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    給料さんかげつぶん米麻町森林組合の昼休みの時間。百音は、登米夢想から自転車で10数分の場所にある郵便局で、スマートフォンのメモ画面とATM操作画面を見比べながら、こわごわと慎重な手つきで一つずつパネルのボタンを押していた。所定の入力が終わると、ガチャンと音がして、紙幣投入口があく。右肩にかけたままになっていたリュックから、少し厚みのある封筒を取り出し、ふぅっと息を吐く。封筒から、30枚の1万円札を取り出した百音は、その札束を改めて両手でぎゅっと一度握り、意を決した顔で30万円を紙幣投入口に入れた。

    完了ボタンを押すと、紙幣投入口が閉まり、機械が紙幣を数えたのち、奥に収納されていく音が聞こえた。画面に、投入した紙幣枚数・金額と、振込金額および返却金の確認が表示されると、実行ボタンをそっと押す。後続処理の音が聞こえ、紙幣投入口と効果投入口があいて千円札が1枚と100円玉が4枚姿を見せる。それらを財布にしまうと、その間に出力された振込済票も大切に財布にしまう。

    「振り込んでしまった…」

    静かな緊張と興奮の入り混じった顔で百音が小さく呟く。あの雨の日に菅波から提案された、気象予報士講座の受講。本当に自分は何がしたいのか。数日、自分の思いに向き合い、サヤカと話をし。最後に自分が選ぶ道はまだ決められない気持ちがあることも否定できないが、少なくとも選択肢を揃えることを躊躇しないように、と改めて心を決める時だった。菅波の提案は、今の自分の課題をきっちりと分析してくれていて、とても現実的であり、明確に背中を押してくれている。交通手段や仕事の段取り含め、仙台のスクーリングに通える見通しもついたところで、百音が最後に踏ん切らなければならなかったのは受講料の支払いである。

    菅波との勉強会で、一般・専門共に学科は一定の水準にたどり着いてきてはいることを踏まえ、初級講座はスキップして中級・上級および合計4回の模試と直前対策講座にフォーカスすることにすると、合計の受講料は298,600円だった。森林組合に就職して、サヤカへ月3万円の下宿代を払った後は、大してお金を使うこともなく、毎月一定程度の貯金はしていたので口座に持ち合わせはある。しかし、30万弱という金額は百音の毎月の可処分所得から考えても大きな金額であり、齋藤書店で気象予報士テキストを買った時よりもドキドキする気持ちは大きいものだった。

    午後の勤務に戻るために登米夢想へ向けて自転車を漕ぎながら、百音の心はじわじわと高揚していく。自分が働いて得たお金を、自分が学ぶために使うことの自由と重さが、ペダルのひと漕ぎごとに大きくなるような気がする。うん、森林組合の仕事も、気象予報士試験の勉強も、両方、目いっぱい頑張ろう。ここを登り切れば登米夢想の裏に出る、という坂道の入り口に差し掛かった百音は、えいっと元気よく立ち漕ぎでペダルを踏みしめるのだった。

    その日の勉強会で、早速、百音は菅波に気象予報士講座受講の申し込みを完了したことを報告する。ほら!と百音が財布から振込済票をだして見せてくるので、対角線上の定席に座った菅波は苦笑いである。

    「ATMで30万円入れる時ドギドギしました」
    「講座の重みが身に染みますね」
    「ほんどです」
    「というか」

    と続けた菅波の言葉に、百音が首をかしげる。

    「ウェブ振込とか、クレジットカード払いにしなかったんですね。そっちの方が楽でしょ」
    「クレジットカード持ってないですし、お給料の振込先の信金のネットバンクの手続きもしてなぐて」
    「なるほど…」

    菅波が、そうか、そういうこともあるのか、という顔になり、百音も重々しく、そうです、と頷いた。

    「実際、自分の手取りのざっと三か月分ですから。ドギドギしないほうがムリです」
    「それはそうですね」

    百音の言葉に同意した菅波が、余談ですが、と話を続けるのを、百音はいつものように耳を傾けた。

    「給料三か月分というと、婚約指輪のような響きがしますね」
    「え?こんやく…?」
    「え?知りませんか?国際的なダイヤモンドメジャーによる有名な宣伝文句ですが…」

    菅波の問いに、百音はふるふると首を振る。

    「聞いたごどないです。先生がたまたま知ってるだけじゃないですか」
    「そんなにマイナーな話ではないと思うのですが…」

    なんだか納得がいかない、という顔で菅波が自分のスマートフォンを取り出し、何やらぽちぽちと画面を打鍵して調べ始め、百音はじっとそれを待つ。数回の操作で目的の情報にたどり着いた菅波が、百音に画面を見せる。そこには、菅波が言及した言葉が、マーケティングによって1970年代から1990年代初頭にかけて広く流布していたことを紹介している新聞記事が載っていた。

    「この通りなので、どこかの局所的な情報ということではないと思います」

    きっぱりと言い切る菅波に、フム、と百音が頷きつつ、そっと画面の一文を指さした。
    菅波が百音の指さす箇所を覗き込む。

    「ちょうど、私が生まれる前ぐらいだったから、私は聞いた事なかったんですね」
    「ということでしたね。さて、余談でした。今日の勉強を始めましょう」

    そっか、そうだったのか、と百音が納得する傍ら、菅波は1980年代生まれとして一気に歳を取ったような気になり、テーブルの上から自分のスマホを回収して話を畳もうとするのだった。しかし、百音が身を乗り出して質問をしてくるもので、雑談が続く。

    「先生は、給料三か月分のしゅっぴってしたことあるんですか?」

    また突拍子もない質問を、と思うものの、こういう時はきちんと答え切らないと脱線が戻らないことも知っているし、そもそも余談を挟んだのは自分の方でもあり、と菅波はやれやれと口を開いた。

    「ありませんよ。どなたかと婚約をする、というようなこともありませんでしたし、まぁ、これからもないでしょう」

    なぁんだ、という百音の顔に、菅波がふと思いついた顔で言う。

    「ですが、大学の奨学金を給料30か月分ぐらい借りているので、その点では永浦さんの予報士講座の出費と同じようなものかもしれません。まぁ、細々と返済中です」

    サラリと話されたことに、百音は一瞬頭が追い付かず、え、30か月?と思わず計算仕掛けてたところで、菅波が、さて、今日の予報精度評価の演習3と4、やってきてますか、と話を挟むと、まだ思考がぐるぐるしていた百音は、自分の分かりやすいトピックの言葉に意識が向く。あ、はい、やってきました。あの、演習4の2のこごが分からなくて…と百音も勉強会モードになり、そこからはいつも通り。

    通信講座の教材が届くのは来週末、スクーリングが始まるのは来月1週目から。それまでに備えられることは全て備え、受講料を無駄にするものか、させるものか、と9歳差の師匠と教え子は改めて勉強に向き合うのだった。
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    2024/05/24 1:37:12

    給料さんかげつぶん

    #sgmn

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