かわる・かわす・ふたりのかたちいつものごとく、食べ終わった昼食の食器をカフェ椎の実に返却に来た菅波が見かけたのは、森林組合職員の百音が、常連客の井上や吉田とあやとりに興じている様子だった。昼休みに時間をどう使おうがそれは個人の自由なので、椎の実の風景の一つとしてそれを処理しつつ、カフェの里乃に、明日は昼前にアポイントが入ったため昼食の時間をずらしてほしい旨を伝えていると、菅波がいるのを見つけた百音がそばにつとやってきた。
「先生、こんにちは」
快活に挨拶する百音の両手には赤い毛糸が渡り、複雑な形が作られたままである。
「どうも。あやとりですか」
「はい!チヨコさんとミヨコさんが珍しい形とかご存じで!で、さっきからは二人あやとりを三人でやってたんです」
百音がするすると話すことを聞いていて、あるところがひっかかる。
「ん?二人でやることを三人で?」
「はい。あれ、先生、あやとり知らないですか?」
「あやとりという存在は知っていますが、やったことはないですね」
「そうなんですか!ミヨコさーん、先生はあやとりやったことないんですって」
いや、特に報告してくれなくていい…と菅波が止める間もなく、えー、先生、ちょっとこっち来て、と手招きされ、両手で形を作ったままの百音に逆らい切れずに掃き出し窓そばのソファ席まで引っ張られる。
「いい、先生、こごとこご、つまんで」
と吉田が百音が作っている形の毛糸がクロスしている箇所を2か所指さす。
はぁ、と菅波が逆らい切れずに、こわごわとその2か所をつまむ。
「んで、外にちょっと引っ張って、この2本の下から掬う」
はぁ、とまた、おっかなびっくり掬い取ると、百音の手からスルリと毛糸がとれ、菅波の両手に毛糸が移動する。
おぉお、と菅波がリアクションすると、常連客も百音も笑う。
「こうやって、形を変えながら渡しあいっこするのが、二人あやとりです」
「なるほど…。これはそれぞれの形には名前があるんですか?」
「チヨコさん、この形は?」
「それは『田んぼ』だな。四角ぐて線がクロスしってから」
「さっきのは?」
「『吊り橋』」
「ですって!」
そうですか、と菅波が毛糸を外そうとすると、あ!先生待って!と百音が制する。
えっ?と菅波がいぶかしそうにすると、そのままそのまま、と言って、またクロス部分をつまんで掬って、をして、『川』と呼ばれる形であやとりを自分の手に移した。
「先生、これ、どこをどうしたらまた自分にとれるか、分かりますか?」
自分は分かっているぞ、という自慢込みで投げられた問いに、菅波の眉間にシワが寄る。
「先ほどのようにクロスしているところもありませんが。取れない、という答えがあるんじゃないですか」
「そんなことないですよ!これはずっと続けられるんですから」
百音が口をとがらせ、菅波の眉間のシワが深くなる。
クロスしている部分はないからそこをつまむという選択肢はない、相手の手に移す際には両手指で形を維持する必要があるからテンションが固定できる形を作らないといけないが、今のこの形からいずれかが交差している形を作るとすると…
なにやら小難しいことをぶつぶつ言う菅波を、百音が楽しそうに見上げ、その様子を井上と吉田はほほえましく眺めている。しばらく菅波の沈思に付き合ったあと、百音が口を開く。
「先生、降参します?」
「昼休みが終わってしまうので、降参します。教えてください」
「この、中の1本ずつのとこ、ここにそれぞれ小指をかけるんです。あぁ、そうじゃなくて、反対側の小指で。そうそう。で、外に引っ張って、この2本を下から掬います」
長躯をかがめながら百音の言う通りに菅波が毛糸を取ると、先ほどの形に似ているが、中にクロスが二つある形が菅波の両手の間に出現した。
「なるほど。クロスしているところがない時は、引っ張って作ればいいということか」
「なんかよくわかんないですけど、はい!」
「で、これはこのあとどうするんです?」
「ここをこうして…」
「ありゃあ、なんだい?」
カフェにやってきた大山主が見たのは、作業着を着た前髪の娘と白衣を着た長躯の猫背が赤い毛糸であやとりを粛々とやっている様子である。
聞かれた里乃は、笑いながらコーヒーを大山主に差し出す。
「あれ、なんでしょうねぇ。なんか、どんどん形が変わるのが先生、面白いみたいですけど。ほんと、モネちゃんは先生巻き込むことに関しては世界一ですね」
「モネだがら巻き込まれてるって感じもあるけど」
「あれでなんでもないんですから」
ねぇえ~、と嘆息する大山主とカフェのあるじの様子には気づくことなく、森林組合の職員と施設併設の診療所の医師は、え、でもそこを引っ張ったら絡まりませんか?やってみたら分かります!がっといきましょう!などと本人たちは自覚無くじゃれ合っているのだった。
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「先生、あやとりしましょ」
とやってきた百音が両手にかけた毛糸の色をみて、ダイニングテーブルに座っていた菅波は目を細めた。見覚えのある白と青が混じった毛糸。百音が初めて菅波に編んだマフラーの毛糸のようだ。
「その毛糸は?」
「昔の残りが裁縫箱の端から出てきて。ほんの少しだなー、と思って処分しようと思ったんだけど、あやとりにはできるな、と思って」
にこにこと楽しそうなパートナーの笑顔に逆らえるものではない。
傍に立った百音に合わせて自分も立ち上がり、えっと、ここがこうだっけ?とうろ覚えにクロス部分をつまんで引くと、ぱらりと形がくずれる。
あぁあ、と焦る菅波に、百音がだいじょぶ、大丈夫、と笑いながら、さっとまた形を作る。そこをつまんで、そう、それを下から…とインストラクションに従って動けば、菅波の手に毛糸が移る。できた、と笑う菅波と顔を合わせて笑いながら、百音がひょい、とまた自分の手にあやとりを移す。
こうなると、クロス部分は自分で作らないといけなくて…とぶつぶつ言いながら菅波が前かがみに毛糸に指をかける。形が菅波の手に渡ったところで、できた、と百音の顔を見ようとあげた顔に、百音がキスを贈る。
不意のキスでしかも両手がふさがっているので、菅波にはなすすべもない。百音の気が済むまでキスは続き、離れてから上目遣いに"先生の顔が近くって"とへへっと見上げてくる百音の嬉しそうな様子に、菅波は笑うしかない。目で”これ取って”と百音に促し、百音があやとりを取れば、今度は菅波がキスを落とす。むー!と両手がふさがった百音が声をあげると、菅波が笑って離れる。
「えっと、これは、ここをつまんで…」
と菅波がまた百音の手からあやとりを取ると、ひょいと体を躱して、百音のキスから逃げる。
「あ!逃げた!」
百音が笑って追いかけ、菅波が笑って降参して、あやとりの形がふわりと崩れる。
「あぁ、崩れた」
あやとりの輪の片方は百音の指に、反対側は菅波の指にかかって。
これも、二人で作る、二人だけのかたち。