エディブルフラワー
「君は名前からして私を殺しにかかってるよな」
なぜか嬉しそうに感想めいた指摘をする吸血鬼に、「ロナルド」ってそんな物騒な響きに聞こえんの? と尋ねれば、もうひとつの方、と短い答えが返る。
もうひとつ……っていうかそれ本名だな、俺の。
そうとも言う。
そうとも、じゃなくてそうなんだよ!
落ち着き払った返答にイラつかされ、ロナルドの声はつい大きくなる。
ったく変な言い方しやがって、おまえだって別の名前もってんじゃん。棺名がどうのって前にぐちゃぐちゃご高説垂れてただろ。
ぐちゃぐちゃは言っとらん。ゴリラの理解力が低くてそう聞こえてしまったとは悲しい限りだ。
殺すぞ。
もはや口癖みたいなものなので、殺すと言ってロナルドが本当にドラルクを殺すケースは十に三つくらいだ。
えーと、あれだろ、たしか「悪いドン」みたいなやつ。
言ったとたんに吸血鬼の痩身がぶるぶると震え出す。
この若造が……ぶっ殺したい気分になるぞ! 高貴な名前をあいだにラ行を入れて歌う童謡みたいに扱いおって!
それを切っ掛けに、互いの名前のあいだにラ行を入れて呼ぶ遊びがロナルド退治人事務所内でメンバー全員に流行った。きっちり仕上げて音をつくるとめちゃめちゃ笑えるフレーズになるため、まじめに最後まで呼ぶだけでも現場は大変なことになり、結果としてハチャメチャにおもしろかった。ロラナラルラドだのドレラレルレクだのデリメリキリンだの言って笑い転げているうちに季節は矢のように過ぎていった。
†
「ほら、君がずらっと並んでるぞ」
そんなからかいのセリフを、ドラルクは不意打ちでロナルドへ放って寄越すことがある。たいていの場合、連れ立って花屋の前や花壇の脇を通りかかったタイミングで。あたかも新しい発見を誇るかのような弾んだ声で。もう何年もそれが続いている。
ドラルクが指し示す対象は、クリスマスの時期に店先を飾る鉢植えたちの大きな赤い葉っぱだったり、クソ熱いさなかに満開になって重なり合っている赤いひらひらした花びらだったりする。ほかにも数えれば事例は多々あるのだが、とりわけロナルドの印象に残っているのはその二件だ。葉っぱでも花でも、とにかく平べったくて面積が大きくて思わず目を惹かれるくらい真っ赤で鮮やかな色をした品種は、ドラルクにかかると「ロナルド君みたい」になってしまうらしいのだ。おそらく、ロナルドをおちょくるタネをつねに探すのが習い性になっているからだろう。
名指しされる当人としては、回数が重なるほどに徐々に複雑な気分が育って枝を張りつつある。
赤くてひらひらしてデカけりゃ俺みたいって……ちょっと認識が雑じゃね?
黒くてひらひらした布地を見かけるたびにドラ公みたいとか言われたらおまえだって……いや、気にしないな。勝手に畏怖カウントして悦に入るなあいつなら。参考になんねえ。
ロナルドは自分が言われたらどう思うか考えましょう的なホームルームめいた提案を瞬時に脳裏から放逐してため息をつく。相手はドロドロに甘やかされた深窓育ちの吸血鬼なだけに自己肯定の鬼だ。体はとことん脆いがメンタルに関してはけっこう手強いから生半可な苦言では太刀打ちできない。
だがしかし、ドラルクの用いている理屈でいくと、退治人の衣装を脱いだロナルドはロナルドらしさが目減りしているという観測結果になりはしないだろうか。いや、退治人ネームとして登録している名前でもあるから、ロナルドらしいイコール赤い衣装でも間違いではない……ないよな、ギリで、と最近のロナルドは客観的な自分(おそらく作家の部分)を呼び出して無理に納得しようと試みている。ビークールと言い聞かせている。そうしないと、なんで街の景色のあちこちに俺を見つけるんだ、いったいどういうつもりなんだ、と正面から問い詰めてしまいかねない。
つーか君が並んでるってなんじゃそら。俺はひとりしかいねーだろーが。
†
「君みたいに真っ赤だな」
クソ熱いさなかに涼しいフロアで満開だった赤いひらひらした花は、去年の夏の記憶だ。ヴリンス・ペペの一階にある花屋で咲いていた。
「名前はマカルージュか……ふむ、名前負けしとらん色だ。ベゴニアの中でもまさに観賞用と評していい品種じゃないかね」
ドラルクはいつも通りアルマジロのジョンを相手に陽気にペラペラと喋っていた。退治と無関係の野暮用で赴いたセンター南駅からの帰りだった。日が落ちてもなかなか気温が下がらない熱帯夜が連続していた。涼をとるために駅ビルに入ったら出るのがそろって億劫になって、パトロール気分で店から店へと人型二人と丸型一匹で連れ立って歩いた。
ロナルドが子どもの頃からある花屋は、現在も店構えはたいして変わっていないが、夜のシフトには吸血鬼の姿をよく見かけるようになっていた。背丈が延びた分だけ見える景色は変わったはずだ。ただ、同じ場所で売られている花の名前をロナルドは今もほとんど知らない。その点について、ジャンルとして興味がないのがまるわかり、とドラルクは知った風な口をきく。
うるさいなとロナルドは反発を感じる。食べ物の名前を覚えなくてもおいしいのはわかるし、花の名前をおぼえなくてもきれいだと感じる心に違いはない。
「まさに観賞用? こうやって売ってる花に鑑賞用以外になんの用があるっつーんだてめーは」
なんだか必要以上に突っかかるような物言いをしてしまい、ロナルドはいくらかばつの悪い思いをする。もっと余裕のある喋りをしたいと頭では考えていても、いざドラルクを相手に口を開くと、どうしても変な勢いがついてしまうのだ。
「店で売られていない野の花も鑑賞の対象になるし、購入した花も見るだけでなく香りを嗅いだり食べたり実を取ったりできるんでーす」
厭味ったらしく語尾を伸ばす夜の生き物は、二百年以上の時を超えてここにいるとは信じがたいほどガキくさい。
「揚げ足とんなスナ」
「ただの事実じゃサル」
「カス」
「チンパン」
「クソザコ」
「ゴリルド」
互いに自然と繰り出される蔑称の応酬が平和すぎて、ちょっと笑えてきたのをロナルドは覚えている。ドラルクの頭にのっているジョンと目が合って、どうしてかたいそう優し気な表情を向けられたことも。
「私は特に問題ないが、人間はちゃんと食用として育てられた花でないと危険だから、もし食べるならそこのところよーく注意したまえよ。植物毒以外にも農薬だのアレルギーだのの問題があるし、道端の草花だったら犬やそのほか動物の排泄物にさらされている可能性もある。くれぐれも腹が減ったからってそこら辺の道草をむしって食うんじゃないぞロナゴリラ」
「おまえの中の俺のイメージどうなってんの? 食うわけねーだろどんなヤバいやつだよ」
ロナルドが目を剥いて抗議をすると、ドラルクはシラーっとした風情で視線をそらした。切ないことに丸い使い魔もそのしぐさを真似して小さな頭を同じ方角へ向けている。すげーかわいいけどそりゃないぜジョン。
「あと、今のおまえの言い分だとゴリラの風評被害になってっからな! 謝れよゴリラに」
んっふ、とドラルクは喉の奥で音を立てて、懇意にしているゴリラがいるから彼に謝りに行ってくるさ、といかにも適当なことをほざいた。
なんだよそれ、聞き捨てならねえな。どこのどいつだ。
「まあ、なにがどーにせよ、俺は花とか食ったことねーけどな」
「いや、食べているはずだ」
つぶやくように言ったとたんに真っ向から否定され、ロナルドはまじまじとドラルクの顔を見返した。人間の家で食卓を掌握している吸血鬼は、菜の花のおひたしとか桜の塩漬けとか菊の酢の物とか、とやけに生真面目な口調で料理の名前を挙げ始める。ロナルドは、たしかにそうか、と承知しつつ、菊の酢の物は食ったことねえ、と口を挟んだ。するとドラルクは、これはしたり、などと芝居がかった動きをする。
「では機会があったらなるはやで食べさせてやろう。ふはは、これで君のはじめてを私がまたひとつ奪ってしまうな」
「おい! 言い方ぁ!」
コンプラ違反だろーが、とロナルドが吠えると、ドラルクは黒いマントに包まれた棒切れみたいな体をゆすり、駅ビル一階のフロアを舞台にいかにも悪役じみた笑い声をあげた。壊滅的な音痴でリズムの欠片もつかまえられないくせに、音楽的な高笑いは達者にこなすのだ。そうして、ロナルドにどつかれ砂になれば、ズッキーニの花の天ぷらもいいな、などと形を失ったまましぶとく語る。
自分では食べない料理を手間暇かけてつくる相手と暮らしている不思議を、いつしか不思議とは思わなくなっていた。
†
「ジャケットよりコートって感じのする葉っぱだよね」
クリスマスの赤い葉っぱは、正月三日を過ぎても花屋に売れ残っていた。まだあるんだな、と思わずロナルドがつぶやくと、ここで年を越したロナルド君たちだ、私がぜんぶ引き取っちゃおうかな、などと流し目をくれながら貧弱な吸血鬼はこけた頬を傾けて笑った。冬の空気の中で見るその表情は、建物の屋根にぼんやりと消え残っている夕日みたいだった。ロナルドがドラルクと唯一ふたり一緒に見られる太陽の色。
こんなにたくさん部屋に入らねーだろ、とロナルドはドラルクの冗談を引き受けて言い返した。うむ、持って帰れるとしたらひとつだけだな、と冬仕様の貧弱吸血鬼はうなずいた。それだって実際に持って帰るとしたら俺が持たされるんだろ、と半分ひとりごとのように口に出せば、わかってるじゃないか、と偉そうに薄い胸を張り、ドラルクは隣に並ぶ退治人の赤い衣装の肩を指先でとんと突いた。
今はこれでじゅーぶん。
耳に届いた乾いた明るい声に、ロナルドはみぞおちの辺りがきゅっと引きつれるような感覚を覚えた。
†
「名前ってなに? バラと呼んでいる花を別の名前にしてみても美しい香りはそのまま」
バレンタインデーにも新横浜には慈悲なく浮かれポンチな吸血鬼が出て、よりによって吸血鬼ロミジュリ大好きと名乗るしょーもないやつだった。勝手に役を割り振ってストーリーに沿ったプレイを要求する変態を倒すのに一役買ったのは、一貫して原語のセリフで応戦したドラルクとマナー違反だった。お手柄でしたね、とはマスターの言だが、正直に言えばロナルドも同じ思いだった。なぜ小田島訳なのかとしつこくドラルクに絡まれた吸血鬼は、泣きながらお縄になってリベンジを誓いながら吸血鬼対策課へ引き渡されて去った。
決め台詞がいっぱい喋れて楽しかったねえジョン。
帰り道のドラルクは満足そうな様子でアルマジロのジョンと語らい、一人と一玉はずっといちゃいちゃしていた。ロナオ、ヌンエット、ヌンエットの乳母。それがロナルドたちが強要されたキャスティングだった。ポンチではあったが配役センスはわりといい線いってた、というのが同胞への恩情とも言うべきドラルクの評価だった。
ジョンを育てたのは私だからな、とドラルクは胸に手を当てて幾度も誇らしげに宣言し、ジョンはそのたびに嬉しそうに何度もうなずいた。
光り輝く我がヌンエット姫。
ヌヌヌ~。
微笑ましい主従のやり取りを見守りながら外野の心持ちで歩いていると、ロナオも合ってないようで合っていたな、とふいにドラルクから声がかかった。
「どこら辺が?」
「夜明けの訪れに抵抗する姿が締め切り前の君みたいだなって、ギャー」
即座に肘をぶつけて砂にしてやると、いつもどおりに使い魔が悲痛な声を上げて取りすがる。ドラルクはナスナスと速やかに起き上がりながら、それだけじゃないぞ、と懲りずに言葉を続けた。
「映画の影響で作られたヴェローナのバルコニーは高さが七メートルくらいあるし」
「七メートルか」
それくらいならいけるだろ、とロナルドが応じれば、君だったらそう言うよな、とドラルクは期待通りの回答をもらった顔をした。ロナルドはそれまで考えたこともなかったロミオの身体能力へ思いを馳せた。
「ロミオも名誉くノ一に挑戦できるんじゃね?」
「うーん、その解釈はおもしろいが、ロミジュリの舞台は十四世紀だから設定的に厳しいな」
「忍者の活躍っていつ頃からだっけ」
「十五世紀だろ」
そっか、と納得しながら、こいつの爺さんはいつの生まれなのかという疑問がロナルドの頭の片隅をちらりとかすめた。
「意外と早く帰れるし、今夜は粒チョコとローズマリーのパウンドケーキでも焼くとしよう」
「ヌヌンヌヌーヌ!」
「よくわかんねーけどうまそうだな」
「何度こしらえてもよくわかんねー男ここにありだな。ロナルド様のロはローズマリーのロかもしれないというのに」
「なんだそれ?」
「乳母のセリフ。ロミオ様のRはローズマリーのRだと乳母ははしゃいでジュリエットに言い、死んだ二人の墓に最後に飾られるのがローズマリーだ」
「え、なんか悲しい……」
「だって悲劇だもん」
「悲劇か。そっか、そうだった」
口をつぐんでロナルドは少しばかり項垂れた。ほんとに、君、そういうところだぞ、とドラルクは薄い肩をすくめて囁くように言った。
†
「私はドラルクがバラの精気を吸うところを見たことがある」
三月三日の桃の節句に、誕生祝いを兼ねてドラルクが作った豪勢な料理を平らげながら、ヒナイチはそう切り出した。
見せてくれと頼んだら見せてくれたのだ。
ゼリーでくっつけられた野菜とハムの料理に飾ってある生の花を指先でつまみ上げて、最近とみに昇進が噂されている副隊長は、過去を懐かしむような表情をつくった。そして、ねだったのは私の方なのだが、夢が打ち砕かれる眺めだった、と断言した。
「むかしの話だ。出会ってまだ間のない頃のな」
「ふーん」
「私もまだ吸血鬼に関して造詣が浅くて、無駄に美しい期待をしていた。あまりにも別の生き物だと思い過ぎていた。あいつの自分本位で自由すぎるふるまいは、人間が勝手に描く高等吸血鬼への幻想を容赦なく正す効果がある」
ヒナイチはふうっとため息を一つ吐いて、目の高さに掲げていた花を手放し、次の手まり寿司に狙いを定める。話に気を取られて手が止まっていたロナルドも、負けじと丸い寿司を確保する。きゅうりとイクラ、マグロと青ねぎ、スモークサーモンとレモン、ボイルしたエビと大葉、柚子胡椒とローストビーフ、梅酢とサバ、菜の花とそぼろ卵。当たり前のようにどれもうまい。
生活スペースへ通じるドアから吸い物のお代わりをもって出てきたドラルクが、君たち本当によく食べるなあ、といかにも嬉しそうな素振りをしながら椀を事務所のテーブルに並べる。
一瞬の沈黙。
そろそろケーキを出すぞと宣言する朗々たる声。
「ケーキ!」
「ケーキ!」
「ヌーヌ!」
人間ふたりとアルマジロ一匹は箸やフォークを握りしめて沸き立った。
「おうおう、いい歓声だ。たのもしいったらありゃしない。ヒナイチくんもジョンもおなかが宇宙につながっているんじゃないのかね」
「それはいいな! 無限に食べられる」
全力でうなずくクッキーモンスターの隣でジョンがヌンヌンと愛らしく同意する。言及されなかったロナルドは、俺は? とちょっと思ってしまった。いや、小さい体をした大食いにかけるタイプの言葉だから、図体のでかい俺は適用外なのはわかってる。ああ、わかっているとも。
寿司の口直しにバラの形に盛り付けられた紅白色の野菜っぽいものを口に入れる。すると、見慣れない外見から知っている味と香りがして、大根だこれ、とロナルドは声に出さずにつぶやく。ちまちまとよくこんなしゃらくさい形につくるものだ。浅漬けの歯ごたえを楽しみながら、改めて感心してしまう。
「じゃーん!」
自ら景気のいい効果音を言っていくスタイルの吸血鬼が、大きな丸い白い皿にケーキをのせて、そろりそろりとやってくる。とっさに運ぶのを代わってやろうかと腰を浮かすが、給仕を務めている際のドラルクは意外とタフなので、ゴリラの手は貸されずに終わる。
テーブルの中央に無事到着したのは華やかな菱形のケーキだった。ふだんは微妙な案件で訪れる客を迎えている事務所の空間は、健啖家たちの熱狂に包まれる。
「はい注目。それではヒナイチ君のバースデイとひな祭りをダブルで祝うエクセレントでブリリアントなこのショートケーキの説明を始めます。特に理解力の低いロナ造は耳の穴かっぽじってよーく聞くように」
「ひとこと多いんだよてめーは」
合いの手代わりに投ぜられた苦情を当然のように吸血鬼のシェフは黙殺する。
「ピスタチオペーストを混ぜて若草色に焼き上げたスポンジをスライスして三つの層にし、カットしたイチゴと桃色のフランボワーズクリームとミルクチョコとヘーゼルナッツペースト入のチョコ色クリームをそれぞれの層に挟み断面の美しさと食感のアクセントを意識した。御覧のとおり菱形に整えたケーキのトップにはロゼット絞りとイチゴをあしらってある。ドラルクさま天才? うん、ありがとう知ってた! では、今日の主役のヒナイチくんから順に切り分けてやろう」
ヒナイチとジョンとロナルドは、三者三葉でスマホをかまえてケーキ入刀を見守る。青白い手が順番に給仕したケーキ皿の一切れ目は高速で三つの腹へ収まって消えた。二切れ目も同様だった。三切れ目でいくらか余裕が出てきたヒナイチが、ロゼット絞りってバラのことか? と赤毛の触角を立ててドラルクへ尋ねる。
「ご名答。ローズの装飾をロゼットと呼ぶ」
「ワインのロゼと関係はあるのか?」
「は? ヒナイチくんがワインに言及……え、なんか怖い。この会話ちょっと大人すぎる」
なにを言っているんだドラルク、私はそろそろ三十路だぞ。
屈託のない態度で現実の追い打ちをかけるヒナイチを前に、ドラルクは一割ほど砂になっている。きっとドラルクの中でヒナイチは永遠に出会った頃の十九歳のイメージのままなのだろう。もしかしたら、それ以外の友人たちも。
「ロゼはバラやバラ色を意味するフランス語だ。バラが由来の単語は探せばけっこう多く見つかるぞ。ロザリオだってラテン語でバラの園を指すロサリウムがもとになっている」
やっと調子を取り戻したドラルクの蘊蓄に耳を傾けながら、あーこういうこと言ってるときのこいつってマジで古き血の吸血鬼って感じするわ、とロナルドはのんきな感想を抱いてケーキを頬張った。
†
「じゃあ行ってくるから、留守のあいだ私の城をよろしく頼むぞ」
エイプリルフールに今年はうちの馬鹿がなにをやらかすかとロナルドが警戒していたら、なんでもない日万歳で終わった。ドラルクの母ミラがたまの休みで城に降臨したという一報が舞い込み、主従はドラウスの求めで栃木へ小旅行に出かけたのだ。おかげでロナルドはまる二日間をひとりで過ごせる身分を手に入れた。
拍子抜けだと感じながら、依頼された原稿のファイルを開いては閉じ、メビヤツを磨いて話しかけ、冷蔵庫に用意されていた作り置きを張ってあるメモに従って温め直して食べた。メモの指示がこまかいので、ドラ公うるせーな、とロナルドは何度もひとりごとを言った。
翌日は休日だった。やることもやりたかったこともあるはずのに意欲がわかず、とりあえずメビヤツを撫でて心の平安を維持し、そういや最近の事務所の録画でなんかおもしろいのあるかな、と雑な思い付きで映写機になってもらった。メビヤツはロナルドのお願いはほとんどなんでも聞いてくれる。ちなみに、撮られた映像の大半は情報として半田へ提供されている危険な事実には目をつぶるのが鑑賞する際の心構えだ。
映し出された最も日付が新しい動画は、ガリガリの居候吸血鬼とまるくてかわいい使い魔が華麗にターンを決めながら踊っている光景だった。一人と一匹のあいだには、しっかりした素材の鮮やかな赤い布が、見る者の視線を誘導するようにひらりひらりと翻っていた。
その赤い布は、ドラルクの腕に抱かれたロナルドの退治人服の上着だった。
しばしのフリーズから我に返ると、動画からは草木も目覚める壊滅的な歌声が流れ始めていた。死ね下手くそ、とロナルドは脳裏で叫ぶように強く念じた。隣でメビヤツがおろおろしている気配を感じた。ロナルドは頭を抱えた。こんなに上機嫌な場面なのに、服だけ参加していて中身が無視されているなんてあんまりだった。あんまりだと思ってしまった。
ロナルドは帰ってきたドラルクに、おまえが変な呪文唱えながら踊ってる動画見たぞ、とぶっきらぼうに告げた。ドラルクは、へえ~と気のない声で応じてから、変な呪文ってなんじゃシューベルトに謝れ、とにわかにいきり立った。普段なら主人の発言すべてを全力で支持するジョン・O・ガーディアンは懸命にも沈黙を守っていた。
「音程がのたうって這いまわったあげく干からびて死んでるミミズなんだよ! おまえこそシューベルトに謝れやタコ!」
「うがー! 言わせておけば。そこへなおれチンパン、日本語で歌い直してくれるわ!」
「やめろ耳が腐る! あと言語が判別できないくらい下手だったから日本語かどうかもわかんなかったし!」
後日ロナルドはその場で沈黙を守り通したマジロから教えられた。歌われていた歌詞はドイツ語の「野ばら」ヌ。ゲーテの詩にシューベルトが曲をつけたヌ。ドラルクさまにアカペラは荷が重いヌ。忠実な使い魔の言葉選びのあまりの健気さにロナルドはうっかり涙ぐんだ。伴奏の有無で片付くレベルではないのは本人以外全員が了解していることなだけに。
ジョンは正しい音階でロナルドに少しだけ日本語の歌詞で歌ってくれた。
ヌヌヌヌヌヌヌ。ヌヌヌヌヌヌ(わらべは見たり。野中のばら)。
ヌヌヌヌヌヌヌ。ヌヌヌヌヌヌヌ(清らに咲ける。その色めでつ)。
ロナルドは美しい歌声に拍手を送り、やっぱりドラ公は作曲者に謝るべきだと改めて思った。
†
「え、おまえ、花? バラだ……マジで吸血鬼がバラ食ってる」
そして五月。ロナルドが家に帰ったらリビングでドラルクがバラの花びらを食べていた。
ヒナイチを幻滅させたという噂の姿と不意打ちで対峙させられて、ロナルドはたいそうびっくりした。なぜこんなに驚いているのかと自問するレベルの衝撃だった。どうやら、ドラルクは固形物を食べないという強固なイメージが自分の中に出来上がっていたらしい。
「なにこれどっから持ってきたの?」
「は~やれやれ、青二才らしい無礼な質問だ。畏怖民からの季節の貢ぎ物でね。召し上がっているところをアップしてくだされば光栄に存じます、だそうだ。殊勝な心掛けだな。そういうわけで、ファンサの一環として一輪食べて撮影してちょうど投稿が済んだところだ」
「ファンサっておまえ……」
ロナルドは二の句が継げなくなって黙り込んだ。贈り物を食べている動画をアップするのって、なんかちょっとセンシティブな香りがしませんか? どうですか? 俺の考えすぎですか?
動揺のあまり、だれとも知れぬ相手に向けて虚空に問いかけてしまう。
「なんだ険しい顔をしおって。君も食べるか?」
「はあ?」
まったくの予想外の方向から来た誘いにロナルドの声は盛大に裏返った。
「食べられるの? 俺もぉ?」
「問題ない。きっちり管理して育てられた食用バラだからな。ジョンさん食レポをお願いします」
三世紀をまたいだ確かな舌を持つアルマジロは、ヌーと一声鳴いて片方の前足を顎にあてた。
「こっちの深紅のバラは肉厚で食べ応えがあるヌ。ベリー系のフルーティーな香りで甘みと酸味のバランスがよく、えぐみはまったくないヌ。こっちのピンクがかった白いバラは南国フルーツのような香りにわずかにシトラス系の香りが混ざって爽やかなニュアンスを醸し出しているヌ。花びらはとても軽い触感でリンゴの皮を連想させる味がするヌ(以上マジロ語)」
「うおおおお、さすがジョンさんすげえええ。さすジョン!」
すばらしく流暢な解説を聞かされ、ロナルドは思わず前のめりになって喝采を送った。わかったようなわからないような文句が並んでいたが、うまい、とすごくうまい、くらいしか素材への表現力がないロナルドにとっては、いくら称えても足りない偉業だった。
「はあ。久方ぶりに歯を使ったから顎が疲れた」
「おまえは安定のクソザコぶりだな」
手のひらで肩を揉む仕草をするドラルクに、ロナルドは呆れ顔を向ける。
「食べつけないものを食べると疲れるのは人間も吸血鬼も大差ないと思うぞ」
「そんなもんか」
「そうそう、そんなもん」
軽い調子で混ぜっ返しながらドラルクは指先でバラの花びらをつまんでロナルドの口元へもっていく。
「君は無駄なハンサム顔だし造作が派手だからやっぱり似合うな」
「なにが?」
「バラが」
唇にふれた花弁に反射的に噛みついて舌で口内に送り込み、それから奥歯を使って咀嚼する。確かに食べ物という感じがする。ロナルドは首を斜めに倒した。ハンサムって今言われた気がしたけれど空耳だろうか。
「これ、あるていど噛んだら出すもんなの?」
「いや、私は特別に消化器官が繊細にできているからエキスだけもらうが、普通は飲みこむ」
「ふーん。けっこう野菜っぽい感じだな。わりといける」
「それは重畳」
「おまえが飲みこむとガム飲んじゃったみたいな都合悪い感じなのか?」
「君は子どもの頃に一回くらい飲んでそうだよな、ガム」
「あー、うん。兄貴に心配された」
「ほんっとーに期待を裏切らんな君は」
当たりくじを引いたような顔をしてドラルクは憎まれ口を叩く。おまえを嬉しがらせるツボが俺にはいまだにさっぱりわかんねぇ、とロナルドは考える。
「私の棺名をおぼえているかね?」
ドラルクとジョンの食べ残したバラを完食したロナルドへ、ドラルクがぽつりと質問した。一応、とロナルドは答えた。本当は、忘れたことは一度もなかった。けれども、一度聞いただけでしっかり覚えていると知られるのが決まり悪く思えて、うろ覚えのふりをした。
「ワルド……って、アラビア語でバラなんだよ」
ああ、そうか。そうなのかよ。
ロナルドは朝陽が差し込むように納得した。
†
翌日、思い立った日が吉日とばかりにロナルドは花屋で買ったバラを抱いて帰った。ドラルクは、五歳児のくせに、と事務所の玄関先で憤慨して、花束を受け取った姿勢のまましばらく無言で立ち尽くしていた。ややあって、若いバラだなあ、とドラルクはひっそりと感想らしきものを漏らした。
「バラに若いとか年寄りとかあるのかよ」
「物書きのくせにそんなことも知らんのか。私が生まれた頃はオールド・ローズしかなかったんだよ」
まったく、と不機嫌な声を出すエプロン姿の吸血鬼が次になにを語るのか、ロナルドは耳に意識を集中して、待った。
「いつも遠慮がちで気を回し過ぎて人間関係が受け身なくせに、いざという場面では決断を間違えず容赦なく踏み込む。私は君のそういう土壇場で勝負強いところが……」
そこで言葉がバラに埋もれて途切れてしまったので、ロナルドは続きを聞くために帽子を脱いで相手の頬に頬を寄せた。