煙草の話「阿僧祇さんってその銘柄好きなんですか?」
阿僧祇が煙草を一本取り出して火をつけようとしたとき、正面に座った零名が問いかけた。
「……、どうしてそう思ったノ?」
直接的に答えず、阿僧祇は質問に質問で返した。本来ならそれ自体が答えのようなものだったが、阿僧祇が意味ありげに笑うと間違っている可能性が頭をよぎる。例えば、ほんの少しの計算間違いをした教え子に、優しく先生が解き方を聞くような。そんな少し居心地が悪い感覚。
「よく、吸っているのを見る気がして」
阿僧祇はほとんど毎日吸っている銘柄が変わる。一時期は好きな銘柄がないのだろうかと思ったこともあったが、よくよく観察していれば吸っている銘柄には偏りがあることがわかった。正確に数を数えたわけではないし、くわえて煙草を吸っている時にいつも銘柄を確認できているわけではない。たまたま、零名が見ている時にその銘柄を吸っていることが多いだけかもしれない。
ただ、偶然零名が桐志の喫煙姿を目撃したとき、吸っている銘柄がそれだったのだ。根拠というにはあまりにも脆弱だが、零名にとってはそれが決定打となった。
零名がそう説明すると、阿僧祇は止めていた手を再び動かし、くわえた煙草に火をつけた。くゆる紫煙はすぐに消えたが、煙草特有の匂いは消えずにあたりを漂う。
「まァ、隠すことでもないからいいんだケド」
阿僧祇のその言葉は肯定を意味していた。本人の言う通り、零名に対して隠す必要のある情報ではないのだろう。
ただ、その先が気になってしまうのは零名の幼さゆえか、あるいはもとより備わっている好奇心ゆえか。
気にはなるものの踏み込んで聞いていいものかを迷った一瞬を阿僧祇は見抜いたらしい。いつものように少し悩む素振りをした後、煙草の灰を落とした。
「どうしてこんなことしてるのかって、思ったデショ」
「まぁ、そりゃあ気になりますよね~。教えてくれるんですか?」
「レイナチャンにならイイヨ?」
まるで零名が特別だというような言いぐさに「またこの人は」という呆れと感心の気持ちが湧いてくる。
零名は阿僧祇の事をその他の人たちより少し深く理解しているから、その言葉がからかいの類であるとわかるが、もし他の人であれば自分が特別なのだと勘違いをしてしまうかもしれない。というよりも、それが狙いでもあるのだろう、と零名は冷静に考える。
自分が相手にとって特別なのだと思えば、人は自然と心を開いてしまうものだ。いわゆる好意の返報性というやつで、相手からされたことをこちらも返さねばと思ってしまう心理。
阿僧祇は先に心を開いたふりをして、相手の心を開かせて聞きたい情報を手に入れているのだろう。阿僧祇のように普段はガードが堅い人ならば余計に、自ら自分の事を語ってくれるという価値は大きくなる。
そういう手口を零名に学習させようとしているのか、はたまた単純にからかいたいだけなのか。
零名がそんな風に考えている事すら見透かしたように阿僧祇はいつも通りの笑みを浮かべ、なんてことはない失敗談だと前置きした。
「十年……も前ではないか。桐志と出会ってからだったから八年くらい前カナァ」
当時、阿僧祇が仕事で接触していた人物がいた。こちらは大して警戒心があるわけでもなく、今回の仕事は簡単で助かると少し気を抜いていた。それが悪かった、というわけではないがタイミングが悪かったのはあるだろう。
その仕事のターゲットが数件前の仕事で接触していた人物と友人だったのだ。当然、ターゲットを身辺調査したときにその人物の名前は出ていた。しかし生活圏の違いや普段の連絡の頻度からしても、阿僧祇が接触している間に会うことはないだろうと考えていた。
しかし、ある日ターゲットと接触した時、その人物に出会ってしまった。
原因は偶然としか言いようがない。誰かが意図的に仕組んだわけでもなければ、阿僧祇が事前に察知して回避することも不可能だった。
当然変装は変えてあるし、声色も喋り方も同一人物とは思えないように変えていた。だというのに、その人物は目の前にいる阿僧祇が以前接触した人物と同一人物であると疑った。
「その原因が煙草の銘柄っぽくてネ」
「なるほど……。でも、煙草なんてたくさん流通してますし、それだけで決めつけるのは無理があるんじゃ?」
「まァ、そうなんだけど。現に同一人物だからネェ。探られたら痛い腹しかないわけですヨ」
阿僧祇は持っていた煙草をトントン、と叩き灰を落とした後また煙を蒸かした。
「人間っていうのは不思議なもので、点と点をつなげて線にしたがるんダヨ。しかも、誰に言われたわけでもない、自分自身で見つけた線を一等信じたがる。妄信すると言ってもいい。きっとそうに違いないってネ。そんな先入観を持って見れば、何でもバイアスがかかっちゃうのは仕方ない。現に、そのヒトは何をしても何を言っても疑いっぱなしだったから」
阿僧祇はそう言いながら灰皿に短くなった煙草を押し付け、火を消した。
「面倒デショ? そういうの」
笑みを浮かべた阿僧祇はどことなく物騒に見える。
これも勝手な先入観からの思考だと零名は分かっていながらも、考えることをやめられなかった。その人物は、阿僧祇を探ったその人は煙草の火のように、いとも簡単に消されてしまったのではないか、と。
「マ、だから念には念を入れるようにしたんダヨ」
阿僧祇にとっては毎日吸う銘柄を変える事の方が、誰かに身バレして粘着されるよりはるかに楽だという事だろう。それはそれでどうなんだと思わないでもないが、阿僧祇の変なリスクヘッジに関しては今更だ。わざわざ何かを言う必要もないだろう。
「それにしても、煙草に興味あるの?」
「そりゃあまぁ、ありますよ? でもまだダメって言うじゃないですか」
事実零名が子供であることには変わりない。生まれて一年二年しか経っておらず、見た目も大人の女性というよりはまだ少女と言った方がしっくりくる。むしろ体だけが大きいせいで、零名自身もいつになったら酒煙草が許されるのか測りかねているところもある。
「後二年くらいの辛抱じゃない?」
「逆にあと二年でいいんですか?」
「十八くらいに見えるし、いいんじゃない?」
それは正式な許しのようなものだった。阿僧祇が「いい」と言ったのであれば、他の面子が否という理由がない。もしかしたらあるのかもしれないが、零名からすればこういうのを気にしてそうな筆頭が阿僧祇だ。
「じゃあ二年後に教えてくださいね」
「あ~あ、レイナチャンが悪い子になっちゃうヨ~」
「今更じゃないですか?」
二年先の予定までは取り付けた零名は、冗談めかして肩をすくめる阿僧祇を見て、満足げな笑みを返した。