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    しおり
    狐の合戦場

        一

     立ち昇る硝煙の中、虎若は伏せていた顔を上げた。一瞬耳鳴りのように全ての音が消えていたが、それは瞬く間に鼓膜を叩きつけ始める。合戦特有の耳障りな怒号や銃声の中に、違和感を覚える。おかしい。助けを求めるような悲鳴にも似た叫び声が、いつもはこんなにも聞こえていただろうか。慌てて違和感の方角を見渡す。
     何かが近づいてくる。悲鳴の連鎖が。……混乱が。
     そしてその混乱の正体を肉眼で捉えたとき、虎若自身が従えた部下から、血飛沫が上がった。
     一人の忍びが、次から次へと容赦なく斬撃を浴びせかける。見覚えはない。敵陣から紛れ込んだか。その忍びが通った轍のように、混乱が広がっていたのだ。
     ついにその忍びが虎若本人の間近までやってきた。その間実に数刻だ。
     久々に覚えた焦りから、持っていた銃を投げ出した。護身用に携帯していた小刀を構えたところに、その斬撃が降り、甲高い金属音が空へ飛び上がった。
    「!」
     長く揺れるボサボサの髷と、特徴的なつながり眉に垂れた猫目――その目元だけで虎若は思い出した。その忍びに見覚えがあったことを。
     初めてその奇襲による斬撃を受け止められたからか、その忍びは驚いたように目を見開いた。それでも怯むことなく、再び刀を振り払う。そしてそれを再度受け止める。
     間近で見れば見るほど、その人物に確証が持てる。それは――
    「き、喜三太か?」
    「はにゃ?」
    名前を呼んでやると、忍びは状況とは不釣り合いな声を漏らした。無言で視線を交わす。その忍びはニヤァと絡みつくような笑みを浮かべ、距離を取った。そしてそのまままた敵陣の方へ姿を飛ばした。
     もう見えなくなったが、耳によく馴染んだ声と音感で、確証が更に強まる。――あれは間違いない。三年前、共に忍術学園を卒業した、山村喜三太だった――

     立ち上る白い煙の中、庄左ヱ門は手を止めて顔を上げた。聞き慣れた馬の蹄の音に誘われて、慌てて炭を焚いていた窯に蓋をし、店先に駆け出した。
    「団蔵! ……と、虎若?」
    「おお! 庄左ヱ門!」
    真っ先に挨拶を返した虎若を見て、大きくなったなあなどと親のような感心が頭に浮かんだ。しょっちゅう炭の配達で顔を合わせている団蔵は別として、虎若と顔を合わせるのは実に数年ぶりだ。
     団蔵の愛馬から降り、歩み寄ってきた虎若は、覚えより思いつめた顔をしていた。店の脇に愛馬をつなぎ、団蔵も駆け寄る。
    「久しぶり」
    「虎若本当に久しぶりだね、どうしたの」
    「それが、虎若がどうしても庄左ヱ門の耳に入れておきたいことがあるって」
    庄左ヱ門はそれを聞くや否や、表情を変えた。
    「もしかして、は組の誰かに何かあった?」
    「さすが察しがいいね」
    「喜三太が!」
    抑え切れずに虎若は半ば叫び込んだ。庄左ヱ門もやはりかと言わんばかりに、「喜三太……」と繰り返す。
    「この間、加勢に行った合戦場に喜三太がいたんだ」
    もちろん喜三太が忍びの道を選んだことは周知の事実である。そんなことは虎若も百も承知、その上であえて伝達しているということは、何か異変があったのだろうか。庄左ヱ門は傾聴した。
    「その喜三太が、ぼくの加勢していた糸衣(しー)城の陣に単身乗り込んできて、頭を残して幹部やらうちの衆やらを無差別に殺していったんだ」
    「……うん」
    時期尚早な返事を控え、ゆっくりと相槌を打つ。
    「おれも交戦してやっと誰かわかったんだけど、喜三太かと話しかけたら、あいつのいつもの間の抜けた笑みを浮かべたんだ。そして無言のまま去っていった」
    続きのなくなった話を頭に入れ、庄左ヱ門はどこを見るでもなく顎に手を当てた。何かを思慮している仕草だと二人も知っていたので、しばらくその様子を見守る。
    「……庄ちゃんどう思う?」
    庄左ヱ門は深く息を吸った。
    「虎若はどう思ったの?」
    その大きな目が真っ直ぐに虎若へ向いた。
     虎若も空気を新たに、力を持ち直した。
    「ぼ、ぼくは! 正直に言うけど、うちの衆にも被害が出てるんだ! 裏切られたとしか思えない! 卒業して三年も経つし、あいつ風魔に戻ったんだろ? もうあいつにはぼくたちへの情もなんもないんだよ!」
    「だから虎若落ち着けって! 風魔とか関係ないだろ! 喜三太にも何か事情があったのかもしれない!」
    「団蔵はその場にいなかったからわからないんだよ! あいつの冷徹な目を!」
    「まぁまぁ、二人とも落ち着いて。物事を両側面から見るのは大事だけど、喧嘩してるバヤイじゃないだろ?」
    やんややんやと騒ぎ出した二人の肩に手を置き、庄左ヱ門は穏やかな声でもって制した。
     二人もその懐かしい穏やかさに思わず、
    「庄ちゃんったら相変わらず、」
    「冷静ね」
    と賞賛した。
     構うことなく庄左ヱ門は、再び息を吸った。
    「実はつい数日前のことなんだけど、三治郎から伝書鳩が飛んできたんだ」
    「三治郎?」
    「うん。その文にも喜三太のことが書いてあったよ」
    「本当に!? どんな!?」
    虎若が全身を使ってその言葉に食いついた。
    「三治郎も直接話したわけではなさそうなんだけど、山の中で見かけたって。いつもと様子がだいぶ違ったから気になったみたいなんだけど、具体的なことは書かれてなかった」
    「そ、それだけ?」
    「うん。それだけ」
    不服そうである。何も目ぼしい情報がなかったからだろうが、庄左ヱ門はそうは思っていなかった。
    「でも、それだけなのにわざわざぼくに伝達するくらいだから、虎若と同じように並々ならぬ異変を感じ取ったんじゃないかな。三治郎はその手のことに対する勘はピカイチだし」
    「まあ、確かに」
    ようやく納得した虎若は、改めて言葉を止めた。
     庄左ヱ門の元へ虎若を連れてきた団蔵は、その真意が叶ったこともあり、感謝を伝えるように庄左ヱ門と視線を合わせた。そして気づく。庄左ヱ門には考えの続きがあることを。
    「庄左ヱ門?」
    「うん……この先、どうしようか」
    「え?」
    団蔵と虎若は同時に疑問符を落とした。抑えきれぬお節介な性分が、その表情には清々しいほどに浮かんでいる。
    「何か嫌な予感がするんだよね。喜三太について。だから、少しぼくたちで調査してみないかい」
    炭屋と兼業して、たまに夜が更けてから庄左ヱ門は忍びの活動を続けていた。そのときによく垣間見せる、ギラギラと野心の灯る瞳が、二人の背筋を撫でて行った。
     後から「もちろん二人にも予定とかあるだろうし、強制はしないけど」と付け加えられたが、既に団蔵も虎若も引き込まれていた。
    「うちの衆にも被害があったって言ったろ! ぼくも協力する!」
    「うん、元は組の縁だ。放っておけないよ」
    「じゃあ、決まりでいいね」
    「うん!」
    かくして、庄左ヱ門の独断の忍務が幕を明けた。

    「じゃあ、いいかい」
    庄左ヱ門の自宅の居間に場所を移し、三人は輪になって座っていた。真ん中には広域の地図を広げている。
    「馬のある団蔵には、まず風魔の里に行ってもらう」
    その地図を見下ろしながら、さらっと指示をしてみせた。
    「お、おう、早速だな」
    「身の回りから事情を聞くのは初歩だからね。事情を聞けなくても何か手がかりがあるはずだし」
    団蔵が了承するのを待ち、一呼吸置いてから続けた。
    「そして、喜三太と金吾はおそらくまだ連絡を取り合っていると思われるので、」
    地図に指を滑らせる。
    「忍術学園に寄って、もし金吾が大丈夫なら金吾も連れて行ってほしい」
    「金吾を?」
    「もし何かあって喜三太が閉鎖的な場合、一番心を開いてくれやすいんじゃないかな」
    「なるほど」
    団蔵は素直にその指示を飲み込んだ。
     現在金吾は剣術師範である戸部の弟子として、共に忍術学園で教えている。
     指示はそこで終わらず、庄左ヱ門は改めて口を開いた。
    「そのとき、もし学園にきり丸と兵太夫も居ればぼくの店に来るよう伝えて。兵太夫が居なければ何らかの手段で連絡を取って。一番きり丸が捕まりにくいだろうから、学園にいなければぼくがなんとか連絡を取るよ」
    「了解」
    背筋を一度伸ばしたが、体勢を変えなかった庄左ヱ門に釣られ、また背中を丸め直した。再び地図上で指を滑らせ、「で、虎若だけど」と切り出す。
    「虎若には伊助に何か知らないか聞き取りをしてもらいたい」
    「わかった」
    簡潔に了承する。
     それから少しだけ間を空け、「ところで」とまた流れを変える。するすると地図の上を走る指が、よく知る街の上で止まっていた。
    「しんべヱはもう帰ってるのかなぁ。確か南蛮に留学に行ってたよね」
    「あ、ぼく、風の噂で聞いた。一月くらい前にさ、福富屋の若旦那が帰ってくるって」
    「そうか。じゃ一応、しんべヱのところにも寄って見てもらっていいかな」
    既にその頭の中にできあがっていた大まかな流れを、庄左ヱ門は丁寧に組み立てていく。
    「さて、かくいうぼくだけど」
    「うん」
    「ぼくは三治郎に連絡を取ってから乱太郎のところへ行く。道中に土井先生の自宅があるから、きり丸が居ないか寄ってみるよ」
    やっと庄左ヱ門は背筋を伸ばした。また二人も釣られて起き上がり、互いの意志に相違がないか視線だけで取り交わす。
    「呼ばれた人の集合はいつまでに?」
    団蔵の問いかけで、肝心なことを思い出す。
    「そうだなあ。いかんせん団蔵が時間かかるだろうからなあ。けど、情報は熱いうちの方が聞き出しやすいし……できるだけ早くにしておこうか。もちろん強制ではないことは忘れずに」
    「了解」
    今一度他に確認すべきことはないか、お互い視線で確認した。何もなさそうなので、「では!」と庄左ヱ門が膝を叩いてみせた。それが合図のように、勢いよく立ち上がる。三年ぶりに顔を合わせる級友もいるだろう。また彼らと行動を共にできるかも知れないと思うと、高揚を禁じ得ない。こんな場合にこんなに胸が踊るのは、おかしいだろうか。三人は喜三太への不安と同時に、小さな期待もまた胸に抱いていた。

     その晩、団蔵と虎若は早速出発した。それに比べ、比較的に近場を回る予定だった庄左ヱ門は、まずは三治郎に伝書鳩を飛ばした。喜三太について他に知ることはないか。もし可能なら力を貸して欲しい、と。そして末尾に力を借りたい内容を添えた。
     明朝早くに乱太郎の元へ向かう身支度を済ませ、外へ出ると、すでに三治郎から返答が届いていた。
     ――『御意』
     簡潔に記された二文字に少しだけ口元が緩み、さぁ出発だ、と気を引き締め直した。
     虎若の隊が加勢していた糸衣城は、栄衣(えー)城と戦中である。虎若の話だと糸衣城は、その喜三太らしき忍びが乱入するまでは優勢だったにも関わらず、結局は撤退を強いられたのだという。虎若の小隊だけだったとは言え、佐武が付いていながら、との嘆声も多く、損害・被害も大きかったそうだ。
     庄左ヱ門は太陽の位置を確認した。
     三治郎の返答と同時に出発したというのに、もう太陽は頭上高くで燃えていた。季節柄暑すぎるということはないが、歩きっぱなしなので汗も滲む。もうそろそろ最初の目的地である、土井の自宅付近に差し掛かっていた。
    「あ!」
    見覚えのある軒並みを眺めていると、聞き覚えのある声が耳に飛び込んだ。目当てである懐かしの土井宅の玄関先から、笑顔が向けられていた。
    「おお、利梵くんじゃないか。こんにちは」
    「こんにちは! 庄左ヱ門さん、お久しぶりです!」
    洗濯物を運んでいたらしく、山盛りの籠を抱え直して体をこちらに向けた。利梵の方へ歩みを進めながら、「お久しぶり。元気?」と問うと、相違ない笑顔で「お陰様で! 本日は?」と続けた。
    「うん、きり丸に用事でね。いる?」
    期待を込めて尋ねた。
    「先生は今、長期忍務中なんです。一月ほど経つので、そろそろ戻られるとは思いますが」
    「じゃあきり丸は学園にもいないということか」
    「こらこら利梵、」
    家の中から懐かしい声が聞こえ、
    「先生なんて呼んでると、またきり丸に怒られるぞ」
    「土井先生!」
    続けて懐かしい顔が覗いた。
     利梵は庄左ヱ門に向けていたのと変わらない笑顔で、出てきた土井の側に寄った。
    「いいえ! 本人の前では呼ばせてもらえないので、こういうときにこそ使っていきます!」
    「あはは」
    「ところで庄左ヱ門さん」
    相変わらず洗濯物の籠を持ったまま、
    「先生への用事は急ぎですか?」
    気を遣った利梵が話題を軌道に戻した。
    「まあ、割とね。居場所わかる?」
    さらに質問で返しながら、手振りで家に入ろうと誘導する。
     まず土井が顔を引っ込め、それから利梵が玄関の板の間に山盛りの洗濯物の籠を置いた。庄左ヱ門も笠を外し、草履を脱ぐために腰を下ろした。利梵はそれを目で追いながら、「だいたいですが」と応えた。
     昔よりもよく磨かれた床板に手を着き、庄左ヱ門は板の間に登る。
    「先生はいつも決まったところを寄り道し、場合によっては物売りをしながら道草食って帰るんです。なので、ぼくが庄左ヱ門さんから急ぎの用があることを伝えてきますよ」
    「それはありがたい。なら、栄衣城に向かってと伝えてくれるかな。乱太郎にも後から詳細を伝えて追わせるから。その方がてっとり早い」
    「心得ました! では庄左ヱ門さん、土井先生! 行って参ります!」
    「はいはい、気をつけるんだよ」
    利梵は嬉しそうに、軽い足取りで玄関から駆け出して行った。すぐに足音が聞こえなくなる。何か持ち物は必要じゃなかったのかなど、去ってから少し心配したが、まあ向かった先がきり丸なら大丈夫だろうと、庄左ヱ門も土井も考えを改めた。
    「……利梵くんすごいですね。活力あって」
    置きっぱなしの洗濯物の籠が、未だに利梵の存在感を保っていた。
     土井も同じ所を眺めながら、
    「中々優秀だよ。あんなだからきり丸も手取り足取りするわけじゃないけど、利梵の学習意欲は底知れない。きり丸のいい刺激になってる」
    「へぇ」
    「きっと相性がいいんだろうな」
    優しい声に誘われて、庄左ヱ門が土井を盗み見ると、かつてから自分たちにも向けられていた、ある種父親のような眼差しをしていた。とても温かい気持ちになる。
    「ところで庄左ヱ門」
    「はい」
    「どうしたんだ急に。何かあったのか?」
    土井の問いかけで、目的を持ち直した。
     斯く斯く然々と事情を伝えると、土井は情報共有などで自宅を使ってもいいぞとの許可を与えた。それに感謝をしながら、思ったよりも短く済んだ土井宅の滞在を終え、再び目的の道に乗った。

     さらにしばらく歩くと、懐かしい畑の並ぶ旅路に出た。昼間に見る豊かな景色は、道中の疲れを吹き飛ばすようだ。
     曲がりくねった道を進み、木陰を抜けたころ。いよいよ庄左ヱ門の目に、乱太郎の自宅が飛び込んだ。昔から変わらない、落ち着いた佇まいの民家だ。しかしその庭先には筵(むしろ)が敷かれ、老人が四人ほど腰を下ろしていた。おそらくは順番待ちだろう。――乱太郎は保健委員会で培った医術の腕が評判になり、しょっちゅう近所のご老人の健康相談を受けていた。
     気にすることなく、その家に一直線に歩いて行く。
    「うわ〜これはすごい」
    玄関から中を覗くと、更に三人が待機していた。
     思わず声に出して感嘆したので、奥から「あれ、庄ちゃん?」と乱太郎が顔を出した。待合のご老人方の視線も、もれなく庄左ヱ門へ向く。
    「ああ、乱太郎! 相変わらず繁盛してるねぇ」
    「お、お陰さまで、ちょっと待ってもらえる?」
    「いいよ」
    庄左ヱ門は玄関の脇に寄り、また笠を外した。未だに物珍しそうに視線を向けていたご老人に、挨拶を兼ねて笑顔と会釈をしてやると、ようやくその視線は他へ向いた。奥から乱太郎の柔らかな話し声が聴こえてくる。
     さほど時間は経たなかった。
     老婆が一人出てきたと思いきや、続け様に乱太郎も姿を現した。
    「じゃあおばあちゃん、気を付けてね」
    「はい、ありがとう」
    震える手で草履を履こうとしている老婆に、庄左ヱ門は思わず手を差し伸べた。老婆が「すまないねえ」と庄左ヱ門の肩を支えに立ち上がり、そのまま簡単に挨拶をして帰って行った。
    「ありがとう庄ちゃん」
    「これくらい」
    返事を聞くや否や、乱太郎は屈んだ。既に玄関に腰を降ろしていたご老人と視線を合わせるためだった。
    「おじいちゃん、ちょっとごめんね。待っててもらえる?」
    ご老人は快く首を縦に振り、庄左ヱ門は頭を下げながら玄関を上がった。
     先ほどまで診療が行われていた部屋に入る。
    「…….いいの?」
    後から来て割り込んでしまったので、少しばかりの心苦しさを感じていた。乱太郎に続き、座布団に腰を下ろす。あくまで穏やかに返答した。
    「今日は急患はいないんだ。皆定期相談だから大丈夫だよ」
    「繁盛してるみたいで何より」
    「お陰さまで暇には困らないよ。でも商売がなぁ」
    「ご老人たちからは」
    「取れるわけないよ。薬草の栽培と農家の収入でなんとかやってる。夜もたまにきり丸と出てるし」
    困ったように笑ってはいるが、乱太郎の性分を考えると、今が一番充実しているに違いない。
     玄関先から並んでいるご老人方を思い出した。
    「大変だろうね。体は崩さないように気をつけないと。乱太郎が倒れたら困る人が多そうだ」
    「それはどうも。気をつけるよ」
    手短な雑談を終えると、「で、今日はどうしたの?」と乱太郎は続けた。
     何か早急な目的があって訪れていたことは、顔を見たときから知られていた。懐かしいと思ってしまうほど、強い意志と探究心の灯った眼差しだったからだ。
    「そうなんだ。乱太郎に聞き取りとお願いがあって」
    「うん?」
    「実は斯く斯く然々で、今喜三太についての情報を聞いて回ってるんだ。乱太郎何か覚えはない?」
    腕を組んで顔を傾げた。その動作だけで、庄左ヱ門は答えを悟る。
    「特に……噂も耳に入ってないしなぁ」
    「まぁ、そうだよね」
    「なんか大変そうだね。私にも手伝えることがあったら何かさせて」
    庄左ヱ門と同じように、乱太郎の瞳にもゆらゆらと意志が灯った。見逃すことなくそれを捉え、期待感を胸に気の強い笑みを浮かべる。
    「乱太郎ならそう言ってくれると思ってたよ。そこで、さっき言ったお願いがあるんだ」
    「さすが庄ちゃん。私はとうに頭数に入ってるってわけね。仕事が早い」
    「ありがとう。既に利梵くんにお願いして、きり丸を栄衣城に向かわせてもらってるから、合流してほしい。ほんでもって喜三太に関する噂や情報を簡単に調べてほしい」
    うんうんと頷きながら聞いている。
     庄左ヱ門は付け加えた。
    「明後日の朝までにぼくの店に戻れる程度の情報で切り上げていいよ」
    「……うん、わかった。いいよ。そこで待ってるご老人だけ診たら、準備して出るよ」
    「助かる」
    立ち上がるために足が崩されたのを見て、庄左ヱ門も足を崩した。ゆっくりと二人で立ち上がる。
    「他にも集まるように声をかけてるんでしょ?」
    「うん」
    「なら、庄ちゃんは早く戻らないと。招集をかけた本人が拠点にいないとね」
    「うん、ありがとう。きり丸にもよろしく伝えて」
    短い廊下に出てから玄関までは、あっという間だった。
    「了解」
    腰を下ろして草履を履く。
     畳の匂いが打って変わり、また土の匂いがふわりと鼻を撫でる。
    「じゃ店で待ってる」
    「はーい、気をつけてね」
    乱太郎は笑って手をひらひらさせ、
    「乱太郎も」
    庄左ヱ門も振り返りながら手を振った。歩き出したところで再び笠をかぶり直し、さあ、ようやくこれで帰路に就ける。
     団蔵はちゃんと金吾と合流して、風魔に向かっているだろうか。兵太夫には連絡が取れたのか。虎若は、伊助は、しんべヱは。三治郎はどうだろうか。――そして喜三太は。
     たくさんの人に思いを巡らせ、庄左ヱ門は日が傾き始めた帰路を辿った。

        二

     翌朝、庄左ヱ門は日課通りに目を覚ました。何食わぬ顔で一日店を切り盛りし、他の級友の到着を待った。顔にこそ出ていなかったものの、虎若たちがどれほどの情報を持ち帰ってくるのか、どういう筋書きが予想されるかなど、普段よりも活発に頭を回していた。
     初めに炭屋に到着したのは、伊助としんべヱへの聞き取りを依頼していた虎若だった。一緒に伊助としんべヱも連れ立っていた。何も情報は持っていなかったが、喜三太が絡んでいると知り、協力できることはないかと着いてきたらしいのだ。久しぶりだと挨拶をしていたところに、今度は兵太夫がやってきた。『なんか連絡もらったけどよくわかんなかったから、とりあえず来てみた』と、相変わらず能天気な笑顔を浮かべていた。その場で斯く斯く然々と伝えると、「それは確かに気になるね。ぼくも協力するよ」と居座ることになった。
     さらに夜が明けると、栄衣城の調査を依頼していたきり丸と乱太郎が、約束の通り帰還した。勉強のためと利梵も同行していたらしく、合わせて合流した。お昼をいただくころには、糸衣城での調査を依頼していた三治郎も帰還する。着実に懐かしい顔ぶれが揃い始めていた。あとは、風魔の里へ向かってもらった、団蔵と金吾の合流を待つのみである。
     持ち寄った情報は直ぐ様庄左ヱ門に報告されることとなった。それ以外への共有は、基本的には団蔵と金吾が戻ってからと決まる。そこで、きり丸、乱太郎、利梵の三人が庄左ヱ門の側に立ち寄った。
    「ちょっといいですか」
    「うん、なんだい」
    話しかけたのは利梵だが、乱太郎ときり丸の同意を得てから、また口を開いた。
    「えとですね、きり丸さんたちと調査中、被害のなかった栄衣城でも、えらく殺気立っていたのが気になりまして」
    「というと?」
    きり丸に代わる。
    「なんでも、風魔に喧嘩売るみたいなことを殿様が言ってるらしいぜ」
    どうやら栄衣城にもことの顛末が伝わっていたらしい。元々佐武を味方に付けられ劣勢だった栄衣城は、喜三太のお陰で壊滅を免れたと言えよう。つまり、喜三太に感謝こそすれど、恨む義理はないはずだ。それが何故風魔に喧嘩を仕掛けようというのだろうか。
     ともあれ庄左ヱ門は憂慮した。
    「それはちょっと困るね。真相もわかってないんだし、待ってもらわないと。今団蔵と金吾にお願いして風魔に行ってもらってるから……」
    その先を察したように、今度はきり丸が言葉を続ける。
    「おい利梵、お前栄衣城に行ってどうにかして進軍を少し待つようにできねえか」
    「わかりました。やってみます!」
    利梵はためらうことなく快諾してみせた。清々しいまでのやる気顔である。
    「そうだね、助かる」
    後押しするように、庄左ヱ門も付け加えた。
     そうと決まれば、と言わんばかりに、きり丸が利梵に何か助言を始めた。その様子を見守りながら考え事をしていた庄左ヱ門に、「庄ちゃん」と背後から呼ぶ声が降る。
    「三治郎。どうした?」
    「ぼくは糸衣城にもストップをかける必要があると思うよ」
    いきなりの申し出ではあったが、庄左ヱ門は深く頷いた。
     三治郎に依頼した調査は、基本的にきり丸らと同じである。乱入してきた忍びについて、何か噂や情報がないか調査をしてほしいと。
    「うん、ぼくもそれを考えていたところなんだ。なんてったって、実害が出ているのは糸衣城の方なんだからね」
    言い終えると、直ぐ様「虎若を呼んできてもらえる?」と、話し声が聴こえる方へ視線を向けた。笑顔で了承して、三治郎は踵を返す。
     その後ろでは、きり丸が「無茶しろよ」と笑いながら利梵を見送っていた。
     ――元々虎若が糸衣城の加勢をしていたことが、今回の招集の始まりだった。つまり、虎若ならば糸衣城の人々と面識や信頼がある。そのため、いらぬ火の粉を止めるのならば、虎若が最も適任なのである。
     その旨を伝えると虎若からも同意が得られ、身支度を済ませ次第、父と一緒に糸衣城に向かうと意気込んだ。
     団蔵らが戻るにはもう少し時間を要する。数日間、各々で武器や必需品などの整備をして過ごした。

    「皆集合ー! 団蔵と金吾が戻ったぞー!」
    威勢のいい声が炭屋の裏で響いた。そろそろ戻る頃だろう、と既に皆がこの場に集結していた。
     虎若は栄衣城の報復を止め、無事に戻っていた。進軍を止める代わりに何としても真相を暴いてくれ、と、調査を請け負って帰った数日後だ。
     長旅で疲れている愛馬を労わり終えた団蔵が、疲れたー! と畳の上で大の字になっていたところに、わらわらと人が集まり始める。仕方なしに、始終姿勢良く座っていた金吾の横に、団蔵は起き上がる。
    「しんべヱ、お前また太ったなー」
    「えへへ、南蛮菓子おいしくてさ」
    雑談しながら部屋に入ってくるので、合わせて騒々しさが増す。
    「卒業してすぐからだったか?」
    「うん。三年だね。帰ったばっかりだよ」
    皆が座り、顔ぶれが揃ったところで、庄左ヱ門が一度強く手を叩いた。
     意図した通り、立ち所に雑談の声は止み、
    「再会を懐かしむ暇は残念ながらないんだ。作戦に取り掛かりたいから早速話をするよ」
    部屋によく通る声に注目した。
     この場に喜三太がいないことはどうしたって気がかりだが、それをこれから皆で紐どいて行く気概である。
    「まず、この場に集まってくれてありがとう。調査に協力してくれた人も、本当に助かるよ。ありがとう。これまでのだいたいの経緯は皆聞いてるね」
    全員がタイミングを合わせたように、揃って頷いた。
    「そして、今皆がここにいるということは、この喜三太の一件、皆が協力してくれるんだと思っていいね」
    先ほどの繰り返しのように頷かれ、中には当たり前だよなどの声が混じった。
     それを確認すると、「よかった。ありがとう」ともう一度添え、庄左ヱ門は表情に少しだけの緊張感を加えた。
    「じゃ始めに、虎若。交戦したとき、喜三太に何か違和感を感じなかった?」
    庄左ヱ門だけでなく、全ての目玉がそちらへ向く。
    「そうだな……妙に殺気立っているくらいしか」
    その他特になさそうである。続けて「三治郎は?」と向きを変えた。
    「うーん……気配……かなあ」
    「気配?」
    「うん。もちろん喜三太本人もそうなんだけど、なんかね、感じたことのない気配って言うのかなあ……」
    考え込むように顎に手を当て、首を傾げる。不確かな感覚だったのだろう。言葉を探している。
    「感じたことのない……人間じゃなくて獣。獣の気配かなぁ。確かに喜三太は虫や獣の扱いに長けているけど、どちらかと言えば虫寄りだし、違和感ってそれくらいしかなかったんだけど……」
    まだ少し言い足りないようだが、一旦は切り上げてその情報だけで考える。
     そこで庄左ヱ門はあることに気が付いた。
    「きり丸、どうかした?」
    やけに真剣な表情で、何かが引っかかっているような、腑に落ちないような顔をしていた。それが庄左ヱ門に促され、思い切ったように口を開く。
    「あのさ、関係ないとは思うんだけどさ、利梵と合流したとき、おれ怪士丸の店にいたんだ」
    怪士丸の店とは、怪士丸が経営している忍びに関しての書籍を取り扱っている書店のことだ。きっといつもの寄り道コースに入っているのだろう。きり丸自身、色々な情報をそこから仕入れている。
    「そこで怪士丸が、伏木蔵の次の依頼先に珍獣使いがいるとかいないとかって言ってた……」
    「珍獣?」
    その話の真意を詳しく掘り下げる。
    「おう。三治郎が感じたことのない気配ってよっぽどだろ。外来の珍獣ならありえるかなあって」
    「なるほど、調べる価値はありそうだね。どこの城かは……」
    「聞けてない」
    「だよね」
    そこで一旦会話が止む。
     何か手がかりはないだろうかと、きり丸はそのときの会話を注意深く思い返した。
     それから、はっ、と唐突に息を吸う。
    「そういえばその時、五月村の場所を聞かれた」
    「五月村……」
    まるで心のどこかに書き留めているかのように復唱し、「うん、わかった。ありがとう」と小さく礼した。
     そうして、長旅の疲れからか、少しうとうとしていた団蔵たちに、庄左ヱ門の視線は向いた。
    「団蔵たちは何か収穫はあった?」
    「それが全くないんだ」
    「というと?」
    答えた金吾に詳細を求める。
     返答したのは団蔵だ。
    「与四郎さんと話したんだけど、ここしばらく喜三太が姿を消してるらしい」
    一同がお互いに見合わせる。いよいよ話が難しくなって来たので、聞き逃さぬよう、改めて聞く姿勢を整える。
    「そうか……いつくらいからいないかわかる?」
    「遠出すると出たっきりだから、かれこれ二月は帰らないままとか」
    思っていた以上の長期間に思わず「そんなに?」と三治郎が漏らし、金吾が顔色一つ変えず肯定した。
     続けて団蔵が補足する。
    「おれ知らなかったんだけど、喜三太って風魔に戻ってからも相当忍びとして優秀だったらしくて、正式に次期頭領に決まった矢先のことだったって。だから喜三太の失踪は風魔ではちょっとした事件になってて、皆そわそわしてたよ」
    「そ、それはそうだ」
    同意がどこかから漏れ、一同の顔に浮かんだ懸念の色が一層深まった。
     喜三太は今、一体どこで何をしているのだろうか。
     今一度沈黙してしまった部屋の中に、「それと」とまた団蔵の声が伝った。注意を煽られ、各々が視線を団蔵に戻す。
    「喜三太がいなくなってしばらくしてから、風魔に伝わってる秘伝書も行方不明になったらしい」
    「……臭いね」
    静かに思考を巡らせていた庄左ヱ門が、ぽたりと重い一言を落とした。それとは似つかぬほど緊張感の欠けている声色で、「うん、臭い」と団蔵が追った。
     各々が現状について思考を巡らせるための間が持たれる。喜三太失踪の裏側に、一体どのような思惑があると言うのか。
    「喜三太、どうしたのかなぁ」
    初めにそう声をあげたのはしんべヱだった。続いて乱太郎が、
    「きっと何か止むなき事情があったんだろうね……」
    「そうだよ。大した理由もなくそんなことするようなやつじゃないよ」
    続けたのは伊助で、頷いて同意したのは団蔵だ。
     そこへ感情を悟らせぬ無表情で、きり丸が静かに割って入る。
    「そうだな、小さな理由ではないかもしれない。でも、たくさんの人間を、それも無差別に殺したのは事実だからな」
    「うん、ぼくもそう思う。喜三太は忍びだ。しかも頭領になるんだろ? 忍務のためなら何でもする、ましてやそれが里のためなら。仕方のないことだとはぼくもわかるし……」
    虎若も思うところがあったらしく、合わせて意見を述べた。それにきり丸が「まぁ実際はこんな騒ぎを起こされて、風魔もいい迷惑だろうけどな」とボソリと付け加え、乱太郎が「そこまで言うことないじゃない!」と叱り付けていた。
     そのやりとりを無言のまま見守っていた兵太夫が、深く息を吸い、あぐらに突いていた頬杖を外した。
    「金吾は? 金吾はこれをどう見てるの?」
    唐突に話を振られた金吾は、集まった視線を一度見渡して、思い切った風に口を開いた。
    「喜三太の正義がどこにあるか確かめなきゃだめだ。話はそれから。今それをここでどうこう言っても仕方がないよ」
    それもそうか、と一同が沈黙の内に納得していたところで、庄左ヱ門が付け加える。
    「まぁ、そういうことだね。前にも何人かには言ったけど、両方の側面から考えるのは大事なことだ。けど、もう少し冷静にならなきゃ。喜三太が心配なのはわかるけど」
    今度は軽く、まるで遊びを提案するかのように軽く、三治郎の声が響いた。
    「ねぇ、これさ、喜三太の顔を使った変姿の術である可能性は?」
    信じがたいという表情をした者もいれば、納得したような表情をした者もいた。また俄かに、そうかもしれない、いや判断には慎重になるべきだ、というような会話が湧き始める。
     その中でも庄左ヱ門は、三治郎に対して返答をした。
    「それなんだ。ぼくもその可能性は否めないと思ってるんだよね」
    それから、色々なことに説明が着きそうだ、と静かに補足する。
     またもやわいわいがやがやとそれぞれの意見が飛び交い始め、すぐに騒がしさが部屋に溢れかえる。
    「とーにーかーくー!」
    収拾をつけるように、庄左ヱ門が雑音を断ち切った。
    「まず、虎若や三治郎の見た喜三太が本物であれなかれ、何か捨て置けぬ事件が起こっているのは間違いなさそうだ」
    「うんうん」
    「もし喜三太が道を間違えているならば寄り添いたいし、何かに巻き込まれているなら助けたい。いずれにしても、ぼくたちの前に姿を現した喜三太の真意を、確認するのが先決だ」
    そう話をまとめたころには、全ての視線が庄左ヱ門に集まり、誰もが異論はないことを物語っていた。
     もう一巡ほど、庄左ヱ門の言葉を頭の中で考え、やはり異論がなかった一同を代表して、
    「……庄ちゃんったら、」
    「相変わらず、」
    「冷静ね」
    乱太郎、それにきり丸としんべヱが、懐かしいセリフをまた分割した。

     それから庄左ヱ門は少し休憩を挟むことにして、皆が戻ったところで話を再開した。ここからは、これからの行動についての話である。いよいよかと皆が緊張感を改めていた。
    「じゃまず先に確認するけど、どのくらいの頻度で忍びとして活動してる?」
    問いかけに一同がきょとんとし、促された金吾から順番に現況を申し出た。
    「学園に入ってくる忍務を割り振られればやるって話だけど、この半年はないなあ」
    次に隣に座っていた団蔵が、
    「内容選びながらだけどやってるぜ」
    と話し、兵太夫は、
    「からくり作りながら、依頼があれば忍務も請け負うよ。月に二回あるかないかくらい。でもほとんどからくりの設置とかだから、忍びの活動とは言えないかも。今はそっちより、忍術学園の臨時講師の方が儲かってる」
    と教えた。
    「ぼくは結構やってるよー」
    三治郎は簡潔に答え、
    「今は小隊任されてるし、そっちに専念してる」
    虎若も言葉を少なく答えた。
     乱太郎は、
    「きり丸に誘われたときがほとんどかな。一人ではもうしばらく出てない気がする」
    と次に繋ぎ、きり丸に順番が回ると、
    「はーい。おれはバリバリやってまーす。今回も長期忍務の直後でーす」
    と、さも軽いかのように戯けてみせた。
     しんべヱについては、
    「知ってる人も多いけど、ぼくは南蛮に留学してたのでやってないよ〜でも南蛮妖術は気になって、結構かじった」
    らしく、残る伊助は、
    「ごめん、ぼくは全く。皆に頼まれて火薬の調合をするくらい」
    と締めくくる。
     質問を投げかけた本人である庄左ヱ門は、ありがとう、と一言添え、
    「ぼくも夜は割りと出てるかな。きり丸や団蔵ともよく出てるよね」
    と自身の状況も教えた。
     それから改めて、これからどう動くか話すね、と前置きをし、皆で縮こまるように背中を丸めた。小声で話される作戦内容を、聞き取りやすくするために寄っていく。
    「きり丸や三治郎、虎若の話を聞いた今の段階で、ぼくは美衣(びー)城が何かしら絡んでいるんじゃないかと思っている」
    いきなりの核心ではあったが、虎若がそれを聞くなりはっと息を吸った。
    「あ、そういえば。栄衣城でぼくも少し聞いた。喜三太と思われる忍びは東の方へ消えていったらしい」
    「栄衣城から東なら、方角もだいたい合うね」
    三治郎が総意をまとめる。
     それからまたいくつかの視線が庄左ヱ門に詳細を促し、「なぜかというと」と説明を続けさせた。
    「実は珍しい獣を扱う忍びがいると聞いて調べたことがあるんだ。そのときに行き着いたのが美衣城。そして、そこのお殿様のお嫁さんが、五月村の乙名の娘だったはず」
    「おお、一気に手がかりが一直線上に」
    「あくまで目星だけどね。三治郎が感じた違和感の正体が本当に珍獣だとするなら、そうそう珍獣を扱う城はないと思うし、まずはそこを調査したほうがいいと思ったんだ」
    言うや否や、乱太郎が「皆で?」と疑問を呈した。
     庄左ヱ門はゆっくりと首を横に振り、あくまで静かに伝えた。
    「いいや、あんまり大人数で行っても仕方がないから……ぼくが考えてるのは、団蔵、金吾、兵太夫、三治郎、乱太郎、しんべヱ……あたりかな」
    名前があった者は覚悟を決めたような顔をしたが、なかった者も表情を引き締め直した。きり丸だけは何かを言いたげに口を緩ませたが、言わず仕舞いで団蔵が「じゃぁ作戦は?」と続ける。
    「そうだね、こうしよう」
    調子を変えずに庄左ヱ門は、
    「まずしんべヱと金吾は美衣城の内部と直接接触して、外向きの情報をお願い。禁宿に取り入る習いでも妖者の術でもなんでもいいよ。それ以外の人は接触なしで、資料や会話を中心に内部からの情報を集めて。それに寄ってその後の行動をパターン分けする。パターン分け後の詳細な情報収集は、団蔵、三治郎、兵太夫を中心にお願いしたい。乱太郎は補佐、あと何か緊急事態があったときの伝達係をお願い。金吾としんべヱはなるべく自然に城を後にすることに専念してくれていい」
    各々がその指示を頭に叩き込む。
     一度間を取り、全員が理解しているかと視線で問う。危うそうな人も居たが、一応皆が頷いたので「何かあったらまた質問して」と挟んだ上で、次の内容へ移る。
    「パターン分けとしては、一つ目。美衣城で当たり、しかも喜三太がそこにいる場合。パターン二つ目。美衣城で当たりだけど、喜三太本人は不在の場合。パターン三つ目。美衣城ではなさそうな場合」
    途切れることなく、滔々と言葉を紡ぐ。
    「どのパターンにおいても、集める基本的な情報は変わらない。喜三太について、糸衣城を襲った経緯について、ついでに珍獣について。その上でのパターン別行動と思ってくれていい。まず、パターン一つ目の場合、喜三太の周りの情報を重点的に集めること。居場所や目的、本人であるかないかを含めてね。ただし、直接の接触は厳禁とする」
    「なんで?」
    乱太郎が挟む。
    「それは、もし本人の場合、虎若にそうだったように容赦のない対応をされる恐れがあるし、本人ではない場合、探りを入れていることを含め、無闇にこちらの情報を提供することになるからだ」
    「了解っ」
    「パターン二つ目の場合、喜三太の居場所についての情報、できればどこのどの部屋、そして今は何をしている、など、細部までの情報を重点的に仕入れること。また、美衣城の誰と手を結んでいるか、関わりが深いかなども必要な情報とする。この場合、こちらの意図がばれない程度であれば多少の発破をかけても構わない」
    「はーい!」
    「最後にパターン三つ目。この場合は、今一度喜三太や風魔に関連がないか徹底的に調査して、それでもやはりなさそうな場合、全員退却」
    「了解」
    もはや司令塔である庄左ヱ門に意見するものはなく、一応設けた間も特に何もなく過ぎ去る。
     その様子を確認して、庄左ヱ門はまた息を吸った。
    「ちなみにいずれのパターンも、しんべヱと金吾は詳細の調査には関わらなくていいからね。パターン一以外で、発破をかける必要がある場合のみ、関わってオッケー。言ったけど、なるべく自然に退却してほしいから、それ以外はあくまで何も知らない他人で通して」
    「はーい」
    緊張感たっぷりに頷いた金吾を他所に、しんべヱは間の抜けた返事をしていた。
    「あと、いずれにしても退却は二日後の夜明けまでとする。情報収集組の役割分担は自由にしていいよ。臨機応変にね」
    そこまで言って訪れた此度の間は、一同が庄左ヱ門に対して、他に指示はないかと待つためのものだった。庄左ヱ門は「そんなもんかな」とぼやきながらもう一度思考を巡らせ、「あ、最後に」と取り直した。
    「矢羽音が必要な場合は、六年のときに使っていたものを使おう。いいね。あと、帰還は土井先生宅によろしく。ここじゃ狭すぎるし、申し訳ないけど家族に負担をかけるから」
    一同が頷いたことを確認すると、力強く腹に力を込めた。
    「以上! よろしく頼むよ!」
    「応!」
    懐かしの面々は一斉に立ち上がった。

     今回潜入組に入らなかった者は、その他全ての荷物をまとめ、土井宅を目指すこととなった。庄左ヱ門、きり丸、伊助、虎若の四人に見送られ、準備を済ませた潜入組は早々と出発した。
     まずは先行してしんべヱと金吾が真正面から接触する。
     道中、二人は並んで美衣城を目指した。
    「金吾、ぼくたちどうする〜? ぼくたちの情報収集如何では次の行動パターン変わるみたいだし」
    「久々に忍びとして活動するのに、いきなり大役だなぁ……」
    金吾が己の腰に差した刀を確認しながらぼやいた。
    「ほんとにねえ。庄左ヱ門はああ言ったけど、忍者のいるお城に、天竺に鶏肉再来とか通用するのかなあ」
    「禁宿に取り入るなーらーいー! しんべヱはとてもじゃないけど忍者には見えないから大丈夫なんじゃないかな」
    南蛮から帰国したばかりのしんべヱは、以前にも増して丸みが増えていた。明らかに筋肉というよりは脂肪である。嫌味を言ったのではなく、今回はそれが利点であることを教えた。
     しんべヱは「あはは、確かにい」と間の抜けた笑いを続け、金吾が「ぼくはどうしようかな」と考え始めたので、軽く袖を引き、足を止めさせた。
    「じゃあ、こういうのは? きり丸から少し不用品を借りてきたから、」
    背伸びをしたしんべヱに、金吾も体を曲げて耳を貸した。
     再び歩き始めた二人は、道中通して二人だけの潜入作戦を吟味した。

        三

    「あ、あの、ごめんなさい! すみません、ちょっと助けてください!」
    美衣城の門番に、商人の格好をした男が慌てた様子で駆け寄った。何事かと門番も見合わせる。
    「あちらで巨漢が倒れていまして、私一人では運べません! お力のある方、どうか人命救助に手を貸してくださいませんか! 一刻を争うかもしれません! どうぞ早く!」
    まるで焦りを感染させるように、その男は大層慌てていた。早く早く、と既に駆け出した男に釣られるがまま、門番の内の片方が後を追い駆けた。より筋肉質な方である。
     しばらく走り、「ほらあちらです!」と商人風の男に促され見てみると、人だかりが見える。その中心には、確かに誰かが倒れていた。
     それまでの調子のまま最前に押し出て、門番は目の当たりにした光景に「これは確かに一人では無理だな」と零した。背丈はそうないものの、質量はずっしりとしていそうである。気合を入れ直し、
    「よし、では運ぼう」
    「はい! せーの!」
    呼びに行った商人風の男と門番の二人で両脇から抱え上げようと踏ん張る。
     しかし残念なことに、その脱力しきった脂肪の塊とも言える巨漢は、ビクともしなかった。
    「ちょっとそちらの殿方、手を貸してください!」
    商人風の男が適当な男性に手招きをする。目を合わせてしまった男性は、またもや促されるままに手を貸した。
     今度は三人がかりで巨漢を抱え上げる。「ふんぬ!」と気合とタイミングを合わせた息遣いが響き、野次馬から歓声が上がった。ようやくその大きな体は持ち上げられたのだ。
    「持ち上がったのでもう大丈夫です! あとは私達で運びます!」
    そう言って後から手を貸した男性に身を引かせると、商人風の男と門番は一歩一歩と踏みしめながら歩を進めた。しばらく汗もだくだくになりながら、巨漢を城内の適当な休憩所に連れ込む。
     二人で一つの大きな試練を乗り越えたころには、言葉もないのに何故か親しくなったように錯覚する。医師の診察中であるが、一向に目を覚ます気配がない巨漢の横で、二人で息を整えるように肩を上下させた。
    「あはは、重かったですねえ。ご協力ありがとうございました」
    空気を激しく入れ替えながら、商人風の男が軽く笑った。
    「いいってことよ。領民を助けるのも大事な仕事だ。お前さんの知り合いかい?」
    門番も汗を拭いながら会話を返す。
    「いえ、通りすがりです。困ってる人を捨て置けない性分でして」
    「そうか。お人好しなんだな」
    「いえ、まあ、良くも悪くも」
    商人風の男は苦く笑ってみせた。
     そろそろ息も整う。
    「ところで、お前さん、その大荷物はなんだ?」
    始終、商人風の男の背中に担がれていた大荷物を指さしていた。今は投げ出されてはいるが、それでも大事な荷物なのだろうとはわかった。
    「その荷物がなければ、こんなに疲労はしなかったろうに」
    「いえ、これは大事な商品ですから」
    「物売りか」
    「旅の古物商です」
    簡潔に会話が進む。
     門番はほうほう、と声を漏らすほど興味津々といった様子で、その荷物を眺めていた。
    「旅の道中でいらなくなったものを回収したり、物々交換したり、売ったりしているんです。見ます? 今もちょっといい物があるんです」
    「おお、さすが商人だな。よかろう、見てやる」
    「はは、ありがとうございます」
    そういうと商人風の男はその大荷物の中から、陶器や布、刀を数点並べた。
     門番は近寄ってまじまじとその商品を物色する。
    「どうです? この陶器なんかは年代物ですが状態はとてもよく、」
    「その刀は」
    「こ、これです?」
    興味を示したのは、一応並べられたが、端に追いやられていた古い刀である。
     商人風の男はそれを丁寧に持ち上げると、
    「何でも業物らしいのですが、私はよく刀はわからなくて」
    「ほう、業物とな」
    尚更興味が深まったようだ。
     刀はまだ鞘に収まったままで、詳しい種類までは判別できはしないが、門番も疑う様子は見せなかった。商人風の男は、駄目押しと言わんばかりに説明を続けた。
    「はい。一度すれ違ったお武士さんが、驚きの値段で売却を申し出てくださったのです。ですが、とっさのことで断ってしまったんです。このお武士さんでそれくらい価値があるとわかるのなら、もっと偉い人にお見せしたら、もう少しよい値段で買っていただけるのではと思ってしまいまして」
    「商人とは難儀なものだな」
    「はい。でもよく考えたら、私のような者が直接お会いできる偉い方って早々おられないでんすよねえ。今はそのお武士さんにお売りしなかったのを後悔しております。人間、欲を出すと碌なことがありません」
    苦虫を噛み潰したような笑みを浮かべ、愚痴を零した。そしてそのまま「これも何かの縁です。よろしければあなたにお安くお売りしますよ」と付け加えた。
     そそくさとそれ以外の商品をまた袋にしまう。
    「なあ、」
    門番が呼びかけた。
    「確かにこれも何かの縁だ。よかったら上の者に商品を一度見てみてもらえるよう、掛けあってみようか」
    「え?」
    「見たところ儲かってる様子はなさそうだし。何より、旅の物売りということはこの国の人ではないということだろう。だというのに領民を何の見返りもなく助けてくれた。そういう人間に、こういう機会は与えられるべきだ」
    門番はおもむろに立ち上がった。
    「まあ、俺の意見で実現するかはわからんが」
    言いながら「着いて来い」と商人風の男を手招きして、一旦その休憩所を後にした。門番の後ろに着いて歩く商人風の男は、物珍しそうに城内を見回しながら歩く。古びてはいるが、よく手入れされており、人事的な余裕すら伺える。
     連れて行かれた先で、門番だけが何かを話している間、少し廊下で待たされた。そうしたら今度はその部屋に招かれ、更にしばらく待たされる。どうやら回答を待っていたらしい。
     それの回答を得たときには、門番は諦めたような顔をしていた。結果はやはり却下だったらしく、初めからそれほどまでに期待はしていなかった商人風の男は、とりあえず礼だけはしておいた。
    「じゃ、悪いけど俺みたいな下っ端でよければ、人を呼んでくるから商品を見せてくれ」
    「何から何まですみません」
    そういうことになり、兵の休憩所代わりの建物の縁側に、商品を並べる許可が下る。門番は十名ほど、おそらくは同僚を連れて戻り、あっという間にその空間は賑やかになった。
     やはりほとんどの兵らが興味を示したのは刀だった。まだ一度も彼らの前では抜刀していない。次第に「試し切り」を要求する声が上がるが、商人風の男は「刀のことはよくわからないが、何かを切ると刃が悪くなるのでは」との懸念があるようで、「何かあった際は試し切りをされた方に買っていただきます」と条件を付けた。すると今度は「ならばお前が試し切りをやったらどうだ」との声が上がる。素人である商人風の男が、綺麗に的を切ることができれば、それは業物に違いない、そう兵たちは口々に言い始めた。
     初めはそれも困ると言い張っていた商人風の男だが、段々と兵たちに気圧され、逃れられぬ空気になる。そうしてようやく、準備された練習用の的の前で刀を手に持ち、商人風の男はそれと対峙した。
     ぎこちなく鞘から刀を引き抜く。初お目見えである。その様子を兵たちは見守った。
    「で、では参ります……」
    自信なさげにそう宣言してから、刀を大きく振り上げた。その勢いのまま、的を目掛けて斜めに切り込みを入れる。それは綺麗さっぱり、上部を切り落として地べたに沈めた。
     何故か兵たちの間から歓声が上がる。
    「弘法は筆を選ばず」
    誰かがどこかでそう呟いていたことも、兵のうち誰一人して気付いてはいなかった。
    「おい、そこの」
    全くもって今の実演でも刃に異常がなかったことを、兵たちがわいわい確認しているときだった。それまでより一層低い声がその場に響く。
      商人風の男が振り向くと、小柄で穏やかな空気を纏った男がそこに立っていた。その男に向かい「なんでしょう」と返事をすると、ゆっくりじわじわと商人風の男に歩み寄る。
    「いやぁ、そちの見事な試し切り、見させてもろうた。本当に刀の経験はないんだな?」
    「あ、はい。せ、正確には、子どもの頃少しの間だけ道場に通っていました……」
    恐る恐るそう答えると、その男は自身の顎を撫でるようにして、わかりやすく何かを考えた。まるで品定めをしているかのような、へばりつく視線を商人風の男に向けている。
    「よし」
    小柄な男が姿勢を正して、そう呟く。
    「よかろう。殿にも是非その刀の切れ味を披露するがよい」
    唐突に踵を返し、背を向けたまま手招きをする。門番と商人風の男は見合わせた。これは商人風の男に「着いて来い」との指示だろう。
    「よかったな。行ってこいよ」
    そんな言葉で見送られ、商人風の男は慌てて駆け出した。

     そのまま何の前情報もなく通された部屋に、数名の男たちが硬い空気の中で何かを談義していた。戸を開けるや否や向けられた強面たちの視線に、一瞬だが怯んでしまう。瞬く間に背筋が凍るのがわかった。
     ――真ん中に座っているのは、召し物からしておそらくは殿だろう。
     両脇を固める男たちは忍びの格好をしていた。右側に商人風の男と同じくらいの背丈で、短い髷の忍びがおり、左には小柄だが目付きが相当に悪い、長く真っ直ぐな髷を揺らしている忍びが見張っていた。……空気を固くしているのは、この両脇の忍びらである。他にも数名、武士と思われる男たちが、厳重に殿の後ろに控えていた。
    「殿、先ほど話になっていた商人です。私の目の前でこの者は見事なまでの切れ味を披露しました。しかし刀の経験はほぼないと。すなわち刀が良いものなのでしょう。一見の価値ありにございます」
    「ほう。では早速披露してみせよ」
    これはいい機会に恵まれた。そう思い、商人風の男が刀を握り直したところ、
    「殿、お待ちください」
    短い髷の忍びがそう割って入った。
    「なんじゃ、水を差すな」
    あからさまに殿は機嫌の悪い声を出した。だが、そんなことでは引くわけもなく、その忍びは冷静に続けた。
    「いえ、こんな素性も知れぬ輩に、殿の前で抜刀させるわけにはいきません。我々が居るとは言え、リスクを買う必要もございません」
    「くっ、お主は本に融通が効かぬのう、浦桐太蔵(うらぎりたいぞう)よ」
    なるほど、髪の短い忍びは『浦桐』というらしい。商人風の男は、頭の中で反芻する。出で立ちから、おそらくは忍者部隊の頭だろうと目星を付けたところで、
    「しかし私も首領と同じ意見にございます」
    反対側を固めていた小柄な忍びがそう肯定した。……やはりこの髷の短い浦桐という忍びは、この城の忍者部隊の首領だったようだ。
     その直後に殿が不満げに漏らした「足田夜郎(あしたやろう)まで」も聞き逃すことなく、商人風の男は記憶に刻み込む。小柄で目付きの悪い忍びは『足田』というらしい。
     ともあれ、殿は少々不服そうではあったが、駄々を捏ねることはなく、
    「仕方ない。切れ味が優れているのはお前が確かに見たのじゃな?」
    と、商人風の男を連れてきた男に投げかけた。男も嘘偽りなく「はい、確かに」と答える。
    「……よかろう。では浦桐よ」
    「はい」
    呼ばれた忍びは一歩前に踏み出した。板張りの間では、足音一つしなかった。
    「お前、その刀を鑑定しろ」
    「御意に」
    足音を立てぬまま、浦桐は商人風の男に歩み寄った。慌てて持っていた刀を差し出し、それを軽々と手放す。
     浦桐が指示通りにその刀の鑑定に入る。まず頭を見て、柄を見る。それから目釘、縁、鍔、と順々に視線を這わせていた。
    「そういえば、」
    沈黙が充満していた間に、商人風の男が空気を揺らした。浦桐以外の者がそちらに注目する。
    「ここへ来る道中で戦兵に聞いた話なのですが、長く戦の続いていた栄衣城と糸衣城の戦いに、横槍が入ったともっぱらの噂とか」
    じりじりとした緊張感が体に伝うのがわかった。どこから訪れたのか、それとなく意識する程度に探りながら続ける。
    「どこかの忍びの里の者とか……何でしたかな。ふう、ふう、ふうか? いや、ふうま」
    そう紡いだ瞬間に、背筋を伝っていた緊張感が、痺れそうなほどのものに変わった。まるで命のやり取りをしているかのような緊張感である。思わず目の前で鑑定されている刀を奪い返して、構えてしまいたいほどだ。なんとか平静を保ち、その威圧のような緊張感の元を探る。目の前の浦桐という忍びからではない。
    「商人よ、何が言いたい」
    何も気付いていないのか、殺気を感じていないようで、殿がしれっと質問で割り込んだ。
     一気にその緊張感が行方をくらます。慌ててそれを意識の中で追いかけると、ようやく一人の男に行き着いた。――足田である。小柄で目付きの悪い、長い髷の忍びだ。
    「え、あ、すみません」
    途切れさせぬように慌てて放った。
    「何か話題をと思っていたら、知識もないのに聞きかじった話を……すみません」
    「……まあ、良い」
    一つ間を置き、「どうだ?」と浦桐の答えを促した。
     静かに首を横に振る。
    「殿、この刀は業物ではありません。この者が切ってよい切れ味だったのは、おそらくは人を斬ったことがないからだったか、はたまた運がよかったか……でしょう」
    「そうか、それは実に残念じゃ」
    用が終わるとそそくさと退散させられ、商人風の男は一人廊下に放り出された。何にも成果はなかったが、大きな収穫があったことに、軽く拳を握り込む。同時に歩き出していた。目指すは、元いた休憩所である。
     しばらく歩くと、眺めていた天板の方からチチチとねずみの鳴き声のような音が降りかかった。商人風の男はようやくか、という心持ちを隠し、丁度脇にあった倉庫のような部屋に踏み入った。少しだけ待ってやると、暗い倉庫の中の天板が横にずれ、見慣れた顔が現れる。
    「団蔵」
    「金吾、よくやった。一部始終見てた」
    「足田だ。怪しい」
    「うん、おれもそう思った」
    簡潔に会話が進む。
    「しんべヱには他を探ってもらうが、ぼくはひとまず足田を中心に追う」
    「了解。こちらもそんな感じで手分けする。また何かあったら接触するけど、基本的におれは金吾の側に隠れてるから」
    「それは頼もしいな」
    「よせやい」
    会話の終了がどこにあったかも明らかではないが、天板は既に元の位置に戻され、団蔵は姿を消していた。

     それからまたしばらくは金吾としんべヱを中心に各々で情報収集に徹した。
     商人に扮した金吾が元いた休憩所に戻ると、しんべヱは目を覚ました演技をしており、
    「あなたがぼくの恩人ですか、お世話になりました。初めまして」
    「初めまして」
    「何かお礼を」
    「いえいえ気にせず」
    というような、なんともよそよそしい会話を周りに見せつけた。
     それから「お陰様でもう大丈夫だと思います」としんべヱは退散し、もう少し中から探りたいと思っていた金吾には、筋肉質な門番が願っても見ない提案を持ちかけた。それは「どの道宿がないのなら、一日くらい泊まっていけ」というもので、思っている以上に金吾はこの門番に気に入られていることを自覚した。お言葉に甘えて、と宿を借りることになる。それからその門番の当番が終わると、記念にと城内を軽く案内してもらうことができた。
     その晩は、兵たちの長屋で酒盛りが行われた。酒を次々と差し出す兵たちを適当に誤魔化しながら、逆に次々と彼らに酒を盛る。頃合いを見計らってから、金吾は探りを入れ始める。
    「そういえば、浦桐という男と足田という男はどんな人なんですか。出で立ちがとても整っていてかっこ良かったです」
    当たり障りのないことを付け加え、門番の反応を待つもりであったが、どうやら待つ必要はこれっぽっちもなかったようだ。その門番は顔を真赤にさせながら、「とんでもない!」と半ば叫んだ。
    「浦桐も足田もうちの城の忍者部隊だが、すこぶる仲が悪い。頭争いをしてるのかなんだか知らんが、おれは外の戦よりも、中で何かが起こるんじゃないかと毎日ヒヤヒヤしてるぜ」
    「そんなに?」
    先を促し、情報を引っ張り出すことに徹する。
    「そうさ。うちの忍者部隊には特に目立つ奴が一人いるんだが、それがまた首領の浦桐側ではなく、二番手の足田側に付いているものだから色々とややこしくてな!」
    「目立つ?」
    「見たこともない生き物を飼い慣らしてるんだぜ。俺ぁ一回だけ見たが、禍々しくてしばらく夜も眠れなかった!」
    程よくを通り越してかなり酔いが回っている門番は、金吾の耳元だということも気にせずに、大声で熱弁した。
     そうして、しばらく続いた大酒盛りは酔い潰れて静かになった。……上手くごまかし続けた金吾を残して。
     それまでの門番との会話を団蔵も聞いているのかと気になっていたので、金吾は短く口を鳴らした。すぐに山彦のように、聞き慣れた音の配列が返ってくる。どうやら団蔵はちゃんとその会話を聞いていたようだ。
     ついでに本日収穫できた情報の共有を行い、最後に団蔵から、明日は足田に張りつく旨を告げられる。合わせて兵太夫たちの報告で、どうやら喜三太はこの城にはいないだろうという知見を得た。
     余計な会話はなく、それだけを伝え合うと、団蔵はまた音を消した。金吾もさも自分も酔い潰れたかのような見てくれを作り、夜を明かした。

     翌朝になる。しんべヱ扮する『助けられた人』が、「恩人がまだこちらにいらっしゃると聞いて」と言って訪ねてきたところから、朝は始まった。ご丁寧に手土産までもをちゃんと準備していたらしく、自然にそれらのやりとりを行った。
    「じゃ金吾さん、用のない者は長居はだめと言われたので、これで私は退散します。商売繁盛をお祈りしております」
    しんべヱが役柄に徹しながらそう言ったが、その間に決められた音の配列が紛れていたことには、金吾以外は気付かぬことだったろう。
     その音の配列は金吾に新報をもたらした。――作戦をパターン二に移行すると。
     金吾はそれを聞き、これ以上の長居は不要と判断、早々に城を発つ段取りを組むことにした。

     一方そのころの兵太夫と三治郎は、忍者部隊の者しか出入りしない建物を発見していた。……その天井裏でのことである。
    「ねえ三ちゃん」
    「なあに兵ちゃん」
    緊張感とは程遠いこの二人の空気は、そこが見知らぬ城の忍者部隊の本拠地であるとは、これっぽちも思わせないだろう。潜入していることが知られれば、厳重注意などで済むはずもないというのに、小声だが、実に楽しそうに兵太夫は笑っている。
    「団蔵の話だと、忍者部隊の中に派閥争いがあるんだろ」
    「みたいだね」
    「じゃぁさ、ちょっと発破かけて見ようよ」
    「発破? なあに、カラクリでも設置するの?」
    三治郎も久々の兵太夫大先生のカラクリ設置に胸を踊らせる。
     兵太夫がそうそう、と肯定しながら、自身の装束に隠し持っていた小型の工具を、次から次へとその場に準備し始めた。
    「三治郎、悪いけどその辺の梁とか柱から、十寸(三十センチ)ほどの木片を切り出してくれない? ぼくは釘とか番とか調達してくる」
    「りょうかーい」
    小声だが元気よく兵太夫を見送り、三治郎は持っていた小しころを手に、手近な柱に歩み寄った。
     そうして材料を集めた二人は、兵太夫指示のもと、簡易的なカラクリの設置に取り掛かる。今回のカラクリは、起動スイッチを踏むことで天井板が頭上に降ってくるというものである。
     指示されたことをこなしながら、三治郎はふと思い出した。
    「ところでしんべヱたちは上手く退却できたかな」
    「さっき乱太郎から伝達入ってたよ。しんべヱも金吾も無事退却できたって」
    手を止めずに兵太夫は知らせる。三治郎は小さく笑ってよかったぁと呟くと、今度は「団蔵は何してんの?」と問う。兵太夫はまたしても手を止めず、短く「設備や戦力の調査」と答えた。集中していても会話はなんとかできるので、器用だなぁと思いながら見ていた。
     ふと、その顔が三治郎に向く。あまりに突然のことだったが、今度は思い出したようにすぅっと息を吸った。
    「珍獣の調査はさ、三ちゃんのが良くない? 」
    「うん、ぼくもそう思う」
    肯定されて満足だったのか、兵太夫はまた工具を握り直し、
    「ここ設置したらそっち行っていいよ、あとぼくで見とくから」
    と促した。
     その後、あまり時間もかからずに設置は完了した。言葉通りに三治郎は、兵太夫とかわいいカラクリを残して、城の影に消えて行った。
     その場に残った兵太夫は、しばらくじっと息を潜めた。さながら獲物が罠にかかるのを待っているようである。天井裏にいるのでほぼ光は入らない。暗闇の中で、足音が聞こえないかと神経を尖らせる。
    「ん?」
    その鼓膜で空気の振動を察知する。梁に乗っている膝や手のひらからも、微かな振動が伝う。……誰かが来た。話し声も聞こえるようになったので、獲物は二匹以上である。
     天井板の隙間から覗くと、小柄で目付きの悪い忍びが、おそらく部下と二人で歩いてくる。……団蔵たちからの話によれば、それは『足田』という忍びだろう。真っ直ぐに兵太夫らが設置したカラクリに近付いていく。
     何かを真面目に打ち合わせしながら、一歩一歩と歩いてくる。兵太夫の抱く緊張感と高揚など露ほども知らない。自身の設置したカラクリに限ってちゃんと作動しないということはないだろうが、それでも実際目の前で見るまでは気は抜けない。いよいよ。いよいよ差し迫る。
     ――足田の右足が、起動スイッチを踏みつけた。
     ゴゴンッ!
    「うを!?」
    「いっ!」
     と、鈍く人体に何かが叩きつける音と、それに耐える音が辺りに響いた。……天井板は意外と重く、精神的ダメージは相当であると予想される。兵太夫はその成功と、マヌケな怒り顔に非常に満足した。
    「いてててて……あ、足田さん、」
    「これは!」
    二人が同時に確認した。降ってきた天井板に、兵太夫は故意であることを強調するため、あっかんべーをしている顔の絵を簡単に描いていた。それを二人がほぼ同時に確認したのだ。
     まさか無関係な忍びが忍び込み、こんなにも自己主張の激しいカラクリを設置しているなどとは、夢にも思わないだろう。
     どうやらその頭にまず浮かんだのは、 
    「浦桐のやつめ!」
    やはりライバルの顔だったらしい。喧嘩の引き金にはなりかねないが、そんな心配はまだ先で良い。今は先にその反応を観察する。
    「浦桐の嫌がらせにもほとほと呆れる! こっちの方が規模が小さいからと馬鹿にして、今に見てろよ。この城の忍者部隊が誇る主力戦力は皆こちら側なのだ」
     ――……ふぅん、そういう感じね。あからさまに対立してんじゃん。
     思惑通り、足田は他を疑うことは一切せず、兵太夫に情報を漏らしていく。
     足田と共に歩いていた部下らしき忍びが、立ち上がった足田を慌てて追う。
    「でも最近なんか浦桐、コソコソしてますよね」
    「そんなの知るか、こっちには風魔の山村喜三太がいるんだ。すぐに秘伝書とやらを解読してモノにしてやる」
    兵太夫は表情を作らず、いらぬ感情は持たぬように聞き続ける。
     二人の忍びは落下してきた天井板を嫌がらせの如くその場に立てかけ、どこかを目指して歩き始めた。兵太夫も合わせて天井を伝う。
     ある廊下の突き当たりに差し当たったとき、足田が不自然に脇の壁を触り始めた。天井板の隙間からの観察では視界が足らず、手を動かしているのはわかるが、どう動いているのかまでは見えない。部下が周りを気にしているのはわかった。
    「ところでその山村はどうしてる」
    足田のその問いと共に、キィッと年季の入った板同士がこすれ合う音が響いた。
    「はい、森の薪(たきぎ)の中のその先に、」
    部下の声はそこまでで途切れ、二人の声は一気に遠退いた。
     兵太夫は二人を見失ったことに対する落胆はなかった。むしろ更に瞳が生き生きと踊り出す。……その壁の向こうに隠し部屋があるのだ。
     小さく小さく、部下の漏らした『森の薪の中のその先に』という言葉を何度か頭の中で繰り返し、脳裏に刻み付ける。そうしながら、そこでしばらく二人の忍びが出ていくのを待った。二人はまるで何か忘れ物を取りに来ただけかのように、すぐにまたそこから出て、来た道を辿っていく。
     目を閉じて、音だけでその状況を感知していた兵太夫は、輝かせたままの瞳を瞼の下から覗かせた。絶好のチャンスだ、今を逃すわけにはいくまい。
     早速兵太夫は廊下に降り、その壁のカラクリを確認する。コンコンと壁をノックしてみたり、シミや取っ掛かり、切れ目を探す。
    「ん、そういうことね」
    呟きながら、簡単に見つけた切れ目の端を押してやると、そこに引き手が現れる。先ほど足田らが入っていったときのようなキィッという音が鳴り、奥に空間を確認することができた。
    「遠慮なく。お邪魔しまーす」
    招かれてもいないのにそう一人で戯け、辺りを確認してからササッと中へ入る。
     中は小さな窓が一つある程度の採光で、広さとしては外から見るよりは余程広かった。忍術学園の教室の半分くらいの奥行きと、幅はさして大きくはない。武器や書類やらが所狭しと散乱している。気をつけねば武器に足を引っ掛けてしまうだろう。
     兵太夫は不十分な採光の中でも目が見えた。先ほどまでずっと天井裏で目を閉じていた身としては、むしろ明るい方である。確実に踏み進む。
     ――お、これは……
     胸の内で呟く。目にしたのは名前が書き連ねてある名簿のようなものだった。四十人余りの名前が記されており、内の大半が一本の横線で打ち消されていた。上から『浦桐太蔵』『足田夜郎』『刈田小綿』『折賀市番』……と続いていく。とりあえずわかる名前はまだ上部の二人だけである。打ち消されているのは『浦桐太蔵』の方だ。つまり、これは派閥内の構成員の名簿なのかもしれない。
    「こんなのご丁寧に一覧にしてくれるなんて、なんて無用心なんだ。ありがとうございまーす。内容だけ失敬」
    いそいそとそれを適当な紙に転写していく。拾った紙だが見るからに書き損じだったので、持ち去ってもばれはしないだろう。
     転写が終わったところで兵太夫は、一旦外に出ることにした。また改めて武器や装備を整えてから戻ろうと思い立ったのである。

     さて、所変わって三治郎は噂の珍獣の調査をしていた。
     この城の忍びの中で少し変わった気配を持つ者を見つけ、それを追跡した。以前喜三太を見かけたときに感じた気配と似ていたので、きっと何か手がかりになると思った。その忍びがどこかへ向かう中で、明らかに忍びではない者の数名と合流し、さらに何処かへ向けて歩を進めていく。忍びは会話で『折賀(おれが)さん』と呼ばれていた。その一行を追い続けた結果、噂の珍獣を飼育しているらしき小屋付きの檻に到着する。一行から少し距離をとっていた三治郎なので、まだ檻の中の珍獣はよく見えていない。
     檻に隣接した大きめの飼育小屋の屋根に上り、そこを静かに伝う。
    「折賀さん、本当に頼みますよ」
    「ああ、安心しろ」
    ここからなら会話もよく耳に入る。しばらくは顔を出さずに聞き耳を立てることにした。
    「私たちではもう手に負えませんから」
    「大丈夫だ。おれもお前らみたいなド素人に任せられないからな。例の新しい用具師と世話役がもうすぐに戻ってくるさ」
    「本当ですか! いつごろその方々はお帰りで?」
    「わからんがそろそろだろう」
    どうやら会話の内容から察するに、現在その珍獣とやらの飼育を任されている者が、音を上げている現場のようだ。大の大人が数名寄ってたかって職務を代わりたいと思うとは、一体どんな珍獣なのだろうか。三治郎は少し覗いて見ることにした。
     そこには体長十五尺(四・五メートル)もある、大きなトカゲのような生き物が四匹ほど飼われていた。長く尖った口を大きく開閉して、大きな生の魚を不器用に口の中へ落とし込んでいる。その牙や瞳、硬い鱗肌まで、全てが獰猛なのだと物語る。何とも恐ろしい光景だ。
     三治郎は、万が一にもこの生き物と対峙する場合を考え、観察を続けた。姿形を模写し、食べ方や動き方の癖など、その場の人間たちの会話よりも注意深く、その生き物の情報を収集した。

     その晩の夜更けである。
     もう既に明日の朝が庄左ヱ門により設定された最終期日である。最後の夜を如何に有効利用するか。それを議論すべく、今回作戦に参加している六人全てが集合していた。人の出入りが少ない倉庫の、天井裏である。
    「この城の忍びの名簿を手に入れたよ」
    まずもって兵太夫が短く教え、紙切れを懐から取り出した。
    「おお! すげぇ! おれ結構自分で見たから色々情報書き足そう。名前見せて」
    団蔵が勢いよくその名簿を手に取り、地べたに置く。皆が見えるようにあまり顔は近づけず、名前を読み上げながら「こいつ見た!」「こいつ知ってる!」などと、独自で獲得した情報を書き足していく。
    「この名前の前にある丸印はなに?」
    乱太郎と三治郎から疑問が上がる。
    「ああ、それはさ、たぶん派閥員だと思う。つまり丸を名前の前に付けている忍びは、足田派ということ」
    「なるほど」
    「こんなに派閥間の構成員をはっきりさせてるってことは、本当に何かやらかす気かもね」
    「それは厄介だよね」
    一段落ついた会話を置いて、沈黙が生まれる。全員が団蔵の書き足している手元に視線を落としていた。そして、ある重大なことを思い出す。
    「って、ちょっと団蔵!」
    「え、何!?」
    いきなり大きめの声で名前を呼ばれ、集中していた団蔵は肩を跳ね上げた。
     一拍遅れではあったが、皆と同じように団蔵の手元に視線を落とした三治郎も、
    「うわあ! きったな! 兵太夫の字まで潰れてるじゃん!」
    とダメ出しをせずにはいられず、続いて団蔵の隣に座っていた金吾が、
    「もういいから筆貸して! ぼくが書いてあげる!」
    律儀に裏面に名前と特性を新たに書き直し始めてしまった。
    「団蔵の字が破壊的なのお約束だったね。忘れてたよ」
    止め刺すように兵太夫が放つ。
     団蔵は口を尖らせて、ふくれっ面になった。
    「そこまで言わなくてもいいだろ……ほっとけよ」
    「まあまあ、団蔵。元気出して?」
    「しんべヱしゃまあああああ」
    大げさにしんべヱに泣きついた。柔らかく優しい脂肪に何故か安心してしまうが、傷心していれば仕方のないことだろう。
     それから気を取り直した団蔵と金吾が、忍びの一覧を補完していく様を、残りの忍びは見ていた。「それが多分最後かな」と言われ、書き終わるや否や、兵太夫が再び会話の主導権を握る。
    「皆の集めてくれた情報を集約してみた感じ、おそらく主戦力と思われるのは、名簿の上部に名前が挙がっている人だと思うんだよねえ」
    「うん、同意」
    「加えて見てわかるように、首領である浦桐派は総勢三十名と数が多いのに対し、喜三太と何やら関わりがありそうな足田派はわずか十名。面白いことに、この足田派は名簿の上位を占めている。三治郎から聞いた、珍獣の世話をしていた忍びの『折賀市番(おれがいちばん)』も足田派」
    理解度を確認するために、一度全員に目配せをする。代表して団蔵が頷き、「つまり」と兵太夫がつなぐ言葉を置いた。
    「喜三太関連については、足田派の上位五名くらいを警戒すればいいと思うんだ。逆を言うと、上位五名くらいの情報はしっかりと収集しておきたい。だけどその中で、実質足田派の二番手であるこの人だけ、誰も情報を得られなかった」
    その長く器用そうな指先が、上から三番目の名前を指す。『刈田小綿』と書かれた名前である。「本当に誰も情報ないの?」 と付け加えるも、そこに会した首は全て横に振られるだけであった。どの忍びや兵の間でも、一度もその名前は上がらなかったのである。
     少し間を置き、兵太夫は腕を組んだ。
    「じゃ、もうすぐ退散だから、最後にもう一度ぼくと三治郎と団蔵で、足田派の隠し部屋に行こう。この刈田ってやつの情報を何かしら掴みたい」
    皆が息を飲む。
    「で、乱太郎と金吾、しんべヱは退路の確保をお願い。何なら外で待っててもいい」
    異論は生まれず、乱太郎としんべヱが真っ先に「了解」と返答した。
     残る情報ももちろん持ち寄り共有した。兵太夫が得ていた喜三太の居場所を示していると思われる『森の薪の中のその先に』というキーワードから、三治郎が得た珍獣の情報まで。庄左ヱ門の指示通り、おおよそ三人で収集した情報は、どれも大きな成果である。

     さて、その後、早速二班に分かれて、それぞれこれからどう動くかと打ち合わせを始める。兵太夫、三治郎、団蔵の三人は二・三打ち合わせをするだけで、時間と戦うために早々と移動を始めた。
     まだ日が高い内に兵太夫がしたように、その隠し部屋へは難なく潜入できた。もちろん中に誰もいないことを確認したのち、三人は音も立てずに忍び込む。採光用かも疑わしい小さな窓からは、星明かりすらほとんど入らない。ほぼ真っ暗闇である。ぼく夜目が効くから、と三治郎が先頭に立ち、僅かな光で調査を進める。
     数刻経っただろうか。廊下を歩く足音が聴こえる。三人はほぼ同時にそれに気づき、同時に見合わせた。慌てて、でもあくまで冷静に身を隠す。むき出しになった天井の梁の上に乗る者もいれば、窮屈に配置された棚の影に隠れる者もいた。それは功を奏し、予想通りこの隠し部屋に踏み入った忍びの視界から逃れることに成功した。間一髪である。
     入ってきたのは、足田である。昼間と同じ部下を連れていた。おそらく名簿で言うと、上から五番目くらいの部下である。
     足田は大層苛立っている様子で、「くそっ!」と吐き捨てた。
    「糸衣城も佐武も何をしておる! せっかく風魔の里の次期頭領、山村喜三太を使ってやったというのに、いつになったら風魔を攻めるんだ!」
    いきなりの核心を突いた話題に、三人はこれでもかと言うほどの聞き耳を立てる。願ってもみなかった情報の雨が降る予感すらさせている。
     一方で美衣城の忍びの方は、全く穏やかにはならない。否、頭が冷静でない分、抑えるように部下が冷静に、静かに応答した。
    「そっちが片付かないと厄介ですね」
    「全くだ! わざわざ風の術まで使ってやったのに……! 風魔の里を滅ぼして、おれたちが成り代わろうという計画が一向に進まんではないか!」
    「例の秘伝書の解読も余り思わしくないとか」
    会話をしながら、二人は何やら書類や武器を懐などにしまっていく。梁の上から見ていると一目瞭然だが、おそらくはどこかへ出る準備をしているのだ。
     ブツブツと足田が不満不平愚痴等々を連ねていると、部下はまた落ち着けるように「山村喜三太も中々手強いですね」と、簡単な同意を示して見せた。どちらかというと、単なる相槌である。
    「困ったもんだ。時間をかければかけるほど、不利になるのはこちらだというのに……! 今日こそは!」
    「浦桐も何か企んでいるようですしね」
    「まあそれもそうだが、それは取るに足らない。何よりは、奥方様のお誕生祝いの席が近いということだ。何か行動を起こすならば、そのときが一番やりやすい。無礼講で酒が振る舞われる大催事だ。もう日程がすぐそこまで来ている」
    足田が頭巾を締めた。顔の半分を覆うように布を引き上げる。部下も同じようにそうした。
    「ところで刈田(かりた)は何をしている。最近見かけぬが」
    「何やら浦桐から命を与えられたらしく、出ております」
    二人の忍びは、出口に向かい歩き出した。出る準備が整ったのだ。
    「ったく、刈田はこちら側だというのに呑気な。……準備はできたか?」
    「はい」
    「ではまた森の薪の中で」
    「はい、後ほど」
    ささっと二人は隠し部屋を後にした。
     それからもしばらく、三人は息を殺し続けた。初めに緊張感を解いたのは団蔵だ。隠していた身を現し、兵太夫と三治郎が隠れたであろう方向へ視線を向ける。残る二人も続々とそこへ姿を現した。
     何を言葉にするでもなく、瞳に全てを語らせる。
     意思の疎通が図れたことを核心した三人は、一度頷き合い、それから窓の外の白んできた空を見た。
    「もう夜明けが近いな、そろそろ退散しようぜ」
    団蔵の提案に二人も乗り、六人全員が無事に退却することに成功した。

        四

     京の洛北を出発してから『二日後の夜明け』になっていた。几帳面なまでに庄左ヱ門の指示を順守した面々が、続々と土井宅の玄関に上がり込む。
    「ただいまあ〜」
    「おお、おかえり! 皆! 団蔵たちが帰ったよー!」
    初めに気付いたのは庄左ヱ門で、夜明けのご近所迷惑も忘れて大きな声で家の中に呼びかけた。
    「おお! おかえり!」
    「ただいま!」
    顔を洗っていたり、朝食の準備をしていたり、と様々だった留守番組がぞろぞろと集まる。
    「怪我はない? 皆無事? よかったあ!」
    などの生還を祝う会話がなされながら、一同は居間へ移動する。未だ止まぬ雑談とともに、自然と輪になって腰を下ろした。
    「じゃ、悪いけど早速報告をよろしく」
    庄左ヱ門のその一言で、皆があっという間に口を閉ざす。
    「じゃ早速だけど、ザックリ言うね」
    切り出したのは乱太郎だった。
    「まず、喜三太自身はあの城にはいない」
    簡潔にわかりやすく報告する。
    「でも関わったのは確か」
    団蔵が続ける。
    「『糸衣城と佐武は何をしておる、早く風魔を攻めんか。せっかく風魔の里、次期頭領の山村喜三太を使ってやったというのに』って話が聞こえたね」
    兵太夫も後に続き、
    「『わざとらしく名前が広まるようにしたのに』みたいなことも言ってた」
    三治郎が補足した。
     まだ声を発していなかったしんべヱも、
    「あと、風魔の秘伝書の解読がなんとかって言ってたみたい」
    と付け加え、
    「完全に黒じゃねぇか」
    というきり丸の感想を誘った。
     それに対し団蔵が「そうなんだよ」と肯定した後、最後に金吾が、
    「でもごめん、今回の調査では喜三太が本人だったかどうかの確証は得られなかった」
    と締めくくった。
     腕を組んでいた兵太夫が、再び口を開き、
    「でも喜三太と思しき人間の居場所は、手がかりを得られたよ」
    一人一言以上を言い終えて満足したのか、一旦全ての瞳の行き先が集結する。ここまでの情報で、庄左ヱ門が思うところを問う。
    「……わかった」
    察した庄左ヱ門も期待に応えるべく、息を吸った。
    「じゃ結局、喜三太かっこ仮はいなかったってことで、本人であれなかれ、糸衣城にちょっかい出したのは、単に風魔の評判を落として、あわよくばどこかの城が潰してくれないかなと画策してたってことかな?」
    「ザックリ言うと、そういうこと」
    「派閥争いの延長線上なだけで、別にそれが風魔じゃなくても良かったって印象だけどね」
    団蔵が肯定して、三治郎がさらに補足した。
     庄左ヱ門は「派閥争い?」と復唱する。まだその説明が行われていたかったことに帰還組は気が付いた。それぞれが何かを言いたそうに口を開けたが、
    「そうそう」
    先に声を出したのは、直前までしゃべっていた三治郎だった。派閥争いと合わせて、共有しなくてはならない大事な事項があることを思い出していた。
    「美衣城の忍者部隊は派閥争いがひどく殺伐としていたよ。例の珍獣についても調べたんだけど、珍獣を使う忍びは、喜三太と関係がありそうな方の派閥に属しているみたい」
    三治郎が終わるや否や、兵太夫もそうそうと軽く続ける。
    「というか、美衣城の実力派はほぼ皆、喜三太と関係がありそうな少数派の派閥にいるらしい」
    「この少数派がどうやら何かの悪巧みをしていて、風魔の秘伝書を持っているみたいだし、風魔を潰してくれないなぁと思ってるみたい」
    乱太郎もまた続ける。
     大切な情報だ。庄左ヱ門は改めてそれらを頭に叩き込み、「なるほど。ありがとう」と帰還組にそれぞれの労をねぎらった。
     それにより生まれた一つの間を縫うように、乱太郎が控えめに手を挙げた。
    「あの、ごめん、ちょっと厠に……」
    「え、あぁ、ごめん、いいよ」
    申し訳なかった、という表情で庄左ヱ門は返し、乱太郎も「大事な話の最中にごめん」と苦笑しながら立ち上がった。
    「あ、じゃごめん、ぼくも喉が渇いて仕方ないや。なんか飲んで来ていい?」
    兵太夫も許可を求めた。そしてもちろん却下されるわけもないので、返答を確認する前に立ち上がる。
    「あ、ぼくも行く。皆の分も注いでくるね!」
    後を追ったのは三治郎で、伊助も「ならぼくも手伝うよ。というかおにぎり握ってあるよ」と席を立った。残された団蔵らは「やった! 気が効くなあ!」と見送った。
     四人の背中が見えなくなったところで、庄左ヱ門はまた皆に意思の強い視線を向けた。
    「で、喜三太はどこにいるって?」
    今度は金吾が教える。
    「さっき言った、悪巧みをしている少数派閥の隠れ家みたいなところがあるみたいなんだ。そこにいそうな会話だった」
    「それの場所は? 特定できた?」
    さらに深く問う。大事なことである。
     しかし残念ながら、そこで声のトーンを落とした。
    「ごめん、現段階では本当に手がかりに過ぎないんだけど、兵太夫が『森の薪の中のその先に』って言葉を聞いたらしい」
    報告が途切れた。しんべヱも「うんうん意味わかんないんだよねえ」と一緒にぼやいた。お手上げといったところだろうが、庄左ヱ門は違った。腕を組んで、二・三秒ほどかかるかかからないかくらいだった。
    「……『森の薪の中のその先』ねぇ。暗号のつもりかなぁ」
    「え、庄ちゃんわかるの?」
    一同を代表して、それまで静かに話を聞いていた虎若が感心したように問うた。
    「だいたいの場所はね。『もりのたきぎ』の『中』は、『りのたき』だろう。『り』は表裏一体の『裏』、つまり裏ね。『たき』はそのまま『滝』だ。美衣城の裏の山に、有名な滝があるんだよ。でもおそらくこれは単なる目印で『その先に』その場所はあるんだろうね……了解、次はそこからだね」
    芯を強くそう宣言すると、庄左ヱ門を賞賛する声が端々で上がった。「簡単だよ?」と教えたことに対しても、皆が庄左ヱ門をもてはやす。席を立っている面々が戻るまで、緊張感を少し緩めていた。

    ――「ねぇ皆、楽しそうだねぇ。何の話?」

     そこへ予期せぬ声が唐突に、まるでそこから沸いたように響いた。違和感なくこの場所に馴染む間延びしたその声に、一刻近く誰も違和感に気付けなかったほどである。初めに気付いた庄左ヱ門と虎若が、真っ先に声の方へ振り返った。
    「きっ、喜三太あ!?」
    「え、喜三太!?」
    釣られて他の面々も振り返る。行動の早い者は同時にとっさに立ち上がり、更に中には、臨戦態勢に入る者もいた。
     確かにそこには、風魔の忍び装束をまとった喜三太が紛れ込んでいたのだ。近かった立ち位置も、皆が気付いて振り向くや否や数歩距離を取った。
    「お前! どの面下げて、」
    「待って虎若」
    余りにもとっさの出来事だったため動転したような虎若を抑え、庄左ヱ門はじいっとその喜三太を眺めた。何か違和感はないか。おかしなところは。脳みそだけでなく、五感全てを総動員して、目の前の喜三太について検証していた。
    「はにゃ〜? なんか皆怖いねえ。どうしたの?」
    間の抜けただらしない声色。喜三太そのものである。
     だというのに、警戒から何も行動できなくなっていた面々を差し置き、真っ先に金吾が吐き捨てた。
    「……お前、喜三太じゃないだろ」
    何故そう思ったか明確にはわからない。だが、確かに一人ひとりの胸の内にいる喜三太とは、どこか相入れぬような気はした。
    「ええ〜? 酷いなあ。久しぶりに皆が集まってるから様子を見に来たのに。ぼくは正真正銘、風魔の次期頭領、山村喜三太だよお」
    その笑顔とは裏腹に、じりじりと焦がすような緊張感がその場の空気を汚染する。
     喜三太はまた絡みつくような笑みを作り直し、
    「信用してもらえてないみたいだから、今日はお願いだけして帰るね」
    「お願い?」
    「うん。ぼくにも色々考えがあって動いているんだよねえ。だからぼくの周りを嗅ぎまわるのはやめてくれないかなあ。今後の風魔を左右する大問題になりかねないからさあ。里を背負うって結構プレッシャーなんだ」
    誰一人としてその投げかけには応答しなかった。尤もらしい話ではあるが、拭いきれぬ違和感は希望なのだろうか。
     何も反応がないので、喜三太は諦めたようにため息を吐いてみせた。
    「お願い、ちゃんとしたからね?」
    続けて「じゃ」と放ったその刹那に喜三太は振り返り、音を殺しながら背後に迫っていたきり丸の腕の間を、さながらナメクジのように体をうねらせてすり抜けて行った。
    「あ、おいっ! 待て!」
    すぐに団蔵と虎若が飛び出したが、きり丸はその場に立ち尽くした。
     自身の瞼に残像として残るその嫌味な笑みが、余りにも悍ましく思えてしまったからである。じわじわと気持ちの悪い汗が、体に絡みつくように滲み出る。
     ……そして、なんだ。この果てしない違和感は。やはりそれはどう大袈裟に見積もっても、三年やそこらで変わるはずのない喜三太の何かと違っていた。
    「びっくりした……」
    庄左ヱ門が呟いた。
     その更に隣に立ち上がっていた金吾は思わず、
    「ええ、びっくりしてたの!?」
    驚きに声を上げた。
     同様に水を汲みに席を外していた兵太夫と三治郎、伊助が、
    「ちょ、すごい音したけど!?」
    「どうしたの!? 何かあった!?」
    と、慌てて戻ってきた。それ程までにドタバタと衝撃が伝っていたのだろう。
     戻った面々に残っていた面々がああだこうだと今起こった一部始終を、それはもう興奮気味に熱弁した。
     更に今度は「くそぅ! 見失ったぁ!」と姿を見せる前から団蔵の雄叫びが聞こえた。続いて当の団蔵と虎若が部屋にどかどかと姿を現す。
     興奮気味の意見交換会は更に白熱した。
    「皆、落ち着いて」
    そこに加わっていなかった庄左ヱ門が、言葉に違わぬ落ち着いた声で制する。
    「あれはもう、確定だね」
    同じく落ち着いていた金吾に目配せをやった。
    「うん、あれは喜三太じゃない」
    「姿形を真似できても、全然仕草や言葉のイントネーションが違うよね」
    二人でうんうんと納得している様子を見て、必死に後を追った団蔵が「そうなのか……?」と首を傾げた。
     万人にわかるほどの違いはなかったにせよ、万人を騙すほどの完全さもなかったというわけだ。
     きり丸も確かに、と静かに肯定していた。
    「とにかく、」
    再び庄左ヱ門が主導権を握る。
    「皆が集めてくれた情報と今の出来事を合わせて考えると、喜三太は美衣城の少数派閥の、それも別拠点に捉えられている可能性が高いことになるね。度々ぼくらの前に現れた喜三太は、誰かの変装だ」
    「……あ、刈田」
    団蔵が呟いた。
    「ああ、刈田!」
    金吾が思い出したように繰り返す。
     更に庄左ヱ門が詳細を促すべく、同じように「刈田?」と反復した。
    「これ、これを見てくれ」
    そう言って提示されたのは、兵太夫が手に入れ、皆で補足を書き加えた美衣城の忍びの名簿である。その上から三番目の名前を指し示した。
    「大体の忍びは調査で戦力や性格がわかったんだけど、この刈田ってやつだけは始終不在だったらしく、何の情報も見つからなかったんだ」
    「……なるほど、それが喜三太に変装をしている忍びである可能性があると?」
    「むしろ、あとは刈田しかいない」
    大真面目な眼差しでそこまで話がまとまったところで、突然裏庭の方から盛大な音が響き渡った。人間が色んなものに体当たりでもしているような、どかどかと騒々しい音だ。一同は一斉にそちらの方へ振り返った。
    「いやぁ〜災難な目に遭ったよ〜」
    乱太郎だった。頭にたんこぶを作り、おまけにどこか疲れ果てたような顔をしていた。
     ほぼ全員が忘れていたが、兵太夫たちが席を立つ前に、乱太郎も厠へ向かっていたのだ。
    「お、おお、乱太郎。って、おい、服どうした」
    厠へ立つ前とは着ているものが違っていた。その真相を尋ねたのだが、痛々しいたんこぶを抱えて苦笑している乱太郎を見ていられず、きり丸は歩み寄った。当の乱太郎はまた諦めたような笑いを零しながら、「それがさ〜聞いてよ〜」と弱音を吐いた。一同の輪に加わる。
    「私が厠に入るときにはなかった犬のフンが、出るときにはあってさ、それに気付かずに踏みつけて滑って転んで、頭ぶつけるわ、服に犬のフンがつくわで大変な思いをしたの!」
    「お前何誰も見てないところで不運発動させてんだよ。誰かいるところでやれよ」
    そう言ってきり丸が笑い飛ばしてやると、乱太郎はきょとんと目を瞬かせ、「え? 信じてくれるの?」と尋ねた。
     余りにもわかりきったことを聞くので、きり丸は思わず眉間に皺を寄せてしまった。
    「はあ? 何言ってんだ、信じるに決まってるだろ。お前にしちゃ序の口だけどな」
    「乱太郎だもんね〜」
    しんべヱも柔らかく笑った。あははと乾いた笑いを乱太郎は漏らし、私だもんね、とため息を着いた。

     一連の出来事のあと、庄左ヱ門は次の行動を考えるから少し時間をくれ、と土井宅の屋根に登って行った。そこで一人で思索に耽っているようだ。朝ご飯までには考えをまとめとくよ、と兵太夫が持ち出した名簿や地図を手にしていた。
     その間、他の面々はそれぞれ久方ぶりに体を洗ったり、全員分の朝食を準備したり、洗濯をしたりと大忙しである。
     あぐらをかいて屋根の上で黙々と集中していた庄左ヱ門の後ろで、洗濯物が旗めき始めてしばらくしたころ。庄左ヱ門は背後で気配を感じた。思わず身構え振り返ると、「庄左ヱ門」と伊助が顔を出していた。
    「邪魔してごめん、朝ご飯できたけどどうする?」
    「あ、そうか。ありがとう、今行くよ。先に行ってて」
    「うん」
    満足したように伊助は笑い、先に屋根を降りていった。
     そこでようやく気が付いたが、焼き魚のいい匂いが屋根の上まで届いていた。十人分である。匂いも濃厚だ。
     庄左ヱ門は一度意識して肩の力を抜き、腕を回す。しばらく同じ体勢で考えに耽っていたので、体が固まりそうである。その場に立ち上がり、今度は屈伸をしてから屋根を降りた。
    「皆お待たせ」
    見れば、既に全員に朝食が行き渡っていた。誰にも配当されていない分の一揃えの前に腰を下ろし、庄左ヱ門は周りと息を合わせて「いただきます」と手も合わせた。
     何事もなかったかのように、穏やかに食事が始まる。……始まったというのに、抑えきれないと言った様子で、きり丸が口をもぐもぐさせながら「それで」と宛もなく呼びかけた。
    「節は揃ったか?」
    内容から自身に向けられた言葉だと気付き、庄左ヱ門も口に含んだ白米を咀嚼しながら、視線をそちらに向けた。周りからも注目を浴びていたことに気づき、皆が気にしていたのだとようやく理解した。
     白米が飲み込まれる。
    「ごめん、時間かけた割にそんな大した内容じゃないから、ご飯の後でもいいんだけど」
    そこまで言うと、今度はしんべヱが「そうだよ、ご飯は美味しく食べなきゃ」と付け加え、しかしそれに対してきり丸は「だって気になって仕方がないんだもん」と反論した。
    「もし庄ちゃんさえよければ聞かせてよ」
    そう念押ししたのは三治郎である。
     口に入っていたおかずとご飯を流し込むように、野菜汁をぐいっと口に含む。
    「……皆がいいならぼくはいいよ」
    一度お椀と箸を置いて、改めて全員に目配せをした。それぞれの意志を確認するためである。全ての瞳に強い意志とやる気が宿っていた。それを庄左ヱ門は悟った。
    「わかった。じゃ、今後の流れを説明するね」
    箸だけは握り直した。
    「簡単にいうと、まずは団蔵と三治郎に情報収集をしてもらう。連続で悪いけど。敵の忍びと出くわす可能性が否めないから、現役で活動している人にお願いしたいんだ」
    白米のお椀を持ち上げる。
    「収集する情報は隠れ家の場所。これだけ。潜入はまた改めるから、外から見える程度の中の様子もわかればお願い。出発は夜でいい。それまでゆっくり休んで」
    そう二人に語りかけると、快くそれを聞き入れ、軽く頷いて応答した。
     引き続き庄左ヱ門はお椀を握ったまま、
    「二人が隠れ家の場所を突き止めてくれるまでの間、きり丸、乱太郎としんべヱは三治郎のスケッチを元に、珍獣について書店などで調べて来てほしい。これはできれば今日中にお願い」    
    また対象の三人に目を配って反応を確認する。団蔵たちと同じように、軽く頷いて見せられた。
    「それから兵太夫、金吾、伊助は武器や忍具の整備をお願い」
    今回も名を呼んだ三人に視線だけで意思確認をしながら、ようやく一口白米と魚を口に詰めた。三人全ての回答を取得している間に咀嚼、汁で全て胃の中へ流し込む。
     口が空になるや否や、「で、ぼくと虎若は」と再び始め、
    「朝食の後、それぞれ栄衣城と糸衣城へ行って、やっぱり横槍を入れたのが喜三太じゃなかったことを伝えて来たいと思う。気になってるだろうし」
    虎若は「ああ、確かに!」と深く納得した様子で、口に物を含めた後で盛大に頷いて見せた。庄左ヱ門は「虎若は糸衣城、ぼくは栄衣城ね」と念を押した。
     改めて皆が静かに食を進め始め、庄左ヱ門も二・三、箸を進めた。
    「あと、団蔵たちが戻ってからなんだけど、大まかに伝えておくね。実際前線に出てもらうのは、引き続きの団蔵と三治郎、あと、しんべヱ、虎若、金吾で考えてる。兵太夫、きり丸、乱太郎と伊助は、ぼくの元で伝達や補佐をしてもらう予定」
    簡潔にそう伝達すると、「以上」と短く締め括った。今度は誰の反応も確認せず、普段通りの食事を楽しむように箸を伸ばす。
    「……え?」
    余りの突拍子のない終わりに、
    「終わり?」
    「え、詳細は?」
    「なんでこんな陣容なの?」
    と方々で飛び交った。
      これでは余りにも内容が不透明である上に、発表された面々は何をどうするのかすら見当も着かない。
     と、同時に、人一番今回の陣容に対して意見のあったきり丸は、
    「そうだぜ! 最初の作戦のときもおれ留守番だったし、前線に立つなら真っ先におれだろ!」
    と食いついた。
     そうだ、この面々の中で間違いなく一番忍びとして活動しているのはきり丸である。そのきり丸が、前回も今回も留守番とは、宝の持ち腐れもいいところなのである。
     しかし庄左ヱ門は全て加味した上であることを暗に教えるように、「まあ落ち着いて」とそれらを制した。
    「作戦の詳細を組み立てるにしたって情報が足りなすぎる。だから、先に三治郎と団蔵に行ってもらう。なぜこの陣容なのかは、三治郎たちが戻ってから詳しく話すよ」
    「……何か考えがあるんだね」
    そう言って庄左ヱ門に確認を取ったのは伊助だった。隣で黙々と箸を進め、既に完食していた。
    「そんな大したものじゃないよ」
    返答をしながら庄左ヱ門も、最後の一口を口に含んだところだった。

     その夜更け。
     庄左ヱ門から指示のあった団蔵と三治郎は、待ち切れず既に『森の薪の中』が示す場所、つまり、美衣城の裏の滝の側に身を潜めていた。
     どういう頻度で、どんな者がここを往来するかは見当もついてはいないが、二人は宵闇に紛れ、気配の通過を待った。
    「団蔵」
    無声音で三治郎が呼びかけた。
     その直後に、微かに葉が揺れたのが目に留まる。
     滝の落水音で葉のざわつきは聞こえないが、葉に付着した水滴のお陰で、光の屈折がよく見えた。
    「うん、あれはきっとそうだ」
    団蔵も無声音で返し、手のひらを後ろから前へはためかせ、その気配を追うことを明確にする。二手に分かれ、別々の位置関係を保ったまま、二人は気配を追う。
     その気配は川辺の脇道を迷いなく進んでいく。そろそろ葉のざわつきをかき消す落水音は届かなくなっていた。敵の忍びの移動の音がはっきりわかるようになったと同時に、二人も細心の注意を払って音を殺す。
     ひたすらに川辺の道を進んだのち、川の流れが曲がる箇所があった。そこからは川を離れ、これまで流れていた川筋の延長線上を辿るように、さらに森の奥へ突き進む。
     それから半刻ほどか、現れた大きな建造物を前に、団蔵と三治郎はそれぞれ足を止めた。追っていた忍びはそのままその中へ入っていく。しばらく変化がないか様子を伺ったのち、
    「……こんなところに廃城?」
    「もう何十年も前のものみたいだ」
    静かに二人は合流した。
     廃城であるというのに、目の前の門には松明が設置され、その左右には門番のような身なりの人間が二人立っていた。
    「ご丁寧に門番まで、」
    「しっ」
    三治郎の口元を抑える。見ると、門が開き、中からまた人が現れた。先ほど追っていた忍びかは定かではないが、明らかにそのような風貌である。門番に何かを言付けると、筒状の何かを入れた風呂敷を体に巻く。結び目を何度か確認し、焦っているように走り出した。
     団蔵と三治郎が見合わせ、今回は追わないことに無言のまま決定し、とりあえずその忍びの気配が消えるのを待った。
    「……見たか?」
    確認したかったのは、その忍びが抱えていた風呂敷のことである。
    「うん、あれはきっと」
    二人は声を揃えた。
    「風魔の秘伝書」
    綺麗に揃ったことに満足し、
    「やつら、今まで隠れ家に置いてあったものを城へ移す気なんだ」
    「……刈田のことと言い、もしかしてぼくらが潜入していたことはばれてたのかなあ」
    少し残念そうに三治郎がぼやいた。そんな風には全く思えなかったので、騙されていたのは自分たちの方なのかと落胆しているのだ。
     しかし団蔵は、「いや」と短く意見した。
    「少なくとも、潜入時点で足田は気付いていなかったと思うよ。知ったのはおそらく、おれたちが退散した後だ」
    「ああ、だからあんな回りくどい手で牽制してきたんだ」
    三治郎の納得後、また少しの間を設けて異変がないかアンテナを張る。会話は生まれなかった。
     何もなさそうだと確信し、
    「……じゃ、調査して帰ろうか」
    「そうだね」
    外からでいいとまで指示を受けていた二人は、何かしら足しになる情報を入手したいと思っていた。二手に分かれて城の外周を辿ることとし、反対側で合流しようと決まる。
     そうして少しだけだが手に入れた情報を、一刻も早く皆に伝えようとその場を去った。喜三太救出に備えるため、早々と帰路に乗る。来た道を辿り、道順を確認するように多少遠回りをしながら、土井宅へ急いだ。

     帰還した二人を出迎えたのは、意外にも伊助だった。庄左ヱ門もまだ起きており、あとは先ほど寝付いたのだと聞かされる。しかし、二人の帰還と同時に数名が目を覚ました。「おかえり」「お疲れ」「どうだった」と少しずつ同時に交わされる言葉が大きくなり、結局のところ全員が目を覚ました。
     今までの流れでいくと、そのまま情報の共有との流れだったので、「じゃ早速話してよ」と乱太郎が提案した。
     しかし今回は思わぬ制止が入る。口を開こうとした団蔵を遮るように、庄左ヱ門が「ごめん」と言葉を止めたのだ。何事かと驚いた一同は、皆が庄左ヱ門に注目した。
    「今回はぼくだけに報告してもらおうと思う。皆に知っておいてほしいことは、改めてぼくから伝えるよ」
    「え……? まあ……いいけど」
    「悪いね」
    そう言い残して、庄左ヱ門と団蔵、三治郎は三人だけで場所を変え、残された面々は腑に落ちないながらもまた寝支度を始めた。きっと庄左ヱ門にも考えあってのことだ。そう口々に言い聞かせ合った。

     翌朝である。起き抜けと同時に庄左ヱ門が、今日は皆出発する準備をして、との指示をした。それに皆が素直に従い、身支度を済ませた。そんな面々を改めて見渡し確認する。
    「よし、皆準備できたね」
    「はーい」
    「では今回団蔵たちが持ち帰ってくれた情報を共有する」
    飛び出す気でいたので、拍子抜けと言わんばかりにお互いを見合わせた。改めて空気が落ち着いたことを感知すると、庄左ヱ門も改めて口を開く。
    「まず、足田派の隠れ家の場所だけど、美衣城の裏の滝から直線距離で西にしばらく進んだところにある廃城らしい。その滝からの川辺の道でないと山道が険しすぎて、ほとんど通れないそうだ。途中川が曲がるようだけど、そこからは川から離れて西にまっすぐでいい」
    「廃城なんだ。大胆だね」
    珍しくしんべヱが添えた。
    「そうだね。でも悪巧みをしているやつらのねぐらとしては、常套と言える」
    「確かに」
    庄左ヱ門は続ける。
    「そこでは、美衣城の忍びとは全く関係のなさそうな、一般の番を雇っているらしい。正門裏門各二名ずつ待機しているとのこと。中にも少し衛兵がいるみたいで、忍びではないけども、腕は立ちそうとのこと。実際に美衣城の忍びはそれほどたくさんは出入りしていないように見えるとのこと。つまり、彼ら忍びが留守の間は、その雇われの衛兵のみということ。と言っても、中までは調べていないから、もしかすると顔を出さずにひっそりと駐在している忍びが、一人や二人は居るかもしれないから、それは忘れないでね」
    「了解」
    数名が重ね合わせるように口々に挟んだ。生まれた間と一緒に、庄左ヱ門はまた息を吸い、
    「あとは珍獣について。昨日のお昼間乱太郎たちが調べに出てくれたんだけど……」
    きり丸たちに視線を飛ばす。
    「一番頼りにしてた怪士丸の店が閉まっててよ」
    「他のところも回ったんだけど、目ぼしい資料は見つからなかったんだ」
    「面目ない」
    きり丸が初めに頭を下げ、続いて乱太郎としんべヱも同じように頭を下げた。
     だが三人がまた視線をあげると「期限短かったし仕方ないよ」と声をかけられる。三治郎は既に「近寄らなければ大丈夫そう」ということを皆に伝えていた。
     気を取り直した一同は、また庄左ヱ門の「ということで」という声に、意識を引き戻される。
    「今回の喜三太救出の作戦を伝えるよ。まず、前も言ったように実際に乗り込んでもらうのはしんべヱ、三治郎、金吾、団蔵、そして虎若。しんべヱと三治郎は陽動で素人衛兵を頼む」
    「ほい!」
    腹に力を入れて三治郎が返事をした。しんべヱも後から、少し気の抜けた返事をする。
     調子よく庄左ヱ門は続け、
    「金吾と団蔵は喜三太の居場所を突き止めて助け出すことを最優先事項として。交戦も厭わない。一刻も早くだよ!」
    「っしゃー! 燃えてきた! 待ってろ喜三太!!」
    そう握りこぶしを作ったのは団蔵で、金吾は静かに闘志を燃やしていた。
    「残る虎若は、また伝達や援護をお願い」
    「応!」
    虎若も威勢良く声を張る。今回の発端の事件について思い出し、腸の煮える思いを自身の中で滾らせる。
    「ちなみに、ぼくら残りもその廃城近くで陣を構えたいと思ってる。万が一美衣城の忍びと対峙して人手が足りなくなった場合、加勢に直ぐに行けるように」
    「了解ー!」
    「じゃ早速出発するけど、皆準備ができてるか最終確認! お約束の手裏剣忘れとかないよーに!」
    「はーい!」
    指示通り再確認するために、皆が方々へ散り始める。声を揃えた元気な返事に、庄左ヱ門は懐かしさを感じていた。思わず頰が緩みかけ、いかんいかんと引き締め直す。
    「私、医療具の準備してくる!」
    目の前で乱太郎が誰にでもなく宛てた。それを耳で拾った庄左ヱ門は、
    「ありがとう。ええっと、金吾」
    と藪から棒に声をかけた。
    「なあに?」
    「乱太郎の手伝いをして上げて」
    「え? ああ、うん、いいよ」
    金吾はちょっとごめん、と人をかき分けながら乱太郎の後を追った。

     一同の準備が完了して、団蔵を筆頭に皆で目的地を目指しているときだった。
    「きり丸、兵太夫」
    庄左ヱ門が最後列を歩きながら、本人たちにしか聞こえないような小声で呼びかけた。
    「おう?」
    「あと、乱太郎も」
    「はい?」
    「ちょっといいかな」
    「どうした?」
    呼ばれた三人は列から外れ、庄左ヱ門の横に着いた。減速して先頭組との距離を空ける。
    「君たちだけに共有しておきたいことがある」
    「おう、なんだ」
    きり丸が自分と兵太夫と乱太郎という面々を確認しながら返事をした。
     呼びかけたときよりも小さな声で、ボソボソと何やらを話し始める。
    「風魔の秘伝書の在処がまだ特定できてないんだ」
    「あ、そういえば作戦の範疇になかったね」
    乱太郎が相槌を打つ。
    「兵太夫たちの美衣城調査では見つからなかったわけだから、おそらくはその隠れ家にあると思われる」
    「なるほど」
    今度は兵太夫が同意を示し、
    「つまり、もし喜三太を救出した際にその秘伝書を回収できなかった場合、捜索のために兵太夫ときり丸に潜入調査をお願いしたい。おそらくでしかないけど、一筋縄では行かないところに隠してる可能性が高い」
    「うん」
    「いいぜ」
    二人は快くその指示を受け入れた。
     会話に割って入るように、乱太郎が少しだけ声を張り、
    「私は? 私は何をすれば?」
    と指示を煽った。
     庄左ヱ門はまっすぐと乱太郎の目を覗き込みながら、あくまで静かに伝える。
    「乱太郎は、負傷者が出た場合に備えていつでも動けるようにしといて。今回は喜三太を救出するから、敵勢と刀を交える可能性もある」
    「わかった。任せて!」
    「細かい指示はまた必要なときに出す。いいね」
    まず乱太郎と目を合わせて頷き、それからきり丸と兵太夫と目を合わせた。同意を求めるというよりは、何かを訴えるような視線だった。
    「おう」
    「了解」
    「了解」
    その視線に違和感を感じてはいたが、それぞれ順々に聞き入れたことを報告した。
     ――その会話の一部始終が耳に入っていた三治郎は、ずっと頭の片隅に根付いていた引っかかりが、じわじわと確信に変わっていくのを感じた。この先に待ち受けているであろう波乱を、庄左ヱ門が甘んじて受け入れるはずもない。ここしばらくの不思議な行動は、その対策なのかと思うに至っていた。

     まだまだ日も高い内に、一同は廃城の近くに到着した。
     念の為に美衣城の忍びが使う道からは遠い、城の反対側に陣を張ることになり、また手分けしてその準備をする。
     実行組の準備がおおよそ整ったあと、潜入経路や潜入方法など、各自で打ち合わせなり確認なりしといてとの指示が入る。実際に実行するのは夕暮れ以降である。
    「じゃ、庄左ヱ門、ちょっと潜入経路の下見してくる」
    まずは金吾と団蔵が報告して姿を消した。
     続いて虎若が「じゃぼくは援護しやすい位置をいくつか確認してくる」と、同じように出発する。
     万が一のときの治療を任された乱太郎は「私は水を確保してくるね!」と伝え、「そうだね、よろしく」と庄左ヱ門が返事をしたが、続けざまに「兵太夫」とまたいつかのように藪から棒に呼びかけた。呼ばれた本人は「はーい?」と軽く答え、「乱太郎を加勢して」と言われると「オッケー」と駆け出した。
     そんな慌ただしさを横に、
    「ぼくまたこういう役回りだね」
    三治郎と打ち合わせをしていたしんべヱが、穏やかに呟いた。
     二人で少し離れたところに座り込んでいる。
    「南蛮妖術をかじったからじゃないかなあ」
    同じように穏やかに三治郎は教えた。
    「ああ、なるほど。そんなに期待されてもなあ」
    「でもぼくも見るの楽しみだよ〜。じゃ、ここは手っ取り早く驚忍の術でもやろうか」
    楽しそうに三治郎が提案する。
    「そうだねえ。正門も裏門も中の衛兵も、皆一気におびき出せるようなことないかなあ」
    同意を示して見せたものの、何かがすっきりしないと言わんばかりに、しんべヱは唸り始めた。三治郎も合わせてうなり始める。
    「あ、」
    「うん?」
    「思ったんだけど、」
    「うん」
    その考えを引き出すため、言葉を止めて待つと、
    「驚忍だと大騒ぎになるから、城の忍びが戻ったときに何か異変が起きているの、すぐばれちゃうね」
    「……確かにそうだね。驚忍はだめかあ」
    「うーん」
    また二人で腕を組んで唸り出した。うーんうーんとしばらく続き、
    「じゃあ、こういうのはどうかな?」
    三治郎はしんべヱに耳打ちを始めた。

     段々と陽は傾き、いよいよ太陽が地平線に達したころ、庄左ヱ門たちは作戦実行へ向けた最終確認をしていた。
     それぞれがそれぞれの準備に勤しんでいる中で、伊助は袋に詰めた手製のあるものを持ち運んでいた。
     虎若に何やらを伝え、内の三つほどを手渡し、今度は目に留まったしんべヱを追った。
    「しんべヱ〜」
    「伊助!」
    持ち歩いていた手製のものとは別に、懐から麻袋を取り出す。小袋である。
    「はい、これ、頼まれてたやつ」
    「ありがとう」
    しんべヱは贈り物をもらった子どものようにほんわかと笑い、それを両手で受け取った。それがしんべヱの懐にしまわれるのを目で追いながら、持っていた方の袋を持ち直した。
    「でもなんで乱太郎じゃなくてぼくに? 乱太郎の方がこういうの詳しいのに」
    「うーん、なんとなくかなあ」
    「そう……あ、」
    持ち直した袋から、虎若にしたように三つほど球状のものを取り出すと、
    「これも使って」
    誇らしげにそれを差し出した。
     通常の焙烙火矢よりはよほど小さなその球状のものを手にし、それを観察しながら首を傾げる。
    「これは?」
    「それは目眩ましだよ。ぼくが特別に調合したんだ。発光が強いから、数刻なら敵の目を潰せる。ただし、直視すればこちらも目をやられるから気をつけてね」
    しばらく忍びとして実践から遠のいていた伊助は、自身が前線に出たところで助けになれないのを重々承知している。だから、その自らの穴を埋めるために、自身の研究の結晶でもあるこの小さな武器を、それぞれの懐や袖口に収めようと奔走していたのだ。
     察したしんべヱもその気遣いが嬉しく、また心強く思え、
    「うん、ありがとう!」
    気づくと大きく笑っていた。
     今一度伊助も笑い返し、
    「ううん、気をつけてね。あ、団蔵ー! 三治郎ー! これ使ってー!」
    また次なる懐を目指して、忙しなく渡り歩いた。

        五

     さて、陽の暮れ切るほんの数刻前。とうとう三治郎としんべヱに、庄左ヱ門からゴーサインが出た。喜三太救出作戦の序章へ、いざ出陣と相成ったわけである。
     予め服に泥をつけたり、小枝で割いたような切れ目を入れ、自身の肌にも相応の汚れを着けていた。まるで丸二日は森の中を彷徨っていたような風貌である。この辺りの森が深く険しいことを利用して、門番に近づこうと思ったのだ。
    「何奴!」
    片方の足を引きずるようにして三治郎は歩き、それをしんべヱが支えていた。二人の影が薄暗い森の中から現れるや否や、門番は警戒したように持っていた槍を突き出した。
    「ま、待ってください」
    「なんだ?」
    「すみません、私達は旅の芸人ですが、この険しい森に捉えられて抜けられなくなってしまいました。せめてどちらかで休憩させていただけませんか……」
    「水だけ……水だけでもいいので……恵んでください……」
    しんべヱと三治郎の迫真の演技である。門番たちは一瞬だけ気を緩め、持っていた槍の突きつける方向が少しだけ天に向いた。きょとんとした顔で、お互いを見合わせる。何か言葉を二・三交わしながら首を傾げたり頷いたりと繰り返した。
    「よしわかった。さすがに中には入れられないが、俺たちが使う待機室くらいなら大丈夫だろう。そこへ案内してやる」
    門番はそう言うと、門の脇に付けられた小さな扉の元へ誘導した。足を負傷している素振りをみせる三治郎に、肩を貸してやる。「ただひねっただけですから」と如何にもなことを言いながら、三治郎たちはまんまとその中へ潜入する。
     扉の向こうは、本当にただの待機室であった。どうやら反対側に抜ける扉もありそうだが、それがどこなのか、いまいち定かではない。
     大きめの座椅子に腰を下ろさせてもらい、「近くに川があるから、水くらいなら」と門番が手配した水をいただいた。
     それでしばらく休憩したのち、そろそろかと目星を付けたしんべヱと三治郎は次なる段階へと作戦を移行する。
    「あの、兵隊さん」
    「わしゃあただの門番だよ、兵隊じゃない」
    「じゃあ門番さん」
    「なんだ」
    そんなどうでもいいような会話を進めながら、
    「休ませてくださって本当にありがたいと思っています」
    「お礼に南蛮で流行りのマジックと言うやつをお見せします」
    三治郎としんべヱは分割して提案をした。
     唐突に聞き慣れない言葉や提案をされ、門番の男は明らかに訝しんだ。
    「まじっく?」
    「おや、ご存知ない?」
    「南蛮の妖術みたいなものです」
    「妖術と言っても、楽しむための一芸みたいなものですが」
    そう説明してやると、ほうそうか、と門番も満更ではない様子で髭を触った。これで行けると二人は踏んだ。もうひと押し試みる。
    「せっかくやるので、他の方もどうぞお集めください」
    「私たちも観客が多いほうがやり甲斐があります」
    あたかも裏のなさそうな純粋な笑顔で、二人はニコニコと微笑んで反応を待つ。少し悩む素振りを見せ、「いや、持ち場が」と切り出した。
     そんなことで押される二人でもない。
    「すみません、見たところこちらは廃城ですね」
    「え、まあ」
    何故か門番はくれてやった指摘に怯む。むしろ、この先どう懐柔されるのか、構えたのかもしれない。
     しかしそれにも構うはずなく、
    「でしたらば、そんなに警備も必要ないでしょう」
    「今までどちらかに襲撃されたことがありますか?」
    「少しの間で結構ですので、是非に」
    「面白いですし、いつもは有料でやっております。この先無料で見ていただける機会も早々ないかと」
    どこからともなく威圧を感じるが、目の前の二人は笑顔故、そこを拒絶することは難しく思えた。まくしたてられたことも気づかずに、門番は「まあ、確かに」と本人の意志とは違う言葉を返していた。
     ではお待ちしております、と二人はその門番に集客を強要し、八人余りを連れて戻るまでその場で待ち続けた。戻ってくると、待機室に皆は入らないからこっちへ出てきてくれ、と城の内側の扉を案内され、三治郎としんべヱは星空の下に頭を出した。松明と星明かりだけが、夜を照らしている。
    「おお! では早速始めたいと思います!」
    しんべヱが演出のために持ってきた椅子を側に置き、三治郎がさも負傷していることを強調するようにそこに腰を掛けた。大きく息を吸って注目を浴びたところで、二人は手を合わせ調子よく「さあ、寄ってらっしゃい見てらっしゃい! 泣く子も笑う南蛮マジックのお目見えだ!」と明るく歌い、いつの間にか握られていた煌びやかな粉末を夜空に蒔いた。
     彼ら兵たちの頭上を横切る影があったことに気ついたのは、おそらく三治郎としんべヱだけだったろう。その派手な演出はしばらく続き、兵たちの注目を一身に請け負った。
     だが、それと同時に、兵たちが気付かなかった影があったように、また三治郎たちも、人だかりの後ろから忍び足を寄せる影を見落としていた。

     三治郎たちにゴーサインを出してから、既に星の形は小さな傾きを得ていた。団蔵と金吾も潜入してしばらく経っているだろう。
     その間、城内の様子が全く伝わらない本陣の面々は、虎若と伊助の間で取り交わされる合図の応酬を待つ他なかった。それも無理はない。本陣はこの廃城の裏門近くに配置したが、潜入が実行されたのは表門の方だったからだ。
    「きっと連絡がないのは上手く行ってるからだよ、大丈夫」
    珍しく落ち着きのない庄左ヱ門を気遣い、隣で待機していた乱太郎が声をかけた。それに寄って庄左ヱ門の小さな焦りに気づいたきり丸と兵太夫も、「らしくねえぜ」「そうだよ大丈夫だよ」と次々に声をかけ、周りに身を寄せた。
    「そ、そうだね。ありがとう」
    とは返したものの、気遣いに何やら更に焦らされる思いの庄左ヱ門である。意味もなく拳に力が入る。何もなければいいが。伝達も何もなく過ぎる空白の時間が、神経をどんどん尖らせていくようである。
     すると、虎若からの合図を見やすくするため、高い木の上に上り目を見張っていた伊助が、慌てた様子で指で作った円を覗き直した。
    「しょ、庄左ヱ門!」
    「ん?」
    「虎若から伝達だ!」
    はっと息を呑み込み、皆がそちらを注視する。
     伊助の表情に見る見る焦りが広がっていく。
    「ふ……負傷者あり! しょ、庄ちゃん! 負傷者あり!」
    「よ、容態は!?」
    焦りに任せ、庄左ヱ門は即座に返した。
     他の者にも緊張感が伝染していく。
    「わかんない! でも指示がほしいみたい! どうする!?」
    大急ぎで庄左ヱ門に駆け寄った。目で追っていた一同が、今度は庄左ヱ門の意見に注目する。
    「指示? ということは結構深手!?」
    「かもしれない! ど、どうしよう!?」
    そう聞かれると、庄左ヱ門は足元に視線を落とし、しばし言葉を失くしてしまった。
     一体その頭の中でどんな算段がなされているのか、誰にもわからない。ましてやいつもの庄左ヱ門からは、到底このような焦り方は想像もできなかった。何か様子がおかしいと伊助はすぐに察知した。
    「庄ちゃん?」
    呼びかけに反応し、庄左ヱ門は思い出したように顔を上げた。
    「そうだね、えっと、伊助は『待機』するように伝えて!」
    「待機ね! わかった!」
    伊助が踵を返す。
    「乱太郎!」
    「はい!」
    「医療具や場所の確保して負傷者の受け入れ準備!」
    「はい!」
    乱太郎も自身で設けた治療スペースに向けて体を翻した。
    「きり丸、兵太夫! 負傷者の回収に行って! 早急に!」
    「了解!」
    二人は同時に庄左ヱ門に背中を向け、そして思い切り地を蹴った。
     まさに二人が森の宵闇に飛び込み、葉が揺らされる音が響いたその瞬間、伊助が良からぬ気配を察知し振り返った。そして気づいてしまう。何者かが庄左ヱ門目掛けて何かを思いっきり振りかぶったことを。
     できうる限りの脚力で、伊助は地べたを踏み込んだ――

    ――「しょ、庄ちゃん!」

    伊助の叫ぶ声と、衣類が引き裂かれる音。そして、枯れ草の上に何かが着地する音。ほぼ同時にそれらが混ざり合った。
     耳鳴りのように伊助の声はよく響いたが、それよりも庄左ヱ門は視界に気を取られていた。目の当たりにした光景により、体中の血の気が引く音が聴こえたほどだ。――叫ぶ声に引かれ振り返ったとき、目の前で伊助が腹に短刀を受けていたのだ。……飛んできた方角と、伊助、庄左ヱ門の位置関係から明らかなのは、伊助が体を張って庄左ヱ門を庇ったということだった。
    「……い、伊助……?」
    成す術なくその場に蹲ってしまった伊助の容態を、庄左ヱ門は慌てて確認する。痛みに耐え、額にはじんわりと汗が浮かび始めていた。
    「伊助!? 伊助!? 大丈夫!?」
    抱きかかえようとすると、手にはべっとりと血液が付着した。辿れば脇腹の辺りからじわりじわりと流れだしている。苦痛に歪む表情も、強張っていくばかりだ。
    「伊助!? ねえ!?」
    「大丈夫……深く、ない……」
    痛みと呼吸の更に合間を縫って、伊助は教えた。
    「ちょ、庄左ヱ門!」
    「これはどういうこったよ!」
    異変に気付いて引き返して来たらしい兵太夫ときり丸が、大慌てで駆け付けた。
    「え? 何があったの!」
    立て続けに乱太郎も駆け寄り、「ええ!」と改めて声を上げた。慌てて手ぬぐいを取り出し傷に当てがい、続けてそれを頭巾で固定した。
     きり丸の「これはどういうことだよ」という問いかけのあと、なんと説明すべきか見失ってしまったのか、庄左ヱ門は目の前の状況にただただ呆然とするばかりであった。
    「……庄左ヱ門、大丈夫?」
    蹲っていたが故に低い位置からその顔を覗くことができた伊助が、絞りだすように声を震わせる。
    「顔、真っ青だよ……?」
    この状況ですら尚、庄左ヱ門のことを気遣う伊助に、もはやどんな言葉も形にならない。
    「くそう! どこから狙った!?」
    完全に放心してしまった庄左ヱ門はさて置くことにして、兵太夫は上体を起こし、周りを見回す。
     突然ガサガサと近くの葉が揺れる音がした。正気を保っていた三人は、一斉にその音の方向へ目を向ける。
     音源は少しずつ近くなる。
     きり丸は懐に隠してあった寸鉄を汗とともに握り、兵太夫も持ち合わせの小型のトンカチを構えた。
    「お、おい、加勢してくれ」
    しかし藪から顔を出したのは、虎若だった。しんべヱに肩を貸し、半ば足を引きづるように森の中を辿ってきたらしい。
     そう、『待機』の指示を伝達する前に、伊助は負傷したのだ。
    「ちょ! こっちまで一体どういう状況だよ!?」
    「伊助がっ!」
    「大丈夫! 伊助はそんなに傷は深くないよ!」
    虎若、兵太夫、乱太郎の順番に声が張られた。統率しているはずの庄左ヱ門は呆けたままで、混乱が勝手に肥大していく。
    「とっ、とにかく! しんべヱをここへ!」
    「おう!」
    乱太郎指示の元、しんべヱは伊助の隣に横たえられる。どうやら膝上を負傷しているようだ。
    「……庄ちゃん?」
    統率しているはずの庄左ヱ門は呆けたままで、混乱が勝手に肥大していく。指示がないか確かめるわけではなく、心をここに呼び戻そうとしたのである。生憎とそれを見届ける前に、
    「……兵太夫」
    「ん?」
    きり丸が肩に手を置いた。
    「お前、庄左ヱ門と代われ」
    「え? ぼく?」
    驚いた顔をしたのは兵太夫だけでなく、虎若も一緒だった。乱太郎は話に耳だけを傾け、しんべヱの傷の具合を見ている。
     きり丸は続けた。
    「見りゃわかるだろ…….今の庄左ヱ門にはこれ以上は無理だ。お前ならできるだろ」
    「な! 何言ってんの! ぼくが庄ちゃんみたいな策を練れるわけないだろ!」
    力いっぱいに兵太夫は言葉を返した。だが、きり丸も引くことなく、同じように声を荒げた。
    「お前の方が何言ってんだよ! 状況を見ろ! おれら全員、それぞれ工具や材料と思えやいいじゃねえか! それぞれの特性をどう組みたてたら目的のものになるか、お前はそういうの得意なはずだろ!」
    「…….む、無茶いうなよ」
    如何にもな説得をされ、失速した兵太夫の中では、庄左ヱ門への尊敬の念で葛藤が渦巻く。決して自信の無さからではない。
    「き、きり丸だって計算得意だろう」
    されどそう言ったのも本心だ。きり丸の方が実務経験が豊富で、きっと臨機応変に対応ができる。適任なのは自分ではない。
     しかしきり丸は、
    「おれの性格知ってんだろ。頭になるのは向いてねぇ。頭としての経験もねぇしな」
    「……兵太夫」
    割って入ったのは意外にも伊助だった。
    「ここ最近、庄左ヱ門、ろくに寝てないんだ。それにほら、学園のときも兵太夫が急遽指揮を執ったことがあったろう? 一回だけ」
    目まぐるしく回想が脳裏に浮かぶ。しかしそれでは根拠に乏しいと兵太夫は思ってしまう。伊助の言う通り、一度きりだった。
    「でもあれはまぐれだ……」
    「まぐれであんなことはできねぇよ。大丈夫、皆もお前で納得だ」
    きり丸は最後の一押しを押し通した。
    「……わかった……」
    ようやく兵太夫も納得し、その一言を小さな声で紡いだ。
     今一度その場にいた面々と目を合わせ、同意を確認する。間違いなく皆はそれに同意を示した。
     改めて状況を整理する。小さく間を捉え、
    「実行班はとりあえずそのまま続けさせて。虎若も伝達と援護に戻って。乱太郎は伊助としんべヱの介抱、きり丸は乱太郎を手伝って」
    静かに頷いて皆がそれを受け入れたのを確認すると、今度は体勢を低くして「庄ちゃん、」と呼びかけた。
    「庄ちゃんしっかりして。庄ちゃんはぼくといて知恵を分けてもらうから」
    それでも反応が希薄な庄左ヱ門を待つことなく、
    「ひとまず人手が足りない、どこから狙ったかと探るよりも、体制を整えて落ち着くのが先だと思う」
    そう指示をまとめると、兵太夫はきり丸を見やった。指示に対する同意を求めるというよりは、何かを訴えるような視線だった。
     今度は違和感だけでなく、ある程度の意図を読み取ったきり丸は、人知れず小さく頷いてみせた。
     それからは何もなかったかのように、ほら行くぞ! と虎若と共にしんべヱを抱え上げ、伊助の介抱をしながら移動するよう乱太郎を促した。そしてそれは、指示を受けた全ての者の行動までもを促すこととなった。

     乱太郎は、小さな湖の近くに自身の医療スペースを構えていた。庄左ヱ門たちのいた場所からさほど遠くはない。虫が寄り付きにくい大きな一枚岩を見つけて、水場も近いし、と移動しながらきり丸らに説明をしていた。
     だが、きり丸はそれどころではなかった。しばらく感じていた違和感に、先ほどの兵太夫の目配せで一本の筋が通る。沸々と沸騰するように浮かんでは消える色んな記憶を辿り、その理解が間違いではないことを検証していた。
     その間に乱太郎の目的の場所に到着した一行は、負傷した二人を横たえた。虎若はじゃ戻るから、とすぐに立ち去っていく。
     きり丸は検証を続行する。
     ――まず乱太郎と目を合わせて頷き、それからきり丸と兵太夫と目を合わせた。同意を求めるというよりは、何かを訴えるような視線だった。
     庄左ヱ門が自分と兵太夫以外を裏の伝達事項に混ぜていた事実。そしてそのときに見せた訴えかけるような視線の意味とは。何故かその視線を受けて、『この指示は嘘かもしれない』と思ったことは、勘違いではなかったように今なら思える。
     ――そう指示をまとめると、兵太夫はきり丸を見やった。指示に対する同意を求めるというよりは、何かを訴えるような視線だった。
     いくら人手が足りないと言っても、普段なら負傷者の二人くらい乱太郎一人で看ることができる。またそう信頼されているはずだった。だというのに、兵太夫が指揮を執った際のこの指示と、そのときの訴えるような視線。
     そもそももっと詳しく思い出そう。乱太郎が一人でらしくもなくしゃべっている内容には、半分も意識はくれてやらず、きり丸はひたすらに自身の答えを立証していく。
     出発前、乱太郎が「私、医療具の準備してくる!」と一人駆け出そうとしたとき、庄左ヱ門はすかさず金吾に声をかけ、手伝うように指示をしていた。また本陣を構える際に乱太郎が「私は水を確保してくるね!」と行動すれば、兵太夫に加勢を依頼していた。――つまり、庄左ヱ門は頑なに乱太郎を一人にすることを避けた上に、ずっと人知れずきり丸らに問いかけていたのだ。
     増して、実務経験が最も豊富なきり丸の、喜三太救出作戦の実質の不参加となる陣容。その意図として、予め庄左ヱ門から聞いていたきり丸自身の役割が、ようやくこれであると繋がった。
     そしてなにより、乱太郎の『信じてくれるの?』に始まる違和感の数々は、おそらくは皆が抱いていたのだと、ようやく確証を持つことができた。

     ――この乱太郎は、おそらく偽物である。庄左ヱ門を狙ったのもこいつだ。

     そう確信してからは、細心の注意を払って観察を遂行する。乱太郎の一挙手一投足に警戒を図る。傷口に毒を盛られる可能性すら否めないからである。
     見れば見るほど、姿形は乱太郎そのものである。しかしその存在感は既に崩壊していた。この偽物の乱太郎が包帯を扱うその手つきを観察する。
     ――間違いはない。これが乱太郎であるはずがない。観察したその手つきは、最たる確証をきり丸に与えることとなった。
    「……乱太郎……」
    治療をしている風で、実質はただ傷口を塞いでいるだけの乱太郎に、きり丸は静かに呼びかけた。お世辞にも手慣れているとは言えない。
    「ん?」
    乱太郎からの相槌を耳にするや否や、きり丸は大きく息を吸い、声を張った。
    「いちっ! にーっ! さんっ!?」
    「え?」
    「ほーたいーはー!?」
    余りにも突然すぎるこの意味不明な合言葉に、偽物の乱太郎がついていける道理もなく、焦ったように振り返った。
    「どうしたの急に! 歌なんか歌ってる場合じゃ、っ!」
    文章の途中にも関わらず、気付けばきり丸に喉元を抑えられ、組み敷かれていた。いつ構えたのか、その手にはへし折れんばかりに力を込めて、寸鉄が構えれられている。
    「てめぇ、乱太郎をどこへやった……!」
    「え?」
    「しらばっくれるな!」
    乱太郎の顔できょとんとされるものだから、思わず手の力を抜きたくなる。しかし違うのだ。それこそがこの忍びの思う壺なのである。
     反対に込める力を少しずつ増していく。
    「……何故わかった?」
    観念したのか、あっさりと表情を崩し、声色までもが低く変わった。その顔でやめろとは思ったが、今はそこまで言うに至らない。
     寄越された問いかけに対して、親切にも答えを教えてやる。
    「おれ自身もなんかおかしいなとは思ってたんだよ。だけどな、まず、庄ちゃんが裏の伝達事項におれと兵太夫以外を混ぜただろ。んでな、兵太夫も普段付けない乱太郎の助手として、おれを付けた。そうしてよくよく考えりゃ、庄左ヱ門は一時たりともお前を一人にしなかったよな。三人揃って確信はないにしろ、違和感はあったってこった」
    その忍びは口からは出なかったものの、『くそ』と心のなかでは悪態を吐いていただろう。そのような目つきになった。しかしきり丸は敢えてそれをあざ笑い、
    「しっぽを出してくれてありがとう、偽物よぉ。お前ぇ、変装に向いてねえぞ刈田」
    今はただ押さえつけられるだけのこの無力な忍びは、非常に悔しそうな表情になり、歯を食いしばった。
    「くっ……!」
    その口の隙間から、葛藤の声が漏れ出るほどである。

     ――話は少しだけ時を遡る。団蔵と三治郎が、隠れ家の位置を詳しく探るようにと指示を受けた直後のことだった。更に言うならば、きり丸が『なんでおれは留守番なんだ』と抗議した直後のことでもある。一同はまだ土井宅に居た。皆が庄左ヱ門の指示通りに方々へ散ったあと、きり丸と兵太夫だけが人知れず庄左ヱ門に呼び出されていた。
     連れられるがままに行くと、土井宅の前の川縁に誘導され、そしてそこで重苦しく、静かに庄左ヱ門は切り出した。
    「悪いがこれから話すことは他言無用と肝に銘じてほしい」
    その眼差しは余りにも真剣で、力を持っていた。
    「どした?」
    きり丸と兵太夫はお互いを見合わせ、そして代表してきり丸が先を促した。
    「相手がぼくらが組織だった人数で動いていると知れば、おそらく誰かに変装して紛れ込んでくるとぼくは思っている。もう紛れてると思ってもいいかもね。組織を崩すなら、内側から頭を狙った方が早いから。……つまり、その場合、狙われるのはぼくというわけだ」
    恐れを抱いているわけでもなく、冷静に、言ってしまえば無機質に単なる情報としてそう言い切っていたのが、とても印象的であった。その内容よりも、そう言ってのける庄左ヱ門に怯んでしまい、「う、うん」と情けない相槌を打ってしまった。
     構わずに続けられる。
    「これが今回、きり丸が留守番な理由だと思ってほしい」
    「そういうことだったのか」
    深く納得したきり丸と一緒に、兵太夫も頷いた。
    「それで、もしぼくが狙われた場合、二人には一芝居打ってほしい」
    思わぬ申出に、短く「どんな」と問いで返答する。
    「……ぼくが相手にわざとやられたふりをする。だから、きり丸の発案で兵太夫を指揮に置いて欲しい。そしてそのまま兵太夫が指揮を執る」
    「え?」
    「ぼくもちょっとやりたいことがあってね」
    ようやく重苦しかったその表情が、少しだけの自信を加えたような力強さを得る。頼もしいいつもの庄左ヱ門である。
     しかしきり丸にはその申し出に対して意見が湧き、
    「でも、そ、それって次に狙われるの兵太夫だろ!」
    と抗議するに至った。
     それですら庄左ヱ門は自信あり気に笑い、
    「大丈夫。それまでには相手は特定できると思うよ」
    と教えた。やはりなんと心強いのだろうか。庄左ヱ門の言葉は全て成就してしまいそうだという心持ちにさせる。
     改めて庄左ヱ門は表情を引き締め直し、提案を再開する。
    「実はぼくも今回は前線へ出たいと思っている。そのときに、ぼくが健在なのにその場にいないのは怪しまれるだろ?」
    「わざわざお前が前線へ出るこたねえだろ」
    「相手は変装で来てるんだ。まさかこちらからも変装で紛れてるとは思わないだろ」
    先も二人して思ったが、庄左ヱ門の目に宿る意志の力強さは、全てのことに対して『そうかもしれない』と思わせるほどの影響力を持っている。そうとは気づかぬほど自然にだ。きり丸と兵太夫は思わず頷いていた。
    「あと、実はこれでも焦ってるんだ。ぼくの考える筋書きだと一刻を争うので、ぼくは期を見計らって、逆に隙を作っていこうと思っている」
    ここでようやく二人は、庄左ヱ門がただ『冷静』であることを振舞っていただけなのだと気がついた。いや、余計な不安を抱かせないために、焦りを隠していたのだ。唐突ではあったが、庄左ヱ門を身近に感じた。
     そうして次に気になったのは、
    「……でも、なんでこれをぼくときり丸に?」
    兵太夫が確認を取った。
     また静かに開口し、
    「他の誰よりも偽者に代わる可能性が低いから」
    と説明された。
    「どうしてそんなことが言えるんだよ」
    「……まず、兵太夫はからくりに精通し過ぎているから。突発的にその場でからくりを考案したり設置したりできるだろ。つまり、兵太夫のその才能や知識により、組織の中での変装は不可能と思われる」
    しばしきり丸と兵太夫の反応を待つ素振りを見せたが、思い出したように付け加えた。
    「三治郎や乱太郎も技術に長けてるけど、彼らの場合は結果はすぐに目に見えなくてもいいから、案外変装は大変じゃないんだ」
    「な、なるほど。さすが庄ちゃん」
    今度はそう言ったきり丸をまっすぐと見据え、
    「きり丸は、特に忍びに対して顔が広すぎるからだ。知人が多い分、違和感を感じられる危険性が増えるということ。今回の喜三太変装がいい例だね。こんなに変装できそうな対象がいるのに、敢えてきり丸に変装はしないだろう」
    またも一度言葉を止めたが、改めて何かを付け加えるべく、言葉を続けた。
    「それに、きり丸に取って代わるにはきり丸を動けなくしなくちゃいけない。一筋縄ではいかないだろうね」
    その意見に「確かに」と兵太夫が楽しそうに笑った。その延長線上でまた尋ねた。
    「ということは、庄ちゃんは誰が変装に使われやすいかも目星がついてるんだね」
    これっぽっちも怯むことなく、それに対して現状を共有する。
    「まぁ、大体ね。君らも既に違和感を持ってるんじゃないかな? あくまでぼくの予想だから、万全をきすために、二人には作戦の始めはぼくの側にいてもらうよ」
    「うんうん」
    軽く返答した兵太夫に対し、きり丸は一連の会話を自分の中でおさらいし、その考えの深さに身震いした。同じ数の情報量を皆が得ているというのに、何故庄左ヱ門はここまで深く思考が行き届くのだろうか。しかも、おそらく今回の作戦は、思い浮かんだ何十通りの筋書きの内、一番可能性が高いと踏んだものに則して考えた、更に幾通りもの作戦の内の最善策なのだろう。
    「庄ちゃん……おれ久々にお前が怖えぇと思ったよ」
    思わずそう漏らすと、庄左ヱ門は意志を強く持ったままの顔つきで笑った。
    「何言ってんの。ぼくたちは仲間だろ。よろしく頼むよ、きり丸、兵太夫」
    「おう」
    そうして三人はまた、人知れずの内に解散したのだ。

     ――時は戻り、現在である。きり丸が乱太郎に扮した刈田という忍びを、捉えるために組み敷いている、まさにその現場である。
     つい今しがたきり丸に言われた侮蔑の言葉に歯を食いしばり、顔とは全く結びつかない声で、木々が遮る暗闇に言葉を飛ばした。
    「ばれちゃしょうがねえ!」
    そう宣言すると同時に、刈田は鼻から「ふんっ」と息を吹き出し、全力を込めて体を飛び上がらせた。
     まさか首を抑えている状態でそんなことをされるとは夢にも思っていなかったきり丸は、「は!?」と驚きに声を上げながらも、間一髪で致命傷を免れていた。
     刈田が隠し持っていたらしい棒手裏剣を視認するか、きり丸自身の首元から細い血筋が一本下っていることに気づくか、どちらが早かったとは言いづらいほど、それらは一瞬の内の出来事であった。
    「……やる気ってわけだ」
    手加減をしてやる義理もないので、先に相手の意志を問う。
     刈田は発作的な声を張り上げた。
    「タダで捕まってたまるか!」
    「タダぁ!?」
    「あん!?」
    「こちとらタダで捕まえてやる気はねえんだよ!」
    きり丸も十分な癇癪を発揮し、両手に構えた寸鉄を深く握り込んで交戦した。
     いくつか手を交えた。寸鉄を器用に操るきり丸に対し、他に持ち合わせがなかったのか、刈田は苦無で応戦した。激しい鉄鋼の火花が飛び交い、裏のかき合いが応酬する。
     ――ドタンッ!
     最後の一手を制したのはきり丸だった。
    「観念しな」
    低く伝える。初めの体勢に戻ったようであるが、二人には死闘の跡が其処彼処に残っていた。
    「そんでもって乱太郎の居場所を吐け」
    低く威圧的に押し付ける。しかし刈田は、戦いの中で奪われた自身の苦無を、喉元に押し付けられていることも顧みず、無言に徹した。
     こんなことで時間を潰している場合ではない。きり丸は封じるために膝で押さえつけていた刈田の左腕の、その骨と筋肉の間に全力を込め、膝を抉りつけた。
    「ふん!」
    「いでででででで! わかったわかった! 言う! 最初に打ち合わせに乱入した家の床下だよ!」
    つまり土井宅のそこということだ。
     きり丸は一刻も早くこの情報を誰かに伝えたいと思い、誰かいないかと周りを見回した。残念ながら誰の気配もなかったので、さあこいつをどうしてやろうか、と改めて刈田を見下す。喜三太の顔を盗みその名誉を汚し、それだけでなく風魔の里までもを危機に晒したのだ。更に乱太郎を監禁し、これに扮して結果的に伊助に怪我を負わせたことも、とくと思い知らせてやろう。これからの仕置方法の検討も中々に捗る。
     思考を巡らせる中で、きり丸は交戦に夢中になりすっかり失念していたことを思い出した。伊助としんべヱにまだちゃんとした治療を施してやっていない。戦いに巻き込まないように、二人を休ませているところから少し距離を開けて交戦していたので、二人のところへ戻らねば、とじわりと焦りが滲む。
     いそいそと髷を結っていた頑丈な和紙の紐を外し、刈田の手首と首を繋げるようにそれで縛った。長めの髪は少しうっとおしく思ったが、縄などを持ちあわせていなかったので、他に手立てがなく諦める。取り逃がすよりましだ。
     急いで刈田を引き連れて、伊助たちの元へ駆け戻る。そこできり丸は驚いた。しんべヱの太ももの位置に、誰かの影があったのだ。否、後ろ姿だったが、今度こそ見間違うこともない。
    「きりちゃんおかえり」
    気配に気づき振り返ったそれは、やはり乱太郎だった。
    「お、お前、どうしたんだ」
    「斯く斯く然々だよ」
    やけに機嫌のいい笑顔でそう教えた。
     おそらく土井宅の床下に監禁されていたので、土井もしくは利梵に発見されたのだろう。しかしこの陣の位置を見つけるのは容易いことではなかったはずだ。どうしてここが、との問いも浮かんだが、その直後に「乱太郎」と草むらからもう一人現れた。
    「水はこれくらいで足りるかの」
    「や、山田先生!」
    「おお、きり丸か」
    普段から忍術学園によく出入りしているきり丸にとって、全く持って懐かしいという気持ちにはならなかったが、それでも期待の範疇ではないところからの応援に胸が高鳴った。
    「先生が乱太郎をここに?」
    「そうだ。乱太郎は床下でお前たちの会話を聞いてたにも関わらず、ここが割り出せなかったからなあ。夜は予定もないし、探すのに手を貸したんだ」
    困ったもんじゃ、とちっとも困った顔をしていなかった山田である。
    「そんなことより」
    そう割って入ったのは、先程からやけに機嫌よく笑っている乱太郎だ。すっと音もなく立ち上がると、きり丸の方へゆっくりと歩み寄る。
    「きり丸、その首の傷も後で看るからね。……こちらが噂の刈田さんかな?」
    目当ては後ろの、しばし空気となっていた忍びだった。名前を呼ばれ、刈田はぎゅっと身を縮める。
    「ああ、そうだぜ。まだお前の顔してるけどな。お前もこいつの素顔見てないのか」
    「うん、私、犬のフンに滑ってこけて後頭部強打して、一人でフラフラしてるときに縛られたからさあ」
    ようやくその機嫌のいい笑顔が、恐ろしい般若面に見え始めたきり丸は、「そ、そうかよ。そりゃ災難だったな」と、刈田を前に突き出した。差し出された獲物を前に、乱太郎は素直に立ち止まり、更に珍しく怒り全開で笑いかけた。
    「よくも私の顔で私の大切な友達を傷つけてくれたね……もちろん覚悟あってのことだよね?」
    そういうと得意の千本をいくつか手に持った。刈田だけでなくきり丸までもが息を飲み、山田は今度こそ苦笑と一緒に見守った。……乱太郎は明(みん)から伝わった東洋鍼灸などの知識も得ており、忍務ではその知識を活かし、よく敵のツボでもって動きを封じていた。
    「あ、あとは任せた。好きなようにしろ」
    そういうときり丸は「あとで喜三太にも好きなようにさせるかなあ」と続けてぼやき、既に治療の終わっている伊助としんべヱの元へ移動した。その後乱太郎が刈田をどうしたかなど、恐ろしくて振り返る気にもなれなかった。ただただ許しを懇願する刈田の唸り声だけが、しばらく鼓膜に纏わりついた。

     一方そのころ、廃城に潜入した面々に場面は移る。
     南蛮妖術を披露していたしんべヱと三治郎が、美衣城の忍びに気づかれ交戦したあとのこと。騒ぎに気づいた団蔵と金吾が加勢に入り、なんとか協力して負傷したしんべヱを城外に連れ出し、更にそれからである。
     衛兵や忍びに追われていた団蔵たちはなんとかそれを撒き、三治郎が改めて二人に合流していた。よって現在は、団蔵、金吾、三治郎の三人で喜三太の居場所を探っている。念のため逃止の術を使ったが、それでもやはりまだまだ警戒の度合いは高い城内である。とは言うものの、廃城を利用しているが故に、監視の目を行き届かせるには人材が不十分というのは、明らかなる欠点である。ある程度こちらも警戒していれば、そうそう敵にかち当たることもない。ないのだが、残念ながらそれでは喜三太の居場所も、延々とわからないままである。この際ならば、忍びの一人くらいとなら対峙したいくらいの心持ちになっていた。
     その賜物か、大胆に角を曲がったところで、衛兵の背中と出くわした。
     反射的に怯み足を止めたが、時既に遅く、兵も気がついて驚いたような表情を浮かべた。
    「くっ、曲者!」
    たった一人で出くわした衛兵は、三対一という圧倒的に不利な状況のためか、自信もなげに声を出した。慌てた様子で腰に差していた刀を構えたので、同時に団蔵が袋槍を備えようとした。しかしそれよりも早く団蔵を控えさせ、金吾が無言で二人の前に立ち、刀を構える。威圧されているわけではないが、金吾が発している得体の知れぬ圧迫感を感じている様子だ。目が放せないらしく、兵はひたすらに睨み返した。
     が、しばらく続くかと思ったこの睨み合いを止めたのは、三治郎の「あ、」という気の抜けた声だった。
    「……庄左ヱ門?」
    突拍子も脈略も一切何もないその単語に、一瞬団蔵も金吾も頭上に疑問符を飛ばした。直ぐに三治郎がこの衛兵に対して「あなたは庄左ヱ門ですか?」と問いかけたのだと気付き、拍子遅れで「え!?」と声を上げた。
     その兵はニヤリと笑い、構えていた刀を下ろした。
    「……やっぱり三治郎を出し抜くのは一筋縄じゃいかないね」
    下ろした刀を鞘に収めながら教え、「さすが三治郎!」と嬉しそうにどこからか拝借した偽物の顔面を外した。
    「本当に庄左ヱ門かよ! 何でそんな本気で演技したの!」
    「こんなところで何してるの?」
    団蔵の驚きの声は拾われることはなく、無論、無言で驚いている金吾もそっちのけで、三治郎が軽い足取りで駆け寄った。金吾と団蔵も見合わせ、腑に落ちないよねと首を傾げ合ってから、同じように三治郎の後を追う。
     三治郎の疑問も尤もである。本来本陣で指揮を執っているはずの庄左ヱ門が、何故こんな前線も末端まで出てきているのか。ただならぬ事情や作戦があるに違いないとはっ、と思い出した。
     しかし庄左ヱ門は「まぁいろいろとね」とぼかしたのち、
    「三治郎を探してたんだ。ちょっとぼくの加勢を頼みたいんだけど」
    と申し入れた。
     三治郎は団蔵と金吾の方へ振り返り、二人の表情から反応を考えたが、この二人なら自分がいなくても大丈夫だろうと思い至った。庄左ヱ門に向き直る。
    「うん。いいよ!」
    「ありがとう、助かる」
    踵を返し、三治郎もそれを追う体勢に入った。最後に庄左ヱ門は一度団蔵たちの方へ顔だけを向け、
    「本陣は色々あって今手薄なんだ。なんとか二人で喜三太を頼むよ!」
    と教えた。走りだしてから「そういえば山田先生と乱太郎も加わったっけ」と思い出していたが、もう離れた後だったので、まあいいかと自分を納得させていた。
     ……正直なところ庄左ヱ門は、自身の読み違いで伊助が負傷したことを多いに気にしていた。……それもそうだ。自分で狙われるように仕向けていたのに、それを伊助に話していなかったことが原因で、いらぬ怪我を負わせてしまったのだ。看たところ本当に深くはなさそうだったが、あの短刀に毒でも塗られていたらと思うと、今でも背筋がゾッと寒気に撫でられる。だが反対に、早い段階で乱太郎が刈田だと目星を付け、始終誰かと行動を共にさせていたことは正解だったと胸を撫でおろす思いである。それがなければ、あるいは本当に短刀に毒を塗る機会を与えていたかもしれない。
    「庄左ヱ門、大丈夫?」
    「あ、ああ、ごめん」
    心配そうに声をかけた三治郎に呼び戻され、庄左ヱ門は苦虫を噛み潰したように笑った。そうしてまだまだ未熟だなあと反省し、三治郎に本陣で起こったことから、これからの行き先、そして作戦内容などを共有した。

        六

     庄左ヱ門らを見送ったあとの団蔵と金吾は、それからもしばらく目ぼしい監禁場所はないかと探し回っていた。ここまで来たら一刻も早く見つけ出してやりたい。
     神経をこれまで以上に尖らせて動いていた団蔵は、目の端で影を捉えた。その靭(しな)やかさたるや、単なる兵ではないのは明らかだ。無言ながらに金吾にそれを伝え、二人でその影を追う。追跡はさほど長くはならなかった。
     その忍びがもう一人誰かと合流した。二人とも見慣れない顔である。足田でもなければ、珍獣使いの折賀でもない。
    「作戦の様子はいかがでしょうか?」
    「さあ、わからない。城を一つ潰すのは大仕事だからなあ。終了し次第、頭たちがここへ戻ってくる予定だけど」
    距離をある程度縮めたお陰で、会話の内容もはっきりと聴こえた。
     それにしてもまた物騒な話題である。美衣城はどこかの城でも狙っているのだろうか。そしてこの廃城が手薄な理由もなんとなく察した。
    「例の秘伝書は無事なのだろうな」
    一人がもう一人に問いかけた。
    「こんな大事なときにあちらに移すのは私は反対だったんだが」
    「はい、全くです。内容としては、私が解読したときは、南蛮料理のフルコースのレシピになりました。つまり、そこから更に暗号化されてるということです。まだ解読不十分かと」
    何かの助けになればと、二人は気持ちを抑え付けて息を殺し続ける。秘伝書とは風魔の物に違いない。話題が喜三太に近づいている。
    「……ところで次期の様子は」
    唐突にその話題が降った。
     『次期』という言葉がやけに耳に響くのは、おそらく『次期頭領』である喜三太の話題だと予想できるからである。……ようやく居場所がわかるのかと、ドクドクと血流が良くなり、五感が更に活発に働く。
    「はい、全くもって口を割りません。一言も。食事や水も摂りません。このままでは座ったまま死ぬのも時間の問題かと」
    内容に二人して息を飲む。喜三太の話題だとするならば、そうとうに憔悴しているに違いない。気持ちばかりが逸り、早く喜三太の場所を暴けよ! と、団蔵が今にも飛び出しそうで、金吾は内心はらはらしていた。
    「さすがに甘かったか……相手は一里の次期……実質はすでに頭領か。このまま息を絶ってもおかしくないな。水だけはなんとしても摂らせろ。舌を噛ませるな。死なせるな」
    やはり喜三太の話題で正解である。金吾の気持ちも合わせて逸る。
    「御意」
    「おれは、どうやらまだ城の近辺に鼠がいるらしいから、そいつらを見てくる」
    そこから二人は勢いよく二手に分かれた。もちろん団蔵たちが追うのは、喜三太を死なせるなとの指示を受けていた方である。
     しばらく追った。まるでどんどん城の中心部に沈んでいくような、薄暗く湿った階段を降りてゆく。こんな辺鄙なところにあるとするならば、それはもう地下牢の他何であるはずもない。辿り着いたのは、やはり石積みの地下牢だった。忍びは追われているなどとは夢にも思っていないのか、何の引け目もなく一枚の扉の中へ入っていく。団蔵と金吾は見合わせて、いよいよであることを腹に決める。
     忍びが入っていった扉の外に二人で張り付き、中の様子を伺う。何か話し声は聴こえるが、いまいち中の状況までは把握できない。ただ、彼らが置かれている状況から察するに、警戒すべきとしても、それはおそらく雇われの兵の方だろう。どこかの城を潰そうとしてる忍者部隊が、こんなところに無駄な人材を割いているはずもないからだ。そう考えた団蔵は、果たして金吾はどういう心持ちなのか、振り返って表情を確認した。普段は団蔵よりも慎重派な金吾ではあるが、目を合わせるや否や、『もう行ってしまおう』というような意味合いで頷いた。余りにも早い決断に、団蔵は尻を叩かれた思いだった。そう、一刻をも争うかもしれない。うだうだ考えるよりも、『おれら二人ならどうにでもなるだろ』と極め込み、いっそのこと大乱闘でもすればいいのだ。……喜三太をあらゆる意味で傷つけた分、金吾もおそらくそうしたくてうずうずしているのだろう。
     団蔵は体のあらゆるところから、袋槍の組み立てパーツを取り出した。臨戦態勢に入る。金吾も腰に差した刀を手に持ち、いつでも抜刀できるよう構える。扉の取っ手に団蔵は手を宛てる。よし、開くぞと気合を込めるところで、金吾が静かに団蔵の腕を引いた。何事かと視線をやると、金吾は小さな球状のものを団蔵に差し出した。……伊助が用意してくれた目眩ましである。そうか、と思い出した団蔵はそれを受け取り、早速点火して、迷いのない滑らかさで扉の中に投げ込んだ。
     相手にしてみれば突然のことなので、当たり前だが地下牢の中が一時騒然となる。激しい炎症反応が扉の下から漏れだしたその瞬間、団蔵と金吾はその中へと飛び込んだ。
     伊助の努力の賜物か、中にいた衛兵二人は完全に目を潰されていた。片や一人残っていた忍びは、さすがにとっさに顔を隠したらしく、多少チカチカしているようではあったが、然と団蔵たちを見据えていた。忍びが応戦するため、刀を抜く。金吾も同じように構え、二人は一対一で対峙する形となった。そこに敢えて団蔵が加わる必要はないので、団蔵は一時的に目を潰された二人に、容赦なく襲いかかった。目が見えない兵を吊るし上げるのは造作もないことである。
     なんだつまんね、と思っているところに、今度は地下牢の奥から何事かと更に二人の兵が現れた。内一人の腰に鍵らしきものがぶら下がっている。団蔵は目ざとく狙いを定めた。迫り来る兵らは、大きな金棒を大きな動作で振り上げる。腹ががら空きだ。まとっている具足の上から、団蔵は切っ先とは別の末端で先頭の兵を突き、本人の耐えうるギリギリの重さの金棒に釣られ、バランスを崩して後ずさる様子を見届ける。
     後ろから来ていた兵は間一髪のところで巻き添えを免れ、前者から学んだのか、金棒は余り高く振り上げずに胸元で構えた。そして団蔵目掛けて横に振りかぶる。あれが当たれば相当な被害になるだろう。骨折だけで免れるかすら疑わしい。団蔵は軽やかに身を翻した。勢いを殺しきれなかった兵は、またもやバランスを少し崩した。それを見て背中に打撃を加えてやろうと思ったが、既にその後ろからもう一人が突進を図っている。また間一髪のところで気付き、今度は屈んで避けながら衛兵の足を引っ掛けた。方向を考えて足をかけたので、もう一人の方へ倒れ込ませる。
    「おのれちょこまかと!」
    如何にも悪役が吐きそうなセリフを拝聴したところで、団子のように支え合っていた塊の内の一人に、思い切り良く後頭部めがけて一撃をお見舞いしてやった。あっさりと一人はその場で倒れ、痛み故に失神した。もう一人はそれを見て瞬きほど怯んだが、すぐにまた闘志を燃やし始め、今度はその金棒をしっかりと握り込んで振り回した。右へ左へと振り払いながら団蔵へ攻め込む。槍と金棒ではとてもではないが、武器としての耐性が異なる。それが原因で武器を使えずにただ避けていた団蔵だが、背後に壁が迫っていることに気付いて、勢いを付けてその壁を蹴り、ひらりとその兵の頭上を舞った。慌ててその残像を追おうとしたが、その軽さに勝ることはなく、されるがままに肩を捕まれ、そのまま「ふんぬっ!」という気合の意気込みと共に視界を反転させられた。豪快なまでの音を上げて、背中を石畳の床に叩きつけられる。そして意識に止めを刺すため、これっぽっちも手を抜くことはなく、全身全霊を肘にかけて、その鳩尾へと飛び込んだ。「うおおっ」と唸り声を聞いたかと思えば、もうその兵は意識を失くしていた。
     団蔵がその身をいっぱいに活用して戦っている間、隣で始終響いていた刀の交わる音も、ちょうど同じ時分に決着が着いたようだった。ほぼ傷一つない金吾に対し、敵の忍びは数カ所血が滲んでいた。……むしろこの金吾と対戦してそれほどの軽傷で済んだことは褒めてやりたいが、それでも最後に食らっていた峰打が余りにも雅、余りにも華麗で、団蔵は思わず「金吾なめんなよ」と静かに歓声を挟んでいた。
     それに気づいた金吾も、団蔵が散らかした衛兵四人を見渡し、「団蔵なめんなよ」と笑った。
    「さ、急いでこいつら縛って、喜三太のところへ行こうぜ」
    促した団蔵が金吾の下げ緒に手を伸ばしたが、すぐに備えの縄を見つけ、それを拝借した。すんなりと合計五人を縄につないた。そして伸した兵の内の一人の腰から、この牢のものと思われる鍵を回収する。
     逸る気持ちが再度加速され、二人は駆け足で地下牢の奥へ向かう。狭い地下牢に松明が一つ。薄暗く、薄気味も悪かった。湿り気も相当に高いだろう。その奥の牢の並びの、更に最奥。ようやく金吾は人影を見つけた。
    「団蔵!」
    呼びつけてやると、初めは首を下げていた牢の中の影が、そっと顔を上げた。松明を持った団蔵が近づく。その顔が徐々に照らされる。
     ――ようやく見つけた。
     それは今回最大の目的である喜三太その人であった。しばらく囚われていたことを如実に物語るほど、煤や傷での汚れも酷かったが、思っていたよりもしゃっきりとそこに座っていた。
    「き、喜三太、」
    無事を確認するため、金吾が名前を呼んだ。
     すると喜三太は、いつ底をついてもおかしくないはずの気力を振り絞り、ようやく声を発した。
    「はにゃあ〜。やぁっと来たあ〜」
    刈田が扮した喜三太よりも、よほど間延びした口調だった。
     その声と言葉にたくさんの荷が降りた気がし、団蔵は思わず頬を、金吾は涙腺を緩ませた。それから思い出したような慌てた手つきで、団蔵が握っていた牢の鍵を取り出す。ガシャガシャと金属音が鳴り、解錠されるや否や金吾が牢へ飛び込んだ。乱暴だが素早く繋がれている鎖を外し、久々の歩行で不安定な喜三太に肩を貸す。団蔵は牢の外で、念のために周りを警戒する。
     手際よく一連の動作を行い、無事に牢の扉を潜った金吾と喜三太を見届け、
    「じゃさっさとずらかろうぜ」
    と団蔵は先を走った。地下牢そのものの出入り口に向けて。
     縛った上で傍にまとめていた兵たちは、既に数人は目を覚ましていた。しかしそれは差したる問題ではない。金吾と喜三太に至っては、存在にすら気付いてはいない様子だ。
     団蔵が金吾と喜三太の到着を待ち、一度動きを制する。自身が扉の外を肉眼で確認し、手のひらで後に続くよう二人に手振りする。
    「待って」
    地下からの階段を登ろうとしたとき、不意に喜三太が注意を引いた。
    「どうした」
    何かを間違えただろうか、気付かぬうちに敵につかれたのではないか、様々な可能性から、金吾と団蔵は身構えた。
     しかし事実はそうではない。
    「悪いけどさあ、もう少し付き合って」
    喜三太ははっきりとそう言い放ち、簡潔に補足する。
    「風魔の秘伝書」
    「ああ、あれなら今は美衣城だ」
    団蔵が教えてやる。途中で忍びが話していた。
     それでも何やら確信があるらしく、
    「本体はねぇ。でも奴らが作った解読資料はまだここにあるよ」
    どれほどの期間かはわからないが、喜三太が必死に守り続けた秘伝書の内容だ。ここまでしておいてその依頼に応じないなど、中途半端もいいところである。団蔵と金吾はもうしばらくの忍務の続行を快く受け入れ、喜三太に笑いかけた。
    「……いいぜ」
    「どこにあるか見当は?」
    「着いてる。奴らの会話から察するに、たぶんこの地下牢の側に隠し部屋がある」
    団蔵はとりあえずおれが見てみるから、と喜三太と金吾に待機する指示を出した。壁に凭れるよう座らせた喜三太に、金吾は持ってきていた水筒から一口水を飲ませ、傷口の汚れなどをその残りで落とし始めた。その間、団蔵は注意深く一連の石積みに目と手を這わす。こういうのは兵太夫が得意なのになぁ、などとぼやきながらも、粘り強く続ける。
    「……ん?」
    ふ、と石積みの隙間から、空気の動きを感知した。よくよく見れば小さな隙間ができており、そこからの隙間風となっている。その周辺に狙いを定め、更に細かく調べた。
    「喜三太、金吾」
    声が廊下の壁を使って響く。
    「たぶんここだ」
    金吾が水筒を懐にしまい、喜三太に肩を貸しながら手招きされた方へ進む。その隠し扉の仕組みを紐解いた団蔵が、二人の前でその扉を開いて見せた。そこには本当に部屋が一つ、隠されていた。
     室内は真っ暗であったので、団蔵がまた廊下から松明を一つ拝借する。中を照らし込めば、大きな机に大量の紙と、資料と思われる文献の数々が所狭しと溢れていた。美衣城の隠し部屋と異なり、机上以外はよく整頓されており、余計なものは何もないといった印象である。
     一応踏み込む前に、団蔵は喜三太の表情を確認した。その意図を読み取り、喜三太は詳細な確認を促した。団蔵が道を開け、まず金吾と喜三太をその隠し部屋に入れ、続いて自身も中へ入り、そっと扉を閉じた。
    「そういえば、」
    部屋の中の書類を確認しながら、団蔵は小さく漏らした。
    「奴らさ、解読したら南蛮料理のレシピがどうとかって」
    「ああ、言ってたね」
    金吾は合わせて肯定する。
     手に持った数々の紙切れが、やはり見覚えのある文字の配列であると確信していた喜三太は、「ふうん……」と一見軽そうな声の相槌を入れた。だがその声色はどこか落ち着いていて、それでいて底知れぬ謀(はかりごと)を秘めていた。
    「そこまで見破られてるなら仕方ないねえ。徹底的に証拠隠滅しなくちゃいけないなあ」
    そう宣言すると、喜三太は金吾が貸した肩を遠慮し、机に手をつき自力で直立した。
    「団蔵、北西の方の壁に穴開けて。人が一人通れるくらい」
    「え?」
    「たぶんこっちの方向かな」
    手を上げてその方角を示す。こんな地下の壁に穴を、と聞き返したくなった団蔵だが、喜三太の真面目な表情を見て「まあ、わかった」と素直にその指示に従った。
    「金吾、」
    「うん?」
    「金吾はそっちの隠し戸の番を外して、戸をここへ運んで」
    「ええ!?」
    「いいから」
    さらっと出した指示であったが、どちらもそうすんなりと完了できるほど簡単なことではなかった。団蔵は持っていた苦無で、根気強く石積みを少しずつ剥がして、穴を広げていく。金吾は隠し戸故に複雑に取り付けられたそれを、他に道具もなく、仕方なく持ち慣れない手裏剣を手に立ち向かっていく。
     喜三太はというと、その部屋にあった紙という紙を拾い集め、真ん中の机の上にまとめて、それらの周りを文献などで固めた。
     三人それぞれの準備が整ったとき、「じゃあ二人とも下がってね」と喜三太は二人を背後に移動させた。
     隠し戸は外されて部屋の真ん中に移動させられているものだから、既に地下牢前の廊下からはこちらは全開である。それとなく背後にも神経を尖らせていた団蔵と金吾だが、目の前の喜三太の背中が動いたことで、これからどんなことが起こるのかと興味が湧く。
     ボソボソと喜三太が何かを言っている。普段聞き慣れない言葉の並びは、風魔忍術特有のものなのだろう。その呪い(まじない)を言い終えると、喜三太は付竹でもって準備した火種を、書類の山に放り込んだ。まるでそれを待っていたかのように、この地下の部屋に強い風が吹き込む。ぼうっと爆発音にも似た轟音と共に炎は燃え盛り、団蔵と金吾は目を見張った。
    「この季節は北西からの風がよく吹くんだ」
    振り返った喜三太は楽しそうに笑っていたが、背景に置かれた大きな炎は、異様な光景を演出していた。団蔵と金吾は言い知れぬ恐怖を味わいながら、自身は喜三太の友人であることにそっと安堵してしまったほどだ。
     容赦なく燃え広がる炎は留まるところを知らず、石積み以外の柱や天井板などに引火し、どんどんとその勢力を増していく。すぐにこの隠し部屋は愚か、この地下自体への出入りが危ぶまれるほどの火の手に発展した。
    「ふぁ!? これは!?」
    それは丁度、交戦した兵たちも含めて、地下から抜け出したときのことである。今一度炎の勢いを眺めながら満足していた三人の背後で、間抜けな声が飛び上がった。もう怖いものは何もない三人は、一斉に振り返る。……声を上げたのは、先ほど見かけたもう一人の忍びである。
    「お、お前は!」
    喜三太の顔を見るなり後ずさった。一歩に留めたが、それでもわかりやすく動揺していた。
     追い打ちを掛けるように喜三太は体を向け、詰め寄った。しばらく監禁されていたことが嘘かのような気丈さで、絡みつくようなおぞましい笑顔を作っていた。
    「ぼくは風魔の次期頭領、山村喜三太だよお。……この顔を見忘れたとは言わないよねえ」
    その笑顔の裏側では相当な憎悪が渦巻いていた。「ぼくとナメさんたちを随分かわいがってくれたよねえ」と攻め続け、最終的にはその忍びの悲鳴が、もう助けは来ない城内で広く響き渡った。

        七

     さて、いよいよ作戦の大詰め、庄左ヱ門と三治郎の行方である。ちなみにこの二人が行動を共にしているということは、団蔵と金吾、そして総指揮をバトンタッチされた兵太夫のみが知ることである。
     二人は忙しなくとある廊下を歩いていた。三治郎にとっては二回目となる、美衣城の忍び屋敷の廊下である。
     何故そのような危険なところを白昼堂々……ではなく夜半堂々ではあるが、歩いているかと言うと、
    「なんだかやけに静かだね」
    「うーん、何かあったのかなあ。まあ、手薄なことに越したことはないけど」
    あんまりにも城内のこちら側に人の気配がなかったからである。主力の一人である刈田は、既にきり丸と乱太郎がコテンパンに伸したあとなので、不在なのは頷ける。だが、珍獣使いの折賀や、増して今回の喜三太騒動の総首謀である足田、足田らとは派閥争いはしているが美衣城に雇われているプロの忍びたち……これらが何故かどこにも見当たらない。
     何かの宴会が行われていたらしく、城の反対側では先程までドンチャンと大騒ぎをしていたであろう残骸はあった。かと思えば、今はそれが嘘かのように静まり返っているので、二人は逆に少し落ちつなかい心持ちである。とは言ったものの、何かの混乱が起こっているのなら、それを利用しない手もないのだが。
    「とにかく足田を探そう」
    「了解!」
    二人は歩く速度を上げる。
     そしてほとんど誰もいないこの屋敷の中で、二人は床を通じての足音に気がついた。それは何度も何度も同じ所を往復しているように一定で、言ってしまえば少々苛立っているような、強く踏み込んでいる足音である。
     二人で視線を利用して意志を伝え合い、そこから先は口を開かぬように、そして全ての音を殺すように、その足音がしている部屋に近づいた。幸い背後からの光源はなく、障子に小さく穴を開け、庄左ヱ門は中を覗く。
    「足田だ」
    唇の動きだけで三治郎に伝える。ようやく見つけた。見つからなかったらどうしようとまで心配した庄左ヱ門は、まずは作戦の第一段階の達成に安堵する。
     三治郎は指示を待つように、真っ直ぐに庄左ヱ門を見続けた。期待に応え、すぐさま決心する。
    「じゃ三治郎、打ち合わせ通りよろしく」
    「任せて」
    三治郎はまた音を殺しながら廊下を渡った。少し離れたところに待機をし、庄左ヱ門にスタンバイオッケーと親指を立てて見せる。庄左ヱ門も三治郎とその目的の部屋の、丁度中間くらいに身を構えた。
     頷いて三治郎に作戦開始を合図した。三治郎も頷き返し、小さく深呼吸をする。
     思い切り良く、それはもうよくよく響き渡るように大きく足音を立てながら、庄左ヱ門に向かって廊下を走った。三治郎が追いついたタイミングで庄左ヱ門が代わり、足田の居る部屋の障子を大きく開け放った。
    「足田さん! 大変です!」
    しかし障子を開け放ったのは庄左ヱ門ではなかった。別の忍びだ。
    「な、どうした!? 何があった!?」
    「北側の大宴会の会場に忍びが……!」
    「忍び!?」
    「と、とにかく私はもっと応援をっ!」
    「あ、おいっ! こら、待て!」
    慌ただしくその忍びは部屋から出て、乱暴に障子を閉め走り去ったかと思えば、今度は別の方角からまた足音が激しく響いた。
     たった今と同じようにその足音は足田が唖然としている部屋に繋がり、再度乱暴に障子を開け放って足田をビクつかせた。
    「足田さん! 緊急事態です!」
    また別の忍びである。
    「こ、今度はなんだ!?」
    「宴会会場で暴れていた忍びがっ! どんどんこちらに攻めて来ています!」
    「何ぃ!?」
    「私は警備兵にも応援を煽りにっ!」
    「あ、こら! 指示を聞かぬか!」
    障子は大きな音を立てて閉まり、二人目の忍びが走り去ったと思いきや、入れ替わるようにまた別の足音が走り込み、
    「足田さん!」
    「一体何だというのだ!?」
    三人目の忍びは、交戦したような跡すらつけていた。
    「足田さん、もう駄目です! 到底太刀打ちできませんっ」
    「なんだと!? そんなにすごい忍者だというのか!?」
    「あ、足田さんは我々の頭です! 頭を失うわけにはいきません! ここはどうにか脱してください! 我々が時間を稼ぎます! 早く!」
    三人目の忍びも姿を消し、足田の表情からは血の気が引く。一体何が起こっているというのか。今度は誰の足音も聞こえてこない。この静けさが逆に心臓の音を冗長させる。耳の奥にこびりついた戦場の音が、何とも臨場感満載で鼓膜を叩きつける。今、外で鳴っている音なのか、記憶から引っ張り出されているものなのか、もはや冷静には判断ができなかった。
     追い打ちをかけるように、再び足音が響いてくる。足田はみっともなくも肩を震わせた。
    「あ、足田さん……!」
    思いつめたような四人目の忍びは、恐怖により顔面が蒼白になっていた。歪んだ眉が、それが恐怖や絶望に寄るものだと教える。
    「ど、どうした……!?」
    「あれは……捉えたはずの……!」
    そこまで言うと、その忍びはそのままそこに倒れ込んだ。背中には鏢刀が二本ほど深く刺さっており、そこからは血が滲み出ている。……毒されたのだろう。もう手遅れだ。そう思う他できなかった。
     その一連の流れを目の当たりにさせられた足田は、恐怖を伝染させられ、忘れてしまった。呼吸の方法を。どんどん息が苦しくなる。『捉えたはずの……』と遺して息絶えたその亡骸が、一番の恐怖を伝えている。足が竦んで動かない。自身が死を覚悟した忍びであるということも、おそらくは忘却の彼方である。
    「……はっ」
    何の拍子だったか。足田は唐突に呼吸を取り戻し、すなわち我に返り、慌てて自身が居たこの部屋の掛軸を取り払った。その覆われていた壁のちょうど足元を軽く蹴ってやると、そこに小さな扉が現れ、戸が勝手に開く。そこから出てきた引き手をそのまま足で引くと、今度はその掛け軸がかかっていた上部にまた小さな扉が開いて現れた。そこに手を伸ばし、中から何やらの巻物を取り出す。
     それを確認する余裕すらなく慌てて懐にしまうと、部下の好意に甘えて退散を試みようと踵を返した。――返したところで、電撃を思わせるほどの衝撃が体中に走る。足田はようやく気がついたのだ。
    「お、お前……は……」
    倒れていた四人目の忍びよりも足田の近くに、別の忍びが立っていた。少し顔が痩け、煤や細かい傷に汚れた忍びである。その忍びは独特の笑顔を浮かべて、こう宣言した。
    「やあ。ぼくは風魔の次期頭領、山村喜三太だよお」
    ドドドドと足田の心臓が速度を増す。血管がはち切れんばかりの勢いで、全身に血液を巡らせる。発汗する、悪寒と共に。
    「な、おま、ど、どうやって」
    「秘伝書、返してもらうねえ」
    薄気味悪く微笑んで、不気味なほどに音もなく鏢刀を構えてみせた。それを一振りしてやれば、たじろぐことさえできずに硬直している足田の横をすり抜ける。
     応戦する様子もなく、まるで立ったまま失神しているかのように反応を見せない。足田の頬から血が滴った。
    「はにゃあ、抵抗しないの? じゃあ、はい、返してもらうねえ」
    軽い手つきで足田の懐から巻物は回収された。始終抵抗はない。まるでもう全てを諦めてしまったかのようなその放心状態に驚きつつも、手早く足田に縄を掛ける。
     それから確認するために懐から巻物を取り出し、慣れた手つきでそれをするすると開いた。
    「――よし」
    余りにも突然のことだが、足田に縄を掛けた忍びの声が変わった。
     そしてそれがまるで合図だったかのように、亡骸と化していた四人目の忍びも「おお、終わった?」と力の抜けるような軽い調子で立ち上がった。
     すっかり縄の中に収まってしまった足田は、その様子に目玉を飛び出さんばかりにひん剥いた。
    「え、ど、どうなって」
    先程から思うように言葉を発せていないが、これでも混乱を主張している。
     そこに立っていた二人の忍びは楽しそうに振り返り、
    「以上、全て私、黒木庄左ヱ門と」
    「夢前三治郎でした〜」
    それぞれがお面を外し、そこに置き土産としてそれを残し、颯爽と退散した。

     退散する道中、二人は作戦の大成功にとても満足していた。
     喜三太の救出は他の級友に任せておけば大丈夫との確信があった庄左ヱ門は、なんとしても秘伝書の回収までを済ませて置きたいと思っていた。内部に敵がいる可能性があったのでこのような形にはなったが、最終的にはよかったのではないかと思っている。
    「無事に帰り着くまでが忍務」
    そう庄左ヱ門に釘を刺されていたので、思わず声に出して成功を喜びたい三治郎は、ニコニコと頬を緩ませていた。
     とりあえず本陣に向けて、森の中を移動中である。
     あと残されている忍務は、この秘伝書を救出された喜三太に無事に届けるのみである。肩の荷もほとんど降り、余りの身軽さにわくわくとした心持ちになるのも仕方なのないことだった。
     そう時間はかからず、例の廃城が目に留まる。赤々と燃え上がり、まだ夜明けも遠い暗い夜空にぼおっと浮かぶ。三治郎も隣で「わあ」とその有り様に驚いていた。もはや鎮火後は使い物にはならないだろう。
     さらに少し進むと、木の上に虎若を発見した。……自分たちのために目印になってくれていたのだろうか。
     庄左ヱ門は三治郎に先に本陣に合流するように伝え、自身は虎若の元へ向かった。
    「随分派手にやったみたいだね」
    「庄左ヱ門」
    唐突に声をかけたので、虎若は名前を呼んで確認した。それに応えるよう「ただいま」と挨拶すると、笑って「おかえり」と歓迎された。
     会話は庄左ヱ門が話しかけた流れに戻る。
    「本当に豪快だよね。ここから見ていても圧巻だったよ、あんな短時間で城内に火の手が回る様子は。ぼく勝ち誇った顔してる三人を見たとき、思わず笑っちゃった」
    嬉しそうに虎若も笑っていた。ここで気を張って城内に残っている三人の心配をしていたのだろう。余程気が揉んだに違いない。
    「……喜三太は?」
    「乱太郎のところ」
    「ありがとう」
    流れとしては収束していた会話だったが、庄左ヱ門は体を傾けなかった。引き止めたのは、どことなくしょんぼりとした空気の虎若である。
    「……虎若」
    「なあに?」
    「皆のところに行かないの?」
    最後に合流したのがおそらくは庄左ヱ門たちなので、それが戻ってもなお、本陣に帰る様子のない虎若は、きっとまたいらぬことを気にしているのだろう。そう察したので、手っ取り早い質問をしたのだ。
     虎若本人はまるで「さすが庄ちゃん」と言いたげに苦笑を漏らし、
    「……ちょっと、喜三太に合わせる顔なくてさ」
    とぼやいた。
     読み通りである。やはり虎若は、喜三太が自分を裏切ったのだと信じていたことを、自分で許せないのだ。しかしそんなこと、誰が悪いという問題でもない。全ての原因は美衣城の悪巧みなのだから。
    「……喜三太は気にしてないと思うよ?」
    「うん」
    だが、それは既にわかっているようで、「ぼくの気持ちの問題」と柔らかく教えられた。
     改めて思考を巡らせる。確かにこんな自責の念いっぱいでは喜三太に会えないだろう。なんとか気持ちを軽くしてやりたい。
    「虎若さ、」
    思い至った。
    「うん?」
    「今回、この話を真っ先にぼくのところに持ってきてくれてありがとう」
    虎若のその疑心がなければ、そもそもこの一件について、調査をすることすらなかったのである。言うなれば、またあの頃のように皆で協力して一つの目標に向かうこともなかった。全ては虎若のお陰なのである。
     その意図ももちろん伝わったが、それ以上に虎若は、庄左ヱ門が元気づけようとしていることが嬉しく思え、
    「えへへ、よせやい。庄ちゃんも親身になってくれてありがとう」
    と笑うことができた。
     ようやく見せた笑顔に満足し、「向こうで待ってるよ」と残して、他が待機している本陣へ向かった。
     庄左ヱ門が到着すると、兵太夫と三治郎、団蔵がわいわいと何かを話していた。
     そこへまず「ただいま」と混ざりに行けば「おお、おかえり」「聞いたよ!」と三人の会話に大歓迎された。
    「あはは! 本当、さすが庄ちゃんだったよね! 迫真の演技!」
    三治郎が会話の経緯を軽く説明した。なんだそのことか、と庄左ヱ門も溶け込む。
    「演じるのは変装の基本だからね。三治郎だって四人目上手かったじゃないか。あの役が鍵を握ってたからさ、助かったよ」
    「えへへ。庄ちゃんに褒めてもらえるとなんだかくすぐったいね」
    誇らしげに笑った三治郎を見て、庄左ヱ門は三治郎が帰途ずっと、頬が緩みっぱなしだったことを思い出した。本人も今回の作戦は楽しく、そして満足できるものだったに違いない。
     兵太夫と団蔵も「見たかったよ」「おれも今度久々に変装してみよう」などと相槌を打っていた。
     そろそろ喜三太の元へ向かいたい庄左ヱ門は、意識を乱太郎が設けていた治療スペースに向けた。
    「でも正直ぼくも混乱しそうだったよ〜。どうやってあんなにコロコロ面を変えるの?」
    既に気持ちは歩き出していたが、三治郎が質問を降らせた。
    「それは秘密。コツだよコツ」
    と笑ってから、「じゃあ喜三太のところに行くね」とその場を離れた。
     確か乱太郎が設けた治療スペースはこの辺りだったはず、そう見当をつけながら草むらを歩いた。徐々に話し声が聞こえ始め、その場所を確信する。最後の藪をかき分けると、
    「庄左ヱもーん!」
    嬉々とした声が届いた。
    「喜三太! 良かったなんとか無事で!」
    すぐに駆け寄った。
    「本当にありがとお。ぼくってばついつい油断しちゃってぇ」
    虎若と同じように、少し申し訳なさそうに笑うので、庄左ヱ門も釣られて小さな笑顔を作った。
    「もういいよ。今回はなんとかなって本当によかった」
    そう、これに尽きるのである。
     ――なんとかなって、本当によかった。
     それから喜三太の隣で横になっていた伊助としんべヱにも目を配り、「伊助もしんべヱも大丈夫?」との会話をした。するとすぐに姿が見えなかった乱太郎ときり丸が水の入った容器を持って反対側から現れ、「よお庄ちゃん、おかえり」「ただいま」などの挨拶を済ませる。
     更にその後ろから着いてきていた笑顔にも、当然気がついていた。
    「土井先生もいらしてたんですね」
    いつから合流していたのか、土井は嬉しそうに笑っていた。
     今回、一同の活動に満足していたのは、どうやら本人たちだけではなかったようだ。
    「あはは、ちょっとお前たちのことが気になってなぁ。それに山田先生だけ手を貸してずるいだろう。いやあ、本当に皆頼もしくなったなぁ」
    しみじみと噛みしめるように独り言を呟いた。それに対して律儀に「いいえ、まだまだです」と庄左ヱ門は謙遜した。そのままそこで会話が弾む。
    「あーあ、なんか皆かっこいいなあ」
    「伊助?」
    一段下の、少し低い位置ではまた別の会話がなされていた。
     横たえられたままの伊助は少々不服そうで、隣に横になっていたしんべヱはそれが大変に気になった。
     伊助の言い分はこうである。
    「……皆さ、まだあのときみたいに輝いてるんだもん、羨ましいよ」
    伊助は卒業してから忍びの活動はしていなかった。だから今回の作戦では常に裏方として参戦していたのだが、どうやらそれが少しばかり悔しかったらしい。そんな心持ちだったとはこれっぽっちも思っていなかったしんべヱは、慌てて伊助に照れながら白状した。
    「ねぇ伊助ぇ。ぼくの足の傷、伊助からもらった目眩ましがあったから、この程度で済んだんだよぉ」
    伊助は目を丸めた。
     しんべヱは続ける。
    「伊助、守ってくれてありがとう」
    気持ちを伝えるように、しっかりと笑ってみせた。その穏やかな笑顔を自分が守ったのかと思うと、少しだけ胸中の曇りも晴れた。
    「……うん、しんべヱも、ありがとう」
    「えへへ」
    「いひひ」
    まるで秘密話をするように、二人でひっそりと笑い合った。

    「はーい、では皆集合ー!」
    夜が開け始めたころ。一堂に会したが別々に会話を弾ませていた面々に、庄左ヱ門が声をかけた。
     ぞろぞろと皆が集まる。
    「皆、今回は忙しい中協力してくれてありがとう。特に、無茶ぶりした兵太夫、最後は皆をまとめてくれてありがとう。そして、怪我させちゃった伊助、本当に面目ない。でも、お陰で喜三太が無事に戻ってきたし、美衣城の変な野望も阻止できました! もう一回言う! ありがとう!」
    力強く、また活気に溢れた眼差しでそう投げかけると、「庄ちゃんもありがとう」などと木霊が飛んだ。
    「さて、これから一度土井先生宅に戻るけど、戻ったら怪我してる人もしてない人も、全員乱太郎チェック入りまーす! 忘れずに受けて帰えるように!」
    「はーい!」
    まるでいつぞやに戻ったように、皆が結束して返事をした。
     その様子に非常に満足した庄左ヱ門は、
    「ではここからは忍務と思って、気を引き締めて行動するように! 帰るまでが遠足です!」
    高らかに宣言をして、
    「遠足? 干し柿はおやつに入りますかあ?」
    とボケた喜三太にそれぞれが笑いとツッコミを入れた。
     たまには皆で集まる機会を作ろうと、彼らの笑顔を見ながら強く思う。その気持ちを心にしまうように、はきはきと帰宅の号令をかけた。



    おしまい


        後記

     まず初めに、ご読了本当にありがとうございます。イケどんなお気持ちでお読みいただけたでしょうか?
     前記しましたが、成長一年の忍務パロディ好きが高じ、このような本を発行することとなりました。制作期間の三ヶ月ほどは、ずっとわくわくが止まらず、楽しく幸せな期間でした。みんな大好きでどうしたらいいか……。同時発行の成長一年い組「今彦一座」、成長一年ろ組「ぶつかる草原」も、同じ世界線上のお話です。是非とも合わせてお楽しみください。
     今回制作するに辺り、一人ひとりの将来や得意とする武器などをたくさん妄想しました。本作ではそれらが生かせなかったことだけが心残りです。活躍できたキャラクターにむらがあったことも反省しています。特に虎若、本当にごめんよお。
     普段の活動としましては、ピクシブなどで小説を書かせていただいております。ご興味お持ちの方はぜひとも遊びにきてください。(ほとんど腐っているので、苦手な方はご注意ください)そして、今後の活動としましては、これより先は未定となります。ただ、今回の製本はとても楽しく、近々何か出しているかも知れません(笑)そのときはまたお付き合いいただけると幸いです。一番可能性があるのは、成長一年が皆ごった煮状態で出てる、とてもややこしい長編です(笑)
     最後にはなりましたが、素敵過ぎるカバーイラストをご快諾いただきましたぷっけ様、並びに、発行にあたり背中を押してくださった矢車様、本当にありがとうございました。お二人がいらっしゃらなかったら、このような形で皆様のお目に触れることもなかったかと思います。感謝でいっぱいです。(カバーイラストのラフ画を拝見したときの興奮たるや……)
     こんな長い後記を含め、ご読了いただきました皆様に置かれましても、本当にお付き合いくださり、ありがとうございました。ご感想やご意見などもいただけると、とても嬉しく思います。また私の作品をお見かけくださった際は、どうぞよろしくお願いします。
     ありがとうございました!


    きゃんどる




    「狐の合戦場」

    発行:きゃんどる (ボーロ実験)
    初出:2015.7.5

    Special Thanx!
    カバーイラスト:ぷっけ様
    飴広 Link Message Mute
    2023/07/26 23:54:47

    狐の合戦場

    【成長忍務パロ/一年は組】

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    • こんなに近くにいた君は【ホロリゼ】

      酒の過ちでワンナイトしちゃう二人のお話です。

      こちらはムフフな部分をカットした全年齢向けバージョンです。
      あと、もう一話だけ続きます。

      最終話のふんばりヶ丘集合の晩ということで。
      リゼルグの倫理観ちょっとズレてるのでご注意。
      (セフレ発言とかある)
      (あと過去のこととして葉くんに片想いしていたことを連想させる内容あり)

      スーパースター未読なので何か矛盾あったらすみません。
      飴広
    • ブライダルベール【葉←リゼ】

      初めてのマンキン小説です。
      お手柔らかに……。
      飴広
    • マイ・オンリー・ユー【web再録】【ジャンミカ】【R15】

      2023.06.24に完売いたしました拙作の小説本「ふたりの歯車」より、
      書き下ろし部分のweb再録になります。
      お求めいただきました方々はありがとうございました!

      ※34巻未読の方はご注意ください
      飴広
    • 何も知らないボクと君【ホロリゼホロ】

      ホロリゼの日おめでとうございます!!
      こちらはホロホロくんとリゼルグくんのお話です。(左右は決めておりませんので、お好きなほうでご覧くださいませ〜✨)

      お誘いいただいたアンソロさんに寄稿させていただくべく執筆いたしましたが、文字数やテーマがあんまりアンソロ向きではないと判断しましたので、ことらで掲載させていただきましたー!

      ホロリゼの日の賑やかしに少しでもなりますように(*'▽'*)
      飴広
    • 3. 水面を追う③【アルアニ】

      こちらは連載していたアルアニ現パロ小説「海にさらわれて」の第三話です。
      飴広
    • 3. 水面を追う②【アルアニ】

      こちらはアルアニ現パロ小説「海にさらわれて」の第三話です。
      飴広
    • 最高な男【ルロヒチ】

      『現パロ付き合ってるルロヒチちゃん』です。
      仲良くしてくださる相互さんのお誕生日のお祝いで書かせていただきました♡

      よろしくお願いします!
      飴広
    • 3. 水面を追う①【アルアニ】 

      こちらはアルアニ現パロ小説「海にさらわれて」の第三話です。
      飴広
    • 星の瞬き【アルアニ】

      トロスト区奪還作戦直後のアルアニちゃんです。
      友だち以上恋人未満な自覚があるふたり。

      お楽しみいただけますと幸いです。
      飴広
    • すくい【兵伝】

      転生パロです。

      ■割と最初から最後まで、伝七が大好きな兵太夫と、兵太夫が大好きな伝七のお話です。笑。にょた転生パロの誘惑に打ち勝ち、ボーイズラブにしました。ふふ。
      ■【成長(高校二年)転生パロ】なので、二人とも性格も成長してます、たぶん。あと現代に順応してたり。
      ■【ねつ造、妄想、モブ(人間・場所)】等々がふんだんに盛り込まれていますのでご了承ください。そして過去話として【死ネタ】含みますのでご注意ください。
      ■あとにょた喜三太がチラリと出てきます。(本当にチラリです、喋りもしません/今後の予告?も含めて……笑)
      ■ページ最上部のタイトルのところにある名前は視点を表しています。

      Pixivへの掲載:2013年7月31日 11:59
      飴広
    • 恩返し【土井+きり】


      ★成長きり丸が、土井先生の幼少期に迷い込むお話です。成長パロ注意。
      ★土井先生ときり丸の過去とか色んなものを捏造しています!
      ★全編通してきり丸視点です。
      ★このお話は『腐』ではありません。あくまで『家族愛』として書いてます!笑
      ★あと、戦闘シーンというか、要は取っ組み合いの暴力シーンとも言えるものが含まれています。ご注意ください。
      ★モブ満載
      ★きりちゃんってこれくらい口調が荒かった気がしてるんですが、富松先輩みたいになっちゃたよ……何故……
      ★戦闘シーンを書くのが楽しすぎて長くなってしまいました……すみません……!

      Pixivへの掲載:2013年11月28日 22:12
      飴広
    • 落乱読切集【落乱/兵伝/土井+きり】飴広
    • ぶつかる草原【成長忍務パロ/一年ろ組】飴広
    • 今彦一座【成長忍務パロ/一年い組】飴広
    • 一年生成長忍務パロ【落乱】

      2015年に発行した同人誌のweb再録のもくじです。
      飴広
    • 火垂るの吐息【露普】

      ろぷの日をお祝いして、今年はこちらを再録します♪

      こちらは2017年に発行されたヘタリア露普アンソロ「Smoke Shading The Light」に寄稿させていただきました小説の再録です。
      素敵なアンソロ企画をありがとうございました!

      お楽しみいただけますと幸いです(*´▽`*)

      Pixivへの掲載:2022年12月2日 21:08
      飴広
    • スイッチ【イヴァギル】

      ※学生パラレルです

      ろぷちゃんが少女漫画バリのキラキラした青春を送っている短編です。笑。
      お花畑極めてますので、苦手な方はご注意ください。

      Pixivへの掲載:2016年6月20日 22:01
      飴広
    • 退紅のなかの春【露普】

      ※発行本『白い末路と夢の家』 ※R-18 の単発番外編
      ※通販こちら→https://www.b2-online.jp/folio/15033100001/001/
       ※ R-18作品の表示設定しないと表示されません。
       ※通販休止中の場合は繋がりません。

      Pixivへの掲載:2019年1月22日 22:26
      飴広
    • 白銀のなかの春【蘇東】

      ※『赤い髑髏と夢の家』[https://galleria.emotionflow.com/134318/676206.html] ※R-18 の単発番外編(本編未読でもお読みいただけますが、すっきりしないエンドですのでご注意ください)

      Pixivへの掲載:2018年1月24日 23:06
      飴広
    • うれしいひと【露普】

      みなさんこんにちは。
      そして、ぷろいせんくんお誕生日おめでとうーー!!!!

      ……ということで、先日の俺誕で無料配布したものにはなりますが、
      この日のために書きました小説をアップいたします。
      二人とも末永くお幸せに♡

      Pixivへの掲載:2017年1月18日 00:01
      飴広
    • 物騒サンタ【露普】

      メリークリスマスみなさま。
      今年は本当に今日のためになにかしようとは思っていなかったのですが、
      某ワンドロさんがコルケセちゃんをぶち込んでくださったので、
      (ありがとうございます/五体投地)
      便乗しようと思って、結局考えてしまったお話です。

      だけど、12/24の22時に書き始めたのに完成したのが翌3時だったので、
      関係ないことにしてしまおう……という魂胆です、すみません。

      当然ながら腐向けですが、ぷろいせんくんほぼ登場しません。
      ブログにあげようと思って書いたので人名ですが、国設定です。

      それではよい露普のクリスマスを〜。
      私の代わりにろぷちゃんがリア充してくれるからハッピー!!笑

      Pixivへの掲載:2016年12月25日 11:10
      飴広
    • 赤い一人と一羽【露普】

      こちらは露普小説「ケーニヒスベルク二十六時」シリーズの続編です。
      飴広
    • ケーニヒスベルク二十六時 / プロイセン【露普】

      こちらは露普小説「ケーニヒスベルク二十六時」シリーズのプロイセン視点です。
      飴広
    • ケーニヒスベルク二十六時 / ロシア【露普】

      こちらは露普小説「ケーニヒスベルク二十六時」シリーズのロシア視点です。
      飴広
    • ケーニヒスベルク二十六時 / リトアニア【露普】

      こちらは露普小説「ケーニヒスベルク二十六時」シリーズのリトアニア視点です。
      飴広
    • 「ケーニヒスベルク二十六時」シリーズ もくじ【露普】

      こちらは露普小説「ケーニヒスベルク二十六時」シリーズのもくじです。
      飴広
    • 最終話 ココロ・ツフェーダン【全年齢】【イヴァギル】

      こちらはイヴァギルの社会人パロ長編小説「オキザリ・ブロークンハート」の最終話【全年齢版】です。
      飴広
    • 第七話 オモイ・フィーラー【イヴァギル】

      こちらはイヴァギルの社会人パロ長編小説「オキザリ・ブロークンハート」の第七話です。
      飴広
    • 第六話 テンカイ・サブズィエ【イヴァギル】

      こちらはイヴァギルの社会人パロ長編小説「オキザリ・ブロークンハート」の第六話です。
      飴広
    • 第五話 カンパイ・シャオ【イヴァギル】

      こちらはイヴァギルの社会人パロ長編小説「オキザリ・ブロークンハート」の第五話です。
      飴広
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