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    好きをめぐる夜の対話 およそ二ヶ月ほど前の話になるが、ロナルドはドラルクに告白された。会話の途中で、危うく聞き流してしまいそうなほどさりげなく、ドラルクはロナルドを好きだと言った。嘘みたいな本当の話だ。
    「だって私はロナルドくん好きだからね」
     勢い込んでしゃべっていたロナルドは、差しはさまれた言葉を認識するや否や、ノーガードで真正面から撥ねられ、自分が撥ねられたことを理解できないまま宙を舞い、気づけば地面にたたきつけられていた。むろんすべて心象風景における比喩にすぎないが、実際に交通事故くらいの衝撃があったのだ。
     機能停止状態に陥ったロナルドを相手に、冷めた声でドラルクは言った。べつに、だからどうしろって話でもないから。君は君のままでいればいいさ。
     ロナルドには、好意を告白するという行為に対して、大変な勇気を必要とする人生の一大事だというイメージがあった。だが、ドラルクはまったくなんでもないことのようにそれを片付けてしまった。片付けられた方としては、納得がいかないことこの上ない。想いを知らされた瞬間から、ロナルドは全身で相手を意識してしまい、場合によっては受け取る視線ひとつで飛び上がるセンシティブパーソンにされてしまったというのに、ドラルクは以後もまったく変わりなく通常運行を続けているのだ。
     ずるい。なんか知らんがすごくずるい。
     ロナルドは、日中に物言わぬ棺桶を見下ろしてギリギリと歯噛みをした。
     こういうときにどうすればいいのかドラルクに聞きたかったが、問題の当人がドラルクなので、そういうわけにもいかなかった。人生に迷った場面では、つねに心の兄貴に頼ってきたロナルドだったが、さすがに同居している吸血鬼から告白された際の対処法は兄でも浮かぶまい。だいいち、兄のもとへ吸血鬼は絶対に押しかけてこない。成り行きで同居した挙句なにくれと世話を焼かれたりもしない。それに、女の子にモテモテで交際経験豊富な兄だったら、好き、のひとことで吐血しそうなほど動揺したりしない。つまりまったく参考にならない。俺は兄貴みたいなかっこいい退治人には一生なれない。俺と比べて兄貴は最高。兄貴フォーエバー。
     そんな堂々巡りの思考に落ち込みつつ、ロナルドは毎日ドラルクの作る料理を食べて、ドラルクが洗濯した服を着て、ドラルクが掃除した部屋で仕事をしていた。心さえ横に置いておけば、日常は問題なく回っていた。なにも変わらない。なにも引かれず、なにも足されない。
     だからどうしろって話でもないから、とドラルクは言ったが、まさにそのとおりの状況だった。ロナルドがなにをどうしなくても平気な日々が用意されていて、聞いた言葉をなかったことにできてしまうお膳立てが、しっかりばっちり整っていた。
     ロナルドはそんなドラルクの在り方に多大な不満を抱いた。
     俺のことが好きなのに、なんにも望まないってどういうことだよ? おまえの「好き」ってそのていどってことか? どうしてそんなに簡単に引っ込めてなかったふりができるんだ? 畜生め、本当にそれでいいのかよ?
     とにかくロナルドは腑に落ちなかった。一日ごとに生活に紛れて薄れていく「好き」の響きが惜しくてならなかった。ドラルクがもう一度なんらかのそれらしい言動をしてくれるのを期待したが、期待はすべて空振りに終わった。ロナルドは焦りはじめた。だんだんと、あのいかにも吸血鬼らしい青白い顔を見つめる時間が増えていった。
     べつにあいつを好きじゃない俺がこんなに意識させられていて、あいつの方は涼しい顔をしてるなんて不公平だ。
     とにかくロナルドが言いたい点はそこだった。
     普通は好きな相手になんらかの期待をするものなんじゃないだろうか。のっけからリアクション不要を言い渡された俺の立場っていったいなんなんだ。あいつは片思い維持過激派なのか?
     生活の不自由はまったくなかったが、実際のところロナルドは途方に暮れていた。考えれば考えるほど、相手の気持ちも自分の気持ちも見当がつかなくなる。なにか大きな感情が存在するのに、うまくそれに名前が付けられない。本来なら手に入るなにかを逃している感覚が、日を追うごとに増していくのが気持ち悪い。
     あのときの話の続きをしたいんだと、ドラルクへ切り出す勇気がほしかった。だがしかし、敵はいっこうに隙を見せず、個人的な感情が絡むとどこまでも不器用になるロナルドの舌は動かないまま、いつしか季節は流れて冬に変わろうとしていた。


     発端は、彼岸入りした九月の晩のことだった。ドラルクは、雨ふっててだるいからうちでゲームしてるね、と退治人の衣装を着て事務所を出ようとしているロナルドに告げた。当然ながら、ロナルドは吸血鬼が怠惰な発言をした瞬間に拳で応じたので、すぐさま床には塵の山が築かれた。室内には、ほぼ同時に、ヌアー! という悲痛な鳴き声が反響した。回し車で雨の日の運動不足解消に励んでいたジョンが、小さな足音を立てて主人のもとに駆けつけてくる。ドラルクは、特に危害を加えられなくても日に二十回は死ぬのだが、律儀な使い魔は、主人の死を目の当たりにするたびに全身で悲しみを表現する。
     ヌーヌーと鳴き続けるマジロの声をBGMにして、吸血鬼はザワザワと再生しようとした。ロナルドは床でうごめく塵に手を突っ込んでかき混ぜて、何度か復活を妨げて留飲を下げてから、それからやっと事務所をあとにした。
     雨だろうが雪だろうが、ドラルクは自分が来たいときには来るのだ。毎日法則もクソもなく完全に気分で生きている吸血鬼に、ロナルドはときおり無性に腹が立つ。コンビとして一緒に来るだろうとまったく疑っていない場面で、私いかないよ~、などと軽いノリで突き放されると、それはもうひと際に。
     たしかに、秋雨前線の停滞で流れ水が地面をおおうほど雨足の強い日が続いていて、吸血鬼の外出には不向きな状況にあるとロナルドもわかっていた。でも、だったらわざわざ俺にくっついて、のこのこ事務所の玄関まで出てくるんじゃねーよ、というのがロナルドの言い分だ。
     なんで俺に勘違いさせるんだよ。死ね。
     ロナルドはぷんすかしながらギルドへ顔を出した。雨続きで事件らしい事件もなく、依頼もぱったり途絶えているさなかの退治人たちは、いつもよりゆるい雰囲気で新横浜ハイボールに溜まっていた。とりあえず、交代でパトロールに出るくらいしかやることがない。
    「ようロナルド。今夜はドラルク一緒じゃないのか?」
     緑色の中身が半分ほどに減ったグラスを掲げて、ショットが声をかけてくる。隣のテーブルで、サテツが挨拶代わりに特徴のある片手をふった。
    「あのバカ、雨でだるいからうちでゲームしてたいんだと」
     投げやりな口調でロナルドが答えると、そっか、まあそうかもな、とショットはうなずき、続いてサテツも、こう雨続きじゃなぁ、と同情を示すセリフを添えた。
     え、なんで? とロナルドは面食らった。なんで二人ともわかりやすくあいつの味方なの? なんでそんなにナチュラルにあいつに対して甘いわけ?
    「いやいやいや、雨だからって、べつに来ない理由にはならなくね?」
     ロナルドはやや慌てて二人にたずねた。ショットとサテツは、一瞬顔を見合わせてから、いや、なるだろ、と軽く返した。
    「ええー?」
     予想外の展開に、ロナルドはショックで声が裏返った。
    「だって吸血鬼は流水が苦手だし、ドラルクさんはあらゆる吸血鬼の弱点で簡単に即死するだろ?」
    「だよなあ。こんだけ足もと悪いなかだと、こければヘタすりゃジ・エンドじゃねえの? おまえが大事に抱っこして運んでくるってんなら話は別だけどな」
    「だ、だ、だだだ抱っこって?!」
    「引っかかるのそこかよ」
     ショットが呆れ顔をしながらグラスを傾ける。あーめんどくせー、とぼやく気心が知れているはずの友人を前に、ロナルドは一人だけ取り残されたような気持ちになる。
    「う、でも、あいつ雨の日でも普通にここ来てたりするし。クソほど死にやすいだけに死にそうな状況とか全然いつも気にしてないし」
     ぼそぼそとロナルドが言いつのると、そこは気分だろ、気分だろうなあ、と二人が口々に言う。
    「理由が気分って許されるのか?」
    「それを俺らに聞かれてもな」
    「そうそう。そんなのロナルドの受け止め方しだいだろ」
     困惑のうちの問いかけを受け流され、ロナルドは感情面で立ち往生した。
    「ロナルドさん、注文は?」
    「あ、オレンジジュースで」
     厨房から出てきたコユキにオーダーを聞かれ、ロナルドは反射的に甘い飲み物を注文した。忙しなく稼働する脳が糖分を求めたのかもしれない。どうやらマスターは留守にしているらしいが、ここにドラルクがいたら、絶対にいまのタイミングで、ホットミルク、ロナルド君のつけで、とオーダーしたに違いない。
     数分後にカウンターに置かれたオレンジジュースには、なぜかうねうね動く謎の異界生物がトッピングされていて、地味にロナルドのSAN値を減少させた。
    「なあ、ロナルド、おまえ……ドラルクと昨日今日コンビ組んだわけじゃないってのに、なんでいつまでも威嚇モードなんだ? あいつを相手におまえが片意地張り続けなきゃならない理由ってなんなんだ?」
     テーブルに肘をついたショットが気だるげに問いかける。そんなショットにサテツが意外そうな面持ちを向ける。
    「あれ? ショット、今日はわりと突っ込むんだな」
    「まあな。ショットさんも気分によっては立ち位置を変えて突っついてみたくなる日もあるわけよ」
     フッと渋く笑うショットに対して、ははは、とサテツは笑って意味ありげにうなずいた。
    「ドラルクさんが相手だと、ロナルドはいつもテンションが高過ぎるよなって俺も思う」
    「そりゃ悪ふざけされりゃ腹立つかもしれねーけど、正直言うと、俺らから見ておまえの反応って過剰に見えるぞ」
    「わかる。意識しすぎなんだよな」
    「なんつーの? 腕力のウルトラ強いツンデレ女子ムーブみたいな?」
     二人から同時に生あたたかい目を向けられ、そんなことねーよ! とロナルドは叫んだ。
    「いや、あるだろ」
    「あるよな」
    「ないー! ないもん!」
    「腕をぶんぶんふり回すなって。そういう反応するから俺らも妙な印象うけんだよ。おおかた今日だって、ついてきてもらえなくってすねてんだろ」
    「あ、やっぱりそうなんだ」
    「ちーがーうー!」
     ロナルドは涙目になりながら必死に反論したが、数々の実例を挙げながら畳みかけてくる二人には勝てなかった。最初から、二対一の図式ができあがってしまった時点で分が悪すぎた。途中から声の大きさを聞きつけたメドキやター・チャンまで参戦し、なにがどうなったのやら判然としないうちに、ロナルドはドラルクへの当たりを弱めることを約束させられてしまっていた。
     どうして俺がこんな理不尽な目にあわなきゃならないんだ。これも全部クソ砂のせいだ。
     長い付き合いなので、皆が口で言うほど自分を非難しているわけではないとロナルドは理解していた。ようするに暇だったのだ。他人の人間関係(片方は人外)を肴にして、無邪気に盛り上がっただけの話なのだ。ただし、火のないところに煙は立たぬ──とことわざにあるように、同業の友人たちが、ロナルドのドラルクに対する態度を不自然だと認識しているのは本当のことだった。
     みんなだってあいつと暮らしてみれば、俺の反応が理解できるはずだ。
     ロナルドは唇を噛んだ。しかし、具体的にだれかが自分に代わってドラルクと暮らす場面を思い描くと、どうにも気分が悪かった。根拠を問われれば困るのだが、とにかくそれは違うと感じるから絶対にやめてほしかった。


     ただいま~と帰ってきたロナルドを迎えた生活空間は、かすかに酢の匂いがした。ロナルドが上がり框で鼻をひくつかせていると、ふだんよりやや声量を下げてお帰りを言った吸血鬼が寄ってきて、ジョン寝てるよ、と教えてくれた。ロナルドは退治人の衣装を脱ぎつつ、急いでバスケットのなかを確認した。丸い器でふわふわの寝具に埋まって眠る丸い生き物は最高にかわいくて、ロナルドは頬がゆるみ過ぎて顔のパーツが落ちそうになる。耳を澄ますと聞こえるかすかな寝息の音。見つめているとたまにピクリと動く小さな耳や鼻や口元。
    「は~かわいい」
     思わず感想が声になってこぼれ落ちる。
    「ンッフッフッフ、かわいかろ~」
     邪悪な笑い声を響かせながらふんぞり返るドラルクに、うっかり手刀で応じそうになってロナルドはこらえた。ギルドで交わしたやり取りを思い出す。通常ならば殺っている場面だが、三回目くらいまでは耐えてみようとひそかに決意する。ロナルドはプライベートで嘘をつくのがとても下手なので、実際になんらかの努力をしないと、努力しましたと伝えることができないからだ。
    「早く手を洗ってうがいしてこい」
    「わーってるよ」
    「夜食あるけど?」
    「ん。もうちょっとあとで食う」
    「そっか。オッケー」
     洗面所からロナルドが戻ると、吸血鬼はソファベッドに腰かけてスマホのチェックをはじめていた。いつもながらのことで感心するのだが、目の動きと手の動きがものすごく速い。部屋着に着替えたロナルドは、ドラルクとのあいだに一人分ほどのスペースを開けて隣に座った。すると吸血鬼はすぐに手を止めて、横に座った同居人へ言葉をかけてくる。
    「どうだった? 暇だった?」
     認めるのはしゃくだったが、ロナルドは口をへの字に結んでうなずいた。ドラルクが目を細めて口の両端を吊り上げるのが視界に入る。イラッとしたが、まだ二回目だなと思って耐える。
    「おまえの方はずっとゲーム三昧か?」
    「いーや、稲荷寿司つくってた」
    「は? 寿司?」
    「ジョンが頑張って酢飯をあおいでくれたんだぞ」
    「なんだそれかわいい。見たかった」
    「油揚げのストックを使い切ってしまったから、明日買ってきておいてくれ」
    「ちゃんと書いとけよ」
    「もちろんだとも。君が口頭で伝えただけでおぼえていられるほど優秀だとは信じられないからな」
     しゃべり終えると同時に、痩せぎすの吸血鬼は体の前に両手をかざして、座面をわずかにあとずさりした。
    「あれ?」
     ドラルクの口から間の抜けた声がもれる。
    「どうした若造? いまのタイミングでなんで殺さないんだ?」
    「殺されてーのか?」
    「いや、そういうわけではないが」
     うろうろと視線をさまよわせながら、ドラルクが歯切れ悪く返事をする。
     ふうん、そんな顔すんのか。
     来るべきところになにも来なかったらしいドラルクの反応を、ロナルドは興味深く感じて記憶にとどめた。
    「若造、もしかしてどこか具合が悪いのか?」
    「いんや、心身ともに健康」
    「む」
     考え込む顔つきになった相手に、ロナルドはにやけそうになる。平素はドラルクのせいで一方的にペースを乱されている自分が、逆に少しばかりドラルクを翻弄する側に立っている。楽しい。これはこれでけっこう楽しい。
     しかし、一人でおもしろがってはみたものの、しょせんロナルドは隠し事ができない男なのだった。黙っていられたのはほんの短い時間でしかなく、結局は今夜のギルドでの会話の成り行きについて洗いざらいドラルクに話してしまった。
    「それでさ、俺のおまえに対する態度って、過剰反応とか不自然だとか思うか?」
     話の締めくくりにそうたずねると、ドラルクは、直球だなぁ、と言って片手で顔をおおって苦笑した。
    「みんなも君が私に馬鹿正直に聞くとは予想してないと思うぞ。これって真面目に答えていいものなのかな」
    「あ? 不真面目に答えるつもりか? 殺すぞ」
    「いや、そこで殺しちゃダメだろ。自ら放送事故を起こしていくスタイルの討論番組か? ゴリラの吸血鬼叩きか?」
     あーくそ、これで三度目か、とロナルドはカウントし、気を静めつつ手をわきわきさせた。
    「うっせーな。言ってみただけだし」
     ロナルドがぷっと頬をふくらませると、伸びてきたドラルクの指先がぷすっとそれを押しつぶした。
    「なにすんだてめえ」
     とっさにつかまえて握りしめたドラルクの指が、ロナルドの手の内でさらさらと崩れる。しまったと思うがもう遅い。でも三回までこらえたんだから俺の勝ちだとロナルドは判断する。なにと戦ってるのかは自分でも知らないけれど。
    「はは。相変わらずすっごい握力。ちょっと、手、開いて。私の指返して」
     ロナルドは大人しく手を開いた。こまかな塵の感触が、すべるように抜け出ていく。欠けた部分を回収して完全によみがえった吸血鬼は、いわくありげな笑みを浮かべて、優雅に両手の指を組んだ。その佇まいを警戒してロナルドがぐっとにらむと、ドラルクはなにがおかしいのか、牙を見せて朗らかに笑った。
     一個ずつ確認しようか、とドラルクは言った。
    「ロナルド君は、私にするみたいに他の人に暴力をふるったりしないよね?」
     やけに丁寧な口調でたずねられて、当たり前だろ、とロナルドは即答した。
    「私も、ロナルド君にするみたいに他の人にいたずらしたり煽ったりはしてないよね?」
     ロナルドは、提示された質問について心のうちで検討した。たぶん……そうだと思う。俺が知ってる限りでは、おそらくそうなんじゃないだろうか。背中にスライム入れたり、タバスコ危機一髪料理を食わせたり、水分補給のたびに笑わせてきたり、推理小説の犯人を最悪のタイミングでばらしたり。なるほど。そういうくだらないことで他の奴が標的にされているのは見たことがない。
    「ところでさ、ロナルド君ってやっぱりまだ童貞なの?」
     明るく言い放たれたセリフが脳に達した瞬間、ロナルドは肘鉄を食らわせてドラルクを殺した。これが西部劇だったら、抜く手も見せずの早撃ちのシーンになるところだった。現状もちろんそんな物騒なことにはなっていないが、ロナルドの得物はシルバー仕上げのリボルバーなので、実際にニアリーイコールな状況を演じることも可能ではある。
    「ふ、ふ、ふっざけんなよ! いまそんな話してたか? いきなり下世話な勘繰りはじめやがってコノヤロー!!」
    「はははは、さっすが、煽り耐性いくつになってもゼロルド君」
     ナスナスとよみがえりながら懲りずにのたまう吸血鬼に、百回殺す! とロナルドは怒鳴った。ドラルクは奇妙な落ち着きぶりで、我が意を得たりとばかりに浅く首をふりながら言った。ようするにこういうことさ、と。
    「ひとのことをつかまえて童貞呼ばわりするのって、立派な暴言で暴力だよ。性経験の有無で価値が左右されるのは血の味くらいのものさ。私は君以外の人にこういうことは言わないし、言いたい衝動も感じないね」
     淡々とドラルクは言葉をつむいだ。
    「なのに俺には言うのかよ?」
    「うん。言う」
     真正面から肯定されて、ロナルドは戸惑った。
    「君が私にだけ暴力的であるように、私も君に対して暴力的なんだよ。わかったかね? ロナルド君」
    「え……それって、ようするに、あの、なんだ」
     しどろもどろになりながらロナルドは頭を働かせようとした。
    「まあ、それでも、殺すのを控えてくれるって言うなら一応歓迎する。みんなの気持ちもありがたいね。さすが世界に愛されるドラドラちゃんってとこかな。私の人望──ん? いや、鬼望? を畏怖してくれていいのだよ。でも、あんまり青二才に我慢されるとこっちも調子狂うから、そこら辺は適度にストレスを溜めないように考えてやってくれ」
     ペラペラとしゃべる吸血鬼の声に、ロナルドは頭のねじがぐらつくような感覚をおぼえた。つまり、だから、なにがあれで俺は結局どうすりゃいいんだ?
    「うあー混乱してきた」
     ロナルドがこんがらがった思考状況を声に出して訴えると、ドラルクは見ようによっては慈悲深く受け取れるような眼差しを返した。
    「じゃあ、そのままでいいんじゃないかな」
    「このままで?」
    「そう、このままで」
    「不自然って言われてるのに?」
    「そこはまあ、不自然なのが自然でしたって言っとけば?」
     うーん、とロナルドは頭を天井へ向けてうなった。真面目かよ、と吸血鬼が合の手を入れる。言葉に続いて、眉間の辺りに白手袋の指先の感触が押しつけられる。
    「少なくとも、ここにしわ寄せるような話じゃないだろ」
    「うっさい。俺の勝手だわ」
     あーはいはい、と面倒くさそうな声とともに指の感触が離れていく。ロナルドは白い指を目で追った。こちらを眺める視線と目が合った。隣に腰かけている存在の気配がふいに濃くなった。君ほんとーに顔がいいなあ、とドラルクがつぶやく声が耳に届いた。
    「まったく不思議でならんよ。不摂生ゴリラ時代ならいざ知らず、私の登場から現在にかけてこんなに美味しそうに実らせているというのに、どうして収穫するレディが現れないのか」
    「ひとをリンゴかなにかみたいに言うな」
     はーやれやれ、とばかりにため息をつく同居相手に、ロナルドは首をめぐらせて低く言い返した。
    「サクランボじゃなくてリンゴなの? ロナルド君は?」
    「どっちでもねーよ、人間だわ」
     青筋を立てる勢いでロナルドが断言すると、うん、そーだね、と明るい声でドラルクは応じた。
    「それでさ、正味のところ、まだ彼女らしきものさえいないのかね?」
    「見てりゃわかるだろ? いないっつーの」
    「ほしくないの?」
     あまりにも無邪気な調子で聞かれたので、ロナルドは自分でも驚くほど素直な言葉が口から出てきた。
    「ほしくないわけじゃないけど、正味のところ、俺はこのままで特に不足も感じてない」
     え? とドラルクが小さく声を上げた。
    「あんなにモテないことを嘆いて、今年の夏もなにもなかったとかみっともなく愚痴ってたのに……いや、最近はそうでもなかったか」
    「んー、なんかわりとこだわらなくなってきたかな」
     そうなのだ。ドラルクにその手のネタで煽られれば切れもするが、正直なところ、自分が切実に恋人を欲しがっているかといったらそうでもない事実に、ロナルドは気づいてしまっている。そういうポーズを取っている方が楽だから、表立っては訂正していないだけで。
    「あきらめるなよロナ造」
     ドラルクが静かに言った。
    「いや、あきらめてるとかそういうのとは違う感触っていうか」
    「いつまでも木に実ったままでいいのか?」
     真顔で問われると、自分が本当にリンゴかなにかのように錯覚しそうになって、ロナルドは浮かんだイメージに抗うように頭をふった。こういうことを考えていると、吸血鬼リンゴ大好きとかが現れてしまいかねない。なぜならここはなんでもありの新横浜なのだから。
    「本人がいいっつってんだろ。なんでおまえがそういうの気にするんだ?」
    「気にするさ。だって私はロナルドくん好きだからね」
    「へー、おまえが俺を……待て、なんだって?」
     完全に予想外の角度からもたらされた情報に、ロナルドは息をするのを忘れた。
     好き? だれがだれを? 私ってクソ砂? ロナルドくんって俺? 俺ってだれ?
     ピヨピヨと視界のなかで星が巡っている。すべての音が遠ざかって、頭がゆらゆらとゆれる。嘘だろ、え、なんで? いまの現実? もっかい言って?
    「あーあ。流れでつい言っちゃったけど、べつに、だからどうしろって話でもないから。君は君のままでいればいいさ。そんな顔をさせるつもりはなかったよ」
    「ピ、パピ?」
     なにを言われているのか意味がわからなかった。そんな顔ってどんな顔だ。
    「うーん、ロナルド君がモテないのって、いまだに高校時代のジャージを着てるからかもしれない」
     ドラルクは体を斜にして言語回路がショートしたロナルドを眺めながら、訳知り顔でそんなことを言い出した。
    「トニー・〇オンだって、上下ジャージだとオーラが消えて普通のおじさんに見えるらしいぞ」
     なんの話だ。
    「私もさあ、高校のジャージがこれほどまでに丈夫だとは知らなかったんだよね。ほら、古の血の高等吸血鬼とジャージって接点ないからさ。十年近く余裕で持つとかびっくりするだろ。学用品の縫製はさすがにレベルが高いね」
     だからなんの話だ。
    「稲荷寿司食べる?」
     ロナルドは大きく首を横にふった。降ってわいた事態のせいで、食欲がどこかに旅立ってしまっている。
    「明日の朝ごはんに食べる?」
     なんとか声を取り戻したロナルドは、食べる、と小さく返事をした。
    「一個ずつラップで包んでフリーザーバッグに入れて冷凍庫に保存してあるから、好きなだけレンジで解凍して食べろよ。あんまり温め過ぎると酢飯の酸味が飛んでしまうから気をつけて──いや、君は自力で気をつけられないな。その辺の加減は私がメモを貼っておくから、ちゃんと書かれたことを守るんだぞ」
     キビキビと指示してくるドラルクに、ロナルドは奇妙に寄る辺ない気持ちになる。ジャージも寿司もどうでもいい。そうじゃなくて、さっきおまえが言ったことについて俺は頭を整理してから話をしたくて……。
    「稲荷寿司って冷凍できるんだな」
     自分の声がそう話すのをロナルドは聞いた。バカかと思った。いまそれを言う必要があるか?
    「できるよ。便利だろ?」
     一瞬でなにかが削ぎ落とされてしまったような──空虚な印象を与える表情でドラルクが言った。
    「俺は上下ジャージじゃなくて上だけジャージを羽織ってるだけだからな」
     それこそ本気でどうでもいい指摘だった。どうして俺はこんなことをしゃべっているのだろう。
    「だから割り引けって? 言うことがせこいな君は」
     まずい。このままだとまずい。
     脳裏で警鐘が激しく鳴り響く。焦燥で指先が冷たくなる。なにか大きな齟齬が生まれる気配がする。止められるのはいましかないかもしれない。
     けれども、結局のところ、その夜のロナルドは流れに逆らって話を引き戻すことができなかった。決定的な事実を告げたドラルクに対して、意味のある言葉を一つも伝えることができなかった。
     翌朝に指示書きどおり解凍して食べた稲荷寿司はとてもおいしかった。きれいに油揚げで包まれた酢飯にレンコンとニンジンとゴマが入っていて、歯応えも甘さと酸っぱさの塩梅も最高だった。


     そしてめっきり冷え込んできた十一月の後半である。時候のあいさつが晩秋の候からそろそろ初冬の候に変わる頃である。
     ロナルドはドラルクの「好き」を頭の片隅に転がしたまま、うじうじと思い悩む日々を続けていた。ドラルクが言及してほしくないのなら、そうすべきなのかもしれないと考え、しかしその一方で、だったら俺の気持ちの方はどうなるよ? と壁を叩きたい衝動に駆られる。その狭間でずっと反復横跳び状態だ。しかも困ったことに、その「俺の気持ち」がなんなのかが、いまだにはっきりとはわからない。つまり、ロナルドはドラルクの「好き」でぐらぐらに揺さぶられてしまったが、自分がドラルクを好きなのかどうかについては定かでないのだった。
     ロナルドは家族や友人以外を対象にした意味で、だれかを好きになったことがない。ふわっとした感覚で女性にときめいたことはそれなりにある。だが、それは匿名性にまぎれた感情だ。知悉している個人に対して個人として好きを告げるのとは、たぶんかなり方向が違う。
     ロナルドは、ドラルクが絶賛してすすめてきた推理小説を読み始めたら、途中で「こいつ犯人」という付箋が貼ってあった──という経験を過去に何度もしている。そのたびにひと悶着あったのだが、思わぬ収穫も同時にあった。それは、本当におもしろい推理小説は、犯人がわかった状態で読んでもおもしろいということだ。
     ドラルクの「好き」はミステリにおける種明かしのようなもので、ロナルドはその点を踏まえて過去の記憶をたどっては、新しい意味を発見して一人で身悶えた。いつからドラルクがロナルドのことを好きだったのかはわからないため、ひょっとすると勘違いしている部分もあるかもしれない。その辺についてもできれば本人に確認したかったが、できなかった。
     この二ヶ月近くは、水面下で試練を受けているかのような毎日だった。そのせいで、ロナルドはドラルクからの言葉にめっきり用心深くなっていた。結果として、明らかに殺す回数が減ったため、ギルドの皆には感心された。めちゃくちゃ殊勝じゃねーかどうしちゃったよ? とショットに探りを入れられ、色々あんだよ、とため息まじりにロナルドは応じた。ショットは、人生色々だ! と親指を立ててキメ顔をつくり、それ以上は踏み込んでこなかった。新横の闇を祓う退治人は、本気でめんどうな案件には回避能力が働くらしい。ロナルドは少し残念だった。


     台所にいるドラルクが、お父様から初雪だって連絡来てる、と声を上げるのが聞こえた。夕飯の支度の合間に着信をチェックしていたらしい。ソファベッドでジョンを腹にのせて戯れていたロナルドは、声に反応して体を起こした。同様に、ジョンも起き直ってロナルドの頭に這いのぼり、小さな頭を主人のいる方角へ向ける。特に呼ばれたわけではなかったが、なんだか寄っていきたい気分になって、ロナルドはジョンを頭にのせたままダイニングテーブルへ移動した。
    「親父さんの城って、わりと山際にあるんだっけか?」
     ロナルドが確認するようにたずねると、うん、そうだよ、とドラルクが答える。
    「あの辺になると北関東って言っても冬の早さは東北に近いからな。場合によっては除雪車も出るそうだし。まあ、お父様はチラチラ雪が舞っただけで、いつも大げさに報告してくるんだが」
     キッチンカウンターにスマホを伏せて、冷蔵庫から味噌を取り出しながらドラルクが言う。そろそろ出来上がるのだろう。いい匂いが濃くただよっていて腹が鳴りそうだ。
    「なあ、今日の夕飯なに?」
    「牛ゴボウご飯、ザーサイと豚肉と大根の炒め煮、胡瓜とササミの梅和え、豆腐と油揚げとエノキの味噌汁」
     落ち着いた声で吸血鬼はすらすらと献立を述べる。その合間にも青白い手は動いている。
    「うまそう」
    「当たり前だろ。この私が作ってるんだ。畏怖しながら食べるがいい」
    「いや、畏怖はない」
     ロナルドが即座に言い切ると、ドラルクは口をとがらせる。それから、吸血鬼は冷蔵庫に味噌をしまうために背を向けた。
    「なあ、デザートはあるのか?」
     バタンと冷蔵庫の扉を閉めたドラルクがふり返って、ある、と返事をする。
    「リンゴのファーブルトンを出してやる」
    「ふぁ、ふぁーぶる……とん?」
     聞きなれない響きにロナルドが首をひねると、中身のフルーツは違うが、何度か食わせたことあるぞ、とドラルクが言う。
    「プリン味の生地に果物が入っている焼き菓子だ。今夜はあたたかいうちに出すが、冷たくして食べる方が一般的だな」
    「わっかんねえ」
    「ヌンヌヌンヌヌヌヌヌヌ」
     降参するロナルドの声にかぶせるように、アルマジロのジョンが「ちゃんとおぼえている」と主張する。
    「うむ。さすがジョンはゴリラ頭とは違う」
    「ヌー」
     自負心に満ちた一声がロナルドの頭の上から響く。
    「中身が違ったら違う食いもんだろ……」
     ロナルドがそうつぶやくと、ドラルクは小馬鹿にしたように鼻で笑った。だいぶムカついたが、調理中のドラルクには手が出しにくい。そうこうするうちに炊飯器が高い音で炊き上がりを知らせ、ドラルクは機敏な動作で配膳の用意をはじめる。ジョンがロナルドの頭から降りて、テーブルの天板を横切ってキッチンカウンターに近づく。ドラルクがジョンに洗って絞った布巾を渡す。アルマジロの小さな前足が器用に動き、こぢんまりした四角いテーブルの上を拭いていく。
     ジョンの甲斐甲斐しい仕事ぶりに目を細めながらドラルクが口を開く。
    「今日からしばらくはデザートもおやつも生クリームとバターを使わないお菓子にするよ。ジョンの体重がね、ちょっと気になる域に入ってきたから」
     若造は勝手におやつあげるんじゃないぞ、と藪から棒に釘を刺されて、数日前に一人と一玉で秘密のアイスクリームパーティーをしてしまったロナルドの視線は泳いだ。ジョンも心なしか遠い目をしている。それは、使い魔の主人がオータム書店の編集長と秋葉原へ出かけているあいだに行われたパーティーだった。アルマジロと人間は、言葉には出さずにアイコンタクトで内緒の旨を素早く確認し合う。
     あっという間に夕飯はすべて腹におさまってしまい、予告されていたリンゴのファーブルトンが、ドラルクの手によってロナルドとジョンの目の前に置かれる。ふわりと立ちのぼるバニラの香りとキャラメルの香り。こんがりと焼き色のついた生地の上には、雪のように白い粉砂糖がふりかけられている。ロナルドは、つかんだフォークで焼き菓子を切り分けてガツガツと食べはじめた。
    「おいガッツくな。もっと味わって食え」
     向かい側に腰かけたドラルクの苦言に対して、口が忙しいので、うるせーという念だけを送ってロナルドは与えられたデザートを堪能した。バリバリむしゃむしゃ平らげて、ドラルクが淹れたいい匂いのする茶色いお茶を飲んで、ロナルドはふうと満足のため息をついた。
    「おまえの実家の方って、やっぱりもう雪が降ってんのか?」
     食べることへの集中を解いたロナルドは、頭に浮かんだ質問を言葉にしてみる。トランシルヴァニア? とドラルクが確認するように聞き返す。ロナルドがうなずくと、ふむ、とドラルクは思案顔になる。
    「おそらくすでに降ってるだろうねぇ。あの辺は……年によっては八月でも雪が降ったりするから」
    「八月?」
     ロナルドが驚くと、そういう年もあるって話、とドラルクが補足した。
    「景観としてはドイツアルプスに近いよ。山の頂はつねに白い。でも、富士山だってそうだろ?」
     ヌヌヌンとジョンが言って笑う。ドラルクとジョンは富士山を見に行ったことがあるのだろうかとロナルドは考える。ずっと引きこもっていたと聞いているけれど、そのくらいの遠出はしていたのかもしれない。なにしろ、ロナルドが生まれるずっと前から、吸血鬼とその使い魔は日本で暮らしてきたのだから。
    「なつかしき我が故郷トランシルヴァニアよ……流れる川という川は岸辺で飛沫から氷の花が生まれ、木の樹皮は霜にびっしりとおおわれて白くなり、霧に沈んだ谷が凍り付いて月光にキラキラと輝く」
     北国かよ、とロナルドがつぶやくと、北国だねえ、とドラルクが口の両端を三日月型に吊り上げる。ジョンがニュンニュンと相槌のように鳴く。ドラルクが手を伸ばして、粉砂糖で白く汚れた使い魔の口を拭く。指先がついでとばかりにマジロの小さな頭をスリスリとなでる。
    「ヌヌヌヌヌヌ、ヌイヌヌ」
     ドラルクさま、大好き。
     頬を主人の指にすり寄せながらジョンが言った。私も大好き、とドラルクがやさしく答えた。そんな一人と一玉の麗しい愛情のやり取りを前にして、ロナルドは──自分でもびっくりするほどものすごい疎外感を抱いた。心のどこかでぷつりとなにかが切れるかすかな音がした。たぶん、積み上げられた屈託で逡巡の糸が切れた音だ。
    「俺はおまえが好きなのかどうかわかんねえ!」
     テーブルの縁を両手でつかんで、吠えるようにロナルドは言った。ドラルクが言葉もなく目を見開き、ジョンは力なくヌエェと鳴いた。
    「でも、わかんねーけど、俺がおまえを好きにならないって前提でおまえが言い逃げしてなにもなかった顔してんのがめちゃくちゃ腹立つ!」
     そうだ、言い逃げだ、とロナルドは自分の言葉に同意した。ピンポンダッシュみたいに好きを放り投げて反応を見ないで背を向けるなんて、ひどい言い逃げだ。
     ドラルクは珍しくなにも言い返してこず、人形のように静かにそこに座っていた。ロナルドは苛立った。らしくない。らしくねーぞバカ。一方的に言わせておいて黙ってるようなおまえじゃないだろ。
    「おい、うんとかすんとか言えよ」
     ややあって、ドラルクの唇が動いた。
    「すん」
    「いやそうじゃなくて!」
     発作的にロナルドが突っ込むと、ドラルクの目がギラリと光った。
    「わがままか?」
    「違うだろ。俺が欲しいのはそういう返しじゃねーって話だ」
     ロナルドは強い視線を向けながらドラルクへ語りかけた。
    「もうずっとな、おまえにあれを言われてからずーっと、俺はおまえがわかんないんだよ」
    「以前はわかっていたとでも?」
    「混ぜっ返すなよ。そういう話をしたいんじゃないんだ」
     ぴくりとドラルクの眉毛が動いた。
    「なにかね? 君は先日私がつい吐露してしまった心情について、いまさら難癖をつけたいってことかね?」
    「ちがうって」
    「あのとき……君は絶句してただただ迷惑そうにしていたじゃないか」
    「してない。びっくりして声が出なかったけど、迷惑とかそういうことは思ってなかった」
    「思いっきり話を避けたじゃないか」
    「避けたくて避けたんじゃない」
     ドラルクが無言でにらみつけてくる。その様子は、少しだけ畏怖すべき高等吸血鬼らしく見えないでもない。二ヶ月も黙殺していたくせに、とドラルクは吐き捨てるように言った。その口ぶりから、あれから経過した時間をドラルクが意識していることをロナルドは知った。すべて忘れたような顔をしていたくせに!
    「私は天才だから、片思いでもじゅうぶんに楽しんで不足なく過ごせるんだ。君の気持ちなんてべつに必要ない」
    「本気かよ?」
     言われたセリフに少なからず衝撃を受けつつロナルドは問い返した。
    「本当に俺の気持ちはどうでもいいのか?」
    「だって私のこと好きじゃないんだろ!」
     ついにドラルクが叫んだ。緊張と不安がにじんだ──聞いたことのない響きの声だった。その瞬間にロナルドは理解した。俺ばっかりが動揺させられて不公平だと思っていたのは間違いだ。こいつはただ隠すのがうまいだけなんだ。本当はずっと俺の言動を気にしてたんだ。なんだよ上辺ばっかり取り繕って。そんな年の功なんて捨てちまえアホ。
    「全然違うだろ。好きかどうかわかんねーって言ってんだよ」
    「同じだろーが! バーカ、バーカ、頭の回転遅すぎゴリラ!」
    「うっせーぞ無駄に年ばっか食ってんじゃねーよクソザコ砂野郎! 好きかどうかはわかんねーけど、こっちはおまえに対してでかい気持ちがあんだよ!」
     はあ? とドラルクが間の抜けた声をもらした。
    「それがなんなのか一緒に考えてほしかったんだ」
    「んなこと一人で考えろ。あまえん坊かスカタンルド」
    「だっておまえは軽々しく俺のこと好きとか言ったんだから、最後まで責任持って言葉の影響の行方を見届けるべきだろ?」
     なにそれ、とドラルクが小声で言った。
    「おまえが付き合ってくんないと検証できない。俺にとってのおまえがなんなのか」
     なにそれ、とドラルクが繰り返して視線をテーブルに落とした。興奮して言葉をぶつけ合ううちに、いつの間にか二人とも椅子から立ち上がって身を乗り出していた。おかげで互いの顔の距離が近い。
    「ヌヌヌヌヌヌ、ヌヌヌヌヌヌヌ?」
     うつむいたドラルクに、後足で立ち上がったジョンが語り掛ける。落ち着いた愛らしい声が提案した内容に、ロナルドは意表を突かれて目を丸くした。
     ドラルクさま、キスしてみれば?
    「なに言ってるのジョン? そんなことするわけにはいかないよ」
     あからさまに狼狽えてドラルクがジョンに言葉を返す。ジョンは小さな体でどっしりかまえて、マジロ語でゆったりと先を続ける。
     そうすればロナルドくんも、自分の気持ちがわかるとジョンは思う。
     アルマジロのジョンは、つぶらな瞳をロナルドへ向けた。罵り合う二人の狭間で、ずっとやり取りを見守っていた小さなガーディアン。いつだって世界で一番ドラルクを優先して愛をそそいでいる賢い使い魔。その口から出た意見は、きっと特別な価値がある。もう言葉はあまり役に立たない局面に来たと、最後は体を使って勘に頼れと、もしかしたらジョンは言いたいのかもしれない。
    「──そっか、そうかもな」
     思わずロナルドがつぶやくと、おい正気か若造! とドラルクが悲鳴じみた声を上げた。
    「おまえ下手するとこれがファーストキスだぞ? ろくな考えもなしに滅多なことを言うもんじゃない。もっと自分を大事にしろ」
     両手を胸の前で組んだドラルクが、切迫した口調で訴えてくる。だが、逆にそのセリフに押されてロナルドの意思は固まった。
    「口と口をくっつけるだけだろ。なにビビってんだ?」
     挑発するようにロナルドは言った。なにかを突き抜けてしまったように、心は定まっていて声も平静だった。
    「言わせておけば……貴様よくも私にそんなたわけたセリフを」
     ぷるぷると肩をふるわせる吸血鬼へ、できるのかできねえのかどっちだよ、とロナルドは畳みかけた。
    「できるに決まっとるだろーが!」
     血の気のない頬をめずらしく上気させて高等吸血鬼は言い返した。
    「じゃあやってみろよ」
     とたんに、ロナルドの襟首を骨ばった手が下からつかんだ。そのまま数歩テーブルの横へ出る相手に引きずられるように、ロナルドも足を運んで床の上を移動する。あたかも、轡をとられている馬のようなかっこうで。
     ロナルドはひとつ深呼吸をした。そして、視界のなかで鼻先が近づいてきたと思ったと同時に唇が重なった。ドラルクは目を開いたままで、ロナルドもまた、大きく目を開けたままだった。合わさった唇は、冷やりとした感触を残してすぐに離れた。
    「わかったか?」
     かすれた声で問いかけられて、わかんねえ、とロナルドは答えた。
    「だからもう一回してくれ」 
     バーカ、とドラルクは吐息のかかる距離でささやいた。それからすぐに、二度目のキスをした。これでもか? とドラルクが言った。うん、わからないからあともう一回、と熱に浮かされた口調でロナルドは言った。三度目のキスのとき、ロナルドは恐る恐る目を閉じた。ドラルクの舌が、ちろりとロナルドの口元をかすめた。
     そのあとは、もう回数が数えられなくなった。自分の腕が相手の背と腰にまわり、手のひらがなめらかなシャツの布地の上を情熱的に這っていくのを、ロナルドはどこか他人事のように感じて驚いていた。自分にこんなことができるとは知らなかったし、考えたことさえ一度もなかった。ドラルクはまだ一回も死んでいなかった。嘘みたいな本当のことを、ロナルドは自分の体でやってのけていた。


     ダイニングテーブルの隣で、まるで恋人同士のように、二人は抱き合って延々とキスを交わしていた。テーブルの上では、アルマジロのジョンが、その光景を眺めながら満足そうにあくびをしていた。使い魔の最愛の主人の誕生日まで、あと一週間と少しを残した夜の出来事だった。
    ゆえん Link Message Mute
    2022/09/25 11:54:39

    好きをめぐる夜の対話

    人気作品アーカイブ入り (2022/09/25)

    ソファ棺4で発行した合同誌『真夜中のダイアローグ』にのっけた小説のWEB再録です。好きを言い逃げしたドラルクに2ヶ月かけてロナルド君が追いついてつかまえる話。 #ロナドラ

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