね。じゃあ、僕はチーズケーキを」
菅波がスフレチーズケーキの皿を手に取れば、百音はほくほくとショートケーキの皿を手に取る、その様がかわいらしい。いただきます、と声を合わせてフォークを手にしたところで、菅波は手元のスフレチーズケーキに大きくフォークをいれ、半分にしたそれを、ひょいと百音の皿にのせる。
えっ?と百音が驚いて菅波を見ると「これも食べたかったでしょう」と目を細めている。むむ~と口許をむにむにさせた百音は、ショートケーキの上に乗ったイチゴをクリームたっぷりの状態にして、菅波にフォークで差し出した。目許を染めながら差し出されたそれに、菅波は口角をあげてばくりと食いつく。「おいしいです」と笑う菅波に、百音もスフレチーズケーキを一口食べて、これもおいしいです、と顔をほころばせる。
ケーキを食べ終え、残りのコーヒーを楽しんでいると、つと菅波が立ちあがり、自分のリュックから何かを取り出して窓際に戻ってきた。はてな?の顔で百音が菅波を見ていると、菅波はすこしそわそわとして、首元に手をやったり、顔を擦ったりとしていたが、やおら小さな箱を百音の前に置いた。洗練されたターコイズ調の色味の箱に、百音は目をぱちくりとさせている。
「あの、こうした贈り物をするのも初めてで気に入ってもらえるかも分からないのだけど、あなたに受け取ってもらえると、うれしい、です」
すすす、とテーブルの上を滑らせて差し出された箱を前に、百音が固まって動かないのをみて、菅波が、あぁあ、やっぱりびっくりしますよね、あの、いえ、気にしないで、と早々にひっこめようとし、百音がその手に自分の手を重ねる。
「いえ、その、びっくりしましたけど、うれしい、です。見せてください」
菅波がほっとした表情になり、両手でそっと箱をすすめる。
百音が包装を解く様子を、菅波が緊張の面持ちで見守る。百音が箱のふたを開けると、華奢なチェーンと、ころんとした輪郭のペンダントトップのゴールドが室内の光を慎ましく反射させた。
「かわいい」
と百音が呟きながら、右手でそっとチェーンを持ち上げ、左手にペンダントトップをのせ、指先でそっとその形をなぞる。シンプルながらも自然でなめらかな輪郭がとても美しい。
「前に」と菅波が口を開き、百音がプレゼントから顔をあげる。
「自分で持つならベーシックなものを、と言っていたのを思い出して。こういうのだったらどうかな、って思ったんです。その時に、金属アレルギーも出てないって聞いてたし。何がいいのか、お店の人にめちゃくちゃ相談しちゃいましたけど」
「めちゃくちゃ相談、してくれたんですね」
「はい」
「とっても嬉しいです。つけてみても、いいですか?」
「もちろん、ぜひ」
百音が嬉しそうに笑ってネックレスを着けてみせると、百音の肌に質の良いゴールドの色が良く映える。
「似合ってます、とても」
力説する菅波に、百音がはにかむ。
「これ、なんのかたちなんでしょう?」
「ビーンデザインと呼ばれていて、生命の始まりの象徴としての豆の形なんだそうです。自然美と生命力のモチーフがあなたに似合うと思って」
「素敵なモチーフですね」
首元に手をやり、そっとチェーンを撫でる様を見て、菅波の表情が緩む。ふと、百音の視線がネックレスの箱に落ちて、いぶかし気な空気を漂わせた。その空気の変化に菅波が首をかしげると、おそるおそるといった様子で百音が箱の上のロゴを指さす。
「せんせ、改めてですけど、このジュエラーって…」
「ご存じの、だと思います」
菅波がこくり、とうなずいてみせると、百音の顔色が変わる。
「あの、プレゼントにこんなこと言うのなんですけど…」
と言いかけたところで、菅波が百音の手を取った。
「僕がしたくてしてることなので、気にしないでください」
「でも…」
「永浦さんも、自分も忙しいのに僕の引っ越し準備をしてくれたりしたでしょう。それと同じです」
「それとこれとは…」
「同じなんです」
ぽんぽん、と取った手をあやすようにたたきながら、菅波が続ける。
「いつもは傍にいられない僕が、せめてあなたが普段身に着けられるものを贈りたい。寂しい気持ちに少しでも寄り添いたい、ってことなんです」
百音は口許を少しとがらせながらも、ストレートに伝わってくる菅波の気持ちがうれしく、それは受け取るべきものなのだ、と自分の心中にそのやさしさが染み渡るのを感じていた。
「昔読んだ本に書いてあった」と菅波がほほ笑みながら続ける。
「『女の子に、アクセサリーをあげるのはちっともばかなことじゃない。あんたは、まだ小さくてわからないけど、ほんとに女の子にプレゼントするのなら、アクセサリーがいいんだよ』って。そんなことあるかなぁって小学生の僕は思ってたけど、この年になって、それがほんとうなんだなって、初めてあなたに教えてもらった」
思いがけず、菅波が小学生の時の話が出てきて、百音がそれを想像してなんとなくおかしくて吹きだしてしまう。
「小学生のときにそんなこと思ってたんですか」
「うん。あなたに何かを贈りたいけど、何がいいんだろう、って思ってた時に、ふとその本を読み返して、そのくだりを見つけて。やっぱりそうだ、ってなんだか納得して。それで、らしくないかもだけど、思い切って」
「ありがとうございます。大事にします」
百音が嬉しそうに言い、立ち上がって、菅波に両手を広げた。
菅波も立ち上がって、ぎゅっとハグを交わす。
ハグをしたまま、百音が呟く。
「私も、先生になにか贈り物、したいな」
「もう、もらってます」
「そうじゃなくて」
「そうじゃなくても」
ハグしたまま、くすくすと笑う菅波に、百音も、もぅっと文句を言いながら、とんとんと菅波の背中をなでる。
抱擁を解いた菅波が、そっと百音の首のチェーンを指先でなぞる。
「うん。とても似合ってる」
その指先にそっと自分の指を絡めた百音が、はにかんで菅波を見上げる。
「ずっと着けてます」
「うん」
菅波にキスしようと背伸びした首元にチェーンの存在を感じながら、百音は、このチェーンの存在を意識しなくなるのはそんなに先のことじゃないし、これからずっと一緒なんだな、とも思っていたのだった。