秋の終わりの最後のリンゴ リンゴをすすめてくるのはなんかやばいやつのイメージがある、とロナルド君が言った。ほほう。私は出し抜けに放り投げられた意見に興をそそられ、ゆっくりと口角を上げた。それは、差し出した私の手のひらから彼がビタミンDの錠剤を受け取り無造作に口に入れ、私がコップに汲んだ水でごくりと飲み下した直後の発言だった。電力の供給が回復してやっと点った灯りの下で、ロナルド君の肌と髪はほんのりと光を放っているように私の目には映っていた。明けない薄暗がりに時おり訪れる平凡な静けさ。先の保証のない休息の時間。与えられた余白を私たちとの会話で埋めることに、ロナルド君はもうほとんど抵抗を覚えていない様子だった。
数日前、私とジョンは、樹からリンゴをもいだ経験のないロナルド君を囃し立ててからかった。そして、リンゴの花の咲く頃と実りの秋の光景がどれほど素晴らしいかを、主にジョンがとくとくと話して聞かせた。秋の終わりの最後のリンゴを、冬の気配が濃くなった冷たい空気のなか、一人と一匹で分け合った思い出。私はまだマジロ語の理解がおぼつかないロナルド君へジョンの語る言葉を通訳した。
晩秋の本当に終盤まで樹に採り残されていたリンゴは、それはそれは香り高くて、凝縮された季節の結晶のような味がするのだ。もいだ実をナイフで半分に割ると、半透明に凍ったような風合いの果実の芯の部分に表皮と同じような赤色がじわりと滲み、そこから露が浮かんでくる。半野生の北国の果物が持つみずみずしさが断面を伝ってこぼれそうになる。ドラルクさまも一緒に食べるヌとジョンに乞われて、私はそっとリンゴに口をつけてその露を吸った。最高のシャーベットヌ、とジョンは胸を張って私に告げた。この特別なリンゴはヌンとドラルクさまのものヌ。
私とジョンは、ロナルド君からすべてが終わったらトランシルヴァニアへ一緒にリンゴ狩りへ行く約束を取り付けた。どうしてかって? そんなのおもしろそうだからに決まっているではないか。未来の約束を増やすのに他に理由がいるだろうか。
「後学のため聞いておくが、君の想像するやばいやつのイメージとは?」
具体的にプリーズ、と促すと、ロナルド君は少しばかり気まずそうな面持ちで鼻の頭をかいて、魔女とか、蛇とか、とボソボソした調子で答えた。私は思わずンッフと笑いの衝動を声にして漏らしてしまった。
「んだよその反応は……おまえが聞いたから答えたんだぞ」
「うん。ふふ、そうだな。ふはは、たしかに」
白雪姫と楽園追放か。なかなかロマンチックなセレクトじゃないか。私は努めて真面目な表情を作ろうとしたけれど、どうやら傍目には失敗していたらしく、ロナルド君はちくしょーバカにしやがってと苛立ちをあらわにした。
「いやいやいや、バカにはしとらん。そういうマイナスの受け取り方は感心せんぞ。早とちりはいかん」
「うっせバーカ」
白夜都市の英雄に他愛もない話題でガキみたいな拗ね方をさせている状況が、私は楽しくてならなかった。ジョンも同じ心持ちでいるらしく、ヌフヌフと含み笑いをしながら私の腕に抱かれていた。
「うむ。蛇も魔女も勧め方が巧みだったからな。白雪姫もイブもきちんと疑念を抱いて一度は断ろうとしたが、最終的には受け入れてしまった。しかし、この場合、個人の意思を持って知性を働かせたという点が重要だ。結局は間違った選択をしてしまったとしてもな」
ふーん、とロナルド君はかすかに頷きながら私の言葉に耳を傾けていた。
「だがアダムはいかん。イブにリンゴをもらってすぐさまなんの疑問も示さず食べてしまう。あれはいかん。少しは頭を使えと突っ込まざるを得ないくだりだ」
そこでロナルド君は小さく噴き出した。
「おいおい、おまえな、吸血鬼が聖書の展開に突っ込み入れんなよ」
「物語を解釈して批評する自由は私にもあるさ。付け加えるなら、翻訳の過程でリンゴとされているが、楽園に生えていたのがリンゴの樹だったかどうかはわからんのだ。土地柄からしておそらく違う果物だった可能性が高い。ザクロという説もあれば、柑橘のいずれかという話もある」
「マジか。でも、まあそうか」
そんなもんだよな、とロナルド君は気の抜けた響きの声で言った。
†
誰かが勝手に樹からもごうとしたら、どんな手段を用いても止めてやるつもりだった。君は私にとって燃えるように赤い秋の終わりの最後のリンゴだったから。
そうして私は白雪姫の喉につまった毒リンゴの欠片となった。君を死なせず、吸血鬼化させず、再びその二本の足で立ち上がらせるために。今、私の心臓は、君の赤い衣装の胸の下におさまっている。
底なし沼という言葉は存在するが、実際には底のない沼は世界に存在しない。私たちには超えるべき今があり、未来に果たされるべき約束がある。曖昧なまま繋ぐ命は、大雑把に翻訳すれば生きているということだ。
いつか私たちが二人そろって息を吹き返したら、トランシルヴァニアの森へ行こう。君と私とジョンとメビヤツ。頭上へ手を伸ばす君を私たちはみな笑顔で見守っている。君の手のひらには鮮やかなリンゴの実。誇らしげに君は初めての収穫をかざして見せる。それは決して記憶から拭えないくらい、きっときれいだ。命の赤色。