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    煙に巻く 樒戸敬久は咥えた煙草に火を点けた。
     ウィンストン・キャスターホワイト。フィルターを噛めば、薄甘いフレーバーに混じって紙臭さが味覚を刺激する。この仕事に就いてから喫いはじめた煙草の味には慣れたが、美味いと思ったことはない。ただ、黙って咥えている煙草の先から、青白い煙が一筋の糸のようになって立ち上り、大気の中に拡散していくを見るのは好きだった。
     一本を時間をかけて喫い、二本目を箱から取り出したところで、見知った顔が休憩室に現れた。
    「一本貰えるか?」
    「的場さん」
     樒戸は眉を軽く上げて挨拶の代わりにすると、煙草をもう一本取り出し、差し出した。的場が受け取り、樒戸は黙って彼の咥えた煙草に点火した。次いで、自分の煙草に火を点けていると、横から声を掛けられる。的場が面白そうに樒戸の顔を見ていた。
    「美味くないだろう」
    「ええ」樒戸は口を窄めて煙草を吸った。「ザ・ピースは私には重すぎるし、高すぎる。それに、美味いと癖になりますから」
     的場が喉を鳴らして笑う。
    「やめられる気でいるんだな。俺のように潔く諦めろ。肺のことなんか気にするな」
    「後閑が口喧しくて」と樒戸は笑い返した。「あいつはときどき母親みたいになる」
    「母親か」的場は煙草を咥えたまま、指先で顎を撫ぜた。紫煙を吐き出す的場の首筋に太い血管が浮き出るのを見ながら、樒戸はまずい煙を味わっていた。煙草は好きではない。的場の隣にいるために喫っていた。かつては的場に貰ったザ・ピースを。今は自分で選んだウィンストンを。的場が樒戸に煙草を教え、仕事を教え、ときに遊びを教えた。

    「樒戸、お前、家庭は持たないのか?」
     突然的場がそんなことを聞くので、樒戸は一瞬動きを止めた。
    「どうしてそんなことを?」
    「男は家庭を持ったほうが安定するというじゃないか。仕事一辺倒で、好い女はいないのか?」
    「いませんよ」
    「どんなのが趣味なんだ。好みのタイプは?」
    「まいったな。揶揄わないでください」
     樒戸は溜息とともに薄くなった煙を吐き出し、指で挟んだ煙草を弾いて灰を落とす。
    「やるべきことが多すぎて、それどころじゃありませんから」
    「やるべきこと、か」的場は曖昧な笑みを浮かべた。「あの事件を、まだ追ってるのか?」
     樒戸は答えなかった。そして目を伏せ、しばらくの間黙って煙草をふかしていたが、やがてこう言った。
    「的場さん。私はこう考えているんです。あの事件の犯人は、内部の人間なのではないかと」
    「警察内関係者の犯行だと? 樒戸、滅多なことを言うもんじゃない」
    「相模原は警戒心の強い女です。彼女が素人ごときにやすやすと殺されるとは思えない。それも、見知らぬ人間なんかに」
     喋りながら、樒戸は自分が知らず識らずのうちに強くフィルターを噛み締めていることに気づいた。
    「お宮入りにはさせられません。市井の安寧を守るどころか、相模原一人の無念も晴らせずに、これではなんのために警察官になったのか分からない。私は、おそらく……」
     そのとき、的場の手が襟足のあたりに押し当てられ、樒戸は驚いて口を噤んだ。無骨な手は宥めるように、そのまま首のあたりまでを撫で下ろし、微かな温度を残して去っていった。的場は、その手で自分の煙草を摘まんで口から離すと、穏やかな表情で言った。
    「あまり思い詰めるな。相模原が死んだのはお前のせいじゃない」
    「では……誰のせいなのか。それを突き止めるのが私の仕事です」
     樒戸も煙草を指に挟み、的場の顔と真っ直ぐに向き合った。的場は、風のない秋の湖のように凪いだ眼差しで、樒戸の視線を受け止めた。樒戸は的場のその黒々とした眼の中に、なにか別の感情を見つけ出せそうな気がした。的場は微笑んだ。
    「俺たちの、仕事だろう。樒戸」
     そのとき、樒戸は唐突に強い眩暈を感じた。ニコチンを多量に摂取したとき特有の眩暈に似ていたが、まったく別物のようにも思われた。樒戸は机に手をつき、身体を支えた。
    「ニコチン酔いか? 睡眠不足が祟ったな」
    「的場さん、協力してください」
    「ああ、お前はもっと俺を頼っていい。いつでも力になるさ。お前たちは俺のかわいい部下なんだ」
     的場は灰皿の縁に煙草を押しつけ、火を消した。樒戸は、的場の手元を視線で追った。クリスタルガラスの灰皿の上には、むかつくような臭いを放つ吸い殻が無造作に積み上げられ、まるで死骸の山のようだった。
    「甘い。やっぱり甘い煙草だな」
    「的場警部、まだ話したいことが」
    「少し休め、樒戸。時間はたくさんある。あとでまた話そう」
     樒戸はまだ呼び止めようと口を開いたが、それを聞く前に的場は休憩室を出て行った。樒戸は激しい疲労感を覚え、俯いた。
     指の間で、煙草が灰に変わろうとしていた。樒戸は火傷を負う前に、火を灰皿に押し付けようとした。ほとんどそうしかけた。しかし、結局彼は、それを自分自身の指の間で無理矢理に揉み消してしまったのだった。

    おわり
    ledonis5 Link Message Mute
    2020/12/26 0:16:30

    煙に巻く

    上司と樒戸

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