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    変化「また恨みを買ったな、樒戸」
     組織犯罪対策四課── 旧「刑事部捜査四課」の三上にそう声を掛けられたとき、樒戸はちょうどカレーをひと掬い口に入れようとしているところだった。三上は生姜焼き定食を乗せたトレイを樒戸の向かいに置き、断りもなく席についた。黒々としたスポーツ刈りに長躯の三上は、樒戸と比べれば幾分いかつくは見えるものの、四課の刑事たちの中に交じれば十分優男の区分に入るだろう。この男も六年前までは一課で樒戸と肩を並べていた。
    「なんの話だ」と樒戸はスプーンをくわえた。警視庁地下一階にある大食堂のポークカレーは、この時間になるといつも人参がほとんど溶けてしまっている。食事を取る職員はまばらで、閑散としていた。
    「とぼけるなよ。歌舞伎町のホステス殺しの件に決まってるだろ」
     三上が割り箸を割り、二本を擦り合わせて入念にささくれを除いた。トレイに木屑が散る。立場上は警部補である三上のほうが樒戸より二階級下ということになるが、同郷の、あるいは同年代の気やすさか、別部署の余裕なのか、この男は気後れしない。
    「俺は別班だから関係ないけどよ、山口管理官が圧力鍋みたいになってたぜ。犯人ホシは川崎組の金庫番だったっていうじゃないか。一課とジリジリ小競り合ってたところを、横から来た零課が掻っ攫ってった……」
    「人聞きが悪い。俺たちが追ってた別件、まあつまり一家殺しのヤマだが、その共犯者レツがたまたまホステス殺しの本ボシだったってわけだ。奇妙な偶然もあるもんだが」
    「そういうこともあるだろうけどよ、仁義通しとけ、お前」
     三上は喋るのと同じペースで飯を食う。
    「四月からうちも組対三課と統合されて、暴力団対策課になるだろう。みんな気が立ってんだよ。四課の名前にプライド持ってたからな」
    「『四課ブランド』か」
    「そういうの、お前は興味なさそうだな。いや、『零課ブランド』か?」
    「俺たちはノーブランド品だ」
     声を上げて三上が笑うので、樒戸も愛想程度に笑った。樒戸はルーとライスの配分を誤りつつある。

     一課と四課の手柄を横取りした形になったのは、樒戸としても意想外の出来事だった。咫川一家殺害事件の案件が零課に齎されたのは、現場の地下に奇妙な『儀式めいた痕跡』が残されていたからだ。両隣の住人も、夜間の不審な人の出入りを証言していた。今回の割り振りには明らかに“黒蜥蜴”が関与していると樒戸は考えていたが、一課は上層部の思惑など知る由もないだろう。彼らにしてみれば、自分たちが取り掛かるはずだった一家殺しの現場をなぜかあとから来た零課に押さえられ、おまけに進行中の別のヤマまでまとめて持っていかれた形となる。四課は四課で、川崎組の案件は自分たちの領分だと思っているから面白くない。一課が“仁義を通して”協力体制を敷いていたところを零課が悠々と素通りし、大手柄を挙げてしまったわけだ。馬鹿にされたと思われても致し方ない。
     雨天ミイラ化死体遺棄事件の解決以降──本質的な部分について言えば、的場が不在となって以降──薄氷を踏むような舵取りを強いられている。せめて、四課との関係を悪くしたくはない。今後さまざまな部分で便宜を図る必要が出てくるだろう。目標に一歩近づいたつもりが、白星以上の心労を背負い込んだような気分になる。

     樒戸は、謝罪の代わりに三上のグラスにピッチャーから水を注いだ。口が裂けようとも、言葉で謝るわけにはいかない。おそらくは三上も半ば樒戸の胸中を察している。
    「しかし、お前らも四人ぽっちでよくやるよ。違ったんだろうけどな、まだあの人が……」
    「正直、一課にいたときより気楽ではあるんだ」樒戸は三上の言いかけた言葉に気づかなかったふりをした。「あれはあれで、よかったけどな。あの殺伐とした刑事部屋がときどき懐かしくなる」
    「狗飼を連れていかれたこと、まだ伊野さん根に持ってるぜ」
     頬杖をつき、三上がニタニタした。三上が笑うと、頬の上の黒子が額側に一センチほど上昇する。
    「お気に入りだったからな。自分の右腕にするつもりで天塩にかけて育てたかわいい後輩を誑し込まれたらまあそうなる。それも格下の刑事にな」
    「連れてったのは俺じゃない」
    「そう言ってるのはお前だけだよ。やあねえ、男の人ってェ」
     そう裏声で言って三上がしなを作ったので、樒戸は噴き出す。こういうバランスの取り方が三上のうまいところだ。未だ警部補の位置に甘んじてはいるが、樒戸はこの男に一目置いている。
     続く三上の声音にはからかいの気配がある。「正直、お前が零課の話を受けるとは思ってなかった。慎重派だと思ってたからな」
    「あの状況で断れないだろ」目を伏せ、喉を鳴らして笑う。「リスクは大きいが、悪い話じゃなかった。一年待てば、警部に上がれることがほぼ確定してたからな」
     それに後閑を推薦するチャンスでもあった、と樒戸は当時を追想する。梯子外しに遭った後閑を二課から救い出す機会は、あのときをおいて他になかっただろう。当初から二課は後閑向きではないと樒戸は思っていたし、なによりまた後閑と仕事がしたかった。後閑は、自分を推薦したのが樒戸であることを知ってはいるが、それが樒戸の異動の“条件”だったことまでは知らないはずだ。
     樒戸は、後閑の編入を提案した直後の的場の表情を思い出していた。
    「そういやあ、お前のすぐ下、あの後閑だったな」
     樒戸の内心を読んだかのように、三上が後閑の名を出した。
    「ああ」
    「やりにくくないのか? 仕事はできるんだろうけどよ。愛想がなくて、目が冷たそうでよ、いかにも二課って感じだよな。俺だったら一緒には働きたくないね」
     あいつ、悪い噂もあるじゃないか。それで干されてたとか……と三上が沢庵を咀嚼しながら言う。
    「しかも同期だろ。気が休まらなそうだ」
    「そうでもないけどな」
    「呑気してんな。油断を見せたらひっくり返されるぞ、お前」
     普通の刑事から見たらそう見えるのだろう。同期で、同じ班に所属して、上下関係があれば、普通はそこに熾烈な手柄争いと嫉妬の炎を見る。樒戸もそれはよく理解している。後閑の中にも複雑な思いがまるでないかと言われたら、そうではないだろうと思う。単にそれ以上のものが、後閑と樒戸の間に存在しているだけだ。その塊が良性のなにかであるのか、それとも次第に体を蝕む悪性腫瘍の類であるのかは、未だにわかっていない。ただわかっているのは……。
     樒戸は存在を忘れかけていたサラダのボウルを引き寄せ、底にへばりついたレタスを取るのに全精力を傾注した。
    「なあ、樒戸」
    「ん?」
    「零課ってなんなんだ」
     既に三上は食事を終えていた。口元に微笑みの気配こそ残っているが、普段はやくざ者に向けられている油断のない視線が樒戸を正面から射抜いている。
    「庭師事件以降だ。現場や証言に妙なところのある事件は、決まって零課が掻っ攫ってっちまう。夫婦殺しも、キラー・ルージュもそうだろ。みんな気づいてないわけじゃないんだぜ」
     樒戸は、フォークの先にレタスを引っ掛け、慎重に皿から取り出した。
    「たまたまじゃないか」
    「現場で一度、公安の連中が彷徨いてるのを見かけたことがある。変だろ。やつらがこう言ってるのが聞こえた。『アーティファクトをさっさと回収しろ』ってな。アーティファクトってなんだ? お前ら、なにに関わってる?」
    「首を突っ込むな。穴に落ちるぞ
     三上は沈黙した。樒戸はサラダを咀嚼し、嚥下して、グラスの水を飲んだ。しばらくの間三上は凍りついたように黙っていたが、やがて「穴は入れるもんだろ」と戯けた調子で言った。
    「最低野郎だな、現逮だ」
     下品な冗談に笑い、敢えて過度に乱暴な言葉を返すと、三上は「うるせえよ」と笑い返した。
    「三上、お前もう少しそっちで昇進してくれ」
    「簡単に言ってくれるじゃねえか」
    「お前が四課の上のほうにいてくれると助かるんだ」
    「四月からは暴力団対策課だよ。てえと?」
    「お前を頼りにしてる」
    「やだあ、もう」
     同時に爆笑する。三上は「山口さんの機嫌は取っとくからよ」と言いながら、空の皿が乗ったトレイを手に立ち上がった。
    「お前、変わんねえけど、変わったよな。うまくやれよ」

     樒戸は軽く手を挙げ、三上を見送った。三上の笑い声の残響が、鼓膜のあたりに残っていた。
     まだ二割ほど残ったカレーライスに視線を落とす。すっかり冷め、器の中で乾きはじめている。スプーンで残ったルーと僅かばかりの白飯をかき集めていると、「まだ食ってたんスか」と入れ替わりに別の声が掛かった。郁李の三つ編みが相も変わらず無遠慮な視線を集めている。
    「狗飼は?」と尋ねると、「あー、一緒に来ようとしてたんスけど、やり残しがあったとか言って、今弁当頼んでました。一人でもさっさと食いに行けってうるさくて」
    「もうカレーと生姜焼きしかないぞ」
    「それマジで言ってんスか」
     さほどショックを受けたふうでもなく気怠そうに言いながら、郁李が上着を脱ぎ、ついさっきまで三上が座っていた席の背もたれに掛けた。その動作があんまり自然だったので、樒戸は微かに目を丸くした。注文に向かう郁李のひょろりとした後ろ姿を目で追う。
     こいつも変わった、と樒戸は思う。後閑も、狗飼でさえ変わった。「お前は変わらない」と言われ続けてきたが、確かに、三上の言う通り、俺にもどうしようもなく変わった部分があるのだろう。人間である以上、生きていれば変わらずにいられないと知っている。しかし、その変化メタモルフォーシスを成長と見て歓迎するのか、劣化として矯正しようと試みるのかは、個人が決めることなのだ。
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    2022/12/20 13:13:49

    変化

    樒戸と四課の刑事

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