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    恋と作家と吸血鬼 ロナルドは今日も今日とて事務所で愛用のデスクに根を生やして締切りとのデッドヒートを演じていた。タイムリミットはすぐそこで、しかしスタートが遅すぎた原稿は白いページが枚数を数えたくないほど手強く控えている。正直なところ、ロナルドの気分はすでに敗者のそれだった。負けたい。もう負けてしまいたい。我が手に白旗をプリーズ。でも負けたらだめなのだ。俺の股間の無事はもちろん出版社と印刷所と書店の労力と読者の期待に背を向けるわけにはいかないのだ。
     仮性敗者のロナルドは、真性の敗者にならないために歯を食いしばってキーボードを叩いた。しんとした所内にはノートパソコンの打鍵音だけが無情に響き、架空の秒針の音が耳の奥にこだまする。必死に書いているのに終点が見えてこない現実がとてもつらい。集中し続けなければならないのに、背筋が絶えずぞわぞわして周囲を見回したい衝動に駆られる。今にも壁に穴が開いて担当編集者のさらつやストレートヘアがこぼれ落ちてきそうな気がしてならない。フクマさんが髪切らないのってなにかわけあんのかな。女子でも今時めったにいないあの長さを保ってる理由ってなんだろう……願掛けとか? もしくはあの毛髪量で亜空間の磁場が安定するとか? いや、そんなこと考えてる場合かよ! 
     なぜ人は追い詰められると逆に明後日な方向へ思考が向かっていきがちなのだろうか。少しでも気を抜くと雑念に意識をさらわれそうになるし、それを回避すると今度は嘆きの嵐が襲ってくる。
     うわーん、もうやだ! リンボーダンサープレイバックパートⅡのセリフ回しにこれじゃない感がある! ああああ、それに読み返したら前段落のこのつなげ方おかしくね? いや、おかしくはないのか……っつーか単純につまんなくない? 誰が読んでおもしろいのこれ? ううう、なんで俺はこんなに苦しい思いをして原稿を書いてるんだろう。作家だから? なんで作家なの? 俺がプロってなにかの間違いじゃない? だめだ現実が信じられない。俺なんかの文章を本当に読みたいやつがいるのかよ!
     ガチャリと居住スペースへ通じるドアが開く音がした。集中と悲哀の狭間で乱気流に揉まれていた意識が、ドアから覗いた黒いマントに否応なく吸い寄せられる。ロナルドは事務所の内側に降り立った同居相手の全身をぼうっと眺めた。本当に、まとっている衣装と容貌だけならたいそう立派な吸血鬼なのだドラルクは。普段は見慣れ過ぎているため忘れているが、こうして不意打ちで接するとよくわかる。だがこいつの実態は、形容としてクソの上にクソを重ねたくなるレベルのスペシャルなザコだ。どこへ出しても恥ずかしいほどの儚さだと全世界に保証できる。
     地上最弱の吸血鬼は、静かにドアを閉めると事務所の床をほとんど足音を立てずに歩き出す。ロナルドはノートパソコンのキーを打つ姿勢を保ったまま、視界を横切ろうとする人ならぬ人影を鋭くにらんで唇を引き結んだ。脳裏では、警戒警報が赤い光とともにビーッビーッと派手に鳴り出している。
     このタイミングでのバカ砂の登場……考えるまでもねえ。絶対に俺の修羅場の邪魔しに来たに決まってるだろ! 殺す!
     内心でそう息巻きながら、しかし余裕がなさ過ぎて先制攻撃のために席を立てないロナルドは、エンターキーをビームボタンに見立てて強めに叩きながら、切なる祈りを空間へ放った。死ね、死ね、吸血鬼すぐ死ね、と。
     いついかなるときも堅苦しい出で立ちのクソザコ吸血鬼は、死ぬことなく無事にロナルドの前を素通りした。そうして、応接用のソファに優雅に腰を下ろし、ローテーブルに小さな硬いなにかをコトリと置いた。ロナルドは身を屈めてノートパソコンの影からドラルクの動向に目を凝らした。黒い蓋のついた四角い小瓶が二つ、テーブルの上に並んでいる。一つの中身は透明で、もう一つは黒っぽく見えるなんだか複雑な色をしている。ドラルクがもったいぶった仕草で左右片方ずつゆっくりと手袋を脱ぐ。ロナルドはドラルクが見ていないところでちょっと触ったことがあるので知っている。あの白い布はしっとりと柔らかくてとてもすべすべしているのだ。
     細い指先がテーブルから透明な方の瓶を取り上げ、軽く手首をひねって蓋を外す。ちっぽけな瓶の蓋にはこれまたちっぽけな刷毛がついていて、ドラルクはその刷毛を手の爪の上に滑らせ始める。ここまで来くれば、ロナルドにも吸血鬼がなにをしようとしているのか完全に理解できた。つまり、砂おじさんはここでマニキュアを塗るつもりなのだ。わざわざ事務所の真ん中で部屋の主に見せつけるように悠々とお洒落行為に及ぶその意図はいかに、タコに……このタコ野郎め。
     ロナルドはギリギリと歯ぎしりをした。もはや手は完全に止まっている。本日の日没後に起床したドラルクと顔を合わせた瞬間、今日はぜってー邪魔すんなよとロナルドはきつく申し渡したのだ。騒ぐな喋るな物音立てるな賑やかしグッズその他玩具はすべて事務所に持ち込み禁止だ逆らったら殺すぞ、と。一方的にまくしたてるロナルドを前に、珍しくドラルクは大人しくはいはいとうなずいてまったく絡んでこなかった。意外な反応にロナルドは拍子抜けを通り越していささか寂しさを覚え、そんな心の動きを自覚するや否や自分で自分を張り倒したくなった。バカ野郎。告白する勇気もないくせに、かまってちゃん精神だけ一人前でどうするんだしっかりしろ。
     ロナルドは夏が終わるのを前にしてついに確信するに至ったのだ。自分がよりにもよってドラルクに惚れているという一大事を。コペルニクス的転回にも似たその事実を。認めたくなくて足掻き続けた半年だったが、心は持ち主の願いを熱く裏切り「それは恋ですね案件」は日を追って増加していった。いったい端緒はどこにあったのかとロナルドはドラルクと暮らし始めてからの日々を全力で振り返ったが、取り立ててここという引っ掛かりはなく、そのまま始点まで辿り着くと本気の本気で出て行ってほしいと願っていた自分しか出てこなかった。いったいいつから出ていけ発言が本気ではなくなってしまったのか。むしろ去らないでほしいと願うようになったのか。とにかく全部ドラルクが悪いのは間違いない。あいつのご飯がおいしくて会話が楽しくて休日の夜があっという間に過ぎて退治の際に思わぬ視点から助言がもらえてゲラ作業の合間に首突っ込んできて感想をくれたりするのがいけないのだ。あとジョンがめちゃくちゃかわいい。
     最初の頃は度の過ぎた迷惑行為と持ち込まれた棺桶の邪魔さ加減がプラスの気持ちを相殺してくれていたのが、にっぴき暮らしが当たり前になって一緒に過ごす時間が積み重なるうちに、マイナスはどんどん小さくなっていってしまった。生活リズムも趣味も癖もすっかり覚えて馴染んだ相手なら、悪ふざけに対する気の持ちようも間合いのはかりかたも出会ったばかりの頃とは変わってくる。
     自分が恋に落ちていると理解した日から、ロナルドはもう一目惚れを信じられなくなった。何年もかけて、だんだんと暗闇に目が慣れるようにドラルクのことを好きになってしまった自分がここにいるからだ。だが、そうやって純真な憧れの一つを奪われた代わりに、今のロナルドは家に帰ってドアを開けたらそこに無傷の日常が待っていると信じている。固く信じさせられてしまっている。
     とにかく、これ以上好きになると蓄えきれない部分が体からこぼれるように発作的に告白してしまいかねない。それは危険だ。なんとかここで踏み止まらなければならい。単純に好意を持っているだけならいいのだが、自分がドラルクへ向けている想いには劣情もいくらか……いや、もしかするとかなり入っている。なにしろ、ネグリジェ姿でラグの上に腹ばいになったドラルクが足をバタバタしているのを目にして、下着が見えそうな事態を悟って沸騰した薬缶のごとく焦るくらいに、色々とダメになっているのだ。その辺のところをうまく伝えられる自信はまったくない。思いの丈を口にし始めたら最後、うっかり理性を失って奇天烈な迫り方をしてしまうかもしれない。その結果出て行かれでもしたらお先真っ暗だ。恐ろしい。実に恐ろしい。告った翌日に棺桶が消えているくらいなら、なにも言わない方が百万倍ましだ。暇つぶしにうってつけの愉快な人間ポジションで大いにドラルクに評価されているらしい自分だが、恋人の地位を獲得できるかと言えば可能性は限りなくゼロに近いだろう。五歳児呼ばわりの上にゴリラと罵る相手をドラルクが恋愛対象にするとは思えない。だからなんとか現状を維持する方向で今の生活を続けたい。この恋心を表に出さずにうまいこと共存していく覚悟を決めなくてはならない。
     そういうわけで、最近のロナルドはドラルクにトキメキを覚えるたびに脳内でなるべく罵倒の言葉をぶつけるという不毛な感情労働を繰り返している。恋とは非常に厄介なもので、頭では距離を取ろうと決めていても、話しかけられたら答えてしまうし、寄ってこられたら無視できず胸が高鳴ってしまう。だと言うのに、敵はあくまで無邪気にベタベタ触ってくるし気安く色恋関係の冗談をポイポイ投げてくるのだ。そのたびに、ひとの気も知らないで、ひとの気も知らないで! とロナルドは腹が立つあまりつい勢いよくドラルクを殺してしまう。なにも打ち明けていないのだからドラルクがロナルドの心情を知らないのは当然であり、完全に八つ当たりでしかないのだが、追い詰められた当人にとってはもはや不可抗力の所業なのだった。
    「おい」
     ついにロナルドは両手の爪を見分している細長い影に声をかけてしまった。なんとかマニキュアおめかしおじさんの存在を頭から追い出して執筆を続けようと努力したのだが、結局は無駄な抵抗でしかなかった。ドラルクを無視するのに全力を傾けすぎるあまり原稿が一行も進んでいないのでは本末転倒だ。
    「なにやってんだよ」
     声をかけたのはいいが、特にセリフの用意がないために因縁をつけているかのような物言いになってしまう。ダサい。だがどうしようもない。ドラルクはこちらに顔を向けることさえせずに返事を寄越す。
    「ベースコート乾かしてる」
     質問者の様子など歯牙にもかけない風情で、ごく自然に言葉を返すドラルクにロナルドは自席で大いに苛立った。さらっとしてべとつかないあっさり対応しやがって砂だけにムカつく! こっちの気分は湿度百パーセントなのにコンチクショー!
    「そういうことは聞いてねえんだよ……邪魔すんなって言っただろ」
    「してないだろ。爪塗ってるだけだもん」
     だもん、じゃねえしとロナルドは頭を抱えたくなった。そういう可愛いっぽい喋りはやめろ。だんだん可愛く聞こえてきちゃってる自分が怖いからやめてくれ。
     ついにじっと座っていられなくなったロナルドは、椅子を鳴らして立ち上がり、ずかずかと応接ソファに歩み寄った。
     ようするにドラルクの理屈はこうだろう。無言だから邪魔はしていない。ほとんど身動きもしていないからうるさくない。持ち込んでいるアイテムはマニキュアであって玩具ではないし音も鳴らないから苦情はお門違い。とんだ詭弁だ。ロナルドにとってみれば、ドラルクの存在自体がうるさくて目の毒で注意を向けずにいられないのだ。ロナルドは決意した。この静かな嫌がらせを断固やめさせなくてはならない。この橋を歩くべからずの警告を橋の中心を歩いて突破した一休さんみたいな真似を許してはおけない。そうしないとアレだ……なんていうか俺がアレな感じになってますますダメになる。
     ロナルドは両手を握り締め、向こうの部屋に帰れと一喝するために深く息を吸い込み口を開こうとした。すると、そこへ淡々と喋るドラルクの声が割って入った。
    「君の文章を読みたいやつは少なくとも二人はいる計算になるぞ。一人はフクマさんだろ。そしてもう一人は……わ・た・し」
    「は?」
     ロナルドはかろうじて一声返して硬直した。一体全体なんの話だ。
    「それからねぇ、つらい思いをして原稿書いてない人なんていないんじゃないかね。君の苦しみはほとんどすべての作家が経験してきた苦しみと同じものだろう」
    「え、は、う?」
    「つまり君の嘆きは君ひとりの嘆きじゃないってことだ」
     話を締めくくるように語尾を跳ねさせると、ドラルクはおもむろに手を伸ばして色の濃いマニキュアの瓶を取り上げる。真横に仁王立ちで咎める視線を送っている人間がいるというのに、普通に爪の色塗りを続行するつもりらしい。マイペースにもほどがある。
    「あ、あのなあ、おまえなんの話をして」
    「さっき言ってただろ? 俺なんかの文章を本当に読みたいやついるのかよって」
     言った。言いました。それ言ったの俺です。やべえ、もしかして口から出てた? 脳内で独白してるつもりだったけど、もしかしなくても思いっきり喋っちゃってたのかよかなり大丈夫じゃないぞ俺!
     ロナルドは顔が熱くなるのを感じながら小さく身じろぎをした。ドラルクはプーンとした顔をして骨っぽい両手のあいだで瓶を転がしている。その動作を目で追って、瓶の中身は黒に近いほど濃い赤なのだとロナルドは認識した。過去に目にしたドラルクの爪は赤いか素の色かのどちらかしかない。そして、一口に赤と言っても、それこそ様々な色合いがあるのだとロナルドはドラルクに教えられた。
    「ときにロナルドくん……君はジョージ・オーウェルを知っているかね?」
    「知ってる。馬鹿にすんなよ」
     ちゃんと読んだことないけど、とロナルドは言外に付け加えて吸血鬼をにらんだ。
    「まだしてないだろ」
     唐突な話題に警戒心丸出しにするロナルドを、ドラルクは軽く笑ってみせる。まだってなんだとロナルドは思う。これからする気なら殺すぞタコ虫。
    「一冊の本を書くというのは長期にわたる業病との戦いのようなもので、じつにひどい、くたくたになる仕事なのである。随筆でそう語っているんだよ、オーウェルは」
    「へえ」
     ロナルドが反射的につぶやくと、ドラルクは視線を手元に戻してマニキュアの瓶の蓋を開ける。それから瓶の縁で刷毛をしごいて爪を縦に塗っていく。まるで血豆みたいな色だ。
    「それなんて色なんだ?」
     気づくとそう聞いていて、次の瞬間驚き顔をしたドラルクと目が合って、ロナルドは少々面映ゆい気持ちになる。へえ、とドラルクはつぶやいた。どこか感心している色合いのある「へえ」だった。
    「君もちょっと塗ってみるかね?」
    「いや、べつに」
    「まあそうだな。君にこの色の持つイメージは似合わないだろう。いや、それ以前に、その桜貝みたいに血色がよくて艶のある爪を他の色で隠すのはもったいない」
     ロナルドは目を丸くした。え、なんだよその言い方……もしかして今のってほめられたの? 俺の爪がなんだって?
    「ディアボリック」
     急に告げられた短い文句にロナルドは目をパチパチさせた。その反応に答えるようにドラルクが同じ言葉を繰り返す。
    「ディアボリック。このヴェルニの名前」
    「ヴェルニって?」
    「ああ、うーんと、マニキュアって言うとわかる?」
     わかる、とロナルドはうなずいた。
    「そのディアなんとかは赤って意味なのか?」
    「いや、違う。日本語に置き換えるなら、悪魔的とか……魔性? みたいな意味かな」
     ロナルドはそう語るドラルクの顔をまじまじと見た。その昔、吸血鬼は悪魔と混同されていたため、当時の名残で吸血鬼退治人は十字架を身に着けることが多い。銀製でなければなんの威力もないと現在は判明しているが、一度根付いたスタイルはなかなか変わらない。ロナルドはかつてギルドの余興でドラルクの顔に十字の火傷をつけたことがある。思い出すと少し背筋が寒くなる。
    「そうだ、オーウェルはこんなふうにも言っている。どうにも抵抗のしようがない、自分でも正体がわからない悪魔にでもとりつかれないかぎり、こんな仕事に手を出そうとする人間はいないだろう」
     にいっとそれこそ悪魔的に笑ってドラルクが視線を投げてくる。
    「家に吸血鬼を置いて悪魔に憑かれた仕事をしてる人間なんて、探してもなかなかいないと思うぞ」
     牙を覗かせるドラルクを見つめ返すうちに、ロナルドの顔にも笑みが浮かんだ。
    「だな。畏怖れや」
    「生意気言うな若造。この場の畏怖はすべて私のものだ。君のものは私のもの。私のものは私のもの」
     色づいた指先を胸に当てて尊大な口調で言い返す相手を前に、ロナルドはしみじみとこいつが好きだなと思ってしまった。本当にもう自分は手遅れだ。
    「ジャイアンかよ。ザコのくせに」
     ジョンは? とロナルドがたずねると、明日早いからもう寝たとドラルクが答える。そういえば、友達と旅行とか言ってたっけ。首を傾げて記憶を探っていると、ロナルドくん、とドラルクが呼んだ。その呼びかけの響きがいつもよりちょっとだけ柔らかくて、ロナルドはなんだか嬉しくなる。きっとほかの誰にどんな呼び方で呼ばれても、こんなふうな気持ちにはならない。なんだよドラ公、と返事をする。言葉の外に通い合うなにかを確かに感じる。こういう瞬間、ほんの少しだけ、自分が特別な価値のある存在に思えてくる。
    「俺なんか、とか、言うんじゃないよ」
    「んん?」
    「そういうの聞くとムカつくんだよ私は」
    「なんでだよ?」
    「鈍感ゴリラ。私から教えてなんかやらないからな」
     ドラルクは意味の分からないこと言ってため息までついた。どうやら俺には教えてもらえていないことがあるらしい。それっていったいなんなんだろう。
    「そろそろフクマさんが来る頃じゃないかね?」
    「うお!」
     やばい。ずっとやばかったのにやばいことを今ちょっと忘れていたやばい。ロナルドは動揺のあまりその場で足踏みをした。噂をすればなんとやらで、事務所の入り口近くの壁にあり得ない色彩が浮かび上がる。
    「ロナルドさん、ドラルクさん今晩は」
     どうもフクマさん御足労いただきまして、とドラルクが腰を浮かす。ロナルドは引きつった顔で挨拶を返す。
    「こ、今晩は!」
    「原稿の進捗は」
    「そちらで書かせていただきます!」
     真っ黒な大きな目を向けてくる担当編集者に最後まで言わせずロナルドは叫んだ。
    「良い心がけですね。では参りましょう」
    「はい!」
     デスクへ取って返してパソコンを抱え、もうどうにでもなれとフクマのもとへ向かう背中に吸血鬼の声がかかる。
    「カラッと揚げられる前に終わらせろよ。唐揚げ用意して待っててやるから」
     右手の親指をグッと立てて返事代わりにして、ロナルドはなんだかわからないやばい状態になっている壁の前に立つ。スーツの後ろ姿がためらいもなく壁に吸い込まれていくのに心底ぎょっとする。これから通る場所はめちゃくちゃに怖くてたまらないが、不思議と心は軽かった。君の文章を読みたいやつは少なくとも二人はいる。そう告げた声が、まだ輪郭を保ったまま耳に残っているからだろうか。俺がなにに対して鈍感なのか、帰ってきたらドラルクにちゃんと聞かなくちゃいけない。そうすべきだと退治人の勘が告げている。教えてもらえるかわからないけれど、何度でも聞いてみるべきだと。簡単に一人で決めつけて諦めるなと。
     ロナルドはそんな決意を原稿の道連れにして、きつく目をつぶりながら亜空間から伸ばされている手を取った。
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    2022/09/21 19:11:25

    恋と作家と吸血鬼

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