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    第五話
     一晩かけて出した答えを連れて、俺は人気のなくなった通学路を早めの歩調で進んでいた。見上げればほぼ登頂しきった太陽が、一つも疑いを持たずに並木道に木漏れ日を落としている。明るく爽やかな空だった。
     アルミンに謝罪するにしろこのまま距離を置くにしろ、まず初めに決着をつけないといけないことがあるのは明白だ。……不良仲間たちと、彼らの罰ゲームについて。これを俺の中で宙ぶらりんにしているままでは、到底アルミンと向き合えない。
     家を出発したときの俺はただひたすらにそれだけを腹に決めて、目標を定めたのだ。
     アルミンに対して謝罪するのか距離を置くのかは、アルミンの様子と俺の心情の兼ね合いで答えを出していくつもりだ。と言うのも、俺が一方的に謝罪したいと思ったところで、今回は明らかに俺がおっ始めたいざこざであるからに、アルミンに顔も見たくないと言われれば、それを形だけでも受け入れなければならないと思ったからだ。それくらいの心の準備はしているつもりだ。
     とりあえずアルミンに出くわしてしまいそうな授業を避けるため、俺は昼休みに入るくらいの時間を狙って登校していた。不良たちがいつもの屯スポットに集まり始めるのもその時間帯なので、教室やロッカーを横目に流して、真っ先にそちらを目指そうと目論む。
     昼休みの始まりを告げるチャイムが響いたのを耳にしたのは校門に差しかかったあたりで、校舎の中に入るころには生徒の騒ぐ姿でそこはいっぱいになっていた。人の流れが濁流のようにあちこちへ向かっている中をかき分けて、ただひたすら目的の校舎裏へ続く渡り廊下に視線を定める。
     だがそんな俺の視界の中に、不意を食らわせるように動揺が飛び込んだ。……ここしばらく何度も何度も自分で思い浮かべてしまっていた金髪きのこのシルエットが、立ち所に俺の意識のすべてを引っ掴んで停止させた。……あんなに勇ましかった歩みすら止まっていた。
     エレンとミカサと歩いている――、こちらには気づいていない。その横顔が小さく笑っているのを見ただけで、想像を遥かに超えるほどの渇望が溢れ出て、ぐっと目頭に力が入った。……身体の中から溢れたはずの感情が外圧のようにのしかかり、潰されそうだ。息苦しくなる。
     ――アルミンだ。……アルミン、だ。
     意味もなく何度も心の中で叫んだ。……こんなにも激烈な情動が自分の中に沸き起こるなどと考えてもいなくて、それすら衝撃的だった。
     たった数日顔を合わせなかっただけなのに、今すぐにでも走り出して声を聞きたいと衝動が顔を出す。激しく俺の意識を揺さぶる。今、この場に俺を留めているのは、自業自得だったと顧みる理性だけだ。それでもそれら理性を押しのけようと欲が次ぎから次へと襲い出てくる。
     ……会いたい、声を聞きたい、触れたい。重い、痛い、苦しい。
     俺に限ってこんな衝動を抱くなどと、誰が思っただろうか……だがすぐにわかった。これらの欲情は何一つ俺の意識を介していない。すべて反射のように無意識的で、だからこそ、強烈な衝動となっているのだ。
    「……っ」
    突っ立ったままそこで狼狽えていると、視線を感じてふと我に戻る。アルミンの隣にいたミカサと目が合ったことを認識したその途端に、ドッと心臓が跳ね上がり、咄嗟にロッカーの影に隠れた。
     ……明らかに目が合ってしまっていたが、それがアルミンでなくて本当によかったと、早鐘のような脈々の中で胸を撫で下ろす。
     だが、今の一瞬で未だ少しふわふわとしていた様々な事柄に対しての結論が、俺の中でようやく出された。……アルミンが俺の存在を拒まない限り、できる限りの誠意を持ってちゃんと謝罪しよう。そう強固に決意を抱く。こんな気持ちをなあなあにできるはずもない。……例えもう構わないでくれと言われても、許されなくても……ちゃんと、この想いは伝えて終わらせたい。……最後まで『騙したい』だけでは、決してなかったこと。
    「――ちょっと、」
    聞き慣れない声がして、俺は慌てて顔を上げた。
     完全に気配を消されていて気づけなかったが、いつの間にか目の前に一つの人影が立っていて、
    「……み、ミカサ……!?」
    「あなた、どうして最近アルミンと一緒にいないの」
    「え?」
    それは俺がずっと片想いをしていた、まさにその相手だった。
     しょっちゅう見惚れていた上品な漆器のようなツインテールの髪の毛も、その眼差しも……一瞬にしてそれらが俺の意識に入り込み、動揺していた俺に対して深い訝しみを投げかける。
     慌てるようにしてとった行動といえば辺りを見回すことで、そこにミカサ以外の顔ぶれがないことにまたしても安堵してしまった。……どうやらアルミンたちは先にどこかへ向かったようだ。
    「あんなに寂しそうなアルミンを見たことがない」
    「え……」
    きっとあちこちに目を泳がせて挙動不審に映っていたであろう俺にも構うことなく、ミカサはしれっとその落ち着いた張りのない声を発した。簡単に引き寄せられた俺の視線は、改めてミカサに戻る。
     理解が追いつかないほど次々に展開していく状況のせいで、間抜けにも呆けてしまい、
    「って、エレンが心配している」
    ミカサのその深い瞳に、さらに俺を責め立てさせることを許していた。真っ直ぐに突き刺さるこの眼差しは、滅多に見られるものではない。まるでその虹彩すべてを瞳孔のように錯覚させる艷やかな漆黒は、俺がミカサに惚れていたことを思い出させ、そしてそれが必然だったのだと突きつけた。
    「……あなたのせい、なの?」
    「え、いや、」
    その瞳に漂う光が揺れる。
     もしここで、『アルミンが清々しい顔をしているのはあなたのせいなの』と問われれば、簡単に『そうだ』と答えられていたことと思う。アルミンは晴れて、付きまとっていた〝バッドボーイ〟を排除できたのだから。……だが、今質問されたのは『アルミンが寂しそう』な原因についてだった。……そしてそれの原因が俺だと発言してしまうことは、あまりにも思い上がりが過ぎていると思った。勘違いも甚だしい、アルミンにとってもそう思われることはいい迷惑だろう。
     けれど、『違う』とも即答できなかったのは、間違いなく俺の〝勘違い〟のせいだった。本当はそうだったらいいのに、と……心の片隅でそれを願っていたことが、自ら否定することを拒んでいた。
     当然のことながら、深層意識下でぶつかり合ったそれらの想いはどちらが身体の舵を握るかで喧嘩して、結局はどちらの返答もできないままにミカサの次の言葉を聞く羽目になる。
    「エレンが心配で夜眠れなくなったら、どうする」
    「……は?」
    先ほどからちょいちょいと存在をちらつかせていた脇役がいきなり主題となり、拍子抜けして思わずいつもの調子で返してしまった。
    「あいつはそんなタマじゃねえだろ」
    「タマ?」
    「な、なんでもねえです……」
    俺はミカサに向かってなんてことを言ってしまったんだと後悔はしつつも、ミカサもやはり俺の動揺なんてどうでもいいようで、
    「……とにかく、私もアルミンが心配」
    また勝手に話を進めた。俺に秘訣の呪い(まじない)でも教えるように顔を寄せて、
    「――仲直りしたいなら、すればいい」
    先ほどからぐらぐらと揺れていた思考に、釘を一本しっかりと突き刺した。
     それに貫かれたように心臓が躍動し、その言葉一つに視界がすべて塗り替えられる。先ほど見かけた控えめに笑むアルミンが意識の真ん中に浮かび上がって、勝手にそれが俺に向けられることを願って想像した。
     ――『仲直りしたいなら、すればいい』
    「そ、それは……お前に言われなくったって……わかってんよ……」
    「……そう」
    ふざけたことでバカ笑いしたいし、俺の知らないことをもっともっと教えてほしい。……俺は、アルミンとまた、笑い合いたい。ミカサが選んだ言葉の通り、『仲直り』になるかはわからないが、この思いはきっちりと伝える決意をしたばかりだった。
     俺の言葉を聞いてミカサはふ、とその頬を綻ばせた。唐突に優しくなった眼差しに驚いて見ていれば、
    「……なら、私が特別な呪いをかけておこう。きっとうまくいく」
    そう残して、颯爽と俺の前から立ち去っていった。漆黒で重たそうなそのツインテールが軽々と風になびき、
    「お、おう?」
    俺が打った相槌はついにはミカサ本人に届くことはなかった。
     ……飛んだ呆気なさで退散していったミカサを見送り、しばらくそこに立ち呆けてしまったが、俺の目の前を人が通り過ぎて行ったことで我に戻される。
     決意の通り、アルミンにしっかりこの感情を伝えるには、まず先に済ませておかなければいけないことがある。それはしっかり覚えていたので、気を引き締め直して再び目的の場所に向けて歩みを再開した。
     通い慣れた校舎裏への風景がどんどん過ぎ去っていく。学校の敷地を区分するための背の高いフェンス、それに絡まるようにして生い茂っている雑草。……それらとレンガ造りの校舎の間にできた狭いアスファルトの抜け道を通ると、視界が一度に拓けて校舎裏のプライベートスペースが姿を表す。……そして思惑どおり、そこには既に三人の仲間がふらふらと屯していた。
     ここでも周りを囲んでいるのはフェンスだけだが、別に隠れ家がほしいわけではない俺たちは日差しを凌げて座れる場所があるだけで十分だった。この場所には何世代か前に使っていたらしい大きな焼却炉の跡があり、それが歪に解体されてちょうどよく並ぶベンチの役割を果たしていた。日差しを凌ぐのはもちろん、目の前にそびえ立つ背の高い校舎そのものだった。
    「よお、」
    既にその場にいた三人で談笑をしていたところに、わざと大きめの声で割って入る。
     三人は三様に俺に気づき視線を向け、身構えているのが少しあからさまだった俺を捉えた。
    「お、ジャンじゃねえか」
    「おお、ほんとだ」
    わざとらしく笑いながら立ち上がり、久々に見る俺を出迎えてくれる。だがこれらの笑みが歓迎の意味を持っていないことはとっくにわかっていて、
    「どうしたんだよ、てっきり逃げ出したのかと思ってたぜ」
    何らかの形で降らせるだろうと待ち受けていた嫌味を、しっかりとこの身で受け止めた。
     それは三日も学校を休んで連絡一つしていなければ、腰抜けが逃げ出したとからかわれても仕方のないことだ。……〝こいつらの間〟だけでの話だが。
     その嫌味に応えるため、仲間たちにはわからなかっただろうが、すっと深めに吸気して、
    「……そうだ」
    自分が逃げ出さないように、嫌味を言った張本人をまっすぐに見据えた。……当然のことながら、それに対していい反応は得られない。特別に低い声で「ああ?」とがなるように返されたが、俺だって半端な気持ちでここに立っているわけではない。
    「こういうことは、俺には向いてねえよ」
    三人から睨まれていたが、俺だってやつらをしっかりと捉えていた。
    「俺は、降りる」
    口元を明らかにして、はっきりと宣言してやった。……これでいいはずだ。初めからこの〝罰ゲーム〟制度には辟易としていたのだから、俺は自分に素直になっただけだ。
    「……なんだそれ?」
    「はあ?」
    「お、なになに」
    後ろからまた別の仲間の声がして、今度は四人で振り返る。それからぞろぞろとあと三人ほどがこの輪に加わった。
    「ジャンが罰ゲーム降りるんだってよ」
    「うわ、まじかよ」
    「ついに愛しの〝ギーク〟に人間としての尊厳までくれてやったのか、ははは」
    「だせえ」
    口々に今の状況について語り合い、俺のこの申し出をどう受理するかと吟味を始める。思った通り、笑いのネタにはなったらしい。俺がどれだけ真剣な気持ちでここにいるのか見当すらつけようとしないこいつらは、ただけたけたと笑っては俺を好きにイジり始めた。
     よくも悪くもただ軽いこととしてこの事態を捉えていた仲間たちは、
    「まあ、別にいいんじゃね? 今までも成功しなかったやつくらい普通にいたし」
    そう意見をまとめたようだった。
    「だよなあ? お前と大差ねえよ」
    「言うなよっ! ありゃ内容が悪かったっつったろ! さすがにクイーンに近づくのは無理だ!」
    からかいの矛先があちらこちらへと飛散していくが、俺はその側で一人肩の荷が降りた気持ちでいた。……本当に、よくも悪くもノリのいいやつらでよかった。……ただ、今後〝こういうこと〟を互いに強制させるようなノリの良さは、否定していかなくてはいけない。
    「あん、じゃジャン、お前今日からしばらくパシリな」
    一番初めからこの場にいて、俺の話を真正面で聞いていたやつが、強めに俺の肩を叩いた。
    「……ああ、わかってる」
    「うわあ〜素直」
    「いいねえ」
    それぞれ言葉の通りに声色が踊っていて、ニヤニヤと粘りつくような笑みを湛えている。
    「じゃあ早速頼もうぜ。俺ジュース飲みたい」
    どこからともなく現れたその提案に便乗し、
    「俺も〜」
    「もちろん、ポケットマネーからよろしく」
    踊るような声はいくつも続いた。
     もちろんこの〝罰ゲーム〟を初めに納得して了承したのは俺自身で、これを拒むことそのものが『負けた』みたいで意地を張った。また潔く「わかった」と彼らに返した上で、
    「わかったが、一つだけ提案がある」
    その騒々しさに一石を投じるように告げた。望んだ通り、あっという間に彼らは発言を止め、「言ってみろ」とまた向かいにいたやつが静かに促した。
     おそらくこいつらも俺が言いたかったことは薄々と勘づいていたことだと思う。だからこそみんなが言葉を止め、俺が何を提案しようとしているのか、静観しているのだ。
     ぐっと拳を握り込み、意を決して軽々しさの中に重りのある議題を呈した。
    「俺たちだけで楽しむのはいいが、他のやつらを巻き込むようなことは、もうやめようぜ?」
    考えてみればそんなことは当たり前だ。下手したらその辺の小学生でもわかるような社会のルールだった。……もちろんこいつらは〝社会からあぶれたやつら〟で、社会のルールにおめおめと従うことがこの世で一番ダサいことだと思っているような連中だ。そう素直に聞き入れるわけがないこともわかっている。
    「……はあ?」
    「うわ、出たよ」
    「なになに、あのお坊ちゃんといすぎて〝お利口さん〟になっちまったのかジャンは?」
    数人がかりで俺に詰め寄り、また残りも各々で意見を述べる。……『意見を述べる』というのはいささかかっこよく現しすぎたかもしれない……思い思いに感嘆詞を並べた。
     俺だってダサいことはごめんだ。……だが、これは〝ダサい〟〝ダサくない〟以前の問題だということに、俺たちはもっと早く気づくべきだったんだ。
    「何で俺らがンなこと気にしなきゃなんねえんだよ」
    「……だってそりゃ、そうだろ。他のやつらには関係ねえじゃん」
    馬鹿でもわかりやすいように説明してやったつもりだが、
    「うわ」
    「うわわわ」
    「何それ、白ける〜」
    またそれぞれで大いに興ざめした心境を語った。……これもわかっていた反応だ。ここからのこいつらの考え次第では俺はもうこいつらの〝仲間〟ではいられなくなるが……だからと言って己を捻じ曲げるべきところでもない。
     そうやって様子を伺っていたところで、今度は俺の右側にいたやつが声を張った。
    「じゃあ、次はお前が勝てばいいじゃん」
    それを皮切りに「確かに」「まあ、それなら文句ねえよな」と同意が続く。……よかった、どうやら俺は居場所を追いやられることは免れたらしい。こいつらのこれまでのやり方は間違っていたと思うが、こいつらのスタイルは基本的には気に入っている。だから俺は、ここでこうやって踏みとどまろうとしていたのだ。
    「わかった、そうする。……次はぜってえ勝つ!」
    そうしてやつらの目の前に掲げた拳を強く握って戦線布告してやると、また仲間たちはニヤニヤと嫌味な笑みを浮かべた。
    「まあそう粋がんなって。ひとまずは俺らのジュース買ってきてもらおうか」
    ……ああ、そうだった。俺は今になってようやく、自分の立ち位置を思い出した。……とほほ、と項垂れる気持ちはあったが、それでもどこかすっきりしたような軽快さもあった。
    「うえーーい! ジュースジュースー!」
    「俺コーラな」
    「俺ファンタのメロン」
    「ええっと俺は……」
    遠慮の欠片もなく次々に注文を取らされるが、それは反対に俺のやる気を燃えさせた。次の勝負では必ず勝ってやり、〝こんなこと〟よりも楽しいことは山ほどあるのだということを、こいつらにも教えてやる。

       *

     仲間たちの言いつけを守り、自動販売機のある階段の踊り場で、俺は素直に手に持っている缶ジュースの本数を確認した。
     持ち合わせはぎりぎり全員分のジュースを買うに足りて、ほっと一息を吐いていたところだ。一つ誤算があるとすれば、六人分の缶ジュースを持つための鞄などの一切を所持していなかったことだろう。……考えればすぐわかるようなことなのに、三本目を買った辺りで『しまった』と己の失態に気がついた。
     仕方がないので両手いっぱいに缶ジュースを抱えて、俺は再び仲間たちが待つ校舎裏に向かうべく、階段を下った。抱える缶の表面に結露が溜まり、俺のシャツをだんだんと濡らしていくので冷たさが伝わってくる。……だが、この冷たさは仲間たちとの一件が、なんとか無事に済んだことを実感させた。……これで残る目標は一つだ。
     何の気なしにこれまでのことを顧みているときに、俺は視界を横切った人影に思わず足を止めていた。そして何の意識も介さずに、まるで反射運動のように息を吸い込む。
    「――お、おい! アルミン!」
    階段を下っているその最中に俺の視界へ飛び込んできたのは、紛れもなくこれから向き合おうと思っていたアルミンだった。名前を呼んで、アルミンがこちらを見て、そこでようやく俺はまだ何の考えもまとまっていないことを思い出した。……おまけに両腕に缶ジュースを山ほど抱えている。……今が適切なときではないことは明らかだったが、緊張が一つ緩んだがために、衝動がいの一番にアルミンを見つけたことに歓喜してしまったのだ。
    「じゃ、ジャン……!」
    アルミンの眼差しが真っ直ぐに俺に向く。その目の色には拒絶の色はないように思えて、一目だけで気が緩んで感情がこみ上げてきた。
     ――ああ、アルミンだ。
     深いところで意識した途端、居ても立って居られなくなる。もうこの機を逃せるわけがない。あまりに唐突でまだ考えがまとまってはいなかったが、俺は仲間たちと対するとき以上に腹を括って、ゆっくりと階段を下りた。
    「……その、ちょっと面貸せよ」
    「……。……い、いい、けど……」
    一つの瞬きの間だけ視線が逸れたアルミンだったが、張りのない声で了承してくれた。……瞳の揺れから、これは渋々の了承のようにも見えるが、依然として『拒絶』の意志は感じ取れない。……ただ単に俺がそう思いたかっただけかもしれないが……それでも、俺は自分が見たものを信じるほかない。
     ちょうど階段の側にいたので、俺はそのままアルミンをさらに奥に引き連れ、階段下に入った。一階の階段下は物置きのようになっているので、生徒は滅多に覗きには来ない。こんな恰好の場所は早々見つけられないはずだ。
     これでは様にならないので、ひとまず重ねられているダンボールの上に、持っていた缶ジュースを置く。その間は静かに俺の動向を見守ってくれていたが、一度顔を上げると一直線に俺を見て、
    「……なに?」
    とても長い沈黙の末に、簡潔に尋ねた。……ここだ、ここではっきり、アルミンに自分の抱く感情について激白するんだと、自分で自分の背中を後押しする。
    「その……色々考えて……」
    「……うん」
    ――いや、思えば色んな人に後押ししてもらったような気がする。自分だけではない、マルコだってわざわざ俺の家に来てくれて、俺を窘(たしな)めてくれて……今朝だって、
    「ミカサにも……『仲直りしたいならすればいい』って言われて」
    そのときのミカサの真摯な瞳を思い出す。アルミンと親しい人にまでそうやって後押ししてもらえたのは、とても心強かった。
    「……ミカサが?」
    驚いたという声色でアルミンが復唱した。それから何がおかしかったのか、ふふ、と口元を隠して小さく笑うので、
    「それ、君にも言ったの?」
    その場で俺の視線は釘づけになっていた。……久しぶりにアルミンの笑顔を見た気がした。困ったように笑うアルミンを、こんなにも眩しく想った。
    「『君にも』? っつうことは、お前にも言ったのか」
    「うん、言われた」
    笑みのせいで潰れていた瞳を開けて、今度はしっかりとこちらへ向けられる。……初めからそこに拒絶の色は感じていなかったが、それ以上に表情は柔らかくなり、心地よい眼差しが俺を捕まえた。
     アルミンにちゃんと謝罪をして、例え許してもらえなくても……きっちりこの想いを伝えよう。そんな風に決意した俺に対してその眼差しがもたらしたものは、どれほどの感情を掻き立てただろう。
     激しく恨むようなものは微塵も感じさせず、むしろこれから言わんとしていることを素直に待ってくれている。そんな風にアルミンの振る舞いは捉えさせた。これではそれに甘んじてしまいそうだ……だが、そういうわけにもいかない。例えアルミン本人が『もういい』と言ってくれたとしても、それでは俺の気が治まらないはずだ。
     せっかく和やかになっていた空気を自らきっちりと固め直し、俺は一歩だけアルミンに歩み寄った。
    「それで、その……悪かった」
    レンズの向こうの瞳は、それでもまっすぐに俺を捉えたままだ。
    「初めにお前のこと騙そうとして近づいたのは……本当だ」
    後ろめたさも恥も今は置いておいて、俺ができる誠心誠意の態度を示そうとした。
    「マルコにはそんなことをしたらだめだと言われたのに、仲間に腰抜けだって馬鹿にされたくなくて、やめなかった。本当、ごめん」
    こういうときの謝り方に作法はない。少なくとも俺は知らないから……できる限り深く頭を下げて、心から反省していることを伝えようと試みた。顔を上げてアルミンの反応を窺おうとしたら、アルミンも少し申し訳なさそうに笑っていて、
    「う、うん……その、ぼくも、」
    何かを続けようとしたので、思わず「待てよ、一回最後まで聞け」と慌てて止めに入ってしまった。……俺が伝えたかったのは、これらの謝罪だけではないからだ。……ここでアルミンに主導権を握られては言いそびれてしまうかも知れず、それを恐れてのことだった。
    「それで、初めは確かにそんなだったけど……、」
    ……『そんなだったけど』。……さて、何と言えば伝わるだろうか。……アルミンと過ごした日々の、あの心地よさを伝えるための言葉を、俺はこの頭の中で隅々まで探した。
    「なんつうか、波長? みてえの?」
    残念ながら適切な語彙が見つからず、それでも諦めずに伝えようと言葉を探し続ける。
    「なんか、お前といると楽しいっつうか、落ち着くっつうか……変に力が入ってなくて、これが『素』ってやつかって、思った」
    「……うん、そうなんだ」
    長い前髪と繋がっていた睫毛が下を向いて、目を伏せたのがわかった。光が足りない金色が鈍く艶を動かしたかと思えば、少しだけ覗く暗い瞳の色が気になってたちまちそれに見入ってしまう。――……もっと近くで見られたらいいのに。そう意識に浮上してきた途端に、何を考えてんだ俺はとのぼせたように熱くなった。
     や、やばい。まだ言いたいことを言い切ってもいないのに、一気に〝アルミン〟を意識してしまって、目が見られなくなった。……しかもアルミンのやつ、俺の羞恥が伝播したのか、こいつまで照れくさそうに視線を逸すものだから、もう俺の身体の中は大惨事だ。バクバクと波を打つ度に爆発でも起こしているような衝撃に面を食らう。
    「お、おう。だから、その……き、キス……は、本当に嫌じゃなかった、し……」
    恥ずかしさのあまり声が震えている。なんてみっともないんだと自分を𠮟咤しても、そう簡単に定まらない。ここまできたら早いところ言ってしまって、一刻も早く開放されたいと気が急いて仕方がない。
    「……い、いや、それには俺自身本当に驚いたんだけどな!? だから、その、つまり……っ」
    こんなにみっともないのに、ちら、と顔を上げて見れば、アルミンは静かに俺の話を聞いてくれている。ちゃんと、そこに立って……俺が言いたいことをちゃんと言ってしまえるように、そこに、立って……。
     ドク、と一際激しく脈が打つ。それは俺から不必要な羞恥心を取り上げ、高揚は抱いたままに俺を落ち着かせた。不思議な気持ちだった。……今度こそ実直に伝えるため、寄り道なんてせずにアルミンの眼を見据えた。
    「――……許して、ほしい」
    深呼吸の後に、なるべく落ち着いた声で伝えた。……そうだ、どうかこれまでの俺のことを許して、そしてあわよくば、また以前のように互いの興味について話をさせてほしい。笑う顔を見せてほしい……何かを考え込むときの真面目な顔も好きだ。また別の季節の星空も一緒に見たい。……油断した隙きに俺の内に潜んでいた欲が止めどなく溢れた。
    「…………ジャン」
    長らく口を閉ざしていたアルミンが、俺の思考を奪うように口を開いた。その声色はいつになく真剣なもので、あっという間にアルミンの望んだ通りになる。
    「ぼくのほうこそ、その……ごめん。マルコから君がぼくに近づくかもって聞いて、『受けて立つ』くらいの気持ちだったんだ。いつも見下されてると思ってたし、でも、頭を使った騙し合いなら、勝てると思ったから……」
    「……お、お前が言うと怖えな」
    茶化したつもりはなかったが、それでも素直な感想だった。……しかもアルミンはその宣言通り『勝った』わけだ。……ただ、それに対してアルミンは傲る様子もなく、相槌の代わりにただただ小さく苦笑を漏らすだけだった。
    「だけど、途中から本当に自分がそうしたいのかわからなくなってしまって……だから何より謝りたいのは、あれには自分の気持ちを確かめる意味も、少しだけだけど、含まれてたってことで……」
    脈略からしておそらくアルミンの言っていた『あれ』というのは、俺にキスを迫ったことだ。
     それがきっかけとなり、二人してまったく同じタイミングで『あれ』のシーンを思い出してしまった。おずおずと熱を滾らせた瞳を俺に向け、せっかく一度治まった火照りが再びじわじわと身体を上り始める。
    「……ぼくは、冷静じゃなかった」
    ……蛇に睨まれた蛙。……とは、かなり状況は違っているだろうか。それでもこの光景はそれに酷似していただろう。アルミンのその瞳に簡単に射止められ、身動ぎ一つ敵わない。今この瞬間に俺を留めているアルミンの眼差しは、それこそ『あのとき』を彷彿とさせた。
    「……嫌じゃなかったんだ?」
    はらはらと語りかけるような、俺の瞳の奥のほうまで見透かすような……そんな、飲み込まれそうな瞳だ。尋ねられたことにはかろうじて、「……るせ」と返答できていたが、それに対してもアルミンはただ声を潜めて「……そっか……」と呟くだけだった。
     ……アルミンが目的をわかりやすく晒したままの眼差しで、俺との距離を縮めてくる。だが、既にその眼差しに拘束されていた俺は、そこから視線を放すことさえできない。
     くる、アルミンが……また、唇を寄せられる。
     ひょい、と爪先で立ったアルミンが、俺の視界いっぱいに広がった。ふうわりと空気が動き、嗅いだことのある匂いが意識の中に紛れ込む。階段下の薄暗さの中にあった二つの人影は、そっと互いに寄り添った。
     ――……それから、ときが止まる。
     正確には、止まったように錯覚した。……身動ぎ一つ取らずに俺は、いとも簡単に唇に触れられることを許してしまっていた。またくらくらと目眩のような感覚が頭を惚けさせる。柔らかさが唇から離れて初めて、呼吸を忘れていたことに気づくほど、俺はアルミンの一連の動きに気を取られていた。
     重なりが離れてもアルミンは目の前にいて、表情から感情を読み取ろうとしている。
    「……今も、変わらない?」
    ぎらぎらと貪欲に揺らめく虹彩が、俺を見上げていた。
    「嫌じゃ、ない?」
    とてもではないが、反応なんてできなかった。
     そもそも『あのとき』のことを『嫌じゃなかった』と教えるのと、今このとき嫌でないことを伝えるのは、まったく別のことだ。…………それからうな垂れたい気持ちになる。『今このとき嫌ではない』と自認してしまったことで、身体全体がひどい脱力感に襲われた。
     もうここまできたらわかりきっていたことだが、俺はそう、アルミンが好きだった。そもそもこんなに側に居たいと思うほどだというのに、キスが嫌なわけがなかったのだ。……この俺が、この俺が、と想像の中だけで頭を掻き毟って抱えた。
    「ジャン、本当にぼくのこと、好きでいてくれるの?」
    だが姑息なアルミンは追い討ちを忘れない。俺をどんどん深みに落とそうと目論んでいるのか、おそらくわざとこういう質問をしている。……きっとアルミン本人に答えをくれてやることはさほど重要ではないはずだ。俺がその質問を受ける度に自分の中にある感情を形に当てはめることで、ここに固定させようとしている。
     そう思うと非常に悔しいが、かといって否定もできなくてぎりりと奥歯を噛んだ。もちろん怒りなどではなく、羞恥のせいでだ。
    「……か、勝手に話を進めんなよ」
    慌ててアルミンの視野から外れるために顔を横に向けてもとき既に遅しで、
    「うわあ、顔真っ赤だね」
    「うるっせぇ……!」
    浮かれた声が階段下に響いた。……くそぅ、完全に見透かされている。俺はこんなにも余裕を失っているのに、どうしてこいつはこんなにも余裕綽々なのか。
    「……わかったよ」
    そんな心境だった俺の目前で深呼吸をしてから、今度は一歩を後ろに下がってくれた。これからどうするのかと反対にその行動を目で追ってしまい、先ほどまでとはまた違った生真面目な表情で見上げたのを捉えた。
    「じゃあ、もうぼくに嘘はないってことだね」
    念を押して確認をとられる。ここはしっかりと決めるところだと悟るには容易く、改めて背筋を伸ばした。……なんといってもここの信頼を取り戻さないと、俺はまたアルミンと笑い合うことはできない。
    「それは、たぶん、もうない……と思う」
    あんまりにも自信満々に言うのも白々しい気がして、あえて少し控えめに伝えた。アルミンはまた俺の目の動きからその真偽を測っていたらしいが、すぐにそれを止めて深く瞼を下ろした。
    「……じゃ、ぼくも一つだけ言わないとね」
    「ん?」
    観念しましたと告白でもするように、その眉毛を八の字に垂れさせて、
    「ぼくも君に嘘を吐いていたことがあるんだ。悪かったよ」
    俺がやったのと同じように、深々と頭を下げてくれた。……そもそもこの嘘つき合戦は俺が一方的に開戦させたのであって、アルミンにここまで謝ってもらうつもりはなかった。
     だが、確かにアルミンが俺に吐いていた嘘の内容は気にはなる。……まさか『本当は女なんだ』と言い出すんじゃないかと気が抜けたところで、それに取って代わるように訝しげなマルコの表情が思い出された。
     ――『へえ、それは初耳だなあ』
    「あ、」
    思わず声がこぼれ落ちていた。それと重なるような間合いで、
    「……あの、持病のこと」
    まさしく見当つけた通りのことを知らせた。
     とにかく詳細を求めて黙っていると、アルミンは足元に視線を落として続ける。
    「実は全部嘘なんだ」
    俺の顔を盗み見られたが、どうやら俺の反応が気になっているようだった。……俺としてはこの事態そのものが自業自得だと思っているので、当然のことながら苛立ちや怒りは抱いていない。代わりに抱いていたのは、もっと詳細を知りたいという忙しない気持ちだ。
    「全部って、どの辺から?」
    「うーん、」
    アルミンの目線はまたくるくると記憶を巡るように泳いで、
    「じいちゃんの先が短いって辺りから、ぼくの寿命云々のところまで」
    ぴったりと元の位置に戻ってきた。
     それは、ほぼすべての内容ではないかと驚く。……嘘だったとしても、おそらくアルミン本人の寿命の話のところだけだと思っていた。いやはや、それは違ったらしい。
    「……え、じいちゃんも元気なの?」
    「うん、元気だよ」
    やはりどんな形であれ、嘘を吐いていたことを後ろめたく思っているのだろう、その笑顔に覇気はなかった。
    「ぼくも持病なんて持ってないんだ」
    「……飲んでた薬は?」
    「いろんな種類のサプリメントだよ。鉄分とかビタミンとか」
    すらすらと種明かしをされて、一瞬にして心の中を占めていた気持ちがごった返した。この真実に喜べばいいのか安堵すればいいのか、はたまたこんな不謹慎な嘘を吐かれていたことに怒ればいいのか、落ち込めばいいのか、呆れればいいのか。
     どっと押し寄せた高い波のように襲った感情群のせいで身体が苦しくなって、自覚が乏しいままに視界がぐにゃりと歪んだ。
    「……な、なんだよお……!」
    それをなんとか抑え込もうとして、膝に手をついて半分だけ身体を屈める。
    「俺、俺、めっちゃくちゃに心配したんだぞ……!? そんなお前を騙そうとして、俺は何やってんだって自己嫌悪までして……」
    ……だが結局は、心から安心していたのだと思う。……よかった、アルミンが残り十五年の人生ではなくて……。
    「えへへ、ごめんってば。どうせ強請(ゆす)りのネタでも探しているんだろうと思ってさ、同情でも買ってやろうかと考えたんだ」
    まさに落としていた肩に触れられて、まるで元気出せよと諭されているようだ。なんてちぐはぐで滑稽だろう。……俺たちが互いに仕掛けていたのは、こういうものだった。
     ――ただ論を考えるだけなら、誰にだってできたことだろう。だがこいつの本当に恐ろしいところは、それをまた説得力を持って実行してしまったことだ。……俺の前でだけ執拗にサプリメントを飲み続けたり、誰にでも話していることではないと布石を打っていたり……思い出しただけで自分が如何にアルミンの手のひらの上で転がされていたかを思い知った。
    「……お前、本当に敵に回したくないタイプだよな。それだけはあいつらにも知らせといてやったほうがいいか」
    気を取り直して身体を持ち上げる。
     どうやら俺が顔を上げるのを待っていたらしいアルミンは、少し不安そうに見返していた。
    「まだ、これからも彼らとつるむつもりなの?」
    まっすぐに問われる。これは疑う余地もないくらいにアルミンの本心なのだろう。……アルミンからしてみれば、あいつらは依然アルミンのような〝ギーク〟にちょっかいを出す〝バッドボーイ〟で、時々こうやって関係のない人を巻き込んだ遊びをしているような連中だ。
    「……それは……」
    「それは?」
    「……たぶん、続けると思う」
    意志を確認して、アルミンは少し落胆したようだった。
    「そう、なんだ」
    声のトーンも幾分か落ちてしまったが、そこは早まらないでほしい。確かにこれまでのあいつらは……いや、俺たちは、そうだったが……これからはもう少しマシな方向へ転進できたらいいとは思う。
    「ただ、もうこんな馬鹿なことはやめるべきだって、止める役としてな」
    だから、俺の密やかな計画を伝えると、
    「……なるほど」
    理解を示してくれたことを、その声と表情が面白いくらいに教えてくれた。……これで少しはアルミンも安心してくれるといいのだが。……やはり、俺はあいつらのスタイルは気に入ってはいるのだから。
    「まあ、それでいつまでやつらの中にいられるかわかんねえけどな」
    アルミンに向けて言っているようで、その実、これは自分への戒めでもあった。考え方の違うやつが、いつまであの場に留めさせてもらえるかはわからない。そもそも悪いことをしたくてうずうずしているようなやつらだ。できれば彼らのセンスは共有していたいと思うが、奴らにとっては単なる俺のわがままに過ぎない。
     ふ、と気づくと、アルミンが何かを言いたげに俺のことを見ていた。
     話の流れからして、俺がこれからも〝あいつら〟とつるむことについてだろうと見当をつけて、
    「大丈夫、お前との時間はちゃんと作るから」
    深く考えずに、ただ思ったままを伝えた。
     きょとん、と音が聞こえたように錯覚するほど、アルミンには驚きに呆けた瞬間があった。……だがそれはみるみる内に笑顔に変わっていき、
    「まだお願いしてないのに、ありがとう」
    厭味ったらしいほどの清々しさを持って身体を寄せてくる。
     確かに、何も言われてない……! そう自覚して考えてみれば、これではまるで俺がアルミンの側にいたいという意志を、何の恥ずかしげもなく晒してしまったようだ。……いや、その通りなのだが、それで素直に喜ばれるとなんとなく癪だった。
    「……るせえよ! いちいち指摘すんな!」
    「あはは、ごめん」
    俺の必死さからは想像もできないほどののんびりとした笑いを含んだ声で、アルミンは楽しそうに肩を揺らす。
     そこで見せた笑顔が、嫌いではなかった。……むしろ、とても嬉しかった。……あんなひどいことをしようとしたのに、そして、互いに一時は間違った方向へ進みかけたのに。ちゃんとここへ戻って、ちゃんと気持ちを伝えられたことが実感できたから。
    「――……あ、昼休み終わっちゃったね」
    頭上で鳴り響いた予鈴にアルミンがいち早く反応した。
     次の授業はアルミンとは別だ。……つまり、ここでもうしばらくお別れになるということで、名残惜しさから、一気に心持ちが沈んでしまった。……せっかく気持ちが通じたのに、もう少しアルミンと話していたかった。……それこそ、俺がうだうだとしてしまった数日分を取り返すくらいの気持ちで、たくさん話したかった。
    「……あ?」
    腕を掴まれたのでアルミンのほうへ意識を向ければ、何を考えているのかにこにこと機嫌よく笑っている。
    「――最後にもう一度だけ、キスをさせて」
    「……なッ」
    とんでもない突拍子のなさで狼狽えてしまっている間に、アルミンはお構いなしで俺の唇にかぶりついていた。
     これまでの流れを表すような、地に足が着いていないような落ち着きのないキスだったが……それでもアルミンの匂いには安心させられて、その柔らかさにはもどかしさを植えつけられた。……ただでさえ離れたくないと思っていたのに、これでは尚さら欲をかいてしまいそうだ。
    「……っは、」
    やっと離れて吐息が漏れたところに、
    「じゃまた、後でね」
    満足げな笑みを残したアルミンは階段下から出ていく。
     最後に残していった笑みがあまりにも艷やかで、そしてキスを思い出してまた身体の底から熱が上がる。……これではしばらくここから身動きが取れないではないかと、もういないアルミンに悪態を吐きたくなった。
     ……くそ、くそ…………好きだ。
     だが、いくら悪態を思い浮かべたところで、最後に頭を埋め尽くしたのはその言葉で、もうどうしようもなく自分の気持ちを自覚せざるを得なかった。
     とりあえず次の一時間をこんなところで過ごすのは御免だと気を取り直し、俺もここから身体を動かした。……何かを忘れている気がしたが、今はとてもそれどころではなかった。

    「おい、ジャン!」
    「何でこれこんなにぬるいんだよ!」
    アルミンと別れたあと、俺が何を忘れていたのかを思い出したのは、次の授業中だった。……どれだけ浮かれていたのか、俺はきれいさっぱりと仲間たちにジュースを買ってこいと命令されていたのを忘れてしまっていた。
     授業が終わってから慌てて先ほどの階段下に向かえば、既に結露すら乾ききっているぬるいジュースが俺の迎えを待っていた。
    「ジャンお前、パシリの才能皆無だな!」
    「何が悲しくてこんなぬりぃ炭酸飲まなきゃなんねえんだよ!」
    仲間たちに平謝りしながらそれらを渡したら、各々文句を垂れながらも誰のジュースが一番まずいかで盛り上がっていた。案外楽しそうだったし、それ以上何かされることもなかったので、その楽しそうな様子を見ていた。……人をパシろうとするからバチが当たったんだとか、そんなこと別に思ったりはしてない。……していない。
     そこで、ふと、フェンスの向こうで見覚えのある人影が歩いていることに気づく。
     アルミンとマルコが一緒に帰っているところなのか、楽しそうに談笑しながら歩いていた。……そこにいた両者に対して充足感のような、満たされた気持ちを抱いて二人を見送る。何を話しているのだろう、楽しそうだな、と思ったが、どうせまたオタクトークで盛り上がっているのだろう。
     そこで、アルミンが俺に気がついたのか、目が合ったように思った瞬間に足を止めた。どうしたんだと見ていた俺に向かい、何の恥じらいもなく大きく手を振り始める。隣にいるマルコも俺に気づいて、まるで子どもを見守る父親のような、温かい……だが若干呆れを含んだような、そんな笑みを浮かべていた。
     ……当然、仲間たちの目の前で大手を振り返すなんてできるはずもなく、俺はわかりやすく顔を背けてしまっていた。――いや、仲間たちの前だからというのは単なる言い訳だ。あんな風に笑って手を振られたら、きっと俺は照れて顔を背けてしまうだろう。まさしく、今みたいな感じで。
     内側からこみ上げるくすぐったさが、口の形を変えてしまいそうだった。


    おしまい
    (次ページにあとがき)

    あとがき

    いかがでしたでしょうか……!
    ノリで始めた連載でしたが、
    ここまで長らくお付き合いくださり、ありがとうございました!

    原作世界軸の二人ならともかく、現代っ子アルジャンだと、
    アルミンくんのほうが精神的に成長するのが早そうだなと思いながら書いてました。
    頭がいいので、大人向けのアニメとか好んで見てそうだし、
    そういう意味でもね、成長は早そうだよね、と。

    あと言いたいことがあるとすれば、
    しっかり思春期してるジャンくんがかわいくて仕方がない。笑。

    今回のお話のスペシャルサンクスはマルコくんですね。
    アルジャンちゃんのキューピッドにしてしまいがちなんですが、
    彼の温厚な性格あってのこと……ほんといつもうちのアルジャンちゃんをありがとう……
    (何言ってるかわからなくなってきたw)

    それではご読了ありがとうございました♡
    またお見かけくださった際は、よろしくお願いします(*^^*)
    飴広 Link Message Mute
    2023/07/15 0:01:00

    第五話

    【アルジャン】

    こちらはアルジャンスクカパロ小説「君に並べる嘘八百」の第五話(最終話)です。

    more...
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    • マイ・オンリー・ユー【web再録】【ジャンミカ】【R15】

      2023.06.24に完売いたしました拙作の小説本「ふたりの歯車」より、
      書き下ろし部分のweb再録になります。
      お求めいただきました方々はありがとうございました!

      ※34巻未読の方はご注意ください
      飴広
    • こんなに近くにいた君は【ホロリゼ】

      酒の過ちでワンナイトしちゃう二人のお話です。

      こちらはムフフな部分をカットした全年齢向けバージョンです。
      あと、もう一話だけ続きます。

      最終話のふんばりヶ丘集合の晩ということで。
      リゼルグの倫理観ちょっとズレてるのでご注意。
      (セフレ発言とかある)
      (あと過去のこととして葉くんに片想いしていたことを連想させる内容あり)

      スーパースター未読なので何か矛盾あったらすみません。
      飴広
    • 何も知らないボクと君【ホロリゼホロ】

      ホロリゼの日おめでとうございます!!
      こちらはホロホロくんとリゼルグくんのお話です。(左右は決めておりませんので、お好きなほうでご覧くださいませ〜✨)

      お誘いいただいたアンソロさんに寄稿させていただくべく執筆いたしましたが、文字数やテーマがあんまりアンソロ向きではないと判断しましたので、ことらで掲載させていただきましたー!

      ホロリゼの日の賑やかしに少しでもなりますように(*'▽'*)
      飴広
    • ブライダルベール【葉←リゼ】

      初めてのマンキン小説です。
      お手柔らかに……。
      飴広
    • 3. 水面を追う③【アルアニ】

      こちらは連載していたアルアニ現パロ小説「海にさらわれて」の第三話です。
      飴広
    • 3. 水面を追う②【アルアニ】

      こちらはアルアニ現パロ小説「海にさらわれて」の第三話です。
      飴広
    • 最高な男【ルロヒチ】

      『現パロ付き合ってるルロヒチちゃん』です。
      仲良くしてくださる相互さんのお誕生日のお祝いで書かせていただきました♡

      よろしくお願いします!
      飴広
    • 3. 水面を追う①【アルアニ】 

      こちらはアルアニ現パロ小説「海にさらわれて」の第三話です。
      飴広
    • 星の瞬き【アルアニ】

      トロスト区奪還作戦直後のアルアニちゃんです。
      友だち以上恋人未満な自覚があるふたり。

      お楽しみいただけますと幸いです。
      飴広
    • すくい【兵伝】

      転生パロです。

      ■割と最初から最後まで、伝七が大好きな兵太夫と、兵太夫が大好きな伝七のお話です。笑。にょた転生パロの誘惑に打ち勝ち、ボーイズラブにしました。ふふ。
      ■【成長(高校二年)転生パロ】なので、二人とも性格も成長してます、たぶん。あと現代に順応してたり。
      ■【ねつ造、妄想、モブ(人間・場所)】等々がふんだんに盛り込まれていますのでご了承ください。そして過去話として【死ネタ】含みますのでご注意ください。
      ■あとにょた喜三太がチラリと出てきます。(本当にチラリです、喋りもしません/今後の予告?も含めて……笑)
      ■ページ最上部のタイトルのところにある名前は視点を表しています。

      Pixivへの掲載:2013年7月31日 11:59
      飴広
    • 恩返し【土井+きり】


      ★成長きり丸が、土井先生の幼少期に迷い込むお話です。成長パロ注意。
      ★土井先生ときり丸の過去とか色んなものを捏造しています!
      ★全編通してきり丸視点です。
      ★このお話は『腐』ではありません。あくまで『家族愛』として書いてます!笑
      ★あと、戦闘シーンというか、要は取っ組み合いの暴力シーンとも言えるものが含まれています。ご注意ください。
      ★モブ満載
      ★きりちゃんってこれくらい口調が荒かった気がしてるんですが、富松先輩みたいになっちゃたよ……何故……
      ★戦闘シーンを書くのが楽しすぎて長くなってしまいました……すみません……!

      Pixivへの掲載:2013年11月28日 22:12
      飴広
    • 落乱読切集【落乱/兵伝/土井+きり】飴広
    • 狐の合戦場【成長忍務パロ/一年は組】飴広
    • ぶつかる草原【成長忍務パロ/一年ろ組】飴広
    • 今彦一座【成長忍務パロ/一年い組】飴広
    • 一年生成長忍務パロ【落乱】

      2015年に発行した同人誌のweb再録のもくじです。
      飴広
    • 火垂るの吐息【露普】

      ろぷの日をお祝いして、今年はこちらを再録します♪

      こちらは2017年に発行されたヘタリア露普アンソロ「Smoke Shading The Light」に寄稿させていただきました小説の再録です。
      素敵なアンソロ企画をありがとうございました!

      お楽しみいただけますと幸いです(*´▽`*)

      Pixivへの掲載:2022年12月2日 21:08
      飴広
    • スイッチ【イヴァギル】

      ※学生パラレルです

      ろぷちゃんが少女漫画バリのキラキラした青春を送っている短編です。笑。
      お花畑極めてますので、苦手な方はご注意ください。

      Pixivへの掲載:2016年6月20日 22:01
      飴広
    • 退紅のなかの春【露普】

      ※発行本『白い末路と夢の家』 ※R-18 の単発番外編
      ※通販こちら→https://www.b2-online.jp/folio/15033100001/001/
       ※ R-18作品の表示設定しないと表示されません。
       ※通販休止中の場合は繋がりません。

      Pixivへの掲載:2019年1月22日 22:26
      飴広
    • 白銀のなかの春【蘇東】

      ※『赤い髑髏と夢の家』[https://galleria.emotionflow.com/134318/676206.html] ※R-18 の単発番外編(本編未読でもお読みいただけますが、すっきりしないエンドですのでご注意ください)

      Pixivへの掲載:2018年1月24日 23:06
      飴広
    • うれしいひと【露普】

      みなさんこんにちは。
      そして、ぷろいせんくんお誕生日おめでとうーー!!!!

      ……ということで、先日の俺誕で無料配布したものにはなりますが、
      この日のために書きました小説をアップいたします。
      二人とも末永くお幸せに♡

      Pixivへの掲載:2017年1月18日 00:01
      飴広
    • 物騒サンタ【露普】

      メリークリスマスみなさま。
      今年は本当に今日のためになにかしようとは思っていなかったのですが、
      某ワンドロさんがコルケセちゃんをぶち込んでくださったので、
      (ありがとうございます/五体投地)
      便乗しようと思って、結局考えてしまったお話です。

      だけど、12/24の22時に書き始めたのに完成したのが翌3時だったので、
      関係ないことにしてしまおう……という魂胆です、すみません。

      当然ながら腐向けですが、ぷろいせんくんほぼ登場しません。
      ブログにあげようと思って書いたので人名ですが、国設定です。

      それではよい露普のクリスマスを〜。
      私の代わりにろぷちゃんがリア充してくれるからハッピー!!笑

      Pixivへの掲載:2016年12月25日 11:10
      飴広
    • 赤い一人と一羽【露普】

      こちらは露普小説「ケーニヒスベルク二十六時」シリーズの続編です。
      飴広
    • ケーニヒスベルク二十六時 / プロイセン【露普】

      こちらは露普小説「ケーニヒスベルク二十六時」シリーズのプロイセン視点です。
      飴広
    • ケーニヒスベルク二十六時 / ロシア【露普】

      こちらは露普小説「ケーニヒスベルク二十六時」シリーズのロシア視点です。
      飴広
    • ケーニヒスベルク二十六時 / リトアニア【露普】

      こちらは露普小説「ケーニヒスベルク二十六時」シリーズのリトアニア視点です。
      飴広
    • 「ケーニヒスベルク二十六時」シリーズ もくじ【露普】

      こちらは露普小説「ケーニヒスベルク二十六時」シリーズのもくじです。
      飴広
    • 最終話 ココロ・ツフェーダン【全年齢】【イヴァギル】

      こちらはイヴァギルの社会人パロ長編小説「オキザリ・ブロークンハート」の最終話【全年齢版】です。
      飴広
    • 第七話 オモイ・フィーラー【イヴァギル】

      こちらはイヴァギルの社会人パロ長編小説「オキザリ・ブロークンハート」の第七話です。
      飴広
    • 第六話 テンカイ・サブズィエ【イヴァギル】

      こちらはイヴァギルの社会人パロ長編小説「オキザリ・ブロークンハート」の第六話です。
      飴広
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