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    夜風に吹かれて満月まであと少し、というふっくらした月が、『登米夢想』の中庭を淡い光で照らしている。月光の中、静かにたたずむシンボルツリーのレイランディーを見つめているのは、森林組合のドアの前のウッドデッキに腰を下ろし、同じく月にシルエットをなぞられた新田サヤカである。柔らかな一陣の風がレイランディーの枝を揺らし、サヤカの前髪を乱して通り過ぎていく。口許を緩め、乱れた前髪を整えたサヤカは、顔を『椎の実』に向けた。

    サヤカが座る場所から一続きのウッドデッキに面した掃き出し窓はぴかぴかに磨き上げられ、ガラス越しにカフェのテーブルや椅子が見えた。明日、『椎の実』はカフェとしての通常営業を再開する。その最終準備に追われていた今日の昼間から、なんども、「長かったけど、ついに、ねぇ」という会話は何度も交わされたものだが、一人になった夜に改めて思うことも「長かったけど、ついに」だな、とサヤカは目を細める。

    『よねま診療所』に菅波医師が2年専従し、さらなる研鑽のため、東京の大学病院に戻る矢先に始まった感染症騒動は、あっという間に感染症禍となってこの地にも影を落とした。幸いというべきか、菅波の後任は引継ぎも兼ねて騒動の数か月前から不定期に勤務を始めていたため、『よねま診療所』は稼働を続けることができた。しかし、全国一斉休校や外出自粛、飲食店の休業要請により、多くの人が行きかい集う場所であった『椎の実』は火が消えたような静けさになった。

    地域住民の孤立を防ぐ意味も込めたランチボックスデリバリーや、オンラインでの椎の実ブレンドの販売等、手を尽くしてできることは続けつつも、従来のカフェ営業はできないまましばし。『よねま診療所』でも発熱外来の運用が本格化するにあたり、隣接する『椎の実』のスペースが活用されるのはある意味当然の成り行きであった。リモート営業用にキッチンは利用を続けるため、キッチンの前に壁を仮設して間仕切りの上、従来の客席エリアの大半が発熱外来用のスペースになった。

    発熱外来スペースの構築にあたっては、菅波の後任医師はもちろんのこと、中村と菅波もリモートで討議に参加して、ああでもない、こうしてみよう、と工夫を重ねたものだった。その折のある日の一コマを思い出し、サヤカは口許をゆるめた。

    「え?菅波先生、永浦さんと三か月しゃべってないの?!」
    森林組合の佐々木課長が素っ頓狂な声をあげたのは、発熱外来スペースと、登米夢想全体の導線配置を見直すための何度目かのオンラインミーティング中だった。登米夢想側には佐々木課長と後任医師、東京側はその日は菅波だけである。一通りの話が終わった後、後任医師が菅波に別の相談が…と話が転がり、そこから東京の近況も聞く流れになったようだった。

    「僕らとオンライン会議してる場合じゃないでしょ!」
    『いえ、今のこの会議は仕事ですから。業務予定にも組み込まれていますし』
    「えー、でもさー」
    佐々木と菅波の様子に、すっかり登米にもなじみ、菅波の事もよく知る後任医師はマスクの中で笑っている。”永浦さん゜のことも、なんども森林組合や椎の実常連たちから聞かされていて、会ったことがないことが嘘のように身近に感じており、二人のことをずっと気に掛ける登米の人たちの気持ちがよく分かるのだった。

    『メッセージのやりとりはたまにしていますから』
    「たまにかー!」
    佐々木が手を額に当ててのけぞってみせ、画面の向こうの菅波が苦笑している。
    『百音さんも、忙しい人ですから』

    お互いの事情にもの分かりが良すぎるほど尊重しあう二人のことを、好ましくももどかしくも見守ってきた佐々木は、菅波の顔ににじむ寂しさも敏感に読み取って、それ以上言い募ることはしない。しないものの、仕事とはいえ自分が菅波と画面越しでも会って話ができていて、永浦さんはたまにメッセージのやりとりをしているだけ、ということがやるせない。

    「ちょっと、菅波先生、スクショ、スクショとるから、猫背じゃなく座って」
    『はい?』
    「最新の菅波先生って、永浦さんに僕から送っとくから」
    『え、あの、今ヨレヨレなんで…』
    「先生、いつだってヨレヨレでしょ!はい、撮るよ!」

    佐々木の撮ったスクショには、戸惑いながらも柔らかな空気を纏った菅波の姿がうつっていて、菅波先生っぽさが出てますよ、と後任医師も笑って太鼓判を押したものだった。

    「これ、永浦さんに送っていい?」
    『分かりました。送ってください。僕からなかなか連絡できていないので』
    と、菅波が頷いたところで、背後からすがなみせんせい~と呼ぶ声が聞こえ、すみません、呼ばれたので、また、と菅波が慌ただしく通話を切って画面が暗くなる。

    後任医師が、では、さっきの話で詳細を資料に落としてきます、と診療所に戻り、佐々木は自らのスマホを取り出して、さっき撮った菅波のスクショを百音に送った。菅波の顔を久しぶりに見れてうれしい、と言う百音に、佐々木が、今度、登米夢想と大学病院でオンライン会議する時に、百音も参加するか、と提案してみたところ、先生にも課長にも公私混同になっちゃうから、と、気持ちだけを受け取った答えが返ってきた。佐々木から一連の話を聞いたサヤカは、もう、じれったいねぇ、と言いながらも、そういう二人だからいい、んだよねぇ、と因果な性格の二人を慈しんだのだった。

    二人が勉強会で時間を重ねた一番大きなテーブルもアクリル板で仕切って使われていて、対角線上に座っていた二人を覚えている面々は、初めてあのテーブルを仕切った時にえも言えぬ寂しさを覚え、これは二人には見せたくないね、と頷き合っている。そんな仕切りも、今日は取り払われて、椅子の数は減らしたものの、百音と菅波の書物に向かう背中がまた見える様な景色になった。

    感染症禍の様子は月日と共に変容したが、菅波はもうしばらく東京を離れられないらしい、と百音から聞いている。いつかまた、あの二人がここに揃って来る日が遠からんことを、とサヤカは心の中で小さく祈った。明日、『椎の実』が通常営業を再開して、また一歩、新しい日常に近づく。あの二人がここに揃って来れる日まで、また、その日常をここで守り抜こう、と、登米夢想と山の主は、決意も新たにウッドデッキから立ち上がり、うーん、と伸びをするのだった。
    ねじねじ Link Message Mute
    2024/05/11 18:07:19

    夜風に吹かれて

    #sgmn

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